最初に鳴ったのは、出力異常を知らせる警報だった。
米国第二支部の中央管制室では、三号機の神経接続系へ初めて試験電流が流されていた。
四号機へのS²機関搭載計画は、必要な生体組織を確保できなかったため、既に凍結されている。隣接する建造ドックでは、動力系統を通常仕様へ戻す設計作業だけが続けられていた。
しかし、米国側はS²機関に代わる稼働時間延長策まで諦めてはいなかった。三号機の胴体内部には、次世代型高密度蓄電装置の試作機が組み込まれている。アンビリカルケーブルから切り離された後も、従来の内部電源より長く機体を動かすための装置だった。
ネルフ本部は、エヴァの生体神経回路と高出力の蓄電装置を直結する試験に反対していた。異常が起きても外部から給電を遮断できず、機体内部へ電力が残り続ける危険がある。本部から送られた実機での統合試験中止命令は、第二支部の記録にも残されていた。
それでも第二支部は、装置単独の確認であれば現地判断の範囲だとして試験を進めた。書類上の目的は三号機の神経接続系を調べる導通試験である。だが実際の手順には、あらかじめ充電された蓄電装置を神経回路へ接続し、命令に応じて電力を放出できるか確かめる項目が密かに加えられていた。
この日、試験を予定していたエヴァは三号機だけである。パイロットは乗せられておらず、コアへの本接続も行わない。微弱な試験電流を通すだけで、機体そのものを動かす予定はない。そこに異常が起きる余地などないと、少なくとも計画を承認した者達は判断していた。
「第三区画、導通確認。抵抗値、規定範囲内」
「第七から第九神経束、応答ありません」
「予備回路へ切り替えろ」
管制員が指示を復唱し、操作盤へ触れる。
その指が、スイッチへ届く直前で止まった。
命令を待たず、蓄電装置の残量表示が減り始めていた。蓄えられた電力が、閉じられているはずの回路を通って三号機の全身へ流れ込んでいく。
警報の内容が、神経回路の異常から空間圧力の上昇へ切り替わる。外部から起動電力を与えられていない機体の周囲で、光が薄い多角形を描いていた。
「A.T.フィールドを検出!」
「無人だぞ、誰が展開している!」
中央モニターに映る三号機の装甲表面を、黒い筋が這っていた。
油でも亀裂でもない。幾本もの細い筋が血管のように枝分かれし、胸部から肩へ、肩から腕へ広がっていく。
計器は生体反応を示さない。
それにもかかわらず、拘束具の中で三号機の指がゆっくりと曲がった。
次の瞬間、三号機を中心としてA.T.フィールドが膨張した。
目に見えない圧力が拘束区画の耐圧壁を外側へ押し曲げ、壁面を走る配管と電力幹線をまとめて引き千切る。中央管制室の強化硝子が一斉に砕け、床が大きく傾いた。
切断された高圧線が火花を散らし、非常用燃料へ引火する。最初の爆発が隣の動力区画を破り、衝撃が地下施設の主要支柱を次々と折っていった。
退避命令が発令された時には、既に通路の半分が崩落していた。地上の監視塔が沈み、実験区画が天井に押し潰され、米国第二支部そのものが自重を支えられなくなっていく。
最後まで残った監視映像には、拘束具の中の三号機と、隣接する建造ドックに横たわる四号機が映っていた。
二機を包む範囲だけは崩れない。薄い多角形の光へ落下した鉄骨が触れ、粉々に砕けて外側へ弾かれる。
その直後、監視回線が途絶えた。
――
報告がネルフ本部へ届いたのは、それから十一分後だった。
第一発令所の主画面に、米国第二支部が存在していた場所の衛星画像が表示されている。
施設のあった地表は大きく陥没し、地下区画の形に沿った巨大な窪地へ変わっていた。周囲には砕けた建材が幾重にも積み重なり、断線した設備から上がる火災の煙が衛星画像を覆っている。
前世界で見たものと、違っていた。
だが、アメリカ支部は崩壊した。
「S²機関搭載実験は行われていないのね」
ミサトが確認する。
「はい。四号機の動力系統は未完成です。三号機にも、起動に必要な外部電力は供給されていません。ただし、提出された実施計画と実際の制御記録が一致しません」
マヤが読み上げた記録を、リツコが別の端末で照合する。
「三号機には、次世代型高密度蓄電装置が搭載されていました。第二支部は神経接続系の導通試験と同時に、装置から機体内部へ電力を送る統合試験を行っています」
ミサトが険しい顔で資料を開いた。
「その試験、本部は許可していたの?」
「二度却下しているわ。現地では装置単独の試験として処理したようね」
事故直前、蓄電装置に蓄えられていた電力は一度に失われていた。A.T.フィールドが発生した時刻と、残量が零を示した時刻は一致している。
「熱源は燃料設備と電力系統の誘爆で説明できる。放射線反応もない。ただし、最初の衝撃は爆発より先に発生しているわ。施設の中心から外へ向かう、強力な圧力が記録されている」
リツコは崩落直前の計測記録を拡大した。
「その直前に、短時間だけA.T.フィールド反応が出ている。通常の事故ではないわ」
ゲンドウは司令席で手を組み、画面を見つめていた。
第四使徒のコアは破棄した。
四号機へS²機関を搭載するための実物資料は、米国へ一片も渡していない。計画が凍結されたことも、数日前の報告で確認している。
その代わりとして進められていた蓄電装置の実機試験には、明確に反対した。それでも、遠く離れた支部が命令書の名目を書き換えて試験を強行するところまでは止められなかった。
前世界の悲劇は防いだはずだった。
それでも第二支部は消えた。
しかも、ゲンドウの記憶より早い。
「生存者は」
冬月が尋ねた。
「崩落区域外にいた職員を除き、確認されていません」
答えた日向の声が重くなる。
画面が切り替わった。
崩落区域の中心に、建造ドックの床面だけが島のように残されている。その上には、二体の巨人があった。
三号機は搬送用拘束具に固定されたまま立っている。
四号機は建造用架台の上へ横たわっている。
周囲の施設が押し潰され、瓦礫へ変わった中で、二機と僅かな床だけが不自然なほど完全に残っていた。
発令所から声が消える。
ゲンドウは三号機を見た。
第十三使徒。
その名が脳裏に浮かぶ。
前世界では、三号機が日本へ輸送される途中、積乱雲の中で侵食されたと考えられていた。だが、使徒がいつ、何処から機体へ入ったのかを直接見た者はいない。
もし、米国にある時点で既に内部へ潜んでいたのなら。
そして、試験通電によって一度目覚めたのなら。
「司令」
ミサトの声で、ゲンドウは思考を止めた。
「この二機が原因だとお考えですか」
「現時点では断定できん」
未来を知っているとは言えない。まして、検査装置が何も捉えていない機体を使徒だと決めつければ、根拠を問われる。
「事故ではない可能性を前提に調査しろ。二機へ直接人員を近づけるな」
「了解」
ミサトが答え、命令を各部署へ振り分けていく。
冬月だけが、司令席のゲンドウへ視線を向けていた。
第四使徒の残骸から、利用可能なコアまで破棄した男である。その決定によって四号機の実験が止まった直後に、実験を行わなかったはずの支部が消えた。
偶然と呼ぶには、出来過ぎている。
しかし冬月は、発令所で問いたださなかった。
主画面の中では、三号機の足元へ調査用の無人機が近づいていた。
機体から使徒反応は出ていない。
A.T.フィールドも観測されない。
無人機は二機の周囲を一周し、何事もなく戻ってきた。
その映像を見ても、ゲンドウの警戒は薄れなかった。
未来を変えられなかったのではない。
変えたために、別の未来が生じたのだ。
――
米国政府の決定は早かった。
二日後には、三号機と四号機を国外へ移送する要求がネルフ本部へ届いた。
原因不明の壊滅事故の中心に、無傷で残った二機である。米国側に再起動する意思はなく、解体にも破壊にも同意しなかった。
再び何かを刺激することを恐れていた。
ゼーレは二機を日本へ移し、本部の管理下で調査するよう命じた。
「随分と勝手な話ね」
会議室で資料を閉じ、ミサトが吐き捨てる。
「自分達では触りたくないから、こっちへ押しつけるってことでしょう」
「彼らの立場なら、同じ判断をするわ」
リツコは冷静だった。
「二機を放置することもできない。原因を調べられる設備が残っているのは、事実上ここだけよ」
「だからって、本部へ二機とも入れるの?」
「入れん」
ゲンドウが遮った。
会議卓上の地図へ、二つの搬送経路が表示される。
「三号機と四号機は別々に輸送する。空路は使用せず、異常気象を避けた海路を取れ。三号機は松代の隔離施設へ搬入。四号機は西部封鎖区画へ移し、動力系統を接続するな」
「二機を離すのね」
「第二支部で二機だけが同じ範囲に残った理由が不明だ。再び隣接させる必要はない」
ゲンドウは三号機から試作蓄電装置を取り外すよう命じた。事故後の装置は内部の蓄電セルがすべて融着し、再使用できる状態ではない。それでも、機体へ残したまま輸送する理由はなかった。
さらにゲンドウは、搬入後の検査項目を読み上げた。
装甲、循環液、エントリープラグ、神経接続系を可能な限り分離する。生体反応だけでなく、温度、磁場、重力、空間偏差を常時監視する。異常が一つでもあれば作業を中止し、施設を封鎖する。
ミサトが資料へ目を落とす。
「随分、具体的ですね」
「第二支部が消えた。それだけで十分な理由だ」
ゲンドウの返答に、誤りはなかった。
その時、会議室の端末が鳴った。
ナオコから、長く続いていた試験が最終段階へ入ったという連絡だった。
――
試験区画の中央には、コアを模した赤い球体が固定されていた。
その周囲を無数の配線が取り巻き、さらに先で、エヴァの腕部だけを再現した試験装置へ接続されている。
ナオコが端末へ最後の命令を入力した。
「ダミーシステム、起動」
赤い球体の内部で、淡い光が脈打つ。
波形だけを見れば、人間の脳波に似ていた。しかし、そこには記憶も感情もない。誰かが考えて生じた波ではなく、魂が存在する時に起きる反応を数式から作り出したものだった。
試験装置の指が動く。
一本ずつ握り込まれ、拳を作る。
続いて肘が曲がり、腕が持ち上がった。
命令から動作までに僅かな遅れはある。それでも、前回まで発生していた拒絶反応は検出されなかった。
リツコが数値を追う。
「疑似信号、コア内部へ定着。神経回路、接続を維持しています」
ナオコは息を止めたまま、次の命令を送った。
「A.T.フィールド展開要求」
試験装置は動かなかった。
モニターに赤い文字が表示される。
《A.T.FIELD――NO RESPONSE》
「失敗?」
後方で見ていたミサトが尋ねる。
「いいえ。予測どおりよ」
ナオコは、ようやく張り詰めていた息を吐いた。
「遠隔で送れるのは、立つ、歩く、腕を動かすといった単純な運動命令まで。A.T.フィールドを張るには、生身の搭乗者との同調が必要になる」
「じゃあ、これだけで戦わせることはできないのね」
「ええ。これはパイロットを不要にする装置じゃないわ」
ナオコは赤い球体を見た。
正確には、パイロットではなく、コアの中へ入れられるはずだったものを不要にする装置である。
人間の魂。
その事実を知る者は、室内でも限られていた。
エヴァは、ただの巨大な機械ではない。コアに魂がなければ、人間との同調を成立させられない。
ナオコが作ったダミーシステムは、その空白へ人格を入れるものではなかった。魂がそこに存在する時に生じる反応だけを再現し、エヴァへ必要なものが既に満たされていると誤認させる。
偽物であるから、ダミーと呼ばれていた。
「ところで」
ミサトが資料から顔を上げる。
「何がダミーなの?」
リツコの指が、端末の上で一瞬止まった。
「システムの正式名称から取った呼称よ」
「正式名称?」
「資料の七頁」
ミサトが頁を送ると、神経接続、疑似応答、統合制御を意味する単語が長く並んでいた。頭文字だけを拾えば、確かにDUMMYと読める。
それはシステムの本質を隠すため、完成後に整えられた名称だった。
「絶対、先に略称を決めたでしょ、これ」
「技術部へ言って」
リツコは平然と答えた。
冬月が小さく咳払いをし、話を本題へ戻す。
「これで三号機の無人検査が可能になるのか」
「単純動作までは。ただし、三号機のコアへ導入した後、同じように反応する保証はありません」
ナオコの答えを聞き、ゲンドウは赤い球体を見つめた。
前世界のダミープラグとは違う。
レイの人格を模倣せず、誰の魂も閉じ込めないために作られたものだ。それでも、人間には見えないものを偽り、エヴァを動かす装置であることに変わりはない。
「完成と見てよいのか」
「機体へ導入できる段階には達したわ」
ナオコが答える。
「ただし、システムが魂の代わりを務めても、誰でも搭乗できるわけではない。パイロットは機体だけでなく、この疑似反応とも同調しなければならない」
「適性の確認が必要ということか」
「ええ。候補者の検査結果なら、リツコがまとめている」
ミサトが二人の会話へ割って入った。
「ちょっと待って。人を乗せればA.T.フィールドも張れるのよね」
「理論上は」
「だったら、私が乗ればいいんじゃない?」
室内の視線が集まる。
「何よ、その顔」
「どうして、そういう結論になるのよ」
リツコが眉間を押さえた。
「完全な無人運転が無理でも、中に人間がいればいいんでしょう。正体の分からない三号機へ子供を乗せるくらいなら、私が中で監視する。何か起きたら、内部から接続を切ればいい」
冗談で言っているのではなかった。
第二支部が消えた映像を見た。その中心に残った機体へ、新しいパイロットが必要になることも聞いている。
命令を出す自分が安全な発令所に残り、十四歳の子供へ危険を引き受けさせることに、ミサトは耐えられなかった。
「中に人間がいればいいわけではないの」
ナオコが首を振る。
「ダミーシステムは、適性のない人をパイロットへ変える装置じゃない。機体とシステム、両方との同調が必要になる」
「私の適性は調べたの?」
「少なくとも、今から検査と訓練を始めて間に合う状況ではないわ」
「やってみなきゃ分からないでしょう」
「それ以前の問題よ」
リツコが言った。
「あなたは作戦部長でしょう。三号機の中へ入ったら、誰が発令所から三機を指揮するの」
「代わりの人間を――」
「エヴァのパイロットより、使徒戦の現場指揮官を簡単に用意できると思っているの?」
ミサトは口を閉じた。
ナオコが指を二本立てる。
「適性の面で認められない。役職の面でも認められない。二つとも不適格」
「才能がないって決まったわけじゃないでしょう」
「そこへこだわるところじゃないわよ」
リツコに呆れられ、ミサトは不満そうに腕を組んだ。
ゲンドウは、そのやり取りを黙って見ていた。
自分が代わりになればよいと、ミサトは考えた。
以前の自分なら、役割を理由に切り捨てていただろう。今も許可することはできない。だが、子供を乗せることへ何の疑問も抱かない大人より、その無謀さの方がまだ理解できた。
理解できるからこそ、認めるわけにはいかなかった。
――
適性検査は、学校の健康診断を装って行われていた。
使徒災害後の健康影響を調べるという名目で、シンジ達のクラスには通常より多い検査項目が加えられている。
身長、体重、視力、聴力、心電図、血液検査。
それに加えて、脳波、神経反射、精神的負荷への反応、疑似コア信号に対する無意識の変化が測定された。
生徒達は本当の目的を知らない。
養護教諭にも、ネルフによる災害医療研究だと説明されていた。
「この子は神経反射と状況認識で高い数値を示しています。ほかにも最低基準を満たす候補は三名」
リツコが司令室の画面へ一覧を表示する。
「ただし、ダミーシステムとの初期同調予測を加えた総合値では、この生徒が最も高い」
候補者一覧の最上段に、名前が表示された。
鈴原トウジ。
その文字を見た時、ゲンドウの指が僅かに止まった。
第二支部が壊滅した原因は変わった。
時期も変わった。
三号機が日本へ送られる経緯も、ダミープラグの原理も違う。
それでも選ばれた少年は、前世界と同じだった。
「……やはり彼なのか」
誰へ聞かせるつもりもない、小さな声だった。
「何か?」
リツコが尋ねる。
「いや。続けろ」
「通常の神経接続適性も高いですが、決定的なのは疑似コア信号への拒絶反応の低さです。初期接続の安定性では、ほかの候補を明確に上回っています」
「代替は」
「起動するだけなら、ほかの候補にも可能性はあります。安全性まで考えれば、鈴原君が最適です」
最適。
その言葉は、人間を機体へ割り当てるための部品のように響いた。
しかしゲンドウも、かつて同じ言葉を使っていた。使える者を選び、必要な場所へ置き、失われれば次を探した。
今さら、リツコだけを責めることはできない。
トウジは第四使徒戦で妹を負傷させられた少年である。
ゲンドウ自身が頭を下げ、シンジを許してほしいと頼んだ相手でもあった。
その少年を、今度は自分が三号機へ乗せようとしている。
「無人起動試験が終了するまで、本人への通告は保留する」
ゲンドウが言った。
安全が確認できなければ、候補者であることを知らせる必要もない。三号機を凍結し、トウジを日常へ戻せばよい。
「それは反対ね」
ナオコが即座に答えた。
「危険な機体へ乗せないと言っている」
「乗せるかどうかを、あなた一人で決めるつもり?」
「本人へ知らせなければ、拒否する必要もない」
「安全だと判断してから知らせたら、その時には施設も訓練計画も担当者も、全部その子を乗せるために動き終わっているわ」
ナオコは候補者一覧を指した。
「十四歳の子供へ、周囲が準備を終えた後で断ってもいいと言うの? それで本当に選ばせたことになると思う?」
ゲンドウは答えなかった。
守るために知らせない。
それは、かつてユイの死後、シンジを遠ざけた時にも使った理屈だった。
自分の近くに置けば危険へ巻き込む。何も知らせず、別の場所で生きさせた方がよい。
その結果、シンジから父親と選ぶ機会を奪った。
「断るためにも、何を断るのか知る必要があるわ」
ナオコの声が続く。
「選出の事実と、判明している危険を伝えるべきよ」
「第二支部壊滅の原因は説明できん」
「断定する必要はない。崩落の中心に残った機体だという事実だけで、通常より危険だと説明するには十分でしょう」
ゲンドウは、画面のトウジの名前を見た。
前世界で、彼へ選ぶ時間は与えられなかった。
今回も同じことをすれば、未来を変えたとは言えない。
「……本人へ通告しろ」
リツコが端末へ記録する。
「承知しました」
「搭乗義務がないことを明言しろ。妹への治療と家族への支援は、返答にかかわらず継続する」
命令を出した後も、ゲンドウの胸から重さは消えなかった。
選ぶ権利を与えれば、責任がなくなるわけではない。
十四歳の少年へ、断ることのできる危険を差し出すこと自体が、大人の決定である。
――
健康診断の再検査だと聞かされ、トウジは放課後にネルフ本部へ来た。
通された部屋には診察台も医療機器もなかった。
小さな机を挟み、白衣を着たリツコが座っている。その横にはミサトもいた。
「何です、これ。ワシ、どっか悪いんですか」
「座って。病気が見つかったわけではないわ」
リツコに促され、トウジは警戒しながら椅子へ腰を下ろした。
机の上に、健康診断で見覚えのある用紙が置かれる。
自分の名前と、身長や体重が記載されている。しかし下半分には、学校で説明されなかった数値と波形が並んでいた。
「先日の検査では、通常の健康状態だけでなく、エヴァとの同調適性も調べていたの」
トウジは、すぐには意味を理解できなかった。
「エヴァって……シンジらが乗っとる、あれですか」
「そうよ」
リツコが別の資料を表示する。
黒い装甲を持つ三号機の画像だった。
「鈴原君。あなたはエヴァ三号機の専属パイロット候補に選ばれた」
トウジは画面とリツコを交互に見る。
冗談を言っている様子ではない。
「候補って……何でワシなんです」
「同じ条件で検査した生徒の中で、三号機の制御システムとの適性が最も高かったからよ」
「一番高い言うても、何が一番なんです?」
「機体と接続し、安定して動かせる可能性」
才能があると言われたはずだった。
しかし、嬉しさは生まれなかった。
トウジは三号機の画像を見る。
初号機とは違う。零号機や弐号機とも違う。それでも、人間の形をした巨大な兵器であることは分かる。
シンジは、これへ乗って戦っている。
レイも、アスカも。
「最初に説明しておかなければならないことがあるわ」
リツコの声が低くなる。
「この三号機は、米国第二支部が崩壊した場所の中心に残されていた機体よ。現時点で、機体が事故を引き起こした証拠はない。ただし、安全だと確認できたわけでもない」
トウジの背筋が伸びた。
ニュースでは、米国の研究施設で大規模な陥没事故が起きたとだけ報じられている。映像も詳細も公開されていない。
その中心にあったものへ、自分が乗れと言われている。
「あなたに搭乗義務はない」
ミサトが言った。
「断っても、あなたや家族に不利益はない。サクラちゃんの治療も、これまでどおり続ける。これは取引じゃないわ」
トウジはミサトを見た。
「断っても、ええんですか」
「ええ」
答えは早かった。
「すぐに決める必要もない。家族と相談していい。ただし、機体やネルフに関する詳しい情報は話せない」
トウジは自分の手を見た。
指先には、木彫りの授業で作った小さな傷がまだ残っている。
妹のために芽を彫った時についた傷だった。
あの程度なら、怪我のうちにも入らない。
しかし、シンジがエヴァから運び出された時の姿を、トウジは知っている。
「碇は、ワシが選ばれたこと知っとるんですか」
「いいえ」
「綾波や惣流は」
「まだ誰にも伝えていないわ」
それを聞き、トウジは僅かに安堵した。
同時に、誰にも聞けないのだと気づいた。
「今日は帰って考えて」
ミサトの声は、普段より柔らかかった。
「あなたの人生に関わることだから」
渡された資料を鞄へ入れ、トウジは立ち上がった。
扉へ向かう途中で一度振り返る。
「もしワシが断ったら、次の奴に同じ話するんですか」
リツコは答えなかった。
答えなくても、トウジには分かった。
――
翌朝、トウジはいつもどおり学校へ来た。
少なくとも、本人はそのつもりだった。
「お前、昨日ネルフに行ってただろ」
席へ着く前に、ケンスケから言われた。
「何で知っとるんや」
「帰りに黒い公用車へ乗るところを見た。何か新兵器の見学か?」
普段なら、軍事機密だと言って適当にからかったかもしれない。
しかし口から言葉が出なかった。
「健康診断の再検査や」
「何処か悪かったの?」
シンジが心配そうに尋ねる。
「何でもあらへん。向こうの手違いや」
嘘をつくと、シンジの顔を見ていられなくなった。
自分がエヴァへ乗るかもしれないと話せば、シンジなら恐怖を理解するだろう。
だからこそ聞けなかった。
既に戦っている相手へ、自分は断ってもよいのかと尋ねることは、シンジへ乗り続けろと言うことと同じに思えた。
ケンスケも何かを察したらしい。
いつもならネルフで何を見たのか問い続けるところを、その日はそれ以上聞かなかった。
授業中、トウジはほとんど黒板を見ていなかった。
机の中の鞄には、昨夜渡された資料が入っている。
医者になると決め、買ったばかりの参考書と同じ場所に収まっていた。
人を治す仕事がしたい。
そのために勉強を始めた。
エヴァへ乗って戦うことが、その未来へ近づくのか、遠ざかるのか分からない。
昼休み、アスカが机の横で足を止めた。
「何や」
「別に」
そう答えながら、アスカはトウジの鞄へ一瞬だけ目を向ける。
ネルフの封筒は奥へ隠したはずだった。
「乗りたい奴なんて、そうはいないわよ」
「何の話や」
「さあね」
アスカはそれ以上何も言わず、ヒカリの席へ向かった。
選ばれることを望み続けてきた彼女が、選ばれたくない人間の存在を否定しなかった。
トウジには、それが意外だった。
ヒカリの席へ向かう途中、アスカはシンジの机を見た。以前の彼は、エヴァへ乗れることだけを父親に必要とされる証明のように抱えていた。今は友人に囲まれ、帰る場所を持ち、それでも自分より高い数値を出す。
乗ることしか持たなかったはずの少年が、乗ること以外のものを増やしながら自分を追い越していく。その事実へ付ける名前を、アスカはまだ知らなかった。
――
放課後、トウジは一人で教室に残った。
机の上には、ネルフから渡された資料と進路用の参考書が並んでいる。
どちらを開いても、文字が頭へ入らなかった。
窓の外では、運動部の掛け声が聞こえる。
明日も同じように学校へ来て、授業を受け、帰りにサクラの菓子を買う。それを選ぶこともできる。
けれど自分が断れば、資料は別の生徒へ渡される。
それが誰かは分からない。
「乗ることになったの?」
突然声を掛けられ、トウジは資料を閉じた。
教室の後方にレイが立っている。
「いつからおったんや」
「忘れ物を取りに戻った」
レイは自分の机から教科書を取り出した。
「何で分かった」
「その封筒を知っている」
レイもかつて、同じ印のついた書類を渡されたのだろう。
トウジは隠すことを諦めた。
「まだ決めとらん」
「そう。急に言われても、すぐには決められないと思う」
レイはトウジの向かいの席を引いた。座ってもよいかと目で確かめてから、机を挟んで腰を下ろす。
勧める様子も、止める様子もない。ただ、話したければ聞くという顔をしていた。
それがかえって話しやすかった。
「綾波は、怖うないんか」
「怖いわ」
レイは少し困ったように笑った。
「お前でも怖いんか」
「前は、自分が帰れなくなることを、あまり考えていなかったの」
レイは窓の外へ目を向けた。校庭の向こうには、リツコと暮らす家へ続く道がある。
「今は、夕食を待ってくれる人がいるし、学校で明日も会いたい人もいる。だから、前より怖くなった」
トウジは、先日の木彫りの授業でレイが作った三本脚の器を思い出した。
帰る場所を支えるもの。
レイは誰か一人のためではなく、自分が帰る場所のために作った。
「怖いのに、何で乗れるんや」
「帰るため、だと思う」
「乗らん方が、帰れるやろ」
「私は、乗らなければ帰る場所を守れないことがあるから」
レイはそこで一度言葉を止めた。
「でも、鈴原君まで同じ理由で乗る必要はないと思う」
「どういう意味や」
「乗ろうと思う理由があっても、それだけで乗らなければならないことにはならない。断っても、鈴原君が卑怯になるわけじゃないわ」
以前のレイなら、命令だから乗ると答えただろう。
今は、自分の理由と他人の理由を分けて考えている。
トウジは資料の上へ手を置いた。
「センセには、まだ言わんといてくれ」
「分かった。碇君にも、私からは言わない」
「聞かへんのか。何で隠すんやって」
「聞きたいと思わないわけじゃない。でも、碇君に話すかどうかも、鈴原君が決めることだから」
レイは教科書を鞄へ入れて立ち上がった。
「一人で考えて苦しくなったら、また話して。私でよければ聞くから」
そう言い残して、教室を出ていった。
一人になった後、トウジは参考書を開いた。
何も書かれていなかった最初の頁には、今では幾つかの計算と単語が並んでいる。
始めたばかりで、医者になれる保証などない。
それでも、自分で選んだ道だった。
――
サクラの通院日、トウジは病院まで付き添った。
待合室の椅子に並んで座り、呼ばれるのを待つ。
サクラの鞄には、木彫りの芽が付けられていた。
左右の葉の大きさが違い、根の一本は削り過ぎて細くなっている。それでもサクラは、病院へ来る時だけでなく、近所へ出かける時にも持ち歩いていた。
「兄ちゃん、さっきからそればっかり見とる」
「自分で作ったんや。見て何が悪い」
「出来が悪いから気になるん?」
「返せ」
トウジが手を伸ばすと、サクラは鞄を反対側へ避けた。
その動きに以前の弱々しさはない。
完全に元どおりではない。長く歩けば疲れ、定期的な検査も必要である。それでも、病室から出られなかった頃とは違う。
守りたかったものが、目の前にいた。
「サクラ」
「何?」
「ネルフから、仕事を頼まれた」
サクラの表情が変わる。
「兄ちゃんに?」
「ああ。詳しいことは言えん。危ないかもしれん仕事や」
「断ったらええやん」
返答は早かった。
「断っても、次の奴がやることになる」
「知らん人なん?」
「同じ学校の誰かやと思う」
「それでも、兄ちゃんがやらなあかん理由にはならへん」
トウジは何も言えなかった。
サクラは鞄の芽へ触れた。
「ウチを守るためとか言わんといてな」
「まだ何も言うとらんやろ」
「兄ちゃん、すぐそれ言うから」
「兄ちゃんが妹守って、何が悪い」
「ウチを守るためや言うて、兄ちゃんが怪我したら、お守りの意味がないやん」
木彫りの芽が、サクラの指先で揺れた。
丈夫に育つように。
トウジはその願いを妹へ渡した。しかし、願いを渡した人間がいなくなれば、残された側はそれをどう持てばよいのか。
「ワシ、医者になりたい言うたやろ」
「うん」
「人を助ける仕事がしたい言うといて、自分だけ怖いこと見んふりするんは、何か違う気がするんや」
「お医者さんは戦わへんよ」
「分かっとる」
トウジは膝の上で拳を握った。
「せやけど、怪我する奴が何を怖がっとるかも知らんで、治す側に行けるんかって思う。シンジらが何しとるか知っとるのに、ずっと守られたままでええんかとも思う」
「兄ちゃんが怪我したら、治す人になれへんかもしれん」
それも正しかった。
乗ることだけが勇気ではない。
断り、勉強を続け、いつか別の方法で人を助けることもできる。
トウジは、妹に背中を押してほしかったわけではない。止めてほしかったのかもしれない。どちらであっても、自分の選択を誰かの言葉へ預けようとしていた。
「絶対帰る、とは言わんでええ」
サクラが言った。
「そんなん嘘になるかもしれんから」
「縁起でもないこと言うな」
「でも、帰る気がないなら行ったらあかん」
トウジは芽のお守りを見た。
「帰るつもりで行く」
「ほんまに?」
「ああ」
サクラはすぐには笑わなかった。
やがて、木彫りの芽を両手で包む。
「なら、帰ってきたら勉強もちゃんとしてな。お医者さんになるんやろ」
「分かっとるわ」
診察室から名前を呼ばれ、サクラが立ち上がった。
その背中を追いながら、トウジはようやく、自分の返事が決まったことを知った。
――
その夜、ゲンドウは食卓でシンジと向かい合っていた。
焼き魚と味噌汁、野菜の煮物が並んでいる。
以前なら、食事中に会話がなくても何とも思わなかった。今は、沈黙が長く続くと、何か言わなければならないように感じる。
しかし鈴原トウジの選出を、本人より先にシンジへ伝えることはできない。
「シンジ」
「何、父さん」
「もし、友人がエヴァへ乗ることになったら、どう思う」
箸を持つシンジの手が止まる。
「急に、どうしたの」
「仮定の話だ」
シンジは暫く考えた。
「僕だけじゃないって思ったら、安心するかもしれない」
ゲンドウは黙って続きを待った。
「でも、友達が傷つくのは嫌だ」
「お前は乗っている」
「僕が乗れているからって、ほかの人も乗るべきだとは思わないよ」
シンジは味噌汁の椀へ目を落とした。
「乗らないで済むなら、その方がいい。でも、その人が自分で決めたなら……僕は、帰ってこられるように手伝いたい」
引き出しの中には、まだゲンドウへ渡されていない木彫りのお守りがある。
屋根の下へ二本の線を刻み、裏側には帰るための道を彫ったものだ。
ゲンドウは、その存在を知らない。
それでもシンジの言葉には、第十二使徒の中から帰ってきた者の重さがあった。
「そうか」
ゲンドウはそれ以上尋ねなかった。
食事を再開した後、シンジが不意に顔を上げる。
「父さん」
「何だ」
「最近、帰るの早くなったよね」
「可能な範囲でだ」
「無理してない?」
尋ねられ、ゲンドウは答えに詰まった。
子供を心配する言葉は考えていた。子供から自分を心配されることは想定していなかった。
「問題ない」
ようやく答えると、シンジは小さく笑った。
トウジへも、こうして帰りを待つ者がいる。
その事実を、ゲンドウは忘れてはならなかった。
――
翌日の放課後、トウジは再びネルフ本部を訪れた。
今度はリツコではなく、ゲンドウが待っていた。
広い司令室で向かい合うと、以前ここへ呼ばれた時のことを思い出す。
あの時は、シンジが初号機へ乗せられたことへ腹を立てていた。ゲンドウはサクラの負傷について頭を下げ、息子を許してほしいと頼んだ。
今日は、自分が同じ機体へ乗る側として立っている。
「返答を聞こう」
ゲンドウが言った。
「その前に、確認してええですか」
「何だ」
「ワシが断っても、サクラの治療はほんまに続けてもらえるんですか」
「続ける。あれは初号機の戦闘で負傷させたことに対する支援だ。君の搭乗とは無関係だ」
「親父や爺ちゃんにも、迷惑かかりませんか」
「かからん」
「なら」
トウジは一度息を吸った。
「乗ります」
言葉にした途端、足元が僅かに揺れたように感じた。
怖くなくなったわけではない。
むしろ、決める前より恐怖は具体的になっている。
「理由を聞いてもいいですか」
ゲンドウの隣に立つミサトが尋ねた。
「妹のためやないです」
トウジは先にそれを否定した。
「シンジらが戦っとること知っとるのに、全部あいつらへ押しつけたままにしたないんです。それにワシ、医者になりたいと思っとります」
「医師とエヴァパイロットは、同じではない」
ゲンドウが言う。
「分かってます。エヴァに乗ったら医者になれるとも思っとりません」
トウジは拳を握った。
「せやけど、人を助ける仕事がしたい言うといて、自分だけ何も見んようにするんは違うと思うんです。怖いことを知っとるのに、知らんふりしたままにもしたない」
ゲンドウは、少年の顔を見た。
前世界のトウジは、妹をより良い病院へ移すことを条件に、搭乗を引き受けた。
今回、妹の治療は取引から切り離されている。
それでも彼は乗ることを選んだ。
運命だからではない。
ゲンドウが未来を変え、周囲の人間との関係が変わった上で、トウジ自身が出した答えだった。
「怖いか」
ゲンドウが尋ねる。
「怖いです。乗りたいわけでもありません」
トウジは正直に答えた。
「恐怖を失うな」
「え?」
「怖いと思えるうちは、自分と他人の命を数字だけでは扱わずに済む」
ゲンドウは登録書類を開いた。
「ただし、これは仮登録だ。三号機の安全が確認されるまで、深度の高い接続は行わない。異常があれば、こちらの判断で実験を中止する」
「分かりました」
「君にも中止を求める権利がある。搭乗後であってもだ」
トウジは驚いたようにゲンドウを見た。
「命令されても、ですか」
「自分の生命に関わる異常を感じた場合は、命令より先に報告しろ」
それは軍隊の命令としては曖昧だった。
父親として子供へ言う言葉としても、不十分だった。
それでもゲンドウが今、口にできる最大限だった。
トウジは登録書類へ署名した。
鈴原トウジ。
最後の一画を書き終えると、四人目の適格者としての仮登録が完了した。
――
三号機を載せた輸送船は、予定どおり海路で日本へ到着した。
積乱雲との接触はない。
輸送中の電磁波、温度、重力、空間偏差にも異常は検出されなかった。
機体は松代の隔離施設へ運び込まれ、幾重もの拘束具で固定された。
焼損した次世代型蓄電装置は米国を離れる前に撤去され、接続されていた電力回路も通常仕様へ戻されている。三号機に残された内部電源は、ほかのエヴァと同じものだけだった。
四号機は別の船で西部封鎖区画へ送られている。二機が日本国内で接近する予定はない。
松代では、ゲンドウが追加した検査が夜を徹して続けられた。
装甲内部に未知の生体組織はない。
循環液に汚染はない。
エントリープラグにも異常はない。
神経接続系から検出される波形は、導入されたダミーシステムの基準値と一致している。
「遠隔動作試験、開始します」
無人のエントリープラグが挿入される。
外部電源が接続され、三号機へ最小限の電力が供給された。
「右手、開放」
三号機の指が一本ずつ開く。
「右腕、三十度挙上」
拘束具の中で腕が持ち上がった。
動きは遅い。単純な命令以外には反応しない。
「A.T.フィールド展開要求」
反応はなかった。
《A.T.FIELD――NO RESPONSE》
ダミーシステム単独の動作としては、すべて予測どおりだった。
報告を受けたゲンドウは、それでも試験続行を命じなかった。
「本日はここまでだ。全系統を再検査しろ」
「しかし、予定では低深度の有人接続まで――」
「再検査後だ」
技術員は命令に従い、外部電源を切断した。
格納庫の照明が落とされる。
人員が退出し、三号機だけが暗闇の中へ残された。
機体内部では、疑似的な魂の反応を作り出す信号が停止している。
そのはずだった。
装甲の奥深くで、黒い筋が脈打つ。
それはダミーシステムの信号へ重なり、同じ周期で三号機の神経回路を巡っていた。
検査装置は異物として認識しない。
魂が存在する時に生じるはずの反応を、人工的に作り出すシステム。
その偽物へ紛れたものを、機械は正常な疑似信号として処理していた。
第十三使徒は、検査をすり抜けたのではない。
最初から、正常と異常を分ける境界の内側にいた。
――
同じ頃、西部封鎖区画では四号機の収容作業が終わっていた。
動力系統は接続されず、エントリープラグも挿入されていない。
未完成の機体は建造架台へ横たえられ、周囲から人員が退避する。
監視室の技術員が、最後の映像を確認した。
異常なし。
生体反応なし。
A.T.フィールド反応なし。
扉が閉じられ、四号機は完全に隔離された。
暗い格納庫で、未完成の白い機体は何一つ動かなかった。
第二支部で四号機が残ったのは、隣接する三号機が展開したA.T.フィールドの内側へ、建造ドックの一部ごと偶然入ったために過ぎない。
装甲にも、コアにも、神経接続系にも、使徒の痕跡は存在しない。
四号機は不気味なほど無傷だったが、実際には事件の原因でも、使徒に選ばれた器でもなかった。
米国もネルフも、その潔白をまだ知らない。
松代の三号機の内部で、何かが目を覚ます時を待っている。
その機体へ乗る少年の名前は、既に登録されていた。
鈴原トウジ。
彼が選んだと思っている道の先で、彼を選んだものが待っていた。