セカンドインパクトはすでに起きている。E計画は始まりつつあり、ゲンドウ自身もその中枢メンバーの一人だ。
南半球は壊滅的被害を受け、世間は巨大隕石の悲劇と混迷を極めている。裏ではゼーレの計画は進みつつあり、南極では始まりの巨人『アダム』が失われた。
そんな中でゲンドウはこの日、ある人物の許を訪れていた。
「まさかユイ君ではなく君が訪れるとは思わなかったよ。よく無事に帰って来れたな六分儀君」
「ええ、お久しぶりです、冬月先生。運良く事件の前日、日本に戻っていたので悲劇を免れました」
その男こそかつての腹心、冬月コウゾウであった。
「それと、今は六分儀ではなくなりました」
そう言うとゲンドウは、一枚のはがきを冬月に手渡した。
「はがき?名刺ではな……碇!碇ゲンドウ!」
冬月は一通り驚くと落ち着きを取り戻しゲンドウに尋ねた。
「そうか…結婚したのか。ユイ君は元気にしているかね」
「ええ、いまは子育てに夢中ですが」
「ふむ、君も人の親になったのだな」
子供の話題を出したゲンドウの表情を見て冬月は少し安心した。冬月が今までゲンドウに感じていた印象は、あまり喜ばしいものではなかった。
何分初対面の時は、警察に厄介になった彼の身元保証人としてだ。頬に殴られた跡のある目つきの悪い男などあまりこちらから関わろうとは思うまい。
「それで、話とは何だね。まさか結婚を伝えるためだけに来たわけではあるまい」
「ええ、来月から行われる南極のセカンドインパクトの調査、その忠告に来ました」
ゲンドウの口から出た言葉は不可解なものであった。
彼の所属しているゼーレという組織には色々と黒い噂が絶えない。恐らく間に合わせで選ばれた私の知りえないこともこの男は知っているのだろう。であればなぜ私にわざわざそんな事を伝えるのか。少し気になった。
「忠告とはどういうことだね。まさかこの期に及んで私に行くなと言いたいのか?」
「いえ、誰にでも知る権利はありますよ。ただ、引き返すことはできなくなりますが」
まるですべてを知っているような口ぶりに、冬月は更に疑問を浮かべる。
そして、続けざまにゲンドウは答えた。
「冬月先生には是非、私に協力してほしいと思いましてね」
ずれた眼鏡を指で押し上げながらゲンドウは冬月を見据える。
益々訳がわからない。引き返せなくなると言った側から、協力してほしいなどと言われるとは思っていなかったからだ。
「私以上に優秀な科学者など、他にいくらでも居るだろうに、何故私なのかね」
素直な疑問だった。この男が所属する「
仮にゼーレの作った隠れ蓑に過ぎないとしてもだ。
「それを話すには此処では場所が悪い。少し景色を見ながら話しましょう」
ゲンドウはそう言うと立ち上がり、研究室出入り口の近くまで移動した。
「まったく、まさか君に口説かれる日が来るとは思わなかったよ」
そう答えると同じように冬月もゲンドウの跡を追った。
――
周囲を見渡しても自分たちが乗ってきた車以外の人工物はなく、人気のない山道の中腹であった。
「おいおい碇君、何もこんな場所でなくともよいだろうに」
「いえ、人の目はどこに在るとも知れませんからね、注意するに越したことは無いでしょう」
そう言うとゲンドウはおもむろに懐の鞄から、何らかの研究資料と思われる紙束を複数取り出し、冬月に差し出した。
手渡された資料の表紙には、赤く大きい文字で持ち出し禁止と記されていた。
「セカンドインパクトの真実。その全てとこれから行われようとしている計画の概要です」
その言葉を耳にした瞬間、冬月の手は止まった。
『セカンドインパクトの真実』その正体がただの巨大隕石の衝突ではないと、そう予測を立てたことはある。
しかし、こうして目の前に真実を差し出され、何か良からぬ事に巻き込まれようとしているのではと、得体のしれない不安がわき始めた。
一科学者として、来月から行われる調査に呼ばれることには、大きな喜びがあった。しかし、その答えが、今こうして目の前に突然現れたのだ。更に紙束の表紙に踊る赤い文字と、それを渡してきた人物がここまで周囲に警戒を行うことが、冬月の不安を大きくする。
「何故、私にここまでしてくれるのだね。正直言ってはなんだが、君にここまでしてもらう様な事を、私がした覚えはない」
そう。冬月にはこの男を信じる義理など無いのだ。沸いた疑問は大きく膨らむばかり。
そんな冬月を真っすぐと見据えてゲンドウは答えた。
「妻があなたのファンだそうです」
「フッ…ハハハハッ」
それを聞いて冬月は笑いを堪える事が出来なかった。
「ははは…はぁ。あぁ、いやすまないね。君がそんなに真面目な顔をしてそんな事を言うとは思わなかったんだ。いや、そうかそうか。確かにユイ君のレポートは前に目を通した時も心躍ったものでね。彼女の推薦なら私も目を通してみるとしよう」
「話が早くて助かります」
ゲンドウの答えに合わせるように冬月は手元の資料をめくり始めた。
しかし、一枚、また一枚とめくる度に顔は厳しく歪んでいった。
――
冬月が目にした真実は、あまりにも荒唐無稽で、あまりにも刺激的で、あまりにも残酷だった。
「君は運良く事件の前日に引き揚げた、と言っていたな。全ての資料を一緒に引き揚げたのも、幸運か?
なぜ巨人の存在を隠す!セカンドインパクトを知っていたんじゃないのかね、君らは。その日、あれが起こる事を」
感情に任せた行き場のない思いがゲンドウへと向けられる。
しかし、そんな冬月をゲンドウは静かに見つめ返した。
「くっ…。いや、君を責めるのは見当違いなのかもしれんな。調査書には葛城博士の主導で実験が行われていたと書かれていた。彼の提唱していた
知人の無残な最期を想い、冬月はそう一人納得した。
「いえ、責任の一端は我々ゼーレにも存在します。むしろその方が大きいでしょう」
「君はまるで言っている事、行うことが滅茶苦茶だ。ゼーレに所属しながらその機密や内情を赤の他人に漏らしている。『巨人』、『使徒』、『E計画』、『死海文書』。世界規模の機密だぞ。どれか一つ公になるだけで混乱は避けられない。一体君は私に何を求めている!こんな老人に何をさせたいのだ!何がそこまで君を変えたのだね!」
冬月はゲンドウに大きな違和感を感じた。世界を裏から動かすような組織を裏切るようなちぐはぐな行為、それを一研究者でしかない自分に伝えること、かつての彼から感じていたものとは大きく違う感覚に、答えが出せずにいた。
そんな冬月にゲンドウは一枚の写真を懐から出して見せた。一人の女性が赤ん坊に母乳を飲ませている情景だ。
「これは…ユイ君か、それと抱いているのは君の息子か」
「ええ。息子のシンジです。私が変わることの出来た希望です」
写真を再び手に戻し目尻の緩んだゲンドウを目にした冬月は、先ほどまでの怒りが霧散してしまった。
「はぁ。しかし何故私なのだね、共犯者にでもしたいなら他にもやり方や相手を選べばよいだろうに」
「いえ、冬月先生だからこそ私はここまで話せた。私は…いや、俺は先生を高く評価している。あなたは俺の期待通りの人物だと」
ゲンドウの冬月への言葉に嘘はなかった。そこには前世での冬月への評価も追加されているが、冬月には知る事のない所だ。
「買いかぶりすぎだ。私はそんな人間じゃない。が、まぁここまで知ってしまったんだ、今更引き返すこともできまい。ゼーレには前々から思う所もあった。
良いだろう。碇、お前に協力してやろう。ユイ君の事も気にかかっていたしな」
「感謝します。南極調査の後に再び連絡をします」
ーー
冬月の協力を取り付けるために早い段階から種を撒こうとしたゲンドウだが、図らずも上手く行ったことに内心喜びと安堵で一杯であった。
前回の時の人間関係の中でも数少ない信頼できた人物であるがために、ここで味方に引き入れられたのは幸運と言う他なかった。
ゼーレに対して離反を考えつつも自身の周囲を磐石のものとするため、ゲンドウは密かに行動を開始するのであった。