ゲンドウ、再び   作:被検体E-1n

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霞む境界

 

 

 三号機が日本へ移管されてからも、米国第二支部消失の事後処理は終わらず、ゲンドウは第十二使徒戦以来となる三日連続の本部泊まりを余儀なくされていた。

 

 第二支部の消失は、単なる事故として処理するにはあまりにも規模が大き過ぎる。生存者の捜索、各国支部への説明、三号機と四号機の移管、そしてゼーレとの会議。その間にも、原因を知りたい者と原因を隠したい者が同じ回線から連絡してくるのだから、家に帰る時間など取れるはずもなかった。

 

 『今夜も本部へ泊まる』

 

 電話越しの父の声には、隠し切れない疲労があった。

 

 「分かった。ちゃんと何か食べてね」

 

 『ああ』

 

 短い返事の後、通話は切れた。今日学校で何があったのか、夕食には何を作るつもりだったのか、もう少し何か言いたかった。しかし父の疲れた声を聞いてしまうと、話を続けたいという自分の都合よりも、少しでも早く仕事を終えて休んでほしいという気持ちの方が勝ってしまった。

 

 シンジは受話器を置き、静かな食卓を振り返る。冷蔵庫には一人分以上の材料が残っていた。少し前まで料理など縁遠かったはずなのに、今では二人分を作ることに慣れ始め、分量を元に戻す方が難しくなっている。

 

 自室の引き出しには、父へ渡せないままのお守りがある。

 

 無事に帰るための道を彫ったものを、帰れない父へ渡せない。その事が少しだけ可笑しく、そして同じくらい寂しく思えた。

 

――

 

 翌日の放課後、トウジはシンジだけを屋上へ呼び出した。

 

 ケンスケにも話したかった。三人でいる時なら、重い話でもあいつが余計なことを言って空気を崩してくれる。しかし、三号機のことは機密であり、伝えてよいのは家族とネルフの関係者だけだと念を押されている。

 

 屋上へ続く扉を閉め、誰も上がってこないことを確かめてから、トウジは校庭を見下ろした。

 

 「シンジ。お前、最初にエヴァへ乗る言うた時、どない思っとった?」

 

 シンジは答えるまでに少し時間がかかった。

 

 「父さんに、必要だって言ってほしかったんだ」

 

 「命令されたからやないんか」

 

 「違う。父さんは乗れとは言わなかった。僕が自分から乗りたいって言った」

 

 父へ振り向いてほしかった。その願いを叶える手段として初号機へ乗ることを望んだのだから、誰かに強制された選択ではなく、だからこそ失敗した時に誰かのせいにもできなかった。

 

 「今も、それだけで乗っとるんか」

 

 「最初はそうだった。でも今は、父さんを信じてる。それに、帰りたい場所や、守りたい人も増えたから」

 

 トウジは黙って聞いていた。

 

 やがて制服の鞄から、ネルフの封筒を取り出した。

 

 「ワシ、四人目に選ばれた」

 

 「三号機の?」

 

 「ああ」

 

 トウジは健康診断を装った検査と、断る権利を与えられたことを話した。サクラの治療は条件ではない。それでも、自分で乗ると答えた。

 

 「本当に、自分で決めたの?」

 

 シンジが尋ねる。

 

 「決めた。妹のためや、なんて言い訳にするつもりもない。守られたまま、何も知らん顔するんが嫌やったんや」

 

 シンジは反対したかった。

 

 しかし、自分の選択だけを認め、トウジの選択を否定することもできない。

 

 「怖くなったら、途中でもやめていいんだよ」

 

 「シンジの親父さんにも同じようなこと言われたわ」

 

 意外な言葉に、シンジは顔を上げた。

 

 父がトウジに対しても逃げ道を残していた。その事実が、シンジの胸の奥へ小さな安心を落とした。

 

 「ケンスケには言うたらあかんで」

 

 「うん」

 

 「あいつ、ワシが最近どこ行っとるか嗅ぎ回りそうやけどな」

 

 「そのうち気づくかもしれないね」

 

 「気づくまでは黙っとく。約束したからな」

 

 トウジはそう言い、封筒を鞄の奥へ戻した。

 

 扉の向こうから足音が聞こえ、二人は同時に口を閉じた。姿を現したのは、忘れ物を取りに戻った下級生だった。何も知らない少年が会釈して通り過ぎる。

 

 その背中を見送りながら、シンジは、自分達が同じ制服を着た生徒でありながら、話せないものを少しずつ増やしていることに気づいた。

 

――

 

 四人目として登録されてから、トウジは放課後にネルフへ通うようになった。

 

 三号機へ乗る前に覚えることは多い。施設内の規則、緊急時の手順、L.C.L.への順応、神経接続についての座学。実機がなくても訓練は始められた。

 

 レイはトウジ用のロッカーへ、予備のタオルと資料を入れるのを手伝った。

 

 「分からないことがあったら聞いて。私も、最初はよく迷ったから」

 

 「綾波でも迷うんやな」

 

 「今でも迷うわ。ここの通路は似ているから」

 

 レイが少し笑い、トウジも肩の力を抜いた。

 

 アスカは腕を組み、ロッカーにもたれている。

 

 「先に言っておくけど、適性が高いのと操縦が上手いのは別だから」

 

 「まだ乗ってもおらんのに、何で張り合っとるんや」

 

 「張り合ってないわよ。先輩として注意してるの」

 

 言い返した後、アスカは声を落とした。

 

 「変だと思ったら、格好つけないで接続を切りなさい」

 

 それだけは冗談ではなかった。

 

――

 

 三号機は最初の無人基本動作試験を既に終えており、指を開く、腕を上げるといった単純な動作には応じたものの、A.T.フィールド展開要求には一切反応を示さなかった。先日の試験結果は、ダミーシステムの理論値と完全に一致している。

 

 その後は再び電源を落とされ、神経回路とコア、循環液から装甲内部に至るまで一から調べ直されたが、数日に及ぶ再検査でも異常は見つからない。そしてこの日、低深度の有人接続へ移る前の最終無人確認が行われることとなった。

 

 「今回は前より接続深度を一段階上げ、遠隔操作に対する応答速度と神経回路の安定性を確認するわ。それでも異常がなければ、次はいよいよ鈴原君を乗せることになる」

 

 ナオコの説明を受け、試験責任者は僅かに緊張した面持ちで頷いた。

 

 「つまり、今日が最後の無人試験というわけですか」

 

 「予定通りに終われば、ね」

 

 初号機、零号機、弐号機は、三機とも即時発進可能な状態で本部へ待機していた。

 

 表向きの理由は、第二支部消失の爆心地に残った機体を試験するためであり、それだけでも周囲には過剰に見える警戒を説明するには十分であった。松代周辺には避難経路が設定され、万が一三号機が施設外へ出た場合の迎撃地点まで決められている。

 

 隔離施設の内部も、前回とは違っていた。

 

 制御室と格納庫の間には追加の防爆隔壁が降ろされ、作業員は必要最小限に減らされている。三号機を固定する拘束具には、通常の電磁ロックに加えて物理式の楔が打ち込まれた。外部電源ケーブルには三か所の緊急切断装置が設けられ、どれか一つを落とせば機体へ送られる電力は止まる。

 

 「ここまで必要なのでしょうか。前回の試験では何も起きなかったのですよね?」

 

 追加された設備を見た試験責任者は疑問を口にしたが、ナオコはモニターから目を離さないまま答える。

 

 「第二支部が消えた、その爆心地に残っていた機体よ。用心して困ることはないわ」

 

 それ以上の理由を知る者はいない。そして全てを知るゲンドウだけが、これでも足りないかもしれないと考えていた。

 

 ゲンドウは前世界で起きた事を知っている。だが、少なくとも今回の三号機にトウジはいない。それだけは既に変えることができていた。

 

 本部では、シンジ、レイ、アスカの三人がプラグスーツ姿で待機室に集められていた。

 

 トウジも同じフロアにいるが、まだプラグスーツは支給されていない。午前中から身体検査と座学を受け、今はガラス越しに三人を見ている。

 

 「何も起きないことを確認する試験なんでしょう」

 

 アスカが不満そうに足を組む。

 

 「それに私達まで待機させるなんて、慎重を通り越して臆病じゃない?」

 

 「何も起きないと決まっているなら、確認する必要はないわ」

 

 レイが答えた。

 

 「何か起きるかもしれないから、私達がいるんだと思う」

 

 「分かってるわよ。言ってみただけ」

 

 アスカはモニターに映る三号機を見た。

 

 黒い機体は拘束具の中で沈黙している。そこに人間の気配はない。それでも、第二支部から回収された映像を見た者には、眠っているように見えた。

 

 シンジはガラスの向こうのトウジへ目を向けた。

 

 トウジは片手を上げ、大丈夫だと示した。

 

 試験は段階的に進んだ。

 

 三号機が右手を開く。

 

 前回より滑らかだった。五本の指が同じ速度で伸び、命令から動作までの遅延も許容値へ収まっている。

 

 腕を上げる。肘を曲げる。首を左右へ動かす。片脚を数センチ浮かせ、指定された位置へ戻す。

 

 動作は遅く、ぎこちない。ダミーシステムが遠隔で可能にする、単純な運動だけである。

 

 「生体反応、ありません」

 

 「精神汚染、空間偏差、ともに検出なし。全て正常値です」

 

 松代の制御室で、一人の技術員が小さく息を吐く。前回と同じ結果が積み上がるたび、室内を包んでいた張り詰めた空気が少しずつ緩んでいった。

 

 ナオコだけは画面から目を離さなかった。

 

 ダミーシステムの疑似信号には、前回以降も僅かな揺らぎが記録されていた。規定値の内側であり、機体温度や外部磁場の変化でも説明できる程度のものだ。それでも、一定ではないことが気にかかった。

 

 「疑似信号、基準波形と照合」

 

 「誤差〇・〇三。正常範囲です」

 

 正常。その言葉が、この機体について何度繰り返されたか分からない。

 

 「最終確認へ移ります」

 

 ナオコが告げる。

 

 無人状態で、A.T.フィールドは発生しない。

 

 だからこそ、その命令を送り、何も起きないことを確認する。

 

 「A.T.フィールド展開要求、送信」

 

 一秒が過ぎる。前回ならば、ここで何も起こらずに試験は終了していた。

 

 しかし二秒目、疑似魂信号の波形に別の周期が重なった。

 

 「これは……ダミーシステムが生成した波形ではありません!」

 

 入力された展開要求を拒絶するはずの空白から、まるでそこにいる誰かが命令を受け取ったかのように反応が返る。

 

 モニターの表示が切り替わった。

 

《A.T.FIELD――DETECTED》

 

 空間が歪み、三号機を固定していた拘束具が外側へ弾け飛んだ。

 

 「そんなはずない」

 

 ナオコが立ち上がる。

 

 「電源遮断! 全系統を落として!」

 

 外部電源が切断される。

 

 それでもA.T.フィールドは消えなかった。

 

 三号機を囲む整備足場が、目に見えない壁に押されて歪んだ。固定ボルトが一本ずつ抜け、金属片が制御室側の隔壁へ突き刺さる。

 

 「第一拘束具、破断!」

 

 「第二、第三も荷重限界を超えます!」

 

 物理式の楔が軋み、黒い機体の肩が持ち上がった。

 

 電源がない以上、ダミーシステムだけでこれほどの力を出せるはずがない。

 

 ダミーシステムは命令へ応答していない。

 

 その疑似的な魂の信号へ潜んでいた別の意思が、代わりに応えたのだ。

 

 三号機の装甲を黒い血管が走る。その姿は、第二支部消失の直前に記録された映像と同じだった。

 

 「そういう事……あの揺らぎは異常を隠した雑音なんかじゃない。ダミーシステムが作る魂の反応に、最初から別の存在が自分を重ねていたのよ!」

 

 ナオコはようやく全てを理解した。検査装置は二つの信号を別々のものと認識できず、一つの正常な疑似反応として読み続けていたのだ。

 

 無人のエントリープラグを抱えたまま、巨人が自ら顔を上げた。

 

 「使徒反応を確認!」

 

 マヤの声が発令所へ響く。

 

 「パターン青! 三号機を第十三使徒と認定します!」

 

 松代では最後の拘束具が引き千切られた。

 

 三号機は立ち上がらなかった。両腕を床へつき、獣のような姿勢で格納庫の壁へ突進する。

 

 追加された防爆隔壁が一枚目の衝突で窪み、二度目で中央から割れた。

 

 技術員達は避難通路へ走る。最後まで制御盤へ残っていた責任者を、若い職員が腕を掴んで引きずった。その背後で天井が崩れ、通路を塞ぐ。

 

 事前に人員を減らしていたことが、ここで初めて意味を持った。

 

 ゲンドウは目を閉じることなく、真っ先に確認しなければならない事を問いかける。

 

 「搭乗者はどうなっている」

 

 「いません。エントリープラグ内、生命反応なし!」

 

 その報告を聞き、シンジは大きく息を吐いた。トウジは隣の待機室にいる。今回は三号機の中ではなく、確かに無事なままここにいるのだ。

 

 「三機を出撃させろ」

 

 ゲンドウが命じる。

 

 「目標の行動不能化を優先。コアは可能な限り保全する。ただし、侵食が他機へ及ぶ場合は機体の回収を放棄しろ」

 

 ミサトが続ける。

 

 「機体より、あなた達の方が高い。危険なら捨てて退いて」

 

――

 

 発進口へ向かう途中、トウジが三人を追ってきた。

 

 「ワシも何か――」

 

 「今のあなたにできるのは、ここで待つことよ」

 

 ミサトに止められ、トウジは歯を食いしばる。

 

 自分の機体が暴れている。それでも訓練も搭乗機もない自分には、何もできない。

 

 「取り戻してくる」

 

 シンジが言った。

 

 「戻ったら、四人で訓練できるようにする」

 

 レイも続ける。

 

 アスカは鼻を鳴らした。

 

 「あんたが乗る前に壊されたら、私が勝ったことにならないでしょう」

 

 扉が閉じ、三人は発進口へ走った。

 

――

 

 三号機は松代の隔離施設を破壊し、山間部へ出ていた。

 

 人間の関節では不可能な角度に四肢を折り曲げ、崖を這うように進む。装甲の隙間から伸びた黒い組織が地面へ突き刺さるたび、その巨体は生物らしからぬ動きで跳ね上がった。

 

 「目標の進路、第三新東京市から逸れています!」

 

 「予定通りね。誘導車両はそのまま迎撃区域まで走らせて」

 

 それは決して偶然ではない。ミサトが事前に配置した無人誘導車両と音響装置が、三号機を人のいない谷へと引き寄せているのだ。使徒が何を目指しているかまでは分からないが、少なくとも光と振動に反応する限り、その進路を曲げることはできる。

 

 山腹に設置された無人砲台が一斉に発砲する。

 

 弾頭は三号機へ届く直前、半球状のA.T.フィールドへ衝突して砕けた。爆炎が壁の表面を滑り、黒い巨体の輪郭を浮かび上がらせる。

 

 三号機は砲台へ顔を向けた。

 

 口を開くことも、声を上げることもない。代わりに伸びた右腕が数百メートル離れた斜面を横薙ぎにし、砲台と林をまとめて削り取ると、地面には深い溝だけが残された。

 

 「目標、第一迎撃線を通過。予想到達まで百二十秒」

 

 日向が地形図へ三機の進路を重ねる。

 

 「弐号機を先行。零号機は東側高地へ。初号機は中央でA.T.フィールド中和に備えて」

 

 ミサトの命令が、それぞれのエントリープラグへ届く。

 

 「了解!」

 

 アスカの返答と同時に、弐号機が山腹の射出台から跳んだ。

 

 零号機はパレットライフルと拘束索射出器を装備して別の尾根へ上がる。初号機はカウンターソードを背部へ固定し、プログレッシブ・ナイフを肩部ラックへ収めたまま谷の中央へ進んだ。

 

 通常の使徒ならばコアを狙えばよい。しかし今回は、三号機のコアを残さなければならない。使徒だけを殺し、エヴァを取り返す。それは成功例のない手術を戦場で行うようなものであり、三人の中で最も経験豊富なアスカでさえ、簡単な戦いではないと理解していた。

 

 「使徒だけ切り取って機体は残せ、ね。随分と無茶な注文してくれるじゃない」

 

 「できない?」

 

 ミサトの問いかけに、アスカは不敵に笑う。

 

 「誰に言ってるのよ。やってみせるわ」

 

 最初に接触したのは弐号機だった。

 

 「こっちよ、出来損ない!」

 

 アスカは斜面を横切り、三号機の注意を都市部から逸らす。

 

 三号機の腕が伸びた。骨格の限界を越え、鞭のように弐号機の頭部へ襲いかかる。

 

 弐号機は身を沈めて回避。背後から零号機が拘束索を撃ち込み、三号機の右脚へ巻きつける。

 

 アスカは地面へ片手をつき、そのまま脚を払った。

 

 弐号機の踵が三号機の左腕へ食い込む。装甲がひしゃげたが、関節は折れない。内部の黒い組織が骨の代わりに腕を支え、逆方向へ曲がったまま弐号機の足首を掴んだ。

 

 「気持ち悪い動きしないでよ!」

 

 アスカは足首の装甲を一部排除し、掴まれた外装だけを残して離脱する。

 

 三号機の指に付着した赤い装甲片へ、黒い筋が広がった。

 

 切り離さなければ、そこから弐号機本体へ侵食されていた。

 

 黒い組織が索を逆流した。

 

 「レイ、索を切って!」

 

 ミサトの命令が届くより早く、レイは既に接続を解除していた。侵食された索を捨て、零号機を後退させる。

 

 「切断しました。でも、少し遅かったみたい」

 

 それでも黒い筋が左腕装甲へ届いていた。

 

 「腕部神経回路を切り離して!」

 

 ナオコが叫ぶ。

 

 レイは緊急遮断を実行した。零号機の左腕が力を失い、黒い組織も肩口の手前で止まる。

 

 しかし、完全には止まっていない。

 

 零号機の左腕内部で、侵食された神経回路が勝手に収縮した。パイロットとの接続を切られた腕が、自ら指を曲げる。

 

 「腕部を物理分離!」

 

 リツコの命令で、肩部の爆砕ボルトが作動した。

 

 零号機の左腕が地面へ落ちる。

 

 切断面から伸びた黒い糸が本体へ戻ろうとしたが、レイは後退しながらパレットライフルを撃った。三発が落ちた腕を貫き、侵食組織ごと地面へ縫い止める。

 

 「左腕、完全分離。パイロットへの侵食反応なし」

 

 マヤの報告に、リツコは胸の奥で息を吐いた。

 

 画面の前では平静を保つ。だが、レイの腕を掴みかけた黒い筋が、幼い頃から知る少女の身体へ伸びたように見えていた。

 

 「レイ!」

 

 「私は大丈夫。続けられる」

 

 レイは自分の左腕を一度握った。

 

 痺れはあるが動く。痛みも感じる。零号機の腕が切り離された時の感覚が残っているだけで、自分の身体には異常がない。

 

 怖くないわけではない。むしろ帰りたい場所ができたからこそ、侵食され、自分でなくなってしまうことが以前よりも怖かった。だからこそ、その恐怖を無視して無茶をするのではなく、今の自分にできる範囲を選ぶ。

 

 「右腕とA.T.フィールドは使える。後方支援へ移るわ」

 

 無理に前へ出るとは言わない。

 

 ミサトも頷いた。

 

 「零号機は距離を維持。弐号機の進路を作って」

 

 ミサトは三号機の回収条件を引き下げた。

 

 「四肢の破壊を許可! 侵食の拡大を最優先で止めて!」

 

 初号機が正面からA.T.フィールドを展開する。

 

 三号機の壁と衝突し、空気が白く割れた。

 

 二つの壁が押し合い、谷の両側から岩が崩れる。

 

 初号機の足が地面へ沈んだ。

 

 三号機にはパイロットがいない。それでもA.T.フィールドの強度は、有人機である初号機と拮抗している。

 

 第十三使徒自身が意志を持ち、三号機を自分の身体として扱っているためだった。

 

 「中和率、四十八……五十一!」

 

 「まだ足りない。シンジ君、もう少し押して!」

 

 ミサトの声に、シンジは力を込める。

 

 初号機の壁が半歩前へ進む。

 

 三号機のA.T.フィールドに亀裂が走った。

 

 その亀裂を通して、零号機の銃弾が三号機の足元へ着弾する。土煙が上がり、三号機の視界が塞がれた。

 

 弐号機が煙の内側へ飛び込む。

 

 アスカは両手の短刀を交差させ、三号機の伸びた右腕を肘から切断した。

 

 地面へ落ちた腕が、切り離された後も蛇のように跳ねる。

 

 「切った腕も動いてる!」

 

 「使徒組織が残っている限り、機体から離れても活動可能よ。接触しないで!」

 

 ナオコが警告する。

 

 アスカは短刀を投げ、腕を斜面へ固定した。後方の無人処理車両が耐熱隔離殻を展開し、動き続ける腕を外側から覆う。

 

 「一つ確保!」

 

 「喜ぶのは全部終わってから!」

 

 ミサトに返され、アスカは舌打ちしながら三号機の反撃を避けた。

 

 シンジは操縦桿を強く握り直す。トウジは中にいない。目の前にいるのはトウジではなく、その機体を奪った使徒だ。それでも、これはトウジが自分の意思で乗ると決めた機体なのだから、できることなら壊したくはない。

 

 「返してもらうよ。これは、お前のものじゃない!」

 

 壊さずに済ませるためにも、奪ったものから必ず取り返す。その決意とともに初号機が踏み込んだ。

 

 「アスカ、右へ!」

 

 弐号機が三号機の視界を引きつける。零号機が残った右腕で脚部へ射撃し、膝関節を砕いた。

 

 弾丸は装甲を貫くだけでは足りない。内部の侵食組織が砕けた関節を繋ぎ直そうとする。

 

 レイは同じ場所へ弾を重ねた。

 

 一発目で装甲を開き、二発目で再生中の組織を断ち、三発目で膝裏の駆動束を破壊する。

 

 精密射撃を受け、三号機の左脚がようやく体重を支えられなくなった。

 

 三号機が崩れた瞬間、初号機は背後へ回る。

 

 後頭部から脊椎上部へ、黒い組織が集中している。

 

 ナオコが解析結果を送った。

 

 「第十三使徒はダミーシステムを介して全身へ命令を送っている! 接続束を切れば、機体制御を分断できる!」

 

 三号機の首が一回転し、初号機を見る。

 

 伸びた両腕が初号機の頭部と胸部を掴んだ。

 

 装甲が軋む。

 

 三号機の指が初号機の胸部装甲へ食い込み、その隙間から黒い糸が伸びる。

 

 侵食警報がプラグ内へ鳴り響いた。

 

 「胸部第三装甲まで侵入! 神経回路への到達まで十七秒!」

 

 シンジの視界に、黒い筋が自分の腕へ這い上がる幻覚が重なった。第十二使徒の中で見た暗闇とは違い、これは外から自分の中へと入り込み、自分と初号機の境界そのものを奪おうとしている。

 

 「嫌だ……入ってくるな!」

 

 振り払おうとしても、恐怖で指が固まり操縦桿が動かない。

 

 「シンジ!」

 

 父の声が回線へ入った。

 

 短く名前を呼んだだけだったが、ゲンドウの脳裏には、前世界のこの場所で自分が何をしたのかが鮮明に蘇っていた。息子の拒絶を無視してダミープラグへ切り替え、トウジの乗った三号機を初号機の手で破壊させたのだ。

 

 今、トウジは中におらず、シンジも自分の意志で戦っている。それでも胸部へ侵食が迫る初号機を見れば、命令によって全てを息子から奪い取ろうとする衝動が蘇る。

 

 「司令、初号機の操作系をこちらへ移しますか?」

 

 オペレーターの問いかけに、ゲンドウは僅かな沈黙の後で首を振った。

 

 「必要ない。シンジに任せる」

 

 今度こそ息子を信じると決めたのだ。その決断だけは、再び恐怖に奪わせるわけにはいかなかった。

 

 シンジは、父が自分の帰りを待っていることを知っている。

 

 「大丈夫。帰るから」

 

 「……ああ」

 

 ゲンドウの返答は、発令所の誰にも聞き取れないほど小さかった。

 

 初号機は片腕を振りほどくと、プログレッシブ・ナイフを逆手に持った。そして残る腕に掴まれたまま、逃げるどころか三号機との距離を自分から詰めていく。

 

 「シンジ君、何をするつもり!?」

 

 「この距離じゃないと、後ろの一点を正確に狙えません!」

 

 胸部へ入りかけた黒い糸は二機の装甲に挟まれて動きを止めたが、接触時間が増えればそれだけ侵食の危険も増す。それでも、機体を残して後頭部の接続束だけを狙うには、この方法しかなかった。

 

 刃を三号機の後頭部へ突き立てる。

 

 一度では足りない。

 

 二度目で装甲が裂け、三度目に神経接続束が露出した。

 

 黒い組織が初号機の腕へ絡みつく。

 

 弐号機が横から切り払い、零号機がA.T.フィールドを重ねて侵食の進路を塞ぐ。

 

 アスカの刃が初号機の装甲すれすれを通り、黒い組織だけを切断した。

 

 「動かないでよ、バカシンジ!」

 

 「無茶言わないで!」

 

 言い返す声に力が戻る。

 

 零号機は片腕でA.T.フィールドを集中させ、切断された組織を三号機側へ押し返した。レイの額へ汗が浮かぶ。片腕を失った零号機では姿勢を保つだけでも負荷が大きい。

 

 「もう持たない」

 

 「十分よ!」

 

 「今よ、シンジ!」

 

 初号機が接続束を断ち切った。

 

 三号機の四肢から同時に力が抜け、伸びていた左腕が縮むと、初号機を掴んでいた指も力なく開いていった。胸部へ侵入しかけた黒い糸も動きを失う。

 

 「やった!機体制御の分断に成功!」

 

 マヤの声に発令所の空気が僅かに緩むが、ナオコだけはモニターに残る反応を見て叫んだ。

 

 「まだよ!使徒反応が消えていない!」

 

 だが、使徒反応は消えない。

 

 第十三使徒は機体を捨てなかった。黒い組織をコア周辺へ集め、最後の抵抗を続ける。

 

 三機は力を失った三号機を地面へ押さえ込む。ここから先は戦闘というよりも、使徒に侵された部分だけを取り除く解体作業に近かった。

 

 零号機がA.T.フィールドを狭い範囲へ集中し、コア周辺から侵食組織が広がるのを止める。弐号機は解析図に従い、汚染された外部装甲を一枚ずつ剥がした。

 

 切除された装甲は地面へ落とさない。初号機が一片ずつ掴み、後方から接近した無人処理車両の耐熱隔離殻へ入れる。

 

 隔離殻の中でも黒い組織は動き続けた。

 

 殻が閉じられ、内部へ高熱が流し込まれる。耐熱カメラの映像で、組織が縮み、炭化し、それでも再生しようと蠢く姿が映った。

 

 「処理温度を上げて。生体反応が完全に止まるまで開けないで」

 

 ナオコが命じる。

 

 問題は、コアのすぐ外側に残った組織だった。

 

 ここで刃を深く入れ過ぎれば、三号機そのものを失う。

 

 シンジはプログレッシブ・ナイフの出力を下げた。最大振動ではなく、装甲と侵食組織の境界を確かめながら、薄く削ぐ。

 

 刃が黒い組織へ触れるたび、細胞同士の結合が高振動で断たれ、泥のように崩れた。

 

 アスカが隣から境界を示す。

 

 「そこから内側はコアよ。左へ三十センチ」

 

 レイは使徒反応の強度を読み上げる。

 

 「まだ残っている。下側。さっきより弱いけど、動いているわ」

 

 シンジは二人の声だけを聞き、刃を進めた。

 

 黒い組織が最後の抵抗としてナイフへ絡みつく。

 

 初号機の手首に侵食警報が出るより早く、シンジはナイフごと切り離した。予備の刃を展開し、露出した組織を根元から断つ。

 

 弐号機が切除片を隔離殻へ蹴り込み、零号機がA.T.フィールドで蓋を押さえた。

 

 高熱処理が始まる。

 

 三号機内に残る使徒反応が波のように上下し、一度は消えかけたものの、再び僅かに数値を戻した。

 

 「まだ生きてるっていうの……しつこいわね」

 

 アスカが息を切らしながら呟くが、誰も殲滅を宣言しない。ゲンドウもミサトも、そして三人のパイロットも、祈るような気持ちで画面を見続けた。

 

 やがて最後の反応が細くなり、基準値の下へと落ちていく。それから一分が経過しても再生はなく、さらに一分を待っても、隔離殻の内部と三号機のコア周辺は沈黙を保ったままだった。

 

 「パターン青、消失」

 

 マヤが息を呑む。

 

 「第十三使徒、殲滅を確認しました」

 

 三号機は、三機の腕の中で沈黙した。

 

――

 

 戦闘後に回収された三号機は中破と判定された。後頭部から脊椎上部にかけての神経接続系は大破し、両腕と片脚、外部装甲の広い範囲も交換が必要となったが、コアとエントリープラグ区画、そして基礎骨格は残っている。

 

 「これなら時間はかかりますが、修理そのものは可能です」

 

 「その前に、本当に使徒が残っていないと証明する必要があるわ」

 

 リツコの言葉通り、三号機はそのまま本部へ運び込まれることはなかった。

 

 松代近郊の仮設隔離区画へ固定され、初めの七十二時間は無人機だけで検査を行う。回収に使用した輸送台、固定具、作業車両もすべて同じ区画へ封鎖された。

 

 戦闘で切除された部材は一つずつ番号を付けられ、耐熱容器のまま別室へ運ばれる。高熱処理を終えた侵食組織も、灰になったから安全とは判断されなかった。生体反応、A.T.フィールド反応、再生反応の三つがすべて消失した状態を維持するまで、容器は開封されない。

 

 零号機から分離した左腕も同様だった。

 

 三号機から逆流した組織は肩部より先へ到達していない。レイ本人への侵食も、零号機のコアへの汚染も確認されなかった。それでもリツコは、検査結果を三度照合するまでレイを医療区画から出そうとしなかった。

 

 「もう大丈夫だと言われたわ」

 

 「言ったのは検査担当でしょう。最終判断は私がするの」

 

 「リッちゃんが検査担当を決めたのに」

 

 「それとこれは別よ」

 

 レイは困ったように笑い、四度目の採血へ腕を差し出した。

 

 自分を心配しているから帰さないのだと、今のレイには分かっている。心配し過ぎだと思いながらも、その心配を拒絶したくなかった。

 

 アスカは軽い打撲と擦過傷だけで済んだ。診察を終えると、自分が先に三号機の腕を落としたから作戦が成功したのだと主張した。

 

 シンジは反論せず、そうかもしれないと答えた。

 

 その素直さが気に入らなかったのか、アスカは逆に黙り込んだ。

 

 シンジの胸には、初号機へ侵食が迫った時の感覚が未だに残っている。皮膚の下へ黒い糸が入ってくるような錯覚に何度も襲われ、検査中も無意識に胸元を押さえていた。

 

 しかし同時に、父から名前を呼ばれた時の声も覚えている。戻れとも戦えとも命令せず、ただ自分の名前だけを呼んだあの声で、シンジは自分にも帰る場所があることを思い出せたのだ。

 

――

 

 「廃棄を推奨します」

 

 技術部の報告へ、ゲンドウは首を振った。

 

 「長期隔離検査へ回せ。使徒反応の完全消失を確認後、修復計画を提出しろ」

 

 汚染されたダミーシステムは物理的に除去され、保全した原型データから作り直すことになった。

 

 ただし、除去は記録の削除だけでは済まない。

 

 疑似信号を生成していた記憶媒体、コアとの接続端子、周辺の神経回路まで一体として切り取り、焼却する必要がある。どこまでがダミーシステムで、どこからが第十三使徒だったのかを、完全には区別できないためである。

 

 ナオコは、汚染前に本部で保管していた原型データと、同じものを二度と使わないよう求めた。

 

 「構造が同じなら、同じ弱点も残るわ」

 

 「魂の代替という基本原理は変えられん」

 

 ゲンドウが答える。

 

 「分かっているわ。でも、使徒の信号を正常な揺らぎとして取り込んだ判定系は作り直す。次は、疑似信号が僅かでも二重化した時点で停止させる」

 

 「完成までの期間は」

 

 「三号機の修理より先には終わる。ただ、今度は完成したと言う前に、もっと意地の悪い試験をするわ」

 

 ナオコの言葉へ、ゲンドウは頷いた。

 

 ゲンドウは、ダミーシステムを作ったこと自体が間違いだったとは考えていない。誰かの魂をコアへ閉じ込めずにエヴァを動かすという目的を捨てれば、結局は別の人間を犠牲にするしかなくなるからだ。

 

 だが、人道的な仕組みを選んだからといって、それだけで安全になるわけではなかった。偽物の魂を作った結果、その空白へ使徒が入り込んだのだから、誰かを救おうとした選択にもまた責任は生じる。

 

 修理はすぐには始められない。初号機と弐号機の稼働維持、損傷した零号機の復旧が先である。三号機は汚染検査が終わった後、制式機として改めて優先度を判断される。

 

 それでも廃棄はされなかった。

 

 「鈴原君の登録はどうしますか」

 

 リツコが尋ねる。

 

 「維持する」

 

 ゲンドウは即答した。

 

 「三号機が使えない間も、基礎訓練と適性検査を継続させろ。本人が辞退を望むなら、改めて受理する」

 

 機体を失ったからといって少年の選択まで無かったことにはしない。同時に、一度書類へ署名したからという理由だけで、永遠に縛りつけるつもりもなかった。

 

 リツコはその命令を記録しながら、以前のゲンドウならば「代替機がない候補者」へここまで言葉を割いただろうかと考えた。

 

――

 

 帰還した三人を、トウジが発令所の前で待っていた。

 

 「ごめん。かなり壊しちゃった」

 

 シンジが言う。

 

 トウジは、三人の顔を順番に見た。

 

 レイの腕には零号機の損傷による軽い痛みが残り、アスカの頬にも小さな擦り傷がある。シンジの手はまだ震えていた。

 

 アスカは、その手が動いていることを確かめてから視線を逸らした。三号機へ呑まれかけたシンジを連れ戻せたことが嬉しい。そのために自分とレイが力を貸し、三人で自然に動けたことにも、悪くないと思える程度の満足はあった。

 

 だが同時に、最後に三号機へ踏み込み、届かなかったものへ手を伸ばしたのはシンジだった。その背中を頼もしいと思った直後に、置いていかれるような焦りが込み上げる。友達なら無事を喜べばよい。仲間なら成長を認めればよい。それだけで済ませられない自分が、アスカにはひどく醜く思えた。

 

「ワシが乗っとらん機体より、お前らが帰ってきた方が大事やろ」

 

 そう答えてから、回収映像に映る三号機を見る。

 

 一度も乗っていないとはいえ、それでも自分で乗ると決めた機体だった。無残に傷ついた姿を見れば何も感じないはずはないが、目の前の三人が無事に帰って来たことに比べれば、そんなものは些細なことだと思えた。

 

 「直すって、父さんが言ってた」

 

 シンジが続ける。

 

 「なら、直った時に乗れるよう、訓練しとかんとな」

 

 「その前に、基礎からよ」

 

 アスカが言う。

 

 レイも頷いた。

 

 「三号機がなくても、できる訓練はある。今度は四人で」

 

 トウジの登録は取り消されなかった。

 

 こうしてトウジは実機を持たない四人目のチルドレンとして、これからもネルフへ通うこととなった。

 

 翌日、トウジは普段どおり学校へ来た。

 

 普段どおりに見せるため、いつもより大きな声で挨拶をした。そのせいで、かえってケンスケに怪しまれた。

 

 「昨日、またネルフの車に乗ってただろ」

 

 「健康診断の続きや」

 

 「この前もそう言ってなかったか?」

 

 「経過観察や。サクラの付き添いで病院にも行っとるから、念のためやと」

 

 用意していた言い訳を並べると、ケンスケは目を細めた。

 

 信じてはいない。

 

 ただ、トウジが話したくないことまで無理に聞くつもりもないらしい。

 

 「まあいい。何か面白いものを見たら、俺にも教えろよ」

 

 「機密やったら無理や」

 

 答えた後で、トウジは余計なことを言ったと気づいた。

 

 ケンスケの目が光る。

 

 「機密なんだな?」

 

 「例え話や!」

 

 二人のやり取りを聞き、シンジは苦笑した。

 

 このままケンスケに隠し通すことは難しいかもしれない。それでも、トウジが約束を守ろうとしている限り、自分から明かすことだけはしないとシンジは決めていた。

 

 レイも事情を知っているが、会話へ口を挟まず教科書を開いていた。目が合うと、少しだけ笑う。

 

 アスカはトウジを見て、訓練に遅れるなと口だけで伝えた。

 

 四人の間には、昨日までなかった秘密が増えた。

 

 しかしそれは、誰かを遠ざけるための秘密ではない。

 

 今はまだ話せないだけで、いずれ形を持って現れるものだった。

 

――

 

 夜、トウジはサクラの待つ家へ帰った。

 

 居間のテレビでは、松代郊外にある実験施設の事故が繰り返し報じられていた。

 

 画面に映っているのは、山間部から立ち上る煙と、封鎖された道路を行き交うネルフの車両だけである。事故を起こしたのはネルフ所有の大型実験機材。施設の一部が損壊したものの、市街地への影響はない。原因と被害状況は調査中――読み上げられる情報は、それ以上増えなかった。

 

 サクラはテレビの前へ座り、同じ映像が流れるたびに音量を上げていた。今日は兄がネルフで試験を受ける日だった。何へ乗るのかも、どこで行われるのかも詳しく聞かされていない。それでも画面の隅に松代という文字が出た時から、別の事故だと思うことはできなかった。

 

 玄関の鍵が回る音を聞き、サクラはリモコンを放り出して立ち上がった。

 

 「乗ったん?」

 

 扉を開けたトウジへ、ただいまを言う隙も与えず尋ねる。

 

 「乗っとらん。無事や」

 

 サクラは大きく息を吐いた。

 

 「ほな、もう乗らんでええの?」

 

 「機体は壊れた。でも直すらしい」

 

 露骨に嫌そうな顔をされ、トウジは苦笑した。

 

 「暫くは訓練だけや。医者の勉強も続ける」

 

 サクラの鞄で、木彫りの芽が揺れている。

 

 丈夫に育つために必要なのは、ただ傷つかないことだけではない。傷ついた後にも、もう一度立ち上がれること。

 

 三号機にも、そして自分にも、そのための時間が与えられたのだ。

 

――

 

 深夜のネルフ本部で、ゲンドウは二枚の計画書を並べていた。

 

 一枚は、隔離検査へ回された三号機の修復計画。

 

 もう一枚は、汚染が一切確認されなかった四号機の建造継続計画。

 

 前世界で失われた四号機は残った。

 

 トウジを傷つけた三号機も、少年を乗せる前に止められた。

 

 確かに未来は変わった。しかし、二機が残ったことが本当に救いとなるのかは、まだ誰にも分からない。

 

 机の端で、端末が鳴る。

 

 シンジからの短いメッセージだった。

 

 『まだ本部? 食事はした?』

 

 ゲンドウは暫く画面を見つめた後、慣れない手つきで返事を入力した。

 

 『食べた。明日は帰る』

 

 送信してから、三号機の計画書を閉じる。

 

 帰る場所を守るために戦った者達は、全員無事に帰ってきた。

 

 ならば今度は、自分が息子の待つ場所へ帰る番だった。

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