私たちの乗っている新幹線は少し前に名古屋を出た。
ここから先は神奈川県の新横浜駅までノンストップである。
「全く、ヒロシゲは速達の為に途中駅がないのは分かるけど東海道新幹線すら静岡県内ノンストップって酷いわよねー」
蓮子が珍しくまともな事を言ってしまったからこの先で車窓に映るはずの富士山は雲に隠れているかもしれないわね。
「そう考えると東海道メガロポリスとは名付けられているけど個々の都市のサイズはだいぶ差があるわねぇ」
資本主義の最終段階である人口減少がいち早く起こった日本だが目に見える変化と言えば東京が廃れ京都に抜かされたくらいである。
だから名古屋、静岡などの都市は大きくなった訳ではなく結局この辺の交通事情は100年前とさほど変わらないのである。
小さな視界の中が開ける。
浜名湖だ。
小さな窓から除く車窓は少し窮屈でその中に開放感溢れる車窓が映るというのは些か滑稽だがこれの意味は古き良き面白さと受け取る事にしよう。
「ヒロシゲの窓は広いけどその中は窮屈よねー、私はあの奥行きのない不自然な感覚があまり好きじゃないわ」
…何故だ、何故か今日はやたら蓮子と考える事がマッチする。
不吉もいい所である。
私は「そうね」とだけ返し見えてきた浜松の市街地をぼんやりと眺める。
昭和、平成特有の殺風景な瓦屋根。
しかし今はこの風景こそがリアルな味を出すと思う。
蓮子ほど拘る訳でもないがカレイドスクリーンは美を集結させ過ぎて単なる作品になってしまっているような感じがある。
私はこう意味のある景色こそが人間本来の営みを感じられて好きなのだ。
大体人の感性が浮かび起こしたモノから更に浮かび起こすなんて劣化するにきまっている。
プリントアウトした写真をカメラで撮影するようなものである。
プリントアウトした写真に表現力、つまり写真としての魅力が敵うはずなどない。
…なんか私蓮子と行動を共にし過ぎて変な思想を抱き始めてる?
ただの古びた住宅街でこんな気持ちを抱いている。
更に困った事にこの疑問は車窓と共に流れない。
やはり東海道新幹線は静岡に止めるべきである。
こんな感傷的な気分は外の空気を吸わなければ収まらない。
と思っていた時間が私にもあった。
耳元から聞こえるのは静かに揺れる車内、静かに揺れる心を切り裂く豪快ないびき。
もう一本右ストレートを増発しないとこの蓮根はダメなようだ。
富士の麓に少女の断末魔がこだまする。
この新幹線はのぞみだが…
あいにくメリーに富士山を見てもう一度感傷に浸る余裕は無さそうだ。
この話のメリー様には静岡茶を献上したいレベルで苦労をかけていますね。
多分この後蓮子は気持ちを切り替えて最初はどこ行こうかなんて言い出すと思います、メリーはどこまで行っても振り回され役が似合う。
まぁ私の脳内もこの小説で最初に二人が行く場所を考えないといけないので蓮メリと同じですね。
…ん?僕の頭は蓮メリ?僕は蓮メリ?(深夜0時20分)