〝道徳的に悪であり、審美的に醜悪であり、経済的に害であるものが、だからといって敵である必要はない。〟――引用、カール・シュミット
1
国会の証人喚問は、とりわけ刀剣類管理局代理の折神朱音へとその矛先が向けられた。
春先ごろに問題となった「鎌倉特別危険廃棄物漏出問題」は、特に臨時国会でも話題の渦中にあった。
連日に渡る厳しい追求にも辛抱強く耐えた朱音だが、この証人喚問以上に厄介な存在を相手にしていた。
そのことを意識するだけで気が重くなる、と朱音は思った。
午前と午後の応酬を終えて、帰路につく車の中。
「はぁ………」
息を吐いて、後部座席に深く身を預け目を揉んだ。連日に渡る心身への疲労が重なり、酷く疲れていた。――とはいえ、誰かが責任を取らなければならない。それは「折神家」に生まれた者としての宿命であった。……実姉、折神紫がその問題の原因であるのならば、尚更。
緩やかな眠気が襲いかかったタイミングでブルブル、と膝上の携帯端末が震えた。画面をみると真庭紗南、と名前が表示されていた。
ふっ、と口元が緩む。緊張感の漂う世界に身を置くと、気の許せる知り合いの存在というのは有難い。
「――はい」
『〝特別刀剣類管理局局長代理〟様のお電話で宜しかったでしょうか?』
古くからの付き合いのある友人の皮肉がかった調子の声に、朱音はクスッ、と小さく噴き出した。
「もう……それより、用件はなんでしょうか?」
『――〝維新派〟の活動がかなりきな臭くなってきたと、密偵の報告がありました』
いつになく真剣な口調で紗南がいう。
京、綾小路武芸学舎には依然として配置している舞草の密偵からの連絡で、「鎌倉特別危険廃棄物漏出問題」以後も任務を続けていた。
それには理由がいくつかある。
ひとつは、学長相楽結月の動向であり――彼女を隠れ蓑にしている高津雪那にも同様の監視が置かれていた。
ふたつ目は、〝タギツヒメ〟である。
この三女神のうち、最も人間に対して強い憎しみを抱えているタギツヒメこそが最大の脅威と看做しているためであった。
一人思案に耽る朱音をよそに、紗南は更に続ける。
『維新派――というよりも、綾小路の研究施設関連が〝ノロ融合〟の研究を最終段階まで整え……完成は間近とのこと』
硬い声で言い終わる。
薄く目を閉じた朱音は軽い眩暈を覚えながら、
「――分かりました。ありがとうございます。それで、〝異世界の来訪者〟に関しては?」
タギツヒメの最大と手駒といえる異世界の住人たちが、ここ最近になって活動を活発化させているとの連絡がもたらされていた。
『その件に関しては安心していいでしょう。……なにせ〝あの男〟が帰ってきましたからね。ふっ……まぁ、と言っても戦闘技能以外はまったくのダメ男ですからね』
担任の教師がまるでダメな生徒でも評するかのように、伝える。
(あの男……? もしかして――)
「もしかして、百鬼丸さんが見つかったのですか?」
『ええ。連絡が遅れたのは、彼がコチラに協力してくれるか確認を取るためでしたが――問題はナシ。今後彼はコチラの戦力として期待できるでしょう。特に異世界の来訪者相手には……』
そこまで聞いて、朱音は物憂げな表情になった。
「彼もまだ少年なのに……また戦場に立たせなければいけないんですね……」
苦いものがこみ上げてきた。
以前、舞草の里で彼と会話した時のことをよく憶えている。
その時の姿は、どこにでもいる傷つきやすい少年――という印象であった。決して彼が化物でもなければ、単なる戦闘兵器でもなく、一個の人間であることをよく知っている。
『…………。』
紗南も同様に考えているのだろう。
しばしの沈黙のあと、朱音は空気を変えるように切り出した。
「私はこれから自衛隊の市ヶ谷までいきます。苦労をかけると思いますが……」
『それはお互い様でしょ? 朱音ちゃん』
昔の懐かしい呼び方だった。折神朱音は微笑を漏らすと、「ええ」と頷いた。
それから、ひとしきり語り終え、通話を終えた。それから流れゆく車窓を無意識に眺めながら、
「もし、これから何があっても百鬼丸さんがいるというのは心強いですね」
小さく零した。
これから来るであろう、激戦は予想されていた。
そのとき、彼は…………
2
なぜ、ハンバーグを食ってコーラをがぶ飲みすると、臭いゲップが出るのだろう? 百鬼丸は疑問だった。
ファミレスで注文したチーズハンバーグは、デミグラソースがたっぷりで、思い切り頬張ると口の中を火傷しそうになった。
「はふっ……はふっ……」
口から湯気が漏れる。温度を下げるために、冷たいコップを握り、口腔へ流し込む。この瞬間だけは最高だと百鬼丸は思う。特に飯を食うとき動物は本来的に警戒心が弱まる。だからこそ、食事は安心できる空間でないとできない。
昔の自分では、およそ他人の前で食事をすることなど考えもつかなかっただろう。――
「百鬼丸おにーさん♪ 口にソースついてるよ」
隣に座っていた元親衛隊第四席、燕結芽が紙ナプキンで口元を拭う。
「ムググっ……痛い、痛い、痛い。力が強い強い」
溢れんばかりの愛情という名の暴力によって、押し付けられるナプキン。その後、口を拭き終わると肘に関節技でも決めるように自らの細い腕で抱きつきながら、
「えへへっ~もう、遠慮しなくてもいいのに~」笑顔で応える。
「!? 話が通じていない……だとッ!」
危うく鼻水が吹き出しかけた。それを寸前で押さえ込んで、隣の少女のよくわからないテンションに恐れ慄く。今まで色んな敵と戦ってきたが、こんなにやりにくい相手は初めてだった。
そういえば、山に住んでいた頃、山犬や野鳥の鶺鴒と暮らしていたときを不意に思い出す。彼らは普通人間には慣れない。野生と人間とでは住む世界が異なり、決して交わることがないからだ。……しかし、野生からつまはじきになった連中は違う。
同じく、人の世から疎まれた百鬼丸と孤独な野生動物は惹かれあった。
(あいつら、元気かな……)
ふと、隣の少女を眺めながら野生動物をと過ごした記憶が甦り懐かしくなった。
「――?」
結芽は、ぼけーっ、と眺める百鬼丸の視線に小首を傾げた。
一見、まあ何の変哲もない平和な空間だと思われた――ただ一人、相楽結月を除いては。
「チッ……」
結月はイライラと、腕組みしながら貧乏ゆすりを激しくしていた。
先程からこの調子である。百鬼丸には無論その理由がわからない。相手の心を見透かせばいいのだろうが、一々『心眼』を使うわけがない。精神力を使うために非常時以外は避けているのだ。
(まぁ、いっか)
百鬼丸は対面の女性の鋭い眼差しを無視してフォークで切り分けたハンバーグを再び頬張る。もにゅ、もにゅ、と咀嚼すると気分が高揚する。
撓んだ縄のような口を睨みながら、
(コイツは小学生か……)
と、結月は内心毒づいた。いまの百鬼丸は、年齢がひとまわりも幼い子供のようにみえた。
これが、本当に最強の戦闘兵器であり、維新派の最大の障害となる男だというのだろうか?
結月は疑念が払拭出来ずにいた。
今回、百鬼丸に接触したのは他でもない偵察のためであった。刀剣類管理局を改革する、という名目のもと、着々と国家転覆にも似た計画を実行している。
だからこそ、結芽を口実にして百鬼丸に接触したのだった。――しかし。
(私は一体、なにをしているんだろう……これも、あの時の罪か……)
醒めた目で、手元のコーヒーカップを凝視する。
あの時、人が犯してはならない「人体とノロの融合」という研究に手を出した罰なのだろうか? それとも、何ら罰を受けずにこれまでを過ごした結果だというのだろうか? せっかく、手に入れた平穏を守るために……。
伏せ目がちにコーヒーカップを握る。
ゴクリ、と嚥下させた百鬼丸は、ワザとらしく普段通りの口調で、
「そいで、さっきの話の続きだけどおれは何をすればいいんだ? まさか、会話だけしにきた訳じゃないだろ?」
と、話題を転じた。
「……ああ。結芽は昨日まで三日間と、明日の二日を検査入院の予定になっている。――今日一日は外出許可が出ているから、不本意ながら、本当に不本意ながらだが、貴様の如き薄汚い変態に頼みがある。結芽をどこかに連れて行って欲しい」
「ほほう、でも貴女がどこかに連れていけばいいのでは? おい、つーかなにサラッとおれのことを酷く罵ってるんだよ」
素直に抗議しておいた。変態というのは、自分からいうのはいいが、相手から言われるのは心外というものである。
だがギリッ、と歯噛みしながら、唇を強く噛み締めた結月が百鬼丸を睨みつける。まるで彼の抗議なぞお構いなしに怒気を放つ鬼の形相だった。
「…………私もそうしたい、いや――本当はそうしたいのだが、予定がある」
テーブルに置いた拳が小刻みに怒りに震えている。
「…………。」
百鬼丸はやべーヤツの雰囲気を咄嗟に感じ取って、黙った。
「えへへへっ~、だから今日一日は百鬼丸おにーさんと一緒だよ~♪」
百鬼丸の右に腕を絡ませながら、上機嫌にいう。
サッ、と百鬼丸が横目で結芽を窺う。……どうやら、少女は嬉しいのだろう。一切、相楽結月の存在など忘れているかのように、べったりと密着している。
さっ、と正面に視線を戻す。
「チッ、コロスコロスコロス……」と、その様子に呪詛でも唱えるように眉間に皺を刻む結月。
――ん? これって、もしかして絶体絶命のピンチという状況では?
と、背筋に脂汗が流れるのを感じながら、百鬼丸はようやく現状を正しく認識した。
◇
食後の重たいお腹をさすりながら、
「そんで、どこに行きたいんだ?」
おれは隣を歩く華奢な影に訊いた。
おれ自身、色々とよく分かっていないままなのが本音だ。そもそも、こんなことになったのも、つい数分前――。
ファミレスの出口にて、
『では、くれぐれも頼む』
相楽学長が別れ際におれに言った。酷く鋭い眼光で、冷ややかに含みを持たせて言い放ったのだ――と、おれは理解した。
「…………はい」
黯然とした気分に陥りながら、深く項垂れる。
一体、おれが何をしたというのだろうか? 今回は何も間違いなんて犯していないではないか? これは不条理というものではないか? など、噴き出す疑問を飲み込んで肩を落とす。
『結芽に手をだしてみろ。貴様の男根を切り落としてやる』
と、脅迫してきやがった。
…………おれはなにかしたの? 勘弁してくれ。マトモにションベンできないじゃないか。
おれは気だるい気分を引きずりながら、歩き出す。
「じゃあ、百鬼丸おにーさん行こっか♪」
元気よくおれの手を引いて燕結芽は走り出した。
「……ま、いいか」
せっかく、死の影から怯えずに済んだんだ。どんなわがままでも聞いてやりたい。おれは心からそう思った。
◇
「そんで、どこに行きたいんだ?」
おれは隣を歩く華奢な影に訊いた。
整然と並ぶ街路樹のマロニエの木々の葉が色づいている。秋風は和らぎ、天高く日差しが差し込んで陽気は最高だった。
平日だからか、歩道は人通りが疎らだった。最高の気分だ。人がいるとおれは落ち着かない。
思い切り空気を吸い込み、おれは横に目線をやる。
「う~んっと」
おれの問いかけに、結芽は深く悩んでいるようだ。
唇の下に人差し指を当てながら考え込む。大きな猫目に似た瞳をパチクリとさせて、悩んでいる様だった。
「百鬼丸おにーさんはどこか行きたいところあるの?」
「いいや、ない……かなぁ」
「え~っ、つまんなーい!」
「そう言われても困る……大体、おれじゃなくても他に誰かいないのか?」
「…………ばかぁ」小声で呟く。
「む?」
よく聞き取れずに、思わず聞き返した。
「ばかっっ!!」
感情が爆発したのだろうか。唐突に大声で叫びながら怒鳴った。
「ば、ばかとは!? 突然なんだよ、ひどい」
なぜ怒っているのか判らない。
「――私と居るのは……楽しくない?」
ボソリ、と寂しそうに囁いた。
いいや、そんな訳はない――のだが、ハッキリ言えば他者と長時間過ごすのに慣れていないだけだ。うん。おれがガキの頃に義父や義妹と暮らした時から数えても十年近く経っている。
(今更、人付き合いなんてわかんねーよ)
正直、悲嘆に暮れる。
だが非常時ならば話は別だ。戦いがおれの中で馴染んでいるから、誰かと居ても平気だ。……だけど、こんな平和な時は本当に苦手だ。
(でも、こんなこと言っても仕方ないしなぁ……)
考えをまとめて、おれは隣の少女の頭を犬っころの毛並みみたいに撫でた。
「そんなことはない……おれは、どうやって過ごしたらいいかわからんのだ。……だから結芽が教えてくれないかな?」
顔を真っ赤にして怒っていた結芽は、不意をつかれたのだろうか。驚きながらも擽ったそうに目を細める。
「~~~~っ、卑怯だよ」
俯く。撫子色の前髪が目元を覆う。甘ったるい匂いが、おれの嗅覚を刺激する。まるでお菓子みたいな匂いだった。
「へへっ、頼むよ。……こんな日はどうやって過ごせばいいんだ?」
ワザとおれは間抜けっぽい口調で聞いた。
しばらく逡巡した結芽だったが、何かを思い切ったのだろう。ガバッ、と頭をあげて組んでいた腕を解いて、おれの前方に立ちふさがる。
「わかった。百鬼丸おにーさんに、私が特別に教えてアゲル。……退屈しない過ごし方♪」
手を後ろで組んで、悪戯っ子っぽく微笑む。
子供らしい、素直な表情におれは安堵した。以前のような、どこか死の影の付き纏う不吉な顔は御免だ。――こんな顔が見れるなら、おれは何度だって寿命も肉体も削ってやりたい。それに値するだけの甲斐があったと思える。きっと、結芽はこの先も様々な人と出会い成長していくだろう。
(コイツの人生に、おれは居たらいけない。……コイツの人生は、刀使だけで終わらない。その先も――きっといいものになって欲しい)
「ふっ」おれは思わず、笑みがこぼれた。
誰かの命を救えた喜びというのが、ようやく実感として湧いてきたからだ。
「よろしく頼みますぜ」
「うん、任せて♪」
◇
私を助けてくれた百鬼丸おにーさんは、本当に鈍感だと思う。どんなに私がアプローチしても全然気づかない。だって、だって、どれだけ抱きついてもドキドキした顔もしないんだもん。――それに、私をペット扱いするみたいに扱うから……可愛がってくれるのはイヤじゃない。けど、うまく言えないけど、胸の奥がモヤモヤする。
(前の胸の痛みとは全然違うよ……。)
痺れるみたいな感じがして、イヤ。
――誰かの記憶に強烈な私を刻み付けたい
それは、今でも多分変わってないと思う。……でも、本当に焼き付けたい相手は――
『ん? どーした?』
にこにこしながら、間の抜けたカンジで頭を撫でてくる。
ほら、やっぱりまた子供扱いだ。
でも、それでも……。
「えへへっ……なんでもないよっ♪」
自分の気持ちを隠して、笑ってみる。
多分、見た目もすごくかっこいいワケじゃないし、鈍感だし、間が抜けてるし……これなら真希おねーさんの方が全然女の子にモテるし! ……でも。
私を覗く右目の義眼を見返す度に、やっぱり胸が苦しくなる。ヘンな痺れるみたいなモヤモヤがずーっと、ずーっと、苦しくさせる。
〝私は百鬼丸おにーさんが好きなんだ〟と思う。
ううん、「思う」んじゃない。大好きなんだ。だから、私だけを見ていて欲しい。
『うん、任せて♪』
絶対に、私のことを大好きにさせるから。
◇
ファミレスで別れた直後、結月の携帯端末が震えた。
電話に出ると、聴き慣れた声がした。
『〝相楽学長〟、本日が近衛隊選抜の期限ですが?』
イヤミったらしい女の声音が鼓膜にまとわりつく。相手は勿論、高津雪那だ。
「――知っている」
『貴女が牛歩戦術を使うならそれでも構いませんが……轆轤局長の協力もありますからねぇ。ふふふふっ、貴女の最愛の燕結芽の身柄がどうなってもいいと仰るなら、それでもコチラは全然構いませんが?』
「ッ、脅迫するのか!?」
『脅迫? いいえ、貴女の賢明なご判断に委ねているんです』
へりくだった言い方だが、暗に人質をとる構えだろう。
「……っ、わかった。返事は今日中に出す。それで文句ないだろう」
『本当ですね? ――まぁいいでしょう。あとは鎌府と特別祭祀機動隊の視察、などなど。偵察をお願いします』
一方的に喋って雪那は電話を切った。
(なぜ、なぜこんなことに……。)
結月は、携帯端末を握り締めながら、下唇を強く噛んで、忸怩たる思いをにじませた。
「結芽……せめて、お前のために私は責務を果たす」
二度と手放したくない……そんな思いに突き動かされながら、かつての仲間を裏切る。
「すまない、本当にすまない」
脳裏には、既に亡くなった美奈都と篝の顔が思い浮かぶ。