Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
冠位時間神殿ソロモン 第1節
それは断章の物語。
あらゆる情報、あらゆる痕跡、あらゆる足跡を抹消された語られざる物語。
その事実を知る者は誰もおらず、唯一の当事者は口を閉ざしたまま沈黙を貫く。
だから、これが夢であることはすぐに気が付いた。
何故なら、沈黙を保つ当事者とは、他ならぬ自分自身の事なのだから。
『見事だキャスター。これで他の六人のマスター、その全てを排除した。聖杯戦争は我々の勝利に終わった』
夢の中で自らの従者に語りかけるのは、自分の友人であり、上司であり、恩人である魔術師だ。
彼はとある大望の為に極東の地で開催されるある魔術儀式に参加した。
万能の願望器を七人の魔術師とそのサーヴァントで奪い合うその儀式の名は聖杯戦争。
彼はこの冬木の地で、血みどろの魔術抗争を勝ち抜き、自らの手を六人の魔術師の血で染め上げたのである。
だが、冬木の聖杯戦争はそれだけでは終わらない。
そも万能の願望器という触れ込みは、参加者を集めるための口実に過ぎない。
確かに聖杯には願望器たる機能は備わっている。その杯に蓄えられた膨大な魔力を用いれば、大抵の願いは叶うことだろう。
しかし、この聖杯が生み出された真の理由は根源への到達。
英霊の座から呼び込まれたサーヴァント達が、役目を終えて再び座へ戻る際に開く穴を固定し、広げるためのものである。
言わずもがな、全ての魔術師にとって根源への到達は一族の悲願。そして、聖杯が真の機能を発揮する為には七騎全ての英霊の魂が必要となるのだ。
魔術師は自らの目的のため、従者をその手にかけるだろう。彼の右手にはそれが叶う絶対命令権、令呪が残されている。
もちろん従者もそれを承知していた。取り決めがあった訳ではないが、聖杯戦争の成り立ちを聞いた時にそうなるだろうという予感があった。
元より仮初の存在。過去の人間が今に干渉するべきではない。例え聖杯の力が人類を救うことも滅ぼすこともできる大いなる力であったとしても、それは今を生きる人間が決めることだ。
だからなのだろう。初めから、自分は使い潰されるものと決め込んでいた従者は、次に魔術師が発した言葉を聞いて我が耳を疑った。
『私は協力者であり、功労者である君を大聖杯に捧げる気はない。令呪も使わない。そもそも君には通じない。我ら天体科を司るアニムスフィアは、我ら独自のアプローチで根源に至らなくてはならない。他の魔術師の理論に乗る、などありえない』
予想外の言葉に従者は思わず聞き返していた。では、何を望むのかと。
すると魔術師は、迷うことなくキッパリと言い切った。
『カルデアスの完成だよ。実のところ、
惑星に魂があると仮定し、その現身を投射する疑似天体カルデアス。
魔術師がとある僻地に建設したそれは、彼が求める機能にまで達していないらしい。
曰く、出資者を納得させるために組み上げただけで、実用化のためには莫大な費用がまだまだ必要なのだそうだ。
それこそ、彼の出資者達だけでは賄えぬほどの。
『カルデアスを回すには一つの国を賄うほどの発電所を、半年間ほど独占しなければならない。だが、私の手持ちの財産といえば虎の子の海洋油田基地、先日なんとか買い上げたフランスの原子力発電所が一基。これだけでは話にならない』
滑稽と笑いたければ構わないと、魔術師は自嘲する。
神域の天才が造り上げた
だが、従者はそんな主を嘲笑うことはできなかった。
奇蹟を他人の手に委ねず、自ら成し遂げんとする様は尊敬に値する。
そして、彼は自分がまだ活動を続けられるこの十年の内にその仕事を果たさんと冬木の聖杯戦争に参加したのだ。
極東の魔術儀式。真偽定かではない願望器。確かにこれならば他者に借りを作ることも資金繰りに感づかれてライバルに妨害されることもない。
何の痕跡もつけず、何の前兆も見せない方法として、彼はこの
『冬木で起きた聖杯戦争は、セイバーとそのマスターが勝利した事にすればいい。卑怯、卑劣な人間のする隠蔽だが、私は何を犠牲にしてもカルデアスを真に起動させる。人理を維持するためにはどうしてもアレが必要だ』
彼は魔術師特有の危うさを持つ男だ。一言で言えば道徳が欠けている。
しかし、その胸に燻る熱意は、煮え滾るような人間愛は、揺るぎのないものだ。
その愛は応えるに十分な思いだった。
従者は主の方針を尊重し、静かに首肯する。
世界すら思いのままにできる力を前にして、浅ましい個人の欲望を叶えるという結末に、二人はどちらからというでなく笑みを零していた。
『さて、聖杯戦争の勝者は願いを叶える。それはマスターと、そのサーヴァントに資格がある。私は巨万の富を願うが、君はどうする?』
思いもしなかった質問に、従者は硬直した。
生前から我欲とは無縁の生き方だった。自らの願いなど持てる筈もなく、自由もなかった。王とはそういうものだった。
けれど、今ならば。
王としても英霊としても役目を終えた今ならば、願うことができるのではないだろうか。
『本当に――何を願ってもいいいのだな、マリスビリー?』
魔術師はその名を以て確約する。
君の願いならば、きっと正しいものに違いないと。
それを聞いて従者はニタリと口の端を釣り上げた。
初めて、自分の内から出でた思いを口にした瞬間だった。
『我が契約者にして唯一の友、キャスター。いや、魔術の王ソロモンよ。その願い、大聖杯は確かに聞き届けるだろう』
世界はそこで、暗転した。
□
作戦決行まで、後十時間。
疲れ果てて眠りに落ちたマスターとその友人に毛布をかけ、アナスタシアは一人、ベッドの上で寝息を立てている親友を見下ろした。
経験が活きたとはいえ、寿命を迎えつつある肉体を生かすというのは困難なことであった。
彼女は何らかの病気に罹患している訳ではない。
治療薬など存在せず、できる手立ても限られていた。
それでもカドックは必死で頭を回し、英霊達にも助力を乞うて何とかマシュを生き永らえさせることに成功した。
ただ、それもどこまで保つかは分からない。
痛みは麻酔で和らげ、体力を回復させるために栄養剤を輸液する。彼女の体はもう、その程度の対処療法しか受け付けないほど手遅れの状態であった。
生命力を活性化させる護符も持たせているが、焼け石に水であろう。
いくら薪を足したところで、種火が消えてしまっては彼女という窯は冷えていくばかりだ。
「……ん……ぅ…………」
「マシュ?」
「……アナスタ……シア……?」
「まだ起きてはダメ。もう少し、横になっていなさいな」
「はい……すみません、ご迷惑をおかけして」
呼吸器越しに小さく笑って見せるマシュを見て、アナスタシアは堪らなく胸が苦しくなった。
本当は怖いはずなのに、彼女は心配をかけさせまいと虚勢を張る。
それは彼女の強さであり、弱さでもあった。
マシュ・キリエライトという騎士。人類最新の英雄は、盾も鎧も本来ならば似つかわしくないごく普通の少女だ。
日々の何気ない幸せを喜び、小さな不幸を悲しめる女の子だ。
そんな彼女は、このカルデアという特異な環境で育ったからなのか、どんな人間であっても持っている自分自身を大切にするという考え方よりも先に、英雄としての在り方を自身に刻んでしまった。
人理の礎を、己のマスターを守る。
覚悟も決意もないまま自身に枷を嵌めてしまった彼女は、如何な恐怖を前にしても逃げ出すことだけはしない。
その背中に守りたいものがある限り、彼女は盾を手放すことがない。その手がどれほど恐怖に震えていたとしても。
「怖いのね」
それがどれほどの足しになるかはわからないが、アナスタシアは震えるマシュの手をそっと握る。
マシュは一瞬、驚いたように目を見開くが、すぐに表情を緩めて微笑んだ。
「はい、とても。でも、わたしは逃げません。最後まで戦います」
「マシュ……」
「ウルクで、レオニダスさんに教わったんです。わたしの盾は、恐怖を乗り越え分だけ強くなれるって。あの人は、死ぬ事なんて怖くないと仰っていましたが、最後の戦いの時だけ……自分が亡くなった、テルモピュライの戦いの前は恐怖で震えていたそうです」
「誰だってそうよ。死ぬ事が怖くない人はいない」
「はい。けど、あの人は戦いました。宣託で自分が死ぬ事を知っても、その先に残るものがあるから戦えたと。本当に怖かったのは、国や家族に何も残せず無為に死ぬ事だったんだと。わたしも同じです。とても怖いですが、マスターを…………先輩を守れないことの方が、もっと耐えられません」
そう言い切るマシュの瞳には、確かな力強さがあった。
命じられたから戦うのではない。
使命だから戦うのではない。
自分が本心から守りたいものの為に戦う。
失いたくないもの、譲りたくないもののために戦うという、人間ならば誰もが持つ根源的な欲求。
無色だった魂は、ほんの少しだけ染みのような我欲を手に入れた。
その小さな願いが、彼女をここまで強くしたのだ。
立ち塞がる七つの絶望を乗り越えた先に掴んだ願い。それは英霊ギャラハッドとしてではなく、マシュ・キリエライトとして彼女が辿り着いた命の答えだ。
「あなたは、英霊としての願いを見つけたのね。聖杯に願ってでも……他の何を犠牲にしてでも成し遂げたい、願いを…………」
「はい。ですが、それは最初からわたしの中にあったものなんです。オケアノスでドレイク船長は、わたしは自分の願いを持っているけれど気づけていないと仰っていましたが、今ならハッキリとわかります」
それが何なのか、問うまでもないだろう。
彼女の願いは彼女だけのもの。その領域に自分のような部外者が足を踏み入れていいものではない。
きっと彼女の願いは透き通るように純真で、水晶のように輝かしいものだ。
その輝きが失われるその時まで、彼女は盾を振るい続けるだろう。
恐怖を飲み込み、明日の為に立ち上がって前に進む。
それはヒトの営みそのもの。生きるという本質を表している。
マシュに残された命は後僅かでも、彼女はそれを不幸とは思わない。最後の一瞬まで、彼女は自らの脚で立って歩く事ができるのだから。
「あ、でも……」
「でも?」
「一つだけ……いえ、一つと言わず未練はたくさんあるのですが、それでもわがままを言わせてもらえるのなら…………」
寝息を立てている二人には万が一にも聞かれたくないのか、消えてしまいそうなか細い声でマシュは細やかな未練を告げる。
それを聞いたアナスタシアは、任せなさいとばかりに懐からあるものを取り出した。
何て愚かで愛らしく、そしていじらしいのろう。
それは消えゆく命が持つには当然の願いであったが、彼女は今日に至るまでそれを口に出すことができなかったのだ。
そして、どうせやるからには楽しまなければならない。
幸いにもカドックと立香はもうしばらく、目を覚ましそうにない。後始末はシュヴィブジックを使えばどうとでもなるだろう。
マシュには申し訳ないが、普通にそれをしたのでは彼女のマスターが悲しむだけだ。
だから、ここは
手にしたそれと、新たにポケットから取り出したそれを弄びながら、アナスタシアはどことなく邪悪な笑みを浮かべるのであった。
□
予定よりも早く、管制室には全員が集合していた。
そこで行われるブリーフィングもこれで最後となることだろう。
長かった聖杯探索の旅路もこれで終わる。泣いても笑っても、これが最後のレイシフトだ。
「みんな、揃ったね」
全員の顔を見まわし、ロマニは切り出す。
事態は既に最終局面。いつもは談話なども交えながら軽い調子で始める彼の表情も、今は真剣そのものだ。
「まずはお礼を言おう、カドックくん。よくボクの代わりを務めてくれた。そして、マシュ――マシュ・キリエライト。キミの意思は、固いと見て良いんだね?」
「はい、ドクター。わたしはこの決戦に――最後の特異点探索に志願します。やらせてください」
「……わかった」
苦渋の決断であることは、誰の目にも明らかだった。
マシュの体は既に限界だ。この一日の間に出来る限りの処置を施したが、体調が改善することはなかった。
それはカドック自身の知識や技術の限界ではない。例えロマニが処置を行っても結果は変わらないだろう。
マシュの寿命は尽きつつある。恐らく長時間の作戦行動も不可能だ。
それでも彼女は最後のレイシフトに参加すると譲らなかった。
戦えば残された寿命が更に縮む事も承知で、マスターと共に最後まで戦うことを選んだのだ。
親代わりを自称するロマニにとって、彼女の決断は到底、受け入れがたいものだ。それでも彼はカルデアの司令代行として、彼女を死地に送らねばならない。
その心中はとても穏やかではいられないだろう。
「……続けよう。我々は遂に魔術王の本拠地、通常の時間軸の外にある特異点を突き止めた。当カルデアはこれより、この特異点との接触を開始。この施設ごと、敵の領域に乗り上げる」
今までの特異点と違い、魔術王の居城は時間軸の外にある。
乗り込むためにはどうしても接触し、その接地面をアンカーとして利用しなければならない。
当然、出入りはそこからしかできないし、カルデア自体が敵に襲われる危険性も高い。だが、魔術王の元へ乗り込む為にはこの方法しかないのだ。
計算上、カルデアが特異点との時空融合に耐えられるのは七十二時間。それまでの間に魔術王を打倒し、カルデアへ帰還しなければならない。
「つまり、上陸作戦というわけだ。キミ達は敵地に乗り込んだ後、魔術王がいると思われる玉座を目指すこととなる。だが、そのためにはまず城門を破らなければならない」
そこから先はダ・ヴィンチが説明を引き継ぐ。
曰く、魔術王の居城たる特異点は一つの小世界ともいうべき概念宇宙と化している。いわば宇宙の極小スケールモデルだ。
特異点の中心には計測不可能なほどの魔力が渦巻いており、カルデアはこれを魔術王の玉座と仮称。本作戦の最終目標はここを攻略した後、帰還することと定められた。
しかし、解析の結果、この玉座に繋がるルートは塞がれている状態であり、そのままでは玉座へ侵入することができない。
そこで、作戦の第一段階として敵領域そのものの破壊が挙げられた。
「敵領域は一つの生命であり、末端から中心にエネルギーを送り込んでいる。だから、まず末端を破壊する。そうすれば玉座を守る城門も瓦解する、というワケ」
「周囲の施設から破壊し、魔力の供給を止める……というワケですね」
なるほど、まるで城攻めだ。
敵の兵糧を押さえ、丸裸にした後に本丸を叩く。
既にダ・ヴィンチの解析で特異点の構造は概ね把握できているため、魔力を供給している拠点の位置も特定できているとのことらしい。
そうなると問題は、限られた時間でそれをこなすことができるのかということだ。
カルデアが時空融合に耐えられる七十二時間。これは希望的観測だ。魔術王が物理的な攻撃を仕掛けてこないとも限らない。
たったの二騎のサーヴァントでいくつもの拠点を攻め落とすことは非常に難しいだろう。
「ああ、だから今回は他のサーヴァント達にも同行してもらう。今まで、キミ達の活動に支障が出ないよう極力、現地のサーヴァントをスカウトしてきたけど、今回はそれも望めそうにないからね」
サーヴァントとの契約は、魔術師が持つリソースを切り取って分け与えるようなものだ。
未熟なマスターがトップサーヴァントを従えても、必要な魔力を供給できず性能を十全に発揮できない。
存在維持や宝具の使用に必要な魔力はカルデアの電力から賄われるとはいえ、場合によっては供給が追い付かなかったり、不測の事態でカルデアとのパスが途絶えることも今までは多々あった。
だが、今回はそんなことを気にしている余裕もない。戦力はこちらの方が圧倒的に劣勢なのだ。
ロマニはその辺も考慮にいれ、比較的負担の少ないサーヴァントを七騎、ピックアップしてくれたらしい。
彼ら彼女らが各拠点を攻撃し、押さえている隙にカドック達は魔術王が待つ玉座を目指す。
それが本作戦の大まかな概要との事だ。
「わかっているとは思うけど、大切なことは無事に戻ってくることだ。特異点の基点となる魔術王を倒せば、この特異点は消滅する」
「戦場からの離脱……確かに経験がありませんね」
「いざとなったら、君のヴィイに引きずってもらってでも戻ってくるさ」
「ああ、その意気だ。みんな、最後まで気を抜かず、入口まで戻ってくるんだ。キミ達をレイシフトでコフィンに帰還させ次第、カルデアは侵食された区画をパージして通常空間に転移する。それでこの戦いはおしまいだ。人類の、そしてカルデアの大勝利というオチでね」
いつもの調子を崩さぬダ・ヴィンチの存在が、今日は特にありがたい。
その能天気な言葉を聞いていると肩の緊張も抜け、自然体の力が戻ってくる。
困難な作戦だ。
こちらを気遣ってのものだろう。ダ・ヴィンチの言葉には、魔術王を倒せるのかという命題が意図的に伏せられていた。
ソロモン王は魔術の祖。魔術師の頂点に君臨する
その力の一端は、ロンドンでの短い対峙で嫌という程思い知らされた。
今でも思い返せば恐怖が蘇る。
だが、もう迷っている暇はないし、逃げるつもりもない。
最後までカルデアの一員としてグランドオーダーを遂行する。それがあの北米の地で胸に刻んだカドックの誓いだった。
「敵特異点に侵入し、七つの拠点を破壊。中心部に侵攻し、ソロモンを倒す。その後、崩壊が予想される玉座から離脱し、接触面からカルデアに帰還する。作戦内容は以上だ。みんな、何か質問は?」
「ありません」
「大丈夫だ」
ロマニの問いに、立香とカドックそれぞれ言葉を返す。
すると、ロマニはしばらくこちらのことを無言で見つめた後、静かに切り出した。
「…………情けない。この期に及んで覚悟ができていないのはボクだけのようだ。けど、キミ達の目を見て励まされたよ」
「ドクター・ロマン」
「カルデアの所長代理として、キミ達にコフィンへの搭乗を命じる」
「はい」
力強く頷き、それぞれのコフィンへと向かう。
残された時間は少ない。カルデア内の時間が2017年に到達した時点で、人理修復は不可能となってしまう。
人類は誰もが気づかぬまま魔術王によって殺されてしまった。
ソロモン王が生きていた時代から緻密に積み上げられた、人類史最長の殺人計画。
この敗北から始まった戦いも、遂に終わりを迎える。
勝って奪われた未来を取り戻す。
そのために、自分達は死地へと向かうのだ。
――全行程
――最終グランドオーダー 実行を 開始 します――
いつものアナウンスがレイシフトの開始を告げる。
視界が暗転し、意識までもが量子化されて未知なる領域に投射される。
異変が起きたのは、その時であった。
□
「何だ、何がどうなっている!?」
管制室にスタッフの怒号が木霊する。
いつものようにレイシフトがスタートする直前、カルデア全体に衝撃が走ったのだ。
次いで、スパークする幾つもの機器。エラーを起こしたコフィンが次々と開閉され、中からレイシフト予定であったサーヴァント達が排出される。
「っ、やれやれ、酷い目にあった……ロマニ、君は無事かい?」
体の調子を確かめながら、ダビデ王が聞いてくる。
更に横からはブーディカ、清姫、ジキル、ジェロニモ、べディヴィエール、ジャガーマンがコフィンから這い出てきた。
全て、本作戦のためにロマニが選別したサーヴァント達ばかりだ。
「ムニエル、カドックくん達は!?」
「ああ、コフィンに問題はない。正常に稼働している!」
「なら、クラッキングか! だが、知らないぞ! こんなことができるなんて、ボクは知らないぞ!」
マスターと共に魔術王の居城――時間神殿へとレイシフトするはずのサーヴァントだけが魔術王によって弾かれてしまった。
先ほどの衝撃は、レイシフトを阻害するために時間神殿から行われたカルデアへの攻撃だったのだ。
確かに魔術の祖――とりわけ召喚術に精通したソロモン王ならば、英霊召喚の理論を応用したレイシフトを阻害することもできるかもしれない。
だが、理論的に可能なのかということと、実際に行えるのかということは別だ。
少なくともロマニ自身はこんな方法が存在することなど思いもしなかった。
「落ち着くんだ、ロマニ。それで、マスター達は?」
「あ、ああ。大丈夫だ……存在証明はできている。レイシフトは成功だ」
どうしてマスターと二人の正サーヴァントだけがレイシフトに成功したのかはわからないが、今はダビデ王の言う通り、彼らのサポートを行う事が先決だ。
彼らの存在証明、周囲の索敵、進行ルートの指示、タイムテーブルの把握。やるべきことは非常に多い。
だが、そんな彼を嘲笑うかのように、新たな異変がモニターに表示される。
時間神殿からの更なるクラッキングだ。
写し出されたのはロマニ自身もよく知る人物。
緑色の、クラッシックなスタイルに身を包んだ魔術師。
かつての友にしてカルデアに大きな被害を出した裏切り者。
レフ・ライノールだ。
『やあ、健勝そうだね、カルデアの諸君』
まるで懐かしい顔触れとの再会を祝うように、レフは帽子を持って一礼する。
ただし、その顔には張り付いたかのような仮面の笑みを浮かべたままの、慇懃無礼な挨拶だ。
「レフ教授……」
「いや、この反応は……メソポタミアの時と同じ……獣のクラス、ビーストの反応だ!」
あのティアマトと同じビーストの反応。即ち、人類悪がそこにいる。
レフ・ライノールがそうなのではない。その後ろにいる真の黒幕。
魔術王その人が人類悪なのだ。
この特異点は、悪意なき人類愛で形作られた王自身の庭なのだ。
『おお、さすがは万能の天才。少しは鼻が利くようだ。そして、よくぞここまで彼らを導いたものだな、ロマニ・アーキマン』
「何のことかな、レフ・ライノール?」
『なに、私はこれでも人間の機微をよく理解している。未熟なマスターであった藤丸立香の努力には感心しているし、カドック・ゼムルプスが獣に食い殺されることなく、ここまで無事でいることも称賛しよう。まったく――――吐き気を催す程の生き汚さだ』
心底から気に入らないとばかりに、レフはモニターの向こうで吐き捨てた。
『どうしてこう、行儀よく死ぬなんて、誰にでもできる簡単な事ができないんだい? それを美徳と説くのなら、それこそ人間は唾棄すべき存在だ。そんなことをしたところで、最後には必ず死ぬというのに』
「正直、今でも信じられないよ、レフ教授。あなたはとても優秀な人間だった。あなたが開発したシバがなければ、グランドオーダーを実行することすたできなかっただろう」
『私がいつから、魔術王に与していたかを知りたいのかね? そんなもの、三千年前からに決まっているだろう。この計画が始まった時から、我々はあらゆる伏線を世界に撒いた! 百年後に魔神柱になる家系、五百年後に魔神柱になる家系、そして遥かな千年後に魔神柱になる家系! 私はその中の2015年担当だったに過ぎない! マキリ・ゾォルケンも然り、我々はそのように地に撒かれた種だったのだよ』
何とも迂遠で長大な計画だ。
魔神柱の種はそれを埋め込まれた者達の子孫繁栄と共に脈々と受け継がれていき、それぞれが定められた時代になると開花することでその魔術師は魔神柱の依代となる。
レフ・ライノールもまた、そんな呪いを刻まれた一族の一人だったのだ。
カルデアを訪れた彼は、魔術王とは何ら関係がない形でシバを組み上げた。後に自らが敵対する者達と交友を重ね、その時が来た瞬間、スイッチを捻るように存在ごと反転したのである。
『回収する資源は、私が存在した2015年までで十分だった。君達は成す術もなく我々に焼き尽くされるはずだった。だが、私の観察眼をすり抜けた食わせ者がいたようだ。ロマニ・アーキマン。私は君を過小評価していたようだ。それともそうなるように、私の前では道化を演じていたのかな? 君さえいなければ生き残ったカルデアも纏まらず、彼らもここまで辿り着けなかったはずだ』
「…………」
レフの言葉にロマニは答えることができなかった。
隠していたことがある、それは事実だ。
あの日が訪れるまで――いや、今日という日まで自分は周囲を欺き続けてきた。
理由は分からず、誰が敵になのかも分からず、そもそも本当に起こるのかどうかも保証がない。
そんな夢に見た程度の人類の危機を信じて、人生の全てを投げ出してきた。
起こる筈のないものを、起きると信じて待ち続ける。
誰が敵なのかも分からず、何を学べば良いかも分からないから、出来る事は手当たり次第に学び尽くした。
何が起きても良いように、あらゆることに備えてきた。
ひと時とて休まる事のない自由な世界を、ロマニ・アーキマンは懸命に生き続けてきた。
――だから、謝罪しようレフ・ライノール――
――わたしはきみに、こころをゆるしたことなどなかった――
それが、ロマニ・アーキマンという人間が選んだ自由の代償だった。
『ふん、答える気がないのならそれはそれで構わない。私と君の友情は、そこまでのものだったということだ。そして、その努力が報われることもない。レイシフトへの介入は我々でも、繋がりの薄い影共を弾くことしかできなかったが、ここでマスターが死ねばそれまでだろう?』
「やはり、レイシフトを阻害したのはキミ達だったのか」
その口振りから察するに、彼らでもマスターや正規契約を結んだサーヴァントまではレイシフトを阻害できないのだろう。確かに弾かれたサーヴァント達は皆、仮契約の者ばかり。冠位の魔術とて万能ではないということだ。
だが、それでもマスターの二人が窮地であることに変わりはない。
戦力はマシュと皇女の二人のみ。対して敵は、七十二の魔神達だ。
『我らの王の計算も、あと数時間で終了する。それまでに私の不始末を、ここで解決するとしよう。貴様らが玉座に辿り着く事は――絶対にない!』
□
星のない宇宙に浮かぶ異空間。
いくつもの魔神柱が絡み合ったかのような廃墟の神殿――時間神殿ソロモンにて、獣の叫びが木霊する。
「聞くがいい、我が名は魔神フラウロス! 七十二柱の魔神が一局、情報を司るもの!」
見る見るうちにレフ・ライノールの姿が崩れていき、醜悪な肉の柱が天を衝く。
鼓動のように脈動する表皮、表面に羅列するいくつもの眼球、見るだけで正気を削られるその姿は、この旅路の中で何度も目にしてきた魔神柱のそれだ。
魔神の名を冠した獣。フラウロスとなったレフは顕現と共に魔力を爆発させ、視界に映る全てを焼き尽くさんとする。
魔神柱が共通して持つ強力な魔術攻撃、焼却式。
一たび放てば堅牢な城塞も瞬く間に溶かし尽くし、人間など灰も残らない。
それをフラウロスは、何の予兆もなく全力で解き放ったのだ。
それも一度きりではない。
二度、三度、周辺を焼き尽くし、大地が抉れるまでフラウロスは焼却式を連射する。
初手から全力を放ち、有無を言わせぬ波状攻撃で殲滅する。それだけでも彼らの本気の度合いが読み取れる。
だが、魔神は大いなる勘違いをしていた。
対峙するマスターの二人が、この程度の絶望で屈するような弱き者ではなかったこと。
そして、共に戦う二騎のサーヴァントの力が、この旅路を通じて絶望を容易に上回るほど強まっていたことだ。
「――『
炎の中から現れたのは白亜の城。
魂すら焼き尽くす焼却式の直撃を受けてなお、その輝きは陰るどころか益々、光を増している。
その堅牢さは盾を振るう騎士の魂の形。彼女が屈せず、堕ちない限り決して破られることはない破邪の守りだ。
「『
白亜の城より放たれたのは呪いの視線。
焼却式を放ち、一時的にオーバーフローを起こして無防備となったフラウロスの全身を隈なく射抜き、無数の弱点を創出する。
直後に撃ち込まれたのは圧力すら伴う猛烈な吹雪だ。
凍り付くなど生ぬるい。受け止めた肉の体が風圧で押し潰され、成す術もなく崩壊していく。
無限の再生力を持つはずの魔神の体が、溶けるように崩れていったのだ。
「よし! 今更、魔神柱の一本や二本……なにぃっ!?」
目の前で起きていることが信じられず、カドックは戦慄する。
消滅したはずの魔神柱。それが再び姿を現したのだ。
再生や時間逆行が行われた気配はない。そこに何の魔術的痕跡は見当たらない。
自分の目が確かならば、魔神柱フラウロスはたった今、新たな体を得てこの世界に生れ落ちたのだ。
『うわっ、今度は何だ!?』
『外部からの衝撃です! 第二攻性理論、損傷率60パーセントを超えています!』
『北部管制室、ロストしました! 天文台ドームに過度の圧力を確認! ドームが破壊されれば管制室の不在証明が保てません!』
『疑似霊子演算精度、クオリア域を脱落! 攻性理論の強度、低下していきます!』
『館内の電気供給を中央以外カットしろ! 炉心からの電力は全て攻性理論とカルデアスに使え!』
『霊子演算用のスパコンには私の
混線する通信。
飛び交う言葉だけでも向こうの異常が伝わってくる。
そんな中でもロマニとダ・ヴィンチは的確な指示を各所に送っていた。
だが、その抵抗も焼け石に水だ。
今、カルデアを襲っているのは他ならぬ魔神柱そのものだ。
幾本もの魔神柱がカルデアに巻き付き、締め上げているのである。
「私は不死身だ。我々は無尽蔵だ。この空間すべてが我々なのだから!」
フラウロスの言葉に応えるように、地形に変化が訪れる。
彼が顕現せよと同胞達に呼びかけるごとに大地が割れ、無数の眼球を備えた肉の触手が姿を現したのだ。
その光景は北米で対峙した『
だが、規模は明らかにそれ以上だ。目の前に広がる空間そのものが魔神柱によって侵食されていく。いや、この空間自体が魔神柱によって擬態したものだったのだ。
「我らは常に七十二柱の魔神なり。この大地が、玉座がある限り、我らは決して減りはしない! 私を殺したければ七十二の同胞、全てを殺し尽くす事だ!」
そんなことは不可能だがなと、フラウロスは勝ち誇ったかのように哄笑する。
確かにその通りだ。騎士王の聖剣を何本束ねたところで、全ての魔神柱を消し飛ばすことなどできないだろう。
同胞が一柱でも生き残っていれば、即座に魔神柱は失われた数を補填する。
自分達が敵対しているのは七十二体の魔神なのではなく、七十二柱という一つの概念存在なのだ。
個にして群、群にして個。
独立した意思を持ちながらも蟻のように群体として存在する奴らを滅ぼすことなど不可能なのだ。
「……それでも!」
藤丸立香が毅然とフラウロスを睨みつける。
やはり、彼は諦めない。
この絶望的な状況で、何一つとして打つ手がないこの現状で、彼は生きることを諦めない。
何もできないと決まった訳ではない。
打つ手はなくともやれることはあるかもしれない。
それが万に一つしかなくても、彼は必ずそれを掴み取る。
そのまっすぐな姿勢に感謝を述べたい。
おかげで自分は――自分達はまだ戦える。
「はい、まだ敗北した訳ではありません!」
まず盾の騎士が立ち上がる。
大地の揺れに足を取られながらも、戦意を奮い立たせて盾を構える。
そんな彼女のふらつく足を、支える者がいた。
「ええ、私達のマスターは、こんなところでは終わりません」
親友を支える魔眼の皇女が、全てを見抜く邪視で以て相対した魔神を睨む。
無論、いくら弱点を付与したところで数本の柱を消し飛ばすのがやっとだ。
異形の柱は忽ちの内に失った同胞を迎え入れるだろう。
だが、それがどうしたと言うのだ。
「何があっても、逃げないという事だけは決めていた。ここにいる全員が、そんな大馬鹿野郎だ」
最後に、少年は静かに告げる。
無謀な進軍だった。
吹雪が荒れ狂い、津波のように押し寄せる焼却式を白亜の城が受け止める。
余波を受けて数本の柱が融解し、一息を入れる間もなく同じ場所に新たな柱が誕生した。
七十二の魔神柱を相手に果敢に攻める勇者達。しかし、そびえる壁は厚く彼らはなかなか前へと進めない。
ただ悪戯に傷ついていくばかりだ。
「まだ抗おうとするか! 諦めが悪いのは十分に理解した! それが通用したのは昨日までだ!」
フラウロスが嘲笑う。
それでも進軍は止まらない。
退くな、止まるな、突き進め。
ただ真っすぐに、彼らは玉座を目指す。
例え勝ち目はなくとも、万に一つの勝機が億に一つとなろうとも、歩みだけは止まらない。
最後まで生きる。
それは四人が共有する願いであった。
「マシュ!」
立香が叫ぶ。
無数の魔神柱からの攻撃を受け止め続け、遂に盾の騎士は膝を屈する。
盾は無事でも担い手が保たない。その手は見るも無残に焼け爛れ、これ以上は盾を持ち続けることが不可能であることを物語っていた。
「アナスタシア!」
咄嗟に、カドックはパートナーの名前を呼び掛けてしまう。
吹き荒れる嵐など物ともせず、隆起した魔神柱が皇女の痩躯を突き上げたのだ。
間一髪でヴィイが受け身を取るが、僅かに寸断した意識の隙を突くように無数の魔神柱が寄り集まり、その眼に凶悪な光を灯す。
渾身の焼却式を持って、こちらを焼き尽くすつもりのようだ。
最早、それぞれのパートナーは満身創痍。身を守る術はもう残されていない。
終わりだ。
これ以上はもう、前に進むことができない。
長かった旅路の終わり。
凡人でしかない自分が、答えを見つけて星のない宇宙にまで辿り着いた。
できることを精一杯やって、前のめりに倒れる。
良いじゃないか。
ここで終わってしまっても、誰も文句は言わないだろう。
今までの自分ならば、きっとそうだっただろう。
「違う……こんなはずじゃないんだ!」
腕に力がこもった。
足が僅かに踏ん張った。
倒れ込みながら、転がりながら、それでも更に体を前に押し込んだ。
こんな結末には納得ができない。
例え三秒後には焼き尽くされる運命にあろうとも、この体はまだ終わりではないと叫んでいる。
だから、前に進む。
少しでも先に、届かぬ星に手を伸ばす。
暗き空に流星が流れたのは、その時であった。
最終章開始。
でも、CCC復刻があるので更新は今までより遅めになると思います。
それにしても彼女はピックアップ2に来るんですかね?
きたら財布が死ぬ自信があります。