Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 最終節

気が付くと、見慣れた街並みがそこにあった。

往診のために何度も往復した街路。

連日のように人で溢れていた市場の残骸。

薙ぎ倒された木々と、焼け落ちた家屋。

そして、かつてジグラットと呼ばれていた巨大な建造物。

今は見る影もなく粉々に崩れてしまい、瓦礫の山と化している。

それらがこの時代で起きた戦いの凄惨さを物語っていた。

多くの犠牲を払い、たくさんの人が死んだ。生活も文化も、何もかもが洗い流されてしまった。

それでも、自分達は帰ってきた。

戦いに勝利し、ウルク市へと戻ってきたのだ。

 

「俺達……戻ってきたんだ……」

 

「はい、冥界の上空で戦っていた事が幸いしました」

 

「まったく……生きているのが不思議なくらいだ」

 

「本当に、今度ばかりは私もダメかと思いました」

 

口々に呟きながら、カドック達四人はぐったりとその場に座り込む。

イシュタル神によって撃ち抜かれたはずの穴はどこにも見当たらなかった。

神殿そのものを吹き飛ばす砲撃を撃ち込まれたはずなのに、冥界の入口はどこを探しても見つからない。

歴史の修正が始まったのか、それともエレシュキガルが早々に蓋をしてしまったのか。

何れにしろ、ここでの戦いは終わったのだ。考えても仕方がないだろう。

 

『みんな、本当にお疲れ様だ。ビーストⅡの霊基崩壊、完全に確認した。キミ達の勝利だ』

 

これでメソポタミアは緩やかに元の歴史へと戻っていくことだろう。

後はカルデアへの強制帰還を待つばかりだ。

今回はまだ猶予があるようだが、生憎とやり残したことは一つもない。

何しろ大使館はケイオスタイドに沈んでしまったので、持ち込んだ荷物もこっそりと溜め込んでいたこの時代固有の霊草なども全部お釈迦になってしまったのだ。

何事も、欲張るのはよくないという教訓なのだろう。

 

「カドック、体の方は何ともない? その、かなり無理をしていたようだけど……」

 

こちらの肩に頭を預けながら、アナスタシアは心配そうに聞いてくる。

 

「……大丈夫、かな。多分……」

 

正直に言うと、自信はなかった。

元々、魔術回路がいくつかダメになっていた。そんな状態で神霊の依代召喚や、アナスタシアの宝具を使うために魔力を絞り出したのだ。今はまだ自覚できていないだけで、取り返しのつかない負傷を負っているかもしれない。

だが、とりあえずは目に見えた形で痛みや異常は見つからなかった。戻ってからロマニに何と言われるかわからないが、このまま何事もなければいいと願わずにはいられない。

心配してくれるアナスタシアには申し訳ないかもしれないが、ここまで来たのなら魔術師としての生命を賭けてでもグランドオーダーへの参加を続けるつもりだ。

 

「あなたが強情なのは知っています。だから……はい、これは私からのご褒美です」

 

トンと、見覚えのある水晶体を握らされる。

あまりにも自然に手渡されたそれを見て、カドックは一瞬、言葉を失った。

後ろから覗き込んできた立香やマシュも、驚いて顔を強張らせている。

 

「せ、聖杯!?」

 

ビーストⅡに取り込まれていた聖杯だ。それを何故か、アナスタシアが回収していたのだ。

だが、いったいいつの間に? そんな暇などなかったはずだ。

 

「あいたたた……それについては私を褒めて欲しいな」

 

頭の瘤を擦りながら、マーリンがフォウを伴って姿を現す。

英雄王の権能クラスの宝具に巻き込まれて無事でいるとは、やはり腐っても花の魔術師。

冠位の名は伊達ではないということか。

 

「いや、急いで戦場に戻ろうとしたらティアマトが落ちてきてね。その喉の奥から聖杯が零れたものだから、慌ててキャッチしてここまで駆け上がったんだ」

 

(何故だろう。ファインプレーのはずなのに憎たらしさの方が勝っている)

 

活躍は認めるし実際、大いに助けてもらったが、鼻高に威張られては素直に感謝もできない。

一事が万事、こんな調子ではブリテンの円卓もさぞや苦労したことだろう。

 

「まあ、終わりよければ全てよしってね」

 

「おう、なら発つ虎後を濁さずということで、ここで遺恨は断っておくニャ」

 

言うなり、毛皮姿のジャガーマンがマーリン抱えて互いの左足を絡め、自身の左腕を首に巻き付けて思い切り背骨を押し曲げるアブドミナル・ストレッチを仕掛ける。

首、肩、背中、腰と上半身の全てを極められたマーリンは、まるで子どものように悲痛な声で喚きながら脱出しようと手足をバタつかせる。

 

「ごっ、ごっ、ごぼあぁぁあああ!? なんだこれ痛い痛い、夢魔なのに凄く痛い!」

 

「当たり前じゃーい! これぞククルん直伝のルチャの神髄、日本ではこれをコブラツイストと言う!」

 

「おおおおお、キミにこんなことをされる心当たりがないぞぉっ!?」

 

「はははっ、鮮血神殿でのミステイクを忘れたとは言わせんぜ。本当はククルんが自分でするところを、いないから代わりに私がやってあげてるんだニャ!」

 

「キミ達は殺し合うライバルのはず……じ、実は仲がい、ぐあああああああ…………あっ――」

 

何だか、とても不吉な音と共にマーリンが動かなくなってしまったが、無視しておこう。

これくらいされても当然のミスだ、あの時のことは。

 

「ケツァル・コアトル……か……」

 

ふと隣を見ると、アナスタシアが顔を曇らせて俯いていた。

 

「私、彼女に色々と酷いことを言ってしまいました」

 

「太陽神殿でのことか? 気にしていないさ、あの陽気な女神は」

 

太陽みたいに鮮烈で、一度でも目にすれば忘れられないくらい印象的な人物だった。

敵として対峙した時は恐ろしく、味方の時はこの上なく頼もしい。そして、いるだけで場を和ましてくれる陽気な人だった。

師匠を名乗って自分達の間にずけずけと入り込んできた彼女ではあったが、本質的には神としての領分を弁え、自分達を導いてくれていたと思う。

でなければ、あの場面で特攻なんて選択肢を取るはずがない。

彼女は人類の生存を、引いては人理修復の希望を託して逝ったのだ。

なら、自分達にできることはその意思を継ぐことだ。

背負ったものを捨てずに最後まで持っていく。また、この旅路を降りられない理由が一つ、できたというわけだ。

 

さようなら(До свидания)……いえ、さようなら(Adiós)、ルチャドーラ」

 

静かに祈るように、アナスタシアはもういない女神に向けて別れを告げる。

和解してからほとんど間を置かず、ゴルゴーンとの戦いに移ったため、師弟関係は本当にごく僅かな間であった。

できることなら、あの美しい背中をもっと見たかった。

彼女が四角いリングの上を華麗に舞い、華々しい勝利を飾る姿を。

 

「うんうん、そう思ってもらえるなら、ククルんもきっと本望だニャ。といわけで、カドックん、手を出しちくり」

 

「えっ……はい」

 

「ポンっと」

 

渡された木片に、ジャガーマンは何かを押し付ける。程なくして彼女が手を放すと、何やら手形のようなものが木片に描かれていた。

 

「これは?」

 

「ジャガースタンプ。いっぱい貯まったら、きっと良いことがあるわよ」

 

「はあ……そうか……一応、もらっておく……」

 

いつぞやのお守りの時と同じく、またよく分からないことを始めるつもりのようだ。

戦闘では頼りになる反面、色々と振り回されたり苦労をかけさせられることもあったが、このバイタリティだけは見習わなければならないかもしれない。

 

「はははっ、励めよ少年。お姉さんはお空の上から見守っているぞ。後、次に会ったら心臓の一つか二つか百個は用意してね。バーイ」

 

最後までいつもの調子を崩さず、おかしなことを口走りながらジャガーマンは粒子になって消えていった。

その向こうでは、マーリンの体も末端から塵に還っている。特異点の修正が始まり、サーヴァント達の退去が始まったのだ。

 

「あいたた……酷い目にあった」

 

「マーリン、あんたにも世話になった」

 

「お礼はいいよ、今回も(・・・)色々と特別なケースだったと思って欲しい。本来、私は物語を観ているだけの男だ。こんな風に手を貸す事はない」

 

「なら、何で助けてくれたんだ?」

 

「そうだね、一つは僕がキミ達のファンだからだ」

 

「ふぉーう!?」

 

何故か、その言葉にフォウが驚きの声を上げる。

それを尻目にマーリンは、杖を支えにして起き上がり、こちらに向き直った。

鼻の高い、端正な顔立ち。全てを見透かす千里眼がジッとこちらを見つめている。

 

「僕は人間が好きなんじゃなくて、人間の描く物語が好きなんだ。本に書かれた物語にはドキドキするが、その本を書いた人間には興味はないのさ。でも――キミ達はちょっと違う。私と同じ、本から本に渡り歩く旅人だった。なのに私とは違うアプローチで物語を生かし、救い、よりより紋様を紡ぎ上げてきた」

 

その活躍を知る者は、自分を含めて限られた者しかいないだろうとマーリンは語る。

だからこそ、一度はこうして力になりたかった。今回は人類悪が絡んでいることもあり、冠位である自分が動きやすい条件も整っていたから、いつになく熱くなって幽閉塔を飛び出してしまったとのことらしい。

その言葉を聞いて、カドックは初めてマーリンに対して親近感のような気持ちが湧いた。

口では色々と言っているが、要するに答えはシンプルなものだ。

自分だって、一回くらいは晴れ舞台で活躍したかった。

才能のない凡人と、妖精郷に閉じ込められたロクデナシ。立場は違えど、結局のところ考える事は同じという訳だ。

 

「――で、他にも理由はあるんだろ?」

 

「ああ。けど、言わぬが花さ。キミに貸し一つとだけ、言っておこう」

 

茶目っ気を込めて片目を閉じ、マーリンは一度だけ伸びをする。

座への帰還――彼の場合は妖精郷への帰還だが、その流れに身を任せたのだろう。

少しずつ塵と化していた四肢が一気に霧散し、後は胴と首を残すのみとなる。

 

「カルデアの星読み。誰の記憶にも残らない開拓者。私はキミ達の戦いに敬意を表する。全ての星は満ちた。人理修復の暦でキミ達はあの悪と戦うだろう。どうか――最後まで善い旅を。その行く末に、晴れ渡った青空がある事を祈っているよ」

 

最後に天使のような微笑みを残し、マーリンは消えていった。

ロクデナシの花の魔術師。彼がいなければ自分達は最後まで生き残ることができなかっただろう。

彼の助力に報いる為にも、必ず人理修復を成さねばならない。

そして、話し込んでいる内にこちらも強制帰還が始まった。

指先から少しずつ存在が希薄化していくのにもすっかり慣れてしまった。

この感じならば、今回はまだまだ帰還まで余裕があるだろう。

最後に彼と別れを済ますには、丁度いい。

 

「王……」

 

「ふん、藤丸といい貴様といい殊勝な奴だ。別れなど、とっくに済ませたではないか」

 

ギルガメッシュは先刻までの鎧姿ではなく、自分達が良く知る賢王の姿を取っていた。

だが、マスターである自分には彼の肉体がエーテルでできた仮初のものであることが分かる。

姿形は同じでも、彼は既にサーヴァントなのだ。

 

「語る事なぞもうないぞ。勝利の凱歌をあげ、(オレ)の名を讃えながらカルデアに戻るがいい……ああいや、待て。一つ、聞くのを忘れていた」

 

そこで一旦、言葉を切ったギルガメッシュは、全員の顔を目に焼き付けるように一瞥する。

自然と体が硬くなった。

いったい、何を聞かれるのだろうか。

相手は彼の英雄王だ。下手な発言は即死に繋がる。

そんな風に身構えていたが、問いかけられたのは至極簡単な質問であった。

 

「このウルクはどうであった? それなりに滞在した筈だが?」

 

そんな今更、答えるまでもない事を聞かれるとは思わなかった。

或いは、彼もそれを承知で敢えて聞いてきたのかもしれない。

何れにしろ、王命ならば答えねばなるまい。

ここはとてもよいところだ。人々は活力に溢れ、日々を懸命に生きている。

彼らと共に過ごしたこの一ヶ月余りは、とても充実した日々であった。

日々の糧に感謝し、明日の幸福を願い、誰もが自分に出来る事を精一杯にこなす世界。

そして、理不尽を前にしても決して諦めることなく最後まで人間らしく生きる事を全うする強い世界。

多くの事を学ばせてもらった。

大切な思い出ができた。

ここでの生活を、決して自分は忘れないだろう。

何故なら――。

 

「とても、楽しかった」

 

そうとしか、形容することができなかった。

 

「そうか。だが、それでは王として(オレ)の威信に関わる。旅人が笑顔で帰るのであれば、土産の一つもくれてやるのが善い国というものだ。丁度、一つ余っていたものがあるから持っていけ。ウルク名物の麦酒だ」

 

王自らが下賜してくれた土産物。拝領しない訳にはいかない。

カドックは手にしていた聖杯をマシュに預けると、ギルガメッシュが宝具の宝物庫から取り出した麦酒入りの容器を受け取る。

心なしか、容器に魔力のようなものが溜まっているようだ。宝物庫の中で他の宝具の魔力にあてられたのだろうか。

 

「王様、これは……」

 

「おっと、皆まで言うなよ、魔眼の娘。なに、何れ役に立つ時がくるだろうよ。ないならないで構わぬ、取っておけ」

 

やがて、本格的にカルデアへの帰還が始まった。

体は大部分が透けてきて、ほとんど色を失っている。意識しなければ手足の感覚まで消えてしまいそうだ。

折角貰った麦酒を落としては勿体ないと思い、カドックは並々と注がれた容器を右手でしっかりと握り締める。

 

「ではさらばだ、カルデアの! 此度の戦い、正に痛快至極の大勝利! 貴様等の帰還をもって魔獣戦線は終結とする! 人理焼却、必ずや阻止して見せよ!」

 

意識が途切れる。

いつものように、何か視えない力に引きずり上げられ、量子と化した肉体が時間の流れを掻き分けていく。

最後にカドックの目に焼き付いたのは、荒廃したウルクに一人、残された王の姿であった。

王が腰かけているのは崩れたジグラットの一部である瓦礫だ。英雄王が座るにはあまりにみすぼらしいものだが、彼は気にせずゆったりと腰かけて消えゆくこちらを見送っている。

その顔は憑き物が落ちたように晴れやかなものだった。

王としての責務、英雄としての宿命、その荷物を降ろす時が来たのだ。

彼が今日まで手にしていたバトンは、カルデアへと引き継がれた。そして、やがて自分達も別の誰かにそのバトンを託す。

生きるとはそういうことで、人類史とはそういうものだ。

だから、カドックは最後に笑うことができた。

誰にも理解されず、孤独に戦い続けた英雄王。そんな男から、人生の万分の一とはいえ未来へと繋がるバトンを託されたことは、大変な栄誉であると。

そして、役目を終えた王は、不敬にも笑って見せた少年が目の前から消え去る最後の時まで、瓦礫の玉座で一人、見守っているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

カドック達がカルデアへと帰還したのと同じ頃、冥界でも一つの別れがあった。

 

「はあ……はあ……何とか、基礎工事だけは終わったかしら……」

 

ティアマトにしろカルデアにしろあの英雄王にしろ、こちらが下手に出ているのをいいことに好き放題暴れ過ぎだ。

魂達は事前に避難させておいたから良かったものの、冥界の地形はティアマトとの戦いでズタズタに引き裂かれてしまい、至る所に亀裂や隆起が表れていた。

それをエレシュキガルは、放っておくことができず、冥界の女主人の最後の仕事として、残された力で元の形へと修復したのである。

そして、天井に空いた大きな穴も何とか塞ぎ終えたところで遂に力尽き、杖代わりにしていた槍を落としてその場に塞ぎ込んだのだ。

 

「まったく、冥界の女神が生者――それも人間にタダで力を貸すなんて。自分で課した女神の禁を二つも破るなんて、どうなるか分かってるの?」

 

いつからそこにいたのか、イシュタルが塞ぎ込んだエレシュキガルを見下ろしていた。

その顔は侮蔑や呆れ、そして幾ばくかの気遣いがない交ぜになった、表現の難しい表情を浮かべていた。

 

「それがどうかしたかしら? 私は冥界の女主人。冥界を守るために、一番可能性の高い方法を取っただけ」

 

などと偉そうに嘯いてみるが、思っていた以上に衰弱は進行しており、胸を張って威厳を保つこともできない。

ふと自分の手を見ると、指先から少しずつ塵へと還っていった。

座への帰還が始まったのかと思ったが、残念ながら自分が還るべき場所は英霊の座ではない。

これは消滅の兆候だ。

代償もなく生者には力を貸さない。冥界の女主人として自らに課した戒めを、ティアマト討伐のためとはいえ破ってしまったのだ。

神格は完璧であるが故に神格足りえる。自らが取り決めたルールを破ってしまえば、それは霊基に影響を及ぼすほどの瑕となるのだ。

きっとこの霊基が英霊の座に還ることはない。どこにも行かずに霧散し、消えていくだけだ。

そうなってしまえば、英霊エレシュキガルとカルデアのマスターの間で結べた縁もなくなってしまうだろう。

自分がカルデアに呼ばれる事は、未来永劫に訪れない。

仮に再び召喚されたとしても、それはもう今の自分とは別人だ。この霊基を構成している思いが一片でも反映される事はない。

折角、藤丸立香という友達ができたというのに、次のエレシュキガルが今の自分と同じような好意を抱くことはないのだ。

 

「け、けど、もう一度、初対面から始められるのなら、それはそれでドラマティックじゃない?」

 

「ないわよ! あんたどこまで夢見がちなのよ!」

 

「く、ないかぁ。そうかぁ……私の基本の神性(せいかく)って、今よりちょっとだけ暗いものね」

 

まあ、そもそも呼ばれないのだから気にしても仕方がないのだが。

何しろ、何もかも覚悟してやったことだ。

今の自分が消えてしまうことも承知の上で禁を犯した。

そうなっても良いと思えるくらい、彼に賭けてみたくなったのだ。

人類最後のマスター。

このエレシュキガルの問いかけを否定した、愚かしくも好ましいごく普通の少年。

彼がその在り方を変えないのであれば、今の自分が消え去ってしまっても良いと思えるくらい、彼の事を好ましく思ってしまったのだ。

それに、自分はここで消え去るけれど、エレシュキガルという根暗な神霊がいた事を彼はきっと覚えていてくれる。

彼の心の中で、一本の棘になれたのなら、それは十分すぎる報酬だ。

何千年もの間、たった一人で冥界を盛り立ててきた自分に許される、最高の報酬だ。

ただ、それでも心残りを強いてあげるとするのなら――。

 

「あのもう一人の子とも話しておけば良かったぁ…………何だか、他人な気がしないのだわ…………」

 

「ああ、そうかもね。生真面目で根暗で……って、現世に未練たらたらじゃないの!」

 

「……そうね。誰かさんみたく、ちょっと弾けてみたのよ」

 

「うっ……今更、その話を持ち出す?」

 

気まずそうにイシュタルは顔をしかめる。

あれはいつの事だったか。その日もいつも通り、冥界に堕ちてきた魂達の家を作っていたエレシュキガルのもとに、イシュタルが突然、押しかけてきたのだ。

冥界の防衛装置を強引に突破し、権能を奪い取られて丸裸も同然の状態だったが、それでも煌びやかな美貌は思わず見惚れてしまうほどだった。

とはいえここは冥界の領分で、天上の女主人が土足で上がり込んで良い場所ではない。

当然ながらエレシュキガルは訳を問い質したのだが、イシュタルは罵詈雑言とも言える口上を捲し立て、自らの半身を外界に連れ出そうとした。

何を言っていたのかはほとんど覚えていないが、一つだけハッキリと胸に刻まれた言葉がある。

それを聞いた瞬間、頭に血が上って何も考えられなくなったからだ。

 

『冥界から外に出てみたくはないの!?』

 

気が付くと、エレシュキガルは手にした槍で自らの半身を貫いていた。

何て、贅沢な考え方だろうか。富める者の言葉は、いつだって持たざる者を無意識に追い詰める。

冥界の外に出たいなどと、思わなかった日はない。言葉では否定しても胸の内ではいつも思いが燻ぶっていた。

それでも、冥界のためにその思いに蓋をした。

神々に命じられた冥界の支配。次々と訪れる魂達が少しでも安らげる住まいを提供する。

例えそれが未来永劫に続く孤独な苦行であったとしても、エレシュキガルはそれを受け入れたのだ。

だというのに、イシュタルはそんな気持ちなど露も知らずに、優しさという暴力を振り上げてきた。

だから、追い返した。槍でめった刺しにして、羽虫のように潰してやったのだ。

冥界は、そんな気軽な気持ちで出られるものではない。

神々から甘やかされているお前なんかに、こちらの気持ちはわからない。

だというのに、最後は彼女と同じことをしてしまった。

彼女が冥界への不可侵を破ってまでその一言を言いに来たように、自分も地上への不可侵を破ってカルデアに手を貸した。

何てことだろう。悍ましいことに自分達はやはり、半身の女神だったのだ。

そんな怖気の走る事実を今になって知る事になるとは思わなかった。

 

「言っとくけど、あの時の事は今でも根に持っているからね」

 

「そう。なら、精々、次の私と出会ったら気を揉んでなさい。また串刺しにされたくなかったらね」

 

力なく苦笑する。

腰に提げていた槍檻が音を立てて転がった。

下半身が消えて体を支えることができず、いつの間にかイシュタルに抱き抱えられている形になっていた。

 

「ねえ、あなたはこれからどうするの?」

 

「そうね……まあ、蓄えもあるし、しばらくは地上に残るつもりよ。金ぴかからウルクの財の二割も貰ったし、使い切るまでは愛でながら過ごすつもり」

 

「そう……なら、次の私の事も、任せられそうね。あなたに頼るのは……とても……本当にとても、癪なのだけれど…………」

 

せめてネルガルがいてくれれば、後のことを任せられるのだが、彼はもう地上にはいない。

シュメルの大地に唯一、残った神霊はイシュタルだけなのだ。業腹でも彼女に頼るしかない。

だが、意外にも彼女は快く返事をしてくれた。任せろと。

 

「ま、何かあったら暇つぶしのついでくらいには面倒を見てあげるわ」

 

なんて、如何にも傲慢な彼女らしい口振りで言うのだ。

ああ、やっぱり彼女はあの時から何も変わっていない。

傲慢で、腹黒で、移り気で、強欲で、何から何まで信用のならない女神だけれど――。

 

『冥界から外に出てみたくはないの!?』

 

そう言ってくれた彼女の優しさだけは、信じても良いだろう。

 

「ねえ、イシュタル」

 

「なによ?」

 

「私ね、あなたの奔放なところが、とても羨ましいわ(大嫌いよ)

 

「奇遇ね。私もあんたの生真面目なところ、嫌いじゃなかったわ(気に入らなかったの)

 

冥界の空に光の粒が昇る。

自らの半身に看取られて、冥界の女主人はこの世界から消え去った。

孤独に責務を果たし続けた女神は、その最後の瞬間だけは一人でなく、満ち足りた気持ちで逝くことができたのだった。

 

 

 

 

 

 

曖昧になっていた肉体が、管制室の観測によって実体を取り戻す。

この二年余り、何度も繰り返してきたことだ。

このままゆっくりと意識が体の隅々にまで行き渡るのを待ってから、コフィンを出てロマニ達に帰還を報告する。

それがいつものデブリーフィングの流れだった。

だが、今回は様子が違った。

赤く明滅する視界。

コフィンの外で慌ただしく動き回るカルデアのスタッフ達。

そして、聞こえてくる警告音。

 

――緊急事態発生(エマージェンシー)――

――緊急事態発生(エマージェンシー)――

――カルデア外周部 第七から第三までの攻性理論、消滅。不在証明に失敗しました――

――館内を形成する疑似霊子の強度に揺らぎが発生。量子記録固定帯に引き寄せられています――

――カルデア外周部が2016年に確定するまで、あとマイナス4388時間――

――カルデア中心部が2016年12月31日に確定するまで、後■■■時間、です――

 

外部からクラッキングを受けている。

何者が、という問いは愚問だ。カルデアの外は全てが焼き払われた虚無の世界。残っているものは何もなく、外部からの攻撃などありえない。

魔術王という、唯一人の例外を除いて。

 

「ドクター!」

 

存在証明は完了し、ハッチが開くなりカドックはコフィンを飛び出した。

慌てていたため、段差に躓いてしまうが、痛みで悲鳴を上げている場合ではない。

事態は一刻を争う緊急事態だ。

カルデアは今、魔術王からの攻撃を受けている。

 

「ああ、カドックくん。それに、みんなも」

 

何人かのスタッフに指示を送ったロマニがこちらに向き直る。

カドック以外にも、特異点から帰還した面々が全員、その場に集結していた。

 

「帰ってきたばかりなのにすまない。いよいよ、この時が来た。これはソロモンからの干渉……いや、引き寄せだろう」

 

四人の中でいち早く目覚めさせられたのは、魔術王の聖杯を所持して帰還したマシュだった。

彼女から聖杯を受け取ったロマニは、残った自分達の覚醒作業を他のスタッフに任せて聖杯の解析を行ったのだが、それによって魔術王からこちらの位置を特定されてしまったらしい。

 

「もちろん、それはこちらも同じだ。我々は人類史には存在しない特異点――魔術王ソロモンが潜む特異点の座標を導き出した。結果、カルデアは特異点との融合を始めてしまった」

 

「厄介な事に、空間強度はあっちが上だ。ブラックホールに吸い込まれる恒星のように、このまま引き寄せられればこちらが消滅する」

 

ロマニの言葉を、ダ・ヴィンチが補強する。

もしも衝突を避けられなければ、2016年の終わりを待たずしてカルデアは消滅する。

そうなってしまえば、ここまでの苦労が全て水の泡だ。

 

「ドクター、何か方法は?」

 

「魔術王を倒し、特異点を修正するしかない。幸い、座標は既に判明している。レイシフトはいつでも可能だ」

 

できることなら十分に作戦を吟味する時間が欲しかったが、それは叶いそうにない。

こちらはメソポタミアから帰還したばかりで満身創痍。礼装の補充も不十分だ。

そんな状態で、敵の本丸に殴り込みをかけて首魁を倒す。

なるほど、いつも通りだ。

ならば、何も気負う必要はない。

何も気にする必要はない。

自分達はいつだって、不可能と思える任務を成し遂げてきた。

絶対に乗り越えられない壁を幾度となく乗り越えてきた。

今回もそれは変わらない。

勝って、2017年を取り戻す。それが自分達の最後の任務だ。

 

「そう言ってもらえると助かるよ。ソロモンの目的、光帯の正体、人理焼却とは何なのか、それら全ての疑問はこの作戦で判明するだろう」

 

全員の顔に緊張が走る。

カドックは静かに決意を新たにした。

アナスタシアは不安を紛らわすため、そっとパートナーの手を握った。

立香は言葉を発さなかったが、力強い眼差しは全てを物語っていた。

そして、マシュは――――。

 

「っ…………!?」

 

――呼吸を荒げ、力が抜けたようにその場に倒れ伏す。

真っ先に駆け寄ったのは立香だった。

彼女の手を取り、必死に名前を呼んでいる。マシュも己のマスターに心配をかけさせまいと唇を震わせるが、そこから漏れ出てきたのは言葉にならないか細い声だけであった。

 

「藤丸くん、診せて…………っ、やっぱり、キミは……」

 

「……いい……え、だいじょうぶ……です……」

 

「マシュ、喋っちゃダメだ! ドクター!」

 

「すぐに医務室へ運ぼう! 藤丸くん、手伝って……」

 

「駄目だ、ロマニ・アーキマン!」

 

自分でも驚くくらい、大きな声だった。

ロマニ達だけでなく、管制室で作業をしているスタッフ達の視線までもがこちらに注がれている。

中にはこの一大事に何を言い出すつもりだと、非難がましい眼を向ける者までいた。

 

「ドクター、あんたはここで指揮を執るんだ。特異点へのレイシフト、遅らせる訳にはいかない」

 

「けど、カドックくん、マシュが……」

 

「人類の未来がかかっているんだ」

 

ここは非情に徹しなければならない。

このカルデアで、ロマニの代わりを務めることができる者などいない。

彼が持ち場を離れるだけで、グランドオーダーが機能しなくなる。

最早、魔術王の特異点との衝突は時間の問題。今は一分でも一秒でも時間が惜しいのだ。

 

「あんたは司令官だ。ここで、指揮を執るんだ」

 

「カドックくん」

 

「彼女は……僕が診る」

 

「君が!?」

 

「この一ヵ月、ずっと真似事を続けてきた。あんたには及ばないが、作戦までは保たせてみせる」

 

カルデアには他に医療従事者は残っていない。

ロマニを除けば曲がりなりにも医学に通じているのはこの自分だけだ。

それが例え、実践の中で培われた非合法な技術であったとしても、できることは必ずあるはずだ。

だから、ロマニには管制室で次の作戦の準備を進めてもらいたい。

今はこの一瞬が明日を左右するかもしれない。

彼をここから離す訳にはいかないのだ。

 

「ドクター……わたしからも……おねがい、します……どうか、グランド……オーダー……を……」

 

「マシュ!」

 

「っ…………カルテのパスワードはマギマリの誕生日だ」

 

「ドクター……すまない」

 

視線で謝罪し、立香に手伝ってもらってマシュを担ぎ上げる。

触れた肌は熱く、脈も不規則でうまく呼吸ができていなかった。

恐らく、ビーストⅡとの戦いで肉体にかなりの負担がかかったのだ。

その影響により、造られた彼女の体は予想されていた活動限界を迎えつつあるのだろう。

非情に危うい状態だ。ハッキリ言って、次の戦いに連れていくのは自殺行為だろう。

だが、それでもマシュはきっと戦うことを諦めないだろう。

人理の礎を示すことことが自らの役目であると、己に課しているからだ。

彼女は他の生き方を知らない。

他の生き方などできるはずがない。

だから、最後まで戦うことを選ぶだろう。

なら、友人としてできることは、その思いを少しでも果たせるよう協力することだ。

 

「アナスタシア」

 

「ええ、婦長様……いえ、メディアさんを呼んできます」

 

「カドック、俺にできることは?」

 

「お前は彼女の手を握ってろ! 下手なことはしなくて良い! とにかく呼びかけ続けるんだ!」

 

必ず保たせてみせる。

彼女に無念は抱かせない。

全てを終え、四人で勝利を分かち合うまでは、絶対に死なせはしない。

彼女がいなくなれば、きっと立香は悲しむだろう。

そんな結末だけは死んでもご免だ。

 

「カルデア司令官代理として、これより第一級戦闘状態への移行を宣言する。本日を以てカルデア全職員の人命は、ロマニ・アーキマンが預かる!」

 

管制室を立ち去る間際、ロマニが全ての職員に宣言した。

それは人類の未来を賭けた、遥かな旅路の終着駅。

聖杯探索は大詰めを迎え、後は魔術王との相対を待つばかりだ。

ある者は恐怖を隠して気丈に振る舞い、ある者は言葉少なに決意を新たにする。

逃げ出す者は一人もいない。

人理継続保障機関フィニス・カルデア、最後の旅はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

B.C.2655 絶対魔獣戦線バビロニア

人理定礎値:A++

定礎復元(Order Complete)




七章これにて完結。
次は幕間を一つ挟んで、いよいよ終局です。
終局はそこまで長くならない……はず。

こぼれ話を一つ。
実は最後までイバラキンを出そうか出すまいか迷いました。
没案として天草特攻の時にカドックを連れ戻す役目を与えて、そのまま仲間として居座るなんてネタ考えましたけど、あのタイミングじゃ活躍させにくいということで没になりました。
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