刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第88話

 夕色に周囲が溶け始めた頃。

 「終わったのか――?」男の低い嗄れた声がする。ああ、と頷きながら秀光はチラと十臓が肩に担いだ少女を一瞥した。撫子色の長い髪は、つよい風に吹かれながら美しく舞う。

 ほど近い場所から、潮風の香りがした。

 「そちらも上手くいったようだな。まあ君の実力ならば簡単だっただろう?」

 「いいや。もう少し――この少女に、命を懸ける程の切実さがあれば話しは違ってきた。まるで、その生命を惜しむ気持ちがあった……だから、俺が捕らえることができたに過ぎない」

冷静に戦況を分析してみせる十臓。彼を外道であり、殺しの申し子として存立させるのはひとえに、この客観視に依るところが大きい。

 〝古人に曰く、生きんとすれば即ち死に、死なんと思えば生きん――〟と。

 不意に十臓の脳裏にその教えが浮かんだ。

 

 ほぉ、と彼の説明を聞きながら珍しく驚いた顔をした秀光。

 「さあ、ここに長居は無用。一旦帰ろう」

 ポケットから車のキーを取り出して、すぐ近くに駐車した車のロックを解除する。

 歩を踏みながら十臓の肩に担がれた少女を一瞥し、秀光は鎮痛に眉を潜める。

 「…………大丈夫、今後君に危害は加えない。それは約束しよう」秀光はそう言いながら、深く昏睡したように瞼を閉じる少女に告げた。その慈悲深い囁きは違和感でしかない。

 

 「…………。」

 十臓はこの男の真意を測りかねていた。しかし、それは轆轤秀光という男を知るためでは無論、ない。あくまで単純な疑問だった。

 胡乱な眼差しを感じ、秀光は居心地悪そうに肩を竦め無言で車の方角へと赴く。

 

 

 2

 (くそっ……くそったれ!!)

 百鬼丸は、遠ざかる男の後ろ姿を消えるまで眺めながら、必死に現状の打開策に思考を巡らせた。

 

 いくら悔やんでも足りない慙愧の念。失って始めて思い知る感情。目を食いしばり、痺れる舌で呻く。

 

 《君は馬鹿だな……人工筋肉の神経網を利用して、強制的に脊椎に集中する運動神経を強制的に稼働させればいいじゃないか》

 あっけらかんとした言い草。この声を、百鬼丸は知っている。

 

 (ジョー!? なんでてめぇが!!)

 

 《なんで? おいおい、自分でも理由は知っているだろ? 君の心臓にボクの人格と知識がトレースされたのだよ。――それに、今の君にはボクの言葉を疑うだけの理由があるのかい? 戦争は常に好機を見逃すべきじゃない。そう教わったが、君はその道理も理解できないのかい?》

 皮肉がかった口調でからかう。

 

 チッ……、と内心鋭く舌打ちしながら百鬼丸はジョーという嘗ての宿敵の提案に乗ることにした。

 

 ……まず、左腕と右脚に接続された透明な神経網の筋肉へ意識を集中させ、麻痺した部分を脊椎と脳幹を通じて、強制的に麻痺筋肉へと介入する。

 

 ピクッ、と右腕の指先が動き出した。

 

 呆気にとられながら、百鬼丸は尚も繊細さを要求される作業を続けた。……確かにジョーの言うとおり、呼吸が正常に回復し――意識も、明瞭になってきた。

 

 《なぁ? ボクのいう通りだろ? あはは……全く。人を疑うのはよくない証拠だぞ》

 陽気な笑い声と共に、百鬼丸にいう。

 

 ――悔しいが、この男の知識に救われた。

 

 かつて、なんの罪もない人々を殺戮し、そして義父すらも変貌させた憎むべき相手、レイリー・ブラッド・ジョー。

 彼の助言に百鬼丸は渋い顔をしながら、徐々に回復する肉体に改めて喝を入れる。己の甘さが招いた今回の状況、それに見合うだけの反撃をすべきだ。

 

 否、まずは誘拐された燕結芽を救い出す。

 

 と、そこで百鬼丸は重要なことを思い出した。

 

 (ああッ、クソっ、無銘刀は預けてきたッ……こんなことがあるなら)

 結芽との行動に際して、《無銘刀》は青砥館に預けた。修繕を兼ね、また街中での刀の所持は刀使以外には認められていない。百鬼丸は、よほどの事がない限り左腕の刃一本で事足りると思い慢心していた。

 

 ――だが甘かった。

 

 あの男の目的は全く掴めない。だがとにかく追わなければならぬ。憎悪の炎が肚の底から燃え上がり、百鬼丸の倒れ伏した姿勢から緩慢に立ち上がらせた。

 

 (チッ、足んねえぇぞ、オイ!!)

 

 百鬼丸は、自らの舌を噛んで流血させた。一斉に痛覚が戻り、神経系が復活した。

 

 「プッ……クソ不味いなおい」

 血痰を地面に吐き捨てながら、百鬼丸は左腕で紅を拭う。

 

 「おい、クソ野郎。おれの手伝いをしろッ」

 自らの心臓に拳を叩き、促す。

 

 《アハハ、まったく君という男といるとつくづく飽きないねぇ。いいだろう。ボクも君に協力するとしようか。さあ見せてくれ給え百鬼丸くん。君の力を――》

 

 「ヘッ、抜かせこの野郎」

 何度もゴシゴシと口元を拭いながら、百鬼丸は闘志と気魄に満ちた顔で嗤う。

 

 

 3

 レクサスLS―600の黒色車体が、静かなエンジン音と共に発進した。

 公用車としても名高いこの車種は秀光の個人所有するところではなく、要人護衛の為に用意さたものである。何十もの防弾構造をとっており、タイヤもパンクと無縁の改造を施されていた。通常、エンジンにはスピードを制限する安全装置が取り付けられているが、このような公用車の場合、或はパトカーなどの警察車両にはその例はない。

 川崎から246号線を利用し、高速へとゆく。

 そのために、遊園地から挟道のスロープ状の道路へと出る必要があった。

 秀光はハンドルを握りながら、バックミラーで背後を伺う。

 後部座席には眠りこけた燕結芽と、鋭い眼差しで腕を組み瞑想に耽る腑破十臓の姿があった。

 「君は、島原の乱に参戦したと聞いたが……」

 秀光は、十臓の来歴を調べる折、ふと興味が出てあれこれ独自調査を行った。

 

 ――ああ。

 短く返事をする十臓。

 

 「君を活かす時代ではなかったようだね。だが、武術の指南役なんかもあっただろうに……」

 「いいや、俺は柳生の者とは仲が悪かった」

 

 「なぜ?」

 

 「辻斬りで随分、柳生に指南を受けた者も切り殺し、江戸の町で文字通り血祭りに上げたからだ」

 

 「…………どうしてそんな事を?」

 「天下に名高い武芸者の教えを受けた人間がどんなものか知りたかった。だが、所詮は人間。俺の求める悪鬼羅刹の如き力ではないことを知った」

 腕を組みながら、十臓は記憶が甦る。

 

 

 外道に堕ちる前、まだ彼が「人」であった頃。

 島原の役へ赴く五か月前、彼は愛読していた「史記」の項羽本紀に記された有名な文言、即ち項籍(羽)曰く、「書は以て姓名を記すに足るのみ」という部分に強く惹かれた。

 彼もまったくそのとおりだと思った。

 そして、悲劇の英雄、項籍という男と己をいつしか自己同一視するようになった。父はそれを鼻白んだ。だが、彼は密かに項籍の文言を布切れに墨で書き記し、持ち歩いた。

 項籍は常に飢えていた。

 ――自らを阻む強者に。

 そして、彼は常に怒っていた。己の有り余る力を示すだけの、受け入れるだけの容量がない世界に……。

 

 

 

 原城が掃討戦に入った頃、本営の陣幕で松平伊豆守信綱は椀に湛えた水を飲み干し、口端に流れた水筋を袖で拭う。具足姿のまま、床机に腰掛け遠望しながら戦の趨勢を見守っている。……常の神経質な眼差しが今日は一層強かった。

 戦後の処理を脳裏に思い描きながら、傍に控える立花宗茂へ一瞥くれる。

 老将は、齢七十とは思えぬ威風堂々たる雰囲気を漂わせていた。白髪も鬢も、微風に嬲らせながら、悠然と太刀を杖代わりに握り、瞑目している。

 と、陣営に一つの足音が飛んできた。

 

 「はぁ……はぁ……ッ、腑破十臓、ご報告致します」

 一人の若武者が、異例とも言うべき待遇によって駆け込んできた。十臓は搦手の一番やりを果たし、その戦果と内情を報告しにきた。

 パチッ、と眼を見開いた宗茂は、戦の申し子と言われた直感から彼の異様な才能に気がついた。

 

 十四の十臓は荒縄を束ね、そこに括りつけられた生首の数……およそ五十。しかも、縄が途中で途切れており、その数は今以上であっただろう。――平和な時代であれば、決して用いられることのない才能。

 

 (――天は彼を、この時代に何故遣わした?)

 思わず、内心で吐露する宗茂。

 ふと、隣りを見ると信綱はつよい嫌悪の眼差しで十臓を睨めつけていた。彼は非情な合理主義者であると同時に、潔癖で生真面目な部分を併せ持っていた。彼がこの若武者に与えた感謝状はひとえに厭戦気分漂う陣中の、一種の起爆剤として与えたに過ぎない。

 しかし、それに感激した若武者は尚一層、強く力を振るった。

 「何用だ?」冷淡な声で信綱はいう。

 朱に染めた顔貌をにっこり、とあげて荒縄から連なる邪悪な数珠を差し出す。

 「敵の掃討を行って参りました」

 傅きながら、報告する。

 

 「そうか……ご苦労、もう下がれ」

 その言葉を聞き、意外そうに十臓は顔を上げる。

 「な、なにゆえでしょう? このように……」

 

 「その荒縄には……女子供のものも混ざっている。確かに、邪教の輩だがそれを武勲には数えない。――期待していた働きではない」

 

 意外そうな顔つきで、十臓は頭を垂れる。

 宗茂は立ち上がり、傅く若武者の肩を叩く。

 「なるほど、貴殿は無類の働きを行う武勇のもの。しかし、徳のなき武士は長く続かぬ。敵といえども命あるもの。それは理解しているな?」

 歴戦の猛者の声にしては優しく、しかし厳しい。

 十臓はガバッ、と顔を合わせ肯く。

 「当然です。――己のこの〝胸の渇き〟が癒えるまで、刀を振るい続けたいと思います。確かに弱き者をなで斬りにしたことは反省しております」

 あっけらかんとした物言いに、流石のその場に居合わせた武士たちも虚を突かれた。

 

 「「…………。」」

 一座には妙な沈黙が続く。この、戦の知らぬ首脳陣が始めてみる地獄絵図の戦場において、一際目立つ若武者――。

 いくら、賊徒といえども、哀れを催していた雰囲気の中、純粋な殺意のみを持ったこの十臓という存在はひたすら異彩を放っていた。

 

 しかし、宗茂は彼の肩を再び叩く。

 「……なるほど、貴殿の父上が語ったとおり、乱世の生まれにこそ相応しいな」

 と、いったところで十臓の懐から落ちた一枚の布切れを老将は拾い上げた。

 

 項籍の名高い一文――。

 

 宗茂は長い嘆息の余韻の後……、

 「いずれ、その身を滅ぼす。それが厭ならば刀を手放せ。それが貴殿の為だ……」

 

 言いながら、老将は異教の民に向かい密かに祈りを捧げた。少なくとも、安らかに眠るように……、ただ祈った。

 

 そしてこの老将の付言通り、悲惨な末路が腑破十臓を待ち受けていた……。

 

 

 4

 話しを全て聴き終えた秀光は、苦いものを感じながら、アクセルを踏む。

 湾岸沿いの高速道路の車列へと混ざり、速度を上げる。

 「その才能は必ずしも人を幸福にするとは限らない……昔の偉い人が言った言葉はそのとおりだと想う。――しかし、君ほどの存在は……」と、言いかけて黙った。

 

 轆轤秀光は直感で、何かが近づく感覚がした!!

 

 再びバックミラーを伺うと、白煙を一筋曳く〝影〟を瞳で捉えた……。あの姿は、そう忘れもしない――

 

 「百鬼丸ゥッ、貴様かッ!!」

 追跡者の名を口にする。

 少年……百鬼丸は、疎らに流れる車の上を足場に飛んで次々と距離を縮め、確実にこの車を追ってきた。

 

 執念深いその行動に、流石の秀光も喉を鳴らして呻く。

 

 が、後部座席の男――腑破十臓は違った。

 

 不敵な笑みを口元に零しながら、腕を解き傍らに置いた《裏正》の柄を掴む。

 

 「面白い、百鬼丸。貴様がそのつもりながら手合わせ願おう……」

 黒目の瞳が異様に爛々と輝きを放ち、外道の残忍さをよく現していた。

 

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