携行型ブラウザの画面に一通の通知があった。
それまで高速で多くの機械類のキーを叩いていた指が止まる。研究者であるナオコにとってこのメールの確認は唯一、科学者でない自分で在れる時間であった。
─母さん、先日葛城と言う子と知り合いました─
─他の人たちは私を遠巻きに見るだけで、その都度母さんの名前の重さを思い知らされるのですが、なぜか彼女だけは私に対しても屈託がありません。─
─彼女は例の調査隊ただ一人の生き残りと聞きました。一時失語症になったそうですが、今はブランクを取り戻すかのようにベラベラと良く喋ります。何より…
「もうこんな時間、リツコの連絡が来るってことはもう終業時間はとっくに過ぎてるはずなのに…」
そう言い周囲を見るナオコであったが、自分を含みMAGIのチームスタッフのメンバーは一人として欠けることなく作業を続けている。
そんな彼らの姿に思うところがあったのかナオコは声をあげた。
「あなたたち、いつまでもこんな場所にいないで家族に顔でも見せてやりなさい。終業時間が過ぎている連中は一回休んで、もっと効率よく仕事をなさい」
らしくないとは思いつつも、あまり作業環境を劣悪なものにしたくない思いから出た本心ではある。
「ですが、主任が現場を離れないのに我々まで帰るわけにもいきません。それに完成まであと少しではありませんか、ここで一気に畳みかけて行きましょう!」
ひとりのスタッフから返ってきた言葉にナオコは額を押さえたい衝動に襲われた。
「もう少しって言っても最短であと数年掛かりになるプロジェクトよ、それに何のために組んだ交代シフトなのか分からなくなってるじゃない。健康管理が出来てないようじゃ効率もなにもあったもんじゃないわ」
「しかし…」
さらに返答しようとしたスタッフを遮りナオコは一つの提言をした。
「じゃあこうしましょう。私含めこの場に居るメンバー…そこの連中も聞きなさい。全員交代シフトを守りなさい。
どうしても残りたい場合はその旨を所長に書類にして提出なさい。意見はあるかしら」
そこに先程とは別のスタッフから言葉が上がった。
「では、今まで進めた位置で一端切り上げて全員で食事にでも行きませんか、全員一回休んでからの方がスケジュールも詰めやすいでしょうし」
言葉を発したのはいつも意見を調整してくれる者であり、ナオコにとってはこの場において今、最も頼りになった意見であった。
「そうね、じゃあ一回全員で休憩しましょうか。作業再開は明日の09:00時からにします、意見のある者は?いないわね」
そう言い放つと手元のキーボードを数回叩き出口に向かっていく。そんなナオコの姿を見て、慌てて他のスタッフ達も動き始めた。
──
「おや、ナオコ君が食堂に来るとは珍しい、む?きみのチームの殆どが来ているようだな」
「ええ、やはりチーム全体にも息抜きが必要と感じたもので、そう言う副所長はどうなんですか」
あまり食堂に来ることもないナオコに話しかけてきたのは、たまたまこの場に来ていた冬月であった。
「私は結構ここを利用していてね、と言ってもほとんどは
そう言って冬月が示した場所にはゲンドウがお盆を持ち席へと着いていた瞬間であった。
「えぇ!所長が
それはそうだ、いつも何を考えているのか分からない強面のゲンドウがこのような場所にいるなど、普段から食堂を利用しないナオコにとって衝撃以外のなにものでもない。
初めてこの場でゲンドウを見た者は、大概ナオコと同じ反応をする。
「副所長が誘っているのですか?」
未だに事実が受け入れられないナオコは、無理やり冬月が連れてきたことにしようと思った。が、冬月の返答は更に衝撃的なものであった。
「いや、実は碇の方からでな、なんでも支給の弁当は味付けが薄くて飽きたらしい。私は薄味が好みなんだがね。
おっと、私は食事が来たからここで失礼させてもらうよ」
そう言うと冬月は自分のお盆を持ってゲンドウが座る一角へと向かってしまった。
その日、ナオコは食事の味が分からなかった。
──
─リッちゃん、こっちは変わらず地下に潜りっぱなしです。最近はよく食堂に行くようになりました。支給のお弁当は飽きたけど、ここの食事は結構美味しいのでリッちゃんにも食べさせてあげたいくらい。
上では第二遷都計画による第三新東京市の計画に着工したようです。─
─追記、意外な発見は日常の中に転がっているもの、新しく出来た御友達との付き合いで意外な事に出会えたりします。たまにはいつもと違う行動をとってみても良いかもしれません─
「なぁ~にぃ~リツコぉ~。メールなんてじっと見つめちゃってぇ~。もしかして彼氏ぃ~」
くねくねとリツコに絡みつくのは彼女の友人である葛城ミサト、そんなミサトを払いのけるとリツコは素っ気なく返答する。
「母さんからよ。だいたい男からメールなんて来るわけないでしょう、あなたと同じにしないでちょうだい」
「むぅ~ん。リツコ冷たぁ~い」
そう言って床にごろごろと寝転がるミサトにリツコが追い打ちをかける。
「そんなに酒臭いんじゃあ彼氏にもすぐに捨てられるわね」
「ひどぉ~い、加持君はそんなことしないもぉ~ん。それよりもリツコのお母さんってぇ、あの有名な赤木はかせなんでしょ~。どんなひとなの?」
一瞬言いよどむリツコだがすぐに話し始めた。
「そうね……。立派な人よ、科学者としても親としても。
父のいない私を一人で育ててくれたんだもの」
思い返すのは居ない父親の分まで働く、科学者としての母の背中。なぜかとても寂しい思い出。自分にとって母親は、近くて遠い存在だった。
さっきまでうるさく騒いでいたミサトが急に静かになっっていた。
「そっか…私と同じね。私にもお父さんがいないもの」
意外だった。リツコにとってミサトはいつもうるさいおかしな子という認識であり、こんなしおらしい一面を持つとは思ってもいなかった。
そして彼女の意外な共通点に、なぜ自分が彼女と友人になれたのかが少し、分かった気がした。
──
─母さんの言っていた意外な事に私も巡り合えました。これからはもっと周囲の物事に気を配ってみようとおもいます─
─研究の成果は楽しみだけど体を大事にしてください─
「主任、どうかしましたか?」
「いえ、気にしないで。さっ!ちゃっちゃと仕上げるわよ!」