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第三東京はいつもと変わらない朝を迎える。それはその地下に広がるジオフロントも同じである。
いつも通りに出勤するゲンドウに、ある職員は道を譲り、またある職員は挨拶と礼を送る。そうしていつも通りに執務室の定位置に着いたゲンドウは、机上に提出された資料に目を通しつつ、先に到着していた冬月に今後の予定を伝える。
「私は今日から数日開ける、留守の間は頼んだぞ冬月。」
「わかっている。」
目を通した書類に印を押し、承認したものと否認したものに振り分けつつに事務的に仕事を進める。そうして出張前の片付けをしているゲンドウに、同じように副司令としての雑務をこなす冬月から声がかけられる。
「そういえば碇、お前がリツコ君に任せていた物の試作品が出来たようだ。出る前に一度顔を出しておいた方が良いだろう。」
「そうか、解った。」
そう言うが早いか、手に持っていた最後の書類を纏め、机の横に備え付けられている自動配送システムに紙束を入れるとゲンドウは執務室を後にした。
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同刻、リツコが請け負った開発室の一同は、ようやく完成した試作兵器群を前に深いため息を吐いた。それはようやく形になったことに対する安堵と、ここからさらに調整を加えて実戦に耐えうる物にしなければならないというプレッシャーからくる物であった。なぜならこの兵器たちの失敗が意味するのは、パイロットの敗北であり、同時に人類の滅亡を意味するからだ。
そうして人知をはるかに凌駕する大きさの兵器を所狭しと巨大な白亜の壁に掛け、壁に掛けられた兵器に繋げられたケーブルから送られてくるデータを確認し、完成度合いを確認する責任者であるリツコ。彼女はどの装備から手を着けるか思案し、眉間を指でつまむ。
「―ックグレイブとカウンターソードの出来は良いようね、後は試験と実戦で確認するだけ。データが集まればマゴロクも形になりそうだし、ATフィールドの解析さえ進めば偏向制御で…これはまだデータが足りないわね。…残る問題は−」
「
いつの間にか隣に来ていた直属の部下、伊吹マヤがガラス越しの眼下に横たわる、小型の戦艦と同程度の大きさを持つ超弩級の物体の名前を答える。
「そうなのよ。司令も無茶な要求をしてくれるわね。」
その名が示す通り『マステマ』はエヴァが携行できる兵器の中で唯一、遠、中、近距離全てをカバーすることができる兵器なのだ。あくまで理論上は。
「百歩譲って二発の
あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればと思案するリツコにマヤが自身の案を口にする。
「先ほど先輩が言っていたATフィールドの偏向制御で無理やり強度を出すのはどうですか?」
「それも考えたわ。でも肝心のATフィールドに関するデータは未だに不十分なのよ。全くこんな無茶苦茶な兵器を考案した人間の顔が見てみたい物ね。」
「私だが」
その声が聞こえた瞬間にリツコは凍りつく。背後には声の主、ゲンドウが立っていた。隣のマヤに至っては何一つ失言をしていないのにも関わらず、リツコ以上に緊張感に満ちた顔で固まっている。
「し、司令、こちらに来るのでしたら一言おっしゃってくれれば…」
「私はこの後は出張でな。冬月に君の進捗を聞いたから軽く足を運んだまでだ。」
リツコや他のスタッフの緊張など一切気にしていない様で返すゲンドウに、一同はどう答えたものかと思いあぐねていると、再びゲンドウから声がかけられる。
「私の要望が無茶なのは百も承知だ。しかし、君達ならばやり遂げてくれると私は信じている。」
「碇司令…」
誰かのつぶやきが伝播するようにスタッフたちにざわめきが広がる。他でもないこの人に期待されているのならと現場に熱が入り始める。
司令の期待に応えようと暴走しかねないスタッフを見かねたリツコは、未だに固まる
「司令、不躾な質問なのは承知ですが、何故エヴァ単機による全領域対応の装備が必要なのですか?もちろん装備そのものの有用性は認めますが、パイロットそれぞれの特性に合わせた装備が理想なのではないでしょうか。」
「そうだな。確かに個々のパイロットに合わせた装備が最も適切なことは理解している。シンジであれば中近距離による
「ならば何故ー」
まさしく開発中のカウンターソードなども取り入れた返答にリツコは何故と漏らす。司令の答えは自分の考える装備開発思想と同じようなものであった。しかもパイロット個々の特性に合わせたものまで概ね理解してまでいる。それ故にあのような歪な兵器を考案したことは信じられず、そしてその続きを尋ねるようにゲンドウを見据え、答えを待つ。
「だがそれはすべてのパイロット、本部に存在する全てのエヴァが完璧な状態にあることが大前提だ。セカンドが遠戦を行わなければならない場合、レイが接近戦を行わなければならない場合も大いにあり得る。そして
言いたいことはそれだけだとばかりに口にすると、ゲンドウは開発室の面々を一瞥し、部屋を後にした。
「あの〜先輩?」
いつの間にか近くまで戻ってきていたマヤに声をかけられ、はっと我に返ったリツコは、マステマのデータを前に騒がしく議論を飛ばすスタッフたちへと向き直る。
「あなた達、議論も良いけれどここの所働き詰めよ。良い成果を出すには休憩も大切だということを忘れないでちょうだい。これで計算ミスでもされたら司令に大目玉を食らうのは私なのよ?」
そんなリツコの言葉に気付かされたスタッフ達は、皆一様にボサボサになった頭髪や皺のついた研究衣の匂いを嗅ぐと、それもそうだと納得し部屋をぞろぞろと後にした。
やはり先ほどからの様子を見るに、ここの開発チームにも司令の信奉者は中々居るようだ。だが考え方によっては以前よりも扱いやすくなったと言えるかもしれない。
そして自分も少し休憩を取ろうと伸びをするリツコは、先ほどの司令とのやり取りで、ある部分に引っかかりを憶えた。
(今までの使徒の傾向を思うに、使徒はそれぞれ自身の戦闘能力を局所的に特化させていた。そしてそれに対応するようにこちらも武装を変更し戦うのは正解。そしてあの兵器はそれを一本で解決しようというものでしょう。でも、司令のあの言い方ではまるで−)
『―戦闘中に無理やり自身の戦闘領域へと転換することが可能だ。―』
(−まるであの武装を使う対象が、こちらの戦い方に合わせざるをえないような…。)
今までの使徒の傾向からすればあり得ない、むしろ真逆とも言える予測にリツコは一つの仮説を立てる。
(もしかすると相手は
脆弱な人間と、ATフィールドを突破できない通常兵器相手に稼働時間の限られたエヴァを用いる無駄。そこまで思い至り、そしてある結論に辿り着き戦慄する。それはつまり、その相手が意味するもの。
「……対、エヴァ用に?」
口からこぼれ出た小さな呟きは、誰に拾われることもなく室内に溶けていく。しかし、その身の震えまでは隠すことは出来なかった。
「先輩、どうかしたんですか?、やっぱり先輩も働きすぎですよ。ここは暫く私に任せて少し休んで下さい。」
何を勘違いしたのか、マヤはその震えが過労によるものだと思ったらしい。しかしこの場は彼女の言葉に甘え仮眠室へと向かったリツコは、自らの考えを否定するように、あの兵器は今後の使徒へと対応するためのものだと自分に言い聞かせた。しかし、どこか拭えぬ不安が彼女の頭から離れず、仮眠中の夢の中ですら、瓦礫の中であの兵器を持ち上げる零号機を夢想し目を覚ましてしまう。
(…あの子をこれ以上の戦場に?)
思い起こすのは妹として接してきたレイの笑顔。しかし、夢の中であの兵器を担ぎ上げるレイの顔にそれは無い。
(レイにそんな顔をして欲しく無い。私は…私は…)
リツコの記憶の扉が音を立てて開かれる。
――
「さっレイちゃん、今日からここがあなたの家よ。」
見知らぬ子供を連れてきた母は、いつも通りマイペースで私の事なんて考えてはいないようだ。しかしそんな事には既に慣れている。問題は目の前にいるこの幼い子供が、今日からここに住むという事だ。
「お母さん、いきなり帰って来たと思ったらその子は誰?まさか拾った子?」
理由がわからずに苛ついてしまう自分を棚に上げ、母が連れてきた子を睨んだが、さして気にした様子もなく部屋の調度品を眺めている。
そんな自分の態度を知ってか知らずか、母はその女の子に甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「やだわリツコったら、レイちゃんはまだ5歳なのよ?そんな怖い顔しちゃダメよ。
そ・れ・と、この子は拾ったんじゃなくて預かったの。碇所長が
「
家を空けてばかりの母にこの子の世話が務まるはずがない。それは今までの自分を見れば明らかだ。それなのににこにこと、あるいはもっと下品な笑顔を浮かべているように見える母に対して苛立つばかりだ。明らかに家の事なんて見ていない。
「所長の子ってよりも親戚の子よ。ほら、セカンドインパクトで帰る所がない子が沢山いるのはリツコだって知っているでしょう?所長ですら自分の息子を知り合いに預けるぐらい忙しいんだから。それにお世話なら大丈夫よ、
そんな母が口に出したのは、祖母が代わって世話をしてくれるという事だ。どこか無責任だが思い返せばいつもの事だと納得し、女の子に対して向き直る。
「はぁ、わかったわ。赤木リツコよそこにいる
少しぶっきらぼうにしすぎただろうかと思い、いつもと違う自分に調子が狂う。そして先ほど母が言っていた女の子の名前を思い出そうとし、こめかみに手を当てていると、おずおずと女の子が口を開いた。
「…綾波レイ」
「そう、よろしくレイ。」
そんな様子を見て満足したのか母は手を振って行ってしまった。
――
レイとの奇妙な生活が始まってしばらく経った。普段の世話は近所に住んでいる祖母がしてくれている。と言うか自分も世話になっている。
そして気がついたのは、この子は未就学児だというのにかなり賢い。最初の接触が好印象ではなかった為か、はたまた自分の感情を汲み取っている為か、私に対して敢えて距離を置いているように見える。あのくらいの歳の子供ならばもっと騒がしいものだと思っていたが、これはこれで過ごしやすい。しかし、そんな様子が少し不気味だった。あまり表情が変わらないという所もそれに拍車をかけている気がする。
さらに数日経った頃、自分が休日だというのに少しも接触してこないレイに対し、同じ家に住む者として何処となくもやもやした気分になり接触を図る事にした。
「レイ、パンケーキ食べた事はある?」
与えられた部屋のベッドの上で、何をする訳でもなく座っているだけのレイに声をかける。返事は無言で首を振るだけであった。
「そう、じゃあいらっしゃい、おやつに作ってあげるから。」
そう言って部屋を後にした。
台所で準備をしていると、とてとてと小さい足音が聞こえてきたが、調理に集中する。あまり料理は得意ではなかったが、菓子作りは出来た。それは化学に通ずる物があるからだと内心で考える。決まった分量、決まった時間、決まった方法さえ守っていれば失敗する事はないからだ。ふとどんな料理を作らせても劇物に変える大学の友人を思い出したが、彼女は例外だろうと意識を調理に戻す。ともあれ、自分は予定外の事態が嫌いなのだろうと、調理の手順を進めながら分析する。化学分野に籍を置く身としては、計算外の事態に対し、自身の想定を外れたという事実が不快に感じてしまうのだろう。だからこそ、連絡もなく家に連れられてきたレイに対し、どこかぶっきらぼうになってしまったのかもしれない。そんな自分に苦笑すると同時に、パンケーキが焼きあがった。想定通りの形に焼き目、実に調和が取れている。
ケーキを皿に盛り付けてレイの前に置く。いつも通りの無表情。きっとケーキを食べても自分の想定通り、無表情なのだろう。彼女がその小さい手で器用にナイフとフォークを操り、ケーキを口に運ぶ。
「…おいしい。」
かわいらしい小さな花が咲いた。
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それ以上を思い起こそうとした時、館内放送でけたたましい
『総員、第一種戦闘配置、繰り返す。総員、第一種戦闘配置―』
仮眠室のベットから身を起こしたリツコは、タイミングが悪いとぼやきながらもこれ以上考えずに済むと、要らぬ思索に蓋をして持ち場へと向かった。
「とりあえず、試作した装備が無駄にならずに済みそうね。」
気持ちを切り替え、準備していた試作装備から恐らく実戦に耐えうるものを
「ふぅ、―掛かってらっしゃい想定外!」