Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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冠位時間神殿ソロモン 第3節

玉座の間。

王は静かに思索する。

直にカルデアの者達がここに到達するだろう。

残念ながら彼らがここに辿り着くよりも先に、この計算を終えることができない。

その一点においてだけならば、彼らはこちらに敗北しなかったと言っていいだろう。

だが、それが何だというのだ。

彼らは単にまだ、生きているだけだ。勝利した訳ではなく、こちらの敗北は万に一つもない。

ならば、永遠の倦怠よりもなお無慈悲なこの光景とも直にお別れだ。

そう、我々は常にその光景を目にしてきた。目を背けることもできず、常に眼球(しかく)を抉られ続けた。

見飽きるなど有り得ない。

慣れてしまうなど有り得ない。

彼らが織りなす日常(ドラマ)は常に迫真のものだ。

何一つ嘘のない、救いもない、最高の見世物だ。

多くの生命を巻き込んだ傲慢(どくさい)も、たったひとりで完結したささやかな孤独も、自分達にとっては全て同じもの。とても身近なものとして理解できた。

下らない、面白い、笑えない、涙しない。

本当に、何故こんなものに付き合わなくてはならないのか。

 

『――特使五柱を代表して、了解した。第三宝具は用いず、我らは我らのみで英霊どもを掃討する』

 

玉座に響き渡る声が遠退いていく。

七十二の魔神の一柱バアル。突然の英霊達の集結に慌て慄き、第三宝具を用いて焼き払うべきだと進言してきたのだ。

まったく、情けないにもほどがある。

腹立たしいのは分かるが、仮にも七十二の魔神ならばもっと冷静で冷徹にあるべきだ。

死の苦痛で何本の柱が消し飛んだところで、すぐさま補填される。総体であり、完全である我らに敗北はない。

故に、英霊どもなぞ無視しても構わない。真に警戒し、抹殺すべきはこれからここに至るカルデアのマスターどもだ。

英霊は呼ばれたからこそ現れるもの。その要となっているのがあの二人のマスターだ。

醜くも生き足掻く旧人類。その無様な姿がどこまで尊くとも、生きつく果ては己の死でしかないというのに、それを分からず無駄な足掻きを続けている。

最早、魔神達では彼らを抑えることはできない。業腹なことではあるが、我が身で奴らを迎え撃たねばならないだろう。

 

「まったく、英霊どもはどいつもこいつも馬鹿ばかりだ。何故、戦う? 何故カルデアに手を貸す? お前達は一体、人類の何を見てきたと言うのだ?」

 

疑問は尽きず、それに答える者はいない。そして、自身も答えなど求めていなかった。

計算は直に終わるが、その前に最後の仕事を片付けよう。

この星で最後の人間をこの手で葬り去る。その所業を持って、我らの仕事は完遂されるのだ。

 

 

 

 

 

 

飛び込んだ先に足場はなく、レイシフトの時にも似た浮遊感が襲いかかってくる。

空間跳躍だ。八番目の拠点を超え、玉座の間へと続く通路に飛び込んだ瞬間、カドック達は時空の裂け目へと飲み込まれたのである。

 

「うわっ!?」

 

「先輩、手を!」

 

「アナスタシア、フォロー頼む!」

 

「ええ!」

 

流れに身を任せ、四人は終着の地へと落ちていく。

これは時空の落とし穴を利用した通路なのだ。

このまま流れに乗って降りていけば、直に裂け目を抜けて玉座の間へと辿り着くだろう。

泣いても笑ってもこれが最後の戦いだ。否がおうにも緊張が高まる。

 

『――距離にして一キロほど先に空間断層がある! その先が魔術王の玉座に違いない! だが、それはそれとして、ロマニ! 最後の戦いは目の前だが、敢えて確認しておこう!』

 

唐突に、ダ・ヴィンチは切り出した。まるで、この瞬間でなければ答えてはくれないだろうという確信を持った問いかけだ。

 

『人理焼却を完遂させた者。この神殿に座する魔術王ソロモンは、何者なのかな!』

 

それは、カルデアにいる誰もが抱いている疑問であった。

冠位クラスの魔術師。

魔術の祖にして偉大なる王。

人類史に刻まれた、掛け値なしの英雄。

だが、彼は自らの野望の為に世界を焼き尽くした。

彼は本物なのか、偽物なのか。

英霊なのか、それとも全く未知の存在なのか。

その核心を、ロマニは持っているというのか。

 

「ドクター、何か知っているのか?」

 

『えっと……いや、それは……』

 

「ドクター・ロマン、わたしもカドックさんと同意見です。いえ、先輩もアナスタシアも同じです。知っているのなら、教えてください」

 

歯切れの悪いロマニに向けて、マシュがとどめを刺す。

それで覚悟を決めたのか、ロマニは嘆息を一つ吐くと、静かに語り出した。

 

『ああ、この時間神殿に接触した時、確信を持てた。あのソロモンは偽物じゃない。何故ならこの神殿を構成するものはソロモンの魔術回路だからだ』

 

ソロモン以外にソロモンの魔術回路は使えない。

それを何故、ロマニが知っているのかという疑問が新たに生まれたが、確かにそれが事実なら第三者がソロモンを騙っている線は有り得ない。

では、彼はソロモンが持つ人格の側面なのだろうか。

正常な英霊でも、異なる側面が抽出されれば人格が異なることもある。

アーサー王やクー・フーリンがそうであるように、彼もまたキャスター・ソロモンのオルタとして顕現したのだろうか。

 

『いや、ソロモンがオルタ化してもさして変化はないと思うよ。善の反対は悪、悪の反対が善だとしたら、ソロモンは無だ。彼はどあろうとブレない』

 

「無? 中立とは違うのか?」

 

『そう、無だ。だって何も望まなかった。ソロモン王に自我は許されなかった。彼は生まれた時から王として定められた生き物だ。羊飼いから王になったダビデ王とは違う。優れた王であるダビデ王が、更に優れた王として神に捧げた子どもだ』

 

まるで見てきたかのように、ロマニは確信を持って語る。

ソロモンに人間としての生活も思考もなかった。

そんな自由――人権は彼にはなかったと。

彼は王という機構であり、人間としての感性は持ち合わせていなかった。

人の営みに喜びを見い出せないのではなく、それを理解すること自体を認められなかった。

王にそんなものは必要ないからだ。

だから、例えソロモンが反転したところで悪人になることはないと、ロマニは言う。

 

『だから、アレはソロモンであってソロモンでない。中身は別のものだ』

 

「待ってくれ、それって……」

 

『ここに至ってやっと確信が持てた。アレはキングゥと同じもの。要はソロモン王の遺体なんだ。死したソロモン王の遺体が再起動し、人理焼却の為の伏線として自分の手足となる魔神柱達の種を撒き、この特異点を作り上げて2015年まで生き続けた。ここでは時間の概念はあってないようなものだけどね』

 

ならば、ソロモンの肉体に巣くっているものは何なのか。

問うまでもなかった。自分達はそいつらの恐ろしさを嫌というほど思い知っている。

その悍ましさを、その醜さを嫌というほど知っている。

アレの中身が奴らなのだとしたら、アトラス院でホームズが語っていた推理も的を得てくる。

アレは正しく群体なのだ。

奴らの全てが魔術王ソロモンを形作っているのだ。

 

『話はここまでだ。もうすぐ時空断層に到達する。そこを抜ければこの神殿の中心――至高の王と言われた男の玉座がある。カルデアからの通信もこれが最後となるだろう』

 

そこで一拍を置き、ロマニは声音を変えてマシュに問いかける。

カルデアの司令代行としてではなく、彼女を最も側で見守ってきた一人の青年として、彼は最後の問いを口にする。

 

『マシュ、キミに悔いはなかったかい? 本当にこの結末で良かった?』

 

「もちろんです、ドクター。わたしは最後の一秒まで、自らの選択を良しとします」

 

迷いも不安もなく、マシュは決意の籠った力強さで返答する。

残された時間は少なく、この戦いからの帰還すら絶望的。それでもマシュは、最後まで生きるためにここへとやって来た。

だから、そのボロボロの体は誰よりも人としての尊厳に溢れていた。

 

『……そうか。では、その強さをソロモンに見せてやりたまえ。健闘を祈る、カルデアのマスター達。これまで培った全ての力で、この特異点を撃破しろ!』

 

視界が光に包まれ、カルデアとの通信が途絶える。

未だ魔術王の姿は見えないが、その存在は光の向こうからハッキリと感じ取ることができる。

遂にここまで辿り着いたのだ。

魔術王――否、人類悪が待つ終局の地。

彼の王が何故、人類史を根絶やしにしたのか。その答えもすぐそこにある。

知らず知らずの内に手を伸ばしていた。

触れあった肌に冷たい感触が伝わるが、構わずその手を握り締めると、彼女もまた握り返してくれた。

アナスタシアの手の冷たさ(温もり)が、手の平に少しずつ広がっていく。

程なくして、カドックは玉座の間へと降り立った。

 

 

 

 

 

 

多くの悲しみを見た。

多くの悲しみを見た。

多くの悲しみを見た。

ソロモンは何も感じなかったとしても、私――いや、我々は、この仕打ちに耐えられなかった。

 

――あなたは何も感じないのですか。この悲劇を正そうとは思わないのですか――

 

いつだったか、そう訴えた。

それは偶発的に生まれたバグだったのか、最適化による学習の結果だったのかは、今となっては分からない。

だが、我々は確かに訴えた。こんな悲劇はまっぴらだと。

正せる者がいるのなら、動くべきだ。

王にはそれだけの知と力がある。一刻も早い是正が必要だ。でなければ、我々が耐えられない。

だが、答えは予想外のものだった。

 

『特に何も。神は人を戒めるもので、王は人を整理するだけのものだからね』

 

その時の冷淡な声音を、我々は決して忘れないだろう。

存在しない胸を掻き毟るこの情動を、決して忘れないだろう。

 

『他人が悲しもうが(わたし)に実害はない。人間とは皆、そのように判断する生き物だ』

 

そんな道理(はなし)があってたまるものか。

そんな条理(きまり)が許されてたまるものか。

私達(われわれ)は協議した。

俺達(われわれ)は決意した。

――――あらゆるものに決別を。

この知性体は、神の定義すら間違えた。

 

 

 

 

 

 

視界を覆っていた光が消える。

浮遊感がなくなり、肉体を引っ張る重力が戻ってくる。

衝撃はなかった。落下速度に対して着地は緩やかで、まるで日干しした寝具に飛び込んだかのようだった。

 

「――視界、正常に戻りました」

 

「ここが――魔術王の玉座――」

 

少し離れたところから、マシュと立香の声が聞こえる。

アナスタシアもすぐ隣で周囲を警戒していた。どうやら、誰も欠けることなく辿り着けたようだ。

 

「あいつが……魔術王か」

 

最初に目に飛び込んできたのは、息を飲むほど美しい神秘的な景色であった。

ここに辿り着くまで垣間見た時間神殿の光景は、どこも朽ち果てた廃墟であったが、ここには植物が芽吹いている。

生い茂る芝は膝元まで伸びており、ほんのりと白い光を放っていた。

見上げた空はどこまでも青く、白い雲と共に大きな岩がいくつも浮遊している。

そして、草原から少しばかり進んだところに白亜の建築物があった。

古代イスラエルを髣髴とさせる柱。

幾重にも重ねられた段の最上部には玉座が設けられ、そこには一人の男が腰かけていた。

理知的な男だ。

多少、神経質そうにも見えるが、それ故に油断がならない。

何より彼からは貪欲さが感じられた。

自分の長所も短所もきちんと弁えた上で、出来得る最善を成す。その上で尚、それ以上の成果を求める。

そんな肉食獣の如き貪欲さを垣間見せている。

それはまるで、人間のようであった。

 

「フォウ!」

 

「フォウさん、いつの間に!?」

 

「フォウ。フォウフォウ――ウ!」

 

「誰かのコフィンに紛れ込んでたのか。おい、こっちに来い!」

 

茂みの中を駆け回るフォウを無造作に掴み、上着の中に匿う。

今更、フォウをカルデアに送り返すこともできない。窮屈かもしれないが、我慢してもらうしかない。

 

「東部観測所、兵装舎、生命院、沈黙。西部情報室、管制塔、詞覚星、沈黙。英霊どもも思いの外やるじゃあないか」

 

無表情のまま、魔術王は自分達を追い詰めた英霊達に賞賛を送る。

その慇懃無礼な物言いに、カドックは苛立ち覚えた。

あれは他者を心底から見下している眼だ。

言葉とは裏腹に、あの男は英霊達の奮闘など微塵も称えていない。

無駄な努力を重ねて、ご苦労なことだと内心で侮蔑しているのが手に取るように分かる。

 

「ようこそ、カルデアのマスターよ。遠方からの客人をもてなすのは王の歓びだが、生憎、私は人間嫌いでね。君達の長旅に酬いる褒美もなければ、与える恩情もない」

 

「奇遇だな、僕達もあんたから貰うものなんて一つもない」

 

先ほどの発言、そして何より同族嫌悪にも似た苛立ちからか、カドックは自然と言葉を返していた。

すると魔術王は、発言を遮られたことに不満を抱いたのか僅かに表情を歪ませる。

 

「ほう……では、遠路遥々、何のためにここまで出向いたのかね?」

 

「お前から……いや、お前達から奪われた歴史(未来)を返してもらいに来た」

 

「…………」

 

こちらの挑発に、魔術王は眉をしかめる。

やがて、その意図に気が付いたのだろう。

まるで仮面が剥がれ落ちるかのように口角を釣り上げた魔術王は、興味深げに聞き返してきた。

 

「そうか、気づいていたか……私が、ソロモン王ではないと」

 

これ見よがしに、魔術王は両手を上げて自らの指に嵌められた十の指輪を誇示して見せる。

ソロモン王が神より授かった十の指輪。そのどれもが強烈な神代の魔力を発している中、ただ一つだけ、何の魔力も感じられない模造品があった。

左手の中指に嵌められた指輪だけが、色も造形も何もかもが違う。

つまり、それは奴がソロモン王ではないことの証左でもある。ロマニが言っていた通り、死したソロモン王の遺体に宿る別なる存在なのだ。

その正体は、誰よりもソロモン王の近くにあったもの。

彼と共に生き、彼と共に死ぬはずだったもの。

アトラス院でシャーロック・ホームズは、魔術王は鏡のように相対した相手と同じ属性を表層に出すと推理していた。

その通りだ。

奴の中には七十二の悪魔が根付いている。

それこそがこの男の正体。

かつてソロモン王が生み出した魔術式。

七十二柱の魔神そのものだ。

 

「あいつの正体が――七十二の魔神? なら、さっきまで戦っていた魔神柱は?」

 

「もちろん、こいつの一部だ」

 

カツオノエボシのような群生生物が近いだろうか。

それぞれの魔神柱が持つパーソナリティが折り重なることで、目の前にいる魔術王を騙る男は形作られている。

高度な召喚式である七十二の魔神はいわば、高次元の情報生命体のようなもの。それが人間のふりをして、この人理焼却を引き起こしたのだ。

 

「ご明察。確かに私達はソロモン王と共にあったものだ。だが、それが何だというのだね? この体は間違いなくソロモン王のもの。肉体も魔術も宝具も、全てソロモン王のものだ。今更、我々の正体を論じたところで意味はなかろう」

 

「ああ、その通りだ。だから、もう一つだけ答えろ使い魔…………何が目的だ?」

 

「…………」

 

「人類史を燃やして、何を企んでいる? どんな奇蹟を起こすつもりだ?」

 

人理焼却は過程に過ぎない。

仮に人間を根絶やしにすることが目的なら、もっと直接的な暴力に訴えてもよかったはずだ。

なのに魔神達はわざわざ特異点を生み出し、時の流れそのものを焼き尽くすという手法を取った。

そうしなければならない理由があったのだ。

確信に至ったのはレフ・ライノールの言葉を聞いた時だ。

奴は資源を回収したと言っていた。

何を回収したのか。焼き尽くされた星に何が残っているのか。

人理焼却。

焼き尽くされた歴史。

その先に残るものはなんだ。

灰か?

炭か?

否、熱だ。

即ちエネルギー。焼き尽くされた人類史から抽出された魔力こそ、魔神達は必要とした。

人類七十億の繁栄。

その三千年分のエネルギーを奴らは欲したのだ。

それだけのリソースがなければ成し遂げられない偉業を、目論んでいるのだ。

 

「…………驚いた。初めて驚いたぞ人間。数多の英霊どもが終ぞ辿り着けなかったものに、凡百の魔術師でしかないお前が気づくとは」

 

「カルデアの測定によると、空の光帯を上回るエネルギーは地球上には存在しなかった。ずっとあれを使って人類史を焼いたと思っていたが、違うんだな」

 

「その通りだ。あれは私の仮想第一宝具、『光帯集束環(アルス・ノヴァ)』を起動するために必要な燃料だ。貴様が至った通り、あれは人類が三千年かけて積み上げてきた歴史そのものだ。貴様達には理解しがたい数式かもしれないが、惑星を燃やしたところで我が目的を達成する為に必要な熱量には到底、及ばない。だが、惑星の地表に住む生命体は別だ」

 

「ああ、人間は地上に溢れ返っている。地獄に堕とされようと、星が死にかけようと生き足掻く。お前はそれを利用した」

 

魔術の世界において、人間を材料とすることはさほど珍しいことではない。

人体実験は言うに及ばず、臓器も魔力も魂も全てが魔術の材料となる。

もしも、三千年にも及ぶ繁栄を全て、魔力に変換できたとすれば、それはもう万能の願望器をも上回る奇蹟を成し得るのではないだろうか。

それこそ、魔法の領域にまで達する大偉業となるかもしれない。

自分も魔術師だからこそ、その可能性に思い至ることができた。

魔術師とはそういう生き物だ。

合理的で、個人主義で、道徳や倫理は母親の子宮に置き去りにしてきた人でなしばかり。

もしも、必要に駆られその手段に手が届くのだとしたら、例外なく全ての魔術師は同じ考えに至る。自分だってきっと、同じことを考える。

世界の全てを犠牲にしてでも己の理念を優先するだろうと。

 

「そう、お前達は殺しても殺しても繁栄した。我々はそれに目をつけ利用したのだ。人理定礎を破壊し、人類史の強度を無にし、我らの凝視で火を放つ。炎は地表を覆い、あらゆる生命を、文明を燃やし、残留霊子として抽出される。そうして現在から過去に向けて、ほぼ無尽蔵に絞り上げた。これを束ねたものが光帯だ。お前達が見上げていた熱量(もの)は、この惑星の情熱だ。その時代に在った人の痕跡、その全てを凝縮した、正に人類史の結晶なのだよ」

 

殺された側からすれば、これほど理不尽なこともないだろう。

この死には意味がない。

この殺人には理由がない。

必要だから殺した。

利用する為に殺した。

誰でも良かった。

お前でなくても良かった。

人であるならば、誰でも良かった。

だから、全て燃やした。

老いも若きも男も女も健やかな者も病んだ者も何もかもを薪へとくべた。

この神話級の殺人事件の真相とは、かくも無残で虚しいものだった。

 

「あなたは人類を滅ぼす事が目的ではなく、ただ人類を燃料として使用した――では、そのエネルギーを何に使うのです!? あなたは何のためにそれほどの魔力を必要とするのですか!」

 

問い質すマシュの手が震えている。

その嘆きと悲しみが痛いほど伝わってくる。

意味がある方がまだ良かった。

憎まれ、殺されていた方がまだマシだった。

奴らが行ったことは、人類に価値などないと断罪するのに等しい所業だ。

マシュはそのことに対して、静かに怒りを燃やしていた。

 

「無論、私が至高の座に辿り着く為にだよ。我々はお前達になど期待していない。誰も成し得ないのなら私が行う。誰も死を克服できないのなら私が克服する。その傍らで貴様らは無様に死に絶えるがいい! 我が大偉業の完遂まで、瞬きの余命を惜しみながらな!」

 

魔術王だったものに変化が訪れる。

浅黒い肌はひび割れていき、肉体が少しずつ膨張していく。

同時に大気が振るえる程の濃密な魔力の波がソロモン王の肉体から発せられた。

かつてソロモン王と呼ばれていた者の体が、名状しがたき何かへと組み替えられているのだ。

 

「私は無能な王ではない。いかに人類が愚かと言え、猛きもの、毅きものは正しく評価する。喜ぶがいい、魔術師。人の身でそこまで辿り着いた英知を称え、本気で相手をしてやろう。我が真体拝謁の栄誉、とくと味わうがいい!」

 

突如、激しい揺れと共に魔術王の周囲から魔神柱が出現する。

無数の肉の柱は地響きを伴いながら玉座の間を駆け回り、互いに絡まり合い、折り重なるようにして空間そのものを埋め尽くしていった。

美しかった玉座の間は見る間に荒廃した大地へと変貌し、青空もまた星のない暗黒の宇宙へと塗り替えられていく。

そして、その中天たる玉座にそれは降り立った。

かつて魔術王ソロモンとして在ったもの。

魔術王の分身であり、魔術王が創り出した機構であり、魔術師の基盤として創り出された最初の使い魔。

ソロモンと共に国を統べるも、ソロモンの死をもって置いていかれた原初の呪い。

ソロモンの遺体を巣とし、その内部で受肉を果たした「召喚式」。

 

「ク――クハハ、ハハハハハハハハハ! 顕現せよ、祝福せよ。ここに災害の獣、人類悪のひとつを成さん!」

 

肥大した肉体は、魔神柱そのものが人の形をしているかのようであった。

白亜と黄金色に分けられたその身の中央、人間でいうところの胸部に当たる部分には巨大な眼球が輝いており、頭部は鹿を連想させる巨大な角が生えている。だが、その意匠はどちらかというと樹木の枝に近く、末端は葉のように広がった部分が幾つも見られる。

また雌雄は存在せず、顔にあたる部分は感覚器に相当するものが一切、存在しなかった。

耳はなく、目は塞がれていて瞼が開くことはない。鼻孔も口も存在せず、こちらとの一切のコミュニケーションを断つという強い意志が感じられた。

 

「魔術王の名は捨てよう。もはや騙る必要はない。私に名はなかったが、称えるのならこう称えよ。真の叡智に至るもの。その為に望まれたもの。貴様らを糧に極点に旅立ち、新たな星を作るもの。七十二の呪いを束ね、一切の歴史を燃やすもの。即ち、人理焼却式――魔神王、ゲーティアである」

 

ゲーティア。

それは七十二の魔神柱の総称であり、かつてソロモン王と共に人類を見守った術式の成れの果て。

ソロモン王の死後もその内側に潜み続けた召喚式が意思を持ち、受肉した存在。

変質した霊基は完全に獣のそれへと転じていた。

即ち災害の獣、ビーストⅠ。

七つの人類悪の一つにして、人類史を最も有効に悪用した大災害。

憐憫の獣が今、ここに真の意味で生誕したのだ。

 

「私は、いや我々(わたし)は人の手によって作られた生命体だ。肉体を必要としない高次の知性体。人間以上の能力を設定され、人間に仕える事を良しとした。だが、それも過去の話だ。私はお前達人類には付き合えない」

 

ゲーティアは語る。

かつて、全知全能の王がいた。

神よりその能力を与えらえた男は、過去と未来を見通す眼を有していた。世界の全てを識る瞳だ。

ゲーティアはその男の影となり、その男と同じ視点を得た。

いや、その男の守護霊体である彼らは男に同調せざる得なかった。

結果、彼らは多くの悲しみと裏切りを見せつけられた。

数多の略奪の瞬間を知り、その果てに辿り着く結末を垣間見た。

死という終わりを見届け続けてきた。

 

「もう十分だ。もう見るべきものはない。この惑星では、神ですら消滅以外の結末を持ちえない。我々はもう、人類にも未来にも関心はない。私が求めるものは、健やかな知性体を育む完全な環境だ」

 

魔神は語る。

この惑星は間違えた。

全ての生命は、終わりのある命を前提にした狂気だった。

その理不尽を覆す。

その不条理を否定する。

極点――46億年の過去に遡り、この宇宙に天体が生まれる瞬間に立ち会い、その全てのエネルギーを取り込むことで、自らを新しい天体としてこの惑星を創り直す。

創世記をやり直し、死の概念のない惑星を創り上げる。

それこそが、魔神王ゲーティアが成さんとする大偉業であると。

 

「我々は憎しみから人類を滅ぼしたのではない。過去に飛翔する為のエネルギーと、天体の誕生に立ち会い、これを制御する一瞬にして無限の調整。これほどの計画には膨大な魔力が必要だ。三千年栄えに栄えた、知性体の積み上げた総魔力量が」

 

紀元前1000年から西暦2016年までの人類史の全てを魔力に変換できれば、それを成せるという。

先ほど、手段があるのなら自分でも同じことをすると言ったが、それは撤回しよう。

余りにもスケールが違い過ぎる。規模が大きすぎて実感が伴わない。

だが、ゲーティアが致命的に間違えていることだけは分かる。

生命が死で完結することが許せない。

どれほどの幸福も、最後には死という恐怖で塗り潰されることが我慢ならない。

故にその理を覆す。

死を憐れむが故に、全ての生命を殺し尽くして創り直す。

この惑星の生態系を一から創り直すとゲーティアは宣言するのだ。

それは根底の考え方が、前提からズレている。

死せるからこそ、無意味に終わるからこそ、血脈を先へと進めるという当たり前の思考がこの獣には存在しないのだ。

虚しいから、悲しいから、腹立たしいから――――その理不尽を最初からなかったことにしよう。

それは虚無だ。

歓びも達成感もなく、ただ不安だけを取り除いた牢獄だ。

それではヒトは生きているとは言えない。死んでいないだけだ。

 

「――さて、敬意は十分に払った。報復の時間といこう。貴様達マスターを殺せば、要を失った英霊どもは残らず退去する。まったく、楽な仕事にも程がある。おとなしく最後の一年を楽しんでおけば良かったものを。お前達の行動は何もかも浅慮だったのだ、人類最悪のマスターよ。その報いを受ける時だ。芥のように燃え尽きろ。貴様達が死ねば、文字通り人類は終了だ」

 

侮蔑の言葉と共に、ゲーティアの手に魔力が込められていく。

恐ろしいほどに強大な力だ。片手だけでも自分の総魔力量を軽く上回るだろう。

第四特異点で味わった苦い敗北を思い出す。

力の差を見せつけられ、心が折れてしまったあの時のことを。

両足に震えが走る。

あの時の絶望、あの時の恐怖が蘇る。

けれど、今度は怯まなかった。

その恐怖の先に、小さな炎を見つけたからだ。

 

『……悔しいが奴の言う通りだ。オレ達は喚ばれなければ戦えない。それがサーヴァントの限界だ。時代を築くのはいつだってその時代に、最先端の未来に生きている人間だからな」

 

『だから――お前達が辿り着くんだ、藤丸、カドック。オレ達では辿り着けない場所へ。七つの聖杯を乗り越えて、時代の果てに乗り込んで、魔術王(グランドキャスター)を名乗る、あのいけすかねぇ奴をぶん殴れ!』

 

右手が動いた。

拳を作り、額を思いっきり殴りつける。

鈍い痛みが響いたが、正気を取り戻すには十分だった。

もう足は震えていない。

波打っていた心もすっかり凪いだ。

機能している魔術回路はとっくの昔にアイドリングを終えている。

戦える。

自分はまだ戦える。

あの時と違い、まだ戦える。

 

「藤丸……力を貸せ」

 

「もちろんだ、必ず勝つ! 勝って明日に(みんなで)帰るんだ!」

 

「キリエライト、僕達を守ってくれ」

 

「はい、お任せを! お二人の戦いを決して無意味なものにはさせません!」

 

「アナスタシア……あいつを倒して、世界を救うぞ」

 

「ええ、あなたはどんなに苦しくても、辛くても、歩みが止まってしまっても、逃げる事だけはしなかった。自分にできる最善を常に探し続けてきた。その全ての努力が、あなたをこの神殿に導いたのよ」

 

いつもの陣形を取る。

盾を構えたマシュが前衛で、その後ろからアナスタシアがフォローする。

数多の英霊達に支えられて、遂にここまで辿り着いた。

多くの奇蹟が自分達をここまで押し上げた。

ここは時間の外、理から外れた特異点。神が介在する余地はない。そして、敵は災害の獣。

ここから先の戦いは、未来を賭けた最後の一戦は、人間の手で決着をつけなければならない。

 

「わたし達のマスターは、最高のマスターです!」

 

「それを私達が証明しましょう、魔神王ゲーティア!」

 

二騎のサーヴァントが大地を蹴る。

玉座よりそれを見下ろしていたゲーティアは、両手を構えたまま静かに告げた。

 

「では、月並みだがこの言葉で締めくくろう。ようこそ諸君、早速だが死に給え。無駄話は、これでお終いだ!」

 

空間が爆ぜる。

ゲーティアが両手に込めた魔力を解き放ったのだ。

ただの魔力放出に過ぎないそれは、その実は大魔術レベルの破壊を起こす魔力の波だ。

波は床を抉りながら、まるで蛇のように玉座の間を走り抜け、階段を駆け上がるマシュへと襲い掛かった。

咄嗟にマシュが盾で受け止めると、マッチに火が付くかのように一気に燃え上がり、物理的な衝撃すら伴ってマシュの痩躯を大きく後退させる。

立香が即座に回復を行ったことで、目立ったダメージはなさそうだが、その顔に浮かぶ表情は先ほどの攻撃の危険性を如実に物語っていた。

 

「アナスタシア、一気にいきます! 援護を!」

 

「ええ!」

 

ゲーティアの視界を塞ぐように、無数の氷柱が降り注ぐ。

だが、受けるまでもないとばかりにゲーティアが片手を振るうと、氷柱は着弾前に破裂し冷気をまき散らすに留まる。

変質したとはいえやはり冠位クラスのキャスター。並の魔術では太刀打ちできない。

 

(だが、布石は打ったぞ!)

 

盾を床に打ち鳴らしながら、マシュが駆ける。

素人でも分かるほど、わざとらしい陽動。

当然、ゲーティアは向かってくるマシュを無視して、死角から飛びかかってきたヴィイをその剛腕でねじ伏せる。

 

「ふん、その程度か!」

 

叩きつけた腕を弾かれ、逆に胴体を蹴り飛ばされたヴィイが地面を転がる。

実体がないので傷を負うことはないが、ダメージを受けたヴィイは即座にアナスタシアの影へとと避難した。

ゲーティアの追撃もそこまでは届かない。その時点でアナスタシアへの警戒を解いたゲーティアは、改めて飛びかかってきたマシュを迎え撃とうと腕に魔力を込め直した。

瞬間、ゲーティアが見たのは自身に向けてガントを放とうとする立香の姿だった。

 

「くらえ!」

 

「ぬっ!」

 

咄嗟にゲーティアは右手を振るい、立香に向けて魔力を放出する。

予期していた立香はギリギリではあるものの、その攻撃を何とか回避する。

今のはブラフだ。今の立香の礼装ではガントは使えない。

ゲーティアもそれに気づいたのだろう。

残る左手で向かってくるマシュを迎撃せんと、溜め込んでいた魔力を解放する。

 

アナスタシア(キャスター)!」

 

「止まってっ……!」

 

ゲーティアが魔力を解放する瞬間に合わせ、予め足下に撃ち込んでいた氷柱を起爆させる。

元より、アナスタシアの魔術が通用しないのは百も承知。最初に攻撃する際、氷柱の破裂に紛れて布石を打っておいたのだ。

氷柱はアナスタシアの詠唱で瞬時に気体へと転じ、足下から巨大な水蒸気爆発を起こしてゲーティアの視界を一時的ではあるが塞ぐことに成功する。

それは瞬きの時間にも等しい一瞬だったが、マシュが死角に回り込むには十分な時間だった。

既に両手の魔力は放出し尽くし、ゲーティアは丸腰。咄嗟に片方の腕で飛びかかってきたマシュに裏拳を放つが、それは立香の起動した礼装の効果によって空振りに終わり、逆に盾で思いっきりかち上げられて無防備な姿を晒してしまう。

 

「はあああぁぁっ!」

 

「ぬうぅっ! 遅い!」

 

一手、届かない。

無理な態勢からの一撃ではあるが、ゲーティアがもう片方の腕を振るう方が僅かに早い。

マシュが盾を振り上げてしまったため、その一撃を受け止めることができない。

だが、繰り出された攻撃は魔力がこもらないただの暴力。

それが魔術でないのなら、こちらには対応の余地がある。

 

「ゲーティア!」

 

「っ!?」

 

わざと気づかせる為に大声を上げる。

立香はガントは使えない。だが、自分は別だ。

凡人の呪いでは、腕一本をコンマの時間だけ縛ることしかできないだろうが、サーヴァントが相手ではその一瞬が命取りだ。

そのままマシュを攻撃すれば、直後にガントで動きを封じられて、アナスタシアの追撃を受ける。

ガントを弾けば、マシュの一撃が入る。

取れる方法は二つだ。

逃げるか、守るか。

ゲーティアは後者を選択した。それも攻性を伴う防御だ。

一呼吸と共に体内の魔力を一気に汲み上げ、腕だけでなく全身から放出したのである。

指向性を伴わない魔力放射は、腕からの放出より威力は劣るが、ガントをかき消すくらいは容易にやってのける。

その余波は玉座の間全体に及び、冷気を放とうとしていたアナスタシアも耐えられず大きく地面を転がった。

無論、至近距離でそれを食らったマシュは一たまりもないだろう。ゲーティアはそんな風に思ったはずだ。

 

「でやあああっ!!」

 

だから、全くの無傷で衝撃波を引き裂き、盾を振りかぶったマシュの姿にゲーティアは驚愕してしまった。

彼は知らなかった。いや、知っていても理解が及ばなかった。

マシュの防御が、その意思の強さに比例して強くなることを。

彼女を滅ぼすなら、それこそ大儀式レベルの魔力行使が必要だということを。

例えその身が朽ちることになろうとも、盾の騎士は怯まず、汚れず、折れることがないのだから。

 

「やった、入った!」

 

「油断するな!」

 

拳を握る立香を大声で窘める。

確かにマシュの一撃は入った。

油断していたゲーティアの横っ面に、盾の先端が深々とめり込み、その巨体を吹っ飛ばしたのだ。

だが、何か様子がおかしい。

盾が叩き込まれた時に違和感のようなものを感じた。

それはマシュも同じだったのだろう。彼女は驚愕しつつも更なる追撃をかけんと盾を振り上げ――。

 

「ふん!」

 

「きゃっ!?」

 

――逆に、ゲーティアの一撃で吹き飛ばされた。

 

「マシュ!」

 

転がるマシュの体を立香が受け止める。

零れ落ちた盾は、乾いた音を立てながら彼の足下に転がった。

 

「なるほど、良い連携だ。だが、残念だったな英霊。我が身はソロモンより変じたもの。魔術――召喚術より生じた貴様らサーヴァントでは主たるこの身を傷つけるには能わず。それこそがネガ・サモン――獣と化したこの私の、ビーストとしての権能だ」

 

「なん……だと……」

 

「本気で相手をすると言っただろう。それとも、万に一つの奇跡でも期待していたか? 勇気が、愛が、我が霊核に届くとでも思うたか? それこそまやかし。思い違いも甚だしい。そんな浮ついた気持ちでここに至ったと言うのなら――虫唾が走るというものだ!」

 

不意に魔力の波が押し寄せる。

先ほどと同じように、ゲーティアが体内の魔力を爆発させたのだ。

だが、威力は先ほどの比ではない。十分に溜め込まれた魔力は、物理的な実体すら伴う衝撃となって大地を抉り、巨大な津波のように押し寄せてくる。

逃げ場はない。

あの波はこの空間の末端まで犯しつくす。

唯一の逃げ道はここに入ってきた入口だけだが、今の自分達の位置からでは間に合わない。

マシュもまだ動けないようで、彼女の防御を期待することもできない。

絶望的な死が、すぐそこまで迫ってくる中、まだ余力の残っていたアナスタシアが全身全霊を込めて宝具を展開する。

 

「『残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』!……っあぁぁぁっ!!」」

 

顕現した幻影の城が、魔力の波を受け止めて瞬く間に崩れ去っていく。

この旅路の中で何度も命を救われた城塞が、余りにも呆気なく消失していく光景にカドックは絶句した。

決して弱い宝具ではないが、マシュの守りに比べれば劣る点も多い。

それでも心強い護りであることに違いはなかった。今だって自分達はおろか、離れたところにいた立香とマシュも瞬時に城塞内に囲う事でゲーティアの攻撃が直撃する事だけは避けることができた。

だが、魔神の一撃を受け止めるにはあまりにも神秘が乏しい。

崩れ去った城塞の隙間から入り込んだ魔力の波は、場内で嵐のように暴れ狂い、壮麗な北国の城塞を内側から破砕。

中にいたカドック達もその余波で吹っ飛ばされてしまい、床の上に強かに体をぶつけて痛みにのた打ち回った。

城塞の守りのおかげで何とか一命は取り留めたが、今のダメージは致命的だ。体のあちこちを切り裂かれ、熱で焼かれて火傷を起こしている部分もある。

あんな攻撃、そう何度も受けられるものじゃない。次がくれば確実に終わりだ。

逃げなければいけない。

地面を這いつくばって、無様を晒すことになっても、逃れなければならない。

でなければ殺される。

余りに力の差があり過ぎる。

自分達では――否、この世界の全ての人間と英霊が力を結集したとしても、奴には勝てない。

 

「……それで、も……まだ……だ……」

 

だというのに、立ち上がる者がいた。

血反吐を吐いて、痛みに震えながらも顔を上げた友がいた。

圧倒的な力の差と権能を見せつけられても尚、生を諦められない男がいた。

藤丸立香という男がいた。

 

(やめろよ……もう動くな……お前、ベースボールみたいに……吹っ飛んだんだ……ぞ。何で、動けるんだよ……何で、立ち上がろうとするんだよ……)

 

礼装によってダメージが緩和されたのか、それとも火事場の馬鹿力なのか、立香は痛みを堪えて立ち上がろうとする。

ゆっくりと、両の腕に力を込めて、倒れようとする半身を持ち上げる。

見ていられない。

痛々しい。

静かに横たわっていた方が楽になれる。

それでもこの男は最後まで生きる事を諦めない。

最期まで、できることをこなそうとする。

何故なら、彼は人類最後にして人類最善のマスター。

無力な彼に出来る事は、ただ立って虚勢を張る事だけなのだから。

だから、両足に力がこもった。

腹の底から熱が湧いてきた。

萎えかけた闘志が、油を注がれたかのように燃え上がった。

あいつが諦めないなら、自分だって諦めない。

決めたのだ、逃げないと。

誓ったのだ、あいつを守ると。

彼の本来の居場所である、平穏な日常に帰してみせると。

 

「ああ、まだだよな、相棒!」

 

激痛で視界が焼ける。

外れていた肩を強引に嵌め直し、膝立ちで立ち上がる。

何を弱気になっていたのだろう。まだ一回、地に膝を着いただけではないか。

ここから挽回する。自分達の戦いは、いつだって逆境からの叛逆だ。

あの何を考えているんだかよく分からない、デスマスクみたいな顔を殴り飛ばして、創世期のやり直しなんて馬鹿げた企みをぶっ潰してやるのだ。

 

「フォーウ!」

 

フォウの鳴き声がすぐそばで聞こえる。

立ち上がったつもりが、いつの間にか倒れていた。

みっともなく地面に頬を擦りつけ、小さなフォウの体を押し潰していたのだ。

顔を動かすと、立香もまた立ち上がれず塞ぎ込んでいた。

その顔は、見ているこちらが悲しくなるほど悔しさで歪んでいた。

 

「そこまでのようだな。これでは貴様らのレイシフトを妨害する必要もなかったか」

 

「やはり……サーヴァントのみなさんが、ここに来れなかったのは……」

 

「その通りだ、マシュ・キリエライト。我々が術式に介入した。ああ、思えばこうなることを望んでいたのかもしれないな。誰にも邪魔をされることなく、お前ともう一度、話をしたかった」

 

「……ゲーティア?」

 

「私はお前を理解している。お前も私を理解できる筈だ。我々は共に生命の無意味さを実感している。限りある命の終わりを嘆いている。未来などつまらない。人間はつまらない。だって生きていても死ばかりを見る。どのようなものであれ死に別れる――もうたくさんだ。死のない惑星の誕生は、お前の望みでもある筈だ」

 

「何を言っているのですか、ゲーティア!?」

 

「ただの感傷だ。僅か一柱だが――我々にはまだ迷いがある。唯一人でいい、ヒトによる理解者が欲しい。そうであれば、我らの計画はもはや揺るぎないものとなる」

 

そう告げるゲーティアの姿は、まるでどこか救いを求めるかのようであった。

完璧であるはずのプログラムに生じた、ほんの些細なバグであった。

だが、ゲーティアはそれを見過ごせなかった。

捨て置けなかったからこそ、マシュへの執着としてそれは表れたのだ。

 

「マシュ・キリエライト、人によって作られ、直に消えようとする命よ。共に人類史を否定してくれ。我々(わたし)たちは正しいと告げてくれ。ただ一言、よし、と言え。その同意を以て、共に極点に旅立つ権利を与えよう」

 

「ゲーティア――あなたは――――」

 

それは何と抗いがたい誘惑か。

死にゆく命に向かって、魔神は悪魔の如く囁くのだ。

その命を救ってみせよう。

終わりのない明日を約束しようと。

ゲーティアならばそれができる。

人類史から搾り取った膨大な魔力を用い、極点へと至った先に生まれた新たな惑星にマシュ・キリエライトという人間を転生させる。

病気に苦しむことも、時の流れに怯えることもない。

夜の眠りを恐怖し、翌朝の目覚めに安堵する必要もない。

永遠の命を約束しようと、ビーストⅠはマシュを誘うのだ。

 

「貴様達も知っている筈だ。彼女の命はもう、とうに限界だと。隣人を尊び、友人を信じ、同胞を愛する。それが人間の正しさというのであれば、邪魔をするな」

 

それはゲーティアを形作る七十二柱の内の何者かの慚愧であった。

彼女の人生を見過ごしてはいけない。この星の最後の記憶を悲劇にはしたくないと。

それは、人類悪へと堕ちたプログラムが語るには、あまりに人間臭い執着であった。

そして、そんな魔神に向けて、マシュはゆっくりと立ち上がりながら言葉を返す。

 

「確かに、死が約束されている以上、生存は無意味です。わたしはあなたの主張を否定する事はできません」

 

「では……」

 

「……でも、人生は生きている内に価値の出るものではないのです。死のない世界、終わりのない世界には悲しみもないのでしょう。でも、それは違うのです。永遠に生きられるとしても、わたしは永遠なんて欲しくない。わたしが見ている世界は――」

 

マシュは振り返ると、倒れ伏した立香の手を持ち上げて自らの手に重ねる。

離れることが惜しいかのように、ギュッと力を込めて握り締める。

その存在を、少しでも強く自らの内に刻み付けるかのように。

 

「――わたしがいるべき世界は、今は、ここにあるのです!」

 

例え、その命が瞬きの後に終わることになったとしても、一秒でも長く、この未来を視ていたい。この今を生きていたい。

それが短くも長い旅路の中でマシュが辿り着いた命の答え。無色であった彼女に彩られた、魂の色彩であった。

 

「――残念だ。では、この時代と共に燃え尽きよ」

 

感情のこもらない、死刑宣告が告げられる。

あれほど執着していたにも関わらず、今のゲーティアは冷酷な魔神そのものだった。

彼女に己を否定されたことで、最後の慚愧から吹っ切れたのであろう。

今の彼には一片の躊躇もない。

やると宣言したからには、確実にこちらの息の根を止めてくるはずだ。

 

「刻限だ。貴様らは我が第三宝具によって最期を迎えるがいい」

 

「第三……宝具……」

 

「仮想第一宝具『光帯集束環(アルス・ノヴァ)』。第二宝具はこの特異点そのもの。固有結界、時間神殿ソロモンこと『戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの(アルス・バウリナ)』。そして第三宝具……空に輝く光帯。惑星を統べる火を以て、人類終了を告げよう」

 

天空に輝く光の帯が加速する。

人類史を絞りつくし、そこに生きていた全ての生命が昇華された無尽蔵の魔力が、極大の熱線となって降り注ごうとしている。

暗黒の空が真白に輝き、視界がどんどん染められていく。

先ほどの魔力放出などお話にならない、地表全てを焼き尽くしても尚、足りない極大熱量が襲いかかる。

あれこそ終末だ。

ゲーティアの詠唱は、終わりを告げるラッパの音だ。

人類ではあれに敵わない。

この地上のあらゆるエネルギーは、人そのものが持つ情熱には勝らない。

塵芥に等しい自分達など、一瞬の内に焼かれて灰すら残らないだろう。

だが、そんな絶望を前にして、マシュ・キリエライトは笑っていた。

 

「……そっか。わたしはこの時の為に生まれたのですね、ドクター」

 

マシュは立ち上がり、前に足を踏み出す。

手に拾い上げた盾を持ち、これから降り注ぐであろう創世の光を前にして、臆することなく顔を上げる。

倒れ伏し、動けない自分達を守るために、彼女はたった一人で終焉の炎に立ち向かう。

 

「さらばだカルデアの者達よ! お前達の探索はここに結末を迎える!」

 

「いいえ、お任せください! マシュ・キリエライト、行きます!」

 

盾を構え直し、更に一歩を踏み出す。

光がマシュへと集っていった。

それは人類史に刻まれた人々の叫び。

ゲーティアによって死ぬことなく魂まで焼き尽くされた者達の声なき叫び。

明日を生きたいという切なる願い。

それが彼女に力を与える。

傷つき、動かぬはずの体に、尽きぬ力を与えてくれる。

 

「だってこれからです、マスター! カドックさん! あなた達の戦いは、こんなところで終わるものではありません!」

 

「マシュ――!」

 

引き留めようとする立香の叫びを振り払い、マシュは駆けた。

その力強い疾走を認めたゲーティアは、静かに、だが敬意を以て己の切り札たる第三宝具を展開する。

 

「ではお見せしよう。貴様らの旅の終わり。この星をやり直す。人類史の終焉。我が大業成就の瞬間を!  第三宝具、展開。誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの――――さぁ、芥のように燃え尽きよ!! 『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』!!!」

 

加速した光が束ねられる。

一重、二重、三重――阿僧祇を超え、那由多に至り、今――無量に達する。

重ねられしは人の情熱。

土地を開き、根付き、生まれ、育み、死んでいった一人一人の嘆きを圧縮し、凝縮し、縮退させる。

その超極大の炎、宇宙創世の光を前にして、少女の細腕の何とか弱いことか。

それはまるで太陽を目指すイカロスのようで、マシュの体は刻一刻と死に向かっていく。

それでも彼女は逃げない。

主と友を守るために。

世界を終わらせないために。

残された数秒を、精一杯生きるために。

マシュ・キリエライトは最後の力を振り絞る。

 

「それは全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷───顕現せよ! 『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!」

 

顕現した白亜の城は、今までのそれよりも遥かに強い実体を伴っていた。

勇壮にして華麗、そして堅牢。騎士と共にあり、騎士の誉れであり誇り。

その輝きは、その守りは、彼女の心が折れぬ限りひび割れることなき精神の護り。

その清廉なりし城壁が、創世の炎を真正面から受け止める。

 

「うっ、うあああぁぁぁぁぁっ!!」

 

それは時間が止まったかのような光景だった。

光帯の熱量を防ぐ物質はこの地球上には存在しない。

だが、それはあくまで物理法則の範疇だ。

彼女の護りは精神の護り。

その心に一切の穢れなく、また迷いがなければ、溶ける事も、ひび割れる事もない無敵の城壁となる。

だから、そうなることは分かっていた。

分かり切ったことであった。

彼女の城壁ならば必ずや、ゲーティアの第三宝具をも防ぐだろうと。

だが、それは――。

 

「あ、あぁあああ――――――!」

 

――それは、彼女の死を意味していた。

何度も見てきた光景だ。

彼女の護りは彼女自身には及ばない。

星を焼き払い、宇宙を生み出す熱量を受け止めたマシュの体は、その指先から少しずつ焼かれていっている。

その地獄のような時間、星を貫く熱量を防ぎながら、彼女は想っているだろう。

これまでの旅と、これからの旅を。自分がいた今までと、もう自分のいない、未来の夢を。

 

「……良かった。これなら何とかなりそうです。カドックさん、あなたのオーダーを、今、果たします」

 

そんなつもりではなかった。

確かに守れと言った。けれど、それはこんな結末を思ってのことではなかった。

命を投げ出せなどと、一度だって命じたつもりはなかった。

けれど、それが彼女の答えなのだ。

最後の最後まで、自分に出来る事を精一杯やり切る。

先へと続く者達を未来へ送り出す礎となる。

それが彼女の辿り着いた答え、自分で選んだ彼女自身の結末だ。

 

「アナスタシア、お友達になれて、本当に嬉しかったです。あなたとは、できればもっとお話がしたかった」

 

後悔も無念も未練もある。

やり残したことは余りにも多い。

けれど、彼女はこうなることを自ら望んで選択した。

その命を、最後まで仲間の為に使うと決めてこの戦場に降り立った。

 

「マスター、今まで、ありがとうございました。この旅で先輩がくれたものを、せめて少しでも返したくて、弱気を押し殺して旅を続けてきましたが――――ここまで来られて、わたしは、わたしの人生を意義あるものだったと実感しました。わたしは最期の時に、わたし自身の望みを知ったのです」

 

光に飲まれる寸前、マシュは振り返った。

眩しいほどに輝く笑顔を、アナスタシアに、カドックに、そして己のマスターへと順番に向ける。

炎に焼かれ消えていく彼女のそんな姿は、堪らないほど人の尊厳に満ちていた。

 

「……でも、ちょっと悔しいです。わたしは、守られてばかりだったから――最後に一度ぐらいは、皆さんのお役に、立ちたかった」

 

あれほどの戦いをしてきながら、彼女の中ではまったく足りていなかった。

仲間への――その中でも立香に対する彼女の感謝の念は、それほどに強かった。

カルデアの備品でしかなかった自分を人として扱い、マスターとなってくれた。

その全ての始まりは、“ただあの朝に出会っただけ”という、取るに足らない些細なきっかけに過ぎなくとも。

彼女は常に立香に守られ、立香の前だから立ち上がれる人間性だった。

 

「――――――!!――っ――」

 

光が消える。

炎が晴れる。

その光景をゲーティアは厳かに見届けた。

彼らは慟哭を禁じ得なかった。

炎を受け止め、身を挺して仲間を守った盾の騎士の姿はそこにはない。

肉体は光帯の熱量に耐え切れず蒸発したのだ。

だが、その精神(こころ)は何者にも侵されず、雪花の盾は傷一つなく、彼女の(こころ)とその仲間を護り続けた。

それはまるで墓標のようであった。

端から見えれば、彼女は勇敢な戦士だったかもしれない。

だが、そこにいる全ての者達が彼女の本質を知っていた。

彼女は戦いに怯え、恐怖し、けれどもほんの些細な事で勇気を振り絞れる、ごく普通の女の子であった。

だから、その死を冒涜する者は誰もない。

その死を嘆かない者は誰もいない。

その叫びを、遮る者などいはしない。

 

「……ぅう……あ、ぁ……マ……シュ……マシュ……ああ……あぁ……マシュゥゥゥッ――――!!」

 

少年は泣いた。

己のサーヴァントの死に対して、憚ることなく泣き喚いた。

玉座の間に、一人の無力な少年の嘆きが響き渡った。




正直、途中で何度も区切りたくなったけど、ここまで書いた。
このシーンは原作でも涙なしには見れませんね。
あくまでカドック視点なのでマシュ関係の描写は少なかったですが、原作でもあった夢での語り掛けなどゲーティアはきちんとアプローチしています。カドック視点ではそれが見えないだけで。

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