Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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冠位時間神殿ソロモン 第2節

ふと予感を感じ、青年は作業の手を休めた。

どれくらい没頭していたのだろうか。足下には幾つもの譜面が散らかっており、先刻から断続的に訪れる縦揺れは激しさを増して今は椅子に座り続けていることも困難だ。

照明もいつの間にやら消えていた。気が付かずに作業を続けられたのは、自分が仮にも魔術師だからなのか、そういう性分の人間だからなのかはわからない。

何れにしろ、暗闇が妨げにならないのなら、蝋燭に火を灯すまでもないだろう。

青年は再び、作業を再開する。

かつての生涯において、最後の作品となったあの曲を書き綴った時のように、己の執念を賭けて彼らの為の一曲を紡ぎ上げんとする。

だが、先ほどまで泉の如く溢れていた音楽が、ピタリと止んでしまった。

こんなことは今まで、一度としてなかった。

自分の中には常に最高の音楽が奏でられており、作曲とはそれを譜面に起こすことだ。

煮詰まる事はあってもそれは気乗りしないからで、スランプに陥ったことは決してなかった。

なのに、今回に限ってはいくら我が身の内に耳を傾けようとも新たな音は聞こえてこない。

生涯において向かい合ってきた音楽という魔物。神のように慈悲深く、悪魔のように傲慢なあいつがそっぽを向いたのだ。

そこで初めて、神に愛された男は自ら筆を置き、散らかった譜面を拾い上げた。

一枚一枚、丁寧に拾い上げて順番に重ねていく。真新しい紙面に綴られている音符には手直しの跡は一切、見られない。

そんなことは一度もしたことがない。

思うままに内なる音楽を解放する。それが彼の才能であり、呪いでもあった。

 

「どうした、書き上げていかないのか?」

 

どこからともなく声が響く。

ここにはいないはずの者の声。

彼がよく知るはずのその声は、彼の知らない情動が込められていた。

唸るように、呪うように、敬うようにその男は語りかけてくる。

憧れと妬みと怒りと憎しみと敬愛が入り混じった、オーケストラのような響きであった。

彼の抱いた思いを言葉で表してはいけない。口に出した瞬間、燎原の火はこちらを焼くことになるだろう。

そんな覚悟を抱かせる、悲痛な唸りであった。

 

「頃合いだよ。どうやら僕は、鎮魂歌だけは書き上げられない宿命にあるようだ」

 

呼ばれている。

それはここにいる自分ではなく、いつかの時代で共に戦った自分な訳だけど、そう違いはないだろう。

どのみち、役立たずの音楽家はさっさと霊基保管室に籠った方がみんなの負担も減るだろう。

それでも危険と迷惑を押して自室に残り続けたのは、彼らの為に鎮魂歌を書き上げようと思い立ってのことだったが、それももう叶わない。

運命は告げているのだ。その曲が奏でられるのはまだ早いと。

 

「なに、あいつらとは浅はからぬ因縁でね。ちょっと行って懲らしめてくるさ」

 

「おぉ……! ゴットリープ・モーツァルトォォ……神に愛された男よ。鎮魂は……貴様にこそ必要だ。貴様が戦ってきた全てに対する鎮魂が…………」

 

「ああ、そう言ってくれるのかい、灰色の男よ」

 

生前にもこんなやり取りがあったのかは覚えていない。

自分でも、どうして最後に鎮魂歌なんて書こうと思ったのか、よく覚えていないのだ。

ただ、あの時の自分は憑りつかれたかのように作曲に没頭し、そのまま生涯を閉じた。

思い返せば、運命が追い付いた瞬間だったのだろう。

神に愛された天才は、本来ならば魔神の一族であった。

その内なる囁きは獣の叫び。人々を魅了する音楽は、正しく悪魔の才能だった。

だが、彼はそうならなかった。

彼はとっくの昔に音楽に魂を売っていて、その血脈に刻まれた呪いは開花することなく彼と共に滅びていった。

代償は孤独。

魔の才能は彼に栄光と破滅をもたらした。

類まれなる音楽の才能と引き換えに、決して途絶えることなき獣の誘惑を囁き続けた。

身を任せれば呑まれてしまう。

愛した音楽すら忘れ去り、大切だった思い出も消え去って、この世界に牙を剥く人類悪と成り果ててしまう。

故に彼は生涯を賭けて音楽と向き合い続けた。それは他者には分かり得ぬ苦悩であり、真に理解者と呼べる者は最後まで現れなかった。

だが、彼は運命に勝った。

彼の音楽は魔神の血脈を押さえつけた。その根幹にあったのは幼き日の出会い。再会が叶わずとも、別々の伴侶と結ばれても、色褪せることなく抱き続けた彼女への思いが彼を最後まで人たらしめた。

その生涯に対する鎮魂を、この灰色の男は願ったのだろう。

 

「ああ。だが、それは僕であって彼らではない。彼は必ず獣を打ち倒し、ここに戻ってくる」

 

綺羅星の如き英霊達の中で、彼だけは気づいていた。

獣に連なる因果故か、彼だけは少年の危うさを見抜いていた。

少年が真に立ち向かうべき悪は、憐憫に非ず。

彼が彼のままでは時を待たずしてその身は喰われていただろう。

恐れた彼は引き延ばしを図った。

柄にもなく教えを説き、キッカケを与えた。

彼が彼のままでは悲劇は免れない。だが、人は変われるのだ。強い思いがあれば、運命を変えることができる。

こんな音楽にしか能のない男でもできたのだ。明日に希望を抱く少年に成し遂げられない道理はない。

故に確信する。

少年は、比較の向こうに辿り着くだろうと。

 

「アマデウス……我は……貴様を……貴様を……」

 

「さようなら、灰色の男。もしも、どこかで出会うことがあったのなら、それはきっと違う僕なのだろうけど……その時はこの首をやってもいい。そんな機会があればだけどね」

 

幻想の中の灰色の男が消える。

神に愛された天才は、自室を後にして明かりの消えた通路の向こうへと消えていった。

後に残されたのは書きかけのまま残された鎮魂歌のみ。

それはもう、必要がないものだ。

彼らに必要なものは鎮魂ではなく星の明かり。

明日を切り開く輝きだ。

その予感は実感へと変わり、この天文台に集いし英霊達に伝播していく。

呼ばれている。

自分達のマスターが、まだ諦めたくないと願いを告げている。

ならば応えよう。

ならば誘おう。

終局へ、最後の時へ、人類悪が待つ玉座へと彼らを押し上げよう。

さあ、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ。

 

 

 

 

 

 

足が縺れる。

倒れ込んだ痛みは感じなかった。

痛覚などとっくの昔に麻痺していた。

それよりも心が痛い。

歩みが止まってしまったことの方が悔しい。

これ以上はどうにもならないと、頭の中の自分が告げている。

迫りくる焼却式。

三秒先の未来で己を焼き尽くす炎を、カドックはただ見ていることしかできなかった。

全てが無為に終わる。

第一特異点での反抗が。

第二特異点での情熱が。

第三特異点での冒険が。

第四特異点での探求が。

第五特異点での進軍が。

第六特異点での生存が。

そして、第七特異点で得た答えが無為に終わる。

何もかもが、ここまで積み上げてきた全てが崩れ去ってしまう。

 

カドック(マスター)……!」

 

「っ……」

 

砂を握り締める。

もう、終わりだ。

心の底から、その認めがたい真実を肯定する。

目の前の現実を飲み下し、無様に頭を垂れる。

空が見えない。

星が見えない。

俯いたままでは何も見えない。

それが最後の抵抗だったのだろう。

せめて、上を向いて終わろうと、カドックは項垂れた顔を上げて自らを焼く炎を見やる。

すると、彼女はそこにいた。

 

「我が旗よ、我が同胞を守りたまえ!」

 

見覚えのある背中だった。

視界を焼く炎よりも尚、眩しい輝きだった。

この世の全ての汚濁の中にあっても尚、失われぬ神聖さがあった。

敢然と掲げられた旗は救世の誓い。

神に祈りを、同胞には守りを、遍く大地に祝福を。

世界を焼き尽くす炎を受け止めながら、救国の聖処女は振り向くことなく語りかけてきた。

 

「そうです、諦めるのはまだ早い。何故なら、あなたは確かに口にした。『こんなはずではなかった』と。あなたの戦いは人類史を遡る長い旅路であり、いつだってもしもを叫び続けてきた。その無念が、その挫折が、そこからの奮起が幾つもの出会いを呼び寄せた。この惑星(ほし)の全てが聖杯戦争という戦場になっていても、この地上の全てがとうに失われた廃墟になっていても、その行く末に無数の強敵が立ちはだかっても、あなたは決して諦める事はしなかった。目の前の悲劇を認めず、より良い結末が、最善の結果があるはずだともがき続けてきた。それが今も変わらないのなら……空を見上げた眼に星が見えたのなら……さあ――戦いを始めましょう、マスター」

 

閃光が駆け抜けた。

成層圏から振り下ろされた一筋の光が世界を黄昏へと叩き落し、幾本もの肉の柱が塵へと還る。

一方では巨大な火龍が焼却式を押し返し、音速のブレスが大地を割る。

奏でられるは魔の調べ、咲き誇るは百合の華。

御旗の下に星が集う。

一粒の輝きが灯る毎に魔神の悲鳴が木霊し、新たに生れ落ちた柱が瞬く間に崩壊する。

その光景を前にして、フラウロスは唯々、疑問を叫ぶことしかできない。

 

「なんだ、今のはなんだ!? 何故、奴らが消えていない!? 何故、カルデアがまだ残っている!? 何故――何故、我々の体が崩れているのだ――!?」

 

霊長の世が定まり、栄えて数千年。神代は終わり、西暦を経て人類は地上で最も栄えた種となった。

我らは星の行く末を定め、星に碑文を刻むもの。そのために多くの知識を育て、多くの資源を作り、多くの生命を流転させた。

人類をより永く、より確かに、より強く繁栄させる理――人類の航海図。

これを魔術世界では人理と呼び、カルデアはこれを尊命として護り続けた。

そして今、魔術王によって焼き尽くされた人類史に刻まれた叫びを聞き、数多の星々が力を貸さんと駆け寄ったのだ。

 

『カルデアを襲う魔神柱八体、全て消滅! それだけじゃない、これは夢か? 計器の故障か? 特異点各地に次々と召喚術式が起動している!』

 

歓声を上げるようにロマニが叫ぶ。

ああ、言われなくとも分かる。彼ら彼女らは来てくれたのだ。

触媒も召喚者もなく、自らの意思で。

ただ一度、縁を結んだという細い糸を手繰って駆け付けてくれたのだ。

 

『霊基反応、十、二十、三十――まだ増える! カドック君、これは!』

 

言葉が出なかった。

この領域だけではない。

特異点の至る所で星が輝いている。

見えないはずなのに、それが手に取るように分かった。

古代ローマの軍勢が魔神柱の群れをへし折った。

大海賊船団とギリシャの大英雄が大海原を荒らしまわった。

円卓の騎士とお伽噺の英雄が並び立ち、嵐の王が顕現した。

星が輝く度に大地が裂け、空が鳴き、炎と雷が交差し嵐を呼んだ。

反撃する魔神柱達をその暴雨で飲み込み、押し流していく。

彼らは生まれた端から肉の芽を摘み取っていき、対応が追い付かなくなった魔神柱がその異常事態に悲鳴を上げる。

 

「――東部末端神経、消滅。第一から第八柱、正常値を維持できない」

 

「西部自律神経、消滅。第二十六から三十三柱、正常値を維持できず」

 

「……左右基底骨郭、損壊。我、この宙域からの離脱を提唱する」

 

「どういう事か。何故、我らが圧し負ける? 奴らは我らのように群体ではない。個別に生き、個別に戦うしかない者達だ。何故、相互理解を拒んだ人間どもが互いに協力し合っているのか――!」

 

そう、確かに人間は我欲に囚われた生命かもしれない。

それは人類史に名を刻んだ英霊であろうと変わらない。いや、英霊だからこそ己が信念を曲げられない。

だが、そんな者達であるからこそ、見捨てられぬものがあった。

自分達が朽ち果てた先、そこに残されたものを更なる先へ進めようとする意思。

今と未来を繋げようとする切なる願い、生きたいという叫びを聞いて、応えない英霊はいない。

彼らはそのために駆け付けた。

人類七十億の願いを代表した叫びに応え、この終局の地へと馳せ参じたのだ。

 

「主よ。今一度、この旗を救国の――いえ、救世のために振るいます」

 

炎を払い、はためく旗を掲げた聖女は叫ぶ。

この領域――否、この特異点に集いし全ての英霊達に向けて、救世の誓いを宣言する。

 

「聞け、この領域に集いし一騎当千、万夫不当の英霊達よ! 本来相容れぬ敵同士、本来交わらぬ時代の者であっても、今は互いに背中を預けよ! 人理焼却を防ぐためではなく、我らが契約者の道を開くため! 我が真名はジャンヌ・ダルク! 主の御名の下に、貴公らの盾となろう!」

 

「さあ! 旗の元へと集え、精鋭達よ!」

 

ジャンヌに続く形で騎士姿のジル・ド・レェが抜刀し、その後ろに光が集う。

竜殺しが、竜の娘が、白百合の騎士が、仮面の殺人鬼が、護国の鬼が、一丸となって魔神柱の群れを焼き払う。

そして、見上げると何条もの流星が空を駆け抜けていた。

あの光は全て、人理の礎だ。聖杯探索の旅の中で出会い別れてきたサーヴァント達の輝きだ。

 

『すごいぞ、次から次へとやってくる! そして理由はボクにも説明できない! この特異点が時間の外にある、というのが抜け道になったのか? いや、どうでもいいなそんな事! かつてキミ達が知り合った英霊、かつてキミ達と戦った英霊――その中で少しは力を貸してやってもいいなんて思った連中がいたんだろう!』

 

自分なんかの為にと言うこと自体がおこがましいかもしれないが、それでも感謝の念を抱かずにはいられない。

ありがとう。

応えてくれてありがとう。

ここまでの旅路は、ここまでの歩みは、まだ何一つとして無駄にはなっていないと彼らに教えられた。

なら、自分達はまだ前に進める。

歩いて行ける。

光はどんどん、強さを増していく。

拮抗していた戦況は今や、英霊達が優勢であった。

魔神柱は誕生が追い付かず、行く手を遮るように絡み合っていた肉の群れはもう見る影もない。

無論、それも長くは続かないだろう。

玉座の間を押さえぬ限り、魔神柱は永遠に復活する。

今は優勢でも、英霊達は何れ押し返されてしまうだろう。

故に今は、前に踏み出さねばならない。

英霊達が作ってくれた千載一隅の好機、逃す訳にはいかない。

 

「いた! 皆さーん、ヴィヴ・ラ・フランス!」

 

鈴のような音色と共に、水晶の馬車が停車する。

御者台に座っているのはかつて、フランスで共に竜の魔女と戦ったマリー・アントワネットだ。

 

「マリー!」

 

「お久しぶりね、アナスタシア! カドックさん!」

 

「来てくれたのね、ありがとう!」

 

「おっと、僕を忘れてもらっちゃ困るな」

 

ひょっこりと荷台から顔を出したのはアマデウスだ。

更に後ろには、バツが悪そうに顔を隠しているサンソンの姿もある。

 

「積もる話もあるけれど、今はそれどころじゃないね。乗るんだ、みんな! せめて道中は僕の演奏で心を安らげてくれ!」

 

「さあ、マシュと藤丸さんも! この領域を抜けるまでお送りします。どうか、その間に傷を癒してください!」

 

「行ってください、みなさん! 玉座への道は我々が切り開きます! その道に祝福と主のご加護があらん事を!」

 

再び繰り出された焼却式を旗で振り払い、ジャンヌが叫ぶ。

その隙にカドック達が荷台へ転がり込むと、馬車を引く水晶の馬が嘶きを上げて大地を蹴った。

激しい揺れと共に水晶の馬車は、次なる領域を目指してまっすぐに疾走する。

胸中を様々な思いが駆け抜けていた。

駆け付けてくれた英霊達への感謝と、彼らの力を以てしても殲滅し切れない魔神柱の再生能力への不安。

正直に言うと、ここに残って彼らの助けになりといという思いの方が強かった。

だが、それは彼らの思いを無碍にすることになる。

報いるためには前へと進むのだ。

ただひたすらに、前へ、前へと。

次なる戦場は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

そこは平原だった。

見渡す限りの大平原。遮るものは何もなく、漂う濃密な魔力は距離感を狂わせ地平線を遥か彼方に形作る。

玉座の間へと魔力を送り込む第二の拠点。

剥き出しの大地には幾本もの醜き柱が立ち並び、こちらの行く手を阻まんとする。

対して鬨の声を上げるのは一騎当千の英霊と、名もなきローマ兵の大軍団。

皇帝ネロを筆頭に、カリギュラ帝、カエサル、そして神祖ロムルスが率いる一大ローマ帝国軍だ。

本来ならば蟻の如き軍勢なぞ魔神柱の敵ではないはずが、皇帝達に率いられた兵士達の士気は高く、唯の人の集まりでしかないローマ兵は次々と魔神柱をへし折っていった。

深紅と黄金の征くところ、彼らに敵はなし。

偉大なるローマ軍はここにありとばかりに、彼らの奮闘は魔神の活性を押し留める。

 

「すごい、彼らは亡霊でしかないのに、魔神と対等に戦っている」

 

「無論、それこそが人間の底力なれば、彼らは等しく叛逆の士となろう!」

 

野太い声が聞こえたかと思うと、頭上を跳び越えてきた半裸の剣闘士が目の前に着地する。

その大きな背中を見た瞬間、カドックは思わず瞳を輝かせた。

 

「スパルタクス!?」

 

「おお、圧制者足らんとする少年よ! 無事で何よりだ、抱擁(ハグ)してあげよう!」

 

朗らかな笑みと共にスパルタクスの野太い腕が振り下ろされる。

咄嗟に飛び退かなければ、カドックの体は今の一撃で粉微塵に潰されていたことだろう。

 

「っ、相変わらずだな、お前!」

 

「ハッハッハッ! 君が圧制者足らんとする限り、我が抱擁からは逃れられぬよ!」

 

「そうかい! で、まずは僕に叛逆するつもりか!?」

 

「無論、全てが終われば我が愛は君に向けられよう! だが、今は苦境の只中だ! これこそが絶体絶命の具現、圧政を上回る大圧政だ!」

 

魔力を漲らせ、自身の体を一回りほど膨張させたスパルタクスが、カドックとアナスタシアを自らの肩に乗せる。

 

「さあ、まずは君の叛逆(圧制)で奴らを駆逐しよう! 然る後、君は真の圧制者として我が前に立つだろう! そう、その時こそ我が愛は爆発する!」

 

何を言っているのかサッパリわからないが、いつになく機嫌が良いのは確かなようだ。

右を向いても左を向いても自分より強い敵ばかり。根っからの叛逆者であるスパルタクスにとってはある意味、理想の環境なのだろう。

そうなると、当然ながら彼が次に取る行動も予想が付く。

如何にも彼らしく、叛逆の徒である彼にしかできない行軍だ。

 

「いくぞ、少年!」

 

「ああ、スパルタクス!」

 

「敵の中央を――!」

 

「ど真ん中から突き破る!」

 

「ちょっと、二人とも正気なの!?」

 

最も防備が分厚い激戦区を指差す二人の叛逆者に向かって、アナスタシアが悲鳴染みた抗議を上げるが無駄だった。

走り出したスパルタクスは止まらず、一息吐く間もなく傷だらけの体は魔神柱の炎に晒される。

叛逆者の叫びと、皇女の悲鳴が重なった。

 

 

 

 

 

 

そこは大海原だった。

足場はほとんどなく、眼下に広がるのは果てのない暗黒の宇宙。

その暗き海を二隻の海賊船が縦横無尽に駆け回っていた。

言わずもがな、黄金の鹿号(ゴールデンハインド)アン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)だ。

それぞれの船を駆るフランシス・ドレイクとエドワード・ティーチは、互いに罵り合いながらも息の合った抜群のコンビネーションで群がる魔神柱を次々と撃ち落としていった。

 

「よお、カドック! 生きてたか! お前はまだ黒髭海賊団の一員だ、死んだら俺が殺してたところだ!」

 

船長(キャプテン)! エドワード・ティーチ!」

 

「おお、今度は間違えなかったでござるな!」

 

船首に立つティーチが、こちらを見下ろしてニヤリと笑みを浮かべる。

 

「船長、助けは!?」

 

「おう、いらねぇよ! こちとらお楽しみの真っ最中! 最高にハイってやつだ! 邪魔したらお前でも容赦しねぇ!」

 

チラリと彼が視線を送ったのは、ドレイクが駆る黄金の鹿号(ゴールデンハインド)だ。

みなまで言わなくともわかる。彼にとってフランシス・ドレイクは特別な存在。

彼女と船を並べて戦えるとあって、いつものふざけた調子は完全にナリを潜めている。

正に抜き身のナイフ。

今の彼は正真正銘、カリブの海を荒らしまわった海賊共和国の行政長官だった頃の精神状態に戻っているのだ。

 

「さっさと行け! お宝が目の前にあるんなら、死んでも奪ってくるのが黒髭海賊団だ!」

 

「あ、ああ! だが、どうやって……」

 

先へ進もうにも、ここには足場となる地面がほとんど存在しない。

かといって、どちらかの海賊船に乗せてもらおうにも、両海賊団は魔神柱の相手に手一杯でとても自分達を向こう岸まで送り届ける余裕はなさそうだ。

 

「なら、それは私が請け負う! 早く乗れ、凡人!」

 

「あなたは!?」

 

「イアソン、どうして!?」

 

岸に横付けされたのは、かつて第三特異点で敵として戦ったイアソンのアルゴノーツだ。

どうやらヘラクレスやヘクトールだけでなく、彼も魔神柱と戦うために駆け付けてくれたようだ。

 

「勘違いするな、俺にも意地というものがある! 真っ向から戦うのはご免被るが、(セイル)の上手い使い方ならいくらでも披露しよう! それに、貴様達が乗っていた方が上手く敵も引き付けられる!」

 

「囮になるっていうのか!?」

 

「不安か? このアルゴノーツに限ってそれはない。何故なら――――」

 

「■■■■■――――!」

 

咆哮と共に跳躍したヘラクレスが、魔神柱の一本を引き千切った。

その強大な力を警戒したのだろう。イアソンに狙いを定めていた魔神柱の全てが大英雄を凝視し、鋼の肉体を炎で包み込む。

だが、大英雄は沈まない。全身を焼かれながらも怯むことなく突き進み、手にした斧で肉の柱を無造作に切り捨てる。

再び上がる咆哮。獅子奮迅としか言いようのない疾走。

狂戦士の斧は振るわれる度に破壊をまき散らし、ただの一騎で二つの海賊団に匹敵する戦果を上げている。

 

「どうだ、私のヘラクレスは無敵なんだ!」

 

「そうみたいだ」

 

「わかっているならサッサと乗れ! モタモタしていたら狙い撃ちなんだよ、ここは!」

 

行く手を阻む魔力光が雨のように降り注ぐ。しかし、イアソンは巧みにアルゴノーツを操って破壊の雨を掻い潜り、混迷を極める星の海原を突き進んだ。

 

「魔神柱、後方より出現! 先輩!」

 

「マシュ、盾を……」

 

「必要ない! お前達は何もしなくていい!」

 

叫び、イアソンが舵を切るのと入れ替わるようにヘラクレスが魔神柱へと飛びかかる。

大英雄がこの場にいる限り、アルゴノーツが背後を取られることはない。

故にイアソンは、振り向くことなく前へと進んだ。

無言の信頼がそこにはあった。

新たな魔神柱が出現し、炎が海を焼く度に悪態を吐く癖に――。

一丸となって戦うティーチやドレイク、ヘクトールとメディアを扱き下ろす癖に――。

彼は、ヘラクレスだけは決して自分を裏切らないと信じていた。

小心な英雄と狂戦士。言葉はなくとも確かな繋がりがそこにはあった。

 

「畜生、まだ出てくるか! 突っ切るぞ、お前ら!」

 

やけっぱちになったイアソンが炎の渦を無傷で潜り抜け、アルゴノーツは対岸を目前に捉える。

その背中に向けて、ティーチは声高に叫んだ。

 

「カドック、魔術王からてめぇの未来(でかいお宝)を奪い返してこい! そしたらお前は晴れて自由の身だ! 下船を許可してやるぜ!」

 

 

 

 

 

 

そこは街だった。

霧の立ち込める街路、朽ち果てた建造物の名残。

営みの気配はなく、あるのはただ破壊をまき散らす肉の柱のみ。

九本の柱は開眼した眼から次々と炎を噴出させ、霧の街を赤く染めていった。

だが、ここには彼らがいる。

破壊には更なる破壊を。破壊の先の創造を。

魔神柱が大地を焼くというのなら、彼らの雷電は空を裂く。

 

「『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)』!」

 

「『人類神話・雷電降臨(システム・ケラウノス)』!」

 

魔神柱の焼却式を、叛逆の騎士と星の開拓者が真っ向から迎え撃つ。

九つの視線に対して僅か二騎。だが、それがなんだというのだ。

確かに奴らの視線は世界を焼くだろう。

その妄念は大地を汚すだろう。

しかし、彼らの振るう雷電は神の雷霆。

太古より人類が恐れ、敬ってきた破壊の象徴にして自然界の頂点。

ならば、炎如きに後れを取る道理なし。

 

「はっ、遅かったじゃんかよ、カルデアの大将!」

 

「ゴールデン、お前も来てたのか!?」

 

大型二輪に跨り、魔神柱を引き潰した坂田金時が凶悪な笑みを浮かべる。

その向こうでは大槌を振るうフランケンシュタインと共に街路を駆け抜けるチャールズ・バベッジの姿もあった。

どうやらこの街では、第四特異点で出会った面々が集まっているようだ。

 

「アヒャヒャヒャッ! 愉快痛快! 誰も彼もが命を投げ出し戦う晴れ舞台! まったく、命を粗末にする大馬鹿者の集まりですなぁ!」

 

突如として虚空が爆発し、魔神柱の肉片が辺りに散らばった。

姑息にも霧に紛れて奇襲を企てていたようだ。だが、それは一人の悪魔によって見抜かれてしまう。

人間を弄び、人生を嘲笑い、喜劇を悲劇に、悲劇を喜劇に変える魔性の存在。

 

「どうもご存知、メフィストフェレスでございます」

 

「お前もか!?」

 

「いやあ、本当にツマラナイ人になってしまって。それでもあれですか、世界を救うなんて宣うつもりですか? そんなこと、あなた様にはできないとわかっていながら?」

 

相変わらず、癪に障る奴だ。

この悪魔は人が気にしていることを土足で踏みにじる。

それが自らの本分であると言わんばかりに目の前の命を嘲笑うのだ。

ああ、その通りだとも。

カドック・ゼムルプス個人に世界をどうこうできる力なんてない。

自分は一介の魔術師で、取るに足らない人間だ。

だからこそ、彼らの力がいる。

人理の英霊、星の輝きが道を照らすのだ。

 

「当たり前だ! お前も手伝うんだよ!」

 

「なんと、このわたくしめに世界を救えと仰る! 正気ですか? 狂ってますねぇ、追い詰められてますねぇ。いいですねぇ、それは面白い。この霊基が砕けるまで魔神をからかうのもまた一興! お供しますとも、マスター!」

 

立ち塞がった敵を、メフィストの爆弾が次々と吹き飛ばしていく。

悪魔は嘲笑う。

その笑みが何者に向けられたものなのかはわからない。

カドックはただ、その背を刺されぬよう気を配ることしかできない。

この男の本心など、未来永劫まで理解することなどできないのだから。

ただ、最後に垣間見たあの眼差しだけは本物だと信じたい。

暗闇の空の中に、ほんの一つだけ浮かんだ淡い輝きを見い出した時にも似た、希望に満ちた喜びを。

 

 

 

 

 

 

そこは戦場だった。

壊れた戦車が散乱し、大地は炎で燻り続けている。

その中心で果敢に魔神柱を蹴散らすのは我らが大統王。

九本の魔神柱はたった一人――しかし、アメリカという巨大な魂を背負った男の前に成す術もなく蹂躙されていた。

 

「うむ! 今日も今日とて直流は絶好調! 魔神といえど神秘であるならば我が宝具の敵でなし! 唸れフィラメント! 吼え立てろバルブ! 闇照らす光となり、人の歴史を作り替えよ!」

 

発動した宝具『W・F・D(ワールド・フェイス・ドミネーション)』が世界を照らす。

神秘を剥奪された魔神柱は瞬く間に溶け落ちていき、どろどろの肉片へと変わり果てていった。

だが、総体として完成された魔神柱に終わりはない。

不死であるが故に不滅。彼らは倒された端から誕生する。

エジソンが如何に宝具を回転させたところで、唯の一人ではどうしても限界が出てきてしまう。

 

「トーマス!」

 

「おお、カドックくん! 何、少しばかり苦戦しているが、すぐに挽回しよう! 正義は最後に勝つ! それこそがアメリカの真骨頂だ!」

 

(勝った方が正義を地でいっている癖に、よく言うな)

 

生前も権利関係で訴訟を絶えず起こし、発明品の利権をもぎ取ってきた男がよく言うものだ。

だが、指摘すると間違いなくへこむので、胸の内に留めておいた方が良いだろう。

 

「ともかく、道を切り開こう! 君はこのまま突っ切れ!」

 

「一人でか!? 無茶だ!」

 

「ノー! 合衆国(われわれ)は一人ではない!」

 

エジソンの叫びに呼応するように、三つの影が躍り出た。

 

「その心臓、貰い受ける」

 

「汝らの命を此処で絶つ――」

 

「――真の英雄は眼で殺す!」

 

手にした槍を、構えた弓を、深紅に燃える瞳を持って立ち塞がる魔神柱を迎え撃つ彼らは、みな北米の地で共に戦い、敵対した大英雄ばかり。

本来ならば決して足並みを揃える事のない彼らが今、自分達を先に行かせるために共に戦ってくれている。

エジソンが言うように、自分達は一人ではない。

数多の英霊が、まだ諦めるには早いと力を貸してくれている。

ならば、走ろう。

転んでもいい、無様でも構わない。

泥に汚れようと、這いつくばろうと、彼らの思いに無碍にしない為にも明日を目指そう。

それこそが、今を生きる自分にできるせめてもの報いなのだから。

 

 

 

 

 

 

そこは荒野だった。

荒れ果てた剥き出しの大地。いくつもの岩が転がる不毛の地。

今、その荒野を古代の神獣が駆け抜けている。

見上げた空には太陽の如き輝きを放つ巨大な船が浮かんでおり、艦砲射撃で以て地上の魔神柱を焼き払っている。

あれはオジマンディアスの『闇夜の太陽船(メセケテット)』だ。ならばここでは、第六特異点で出会った彼らが魔神柱と戦っているのだ。

 

「おお、カドック殿。ご無事で何より!」

 

「ハサンか? これは……」

 

「なに、アーラシュ殿のおかげでファラオ・オジマンディアスがやる気になられましてな。おかげで我らは円卓と共に両翼を押さえるだけで済んでおりまする」

 

「ふん、奴がその気にならずとも、いざとなれば我らが総体をもって押し留めてみせよう」

 

ゆらりと現れたのは百貌のハサンだ。だが、口では強がって見せているが、非力な彼女の体はほとんど限界に近い。

傍らの玄奘三蔵が肩を貸さなければ立っているのもやっとの有り様だ。

 

「もう、無茶しちゃって……」

 

「なに、百貌はこれで義理堅い。あの地でカドック殿に救われた恩、ここで余さず返しておきたいという考えでしょう」

 

「なっ、言うな呪腕の! くっ……私はもういくぞ、静謐が後れを取っている!」

 

気恥ずかしそうに視線を逸らした百貌のハサンは、そのまま地を蹴って戦場へと戻っていった。

 

「さて、先を急がれよカドック殿。我らは力で劣るサーヴァントなれど、生き残る事、敵を惑わす事には海千山千の曲者なり。残る数分、何としてもあの怪物どもを抑え込んでみせましょう」

 

「ああ、わかった。無事でいてくれよ、みんな」

 

呪腕のハサンに黙礼し、カドック達は戦場を迂回して次なる拠点を目指す。

その後ろ姿を見送った暗殺者は、静かに懐から得物を取り出すと彼らを追わんとする怪物に向き直った。

 

「では、いきますか、トリスタン卿」

 

「心得ました、ハサン殿。あなたは存分に舞いなさい。我が妖弦はあなたを害する全ての悪を断じましょう」

 

「それは心強い。では――いざ!」

 

「参る!」

 

かつて、望まぬ敵同士であった二人は共に肩を並べて戦場を走る。

全ては人類の未来を取り戻すため。

生きた時代も立場も、信じた神すら違えど、同じ志を持った仲間として、彼らは遂に並び立ったのだった。

 

 

 

 

 

辿り着いた七つ目の拠点は、神話の如き光景が繰り広げられていた。

次々と生え出てくる魔神柱をイシュタルが上空から焼き払い、地上ではキングゥ――否、エルキドゥがいくつもの砂の武具を生成しては肉の林を切り開く。

マウントを取って怪力で魔神柱をへし折るケツァル・コアトル、縦横無尽に戦場を駆けるジャガーマン。

それでも尽きぬ魔性の木を、風魔とスパルタの精鋭が殲滅する。

先ほどの拠点も激しい戦いが繰り広げられていたが、ここのそれは段違いだ。

 

「あー、もう! 来なくてもいいのに来ちゃったのね、あなた達!」

 

槍を振り回して地上で戦う面々を支援していたエレシュキガルが、こちらを見やる。

その視線が一瞬だけ立香に向けられ、小さな唇が僅かに震えるが、すぐに思い直ったのかきつく結び直して目を逸らす。

短いやり取りの中に様々な感情が想起された。

安堵、不安、喜び、湧き上がる感情が女神を苛むが、彼女は頭を振ってそれに耐える。

今はその時ではないと自分に言い聞かせるように、冥界の女主人は槍を構え直してこちらを庇うように背を向けた。

 

その節は(・・・・)お世話になりました、カルデアのマスター。助けて頂いた恩、今こそお返ししましょう」

 

「エレシュキガル」

 

「さあ、行って立香。ここは私が抑えるから、あなたは先に進むの。そして……いつか(・・・)私を助けに来なさい」

 

「うん、ありがとう、エレシュキガル」

 

振り返ることなく、立香はエレシュキガルの横を抜けて戦場へと走る。

その後ろにカドック達も続いた。

 

『さすがは神霊、戦闘の規模が桁違いだ。みんな、巻き込まれないよう、ルートを指示する!』

 

空の上から破壊をまき散らすイシュタルと、競い合うように大地を疾駆するエルキドゥの戦いを見てロマニは悲鳴を上げながら指示を飛ばす。

新たな魔神柱は生え出た端から刈り取られていき、岩盤ごと撃ち抜かれていくばかりだ。おかげで進もうとした地面も次々と撃ち抜かれていき、進軍もままならない。

折角、エレシュキガルが背中を守ってくれているというのに、これでは玉座の間へと辿り着くことができない。

そうしている内に新たに生まれた魔神柱の一体がこちらの存在を認めて襲いかかってきた。

奴らは群体だ。一体でもこちらを認識すれば、他の魔神にもその情報は即座に行き渡る。

忽ちの内に周囲を魔神柱に囲まれてしまい、カドック達は身動きが取れなくなってしまった。

ここまで散々、嬲られ続けて学習したのか、イシュタルの砲撃を受けても簡単には倒されぬよう複数の柱が折り重なるように絡まって身を守っている。

そのため、抜け出る隙間すらなく完全に追い込まれた状態になってしまった。

 

『ダメだ、完全に囲まれた!』

 

「イシュタルは!?」

 

『向かっているが、魔神柱の攻撃が激しくて近づけない! 他のみんなもだ!』

 

ドームの内側に幾つもの眼が開く。

焼却式だ。この壁は魔神柱が作り出した窯であり、自分達はそこにくべられた薪なのだ。

このままでは成す術もなく炎に炙られ、炭すら残らず消し飛んでしまうだろう。

 

カドック(マスター)! いえ、アナタ!」

 

「ああ、まだだ!」

 

アナスタシアの呼びかけに、カドックは力強く頷いた。

周囲を囲まれ、救援も間に合わない。本当にそうか?

まだ、自分達には心強い仲間がいるじゃないか。

あの遠い神代の地で、絆を育んだ大切な家族がいるじゃないか。

この領域に集いし英霊達が、あのメソポタミアで繋いだ縁によって馳せ参じたのなら、彼女もここに来ている筈だ。

さあ、叫べ。

その名を、その存在を、声高に叫ぶのだ。

自分は彼女の、マスターなのだから。

 

「そろそろ目を覚ましたらどうなんだ、アヴェンジャー!」

 

踵を鳴らす。

瞬間、地響きと共に大地が割れ、カドックの体は戦場を俯瞰できる高さへと押し上げられた。

傾斜が付いた足場から転がり落ちぬよう、魔力を込めて体を固定する。

見下ろした魔神柱は、彼女の存在に驚きながらも構わず焼却式を放たんとしたが、それよりも彼女が尾を振る方が早い。

視線が世界を焼くよりも早く、長大な蛇の尾が肉の柱を締め上げ、振り下ろされた爪が残酷にも肉塊を抉って声にならない悲鳴が木霊した。

何とかそれから逃れた魔神柱達は、互いに融合することで復元を図るが、重なり合った瞬間を見計らったかのように醜悪な肉塊は脈動を止め、物言わぬ石柱へと変化した。

直後、無造作に振り下ろされた尾が石化した魔神柱の群れを砕き、魔獣の女神は嗜虐の笑みを浮かべながらゆっくりと進軍を開始した。

 

「ふん、相変わらず不遜な男だ、人間(マスター)。私の中のあいつも、今に痛い目を見ると呆れているぞ」

 

「言って直るくらいなら、私も苦労しません。それよりもアヴェンジャー、今のあなたは女神かしら? それとも魔獣より?」

 

「さあな、あの時と同じだ」

 

「そう……なら、行きましょう、アナ」

 

「藤丸達は?」

 

『何とか尾にしがみ付いているようだ。このままゴルゴーンに乗せてもらえれば、一気にこの領域を突破できる! 玉座の間までもう少しだ!』

 

進軍する女神を止めんと魔神柱は次々と群がってくるが、ゴルゴーンの歩みが止まる事はない。

立ち塞がる全てを石化し、爪で砕きながら前へと押し通る。

目の前の敵以外は眼中になかった。残る柱はイシュタルやケツァル・コアトルが相手取るからだ。

エレシュキガルの支援を受けた三柱の女神。

ゴルゴーンの魔眼が、イシュタルの砲撃が、ケツァル・コアトルのルチャリブレが魔神柱を悉く殲滅する。

今ここに、三女神同盟は再結成されたのだ。

 

『すごいな。そして、こんな時にマーリンは何をやっているんだ。出てくるならここしかないだろうに』

 

「奴なら来ていないぞ。ここには歩いては来られないらしいからな。だが、通信で言伝を預かっている」

 

何らかの魔術によるものなのか、脳内にマーリンの声が再生される。

 

『遊びに行けなくてすまない! ちょっとマギ☆マリHPの更新が忙しいんだ! でもまあ、何度もお邪魔しては限定助っ人の有り難味が薄れるというもの。君が取り戻した未来で、縁が出来る時を楽しみに待っているさ』

 

それは私用で友人との約束をキャンセルするかのように軽薄な調子で、世界を救えるかどうかの一大事に聞く言葉とは思えぬほど場違いなものだった。

あまりにいい加減な物言いに、思わずロマニも嘆息する。

 

『マーリンはホントどうしようもないな、うん。最後まで自分の事しか考えて――って、ちょっと待った!? 今、ボクの人生の楽しみの大部分を台無しにする情報が流れなかった!?』

 

ロマニの叫びが暗闇の空に木霊する。

マーリンが噛んでいたことについては予想外ではあったが、周囲の誰もが生暖かく見守っていた現実。

ロマニが出来る限り目を逸らし続けてきた事実が今、最悪の形で突き付けられた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

そして、遂にカドック達は玉座の間を目前に捉えた。

七つの拠点は今、特異点で繋いだ縁によって召喚された英霊達に抑えられ、その機能を麻痺させつつある。

まず第四の拠点である管制塔が落ち、次いで第二の拠点である情報室が壊滅した。

これにより指揮系統が乱れた魔神柱の連携は一気に足並みが崩れ、第三の拠点である観測所と第七の拠点である生命院も瓦解。

復元能力が著しく衰え、また外部の情報を吟味できず烏合の衆と化した第五の拠点兵装舎は成す術もなく蹂躙され、各部に指令を送る第六の拠点視覚星も既に虫の息。

ここに至って魔神柱達は遂に自らの復元に精力を傾けることを余儀なくされ、玉座の間へと続く通路の守りが解かれたのである。

 

「敵影、ありません! 玉座の間まで後少しです!」

 

いの一番にゴルゴーンから降りたマシュが安全を確保し、その後ろにカドック達は続く。

ゴルゴーンは別れを言う事なく自らの戦場へと戻っていった。

優勢とはいえ敵は無限に再生する魔神。彼女は退路の確保も兼ねて第七の拠点に残ったのだ。

つまり、ここから先は自分達の足で進まないといけない。

英霊達の力を借りれるのはここまで。

後は今を生きる人として、自分達の力だけで勝利を掴まなければならない。

 

「よし、急ごう」

 

『待ってくれ! これは……まずい、みんな伏せろ! 魔神柱の反応だ!』

 

ロマニが叫んだ瞬間、地面が隆起して九本の柱が出現した。

黄金の表皮、脈打つ剥き出しの肉、無数の目。

現れたのは紛れもなく魔神柱だ。それが行く手を阻む最後の門番として、玉座の間へと繋がる通路を塞いでしまったのだ。

 

「起動せよ。起動せよ。廃棄孔を司る九柱」

 

即ち、ムルムル。グレモリー。オセ。アミー。ベリアル。デカラビア。セーレ。ダンタリオン。そしてアンドロマリウス。

有り得ざる八番目の拠点。

最後の関門たる廃棄孔が姿を現したのだ。

 

『――何てことだ、ここの存在は予想外だ!』

 

ここまで加勢に来てくれた英霊達は、七つの聖杯、七つの特異点で因果を結んだ者達ばかり。

だが、ここにはその縁がない。

加勢は望めず、自分達の力だけでこの九柱を制圧しなければならない。

決して、不可能なことではないだろう。しかし、残された時間は少ない。

今は英霊達が各拠点を抑えているが、それもいつまで保つかはわからないのだ。

彼らが道を抉じ開けている内に、自分達は玉座の間へと辿りつかなければならない。

魔術王を打倒するためにも、これ以上は戦闘に時間を割く訳にはいかないのだ。

 

「そうだ、滅びるがいい最後のマスターよ。貴様が玉座に辿り着く事はない」

 

魔神柱の一体、アンドロマリウスが嘲笑う。

ここには何もない。

未来も、過去も、因果も、希望も、人が神と名付けた奇蹟すらもない。

あらゆるものがここでは無価値、あらゆるものがここでは不要。

手を差し伸べる者はおらず、救いなどここには存在しない。

 

「膝を折るがいい、顔を伏せるがいい。絶望すら、する必要はない。ここは誰もが諦観し、投げ捨てる意志の終わり。誰一人として、お前の名を呼ぶ者のいない廃棄孔。さあ――沈むがいい!」

 

視線が注がれる。

炎が来る。

絶望の炎。

逃れられぬ終焉が、すぐそこまで迫っている。

救いはない。

縁はない。

ここには何もない。

本当にそうなのか。

ここは不要とされたものが破棄される廃棄孔。

絶望の終着、この世の地獄。

誰もが心折れる暗闇の檻。

だが、それは唯一人であればのこと。

添い遂げる者、励まし合う者、張り合う者、庇う者。

人と人が出会えばそこには必ず希望が生まれる。

共に寄り添い生きていくという力が生まれる。

ならば、ここは終わりに非ず。

絶望で彩られた地獄だと言うのなら――。

 

「――待て、しかして希望せよ!」

 

その言葉が、真に意味を持つ。

 

「ハ。ハハハ。クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

立香の言葉に応えるように、笑い声が虚空に響き渡る。

 

「笑わせるな、廃棄の末に絶望すら忘れた魔神ども! 貴様らの同類になぞ、その男がなるとでも!」

 

来る。

近づいてくる。

物凄い速度で、光の壁すら越えて、巨大な魔力が彼方から訪れる。

その男は絶望と希望の象徴、鋼鉄の意思を持ち、復讐を成し遂げんと地獄より舞い戻った鬼の如き男。

彼が叩き落され、今も尚、その身を焦がす絶望に比べれば、目の前の地獄もまだ生ぬるい。

その男の名はモンテ・クリスト伯。

巌窟王エドモン・ダンテスだ。

 

「そうだ! この世の果てとも言うべき末世、祈るべき神さえいない事象の地平! 確かに此処は何人も希望を求めぬ流刑の地。人々より忘れ去られた人理の外だ。だが――――だが! 俺を呼んだな、共犯者(藤丸立香)!」

 

驚愕した魔神柱達が視線を走らせる。

辺り一面に広がる地獄の業火。

サーヴァントとて数分で焼け死ぬであろう灼熱の結界。

どこから来ようとも、この炎を超えて魔神柱へと攻撃することはできない。

唯一の例外は頭上。だが、そこには九柱の魔神の視線が注がれている。姿を現した瞬間、九つの視線で以て焼き尽くされるだろう。

奴らの連携に抜かりはなく、その守りに死角はない。

ならばこそ、巌窟王はその牢獄の如き守りを脱する。

肉体の枷も、時間や空間という概念すら突破し、闇の中から――藤丸立香の影の中から飛び出した復讐者は、コートを翻して眼前の魔神柱へと蒼炎を叩きつけたのだ。

 

「『虎よ、煌々と燃え盛れ(アンフェル・シャトー・ディフ)』」

 

完全に不意を突かれた魔神柱の群れが、瞬きの内に殲滅される。

炎の向こうに立つのは黒い帽子とコートに身を包んだ青年。

かつて、藤丸立香を魔術王の誘いから救い、今も彼の心の中で戦い続けている復讐者の化身。

その彼が今、共犯者たる立香の窮地を救うために魂の牢獄を突破し、この事象の彼方へと舞い降りたのだ。

 

「貴様が呼ぶのなら、俺は虎の如く時空を駆けよう! 我が名は復讐者、巌窟王エドモン・ダンテス! 恩讐の彼方より、我が共犯者を笑いにきたぞ!」

 

哄笑する巌窟王。

その在り方にカドックは恐怖すら覚えた。

彼は人間だ。

特別な才能も天命も持たない、ごく普通の人間だ。

だというのに、彼は復讐者の化身として人理に刻まれた。

唯の人間でしかない彼をここまで追い込み、その領域へと至った彼自身の鋼の決意。

その常軌を逸した意思の力が何よりも恐ろしかった。

だが、今はこの上なく頼もしい味方でもある。

彼が力を貸してくれるというのなら、この領域の突破も難しくない。

 

「起動せよ、起動せよ」

 

巌窟王に倒された魔神柱が新たに生まれ落ちる。

固まっていては不利と悟ったのか、新たな魔神柱は巌窟王を翻弄するように分散し、その背後を突かんと炎を迸らせる。

光速で駆け回る巌窟王といえど、マスターを持たぬサーヴァントであることに変わりはない。

いつまでもあのような無茶な動きを続けていては、何れは魔神柱に追い込まれて炎に身を焼かれてしまう。

 

「あら、焼くのはこちらの専売です。魔神如きに譲る気はなくってよ」

 

炎が走り、一体の魔神柱が串刺しにされる。

旗をはためかせたのは竜の魔女。かつて第一特異点において、フランスを滅びに追いやらんとしたジャンヌ・ダルク・オルタだ。

 

「ジャンヌ!?」

 

「そいつが出るっていうなら、私が出ない訳にはいかないでしょう。まあ、退屈しのぎに暴れに来たのは私だけではありませんけれど」

 

雷鳴が轟き、神牛に引かれた戦車が顕現する。

彼方では三千丁もの火縄銃が火を吹き、二匹の鬼が魔神の肉をその爪で屠る。

空を見上げると扇情的な格好の少女達が飛び回っており、それを守るように天の杯と守護者が続いていた。

そう、彼らは七つの特異点の外で繋がれた縁達。

聖杯探索とは関係がない傍流の特異点。しかし、無視できぬその異常を自分達は正してきた。

それは決して、無駄なことではなかったのだ。

それは決して、無価値なものではなかったのだ。

 

「乗れ坊主達! この征服王が領域の出口まで送り届けよう! なに、心配せずとも守りは盤石だ! お前達を守ろうと、多くの強者どもが勝手に寄ってくるからな!」

 

「すまない! みんな、行こう!」

 

魔神柱達が彼らに翻弄されている隙に、ここを突破しなければならない。

カドック達が飛び乗ると、イスカンダルが駆る戦車は一目散に戦線の端を目指して疾駆した。

先鋒を切るのは源頼光だ。彼女の力とイスカンダルの戦車、それぞれの雷撃が重なり合い、押し潰さんと倒れてきた魔神柱を悉く蹴散らしていく。

ならば、雷撃の守りがない背後からと一体の魔神柱が殺意の眼差しを向けるが、その暗殺は更なる暗殺を持って駆逐される。

飛びかかってきたジャージ姿の聖剣使い。

彼女が振るう二振りの剣が、カドック達の背後を取った魔神柱の更に後ろを取ったのだ。

 

「王道の力を知れ! 『無銘勝利剣(エックス・カリバー)』!」

 

「オオォォオオオオ…………!! これは計画にない――計画に、ない――」

 

無残にも引き裂かれ、消滅していく魔神柱。

彼方でも此方でも、馳せ参じた英霊達によって魔神柱は抑え込まれ、カルデアのマスターまで手を伸ばすことができない。

悔しさからなのか魔神柱は我が身が傷つくのも承知で周囲を焼き払うが、それすらも大神のルーンや妖狐の呪術によって防がれてしまい、戦場を駆ける戦車を捉えることができない。

 

「いけ、坊主! ここが終着だ!」

 

「王手をかけて来い、藤丸。ここは俺達が抑え込んでやる」

 

イスカンダルと巌窟王に見送られ、カドック達は戦車を飛び降りて玉座の間へと続く最後の楼閣を駆ける。

そこでは彼が出口を死守していたのだろう。

周囲には魔神柱であった肉片と、幾つもの黒鍵が転がっており、戦いの凄惨さが嫌でも伝わってくる。それでも彼は、ここを守り抜いた。自分達が必ず辿り着くものと信じて。

東洋の聖人もどきと称したかつての自分が恥ずかしい。彼は紛れもなく英雄で、自慢の友人だ。

 

「……っ!」

 

「……」

 

二人は無言で互いの手を叩くと、そのまま別れを告げることなくすれ違った。

言葉はいらなかった。必要もなかった。

彼はこの場で魔神柱を抑えるために戦い、自分達は玉座の間へと向かう。

それが互いの思いに報いることに繋がると信じて、時を隔てた友情は再び別れを経験する。

全ては、この星の未来を取り戻すために。

 

 

 

 

 

 

そして、数多の星の輝きに後押しされた星詠み達は、遂に玉座へと辿り着いた。




これが台本形式ならきっと、もっと長くなったと思う今日この頃。
もっと喋らせたかった英霊いっぱいいますが、くどいだろうから泣く泣くカットです。

えー、プロテアちゃんは見事に空振りました。
まあ、トリスタンが来てくれたから是とするか……するか?
星5なら今後、福袋とかでワンチャンあるはず……はず。
そして、キアラピックアップがないのが気になりますね。
マジで四章で活躍するんでしょうか?

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