お昼休みが終わり、皆さんが眠たそうにしている五時間目。春のぽかぽかした陽気は眠気を誘い、この『道徳』という授業も合まって半分くらいの人は先生の話をちゃんと聞いてません。
もちろん、私こと橘ありすはしっかり聞いています。お仕事の都合上学校に来れない日も少なくないため、出席出来た日は真面目に授業を受ける必要があります。まあ、そうでなくとも授業は真面目に受けるものですが……、暖かくて眠くなってしまうのもわからなくもないです。多分、私は人よりも出席するのが少ない分一時間一時間を大切にする傾向があるのでしょう。論理的に考えると、そう結論付けることが出来ます。
「で、ここでみんなに宿題だ!」
先生のその一言に、今まで眠そうにしていたクラスメートも一斉にブーイングをする。口々にえー、やめんどくさーい、などと騒ぐ姿は普段大人に囲まれている私からすると本当に子どもっぽく見え、一人小さくため息をつく。
「まだどんな内容か聞いてないじゃないか。今回の宿題はずばり、『尊敬する人』についてのレポートを書いてもらう!」
「せんせー、レポートって何ー?」
「レポートっていうのは……、えーっとだな。簡単に言うと調査報告書かな? うん、それだ! みんなには尊敬する人を調査してもらって、それをプリントに纏めてもらう!」
すると一人の男子がなんか面白そうと言い、それをきっかけにクラスメートはまるで波紋が広がるかのようにワクワクしだした。確かに宿題と言われるよりは調査してこいと言われる方が興味をそそるかもしれません。皆さん嬉しそうです。
「人数は最低三人、最高で十人までな! とりあえず一人十枚配るぞー」
配られたプリントには尊敬する人の名前、その下にはその人の職業、そして合計十行くらいのフリースペースがあった。恐らくどこを尊敬しているか、またインタビューした話の要約等をするんだと思います。
授業が終わり、休み時間。周りの女の子達はすぐに私を取り囲みます。純粋に私のことを好きでいてくれる人もいれば、中には私はアイドルと友達だと言うために来ているような子も見受けられます。本当はこんなこと言いたくないのですけど、わかってしまうものはしょうがありません。
「ねえねえ橘さん、橘さんはやっぱり尊敬する人だと同じアイドルの人?」
「うん、まあそんな感じ……?」
ふと誰が尊敬出来る人なのか考えてみる。まず真っ先に出てくるのは文香さん。容姿の大人っぽさは言うまでもなく、内面からも滲み出る可憐さは今の私には真似出来ないものです。最低三人ですから、あとは誰でしょうか。
私や文香さんはクローネに属しているので、その流れからすると凛さんもです。かつてシンデレラガールにも選ばれ、今もなお最前線を走っている凛さんはやはり尊敬の対象です。
……クローネだと、後はいつも私をからかってくるフレデリカさんも……、いやいや、あの人は尊敬ではないですね。確かに適当に見えて意外と周りを見てるし、みんなが真剣になるあまり固くなっていてもあの人だけは持ち前の明るいオーラで晴らしてくれるしと良い一面も光りますが、それでも尊敬する人としてインタビューするのは抵抗があります!
「それだとやっぱり高垣楓とかー? 本当に綺麗だよね~」
「……まあ、確かに見た目は綺麗ですけど」
合同ライブでの掛け声が最たる例で、楓さんはどんな時でも子どもっぽさを忘れません。それは良い意味でのものであり、人気にも繋がっているので何とも言えませんけど、皆さんが想像するクールビューティー高垣楓を考えると素直に頷けません。
実際、私は尊敬する人として誰をインタビューするのでしょうか。そんなことを考えながら、六時間目を知らせるチャイムが鳴り響いた。
今日はお仕事は無く、レッスンもお休みです。にもかかわらず事務所へ足を運んだのは、お察しの通り宿題に着手するためです。文香さんや凛さんがいるとは限りませんが、とりあえず十枚もあります。こういう言い方は相手の方に失礼ですけど、慣れるためにも一度やっておいて損はありません。
「おはようございます」
事務所の部屋へ入る。中にいたのはちひろさんとフレデリカさんだけで、どうやらいると踏んでいたプロデューサーさんは外出しているようです。
……にしても、フレデリカさんですか。これはいきなり地雷を踏んでしまった気がします。
「おおーっ、ありすちゃん! おはよーございまーす!」
屈託のない表情で笑顔を浮かべ、こちらへ歩いてくる。白とグレーの太いボーダーのニットに黒のショートパンツ。たまに見るフレデリカさんお気に入りのコーディネートで、ふわふわとしたフレデリカさんの雰囲気と絶妙にマッチしている。
「で、で、どうしたの? ありすちゃん今日予定なかったんじゃなかったっけ? あ、もしかしてフレちゃんに会いに来てくれたとか? や~ん、フレちゃん照れデリカになっちゃう!」
「相変わらず一言に詰め込みますね」
フレデリカさんに会いに来た、というのは完全な語弊ですが一概に否定も出来ないのがまた厄介です。とりあえず私はフレデリカさんを流し、今日の目的を伝える。
……少しだけ情報をねじ曲げて。
「へー、大人について。なんだか変わった宿題だね! というかフレちゃんってば大人だったんだ! わお、これは一大事だねー」
「とりあえずフレデリカさんの名前と、職業と、あとは来歴? を教えてください」
「はい! 宮本フレデリカ、十九才! 職業はアイドルをやっています! あとは学生かなー。あ、モデルもたまにやるかも!」
フレデリカさんの答えを記入していく。ここは別に聞かなくてもわかる場所だったけど、形式として一応訊いておく。
「ねえありすちゃん。来歴ってどんなことを話したら良いの?」
「そうですね、例えば自分がアイドルになったきっかけとか、今の自分がこうなのは過去にこんなことがあったからだとかでしょうか」
そういえばフレデリカさんのルーツって聞いたことがありません。知っていることと言えば昔から日本に住んでいるということだけで、それ以外は本当に何もわからない。
始めた当初よりも少しだけ興味を膨らませ、フレデリカさんの言葉を待つ。
「うーん、ならあれ話そっかな。フレちゃんがいじめられてたときの話」
「えっ……?」
「あ、ごめん言葉が悪かったかな? いじめといってもそんなに酷いものじゃないよ? みんなに陰口とか言われたりしただけ。それも六年生の時だけだよ」
何事もなかったかのように話す。それまでとなんら変わりないフレデリカさんを見ていると、本当にいじめられていたのか信じられなくなる。
なぜ、こんなに明るくて愉快な人がいじめられるのでしょうか。
「スパッと説明しちゃうとね、アタシがフランス人だったからいじめられたの」
「……ハーフ、ですけどね」
「まあ血の濃さだけで言ったらそうだねー。あ、そういえば今はハーフのことダブルって言うらしいよ!」
フレデリカさんのたまに出る博識な部分に驚き、同時にフレデリカさんの言い回しに疑問を覚える。血の濃さ“だけ”? そもそものハーフ……ダブルの定義とは、別々の国出身の親が産んだ子どものはずです。間違っても異なる解釈なんて出来るはずもありません。
「今、ありすちゃんが考えていることを教えてしんぜよー!」
突然の大きな声にびっくりする。胸を張って手を腰に当てる姿はまるで子どものようです。
「“ハーフはお父さんとお母さんがどこの国の人かによるから、それ以外に定義を分ける要素はない”!! とかでしょ! ね、やっぱり当たり?」
「……まあ、当たってますけど」
口を尖らせながら拗ねたように認める。にしてもなぜバレたのか、フレデリカさんは変なところで察しが良いとはいえ、納得できません。
フレデリカさんが一つ咳払いをし、注意を向ける。
「ありすちゃんは言葉って何だと思う?」
「言葉、ですか」
考えたこともない質問に、算数を解くのとは違う感じで頭を悩ませる。言葉は言葉であって、それ以上でもそれ以下でもない。でもこんな答えを用意するためにフレデリカさんが質問をしたとは思えませんね。かといって唸らせるような答えが出てくるわけでもなく、私はうんうんと悩んでいた。
「アタシはみんなからの印象だと思うんだ。例えばありすちゃんとかプロデューサーに木の絵を描いてって言ったらもくもくしたのを書くでしょ? でもこれをイヴちゃんに言ったら多分トゲトゲの、クリスマスチックなのを書くと思うの」
「? 何でですか?」
「イヴちゃんの出身国と日本は気候が違うから、葉っぱの形も違うんだよ~。というか今さらだけど、フレちゃんにしてはちょっと難しいお話をしちゃうけど、ありすちゃん大丈夫?」
「勿論です! 私だって馬鹿じゃありません!」
フレデリカさんが気を利かせてくださいますが、私にそんなものは無用です。こと勉強に関してなら、私は学校でもトップにいますから!
「じゃあ続けるね。つまりね、言葉っていうのは集団の中での共通概念じゃないかな、なんて思うんだ。信号がチカチカしてたらある集団は渡ったらダメって言って止まって、ある集団は走れば間に合うって言って走る。前者にとって黄色信号は歩いたらダメって言葉で、後者にとっては走って渡らなきゃダメっていう言葉」
「つまり、クラスのみんながフレデリカさんはフランス人だと言えば、事実はどうあれフレデリカさんはクラスの異物になってしまうということですか?」
いや半分はちゃんとフランス人ですけど。心の中でツッコミを入れ、フレデリカさんの顔を見る。驚いたと形容するのが最も的確な様子で、顔のみならず全身で驚いていた。
「おおーっ! 流石アタシのありすちゃん! あったまいいー!!」
「橘です! でも、理解はできました。それでいじめられたんですね」
「人とは違う、ってだけで集団は個人を攻撃したくなるもんだからね~」
人とは違う。それは今の私の状況にも当てはまり、アイドルをしながら小学校にも通っているため違うと思われても仕方ない。幸い今はそんなことは起きていないが、明日起こるかもしれない。
……もしかして、フレデリカさんは私の宿題に答える傍ら私に“道徳の授業”でもしてくれたのでしょうか。
「でね、フレちゃんはその時思いました。『そうだ、人と違うのが嫌なら違っていじめられる人とも違っちゃえば良いんだ!』」
「ちょ、ちょっと待ってください! 違いすぎてどうなってるのかわかりません!」
「違うからいじめられる。でもフレちゃんが同じになることは出来ません。なら違うからいじめられる人からも違ったらいじめられないでしょ?」
「い、いや、でもそこから違ってしまえばやっぱり周りと同じ人になってしまいませんか……?」
裏の裏は表。小学生でもわかる現実です。
「二元論……、うん。まあとりあえず、フレちゃんはこうしていじめられない違う人になったんだよ! 明るく明るくを意識してたからオーディションにも受かったのかなー?」
「……最後の最後でよくわかりませんでしたけど、ありがとうございました」
一礼し、今の話をアイドルになったきっかけとして十行欄に埋めていく。書いてみると意外と少なく、正味五行くらいしかありません。けど同じ量の文を読んでも今みたいに勉強は出来なかったでしょう。もしかしたら先生はこれが狙いだったのかもしれません。
「じゃあフレちゃんはそろそろレッスン室に向かおうかなー?」
「駄目ですよ、フレデリカちゃん」
それまで一切口を開いていなかったちひろさんがフレデリカさんを制止する。何か用事でもあるのでしょうか。
「志希ちゃんが帰ってくるまでお留守番ですよ。そもそもレイジー・レイジーでのレッスンですし、一緒に行ってあげてください。……そうでもしないと、あの娘はレッスンに出ないかもですし」
全然信頼されてませんね、志希さん……。ただ周りには秘密にしているのですけど、実は私は密かに志希さんのことを尊敬しています。私も頭は良い方ですけど、志希さんはなんというか、天才が服を着て歩いているような感じですね。たまに興味深い話も聞かせてくださいますし、私が尊敬するのも仕方がないと思います。
……あれ、なら志希さんにも話を聞けば良いのかな。
「呼ばれてないけどどーん! 志希ちゃん登場~!」
噂をすればなんとやら。なんともまあ良いタイミングで現れてくれたものです。
「ねーフレちゃーん。レッスンまで後どれくらい?」
「二十分くらいだね~」
「そっか。じゃあもうちょっとだけイロイロやってこようかな」
「あっ、待ってください!」
すでに踵を返した志希さんを呼び止める。口には出さず、志希さんはただ首をかしげて私の言葉を待っている。
「あの、インタビューさせてください!」
「んー、オールおっけー!」
そう言って志希さんはこちらへ歩いてきて、目の前のソファーに座ってくださいました。