刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第95話

 1

 ……腑破十臓との邂逅の数分前。

 

 深くなる靄の中から、黄色く滲む光があった。

 やがて膨らみを増して轟音と共に近づいてくる――。特務作戦部隊の全員が緊張の糸を最大に張り詰め、息を殺す。

 

 『どけ、どけ、どけ!!』

 まだ若い少年の声が周囲に木霊する。切迫した口調と、まだ年端もゆかぬ口調は妙なアンバランスさを生み出していた。

 

 ……が。

 

 「け、警告する! 今すぐ止まれ!!」

 現場指揮官が、拡声器で努めて冷静に伝える。

 しかし、その必死の警告も虚しくガス排気の音が止む気配がない。

 (やむなし、か)

 現場指揮官の男はゴーグルの下で、苦渋の表情を示し……射撃許可の合図を送ろうとした。

 

 靄を振り払うように、大型バイクの前輪が疾駆する。

 『うぉおおおおおおおおおおおおおおおお』

 半ば絶叫するように叫びながら、百鬼丸はハンドルグリップを持ち上げた。前輪が一気に地面から離れてウィリー走行を始めた。後輪が大きく撓んで、スタビライザーが軋みをたてる。

 

 その声に弾かれるように、特務作戦部隊の連中は引き金に神経を集中させる。

 最早臨戦態勢の雰囲気に対し、百鬼丸は「あぁ……面倒くさい」と呟き、豪腕を活かしてバイクの後輪ごと宙返りさせるように腕に引き寄せた車体を更に上に傾けた。

 

 ブロロロロロ、ブロロロロ、ブロロロロオオオオオオ……。

 

 排気ガスの煙幕かとも思われたが、黒い後輪のタイヤ痕によってゴムの焼ける匂いだと理解された。

 

 『今から忠告するッ!! お前らは今すぐこの場を離れろ』

 少年の場違いに若い声に、周囲の男たちは嘲笑混じりの視線を全て〝頭上〟の百鬼丸へと注いだ。……その、半ば超人的とも言える手法によって人垣を超えたのだが、その非現実的な光景はまるで無視するような、一種異様な空気が場を支配した。

 

 

 (チッ、まただ……。)

 

 醒め切った目で百鬼丸は下に隊列を組む人々を軽蔑した。むろん、刀使であれば何の躊躇もなく彼は助けただろう。しかし「一般の」人間であれば、対応は異なる。強いてその命を救う、という能動的な気力は失われて「勝手にしろ」とでも言いたげな視線を流す以外に何も対応はしない。

 

 

 後列の特務作戦の隊員たちは、アサルトライフルを百鬼丸へと合わせ、攻撃の準備をしていた。両者の瞬間的な遭遇はいわば、最悪の形で果たされることとなった。

 やせ衰えた裸の月は、老人のように青く、油雲を孕んだように薄い雲たちが澄んだ夜空の都会を漂う。橋を支えるワイヤーロープがピュン、ピュン、と風に撓り共鳴する。

 

 

 細い月と百鬼丸の姿が重なった、ちょうどその瞬間だった。

 再び、靄の向こうから猛烈な速度で近づく「気配」を、前列に展開した隊員たちは感じとった。……皮膚感覚で解る。

 先程の少年とは比べ物にならない、明らかな血に飢えた獣の到来を。

 

 改めて、一人の隊員がライフルの照星に合わせる為に片目をつぶった。

 

 黒いミニバンの車両が丁度横転するその刹那、フロントガラスに突如、バケツで撒いたように重々しい血液が塗りつけられた。その様子に驚きつつ、尚も凝視すると、車体の上に居た人影が運転席側の車窓から「刀」で人間を突き刺したのだと理解した!

 

 「ひっ……」

 思わず、その手荒い所業に畏怖した。

 

 人とも、幽霊とも属さぬ、およそ醜悪にして美しい矛盾を抱えた外見の「悪魔」が車両から飛び降りると、軽やかに地面に着地し、早い足で距離を縮める。

 「け、警告する! 発砲準備を……」

 唾を飛ばし、誰かが十臓に対して警告を告げる。しかし、異形の存在はまるで頓着する様子もなく首を僅かに傾け、せせら笑うように隊員たちに向かい物を投げ捨てた。

 

 ゴロッ、とシールドの目の前で転がったのは「人頭」だった。

 若い金髪の男が、涙と涎を流しながら絶望に血まみれた表情で、乱暴に転がる。

 

 『う、撃てェ!!!』

 あからさまな挑発行為に対して、一斉に火箭が放たれる。夜闇を切り裂くように一直線に鮮やかなオレンジの軌道が十臓に殺到する。しかし、全てその頑強な外殻を破ることなく、跳弾としてコンクリートを抉る他に成果はない。

 

 「ひっ、ば、化物めェ!!」

 狂乱に近い声で、銃弾がバラ撒かれていた。排出される空薬莢が次々と男たちの足元に転がる。高熱の銃弾はジャイロ効果によって、回転しながら真っ白な体殻を貫く――筈だった。だが距離が縮まる程に、無意味さを露顕させるだけだった。

 

 

 壁のように組まれた盾を、十臓は一瞥し――肩を竦めて『裏正』を握り直す。

 

 ――一閃

 

 たった一撃の横薙ぎによって、特殊素材によって作られた盾が両断された! 断面は熱で溶かされたようにドロドロになり、背後で必死に支えた男たちの腕もろとも弾け飛ばした。

 

 『ギャアアア!!』

 

 『腕がッ……』

 

 『あぁ……あああああああ』

 

 数十人の阿鼻叫喚が連鎖し、よく鍛えられた男たちですら絶望に陥った。

 恐怖の伝播は人間というよりも、動物の本能と言ってよく、どれだけ訓練を積んでも消すことはできない。

 圧倒的な存在の前では尚更である。

 

 大根でも転がすように、次々と地面に手足が落ちてゆく。血骨の混ざる湿った音。人の獣じみた叫び。

 

 『ふっ、ははははははははは……ははははは』

 高らかに哄笑しながら、剣を振るう手を止める気配がない。十臓は明らかに血に酔っていた。地面にのたうち回る人間たち。周囲を敵だらけにしながら、体中を朱に染める感覚。懐かしい、全てが過去と繋がる快い気分になっていた。

 

 

 しかし、これを客観的に見れば単なる「虐殺」でしかなかった。

 人間が蟻を踏み潰すように何の躊躇もなく踏みつけてゆく。一個一個の命すら顧みず、ただ快楽の為に潰してゆくのだ!

 

 首都高速を封鎖した大規模な部隊展開を行った特務作戦部隊も、ものの三〇秒で十数人以上の尊い人命が奪われた。たった一個の怪物の手によって……。

 

 

 その風景に思わず、吐き気を催しながら現場指揮官は、

 「な、何なんだ一体……。」

 一歩、足を下げて戦慄する。

 次々と惨殺されてゆく光景が余りに非現実的で作り物めいて、鉄分を大いに含んだ腥い空気に胃のむかつきを抑えることができない。

 

 『こんなものでお仕舞いか』

 十臓は、首を掴み、宙吊りにした人間を戯れに握力で苦しめながら、つまらなそうに呟く。

 「たすけ……」

 グシャッ、というトマトを潰したような湿った音が響く。

 足元をばたつかせた男は、動きを完全に停止させた。

 

 

 情け容赦のない殺戮。

 現場指揮官の男は今更ながらに、バイクの少年の言葉を反芻し歯噛みした。

 

 と、

 『あんたらは早く逃げろォッ!!』

 と、STTの隊長田村明が叫び閃光弾を投擲する姿が視界に焼き付いた。――まさにそれと同時だった。十臓の足元、地面をのたうち回る特務作戦の隊員が、最後の抵抗を示すように、口で手榴弾の安全ピンを口で同時に数個引き抜く。

 眩い閃光が夜に咲いた。

 

 

 2

 銀色の光沢を放つ、殺意――。

 何千、何万もの妖魔を切り伏せた伝説の武芸者『百鬼丸』が持ったとされる刀。それは一時期であるが、加賀の一向一揆衆などの首魁(正体は不明)の手などに渡ったと云う。しかし、時代と共に山伏の手に渡り、修行の一環として北アルプスの霊峰へと奉納された。

 

 

 その、呪いにも似た刀が再び〝百鬼丸〟と名乗る少年の手に舞い戻ってきたのだ。

 刀身から、血管のように赤い筋が幾重にも伸びている。怨霊の思念とも言うべき禍々しさで刀に絡まる。

 

 

 ――理性を食わせることによって、《無銘刀》に宿る魑魅魍魎が狂喜する。

 百鬼丸は半ば闇の深淵に引きずり込まれるのを感じながら、己を努めて強く保つ。約二〇%を喰わせただけで、この危うさ。

 「全部投げ出したら、ヤバいよな」 

 苦笑いしながら、百鬼丸はひとりごちる。

 

 (何笑ってんだ、お前)

 隣りに佇む田村明は、銃を構えながら小声で百鬼丸に半ば叱責するように云う。

 百鬼丸は、皮肉な表情で首を振る。

 「いいえ、別に。ただ、おれは元からこんな存在なのかもしれないですからね」

 

 目の前での鏖殺が酸鼻を極める状況の中、百鬼丸のみは悠然と表情を一切変えず、黄金に染まりゆく瞳の虹彩と細長くなる瞳孔――、その双眸で敵を見据える。

 

 「おれが先に行きますから」と、百鬼丸は言って明の右肩を叩く。

 

 それと同時に、百鬼丸は加速した。

 地面に転がる人体に頓着せず、土面を蹴りながら、身を翻して右腕に握った《無銘刀》を十臓に向かい叩きつける。

 

 ガギィイン、という金属同士の衝突が響き渡る。

 煤けた体の十臓は、百鬼丸の予想外の攻撃速度に驚嘆しつつ、

 『ほぉ、ようやく来たか』

 と、嬉しげに声を上げた。

 

 「ああ、てめぇの吠え面をかかせるために来てやったぞ!」

 両者は息がかかる程の距離で顔を近づけ、鍔迫り合いを演じた。

 

 必然、左腕の刃が十臓の脇腹を狙う。

 しかし、それを予測していたかのように大きく身を逸らして躱し、質量の乗った蹴り上げで百鬼丸のあご先へ反撃する。恐ろしい速度で反応した百鬼丸は、バックスステップを踏んで距離を拡げる。

 

 その瞬間を狙いすましたかのように、ダダダダ、と連続する銃撃が援護する。

 

 「サンキューですよ、明さん」

 振り返らずに口端を曲げる百鬼丸。

 後方の明も同様に目線を合わせず、頷く。

 

 跳弾はなく、全て十臓は『裏正』で弾いていた。

 

 『成程、お前のその刀……厄介だな。我が裏正の切れ味が落ちたのではなく、力を全てその刀が吸い取っているようだ』

 冷静に分析し、刀身越しに見据える十臓。

 

 

 『まぁ、羽虫は厄介だが……中々楽しめそうだな、百鬼丸』

 首を巡らすと、周囲は既に沈黙に包まれており、十臓の眼前には百鬼丸と明の二人しかいない。遠く、夜景の広がる首都のビルディングの街並みが海面上にも映し出されている。

 

 ――いい風が吹いている、懐かしい。

 かつて人であった頃に感じた風。十臓はそれを外道と化した身に受けながら、短い感傷に浸る。否、その感傷とはかつての宿敵柳生三厳であり、屈辱であった。

 

 しかし、今一方の百鬼丸も内心焦っていた。

 (どこまでだ……今、どこまで売り渡せば、コイツに勝てる?)

 恐らく、今の百鬼丸では勝てる目算は低い。理由は幾つかあるが、一番の理由は周囲の状況である。ここで仮に、能力全ての開放を行えば伯仲することは可能である。だが、ジャグラーと名乗る男、ステインなどの強敵、そしてタギツヒメ……これらの相手を想定した場合、話しは変わる。

 ボロボロになるまで能力を酷使すれば、以後の戦闘で不利に陥るのは明らかだ。

 …………で、あれば。

 〝自分以外のモノを使って、十臓を攻略〟することが肝要となる。

 むろん、闘士として全力でぶつかりたいのだが、それは冷徹な百鬼丸自身の戦略眼の前には無意味であった。

 

 

 

 思索に耽っていると、

 『次は俺の方から行かせてもらうぞ』

 十臓が独特の構えをし、刀身の峰側を閃かせて突撃を敢行する。

 

 百鬼丸は、瞬時に腰に差した上膊へ刃を収める。両手持ちで《無銘刀》を正眼に構えて十臓を迎える。

 

 

 

 上段同士で、剣戟が重なり合う。

 外灯の下を蝙蝠が過ぎ去る。海嘯が低く地霊の呻きの如く絶え間なく鳴り響き、冷風を運ぶ。

 『「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお」』

 咆哮も剣戟同様にぶつかり合い、混ざり合い、溶け合う。

 

 百鬼丸の握る《無銘刀》は確実に彼から理性を奪い去りながら、獣性を開放してゆく。初代百鬼丸から奪われた命である魑魅魍魎たちが、手ぐすねを引いて、百鬼丸を化物の道へと引きずりこもうとしている。

 

 (チッ、耐えろ、耐えるんだッ……。)

 脂汗を流しながら、血の渇きを覚える。

 アア、コイツヲ切リ刻ンデヤリタイ。

 コイツノ血肉ハ最高ダロウナァ……。

 

 殺セ、殺セ、殺セ。

 

 脳内に煩いくらいに合唱される化物たちの欲望。

 『ほぉ、俺との斬り合いをよそにお前は随分と余裕そうだな……』

 半ば落胆と失望と怒りの混ざった声音で、十臓は百鬼丸の隙を突いて、膝蹴りを鳩尾に入れる。

 

 隙を生んだ百鬼丸は「ウグッ……」と、白目を剥いて体をくの字に曲げる。

 次いで、十臓の左大上段からの打ち下ろし。気絶の寸前で踏みとどまり、百鬼丸は刀で受け止める。

 重い鉈を打ち込まれたように、重量のある一撃。

 左肩に重くのしかかる《裏正》――。

 「ガハッ……」

 打ち込まれた蹴りが響いて、胃液を吐き出す。

 視界が点滅する中、十臓は容赦なく右から一撃、左斜めから一撃、頭上から一撃……容赦なく襲いかかる。一度噛んだら離さない獣の牙に似て、執拗な責め苦を与え、相手の戦意すら喪失させる程の苛烈さであった。

 

 ……だが。

 百鬼丸は牙のような歯をむき出しに笑い、楽しんだ。

 「オマエヲ、相手ニ選ンダノハ、マチガイナイ……」

 この世の声とは思えぬ発生方法で喋り、挑発する。

 

 (貴様は化物の道に堕ちるのか?)

 興味深く十臓は百鬼丸を見下しながら、視線を送る。

 

 

 

 

 3

 ――ねぇ、百鬼丸さん。知ってる? 活人剣って意味。

 

 ああ、前に可奈美に教わったんだから当然だ。

 ――う~ん、じゃあ質問だね。

 人を守るのは、活人剣かな? それとも、殺人刀かな?

 

 

 どういう意味だ? それは活人剣だろう。

 

 ――うん、そうだね。でも半分正解で半分間違いだよ。

 

 な、なんでだ?

 

 ――だって、ね。剣術の世界には色んな考え方があるんだけど、必ずしも殺人刀を否定するものはないんだよ。人を守る、っていうのは残念だけど強くないと「守る」ことができなんだ。光と闇があって、それが存在して始めて命を奪う刀にも意味が発生するんだよ。

 

 難しい、な。

 

 ――うん、私もそう思うよ。でもね、剣士は自分の「殺意」も自覚しないと必ず道に迷う……って、誰かの受け売りなんだけどね、あはは……。あれ? 誰の受け売りなんだっけ?

 

 なあ、可奈美。だったら、おれが剣術でもっと高みを目指せるように色々と教えてくれないか? ……頼む、可愛い師匠様!

 

 ――可愛いって……あはは、うん、でもいいよ。百鬼丸さんの剣術は泣いているみたいだから。微力だけど、私も力になるよ。

 

 泣いてる? このおれが?

 

 ――うん、誰からも理解されなくて、寂しくて、でも強い。

 

 ……なんだ、そりゃあ。

 

 ――これが私の素直な感想だよ。だからさ……。

 

 おうなんだよ。

 

 ――ねぇ、百鬼丸さん。

 

 うん?

 

 ――約束してほしいんだ。もし、自分を見失いそうになっても、私が受け止めるよ。

 

 

 4

 

 「…………そんな親切なんざいらねぇよ、馬鹿」

 いつだっただろうか。可奈美に剣術を教わっていた頃の会話が脳裏を過ぎった。

 失いかけた理性が急速に回復する感覚がした。百鬼丸から、力が溢れるように《無銘刀》の呪縛から這い上がったように、屈んだ姿勢から徐々に起き上がる。

 

 『ほぉ、この状態から回復するとは……何がお前をそうさせる?』

 十臓は機敏に百鬼丸の変化を察知した。

 

 不敵な笑みを込めて、百鬼丸はせせら笑う。

 「――あ? 知らねぇよ馬鹿が。てめぇをぶっ潰す――」

 

 

 いいだろう、と喉元で答えようとした瞬間だった。

 

 趨勢を見守っていた明が、叫ぶ。それを合図に百鬼丸が頷く。

 

 百鬼丸の背後からクラクションの鳴る音がした。大型車両独特の空気を圧縮して送り込む風圧を感じ、百鬼丸は悠然と立ち上がり、加速装置を最大限に発動させ、バックステップを踏んで大きく宙返りをする。

 

 

 『――ッ!?』

 十臓は慌てて百鬼丸の姿を追うように膝を屈めて地面を蹴った。

 しかし、これが彼の最大の失策となった。余りに勝負に執着するあまりに、冷静な判断に欠いたのである。

 百鬼丸は、宙返りをしながら、大型車の積載するタンクの腹部を刀で切り裂いた。分厚い障壁は容易く破れて、内部に閉じ込められた冷気が噴出する。

 

 『な、ッ、クソッ!!』

 十臓は冷気の紗幕によって本能的に察知した。

 これは、マズい、と。

 

 しかし、その判断は既に遅く百鬼丸は宙返りの姿勢から正面を十臓に合わせると、猿面に似た頭部を掴む。そのままタンクの破れ目に向かい、自由落下速度と共に一気に押し付ける。

 

 圧縮されていたマイナス196℃が十臓に襲いかかる。

 

 「――まだだッ!」

 百鬼丸は尚も攻撃の手を緩めることなく、間欠泉のように吹き出すタンクの破れ目を両腕で押し広げ、タンク内部へと十臓を殴打で叩き込む。

 十臓の体表には上白糖のような霜が付着し、関節部分から凍り始めていた。

 「――ッ、これは何だッ!?」

 思わず、怒鳴る。

 冷たい――という表現では足りない感覚。

 『痛覚』そのものが悲鳴を上げるような、焼けるような激痛。

 この《外道》の体を手に入れてから、五感自体が鈍くなったのだと思っていた。――しかし、実際は違うようだった。極度の変化……この、タンク内部に滞留した「何か」が体を凍らせている。それは間違いない。

 十臓の戸惑いを見逃さず、百鬼丸は深紅の残光を輝かせながら云う。

 「液体窒素、だ。憶えておけよ糞外道野郎ッ!!」

 少年は、十臓の頭部を再び掴み冷徹に肚の底から告げる。

 「たっぷりと味わえよ、お前の為に用意したんだからなァッ!!」

 邪悪な笑みで掴んだ頭を亀裂の入って破れたタンクの内部へと再び押し返す。

 

 

 ――成程、これが現し世の進歩というものか……

 

 十臓は柄にもなく、素直に面白いと感じた。それと同時に凍てつく視界から捉えられる百鬼丸の顔貌の強烈さに、更に戦意が増した。

 

 

 「はぁ……はぁ……これで、お仕舞いだッッ!!」百鬼丸が白く色づく吐息から叫ぶ。

 

 

 遠くで「でかした、福田ッ」という明の声がした。

 

 

 5

 血飛沫が空気中を舞った。

 「――えっ!?」

 思わず、そう叫んだ。

 その血は無論、十臓のものではない。血液はそのまま液体窒素により固体となって何区の内部へと転がり落ちる。

 腹部を焼かれる感覚。

 百鬼丸は自らの腹へと指を這わせる。

 これは、熱などではなく単なる痛覚であった。脳みそが一時的に判断を失敗したに過ぎない。

 視線を刃へ、その元へと這わせる。

 

 

 「悪いが、十臓は回収させてもらう。まだウチの主力として働いてもらう為にな」

 男の低い、冷徹な声。

 

 轆轤秀光、その人である。

 なぜ彼が? 百鬼丸が理解をできずに戸惑う。視線を彷徨わせると、殴打を受けて気を失っている明と福田と呼ばれたであろう、運転手の男が無造作に身を横たえていた。

 タンク車へ半身をいれた百鬼丸だったが、外界との境界線に佇む秀光に息を呑む。

 真っ黒な外套に身を包み、感情のない瞳で百鬼丸を見下す。

 「お前を殺すにも時間がかかる。予定変更を余儀なくされて車で引き返してきたんだ。だからせめてッ――」

 彼の体表には『写シ』とよく似た薄い光に包まれ、百鬼丸を貫く刃は紛れもなく御刀だった。

 「珍しいか? まぁ、いい。不本意だが今はまだお前を殺せない。計画があるからな」苛立ちを押さえつけるように秀光は刃を乱暴に引き抜き、百鬼丸を蹴り飛ばした。

 タンク内部へと叩き込むつもりが、百鬼丸が寸前で身をかわしたせいで、路上へと転がり落ちたようだ。

 

 ――驚くべきことに秀光は《迅移》を使用し、凍りついた十臓を回収して肩で担ぎ上げる。一般人では有り得ない様子だった。

 

 「ゴホッ……ゴホッ……ちくしょう……なんでだ……」

 血塊を口端から溢れさせながら、百鬼丸が怨嗟を吐く。

 あと一歩のところで敵をとり逃がす。あってはならぬ失態だった。

 しかし、液体窒素の影響だろう。百鬼丸の肉体もボロボロであり、しかも熱膨張した脚部の加速装置は温度の急激な変化により故障してしまったようだ。

 

 

 

 薄れゆく意識の中、秀光は百鬼丸を見下しながら、弄ぶように言い放つ。

 「ああ、そうそう。お前の求めている燕結芽なら、そこにいるぞ……」

 秀光の指さした方向には、車が停車しており、その車窓には華奢な少女の姿が見えた。

 

 「……ッ、クソッ、クソッ、クソッ!!」

 地面を這いずりながら、百鬼丸は必死で立ち上がろうと試みる。

 

 「ほら、どうした? そんな惨めな姿をして。流石の化物も油断とは、アハハハ」

 

 百鬼丸は荒い息を吐きながら、失血による悪寒を感じながら、それでも、両手足をもがれた虫のようにコンクリートに血痕を塗りつける。

 

 無銘刀を地面に置いて、素手を伸ばして遠い少女へと手を伸ばす。

 

 尚も抵抗しようとする百鬼丸に対し、苛立ちを覚えた秀光。

 「ほぉまだ抗うか……いいだろう。ならば、お前の精神をへし折ってやる」

 表情のない機械的な顔で、地面に降りた秀光は、そのまま座席へ十臓を投げ込むと、代わって結芽を車から優しい手つきで下ろした。

 

 

 薄い反応の結芽は、俯き加減に目線を遠くへ放つ……。

 「ぁぅ、百鬼丸おにーさん……?」

 喉に鉄球が詰まったように苦しそうに、少女は息を喘がす。

 (聞かなきゃ、百鬼丸おにーさんが、私を……。)

 狼狽する。

 まず、皮膚を凍傷で変色させ、かつ失血している状況に。そして、必死に悲痛に手を伸ばす少年の姿に。あの日、夢のようにおぼろげな意識の中から救ってくれた主が百鬼丸であることを改めて確認する。

 

 しかし、それが仇となった。

 

 「……っめ。結芽」

 百鬼丸は固着した指の関節を伸ばして、気絶から抗う。

 

 

 結芽の両肩を軽くたたき、耳元で「さぁ、拘束具を外すから君の知りたいことを聞いてみるといい」と囁く秀光。

 少女は男の言われるままに頷き、一歩一歩近づいて距離を縮める。

 「百鬼丸おにーさん、どうしてそんなにボロボロになるのに、私を助けてくれるの……?」

 知らぬ感情で呂律の回らぬ様子で、結芽は精一杯に問いかける。

 

 「……お前を助けに……助けるために……」

 

 「うん――」

 

 「お前を、助けるために……」

 

 「百鬼丸おにーさん。私が〝刀使〟じゃなかったら助けてくれなかったの?」

 

 「えっ……」呆気にとられた様子で、百鬼丸は頭を持ち上げる。

 そこで始めて燕結芽という少女を真正面から捉えた。少女は大きな瞳に涙を湛えながら、小さく柔らかな唇を噛み締めて何かを堪えるようにして尋ねていた。

 

 ――どうして、そんな表情をするんだ?

 

 「お、おれは、ただお前を救いたくて……」

 

 「うん、ありがとう百鬼丸おにーさん。とっても嬉しいよ。……でもね。百鬼丸おにーさん。私が、私が刀使じゃなかったら、価値なんて、助ける意味なんてなかったのかな?」

 ボロボロと大粒の雫を頬に伝わせながら、結芽はいう。

 毛先の青白い繊細な髪が夜風に流れる。

 睫毛が痙攣気味に不規則に瞬く。

 

 ……違う、違う、おれは……おれは……

 

 〝刀使じゃなかったら、助けることができただろうか?〟

 

 ふと、百鬼丸自身の精神から疑念が生じた。

 今まで、考え直せば刀使とそれ以外を区別し、殊更に刀使を神聖なものとして取り扱っていた気がする。己を絶望の淵から救ってくれた〝刀使〟。だからこそ、救うのだ。

 

 では、一人の少女としては?

 

 「――――。」

 百鬼丸は、言葉を失った。

 結芽の問いかけに答えるだけの十分な言葉も意思もなく、彼はこの場に惨めに身を横たえているに過ぎない。

 

 「…………そっか。百鬼丸おにーさんも、結局パパとママみたいに私が特別だったから……だから、助けてくれたんだね。……ありがとう、百鬼丸おにーさん。〝大好き〟だったよ」

 撫子色の髪の、シュシュでサイドテールに結んだ少女が別れを告げる。

 

 長い前髪に隠れて一切の感情が分からない。

 

 百鬼丸は地面から必死に手を伸ばして、血反吐を撒き散らしながらも助けようとした……ただ、その行為そのものが現状では欺瞞でしかないことを悟りながら。

 

 

 背後に控えた秀光は、全てを見届けながら結芽に歩み寄る。

 

 「――さぁ、行こうか。少しだけ不自由はさせるが君を悪いようにはしない。安心してほしい」

 優しい声音で諭す。

 そして、百鬼丸へ侮蔑の視線を向けながら呟く。

 「……どこかで、お前が答える気がしていたが、それもなかったか。所詮殺しだけが得意なまがい物め。貴様は――ただの兵器と変わらん。誰を救う? 自己満足でお前の意思を押し通そうとしたのか」

 

 

 ……違う、おれは、おれはただ

 

 〝人を救いたいんじゃなくて、刀使を救いたかったんだな〟

 秀光の言葉が鼓膜に突き刺さる。

 

 

 掠れた視界と意識が、既に限界を訴えていた。

 百鬼丸は滑落してゆく意識の中で……伸ばした侭の腕と指をいつまでも掴もうと藻掻く。秀光に伴われ去りゆく結芽の後ろ姿へと向けながら……永遠に等しい距離を思い、虚無感を味わいながら、掴む。

 

 

 「おれは……おれはただ……」

 

 いつまでも、絶えることのない地面のザラついた感触を頬に味わいながら、気絶するまで煩悶するしかなかった。

 

 

 

 特務作戦部隊はこの日以後、皮肉なことにSTTとの関係強化を図った。またこの数分後に特別祭祀機動隊が派遣された。

 

 死亡者数一二六名。うち民間人は三〇名。

 首都高封鎖はこの一二時間後に解除された。しかし、交通規制区画が多数設けられた。

 

 国は、この事態を重く見て、更なる治安維持への意識を高めた。

 世論は既に疲れきっていた。特別祭祀機動隊を含む国に対する不手際を攻める声が増した。

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