使用経緯については活動報告にあげさせていただきましたので、そちらを確認していただけると幸いです。
ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。
初号機の胸部装甲は、ほとんど取り払われていた。
拘束具を兼ねた紫色の装甲板が外され、独立電源で動く受動型の測定端子が、露出した肉体の表面へ置かれている。初号機の神経接続系と起動系統は、封印措置によって本部設備から切り離されたままだった。その中央で、赤いコアだけが照明を鈍く返していた。
第十四使徒との戦闘中、初号機は人の理解を越えたものへ変わった。形状制御の限界を越え、本来なら肉体を維持できない状態にありながらその姿を保ち、失った左腕の代わりに光を集めて物質として形作り、使徒のコアさえ光へ変えて消滅させた。
ところが、機能停止後の組成は覚醒以前のものへ戻っている。あれほどの現象を引き起こした痕跡は何処にもなく、左腕だけが失われたまま残されていた。
現在の初号機をいくら調べても、観測された現象へ至る仕組みは見つからない。あの時だけ、別の法則が機体を支配していたとでも考えなければ、数値の辻褄が合わなかった。
作業床では、ナオコとリツコが解析結果を見上げていた。
「再構成後の組成に異常はありません」
リツコが端末を操作する。
「覚醒以前の記録との差異は、欠損した左腕と戦闘損傷だけです。ですが、戦闘中に観測された質量変動を当てはめると、現在の機体は同じ初号機とは思えません」
「思えない、じゃなくて、説明できないのよ」
ナオコは赤い波形を拡大した。
再起動直前まで、エントリープラグ内の記録は残っている。活動限界を迎えて初号機が沈黙し、シンジが叫んだその直後、記録計の針は上限へ張りついた。音声も映像も意味を持たない白い乱れへ変わり、内部で何が起きたのかを知る手掛かりにはならない。
残されたのは、シンジの意思と初号機の挙動が、ほとんど遅延なく重なったという外部記録だけだった。
「今までの暴走とは違う」
ナオコは言った。
「初号機が碇シンジを守ったんじゃない。碇シンジが初号機を動かした。少なくとも、そう考えた方が観測結果には近いわ」
「ですが、証明はできません」
「だから調べるのよ」
短い返事だったが、その声音に、リツコは以前にはなかった硬さを感じた。研究者として未知を解き明かそうとしている。それだけならば、ナオコは昔から変わらない。だが今は、その先に、初号機の中へ拡散した碇シンジをもう一度人の形へ戻す方法を見ている。
その方法を見つければ、ゲンドウはこちらを見るかもしれない。
そこまで考えた自分を、リツコは嫌悪した。母の胸の内を勝手に決めつけたくはない。けれどサルベージ失敗後、ナオコがゲンドウの姿を探す回数が増えたことにも気づいていた。
足音が作業床へ響いた。
ゲンドウが、冬月を伴って入ってくる。
「解析状況を報告しろ」
リツコが結果を説明した。覚醒中と停止後の組成不一致。記録装置の飽和。シンジの構成情報が機体全体へ拡散している可能性。そして、現段階では再サルベージの成功率を算出できないこと。
「サルベージ計画の凍結を継続する」
ゲンドウは告げた。
「初号機も引き続き封印指定とする。解析は非侵襲のものに限定しろ」
「でも、時間を置けば情報が失われる可能性があるわ」
ナオコが一歩進み出た。
「次は受け止める器を用意できる。前回は初号機から引き剥がすことしか考えていなかった。今度は――」
「許可しない」
「ゲンドウ」
「これは決定だ、ナオコ博士」
名を呼ばれても、そこにナオコが望んだ温度はなかった。
ゲンドウは踵を返しかけた。だが、初号機のコアを見上げ、足を止める。
「先に戻っていてくれ」
冬月は何も言わず、赤城親子を促した。
最後まで残ろうとしたナオコも、リツコに腕を引かれて作業床を離れる。重い隔壁が閉じると、巨大なケイジにはゲンドウと初号機だけが残された。
ゲンドウは仮設足場を進んだ。剥き出しになったコアは、近くで見ると岩石にも磨かれたガラスにも見えない。生き物の臓器でありながら、呼吸も脈動も感じられなかった。
手袋を外し、掌を触れさせる。表面は微かに温かかった。
シンジの身体は、もうどこにもない。それでも、プラグ内にいた彼の構成情報は初号機へ溶け、機体全体へ広がったと推測されている。この赤い球体の中にも息子だったものが残っているのかもしれないと思うと、ゲンドウは子供の頭へ触れるような手つきでコアをなでていた。
幼いシンジへ、こんなふうに触れた記憶はほとんどない。熱を出した額に手を置いたこと。眠っている息子を抱き上げたこと。どれも前の世界の記憶と、この世界で過ごした時間とが重なり、どちらの自分のものか分からなくなっていた。
「……ここにいるのか」
当然、返事はない。
補完計画を完遂すれば失われた境界はなくなり、シンジへ届くことができるかもしれない。だが、それはシンジが初めて自分を好きになれたと言った、この世界そのものを奪うことでもあった。
ゲンドウの手は、しばらくコアから離れなかった。
――
第四号機の起動試験は、予定より二日遅れて始まった。
白い機体は搬入後の検査を終え、日本支部の設備へ合わせた調整を受けている。米国支部消滅後、その爆心地から第三号機と共に回収された機体だったが、第四号機から使徒による汚染は一切検出されなかった。
問題は、搭乗者を受け入れるための仕組みにあった。第四号機には、人間の魂をコアへ定着させる代わりに、そこに魂が存在すると機体へ誤認させるダミーシステムが組み込まれている。単独では遠隔操作による簡単な動作しか行えず、ATフィールドも展開できないため、実戦で本来の能力を引き出すには人間が乗らなければならなかった。
基準となるパターンには、最も適性の高かったトウジのものが使われている。しかし、零号機、初号機、弐号機で蓄積されたシンクロデータとパーソナルパターンを利用すれば、他のチルドレンでも実用域まで調整することはできる。
零号機は修復中、初号機は封印、そして弐号機はアスカの専用機である。そのため、第四号機の暫定搭乗者にはレイが選ばれた。
ケイジへ入ったレイは、白い巨人を見上げた。
零号機よりも装甲の線が整っている。試作機特有の剥き出しの部分も少なく、完成された兵器として作られたことが、何も知らないレイにも分かった。
「どう、レイ」
隣でリツコが尋ねる。
「きれいだと思う」
レイは少し迷ってから、言葉を足した。
「でも……まだ、知らない人みたい」
「機体なのに?」
「うん。零号機は、もう少し機嫌が分かったから」
リツコは僅かに笑った。
「これから知っていけばいいわ。向こうにも、あなたを知る時間が必要だから」
「そういうものなの、リッちゃん」
「少なくとも、エヴァはね」
レイは納得したような、していないような顔でうなずいた。
プラグスーツへ着替え、第四号機のエントリープラグへ向かう。その途中、連絡橋を半ばまで進んだところで、レイは足を止めた。通路の先は初号機の封鎖区画へも続いているが、厚い隔壁の向こうを見ることはできない。
それでも誰かに見送られているような気がして、一度だけ振り返った。
「行ってくるね、碇君」
小さく言い、今度は振り返らずに歩き出した。
――
第四号機の試験と並行して、弐号機の定期起動試験も行われていた。
第十四使徒の襲来からは、既に相応の時間が経過している。弐号機も両腕と胸部装甲に大きな損傷を受けたが、零号機や第三号機と比較すれば機体中枢の損傷は軽く、初号機は機体そのものが封印されていた。実戦能力の高さも考慮され、弐号機の修復には優先して人員と資材が回されていた。
交換された両腕と胸部装甲は、既に起動試験へ耐えられる状態にある。外装の細かな調整は残っていたが、神経接続系に異常がないことを確かめれば、再び実戦へ投入できるはずだった。
アスカはエントリープラグの中で目を閉じ、呼吸を整えた。
「接続開始。主電源、異常なし」
作業員の声が通信機から流れる。
視界が開き、弐号機の感覚が自分の身体へ重なる。指先。脚。背中。以前なら意識する必要もなかった接続が、その日は薄い布を一枚挟んだように遠かった。
「シンクロ率、基準値を突破。起動可能域です」
表示された数値を見て、アスカは眉を寄せた。前回より僅かに下がっているが、誤差として処理できる範囲だった。担当者も問題なしと判断し、次の検査項目へ進もうとする。
「待って。もう一度やるわ」
「セカンド、現在の数値に運用上の問題はありません」
「聞こえなかった? 再計測して」
接続が一度切られ、最初からやり直される。アスカは姿勢を直し、余計な力を抜くと、呼吸の周期を弐号機へ合わせた。
今度こそ戻る。そう思った瞬間、初号機が立ち上がる光景が脳裏をよぎった。使徒を圧倒した、神聖ですらあった姿。その中にはシンジがいた。
計測値が揺れ、先ほどよりも更に僅かに低い数値を示した。
「設備側に異常は?」
「認められません。身体的な疲労か、戦闘後の精神的負荷による一時的な変動と思われます」
「もう治ってるわよ、そんなもの」
声が鋭くなった。使徒に負けた傷は塞がっている。停止した弐号機から這い出した時についた擦り傷も、もう残っていない。それなら、いったい何が治っていないというのか。
別の試験区画では、第四号機の接続が始まっていた。
初回としては安定した数値が表示される。ダミーシステムの基準はトウジだが、レイの過去のデータを用いた補正が正常に機能していた。
表示欄の片隅に、参照データとして初号機搭乗者の識別番号が流れる。
シンジはここにいない。それでも残した数字だけが別の機体の中で生き続け、自分の背中へ追いつこうとしている。
「くだらない」
アスカは呟いた。
何がくだらないのか、自分でも分からなかった。
――
第三号機の修復区画には、溶接の白い光が明滅していた。
使徒との戦闘で損傷した装甲は大半が交換され、機体は既に人の形を取り戻している。だが、脊椎部の神経接続系と内部配線には損傷が残り、起動試験へ進める段階ではない。
トウジは見学窓越しに黒い機体を眺めていた。自分が乗るはずでありながら、一度もまともに乗らないまま使徒となって襲いかかってきた機体である。
それでも第三号機は修理されている。エヴァは高価で、使えるものを捨てる余裕はない。初号機が封印され、零号機が修復中である今なら、以前より優先順位も上がっていた。
「鈴原、始めるぞ」
教官に呼ばれ、トウジはシミュレーターへ入った。
画面の中だけで第三号機を動かす。歩行、姿勢制御、武装選択、緊急時のプラグ排出。何度も繰り返した操作を、今日も同じように行う。
以前は訓練が終わればシンジと話すことができた。どこが難しいのか、戦闘中に何を見ればいいのか、怖い時にはどうやって手を動かすのか。
シンジはうまく説明できず、困ったように笑った。それでも最後には、自分なりの言葉で答えようとしてくれた。
今は、その相手がいない。
訓練を終えて更衣室へ戻ると、一般職員の一人に声をかけられた。
「碇君の反応は、まだ変わらないのか」
トウジは一拍置いた。
「……まだ、変わらんそうです」
事実を口にすることには、まだ慣れなかった。
ネルフ内部では、シンジが初号機から戻らなかったことは隠されていない。部署によって知らされている詳細に差はあっても、サルベージが失敗し、今も初号機の中に反応だけが残されていることを職員達は知っていた。
シンジは重傷を負い、ネルフの医療施設へ入院している。それは学校や市民、外部機関に対して用意されたカバーストーリーだった。
職員が去ったあと、トウジはロッカーから折り畳んだ紙を取り出した。
疎開する前、ケンスケから押しつけられたものだった。
早く戻ってこい。
まだ聞きたいことがある。
今度こそ、ちゃんと話を聞かせろ。
冗談めかして書かれた文字の下に、撮影した映像を整理して待っている、と小さく付け足されている。
ケンスケには伝えられない。それは守秘義務があるからだけではなかった。言葉にした瞬間、シンジが本当に帰ってこないことを、自分まで認めてしまいそうだった。
トウジは紙を元の場所へしまった。戻らなかったと知っている。それでも、帰ってきた時に渡せるように。
――
試験を終えたレイは、検査着の上に制服を着直して通路へ出た。
角を曲がったところで、壁にもたれているアスカを見つける。
「試験、終わったの」
レイが尋ねると、アスカは顔を上げた。
「とっくにね。あんたは随分時間がかかったじゃない」
「初めてだから、調べることが多かったみたい」
「それで。新しい機体の乗り心地は?」
何気ない問いを装っていたが、声には僅かな棘があった。
レイは少し考えた。
「零号機より、動きやすいと思う。でも、まだ私の動きじゃない感じがする」
「当たり前でしょ。あれはあんた専用に作ったわけじゃないんだから」
言った直後、アスカは口を閉じた。第四号機は誰のために作られた機体でもなく、ダミーシステムさえ調整できれば、どのチルドレンでも乗ることができる。レイが乗れなくなればトウジが乗り、必要なら自分も乗ることになる。
その逆に、弐号機だけは自分のための機体だった。その弐号機との繋がりが弱くなれば、自分には何が残るのか。
レイは、アスカの沈黙の理由までは分からなかった。
ただ、先ほどの言葉が自分へ向けられたものではない気がした。
アスカが歩き出す。
レイも、その横へ並んだ。
「何よ」
「帰るんでしょう」
「だからって、ついてこなくてもいいわよ」
「私も同じ方向だから」
アスカは追い払わなかった。二人分の足音が、人気の少ない通路へ響く。
以前はそこにもう一つ、二人の間へ入り、顔色を窺いながら歩く少年の足音があった。アスカが先に進めば追いつき、レイが遅れれば振り返る。今はその中央だけが空いていたが、それでも二人は何も話さないまま、不格好に並んで歩いた。
――
碇ゲンドウが、最低限の決裁だけでなく、以前に近い勤務へ戻り始めたことで、本部の空気は僅かに変わった。
滞っていた承認が処理され、各支部から届いた報告書に指示が戻る。戦略自衛隊との連絡網が再整理され、第三号機と第四号機の運用計画も更新された。発令所に立ち、低い声で指示を出して不要な言葉を口にしない姿だけを見れば、以前と何も変わらない。
その姿を見た職員達は安堵した。
息子を失った司令を心配していた者は、決して少なくない。ゲンドウが進めてきた職員の育児支援や勤務制度の見直しによって、救われた者もいた。恐れられるだけだった男が、いつからか自分達の生活を見ている。そのことを知った者ほど、彼が仕事へ戻ったことを喜んだ。
冬月だけは、以前と同じではないと知っていた。
「委員会から、補完計画の修正日程を求められている」
執務室で、冬月は一枚の報告書を机へ置いた。
「初号機が封印された以上、当初案をそのまま使うことはできん。返答を先延ばしにするにも限度があるぞ」
ゲンドウは書類を見下ろした。
他者との境界を失わせ、人を一つへ戻す人類補完計画。以前のゲンドウにとって、それはユイへ辿り着くための道だったが、今はその先にシンジまでいる。計画を進めれば会えるかもしれず、成功するかも分からない奇跡にすがるより、遥かに確かな方法にも見えた。
だがシンジは、傷つくことのある世界を愛し、この街へ来て初めて自分を好きになれたと言った。その世界を父親の都合で閉じることが、本当に息子を救うことになるのか。
「返答は保留する」
「そう言うと思ったよ」
冬月は書類を引き戻さなかった。
「お前は何を迷っている」
以前なら、ゲンドウは答えなかっただろう。
「補完を進めれば、シンジに届く可能性がある」
「ああ」
「だが、それはあの子が戻る場所を失わせる」
冬月は黙った。机の上には処理を待つ書類が積まれている。いつもならゲンドウが当然のように押しつけ、冬月が悪態をつきながら片づけるものだったが、今のゲンドウはその一枚ごとに目を通していた。
書類に記された決断の先にいる人間を、考えずにはいられなくなっていたのだ。
「私は、何のためにここへ戻った」
ゲンドウの声は、問いというより独白に近かった。冬月は答えなかった。その答えを他人から与えられても、ゲンドウ自身のものにはならない。
代わりに、机の端に積まれていた書類の半分を取り上げた。
「今日はこれだけにしておけ。残りは私がやる」
ゲンドウが顔を上げる。
「珍しいな」
「今まで押しつけられた分には到底足りんがな」
冬月は書類を抱えて出ていった。
一人になった執務室で、ゲンドウは補完計画の修正案を開いた。承認欄へ手を伸ばし、途中で止める。かといって拒否の欄にも、印を押すことはできなかった。
――
深夜になっても、ナオコは研究室に残っていた。
表向きは、失敗したサルベージ計画の資料整理である。凍結されたのは計画の再実施であり、既存データの検証まで禁じられたわけではない。そう解釈すれば、命令違反にはならないはずだった。
ナオコは端末へ新たな条件を入力した。
前回は、初号機の中へ拡散したシンジの構成情報を集め、人の形へ固定しようとした。だが、初号機との結びつきが強すぎたため、機体から分離できなかった可能性がある。
ならば、先に受け止める器を用意すればいい。人の形でなくとも、構成情報を一時的に保持し、初号機から切り離すことさえできればよい。
だが、計算結果は成立条件を満たさなかった。不純物が多すぎるのだ。
初号機の内部には、機体自身の組成、コアに残る情報、シンジの構成、覚醒中に生じた正体不明の変化が重なっている。どこまでが碇シンジで、どこからが初号機なのか、その境界さえ定義できなかった。
それでもナオコは条件を変え、計算を繰り返した。研究者として未知を解明しなければならない。母親として、子を失った人間を放っておけない。そして、もし自分がシンジを取り戻せば、ゲンドウはもう一度こちらを見るかもしれない。
最後の考えをナオコは認めなかった。これは失われた人間を救うための研究であり、個人的な感情など関係ない。そう言い聞かせるように、次の条件を入力する。
その時、端末が凍結計画へのアクセス履歴を記録した。ナオコは手を止めた後、削除命令を入力する。
一度目は拒否された。
画面の端に、MAGIを構成する三つの名が表示される。
MELCHIOR。
BALTHASAR。
CASPER。
研究者、母、女。かつての自分を分けて組み込んだ三つの人格が、端末の向こうからナオコを見ているようだった。
「何よ」
誰もいない研究室で呟く。
二度目の命令で、履歴は消去された。
画面へ映ったナオコの顔は、安堵しているようには見えなかった。
――
厚いガラスの向こうで、液体がゆっくりと循環していた。
場所を示す表示はなく、壁にも装置にも、所属を表す印は残されていなかった。ただ、暗い室内を囲むように並ぶ黒い石板だけが、そこを管理する者の存在を示している。
中央の装置で、一人の少年が目を開いた。液体の中へ白い髪が漂い、赤い瞳が初めて光を見る者のように細められる。しかしその表情に驚きはなく、何度も同じ朝を迎えた者のように、静かに周囲を確かめていた。
装置の排水が始まった。
少年の身体が床へ降ろされ、用意された白い衣服を身につける。
『予定に変更はない』
石板から声が響いた。
『契約の子よ。定められた場所へ向かえ』
少年は答えず、胸へ手を当てて、遠くにあるはずの気配を探した。
この世界へ来るたび、先に感じるものがあった。他人を恐れながら、それでも他人を求める心。傷つくたびに逃げようとし、最後には誰かのもとへ戻ろうとする、不器用で優しい魂。
存在しないわけではない。世界のどこかにいるのに、人として触れられる場所から外れているため、その気配が今はひどく遠かった。
少年は目を伏せた。
「君は……ここにいないのかい」
石板は沈黙した。
少年――渚カヲルは、ガラスへ映る自分の顔を見た。
シンジを幸せにするために繰り返してきた。だが、シンジのいない世界で、自分は何をすればよいのか。
答えのない問いを抱いたまま、カヲルは施設の出口へ向かった。
――
その異常を最初に捉えたのは、地上の観測所ではなかった。
衛星軌道を監視するネルフの観測網が、地球の縁に重なる微弱な光を検出した。
当直の職員は、初めに太陽光の反射を疑った。
対象はあまりにも遠く、これまでの使徒が現れた高度とも進入経路とも一致しない。観測機器の誤差として除外されかけた数値が、別の衛星によって再び捕捉された。
「照合を急げ」
発令所へ警報が響く。
複数の観測像が中央モニターへ集められた。青い地球と、宇宙の暗闇。その境界に、一つの白い点が浮かんでいる。
倍率が上がり、白い点が形を持つ。そこでは光を折り重ねたような巨大な翼が、ゆっくりと広がっていた。
MAGIへ解析が送られる。
三つの人格がそれぞれに演算を終え、全て同じ結論を返した。
「パターン青」
職員の声が震えた。
「使徒です」
それは降下せず、攻撃する様子も見せないまま、遥かな上空にとどまって光の翼を開いている。
まるで、地上に残された人々を見つめているようだった。
第十五使徒。
誰の手も届かない場所で、その光だけが静かに瞬いていた。