拝啓編集長様   作:bui

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第1話

「桜さくら先生絶好調だな。宇佐美先生といい、これでうちも安泰だ。」

 

社屋中に浮足立つ噂漂うここは丸川書店。

 

そんな中で残念なヘドロの中のようなどんよりとした雰囲気を醸しているのはエメラルド編集部で、茄子よりも青いクマを湛え机に突っ伏しているのは毎月月末発行の伝統あるその少女漫画雑誌の編集長、高野政宗だった。

 

少女漫画に限らず、何かを作るという作業は非常にセンシティブでナイーブだ。無の場所に神を召喚する如く特殊な能力を持ってきらめきを落とし込む。

 

人それぞれにその召喚方法は異なり、ひたすらストイックに作業に当たる場合もあるし、傍からは単なる惰眠にしか見えない場合もある。

 

そしてその能力の出力をなだめすかし時に脅しながら形あるものに仕上げる編集もまた、一つの能力者と言えよう。

 

と…、

 

かっこつけて言ってみたところで、早い話が今月のエメラルドは(も)ひどく遅れた入稿となり、それでもなんとか無事に校了を迎えて、特殊空間(デットという状況)から日常に戻って来たところだと言うことだった。

 

初夏の太陽の光は3徹明けの高野の目には殺人的で、己は吸血鬼だったのではと真剣に思ったほどだ。

しかも普段意識もしていない重力がどっしりと重く、突っ伏した机の上から身体を5センチ持ち上げるのも辛いほどきつかった。

 

ここ数日は、雑音は聞かない。不要なものは見ない。というぎりぎりの状況だったから、ほんわかとした社内の雰囲気に違和感が湧いて「なに?」と誰へ言うでもなく呟くと、斜め向かいの紙の山の下の方から「うちの作家が賞を取ったんだって。」と切れ切れに説明と思しき声が聞こえて来た。

 

 

「賞?」

「菊川賞…。」

「ああ、純文の?」

「あっと言う間にベストセラーになったヤツ。」

「あれか…。」

 

社長の井坂が宇佐美秋彦大てんてー(先生)を発掘して10数年、新たに見つけ出した逸材が純文学の新人に与えられる栄誉ある文学賞、菊川賞を受賞したということのようだ。

 

その作家は井坂とはデビューする前からの知り合いだそうで、早い時期から才能を見出し密かに育てていた秘蔵っ子なのではないのかと言われていた。

 

社長業にも才能を発揮し続けている井坂だけど、編集者としての才能も素晴らしく、手掛けた小説はすべてベストセラーになっているという伝説も持っている。

 

これは益々来るな…。

 

廻らない頭の中に今後(面倒なあれこれ)の事が過る。

 

高野は少し前に井坂からその小説のコミカライズを打診されていた。

急ぐ案件ではないと言われていたために、今はまだ担当作家の選別に当たっている状況だった。

 

しかし賞を取ってしまったのだったら、今までの『なんとなくそういうことだからよろしく』的な曖昧な打診が『だから言ってただろう』という決定事項になるのは目に見えている。

金の話に井坂が出張らない理由はない。

 

となると力の入れ具合からしてエメラルドでは一押し作家の吉川先生かエリカ様が妥当か?ただ漫画とするとぼんやりとしている部分が絵という形ではっきりしてしまうのが気になるところだ。

 

高野は初めて本を読んだ時からその本の世界観のファンになっていた。なので純粋に一人のファンとしてコミカライズの先にある偽装されたリアルを危うんでいた。

 

仕事だからやらないという選択肢はない。しかし何もかもをはっきりとした絵にしてしまう漫画には想像や妄想を挟む余地がなくなってしまう。

 

なぜならばその小説は見方を変えると同性愛の話のように思えたからだった。

 

 

作家の思惑はぼかされているために何度かウエブでのインタビューで追及があった際にも「そう見える方にはそういう願望があるのだと思います。」というあいまいな回答だった。

 

作品中では主人公の性別がはっきりしておらず、恋慕を向けている人物が男性であることははっきりしているのに同性愛と判断できるほどの絡みはない。

 

本人の希望もあって作家のプロフィールも顔出しもNGの体制を取っているために、作家の性別も年齢も分からない。

 

当然サイン会などもないために作者のイメージもあやふやになっているが、それが本当なのか売りだし方なのか実際には不明だ。

ただ作品も作家もミステリアスでイメージ的には成功をおさめている。

 

策士の井坂らしいと高野はただそれに対して敬服するのみだった。

 

 

「俺も今日は昼で帰るから、急ぎでないものは明日に回して帰っていいぞ。」

 

自分が帰ると言えばメンバーも帰るだろう。返信を必要とするメールを片づければあとは明日でも間に合う。

 

昼飯はどうしようか?

 

逡巡ののち、手早く作れるメニューを脳内で組み立てて、まだ天中に日があるにも関わらず高野は編集部を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「高野さん、お疲れ様。」

 

家に帰りつくと、茶色い髪の毛に詰襟をきっちり着込んだ少年が隣の部屋のドアの前にもたれかかって立っていた。

 

「食ってねーの?」

「食ってますよ。栄養ゼリ―。」

「あれは飲むもんだ、食いもんじゃね。」

 

高野のぞんざいな答えに少年はフフっと笑うだけで、特に反論もせずにさらに深く壁にもたれかかる。少年の態度は気にせずに高野は部屋の鍵を開けて部屋の中に入っていった。

 

まだひどく暑い季節ではないのに、数日帰ってなかった部屋に停留している空気がどろりと膿んで発酵しているように感じた。

 

カーテンを開き窓を全開にすると、押し込められていた空気と自由に空を遊んでいた空気が入れ替わって、部屋はいつもの埃っぽい都会臭に塗り替えられていった。

 

堅苦しい上着はさっさと脱ぎたいところだけど、着替えの前にたっぷりの水を入れた鍋を火をかけて、冷蔵庫から水出しにしていた出し醤油を取り出して調理台にコトリと置いた。

 

本当はこのまま風呂に入りたいところだけど、諸事情から食うものを先に腹に納めなければ手順が狂う。

 

ラフなスエットに着替えると背にしている食器棚の中から「吹き絵の青いウサギが可愛い」と言ったやつの顔を思い出して、二つのどんぶりを出してから、さっき閉じた玄関のドアを開いて「うどん」と外の少年に声を掛けた。

 

「今日は何をしてるんだ?」

「ストーカーの気持ちになって好きな人を見張ってます。」

「何日?」

「三日ほど。」

「はあ、いつもにも増してお前意味不明。うどんは麺を入れたらあっという間だからさっさと来い。」

 

短くそう言ってドアの中に引っ込むと少年は今度は高野の後ろについて来た。

 

ついさっきまでの冷えた雰囲気はなくなり、人懐こい笑顔でおんぶするように高野の背中にぴょんと飛びついて後ろから首につる下がった。

 

「重い。今度はなに?」

「久しぶりに会った恋人に甘えてる。」

「相変わらずわけわからねー。」

 

高野は小さいため息と一緒に呆れた声でそう言ったけど振り払うことはせずに、そのままダイニングに向かった。

 

「昨日風呂に入ってないから髪の毛の脂臭いだろ。」

「首の後ろの臭いがオスっぽくていいです。」

「アホか!」

「あれ?そういう事は女子に言われたいですか?」

「女子でも男子でもいいけど、本当の恋人に言われたいね。」

「まあ、そうですね。でもだいぶリアルに近いのでこれで我慢してください。」

 

少年の名前は織田律。

高野の部屋の隣に住む高校一年生。

 

妄想が旺盛すぎて自分を色々なシチュエーションに設定して虚構の日々を過ごしている多感な(変わった)少年だった。

 

例えば、出会いは雨の日だった。

捨てられた子猫の気持ちってどんななんだろうと『拾ってください』という看板を立てた段ボールの中に律がいた。

 

道を行く人は律のそんな姿をあえて見ないふりをして通り過ぎて行き、律は体育座りをしたまま何時間もそんな人間の後ろ姿を見て過ごした。その時の律は自分は猫と信じて疑わないほど猫の気持ちになっていたそうだ。

 

律が居たのは枝を大きく広げた木の下ではあったけど、やがて降り出した雨は容赦なくバシャバシャと律に降り注いで、入っていた段ボールもベロベロになっていたし、本当の捨て猫ならいざ知らず、そんな異様な人間には近づきたくないというのが道行く人の本音でも致し方がなかっただろう。

 

実際に高野も仕事に行く道で律を見た時は関わり合いになりたくないと心の底から思ったのだけど、さすがに仕事を終えてもまだそこにいる律を見た時には少しだけ興味が湧いて、手に持っていたビニール傘を差し出してしまった。

 

「拾ってください。」

律は手をわんこのお手のように高野の膝に乗せてねだったが

「絶対(ぜってー)やだ!」と高野には拒否された。

 

「は…、8時間ずっと拾ってくれるご主人様を待っていたのに…。」

 

雨の夕刻で人通りも多くないとは言ってもバスの通る道に面した歩道は無人ではない。

 

高野の拒絶に律がワンワンと声をあげて涙を流し泣き崩れるから、とたんに外聞が悪くなって変な興味を持ったことを早速後悔することになったのだったが、

「拾ったらどうなるんだ?」という高野の言葉に

「もちろん…、飼ってもらいます。」

と律はヒクシャクとしゃくりあげながら答えた。

 

「マンションはペット禁止だ。」

「属性は人間なのでダイジョウブです。」

「(一応人間の自覚あるのか!?)余計にだめだろう。誘拐犯になりたくない。」

「両親とは話がついてます。」

「ばかな!飼うって具体的になにするんだ。」

「猫なので散歩は必要ないです。ご飯と水があればいいです。」

「今人間って言ったばかりじゃねーか」

 

ひくしゃくとしゃくり上げながらも一向に怯む様子のない律とのやり取りに、なにを真剣にくだらない話をしているんだ。さっさとこの場所から去れと心の中で自分に突っ込みを入れていた高野だったけど、一方で律が自分をからかっているわけではなさそうだと感じて、結局初めに持った興味を捨てきれず、一旦律を『拾う』ことにしたのだった。

 

「そこの看板を見る人はいっぱいいるのに、ずっと誰も俺を見なくて、寒いし雨も降ってくるし…、」と律はマンションの入り口にある町内の案内地図を細い指でツンっと指示した。看板は見てもらうためのものだし、捨て猫は見ちゃいけないものだからな…。特に小学生。

 

「世界中の人に俺はいらないって拒絶されてるみたいでどんどん寂しくなって…。道に転がっている石ころよりいらないものなんだって思って、捨て猫とはこんなに寂しい気持ちなのかなって思ったら消えてしまいたくなりました。」

 

少しだけ涙が落ち着いたようで、やっと途切れ途切れの説明が終わった律に、『いや…、捨て猫じゃねーから(やばいタイプの人間だから)無視されてたんだろうけど…。しかも石ころも無視されてたと思うけど?』と(再び心で)一人突っ込みをしつつ、仕方がないので律の両親に連絡を取りながら高野は律を自分の家に連れて帰った。

 

状況を報告しがてら連絡を取った律の両親は、律の奇行には慣れているようで「ご迷惑をおかけします。」と丁寧に謝罪をしつつも「ご迷惑かけついでにもう少し付き合ってやってください」と続けた。

 

おおらかというか大雑把というか気にしないというか困ったというか…。

俺がめちゃ悪人だったらどうするつもりだったのだろうとかなりの強さで思った高野だったが、それでも拾った生き物は世話をしないといけないという祖母の遺言を思いだして、とりあえず濡れそぼった律を剥いて風呂に放り込んでから人間なので温かいメシを食わせたのだった。

 

 

 

それが3年前の4月、桜の咲いている季節のことだった。

 

中学に入ったばかりの律だったので、当時は背も小さく顔つきも女の子と間違えそうなほどまだ子ども子どもしていて、忙しい両親に代わって迎えに来た大人に連れられて、その場はあっさりと家に帰った。

 

帰らないとごねるかと思った高野だったので拍子抜けをしたのだけど、しかし翌日にはまた外猫よろしく律は高野が帰宅するまで家の前に座っていて、高野がうんざりした顔をしても気にせずニコニコと笑顔で食事をねだった。

 

律は本当に子猫のようにいろいろなものに興味を示してじゃれてついて行ってしまう。

だから家に来ないと心配になったけど、大概はどうでもいいような小さなことに熱中していた。

 

蜘蛛が巣作りしているところを一日中見ていたり、下水の音がたまに違うからと流れをさかのぼってたどったり、風が渦を巻く袋小路の突き当りや、蟻が作る長い行列の先頭など。

 

律は不思議に思うことは解明しないと気がすまないという困った性格のようで、まだ理解できないはずの高難度な物理の厚い本を何冊も並べて読み漁ったり、恋愛の心理についての探求では、自分はたどり着けないアダルトサイトの先はなにがあるのだと高野に詰め寄ったりもした。

 

一方で、現実と妄想の境界があいまいな上に思いこみも強くて、自分が信じたことが実は違っていたりすると明らかにがっくりと落ち込んだりもする。

 

そのアンバランスさが危なっかしくて心配になるのに、落ち込んで音信不通になったと思えばまたふらりとご飯をねだりに来たりして、何してたと聞くと「石のごつごつした洞で身を丸くして傷ついたオオカミのように過ごしていました。」とか比喩なのか現実なのかわからないことを言って妙に大人びたりするから、心配になる。子どもとの付き合いは時にはっとさせられるから始末に悪い。

よそでまるまってるだけならうちのソファーにしておけと、つい言わんでもいいことを言ってしまってまた高野は後悔するのだった。

 

「なんでこんなに良くしてくれるんですか?」

「よくなんてしてないだろ?」

「ひょっとして俺のこと好きですか?」

 

本来ならば爆笑するところだけど、呆れすぎて言葉に詰まってしまって『本当は律の事が好きなくせに素直に言えない面倒な大人』という変な設定を作られたらしい。

 

それ以来「わかってます。いいですよ。」とか言われて、恋人の気持ちになってあげますとか、高野さんを大好きな律は今日何をすればいいと思いますか?とか妄想に拍車がかかっている。

 

高野が強く否定しないのはあほらしいと思う気持ちが強いのと、自分が律を好きだと律が思い込んでいてもそのこと自体に実害がないからで、さらにフラフラしている律が心配という妙な親心のようなものも湧いていたから下手にどこかに居ついてしまうよりはいいだろうと思ってのことだった。

 

 

そんな今年、律は高校一年生になって両親から一人暮らしを許されたと言って、隣の空き部屋に越して来た。どこのボンボンだ、しかもこんな危なっかしい奴を放流するなんて無責任にもほどがあると思いながらも、拾った動物は面倒見ないといけないという祖母の遺言に従って、妄想と現実をごちゃごちゃにしながら外猫暮らしを続ける律に今日も飯を振る舞う、そんな高野の毎日だったのだ。

 

 

 

 




というプロローグのもと、年の差高野と律のお話はスタートでございます 
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