拝啓編集長様   作:bui

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第4話

桜が漫画化の話を了承したことを告げると、井坂は気持ちよいほどの笑顔と、気持ち悪いほどの労いを高野に見せた。

 

さらに井坂にしては珍しくホッとした力の抜けた表情も見せたから、井坂自身もどこかで今回の件は無理だろうとあきらめていたのではないだろうかと感じられた。

 

それは声に出しては言えないような何かがあったのではないだろうか?

井坂と桜の間には表立って動けない障壁が存在したのではないのだろうか?

 

そもそも落としにかけては定評のある井坂が高野に任せたことも不自然だったし、結論について催促はされたものの、だからと言って必ず受けさせなければ困ると言う雰囲気ではなかった。

 

 

 

結局、桜は小説のコミカライズ化を了承して、夏に行われる丸川主催の受賞パ―ティ―にも参加するという。

 

良いことばかりのように感じるが、その実、何かの均衡を崩すようなことをしてしまったのではないのだろうかと珍しく不安が沸いて、この小説に手を出すのは時尚早だったかもと怖気ずく自分がいた。

 

さらに一ノ瀬先生でいくのか、吉川先生で行くのかという問題がエメラルドの中で発生していた。

どちらの作家も巨匠なだけにイメ―ジの段階では問題はなかったのに、周りの人間も皆思い入れの強さをぶつけ合ってしまうからうまくまとまらない。

 

桜さえ是といえばとんとん拍子にことは進むと思えていたのに悩みはつきない。

どちらの作家もぜひとも自分が書きたいと直談判に及ぶほど作品にほれ込んでいた。

 

会議をしても部内では決まらず、強引に決めるには決め手もない。

仕方なくもっと上の方に決定をゆだねようとするも、井坂はそれを許さず、お前が口説いたんだからお前の責任で決めろと高野に一任をした。

 

もちろん、本来なら自分がきっちり決めるところなのに、今回高野はなぜかひどく迷っていた。

 

そんなのは自分らしくないと承知もしていたのだけど、この小説に対して気持ちが入りすぎているのは自分も同様で、どちらのイメ―ジラフも結果として高野に決めさせるほどしっくりとは来ないのだ。

 

そして、ある疑問が解消されれば自分の中でイメージを固めることができる。きっと思うものを作れるに違いないという不思議な自信があった。

なので次はないと決めていたのに、高野はまた桜にメールを送った。それは以前律に言われて送ったファン丸出しのメールに近い、ひどく私情に駆られたものだった。

 

 

 

 

その日、3日ぶりに律が姿を見せて、夕飯はさっぱりとしたかつおを揚げたタタキとスライスたまねぎを飯に乗せたドンブリにした。

どんぶりに描かれた吹き絵のウサギがかわいいと律が言ってから、ついそれを使う料理が多くなっている。

 

酢を効かせた鮮やかな赤い身は薬味によく合って、このところ急に上がった気温に疲れはじめた内蔵に沁みるように感じた。

 

最近の律は家に来るときには詰襟を脱いでいる。

衣替えも済んで、詰襟を着るような時期ではないのだけど、律の冬服の季節はなぜかとても長く、去年もおととしも真夏以外はずっと羽織っていた。

 

ワイシャツの上にアイボリ―の綿のベストを着ていた律は詰襟の姿より大人びて見えて、「いつも着ているから今年ももう少し学ランを着るかと思っていた」と高野が揶揄うように言うと、「さすがに3年着ているときつくて」と笑った。

 

「それ中学の時のまんまなのか?」

記憶を呼び出すように考えるけど確かに新品の制服を見た記憶はなかった。

 

「高校生になった時に作んなかったの?」と呆れて言うと「え?制服ですか?」と律はキョトンと首を傾げた。

「そう。」

「あるのに新しいのを作るって無駄でしょう。」

 

いやいや普通作るだろう?お前んち金持ちなんだろ?

 

そう喉まで出かけた声が止まったのは、律がそれに対して全く不思議には思っていない様子だったからだ。

 

そういえば通学用のバッグもずっと同じものを持っているようだ?

 

イマドキの若い子なら男でもおしゃれなもんとか流行のもんとか持ったりするんじゃないのか?

くたびれて見えるバッグだけど、ひょっとしてブランドモンとかめちゃくちゃいいやつなのかもしれない。

 

靴や時計などはかなり品のよさそうなものを使っているから制服やバッグに年代を感じただけなのかもしれない。

 

なにより、育ちのよさそうな美しい所作はこんな簡素な食事でも綺麗な料理に見せる。

 

汁碗を持ち上げる腕に光っている茶色い皮のベルトの時計は、高そうなのに少しも嫌みでなく、律によく似合っている。睫毛が長い。茶色い髪も緑がかった目も陶器の人形のようだ。スキスキ言われてたのに気にしてなかったけどこいつこんなに綺麗な顔してたんだなと、そんな事を考えながら高野もまた味噌汁椀を口に運んでズズっと一口すすりあげたのだった。

 

「高野さん、ご飯時なのに気もそぞろ?それって良くないと思う。」

 

そう言われてはっとしてしまう。そわそわしていることが知れていたことに少しだけ羞恥がわいた。

 

律のことをあれこれ考えてもいたのも確かなのだけど、それ以上に深く気にしていたのは桜に送ったメールの返事の事だった。

 

質問に対して一度回答が来ていた。

 

一正直にお聞きしたいのは、この『私』はどういう人なのかという事です。漫画にするにあたってそこが分からないとどうしてもイメージをうまくはめ込めないんです。

 

その小説にとって、それはまるで推理小説のネタばれに近い質問だっただろう。唐突で不躾過ぎて不信感しか抱かせない可能性も少なからずあるはずで、それゆえ高野は散々迷った挙句の特攻に近いメールだった。

 

さすがにすぐに返事は来ずに、やっぱり無理だったかとあきらめかけた昨日

 

―『私』はわたし、桜自身です。

 

という返事が来たのだ。

 

一桜先生ですか?先生は男性ですよね?

―そうお聞きいただいているならそれが正解です。でも『私』のことは男とか女という性別を意識して書いたわけではなく「人と人」という家族の愛や友愛、尊敬、さげすみ、嫉妬、侮蔑など、人が当たり前に持っている感情を入れ物という包み紙のような外側をはがして、中身だけにしたらどうなるかという気持ちを込めて書きました。だから私が男性である以上性別を男性とするのは正しいのですが、私自身は性別を特に意識して創作したわけではありません。

 

―では、『彼』も実在するのですか?

 

疑問は一つだけのつもりだった。しかし『私』が桜だと聞いて、居ても立ってもいられなくなり、さらに不躾すぎる質問をしてしまったのだった。

 

そして…、その問いにまだ返事は来ていない。

 

昼は忙しいのか、常では、桜とのやり取りは夜半が多かった。小説を書いたりする人たちは夜型というイメージもある。

 

なので食事時に返事が来るとは思っていないはずなのに、どうしてもパソコンが気になって仕方がなかった。

 

小説の『私』が桜自身なら『彼』は桜の想い人ということになる。心臓がずくずくと痛んで、『彼』が実在する桜の想い人かもしれないと想像するだけで痛む心臓がさらに容赦なくグニグニと握りつぶされるような気がした。

 

だから『彼』は架空の人物ですと言って欲しかった。『彼』に特定のモデルがいた場合の自分の持つ悋気を押さえる自身がなかった。

 

文字だけの短いやり取りなのにこんなのはおかしい。

きっとファンの気持ちが大きくなり過ぎて惑わされているのだと、わざとらしく目を覚ませと自分を諌めるのだけど少しも気持ちは軽くならず、浮かれきった落ち着かない気持ちと、そんな馬鹿げた自分を否定しようとする気持ちがせめぎあって情けなさが膨らんでいく。

 

返事を待ちわび過ぎて、メールフォ―ムのフォントまでもが揺れているように感じる。

 

これが恋か?

 

いよいよ観念して高野は過去のいい加減な恋愛をふり返り、苦しいため息を吐いた。

 

「高野さん、誰のことかんがえてるの?」

と、普段にはない高野の様子に何か勘づいたのか、腰を少し上げて顔をグイっと近づけ、固く大きな声で律が言った。

 

「誰って?なんで?」

「ご飯おいしい?」

「別にうまいさ、さっぱりしてて。」

「じゃあなんでそんな苦いもの食べたみたいな顔してるの?」

 

正直面倒くさいと思った。

目の前の子どもにイラっとして「生麦が辛かったんだ。」と適当な答えを返す。

しかし即座に「うそ!」と言い返されて高野のイライラがさらに募る。

 

なんで責められてんの?

そんなこと言われなきゃなんね―の?

苦い顔してメシを食おうがお前には関係ないだろ?

 

「喧嘩売るなら帰れ。」

律の鋭い視線を払うように目の前で箸をシッシと動かすと、その箸を律がグっと掴んだ。

 

「売ってない。聞いてるだけじゃん。」

「いきなり意味わかんねー。飯食え。」

「高野さんがごまかそうとするから。」

「そもそもガキに言うことでもねーよ。」

「すぐそうやって子ども扱いする!」

「そうやってむきになるからガキだって言うんだ。あほか!」

 

いい加減うんざりして、箸を取り返そうと強く引くと律がバランスを崩してテーブルに思いきり手を当ててしまい、吹き絵の青いウサギのどんぶりがなぎ払われて真ん中からガシャンと割れた。

 

律が短い悲鳴を上げて指を手で覆うと、その指の隙間からツツっと赤い血が流れるのが見えた。

 

「見せて!」と慌てて手を取ろうとすると律がバシっと高野のその手を平手で打って、手を背に隠して後ずさった。

 

「大人だって言ったり子どもだって言ったり勝手だ!何を言っても本気にしてないくせに!」

 

先ほどまでの尖った声とは異なって、泣き声の混じった声には悲しさがあふれて、高野は胸をか細い針で刺されるような痛みを感じた。

 

「なんで拾ったの?捨てるなら拾わなきゃいいじゃん。残酷だよ。二度も捨てるなんて!」律がそう言って部屋から飛び出して行く。その背を見ながら、どうしていいか分からないまま「今頃反抗期かよ…。」と、呟いて、割れた皿をゴミ箱にわざと強く放り込んだ。

 

ゴミ箱の中では二羽のうさぎは細かく砕けたのに目だけが上を向いて高野をキョロリと見つめていた。

 

 

 

夜半を過ぎた頃、パソコンにメールが届いた。

待ちに待った新着の知らせは短かった。

 

―『彼』は私の双子の弟です。

 

たったの一行のその文字を見て、高野の中の小説のイメ―ジがグルリと変わった。恋愛ではなかったのか?会ったことがないといっていた弟…。

 

メールへの返信をしなければと思うのだけど一文字も打てないまま、夜は更けていった。

 

 

うとうととしつつも芯からは眠れないまま朝を迎えた高野は、律が置きっぱなしにしたバッグを隣の部屋に届けに行った。

 

大人、子ども、と律に言ったことで、逆に自分がひどく大人げなかったことを自覚して反省をした。

 

確かに自分はいつだって律の言葉を本気にはしていなかった。妄想癖がひどいと理由をつけて、本気で言い合ったり傷つけることを避けていた。

いさかいで負の感情にとらわれることが面倒だと思う気持ちがあったからだ。

 

二度捨てる…、その言葉になぜか自分もひどく傷ついていた。

それは高野自身が不全の家庭で育ったからだった。

 

常に喧嘩の耐えなかった両親は高野が高校生の時に離婚をして、今はそれぞれ別の家庭を持っている。

幼い頃はどうだったのか思い出せない。記憶にあるのは既に罵り合う両親の醜い顔だけだった。

 

自分は何の為に生まれて来たのかと問う毎日に答えをくれるものは何もなく、いつの間にか熱く求めることを放棄して傷つかないために先回りして諦めるという事を覚えてしまっていた。

 

律の母親とは何度か電話でやり取りをしていたが、その印象では家庭が崩壊しているという感じはなかった。

 

しかし、だからと言って律のすべてが満たされていたとは限らない。甘えて来る律は自分に何を求めていたのだろうか。

 

なぜもっと律自身を知ろうとしなかったのだろう。

自分にとっての律はなんだったのか、一人の食卓がそれをおしえてくれた。

何気ない律との会話が自分の中に隠れている本音や曖昧な感情をわからせてくれていたのに。

 

もう一度ちゃんと人として向きあって行きたいと告げるべきなのだろうか。

まだ自分は間に合うのだろうか?

 

 

しかし隣の律の部屋は呼び鈴を押しても応答はなく、誰が通るかわからない通路にバッグを置いて行くのもためらいがあった。

メモを挟んで仕事があるために一日立ち去るが、夕刻になってドアの隙間を見ると朝挟んであった紙はそのままになっていた。

 

学校のバッグだとしたら困るものがあるのではないだろうか?

ためらいがあったがバッグを開けて中を見るけどそこには薄い図鑑と古びた雑誌が入っているだけだった。

 

通学のためのバッグとはとても思えない空っぽの中身に嫌な予感がして、慌てて過去何度かかけた母親の携帯に電話をするも不通、おかけになった…という機械の音声が流れるのみだ。

制服を着ていたから律が普通に学生で学校に通っていると思い込んでいたけど、制服も作らずに中学の詰襟を着こんでいたのはなぜなんだろう?

 

律の元の住まいどころか、律がとなりに越してきて(越したよと言われて)数カ月の間、高野は隣のドアの中に入ったことさえ一度もなかった。

 

集合ポストの名札は織田になっているから確かにここにいたはずなのになにか取り返しがつかないことになりそうな不安が湧く。

 

律が来なくなってから食事をする気持ちが全く出ない。

 

いつだって野良猫のようにふらりとやってくるから、毎日きちんとおかずを用意していたわけではないのに、今度来たらあれを作ってやろうとか、旬の食材を見れば律は好きだろうかといつも考えていたことを思い知らされる。

 

またどこかで拾ってくださいって箱に入っているのではないだろうか?

今度こそ悪い大人にさらわれてどこかに売り飛ばされてしまうかもしれない。

そうなればもう二度と顔を見ることができないのかもしれない。いや、そうならなくてももう律は来ないのかもしれない。

 

いなくなればせいせいする…、そう思ったこともあったはずなのに、夜も朝も隣の部屋のドアが開く音を耳を澄まして待つ。

高野の毎日は、そうやって過ぎた。

 

 

 

そして、律が泣きながら去ったあの日から、二週間が過ぎていた。

 

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