「ふわぁ〜……」
欠伸を噛み殺しながら朝の通学路を歩く。もうこの道を通るのも2年目になる。いつもと変わらない朝の光景だ。
そして変わらないものがもう一つ。
「なんだい、眠そうだね。 昨日は夜更かしでもしたのかい?」
俺の隣で快活に笑う幼馴染だ。
彼女、夕陽リリは俺の幼馴染で、小学校からの仲だ。中学、高校と一緒なので、いつも朝は一緒に登校している。なのでもはや登校が一人だと逆に変な感じがするくらいだ。
「春休みの課題をすっかり忘れててな……。 なんとか終わりはしたけど、満身創痍だ」
「まったく、仕方ないな……。 長期休みのたびに課題を溜め込んでる気がするけど?」
「いやぁどうしてもやる気にならなくてな……」
「変わらないな、キミは」
「そう言うお前はどうなんだ?」
「とっくの昔に終わらせたさ」
「そういうヤツだったな、お前は……」
取り留めのない話をしながら歩いていたら、いつのまにか学校に着いていた。
新年度からの新しいクラス分けが昇降口に掲示されているはずなので、それをリリと見に行く。
「さて、今年も一緒のクラスかな?」
「だといいんだが……」
名簿を順番に確認していく。しばらく探していると、自分の名前があった。彼女の名前と同じクラスに。
「おや、どうやら今年もお世話になるみたいだね」
「おう、こちらこそ」
彼女との縁は、今年も続いていくようだ。
彼女と一緒に新しいクラスの教室に入ると、見知った顔があった。腕を枕にして机でスヤスヤと眠っているのもいつも通りだ。
「おぉ、環も同じクラスだったのか」
「……ん、あ、おはよー。 みたいだねー。 今年度もお世話になりまーす」
「はいはい、よろしくな」
文野環とは、去年同じクラスになってからの知り合いだ。掴み所がなくフラフラとしている彼女は、なんとなく放って置けない存在で、気がつくと色々と世話を焼くことになっている。付いた渾名は『野良猫』だ。
「ところでお二人に早速お力をお貸ししていただきたいんだけど……」
「何?」
「宿題、写させて? 数学だけ終わらなくてさー」
「……野良猫ちゃんならそう言う気がしてたよ……」
「だな……」
「そう言いながらも見せてくれるからいい人だよねーホントに」
なんやかんや環には甘くしてしまう。コイツにはそうさせる不思議な雰囲気があるのだ。
渡した課題プリントを写しながら、環が言ってきた。
「そういえばキミの隣、あの子でしょ?」
「? あの子?」
「あれ、知らないのー? 割と有名だよー?」
「いや、そういう情報には疎くてな……」
「仕方ないなぁ。 この私が教えてあげよう!」
「はいはい、お願いしますー」
環は何故か上から目線で、隣の彼女について説明し始めた。
「家長むぎちゃん。ほとんど学校に来てないのに、テストでは毎回上位をキープ。しかもルックスも良くて、偶に学校に来ると毎回男子に告白される有様なんだって。 その癖、『ガチ恋はNG』って言って全部断ってるらしいよー」
「はー。そんなヤツいるのか……」
俺は知らなかったが、どうやらとんでもないヤツと隣になってしまったらしい。
「まぁ私の方が可愛いんだけどね」
「すーぐそうやってイキる」
「あぅ」
イキり猫にデコピンをして黙らせる。コイツは放っとくとすぐこれだからな。
しかし家長むぎ、か……。……上手くやっていけるのか?
その話題の彼女が教室に入って来たのは、朝のホームルームが始まるギリギリになってからだった。
やはり彼女のことは皆んな知っているのか、一瞬クラス中の注目が彼女に集まる。
しかし彼女はそんな空気を気にもせず、自分の席へと座った。
隣の席に着いた彼女と目が合う。
「……おはよ」
「おう、おはよう」
ぼそっと彼女が呟いた。それに挨拶を返す。会話はそれきりで終わってしまった。
どうやら前途多難な1年になりそうだ、そう思った。
授業終了を告げるチャイムが鳴って、午前中の授業が終わった。新学期最初の授業なのでガイダンスの色合いが強かったが、いかんせん休み明けの身体だ。なかなか堪えるものがある。
何はともあれ、とりあえずは昼飯だ。鞄から弁当を取り出す。すると目の前にもう一つ弁当が置かれた。
「一緒にいいかい?」
「もちろん」
空いていた机と椅子を持ってきて、俺の対面にリリが座った。
「私も混ぜてー」
さらにその横に、環もガタゴトとやってきて机を並べた。
去年までと同じ、昼食の光景だ。
しかし俺はそこでふと、隣の席の彼女のことを思い出した。けれど既に、そこには誰も居なかった。
俺の視線に気づいたのか、リリがニヤニヤしながら言った。
「えーなになに、むぎちゃんのことが気になる?」
「別にそういうんじゃねぇよ。 折角隣になったんだから、ちょっとは仲良くしとこうかと思っただけだ」
「ほんとに〜?」
「ほんとに決まってるだろ」
そこで環が口を挟んだ。
「むぎちゃんなら授業が終わってすぐ教室を出て行ってたよ」
「む、そうだったか」
「まぁまた今度誘えばいいんじゃない?」
「……それもそうか」
確かに昼飯を誘うくらい、何回だって機会があるだろう。
「あ、それおいしそう」
「おい待て、勝手に人の弁当のおかずを取るな」
「いいなー、じゃあ私も貰っちゃお」
結局、いつも通り3人での昼飯となった。隣の席は空いたままで、彼女が戻って来たのは昼休みが終わる直前になってからだった。
帰りのホームルームが終わると同時に、家長は教室を後にしていった。結局今日一日何も喋らないで終わったな、と横目で見ながら帰り支度をしていると、リリと環がやって来た。
「野良猫ちゃんが美味しいケーキ屋さん見つけたらしいからさ、帰りに寄ってかない?」
「おお、いいぞ。どの辺りにあるんだ?」
「んーとねー、学校から駅に行く道の一本裏の通りにあるんだー」
「へぇ、よくそんなところ見つけたな」
「散歩してたら偶然見つけたんだー。 流石私の観察力って感じ?」
「すーぐそうやってイキる」
「そんなんだからイキりキャットなんて呼ばれるんだよ?」
そんな他愛もない話をしながら、3人でケーキ屋へと向かう。去年もよくこうして、3人で寄り道しながら帰ったものだ。全員部活とかはやっていないので、帰る時間は大体同じだからだ。今年もきっと、こうやって一緒に帰ることが多くなるんだろうと思った。
その日は偶々弁当を持って来ていない日だった。
「あれ、ご飯は?」
「今日は弁当が無くてな。 購買まで行ってくる」
「そっかー、了解」
ウチの学校には学食がないので、弁当以外でメシを食うとなると、必然的に購買で買うことになる。そのため昼時はかなりの賑わいを見せる。
「どれにしようかな……」
何を買うか悩んでいると、視界に金色が入った。それが家長だと気づいた時には、既に彼女は会計を終え購買を後にしていた。しかし彼女が向かったのは教室とは逆方向だった。なんとなく気になった俺は、手近にあったパンを急いで会計し、彼女の後を追うことにした。
彼女は階段を上っていった。こんなところに何の用が、と思いながら後を追って行くと、彼女はそのまま屋上へ続くドアを開けて屋上に出た。少し躊躇ったが、俺も続いて屋上へと降り立った。
ドアを開ける音で、彼女がこちらに気づいた。
「よぉ」
「……何かご用ですか」
「別に用があるわけじゃない。 1人でどこ行くのか気になって着いてきたんだけど……隣、いいか?」
「……どうぞご勝手に」
本人の許可が出たので、隣に腰を下ろす。
「屋上ってこんな感じになってるんだな。初めて来たよ」
「別に何もないからね、ここは」
2人で買ってきた昼飯をもさもさ食べながら、少しだけ言葉を交わす。
「いつもここで昼飯食べてんの?」
「……悪い?」
「いいや? 陽当たりも良くていい場所だ」
「ならいいでしょ」
「まぁな。 でもなんで教室では食わないの?」
そう聞くと、少し悲しげな顔になった。
「……むぎ、友達居ないから。 あんま学校にも来てないし。 どうせ1人で食べるなら教室なんかよりここの方がいいから」
「……そうか」
「そうだよ。 ここで音楽聴きながら、日向ぼっこするの、むぎは結構好きだから」
会話はそれきりで終わってしまった。
ただ、なんとなくそれで終わらせたくなかった。
「……じゃあ、一緒に食べる人がいれば教室にいるんだな?」
「え……まぁ」
「それならさ」
「俺と友達になってよ。そうすれば、教室に居場所ができるだろ?」
「……なにそれ」
それを聞いて、彼女は一瞬ポカンとした後に、
「……友達になってって……そんな小学生じゃないんだから……ふふっ……ふふっ」
どうやらツボに入ったらしく、必死に笑いを堪え始めた。
「おいおい、結構真面目に言ったんだけど」
「いやだって……ふふっ……初めて言われたもんこんなこと……」
「笑い過ぎだろ、全く……」
そうしてひとしきり笑った後、少し嬉しそうに言った。
「うん、いいよ、なったげる、友達に。 むぎ、ガチ恋はNGだけど、ガチ友は歓迎だから」
「おう、じゃあよろしく、家長」
「むぎ、でいいよ。 『友達』なんでしょ?」
「……よろしく、むぎ」
「はーい、こちらこそ」
そう言って微笑んだ彼女を見て、わかったことが1つ。
この顔を見るのが友達の特権だとするなら。
きっとこの特権を欲しがる人は多いんだろうな、ってことだ。