律に言われたことで気持ちを持ち直して、高野は仕事とは関係のない熱烈なファンレターを桜に対して何度か送信した。
それでもしばらくはリアクションは無くて、くじけそうになったある日、実際に受けてもらえるという事ではなかったが、前向きに考えますというレベルで良ければ検討しますという返事がとうとう桜からあった。
なかなかしぶとい方ですね。と、面と向かっていたならば苦笑した顔が見れただろうコメントもついていた。
難攻不落の想い人をとうとう陥落させた時のような嬉しさとか晴れがましい気持がごちゃごちゃになって、有頂天だった。
今世紀一番の浮かれっぷりだろうと高野自身が自分に呆れるほどに。
「わぁ~、ご馳走ですね。」
律が目の前に並んだおかずにぱぁぁっと顔を明るくして笑うから、「助言もらったおかげだ。」と正直に桜とコンタクトをとる事が出来たことを伝えた。
今まで苦手や不得手なことはあまりなかった。決して手を抜いているつもりはなかったけど普通にやっていれば困らないレベルで物事に当たることができていた。
だから力で押し続けるというのは初めてで、成功した時の喜びを当たり前に嬉しいと感じることができて良かったと思えた。
そして、自分の作ったものを美味しい美味しいと食べる律の顔を見ると嬉しい気持が湧く。誰かに必要とされていることの承認欲求の満足は仕事で得た成功体験とともに高野を満たした。
単純に飯が旨い、仕事が楽しいと思える自分がとても幸せに想えたのだった。
「高野さん、すごくいい顔してる…。」
「そう?」
「うん。今までそんな綺麗な笑顔見たことなかった。」
「自分じゃわかんねーな。」
そうか、そんなにいい顔で来てるのか。そう思うと余計に顔がにやけるのが分かる。
すると急に律が眉間に皺を寄せて「桜って人のせい?」とちょっと剣を含んだ言葉を発した。
「は?今日は何のスイッチの入っている日なんだ?」
「スイッチ関係ないでしょ。恋人がほかの人を想ってご機嫌だから嫉妬してるに決まってる。」
「おまえねぇ…。」
ほんと意味わかんねー。この妄想ごっこはいつまで続くんだ?そろそろこいつもいい年齢なんだからいい加減現実に戻った方がいいんじゃね?
まあ…、俺には実害ないから別にいいんだけどさ。
拗ねてそっぽを向いた横顔に、わざと目の端に見えるように大きなプリンを振って見せて、揶揄うようにククっと笑うとツンとした怒り顔の律はちょっとバツが悪そうな眼を向けた。
可愛いもんだねぇ、高校一年生なんて所詮こんなもんさ。
今日は以前CMで見た時に食べたいと律が言っていたことを思い出して今季のスイーツというやつをコンビニで買っていた。
フルーツと抹茶のクリームの乗ったプリンを目の前に2個並べると怒り顔が保てなくなった律がクシャリと半端に口の端をあげた。
その顔を見てもう一度「ちょろ過ぎ」と高野はククっと笑った。
▽
―え?!桜先生は双子なんですか!?
仕事の説明をしつつするチャットでのやり取りで明かされた個人情報に高野はびっくりして返信する。
―でも、弟とは一度もあったことがないんです。
とまた驚きの返事が返って来た。
桜の書いた小説の中には兄弟姉妹のいる人物が多く書かれていた。
高野自身は一人っ子だったので兄弟というものの事が分からないと言うと桜からそういう返事が来たのだ。
―双子が忌み嫌われる時代があって、曾祖父がそういう因習を重んじる人だったそうです。なので双子の弟は生まれて間もなくよそにもらわれて行ったそうです。
なので、実際の自分は一人っ子と同じです。
文字だけのやり取りなので、実際にどんな感情を持っているのかは分からなかったけど、なんとなく画面の向こうの桜は今とても寂しい顔をしているのではないだろうかと感じた。
―会ったことがないっておっしゃいますけど、ご兄弟の事は何もご存じないんですか?
―そうですね、知識としては知っていることはあります。周りの人たちが頼みもしないのにあれこれ言って来ますから。
確か大きな会社の御曹司だと聞いていた。そうするとお取り巻き的な人たちもいるのかもしれない。聞きたくもない雑音も多く入ってくるのだろう。噂とはある意味ではそういう類のもので、『頼みもしない』という言葉にそれが多く含まれることが推測された。
―でも先生の書かれる家族は皆優しくて愛情あふれていますね。
―全て虚構の世界です。でもそれを喜んでくださる方がいらっしゃるので、創作は細々とでも続けて行きたいと思っています。
会話はそんな言葉で締めくくられていた。
▽
「どんな感じ?」
部決会議が終了して、井坂にこう呼び止められたが、高野はまだ報告ができる段階ではないことを告げた。
雑談的レベルで毎日細かいことを詰めている。
一応桜からは画像で送った二人の先生のイメージラフの感想をもらっている。
感触としてはすでに漫画化を了承してもらったと言ってよいと思えるのだけど、最後のオーケーが出ていないのだ。
「なにに引っかかってるわけ?」
井坂が焦れていることが分かるだけに詰め寄られると怯む。本来ならばじっくりと距離を縮めたいところだけど、菊川賞の受賞のお祝いのタイミングを逃すこともできないから、コミカライズの話を決定項としたいというのが思惑だろう。受賞の正式発表からすでに一月半が過ぎているのだ。
「桜先生もそろそろ受賞の発表には腹をくくり始めているから多少強く押しても大丈夫だと思うぞ、とにかくそっちはそっちで頼んだからな。」
「そうなんですか?」
「多少根回しが必要になるから、大人的政治な。」
「根回しですか。」
「高野はそっちは考えなくていい。予定としては受賞パーティーは来月会場を押さえているから、」
「先に会場ですか?」
確かに広い場所を押さえるには今日で明日というわけには行かないだろう。しかし本人がまだ諾と言っていないのに、ゴールが決まっているレースの真ん中が障害物だなんて、つくづくと呆れるがこれも仕事か…。
井坂が政治と言ったことも気になるが自分は自分のできることをやるしかない。
桜の書いた件の小説の主だった人物は二人だった。家族は状況説明に登場する程度だ。
一人は『私』、小説は一人称で描かれているために本人がまだ成人には達していないというぐらいしか分からない。
そしてもう一人が『彼』、『彼』は時に年上で時に身近で時に同じ目線の人物だった。
具体的な年齢は出てこない上に、年数を重ねているくせにとか、子どものようにとか、曖昧な表現で描かれるので分からないのだけど、イメージとしては年上の身近なお兄さん的な感想を高野は持っていた。
『私』は客観的な視線で『彼』を見て時に愚かな行動を冷たく断罪するくせに、そのあとで愛を持ってこんなであろうという妄想を加える。
不確かなくせにきっとそうだという不思議な断定に読者も『私』と同じ思考を共有して、いつしか『私』そのものになっていく。
世界観は大正ロマン時代の純文学のようなもどかしさが溢れていて、今のスピードやリアル重視の若者の何かにも触れたようだ。
その証拠にファンの年齢層もかなり広い。
一ノ瀬先生の出して来たイメージは親戚のお兄さんと女子高生のお話だった。女子高生は独特の不思議ちゃんなので、お茶目な未熟さが身近なキャラクターになっていた。エメラルドは中高生が対象読者なので受けるだろう。
無難で分かりやすい設定の『私』はストーカーのようにお兄さんに想いを募らせて行動して行くが最後まで恋は成就しない。
とてももどかしい関係のまま終えるのだ。
吉川先生のイメージラフは幼馴染。
近所で誕生日も同じ、双子のように育つ二人は互いの距離感を計りかねていた。心の距離も立場と同様に近くて遠い、近づきたいのはもちろん『私』だけど、壊したくないのも『私』、何かをすれば切れてしまうどころかなかったことになってしまうような錯覚を覚えるのは、血縁ではない幼馴染というそんなあやふやな関係だ。
想いだけ募っていく。恋と呼ぶにはあまりにも未熟な二人の関係。
どちらも解釈としてはしっくりくるからあとは感性としか言いようがなかった。
そして高野の持つイメージはどちらとも異なっていた。
一見老獪に思える年上の想われ人は、実は人との関係に疎いタイプだ。人としての細かい機微には頓着がない。というか、頓着をしたくないと思っている。そして思い人である『私』はその上を行くほどに鈍感を装いながらその実繊細で、ピリピリと二人の関係を近づけないように注意を払っている。距離を縮めたくないのは『私』なのだ。
桜がこの話を受けてくれた時に、どちらの先生のイメージを受け入れるのか、とても興味があった。
そんなことを思いながら今日のチャットの打ち合わせに臨む高野だった。
▽
―ありがとうございます。お受けいただいて助かりました。
その日、とうとう高野は桜からコミカライズの話の了承を得ることができた。
どちらの話を選ぶのかという段になって、桜は漫画の事はわかりません。全面的にお任せします。どちらの先生もすてきですから。と言う。
―え?そういう訳には…。
―そもそも漫画になる時点で私の手を離れた作品なのですから、だめな要素が無ければよいようにしてください。
ひどくごねていた(ように感じた)割にはこのあっさり度が不思議だった。何にこだわっていたのか、何がよくてなにがだめでこれほどの時間がかかったのか、全く分からなかった。
―契約の話はまた井坂さんと詰めさせていただきます。お時間をいただいたことは申し訳ありません。
桜は最後はこんなふうに締めくくった。これで頻繁に桜と連絡を取ることはなくなるのだろうと思うと寂しさが湧く。
そう、そもそも自分は作品のコアなファンだったのだから。
―また進捗などメールをさせていただきます。
―分かりました。では、どうぞよろしくお願いいたします。
そっけない桜の挨拶の文字が切ない。かといってここでファン丸出して私的なやり取りをするわけにもいかない。
次にメールをするのは自分ではなくなる。それは担当の人間がすることだろう。
そして自分が桜の書いた小説の『私』のように、手の届かない人に成就できない思慕を抱いていたことを思い知らされたのだった。