ゲンドウ、再び   作:被検体E-1n

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いまと、ここから

「おとうさんはぼくがいらないの?」

 まだ小学生にも成らないような歳の男の子が、両目いっぱいに涙を湛えながら懸命に父親を呼び止めようとする。

 

 男の子が立っているのは、世間一般から比べれば豪華な造りで建造された家の、その玄関先であり、自分をこの家に預けて立ち去ろうとする父親の服に懸命にしがみつく。 困った父親はその子の目線の高さまで腰を落とし優しく抱きしめた。そしてその子にも分かる言葉で三つの約束を交わした。

 

一つ目は、毎年その子の母の命日に一緒に墓参りを行うこと。

二つ目は、毎月必ず電話を掛けること。

三つ目は、必ずまた迎えに来ること。

 

「いい子にしていればすぐだ」

 

 そう男の子に伝えた父親は、その子の目から溢れる涙を取り出したハンカチで拭き、再び立ち上がると、この子を預ける家の家主といくつか言葉を交わし、そして名残惜しそうに子供の頭をすこし撫でてから立ち去った。

 

 しばらく父親が去った方向を見つめていた男の子は、再び泣きはじめると周囲の大人を困らせ、やがて泣き疲れたのか眠ってしまった。

 

――

 

 気分の良い朝だ。

 久しぶりに懐かしい夢を見た。

 僕がこの家に預けられた日の夢だった。

 

「そういえば、ここに来た頃は泣いてばかりで先生にも迷惑ばかり掛けてたな」

 

 昔を思い返しながら寝起きで目やにのついた瞼をこすっていると、ドアの向こうからノックの音と声がした。

 

「シンジ、起きているかい、朝食の準備が出来てるよ」

 

「うん。今行く」

 

 思えば十年近くこの部屋で過ごしてきた。しかしこの家での生活も、あと僅かで終わりを迎えてしまうと思うと、何だか少し寂しくなった気がした。

 

「そろそろ荷物をまとめ始めないとな」

 

――

 

「おとうさんはいつくるの?」

 

 おばさんは困ったように笑うと、優しくぼくをベッドに寝かしつけた。

 

「シンちゃん、いい子にしていればきっとすぐよ。さっ、いい子なら早く寝ましょうね」

 

 おばさんはぼくに優しかった。いつでも優しく微笑んで、何かと世話を焼いてくれた。でも決して僕を叱ることはなかった。

 諭すことや注意することはあっても、この人が僕のために感情的になることはなかった。

 先生もそういった部分はおばさんによく似ていた。この二人は似た者夫婦だった。

 それはきっと、ぼくが本当の家族じゃないからだ。

 ぼくにとって本当の家族はおとうさんだけだった。

 

――

 

「荷物はもうまとめ始めたのかい?」

 

 トーストにベーコンエッグを乗せながら僕の皿には他の朝食も盛り付けられてゆく。

 

「うん。でもそこまで大きい物も数もないし、出発前には向こうに送れると思う」

 

「そうか~。シンジが居なくなってしまうと、この家も少しさみしくなるなぁ」

 先生はフォークをくわえながら天井を見上げた。よく見てみるとここに来た時よりも少し白髪が増えている気がする。

 

「あなた!お行儀が悪いですよ。シンちゃんと朝食が食べられるのだってあと何回かなのに」

 

「おっと、すまんすまん。それよりシンジ、友達には別れの挨拶はもう済ませたのかい?」

 

 友達か…心の底からそう呼べる存在なんて、僕にはいなかった。なぜならいつか父さんが迎えに来て、ここから離れてしまうのに、そんなものを作る必要なんて僕にはないって、そう思い込んでいた。

 

――

 

「父さん、次に会えるのはいつかな…」

 母さんの墓参りで恒例となった光景だ。僕がこの話を切り出すのが別れの挨拶だ。

 

「すまない。まだこちらも落ち着くことが出来なくてな。また来年になりそうだ」

 

 知っている。父さんは国連直属の組織でも指折りのエリートだ。幼い僕を知り合いに預けなければならないほどに多忙なことぐらい。僕にも分かる。

 

「僕、来年で六年生なんだ。その、もしよかったら…卒業式に…」

 分かってる。これは単なる我がままだ。組織の重役という椅子が、一介の子供の我がままでどうこうできるはずがないのだ。

 

「直接観に行く事は叶わんが、先生にビデオ撮影を頼んである。お前の晴れ姿を楽しみにしている」

 

 僕の成長は先生が記録を撮っていて、定期的に父さんのもとに送られているらしい。だから僕がどんな風に過ごしているか、父さんは知っている。

 

でも

 

僕は父さんが普段どんな生活を送っているのか

 

知らない。

 

――

 

「どうやら来たみたいだね」

 

 そう先生が指さした方向から、一台の黒塗りの車がこちらを目指し走ってきた。

 あんなにあんなに望んでいた父さんからの迎えなのに、今になって別れがつらくなってきた。

 

「シンジ、第三新東京はいい街だ。思いっきり、新しい地を楽しむんだよ。それから、お父さんにはドンドン我がままを言いなさい。私たちではきっと言いにくかった事もあっただろうが、これからはそんな心配はないんだ」

 先生はそう言いながら僕の肩を叩いた。

 

「シンちゃん、向こうで嫌なことがあったらこっちに逃げて来てもいいのよ。ここはもうあなたの家なんだから」

 おばさんがそう言い終ると同時に車が家の前に止まった。

 

 運転席のドアを開けてスーツの男性が降りてきた。

 

「碇シンジ君だね?」

 

「はい」

 

 スーツの人は僕が本人であるか確かめると、きびきびと動き後部座席のドアを開けた。

 それを見て、ここで残された時間はもうないことがよく分かった。

 

「先生、おばさん、今まで本当にお世話になりました」

 

「ああ、達者でな」

 

 別れを済ませて車に乗り込む。もう、ここに戻ってくることは無いだろう。

 遠ざかる二人は、僕が見えなくなるまで見送ってくれていた。

 

 不思議な感覚だ。嬉しさと悲しさが同時に心に押し寄せて、どうしたらいいのか分からない。

 気が付けば頬を一筋の涙が伝っていた。

 

 きっと

 

 この十年であの二人の存在は、自分の中でとても大きくなっていたのだろう。

 心の支えであった父さん程ではないが、日常の中での何気ない優しさが、あの二人の良さだったのだろう。思えば多くの思い出が蘇る。だがこれから向かう先に、もう二人はいない。

 

 これからは父さんと暮らすのだろうか。

 そちらもまた大きな期待であり、同時に大きな不安でもあった。十年という時間は、あまりにも長かった。

 しかし、こんなにも時間が掛かったが、父さんはしっかりと約束を守ってくれた。きっと上手く行く。

 

 シンジは手のひらを握っては開き、最後に深く握りしめた。

 

 きっと上手く行く。

 

 

 

 

 

 

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