Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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第一特異点 邪竜百年戦争オルレアン
邪竜百年戦争オルレアン 第1節


緊張した面持ちで管制室の扉を開く。

ロマニから最初の特異点へのレイシフトの準備が整ったと告げられたのが数分前。

いよいよ、ここから人理修復のための旅が始まるのだ。

自分なんかが世界を救えるのかという不安と、自分でもやれるはずだという緊張で、手の平にじんわりと汗が滲み出る。

中に入れば中央には黒く染まったカルデアス、その周りで5人に満たないスタッフが忙しなく行き来していた。

広さに対して人数が余りに少なく、どこか空虚な印象を受ける。

本来、カルデアには数十人単位の職員と48人のマスターがいた。

だが、レフ・ライノールによる爆破工作によってほとんどの人間が死亡し、生き残った職員は20人足らずとのことだ。

地下の炉心の管理、カルデアスやシバの調整、特異点の観測とライフラインの維持。

やるべきことに対して人員がとても足らず、カドックも待機中に何か手伝えることはないかと何人かの職員に声をかけてみた。

結果は惨敗。

必要とされる技能の水準が高すぎて、何の取柄もない凡人ではできることなど何もなかった。

そう考えていたのはもう1人の凡人も同じようで、厨房で鉢合わせした時は仲良く一緒に皿洗いをさせられたものだ。

ちなみに自分の方が皿を割った回数は多かった。

 

「おはよう、カドックくん。よく眠れたかな?」

 

「ああ、ドクター・ロマン。準備は万全のつもりだ」

 

マシュともう1人は来ていない。

初日から遅刻というのがあまりにらしくて、カドックは複雑な感情を禁じえなかった。

あの暢気な性格が爆破からの生還に繋がったのだから馬鹿にはできないが、それでも心の中で思うくらいは良いだろうと自分を納得させる。

 

「すみません、マスター藤丸立香、マシュ・キリエライト、ただいま到着しました」

 

「すみません、遅れました」

 

背後の扉が開き、足をもつれさせながら2人は駆け込んでくる。

肩で息をする黒髪の少年。

自分と同じ、いや自分以上に凡人のマスター。

小言など言いたくはないが、これから一緒に戦うのだと考えるとやっぱり頭が痛い。

 

「おい、何をしていたかは知らないが呼び出されたらすぐに―――大丈夫か?」

 

少年の顔は僅かに焦燥し、眼の下にはうっすらと隈ができている。

ここまで走ってきて疲れているから、とは思えない。

体調自体があまりよくないように感じ取れた。

 

「ちゃんと寝ているか? 睡眠時間は?」

 

「昨日は5時間。ただちょっと寝覚めが悪くて。疲れてたのかな、変な夢も見たし」

 

「体が休めなくなるから寝る前に鍛錬はするなと言っただろう」

 

「ごめん、気を付けるよ」

 

「自己管理くらいちゃんとしろ、素人。そんな調子で先が思いやられ―――」

 

振り向くと、アナスタシアを初めととしたスタッフ達の視線が自分に向けられていることに気づいた。

言い過ぎだと咎められるのだろうかと身構えるが、代表して口を開いたマシュの言葉に耳元まで赤くなる。

 

「仲が良いですね、お二人とも」

 

「ちちちちが―――――」

 

心外だと言いたいのに言葉が出ない。

自分とこいつが仲良くなることなど、きっと死んでもありえない。

百歩譲ってもライバルだ。

どちらが人理の修復に大きく貢献できるかという好敵手だ。

ただ足手纏いにはなりたくないからと自分に鍛錬の指導を頼み込み、鬱陶しいから面倒を見てやっただけだ。

断じて仲良くなどはない。

なのにこのポンコツはというと否定しないどころか―――。

 

「そうだね」

 

―――と肯定する始末だ。

周囲の視線が痛い。

アナスタシアは何か尊いものでも見たかのように微笑んでるしロマニの笑い方は何だかムカツクし。

こっちに気づいたダ・ヴィンチは何やら高速でスケッチを取り始めたし。

今まで生きてきてこんな複雑な気持ちになったのは初めてだ。

 

「まあ、そろったことだしブリーフィングを始めようか」

 

緩み切った空気を引き締めるためにロマニが手を叩き、全員の顔つきが真面目なものになる。

そうだ、これから始まるのはグランドオーダー。

焼却された2017年を取り戻すために挑む聖杯探索。

失敗は許されず、成し遂げられなければ未来はない。

 

「君たちにやってもらうことは2つ。1つは特異点の調査と修正。その時代における人類の決定的なターニングポイント。それがなけれが我々はここまで至れなかったという人類史における決定的な事変だね」

 

例えば恐竜が滅びなければ霊長類の時代は訪れなかっただろう。

氷河期が終わらなければ人類ではなくマンモスがこの星の支配者になっていたかもしれない。

そういったIFを見つけ出し、原因を取り除くことで歴史を修正するのだ。

そして、それらの異変を起こすための触媒として用いられているのが聖杯であると、ロマニは推測していた。

 

「聖杯は膨大な魔力を蓄えた遺物で、レフは何らかの形でそれを手に入れて悪用したんじゃないかと思っている。これを回収しなければ修正された歴史がまた特異点化する恐れもある。これが第二の目的だ。ここまでいいかな?」

 

「えっと・・・何とか」

 

若干、素人マスターが頼りなさげに応える。

やはり一緒に戦うのは不安しかない。

自分とマシュで最大限フォローしないと、このポンコツ魔術師未満は石で躓いただけで死にかねない。

 

「それともう一つやってもらいたいことがある。霊脈を探し出して召喚サークルを作って欲しいんだ」

 

レイシフトは基本的に一方的なものでかつ不安定だ。

時流の乱れや大気中の魔力、星辰など様々な要因で通信すら不安定になりかねない。

それを安定させ、カルデアと相互でやり取りが可能な拠点を作る。

その為に必要なものが召喚サークルだ。

はっきり言って凡人と凡人未満の魔術師ではいくらサーヴァントが優秀でも不測の事態に対応できない事の方が多いはずだ。

カルデアからのバックアップは最大限に行えるよう体制を整える必要がある。

 

「なるほど、ベースキャンプか」

 

「・・・理解しました。必要なのは安心できる場所。屋根のある建物、帰るべきホーム、ですよね、マスター?」

 

「マシュは、いいこと言うね」

 

「そ、そう言っていただけると、わたしも大変励みになります」

 

「うんうん。あのおとなしくて無口で、正直何を考えているかわからなかったマシュが立派になって・・・」

 

ロマニはさめざめと泣きまねを始め、それに便乗したマシュのマスターが茶々を入れる。

脱線の始まったブリーフィングに痺れを切らしたダ・ヴィンチが介入しなければ、どこまで話がずれていたかわからない。

人類史奪還の最前線は、そのまとめ役の人徳故かどうにもゆるふわした雰囲気からは逃れられないようだ。

 

「あら、私は好きよ。家族で病院を慰問した時みたいで誇らしいわ」

 

ブリーフィングを終え、レイシフトの最終調整を待つ休憩時間にアナスタシアはそんな事を呟いた。

彼女の生前のエピソードの一つだ。

第一次大戦中に負傷兵を家族で見舞い、奉仕活動を行ったことが彼女の密かな誇りとなっているらしい。

本人曰く、まだ看護ができる年齢ではなかったので患者達と遊戯に興じて慰めていたそうだが。

 

「僕は苦手だ。みんな妙に距離が近くて、うまくやっていけない」

 

爆破事故を生き延び、人理修復という一大偉業を前にしてカルデアスタッフの士気は高かった。

皮肉にも人員が少なくなったことで、返って結束が強まったようだ。

 

「あら、なら私ももっと素っ気なく接した方がよくて? もっと離れて、近づかないで―――とか?」

 

「ごめん、言い過ぎた。別にみんなが嫌いって訳じゃないんだ」

 

今までは周囲を見返すために、自分の自尊心を守るために生きてきた。

挫折の度に次こそはと意気込み、やがては何に対しても「もっとできたはずだ」と言い訳する事が当たり前になった。

成功も失敗も未熟で凡庸な自分の自己否定に繋がり、周囲との距離もどんどん広がっていった。

カルデアに来てもそれは変わらない。

時計塔のエリート、生え抜きの天才と得体の知れない変態、危険人物がそろったAチーム。

レイシフトの適性しかない自分がその末席にいたことが今でも信じられず、劣等感が消える事はない。

それでもヴォーダイムは鷹揚な態度を崩さず、ペペロンチーノは積極的に自分と関係を持とうと話しかけてきた。

他のみんなも、何だかんだで気にはかけてくれていたと思う。

思い返すと苦手な連中ではあったが、嫌いではなかったと思いたい。

 

「そろそろ時間だ、コフィンに入ろう」

 

差し出した手にアナスタシアの白い指先が重ねられる。

あの時、ファーストオーダーを前にしてみんなは何を考えていたのだろうか。

今はもう彼らと話すことはできないけれど、その時が来たら自慢話の1つでも披露しよう。

僕が世界を救ったんだぞと。

 

 

 

 

 

 

自分が自分でなくなるかのような喪失感の後、白い視界に景色が戻る。

頬を撫でる風が心地よい。

息を吸えば香り豊かな空気が肺に満たされ、遠くで小鳥の囀りが聞こえてくる。

前回は事故による偶然だったが、今回は無事にレイシフトに成功したようだ。

 

「―――っ!?」

 

隣にいたアナスタシアが息を呑んだ。

視界に広がる緑と穏やかな風、川のせせらぎ。

どこまでも広がるのどかな景色に彼女は言葉を失っていた。

 

「きれい・・・ねえ、ここはどこかしら? 何という国? 季節は? ひょっとして春?」

 

「ま、待ってくれ。今、時間軸の座標を読み出しているから」

 

時代は1431年6月、フランス。

イングランドとの百年戦争の真っただ中だが、今は休戦協定が結ばれた時期だ。

王位継承権争いが発端であるこの戦争はその経緯故に決定的な決着がなかなか迎えられず、また長期間の戦争を継続できるだけの国力がない時代であったために何度かの休戦を挟みながら戦争が行われていた。

当時の戦争自体、侵略や兵の殺害より捕虜にした相手の賠償金を得るという経済側面が強かったこともこれに拍車をかけたのだろう。

 

「欧州のフランス、自由の国ね」

 

「そう呼ばれるのはもっと後の時代だよ」

 

「それでもいいわ。きっとここは自由の国。ああ、こんなにも青々とした木々を見るのは初めてです」

 

「ロシアにも雪のない日はあるだろう」

 

「夏は短いのよ、とても。それに離宮の外に出た事なんてほとんどなくて」

 

そう言うアナスタシアの顔には年相応な少女の笑顔が浮かんでいた。

曰く、アナスタシア・ニコラエヴナは活発でエネルギーに満ちたお転婆娘だったらしい。

真名を知って史実とのギャップに驚いた事も多かったが、そういう面もないことはないようだ。

 

『あー、テステス』

 

どこからか男の声が聞こえ、目の前にノイズ塗れの映像が映し出される。

カルデアの制服を身に纏った、金髪で小太りの青年がそこには映っていた。

カルデアからの通信のようだ。

 

『よーし、繋がった。2人とも無事だな? 俺はコフィン担当のムニエル。ドクターが藤丸の方に手一杯なんで、2人のナビゲートは俺がすることになった。本当は管制の仕事なんだが人手不足でね。悪い悪い』

 

そういえば、先ほどからマシュ達の姿が見えない。

気づいたカドックは己の迂闊さと愚鈍さを恥じた。

自分としたことが、グランドオーダーという大事に舞い上がっていたようだ。

 

『気にするな、転送先の座標に誤差が出るのは少なくない。壁の中にいないだけマシと思おうぜ』

 

サラっと恐ろしいことをいうムニエルにカドックはため息をつく。

ロマニとは別の意味でやりにくそうな相手だ。

 

「それで―――えっと・・・」

 

『ムニエル。ジングル・アベル・ムニエルです』

 

「ではジングル・アベル。マシュとそのマスターも無事なのですね?」

 

「ええ、とりあえず情報収集を始めてますよ。それと2人とも、空を見上げて欲しい」

 

一瞬、オーロラかと思った。

だが、違う。あれはもっと熱量が込められたものだ。

ここより遥か上空。蒼穹すら越えた先にある衛星軌道上に広がる光の環。

その大きさは大陸に匹敵するだろう。

1431年にこんな現象が起きたとは聞いたことがない。

ロマニの推論では、未来消失に関係のある何かしらの魔術式なのだろうとの事だ。

 

『そっちでも確認できるのなら、計器の故障ではないな。ありがとう、確認したかっただけだ。

とにかくまずは藤丸達と合流しよう。途中で街とかに寄れれば差し支えない範囲で情報集めだ』

 

そうだ、あの半人前を放っておいたらどこで野垂れ死ぬかわからない。

勝手に死ぬのは構わないが、それで人理修復が滞っては大事だ。

それにマシュやカルデアのスタッフが悲しむ顔を見るのはいい気分じゃない。

しかし、凡人で足手纏いだと思っていた自分が、まさか誰かの世話を焼く日が来るとは思わなかった。

 

「あら、兵隊さんね」

 

さっとカドックの後ろに隠れたアナスタシアが、手にしたヴィイで顔を隠しながら覗き込む。

何故、そんなことをしているのかと問い質す気にはなれなかった。

生前の最期がトラウマで軍隊とか兵士が苦手なのはわかるが、そうしているとただの奇行にしか見えない。

 

「カドック、話しかけてきなさい」

 

「はあ、どうして?」

 

「情報収集でしょ。大丈夫、私も一緒に行きますから」

 

(怖いから離れたくないって言えないのか、この皇女様は)

 

呆れながらアナスタシアを伴って兵隊に近づく。

こちらに気づいた何人かは警戒して抜刀の構えを取るが、カドックは臆することなく懐から取り出したライターに火を点けた。

それなりに人数がいるので全員にきちんとかかるかは自信がないが、暗示の魔術だ。

 

「ズドラーストヴィチェ―――違った、ボンジュール、ムッシュ。僕達は旅の者だ。何か最近、変わった事は起きていないか?」

 

炎を通して拡散された暗示が兵士達の思考能力を奪う。

特異点は時間軸から隔離されているため、何があってもタイムパラドックスが起きることはないが、それでも揉め事は少ないに限る。

 

「あぁ・・・ああ・・・・」

 

『おい、大丈夫なのか? 藤丸の方はコンタクトに失敗してひと悶着あったが、こっちは何だかやばそうだぞ』

 

「大勢に同時にかけたから暗示のかかり方が中途半端みたいだ。目覚めたら吐き気と頭痛で半日は動けないだろうな」

 

「あら、素敵な趣味だこと」

 

「お褒めにあずかり光栄だ、皇女様。さて――何があった?」

 

「あ・・・魔女・・・竜の魔女が・・・・」

 

「竜の魔女?」

 

「ああ・・・魔女だ・・・・竜が来る・・・・・飛竜を連れて・・・魔女が・・・・」

 

余程の恐怖が刻み込まれていたのだろう。兵士はひたすら竜の魔女の恐ろしさを説くばかりだ。

諍いを避けるために暗示を使ったのは失敗だった。

これではこれ以上の事を聞き出す事ができない。

一度、正気に戻して聞き直した方が良いだろうか。

 

『待て、何だこの反応? 何かが向かってくる?』

 

「マスター、あれを」

 

背中に張り付いていたアナスタシアが、険しい声を上げる。

その視線の先にいたのは、人の数倍もの大きさの巨体。

直立した爬虫類といえるそれは腕の代わりに大きな翼が生えており、開いた口からは鋭い牙が何本も見えている。

うなりを上げる咆哮はまるで亡者のようだ。

十五世紀のフランスにいていいはずがない幻想。

ワイバーンの群れがそこにいた。

 

「くそっ! おい、さっさと逃げろ!」

 

下手に覚醒させればパニックになると思い、暗示をかけたまま兵士達に逃亡を促す。

暗示は時限式のものをかけたから放っておいても大丈夫だ。

それよりもあのワイバーンの群れをどうにかしなければ、自分達はおろか後ろの兵士達まで食い殺されかねない。

マシュ達との合流地点はずっと先、救援は期待できない。

 

「キャスター、頼めるか」

 

「ええ、回路を回しなさい、マスター」

 

刹那、大気が凍り付いた。

アナスタシアが直視した視線上の空気が震え、氷の道となってワイバーンに伸びる。

目の届くところにいる限り、アナスタシアからは逃れられない。

この視界全てが彼女の、ヴィイの間合いなのだ。

瞬きの内に飛竜の群れが一掃される様を、カドックはただ見ているだけで良い。

そう思った瞬間、氷を砕いて一体のワイバーンがこちらに迫ってきた。

 

「っ! ヴィイ!」

 

「くっ!?」

 

防御のために張った氷の壁がいとも容易く破壊され、ワイバーンの爪が目の前を掠める。

更に一体、もう一体、続けざまに急降下を仕掛けてくるワイバーンの群れ。

形勢不利を悟ったカドックは即座に敵意誘導の術式を施した自立駆動の礼装を囮に使い、アナスタシアを連れて反対方向に走る。

 

「厄介だな、神秘の濃さが違う」

 

アナスタシアの魔術は精霊ヴィイによる冷気操作。

人間の魔術師が行う元素変換などとは比べ物にならない威力を誇るが、神秘である以上は同種の神秘で相殺され、場合によっては打ち負ける。

ワイバーンは亜種とはいえ幻想種の頂点である竜種の一種。

身に秘めた神秘は濃く、ヴィイの力が十二分には伝わりきらない。

冬木で戦ったライダーやセイバーのように対魔力スキルを持っているわけではないため、問答無用で弾かれるという事はないが、一体を凍らせるのに非常に時間がかかる。

 

『やばいやばい、どんどんくるぞ!』

 

雑音交じりのムニエルの悲鳴。

囮の礼装は破壊され、取り逃がした獲物を求めてぎらついた眼がこちらを睨む。

更に遅れていた群れも次々に飛来し、2人はジリジリと追い詰められていった。

 

「マスター、宝具の使用を! ヴィイの瞼を上げるわ!」

 

意を決したアナスタシアの言葉に、しかしカドックは躊躇する。

確かに『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』を使えばワイバーンの群れを一掃できるが、同時にこの草原地帯は絶対零度の吹雪で破壊しつくされることになる。

アナスタシアが感動した緑の世界。活力に満ちた大自然を白い雪で覆いつくすことになる。

自分達はそれで生き残れるかもしれないが、それはとても悲しい事のような気がした。

 

「カドック!」

 

「っ―――キャスター、宝具を・・・」

 

言いかけた時、何かが頬を掠めてワイバーンの一体に突き刺さった。

陽光を浴びてきらきらと輝く透明な花。

ガラスでできた薔薇がワイバーンの喉に深々と刺さっている。

悶えたワイバーンが目を血走らせながら突撃してくるが、今度はどこからか現れたガラスの馬車が目前で舵を切り、その巨大な荷台をぶつけてワイバーンを昏倒させる。

 

「逃げますわよ!」

 

御者席かから身を乗り出したのは豪奢な軽装ドレスに身を包んだ少女だった。

切迫した美声に呑まれ、一瞬カドックは我を失うが、すぐにこれが少女の声に乗せられた魅了の効果だと気づいて頭を振る。

 

「まだ逃がした兵士が近くにいる。ここで食い止めないと奴らに殺される」

 

暗示をかけて前後不覚にしたのは自分だ。

そのせいで死なれてしまったのでは寝覚めが悪いどころの話ではない。

きっと自分を許せなくなる。

 

「わかったわ。けど、この数を相手にするのは無理ね―――アマデウス」

 

「ああ、公演の時間だね、マリア」

 

馬車の屋根から奇妙な衣装を身に纏った男が飛び降りた。

病的なまでに色白で退廃的な雰囲気さえまとった黒衣の指揮者。

その長い指が、胡乱な瞳が、蠱惑な笑みが、見えないオーケストラに指示を下す。

 

「宝具――『死神のための葬送曲(レクイエム・フォー・デス)』」

 

奏でられたのは天上の調べ。

悪魔染みた旋律。

天使達の合唱。

混然一体のハーモニーが場の空気を支配する。

それはアナスタシアの魔術とは比べるべくもない、魔術と呼ぶことさえおこがましい人が織りなす芸術の極致。

人が、ただの人がこれほどまでの頂に達せるというのだろうか。

刃を通さず、魔術すら跳ね除ける竜種を縛り付けるほどに。

それはまさに神に愛された音楽。

ただ奏でる旋律だけで、彼はワイバーンの群れを抑えつけている。

 

「いいわ、そのまま。いきますわよ、『百合の王冠に栄光あれ(ギロチン・ブレイカー)』」

 

そして、動けなくなったワイバーンを少女はガラスの馬車で次々と跳ね飛ばしていく。

王権の象徴。百合の花を背負った彼女はいわば一つの国そのもの。

亜種程度の竜種では、如何に強力でも国一つを平らげるだけの力はなく、美しきガラス細工を血で染め上げることすらできない。

その光景を見つめながら、カドックは自分達を助けてくれた2人の正体に行き当たる。

レクイエムを奏で、神に愛された音楽家とヴェルサイユの華と謳われた悲劇の王妃。

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトとマリー・アントワネットだ。




はい、オルレアンの構想がまとまったので再開です。
カドックくんは別に藤丸くんをdisってるのではなく半分やっかみ半分照れ隠しといったところでしょうか。
同年代の友達いなさそうだし。

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