「少しは落ち着いたか……?」
腕組みをして、折神紫は未だ荒ぶる少年を嗜めるように聞いた。
結局、紫の説得の末にようやく刃を収めて引き下がった百鬼丸である。しかし彼は尚も不満げだったが……。
「――どうだ?」再び紫が問う。
その少年は荒い呼気を幾分鎮めながら「ああ、平気だ」と短く応答した。
「そうか」と頷き、紫が周囲を見回すと、皆神妙な面持ちで一言も発する気はないようだった。
「「……………。」」
先程の百鬼丸の奇襲未遂が尾を曳いており、一室に重たい空気を齎していた。
その当の奇襲を受けた相手は、『あぁ……ワレはここで滅ぼされる運命なのだな』と嘯いた。その声質はこの世のものとは思えず、〝声〟自体が幾重もの音素が混ざり込んだような不可思議なものだった。
「あ――? そんなにお望みなら今すぐここ斬り殺してやるよッ!!」
と、喧嘩腰の態度で今にも噛み付かんばかりの勢いで肩を怒らせる。
「や、やめて百鬼丸さん。ね?」
咄嗟に、隣の可奈美が細腕で押しとどめる。まるで言うことを聞かない犬に言うことを聞かせている飼い主の様にすら見えた。
「……ッ、チッ」溜息を零して、臨戦態勢を抑えた。
だが尚も眉間に獰猛なシワを刻みつけ、残忍な眼差しで睨みつけている百鬼丸は、どこか常軌を逸していた。彼の雰囲気は裁縫針のような刺々しさを纏っていた。
「お前の事情も分かっている。だが、今はとにかく話しを聞いてくれ。ここにいる〝彼女〟はイチキシマヒメだ」
と、紫が説明する。
椅子に腰掛け前傾姿勢を保ったままの〝イチキシマヒメ〟は白い光を薄く体表に纏っていた。恰も刀使の《写シ》の如く。
その、どこまでも掴み所のない言動が一同を困惑させた。
渦中のイチキシマヒメは人の感情とはお構いなしに、
『そうか……お前たちは、タギツヒメの手に渡る前にワレを始末しにきたのだな。アヤツに取り込まれて勝利でもされれば困るであろう……』と、うなだれながら、眼をあげて百鬼丸へ一瞥をくれる。
しかし、折神朱音は首を静かに振った。
「いいえ、貴女は我々刀剣類管理局がお守り申し上げます」
と穏やかな口調で告げる。
事実、情勢としてその通りであった。
だが事情が一切飲み込めていない可奈美が眉をひそめながら、
「あの~、取り込むとか勝利とか、どういう意味ですか?」素直な疑問を口にする。
朱音は微笑を湛えながら頷く。
「それにはまず、彼女たちが三つに分かれた所からお話しなければなりませんね」
と言いながら、累に目配せをした。何かの合図のように累も頷き、「はい」と短く応じた。
「では、まずノロについて説明します……」
そう言いながら彼女は百鬼丸を背にした可奈美たちの更に前へと歩を進める。万が一にも百鬼丸が刺殺することを防ぐ為である。既に百鬼丸は目測で室内の距離とイチキシマヒメとの距離を把握し、いつでも刺し殺す準備をしていた。その証拠に、先程から目線だけが室内の四隅を機敏に眺めていた。……油断できない。
(心配だなー)
内心彼女は不安だったものの、踏ん切りをつけて語りだす。
累曰く、ノロのスペクトラム化――ノロ同士は繋がり合うことで脳のようなものを形成する。それに従い高度な知能を有する。この過程で「感情」が芽生え、荒魂となる。彼らの最初に抱く感情は〝喪失感〟である。
「喪失感……?」
噛んで含めるように、可奈美は呟く。
「そう、喪失感。珠鋼の神性を奪われたことによる喪失感――この飢えにも似た喪失感を埋める為にノロは本能的に結合を求めます」
累の説明通り、姫和の掌上に置かれたスペクトラム計のノロがイチキシマヒメへと結合しようと活発な動きを見せていた。
それを横目にしながら、親衛隊一席の獅童真希は首肯する。
「――ああ、今のボクたちならばそれが理解できる。あの渇きには抗いがたい」
真希の言葉を引き継ぐように累は続ける。
「結合を繰り返し、より知能が発達すると喪失感は怒りに変わります。自分の一部である珠鋼を奪った人間に対する怒りです」
「荒魂が人を襲う根本的な理由はそこにあると考えられています」朱音は冷静に言い添える。
「――荒魂を生み出したそもそもの原因が、荒魂を倒す唯一の武器とは……皮肉なお話ですわね」
沈んだ声と眼差しで此花寿々花がいう。親衛隊二席の優秀な頭脳は、ここにきて人間社会の自己矛盾に気がつき、皮肉な事実を知った。
『…………そう、全てはお前たち人間が強欲にもワレワレの神の力を奪ったのが全ての原因だ』
全てを聴き終えたイチキシマヒメが金色の瞳で周囲の人間たちを軽く睨み据える。
「うるせぇ、文句があるならてめえらを滅させてやるよ。人の体を奪っておきながら偉そうに講釈垂れてんじゃねぇ、蛆虫がッ!」激しい言葉で凄んだ。
百鬼丸が珍しく感情的にいきり立っている。醒めた瞳で、檻に入れたれた猛獣のように絶えず隙を伺っていた。
紫は、溜息交じりに百鬼丸の言動を無視して、言葉を紡ぐ。
「話しを戻す。私に憑依していた荒魂が三つに分かれた理由だが――」
『知能は高度に進化し、やがて論理矛盾に陥った』
「論理矛盾?」
寿々花が柳眉をピクン、と跳ね上げて問う。
『人に対する思考が三つに分かれ、それぞれ対立し始めた。〝怒り〟〝怨嗟〟といった感情から生まれたのがタギツヒメ。奴は人への報復を望んでいる。一方、人を支配、管理して導くことを望んでいるのは、タキリヒメ。奴はこの世の神として君臨するつもりだ』
「お前は?」
イチキシマヒメの説明に対し、すかさず姫和が口を挟む。
『ワレはワレがこの世界に存在する意味を求めた。我々荒魂はこの世界にとって不要な存在なのだろうか……不要なものが存在する意味は? 模索し、やがて見つけた。人と荒魂を融合させる術を』
そこまで言って、イチキシマヒメは大きく両腕を拡げた。
『人という種を進化させる術を!』
そこまで聞いて、真希が剣呑な眼差しになった。
「人と荒魂を融合だと?」
「……そうです、荒魂によって人体の強化を図る術をもたらしたのは、このイチキシマヒメなのです」朱音が事実を告げた。
「じゃあ、この力はお前が?」
真希は大きく動揺した。まさか、これまで親衛隊として利用してきた荒魂のおぞましい力が、この目前のイチキシマヒメによって与えられたことが、生理的に理解を拒絶していたのだ。
『そうだ。ワレは見つけた。この世界に存在する意味を』
淡々とした口調で、このイチキシマヒメは喋る。まるで人の常識など超越したような口ぶりが歪んだ「神」であるかのようだった。超越的な技術と、人を道具のように扱う様が。
『あの夜、鎌倉で紫と分離して隠世へと逃れたワレはもう修復不可能な論理矛盾を解決する為、それぞれの思考を個として分離、独立させた』
三女神は、互いに争い負けたものを取り込む。最終的には隠世にある本体を手に入れる。勝者が本体を手に入れマガカミとなれば、二〇年前以上の大災厄が起こる……。
これが、今現在の騒動の根本的な原因だった。
「――その為にはまずは防衛だ。イチキシマヒメは海中にある限りは安全だ」
戦いにおいて不向きなイチキシマヒメは、紫――刀剣類管理局への保護を要請した。
『ワレには頼るものがいない。かと言って自分で戦う気にもなれぬ』
「でも、戦ったら強いんですよね?」
可奈美は口をついて、疑問を投ずる。
『そこそこ強い。……が、結果のわかりきったことはしない。それより、ワレの側につく気はないか? ゆくゆくは荒魂と人類を結合させ、種としての進化を得る』
言葉を遮るように真希が、
「……ふざけるな! ボクたちが結芽がどれほど――」
喰ってかかる。
『寧ろ燕結芽は好意的に受け取ってくれたと認識している』
「その結果どうなった?」
途中から真希も怒りに震えていた。
「よせ、理論を完成させたのはイチキシマヒメだが……実験投与したのは私と、鎌府、綾小路の学長だ」
紫は敢えて泥をかぶるように言った。……しかし、事実は少し異なる。
米国人科学者レイリー・ブラッド・ジョーと、再生医療分野の橋本善海がかなり早い段階で「実験素体」を有しており、荒魂と人との細胞レベルでの研究は終わっていた。だがこの話しには直接関係がない。
――恐らくタギツヒメは、綾小路を拠点にしています。
最後に、朱音が呟いた。
その言葉を片耳に入れながら、姫和はふと真正面のイチキシマヒメと視線が絡んだ。
「……?」
そして、いつの間にか、背後にいた百鬼丸は部屋の外へと出ていた。
2
心底、ムカつく。
今ここで斬り殺すという判断にも間違いはない。
百鬼丸は喉の奥までせり上がった怒りを飲み込みながら、先程の手術台の上で右足の加速装置を修復する為に、台に足を投げ出し自らの手で解体していた。
先程のイチキシマヒメとの対話の際に、無理して最後の加速を行った為に内部構造が全てお釈迦となった。
天井の強力なライトを浴びながら、百鬼丸は自らの手にメスを握り、大腿部の皮膚へと刃先を沿わせる。針ほどの傷ができた。人口血液が溢れ出す。
既に痛覚神経を切断している為に痛みは感じない。透明な筋肉繊維を指でほじくり返しながら、加速装置のシャフト部分に触れる。生暖かい感触に骨とは異なる金属質の感触。
幸い、このノーチラス号にはS装備などの研究開発の為の機材があるために加速装置の修復に応用できそうな部品がいくつもあった。
特別に許可をもらい、百鬼丸は手術台の上で、部品をひろげ、メスからスパナやレンチに持ち替えて作業を行う。
「おい、どう思ったお前は?」
ずっと沈黙を守ってきた胸の中の〝人物〟に対して詰問する。
《おや、珍しい。君から話しかけてくれるなんて……あ、馬鹿違う。そこの部品をまずは外してからだ。あ、下手くそだな。全く。これだから、兵器開発に関わったことのない素人は……》
百鬼丸が肉を切り開いて、加速装置の修復最中に煩く声を上げる、ジョー。
「チッ、うるせぇな。だったらお前がやるか?」
《おお、本当かい? だったら、君の両腕の神経を一時的に借りてもいいかな?》
「……お前がおれを殺すとも限らんぞ」
《馬鹿をいうな。だったら、ボクだって死ぬだろうが。ボクは退屈なのさ。機械くらいいじらせてくれてもいいだろう》
「…………わかった。だけど変な動きはするなよ」
百鬼丸は強く釘を刺した。
――ああ、と胸の奥のジョーは同意した。
百鬼丸は溜息をつきながら、自らの腕の意識をジョーへと渡す。
と、途端に腕が鮮やかな手つきで部品を見繕い、工具を片手に百鬼丸の加速装置の不備箇所をバラしてゆく。
その手際に呆れつつも、百鬼丸が再度問う。
「お前は知っていたのか? イチキシマヒメとかその辺りの話しを?」
《いいや、まさか三つに別れているなんて知りもしなかったし興味がないからね。でも彼女はとてもクレバーだ。スマートだ。素晴らしい。彼女の意見にはほぼ同意したいね》
「あ? 本気で言ってるのかてめぇ」
《あはは、そう怒るなよ。いいかい? 君が彼女を仕留めたいのも解る。でも、人間の形質は全て進化の過程によってもたらされたものだ。人は文明をもった。進化は必然だ。今から動物になんて戻れないだろう?》
「うるせぇ、だったら荒魂をこの世から消し去ってやるよ」
《はぁー、全く君は野蛮だな。まあいい。君とこの話しをしても平行線だと思うから、あとにしてくれ給え。――オヤ?》
と、百鬼丸の腕を操っていたジョーが怪訝な声を上げる。
「……なんだ?」
《一つ、確認なんだがね。君は〝強く〟なりたいのか? それとも〝このまま〟でいたいのか? どっちだい?》
不可解な質問をジョーが投げかけてきた。
「どういう意味だ?」
《いやね。君の足を解体して思ったんだがこの加速装置はおかしいと思ってね。なぜ〝長距離移動用〟のタイプを備えているのか疑問なんだよ。戦闘においては刀使の《写シ》のように中短距離の瞬間的な出力がある方がどう考えても戦闘に有利だと思うのだがね》
ジョーは言いながら、亀裂のはいって殆ど裂けた細長い棒状の部品を触る。
たしかに彼の言うとおり、その方が合理的だ。
ではなぜ、加速装置が長距離移動の為に?
百鬼丸はこの加速装置を作った義父、善海に思いを馳せた。彼は戦いにゆく百鬼丸に対して一言もかけたことはなかった。少なくとも記憶の中では。
それは実の娘のために没頭していた、だから失念していた……というだけでは決定的な理由にはならない。
《多分、ボクが推察するに、だがね》
と、ジョーがいう。
《これは逃走のための加速装置だ。長い時間をかけて敵から逃げるための。そうすれば辻褄が全て合う。敵と戦い、負けそうになれば逃げることができる。決して戦闘向きでない加速装置だから、そう判断するのが自然だと思うが》
その言葉を聞いて、百鬼丸はハッ、と頭を上げ――理解した。
義父、橋本善海は百鬼丸を決して見捨てていた訳ではなかった。それどころか、彼が安全に帰ってこれるように敢えて戦闘に向かない長距離の加速装置を彼の両足へと備えた。
その事実に愕然としながら百鬼丸は訳もなく「あはは」と乾いた笑いが口から漏れた。
「……参ったな。今まで何も知らずにおれはこの足を使ってきたんだ。なんつーか、こういうのを親不孝者って言う奴なのかな?」
《さぁ、どうだろうね。ただ一つ言えることは君は選ぶことができるよ。ボクの腕ならば、今から改良して中短距離の加速装置に変更できるし、戦闘向きだ。しかし君の判断に任せるよ》
軽くいって、ジョーは楽しげに解体を続ける。
「…………ったく、怒りで頭が一杯だった筈だったのに、とおさんの今更の気遣いに気づくなんて……おれはやっぱり馬鹿だったんだな」
俯き加減に、下唇を噛みながら、百鬼丸はたっぷりと息を吸う。
それから、たっぷり一分、二分……五分ほど沈黙する。
突然パシン、という乾いた音が空間に木霊する。百鬼丸が自分の頬を両手で叩いたのだ。一瞬だけ腕の制御を奪われたジョーは「おいおい」と困惑したが、百鬼丸は構わず、赤く染まった頬でしっかりと前をみる。
「頼む。中短距離の加速装置に変更してくれ」
《しかし、いいのかい?》
意外な返事にジョーは聴き直した。
「ああ、頼む。今までとおさんの足でおれは自立してきた。――その気遣いも嬉しい。正直変更するのもイヤだ。だけど、お前の質問に答えるなら、おれは〝強く〟なりたい」
《まだ強くなりたいのかい? 全く、ボクがいうのもアレだが、強さを得るために君は失っている気がするよ》と、半ば呆れ気味にいった。
事実そのとおりである。百鬼丸という少年の破格の強さを支える根底には「失う」という原理が存在している。この物理世界において無から有は生まれない。あるのは、有から有への変質と移動であり、原理原則である。
「…………いいんだ。十分とおさんの気持ちに甘えてきた。だから、今度はおれが自分のやり方で立つ足が欲しい。それに現状強敵ばかりだ。少しでも戦力が欲しい。頼む」
百鬼丸の珍しい懇願によって、ジョーは意外そうだが、しかし嬉しそうに応ずる。
《わかった。では、とびきりの加速装置に変更してやろう。それに、あの善海は兵器開発のプロではないから、不十分な箇所が多いんだ。まったく、直しがいがあるねぇ》
喜々として、百鬼丸の腕を操りながら金属部品を交換し始める。
(おれがやるべきこと……さっきのイチキシマヒメの言葉。まだ頭が整理できていないけど、やるしかないよな。)
百鬼丸はたれた長い前髪から、ひたすら無心になることに集中した。きっと、あがいても仕方のないことが多い。だったら今できることを一つ一つクリアすべきだ。
強烈な光を上から浴びながら、百鬼丸は足の加速装置が変化してゆく様子をつぶさに終始見守っていた。