いよいよパーティーの時間となった。
格式のあるホテルなので調度も上等で、一番大きなホールではないことも功を奏してしっとりとしたとても良い雰囲気のままスタートできていた。
一ノ瀬先生や丸川が尊重している来賓は前の方のテーブルに通されているようだ。
吉川先生は身ばれができないために来賓席には通さずに、申し訳ないがエメラルドのメンバーと同席にしてもらっている。来賓席はずいぶん前の方なので後ろ姿しか見えないが、かしこまった雰囲気ながらもおのおの互いの近況などの挨拶をしあっているようだった。
間をおかず、司会進行役からの開場の挨拶と今日の流れの説明があって、重鎮からの念仏のごときありがたいお言葉(眠い)を賜り、いよいよ本命ひとつ前の社長からのご挨拶となった。
紹介された井坂がひな壇中央のマイクにスタスタと歩み寄り、通る声で今日の日の喜びを語る。
スポットライトに照らし出された井坂の容姿は、モデルにしても良いぐらい丹精なのに貫禄では決して他の企業のトップに引けを取らない。
普段はいくつも顔を使って細やかに案件をさばいていく人だが、今日は大きな企業のトップの賢そうな血筋の良い御曹司の仮面をかぶっていた。
(仮面なのか、これが素なのかは不明)
立場的に末席に配置されているエメラルドのメンバーにはこの30分ほどは苦行の時間のようで、木佐は『退屈…、さっさとお菓子を配ればいいのに…。』と小声で言って羽鳥に(テーブルの下で)足を蹴られていた。
フリーダムな態度が良い効果を発揮している場合の多い木佐だけど、さすがに今回は場をわきまえろと言いたい気持ちは同感だった。
「皆さんもそろそろ焦れてきた頃でしょう。」
井坂がもったいぶったもの言いでお待ちかねの登場をほのめかすと、若干ダレ気味だった場の空気にぴしりと気合が入った気がした。
「本日の主役、桜先生に登場していただきます。」
身体を軽く引いて手をひるがえしながら肩の位置まで掲げた先にはすらっとした体躯の男性が立っていた。
年のころは40過ぎ、茶色い髪を丁寧に押さえつけたニューヨークのビジネスマンのようなしゃれた風貌の人物だった。
少しだけカジュアルな光沢のあるスーツに桃色のコサージュをつけていて顔つきだけ見るならば昔の文学青年が成長したような雰囲気をかもしている。
一瞬、前の席に座っている重鎮から息を呑むような声が上がったが、さすがにTPOをわきまえている人々からはそれ以上の言葉が発せられるということはなかった。
「お姿をご覧いただいてあれ?って思われた方もいたようですね。」
井坂がいたずらが成功した子どものようにしたり顔でニコニコ笑う。軽く会釈をしてから身体をよじってジェスチャーで前へどうぞと男性に場所を譲ると、マイクの前に立ってその男性は挨拶をした。
「皆さんこんにちは、今日は桜さくらとして来ていますが本名は小野寺直樹と言います。小野寺出版の社長をしています。」
「え!?」
今度こそ場がどよめいた。
なに?どういうこと?という声と、やっぱり小野寺さんというささやき声が出ていたが、会場の騒ぎなど気にもせず小野寺社長は話を続けた。
「このようなすばらしい賞をいただいて、まさか丸川さんで受賞パーティーまでしていただけるなんて夢のようです。本当にありがとうございます。」
顔出しを渋っていたことと政治ということ、高野はそれでか?と過去の井坂とのやり取りを思いだしていた。井坂と知り合いという点も頷けるし、創作を広げて行く気はないと言った言葉の意味も納得できる。だけど事前に聞いていた話と違っていて腑に落ちない点が多すぎるし違和感というより詐欺にあったような不審な感覚に陥っていた。
文学青年然とした目の前の人物に小説を書くというイメージがないわけではないのに、なぜかあの小説を書いたのがこのひとだというイメージにならない。
自分はこの完成されたように見える人にメールでお世話になってありがとうございましたと謝辞を述べることになるのだろうか?
確かにメールは文字のみのやり取りだ。受けるイメージは自分が勝手に作り上げたもの以外の何物でもない。バーチャルとリアルは異なるからその違いに戸惑っても仕方がない。
そう、メールの文面ごときで相手のことはわからない。
でも短いメールの文中にあふれていたのは視点の定まらない危うさだった。
それは、崩れかけた橋を渡る時のゾワゾワとした怖い気持ちとか、切れかけた紐を用心深く手繰るようなスレスレの緊張感のような感じで、しかも崩れたら、切れたら、それはそれで構わないと決めているような潔さもあって、どちらも共存しているところに熟成されていない若さを感じた。
しかし、目の前の人物からはいくつもの山を乗り越えて来た人の持つ、悠々とした自信のようなものを感じるから、桜に感じていた視野狭窄で平静を保てなくなったらきっと錯乱してしまうだろうというようなエキセントリックさが足りないように感じる。
実際に人を好きになるのに人物の背景は関係ないと思っていたから年上でも年下でも女性でも男性でもよかった。そして自分が好きになったのは、小説を含めたあの桜だった。自分はまんまと騙されていたのか?
いや、それも含めて人を化かすのが『モノ書き』というものなのかもしれないから、虚像と実像が異なっていたからと言ってがっかりするのはお門違いも甚だしい。
すべて錯覚だったという事だろうか。
騒音がないという意味で場はシンっと静まり返っていたけど、あの小説を読んだここにいるすべての読者の心はざわついていた。何か違う。おかしいという気持ちが混乱を呼んで、おそらくだれも小野寺社長の話を聴けてはいなかっただろう。
引き続き挨拶を続けていた小野寺社長だったが、さすがに雰囲気でわかったのか声を止めフウっとため息をついて苦笑した。
「こんなに好意的でない場所で話をしたのは初めてです。」
全員がその言葉にしまったと自分たちの態度の悪さに羞恥した。
「いえ、皆さんを責めているのではありません。むしろ責められるのは私の方です。私の負けです。やっぱり皆さんはちゃんと分かってらっしゃったようです、」
小野寺社長は井坂の方に向きなおしてそういった。
「ではそのまま社長から紹介をして差し上げてください。」
どや顔に近い笑い顔で井坂がそう言うと、小野寺社長は苦笑したまま「おいで。」と隅にあった目隠し用のパーテーションに向かって声をかけた。
スッと出てきたのはグレーのスーツに身を包んだ少年だった。
長めの茶色い髪の毛が身体の動きに合わせてさらさらと揺れて、不安と戸惑いと分かる翡翠の瞳も同じように揺れていた。
一同はまた別の困惑に陥る。一応は静寂を保っているが今度は何が始まったのかと困惑もこう度重なると疑惑に変わる。
しかし高野は別の驚きを持って少年を見ていた。
髪型は違う、しかしあの顔は間違いない!?
あれほど必死で探した飼い猫、律だ!
こんなところでなにやってんの?
俺から逃げて何の為にここにいる?
高野は立ち上がりかけた腰を椅子にはりつけるのに必死になりながら小野寺社長の言葉を待った。
「すみません。私が桜さくらで皆さんが納得すれば、そのまま代行するつもりでした。でもやっぱり皆さんを騙すのは無理だったようですね。」
人にものを告げることを常としている小野寺社長の静かな声がざわついた耳にスッと入ってくる。疑問はこれからすぐに明らかになるだろうという確信が場を落ち着かせていった。
「実はあの小説を書いたのは私の息子小野寺律です。」
紹介された小野寺律はそのまま父親の隣でペコリとお辞儀をした。
「申し訳ありません。彼はまだ15歳なので礼儀作法など失礼があればお許し下さい。」
小野寺社長の言葉に場はまた大きくざわめいた。
若い作者だとは感じていたがまさか15歳?!
ということは出版した時点では14歳だった?
困惑やら、また担がれているのではないかというようなことが口々に上がっていたが、小野寺社長は今回はそれを改めることはしなかった。
「私も井坂さんからきちんと聞いたのはつい先日でして。以前律の雑文を本にしたいと言ってくれた時には本気にしていなくて記念出版ぐらいの気持ちでした。そのあと忙しさにかまけていたとはいえ本当に出版されていたことも知りませんでした。だからまさかこんな騒ぎになっているとは思っていなくて、未来を見誤るというのは会社をやっているものには痛いことですね。小野寺で出せば良かったとか。」
小野寺社長が肩を上げて笑うからこちらもみんな和んで笑った。
「息子はまだこんなに幼いので、できればあまり表に出したくなかったので、このようなことをしたことをご理解いただければと思います。」
小野寺社長は軽く会釈をして一歩下がり、息子の背を押しマイクの前に立たせる。
笑おうとしているけど緊張からうまく笑えないらしい顔は幼さと青年のそれが入り混じった不安定な表情だった。
「こんにちは。すみません、私のような子どもでがっかりさせてしまったと思いますが、今日はありがとうございました。」
律…、に良く似たものの顔を高野は呆然とただ無言で見つめた。よくも悪くも夢なら覚めてくれと念じるぐらいに実感がなかった。
軽い挨拶が済んでいよいよ席について井坂との対談が始まった。
小野寺社長はそのタイミングで一招待客として段の下の席についたのだけど、息子のそんな姿にたいして、晴れやかに思えたのかやっぱり惜しく思っていたのかはその表情からは伺えなかった。
対談での桜は賞賛にははにかみ、ちょっとひねった切り替えしにも勘よく率直に答えた。その姿は『子ども』と自分で謙遜したものの、きちんとしつけられたことがわかる好ましいもので、大人を相手にしてももの怖じない所で桜が特別な教育を受けていたのであろうことも伺われた。
小野寺律は小野寺出版の総領息子なのだ。生まれた時から大きな会社を担う運命を背負い、帝王学を学びながら物質的に不自由な事など何一つなく育ったはずだ。
しかし、一方で因習を重んじる曽祖父に縁起が悪いからと犬猫のように簡単に捨てられる兄弟に思うことがなかったはずがない。いったいどんな気持ちで書いた小説だったのか。運命を呪うほどにはまだ大きくはないけど、無言の反目や社会に対する恨みがなかったとは思えない。
自分の置かれた幸せな立場を喜んだのだろうか?
自分でなくて良かったと思ったのだろうか?
桜の横顔からはそれを読み取ることはできなかった。
対談の体ではあるけど飲み食いを楽しくするスタイルをとっているために、各テーブルには茶と菓子が振舞われていた。足りなくなればスタッフを呼べばお代わりも自由なために、対談以外の場でも社交が行われている。
その後の本格的な会食を思えばあまり無茶食いはできないが、エメラルドのメンバー(と吉川先生)は対談などそっちのけで飲み食いに精を出していた。
はじめこそ信じられないと騒いでいた面々だったが、それは決してがっかりしたということではなく、むしろ偉業に立ち会った関係者のごとく浮かれた声だった。
井坂の言った政治とはこういうことだったのか。
そりゃ顔出しできないわな…。未成年にもほどがある。
高野は自分がやり取りしたメールのことを思い出しながら、いったいなにがどうしてこうなっているのか、気持ちをまとめることができずにいた。
桜が律だとしたならばなぜ律はあれほどに怒っていたのだろうか?
自分が気もそぞろだったのは桜のことを考えていたのだと理解していたのだろうに。やはり律は桜ではないのだろうか?似た他人?まさか桜の言っていた双子の弟?
推理小説の当事者がホームズならなんの問題もないのだろうけどあいにくただの編集長だ。難問は解答を待たねば丸つけもできない。
「高野さん面倒なこと考えないで食べなよ。」
木佐が目の前にまん丸い月餅のような菓子を差し出す。(ガレット)
脳みその栄養は糖分だと言うから、対決を控えている自分にはぴったりだと思って、高野はその菓子を木佐の指までがぶりとかじりついてやった。