Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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冠位時間神殿ソロモン 最終節

どことも知れぬ闇の中、二つの影が対峙していた。

片や長い旅路の果てに、一つの答えに辿り着いた魔術師の少年。

彼はその命を最後の一片まで燃やし尽くし、後は死を待つだけの身となっていた。

片や最悪の獣。人類が打倒すべき災害、ビーストⅣ。

役目を終え、その命を終えるだけであった少年に待ったをかけた人類悪。

その牙が狙うは少年の魂か、それとも世界の命運か。

底の知れぬ、光すら差さぬ虚数の海で揺蕩いながら、両者はまっすぐに睨み合っていた。

 

「生き返らせる……と言ったのか?」

 

形なき巨大な影。黒塗りの大化け猫に向けて、カドックは聞き返した。

彼――性別があるのかどうかはわからないが、この獣は自分ともう一人のどちらかを生き返らせると言った。

どうして人類悪がそんな提案を持ち掛けてきたのかという疑念が湧く。

喜びよりも先に不安と恐怖があった。

これまで対峙してきたビーストは、方向性こそ違えどどちらも人類を滅ぼす為に動いていた。

ならば、人類悪を名乗るこの獣も同じなのではないかという疑いはあって当然だ。

何かの罠を疑うのはとても正しい反応のはずだ。

だが、それでも彼の言葉には抗いがたい魅力があった。

死は誰だって恐ろしいものだ。

役割を終え、納得の上での死であってもそれは変わらない。

今まで生きてきた世界の全てから途絶えてしまうという恐怖は、分かっていても耐え難い。

いや、ここは取り繕う場面ではないだろう。

アナスタシアに会いたい。

会って話がしたい。

手を繋ぎたい。

彼女と一緒に紅茶を飲んで、穏やかな時間を過ごしたい。

ここで消えてしまう自分と違い、サーヴァントであるアナスタシアの霊基はカルデアに帰還する。

あそこに戻ることができれば、また彼女に会うことができるのだ。

自分が消え去る間際になって、蓋をしていた気持ちが開いてしまう。

彼女と一緒にいたい。

彼女と生きたい。

彼女が欲しい、その全てを。

叶わぬと封をした願い。こんなにも未練が残っていては、あんな夢を見るのも頷ける。

もしも叶うのなら、この想いを育んだ日々に少しばかりの猶予が欲しい。

彼女と共に過ごした、僕らのカルデア(うち)に帰りたい。

すると、獣はこちらの胸の内を察したかのように肩を震わせると、こちらに言い聞かせるかのようにハッキリと言葉を発した。

 

「ああ、君の願いは当然のものだ。けれど、掬える命は一つだけだ」

 

「本当に、生き返る事ができるのか?」

 

「もちろん。数百年溜め込んだ魔力を使えば、魔法ですら到達しえない奇蹟――死者の完全な蘇生すら可能だ。もっとも、時間神殿での死は現実ではカウントされない。これからボクが行う事は、運命力の譲渡だ。君とマシュ・キリエライト……どちらかの命を助けよう」

 

「……どちらか、一人の?」

 

「そうだ、君が選ぶんだ。奇蹟も万能ではない。ボクが溜め込んだ魔力だけでは、掬い上げる事ができるのは一つの命だけだ」

 

重い選択を突き付けられる。

自分とマシュ、生き返る事ができるのはどちらか一人だけ。

片方は愛する者と再会が叶い、もう片方は暗い闇へと沈んでいく。

考えるまでもない、とは言えなかった。

他人に命を譲れるほど、自分は心が広くない。隙があれば貪欲に欲しがるのが魔術師だ。

だが、友人の幸せを踏みにじれるほど冷徹にもできていない。

彼らの不幸に目を瞑るには、自分達は長く付き合い過ぎた。情が湧いた、などと言うつもりはない。彼らは友達だ。かけがえのない仲間だ。良いところも気に入らないところも、全てひっくるめて大切な友人達だ。

ましてやマシュは、そう遠くない内に死ぬ運命だった。彼女がもう一度、生き直すことができる機会を奪えば、きっと自分は後悔する。消えぬ慚愧が胸を縛る。立香を見る度に、罪悪感に苦しめられるだろう。

そして、アナスタシアへの思慕も捨てきれなかった。

この期に及んで、何て情けない醜態だ。

立香の隣で笑顔を浮かべるマシュの姿を思い浮かべながら、アナスタシアと共にいる自分の姿を思い描いてしまっている。

選べる命は一つだけ。

このどちらかを切り捨て、闇の底に沈めなければならない。

 

「何故、こんなことをする? お前に何の得があるんだ?」

 

「ただの善意の押し売りだ。ボクは君達の旅を特等席から見物させてもらった。胸のすくような気分だった。人とはかくも美しくなれるものなのだと、ボクは知ることができた。何れは滅ぼし合う運命にあろうと、まだビーストに覚醒していない今ならば手を差し伸べることもできる。もちろん、信じるも信じないも君次第だ」

 

それは悪魔の囁きだった。

魔術師としての性なのだろう。彼の言葉に抜け穴がないか、解釈違いは起きないかと必死で頭を巡らせた。

彼は善意の押し売りだと言った。カルデアの旅路が、聖杯探索での自分達の行いを美しいと評した。

まるで神にでもなったかのような物言いだ。差し詰め、これはグランドオーダーの半ばで果てた自分達への報酬なのだろう。

それはとても抗いがたい魅力を秘めていた。

何度、言葉を反芻しても、信じるに値する証拠が見つからなかったとしても、心のどこかで彼の誘いを受けたいという思いが強くなっていく。

断ち切れたはずの未練が浮上する。もう一度、アナスタシアに会いたいという思いが募っていった。

 

「さあ、ここでは時間の流れが現実とは違うとはいえ、君達の認識が死に追いつけばそれまでだ。答えを……」

 

「…………」

 

「答えるのだ、カドック・ゼムルプス。君はどちらを生かす……自分か、友人か。君達のどちらが生きるべきなのか、答えを聞かせてくれないか」

 

とても長い二秒間だった。

頭の中で、これまでの出来事が映画のフィルムのように次々と写し出されていく。

何気ない立香との出会い、燃える管制室でのマシュとのやり取り、冬木で召喚に応えてくれたアナスタシア。

人理焼却という未曽有の事件に対して、四人で立ち向かった。

意見をぶつけ合うこともあって、傷つけあうこともあった。

それでも一緒に戦って、時間神殿にまで辿り着いた。

いつの間にか、誰かが欠けるなんてありえないと思い込んでいた。

生の感情をぶつけ合って、和解したのだから、もう離れることはありえないと。

だから、あんな風に彼女がその命を散らすなんて思いもしなかった。

だから、あんな風に思いを託して自分が死ぬなんて思いもしなかった。

分かたれた四つの欠片は二度と、合わさることはない。

どちから一人。自分かマシュか、生き残るべき方を選ばねばならない。

何故、と問う。

どうして自分が選ばなければならないのか。

マシュにだって選ぶ権利はあるはずだ。けれど、目の前の獣はそのことを口にはしない。

きっとマシュならば、生き返るチャンスをこちらに譲ると思ったからだ。

例え未練を抱き、もっと生きていたいと願ったとしても、彼女は自分より他人の命を優先する。マシュ・キリエライトはそういう娘だ。

なら、自分はどうか。カドック・ゼムルプスはどんな人間か。

自らの願いの為に、友人を犠牲にすることができるのか。

友への親愛のために、自分を犠牲にできるのか。

選べるはずがなかった。

どちらを選んでも、きっと残された方は死者を思って苦悩することになる。

どうして、自分が生き残ってしまったのかと。

そして、そのパートナー達は思うだろう。どうして、彼/彼女だけが死んでしまったのだろう。

悔悟の念は必ず浮上する。今でなくとも、遠い未来で生者を蝕む。

欠けた命に涙する自分達の姿を幻視する。

生きたい。

選べない。

会いたい。

選べない。

戻りたい。

選べない。

死にたくない。

選べない。

選ぶことができない。

だって、どちらも大切だ。

自分の願いも、友情も、優劣なんてつけれない。

比べる事なんてできない。

例え、一分後には心変わりすることになろうとも、魔術師という生き方に一瞬でも背を向ける事になろうとも、今だけはその二つを比べる事などできなかった。

 

「……ない」

 

「…………」

 

「選べない。僕は……どちらも選べない」

 

待ってくれと懇願することはしなかった。

情けない事に答えを出すことができなかったのだ。

どちらの命が大切かと問われ、どちらにも見切りをつけることができなかった。

アナスタシアとの再会と、マシュの命を天秤にかける事ができなかった。

それでは、自分達二人のどちらも生き返る事ができないという事になると分かった上で、カドックは選択しなかった。

慚愧を抱いて生きるよりも、無念を抱いて死ぬ事をカドックは選択した。

 

「……それで、良いんだね?」

 

「…………」

 

聞き返してくる獣に向けて、言葉を返す事ができなかった。

そんな資格はないと、カドックは自分を卑下していた。

 

「君は魔術師だ。一族の悲願――根源への到達を目指すべき生き物だ。その機会を、逸することになっても、良いんだね?」

 

「…………」

 

「マシュは人の都合で生み出され、苦しみしかない生を過ごした。彼女がもう一度、生き直すための機会を奪うと言うんだね?」

 

「…………」

 

そのどちらにも答えを返さなかった。

一言でも言葉を発すれば、どちらかに気持ちが傾くと思ったからだ。

その瞬間、この獣は願いを受理するだろう。一瞬後に、こちらが後悔を抱いても取り消すことができぬよう、問答無用でどちらかを蘇らせるだろう。

その苦悩には耐えられない。その罪悪感からは逃れられない。

その絶望は正しく、死に至る病となるだろう。

だから、カドックは最後まで沈黙を貫いた。

やがて、こちらの答えが変わらぬことを認めた獣は、闇の向こうで頷くように首を振ると、静かに言葉を発した。

 

「……君の選択を尊重しよう、カドック・ゼムルプス」

 

闇に光が灯る。

光源は獣の体そのものだ。

黒いシルエットでしかなかった獣の巨体が淡い光を放ち始めたのだ。

露になったその姿は、今度は光が眩しすぎて直視する事ができなかった。

ただ、この世のものとは思えないとても美しい毛並みだった。

燐光を放つ体毛は一瞬たりとも同じ色を保たず、流転する車輪のように色艶を変えていく。いや、毛の先に至る細胞の全てが光でできているのだ。でなければ、あのような光を放てるはずがない。

闇の中から現れたのは、光と魔力によって体を作られた美しい獣だったのだ。

そして、やはり光を固めて作られた眼が、瞼を狭めるこちらを見つめていた。

全てを見透かすような、聡明な瞳だった。

 

「これは……」

 

光が体に流れ込んでくる。

あるはずのない心臓が鼓動を打ち、熱い血流が戻ってくる。

命の力が、肉体を失った魂に流れ込んできているのだ。

 

「ボクを構成する全てを用いて、君達二人を蘇生させる。君の命……その傷ついた眼や魔術回路はもちろん、後三日とないマシュ・キリエライトの寿命を塗り潰すほどの奇蹟だ」

 

「なっ、何を……いや、どうして……」

 

光が広がっていく。獣の肉体を構成する光が粒子となって空間そのものに溶け込んでいっているのだ。

こちらに生命の脈動が走る毎に、獣の存在は薄れ小さくなっていく。

彼が何をしようとしているのか、漠然とではあるが察することができた。

自分とマシュ、どちらかの命を救う。そう嘯いておきながら、その両方を掬い上げんとしているのだ。

 

「なに、簡単な話だ。足りないのなら必要な分を余所から持ってこればいい。数百年を生き抜いた肉体だ。全て霊子に変換すれば君達を蘇らせるには十分な魔力を生み出せるだろう。代償として、ボク自身は消滅する事に――いや、最初から存在しなかったことになる」

 

何てことはないとばかりに、獣は答えた。

たった二人の人間を生き返らせる為に、自分自身の命を捧げると人類悪は言うのだ。

 

「うん、君の疑問には答えておこう。人類悪としてのボクは“比較”の理を受け持っていた。人間同士の競争と成長、妬みや悔しさを糧とし、“相手より強くなる”特徴を持つ獣だ。分かるかい、他者と向き合う――それだけでボクは獣に近づいてしまう。逆に人間社会にいなければ無害な動物でいられるから、ボクは人のいない孤島に閉じこもっていた。けれど、ボクの世話をしていた魔術師は酷い奴でね。快適だった幽閉塔からボクを追い出して、外に放ってしまったんだよ。でも、そのおかげでボクはカルデアに辿り着いた」

 

「おい……お前は……まさか……」

 

「マシュや藤丸は純粋だったから、彼女達の側にいるのは居心地が良かった。とはいえ、万が一もあるから普段は隠れていたんだけどね。何しろカルデアには君がいた。卑屈で嫉妬深くて、それでいて向上心だけは人一倍で。正に人間らしい人間だ。君の側にいたらボクはもっと早くに醜悪な姿を晒していただろう。けど、君はこの旅で変わっていった。汚れ切っていた魂は傷つく度に優しさを知り、清らかな色へと近づいていった。君の旅は特に見応えのあるものだった。人間がここまで魂を輝かせることができると、人は人類悪になど負けないと、ボクは君に教えられた。だから、これはボクからのお礼なんだ。ボクを獣にさせなかった、君への勲章なんだ」

 

「待て――お前は、お前は――あいつなのか!? お前は――!」

 

光が視界を満たす。膨れ上がった尾が炎のように揺れていた。

まるで風に吹かれるかのように体が浮かび上がり、目の前で消えゆかんとする獣が遠ざかっていった。

 

「……かつて魔術師はこう言ってキャスパリーグを送り出した。「美しいものに触れてきなさい」と――――そうだ。私は本当に、美しいものを見た。君が私を魅せた輝きは、人間の可能性だ。人はこうも美しく輝くことができる。嫉妬の泥からも這い上がり、尊いものを掴み取ることができる。自分自身と他者の命を平等に見ることができると。だから、私は君に倒されよう。刃を持たず、血を流さずとも倒せる悪はあるのだよ」

 

もう獣の姿を見る事は叶わなかった。

虚数の海へと溶け込んだ獣の残滓が、僅かばかりの形を残すばかりだ。

そんな状態でありながら、光の向こうで獣は笑っていた。

闇の中で対峙した時の、血生臭い笑みではない。敬虔な信者のような、神に救われた迷い子のような安らかな笑みだった。

 

「喜べ少年、君の願いはようやく叶う。第四の獣の討伐――私自身の消滅が君の証明となる。君は今、世界を救ったのだ」

 

「フォウ――!」

 

届かぬことを承知で伸ばした手は、泡となった獣の残滓を掴むので精一杯だった。

この虚数の海が完全に光で満たされた時、彼はこの世から消滅するだろう。

最初からいなかったことになる。比較を捨てた獣は、誕生を前にして一人の人間の手で滅ぼされたのだ。

 

「さようなら、カルデアの善き人々よ。そして、君にこの言葉を贈ろう……光あれ」

 

その言葉を最後に、意識が白光で埋め尽くされた。

強い力に引っ張り上げられる感覚と共に、急速に肉体の感覚が戻ってくる。

獣の祝福を受けた少年は、そうして現世へと舞い戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

気が付くと、誰かに背負われていた。

顔は見えないが、とても息が荒い。きっと相当な距離を走っていたのだろう。

カドックは放っておけばいいものをと内心で苦笑しながらも、そんな親友の優しさが素直に嬉しかった。

実に彼らしい。

時間神殿は崩壊を始めていた。いつ足場が崩れて虚数の海に落ちるかも分からない危険な状況だ。

だというのに、彼は手を伸ばすことを諦めない。

自分の命すら危うい状況でも、可能な限り助けられる命は助けようとする。

無茶で無謀で、どこまでも優しく大らかな心の持ち主だ。

カドック・ゼムルプスにとって自慢の友人であり、心の英雄だ。

 

「……悪いな、藤丸」

 

「あ、気づいたの?」

 

「ああ、たった今、な……」

 

「びっくりしたよ。気づいたらカドックだけ、無傷で倒れているんだから」

 

「そうか……」

 

その辺の記憶は曖昧だった。

ゲーティアと相対し、令呪三画を注ぎ込んだアナスタシアの宝具であの創世の光を押し返そうとした。

もちろん敵うはずもなく、自分達は原子すら残らず焼き殺されたはずだが、どういう訳か自分は生き残っていたらしい。

奇跡としか言いようがない。あのマシュですら耐えられずに消滅したというのに。

 

「ゲーティアは?」

 

「死んだよ」

 

「そうか」

 

ビーストⅠ。人間の限界、死という恐怖を憐れんだ獣は死んだ。

人理焼却は覆され、世界は元通りに復元されるのだ。

それは喜ばしいはずなのに、何故だかとても物悲しい気持ちになった。

マシュやロマニだけでない。何かもう一つ、大切なものが失われた気がするのだ。

それが何なのかは思い出せなかったが、自分達にとってかけがえのない何かだったはずだ。

だが、自分はおろか立香も心当たりは思い浮かばなかった。

 

「あれ? カドック、手が動いているよ!」

 

不意に、立香が驚きの声を上げた。

 

「え?」

 

咄嗟に左手を持ち上げてみる。

すると、今まで動かなかった左手の指が微かに動いていた。

恐る恐る力を込めると、指は手の平の中で丸くなり、爪の食い込む感覚が伝わってくる。

いつの間にか、左手の麻痺が治っていたのだ。それどころか、その光景を垣間見ている視界も良好だ。

指の動きも肌の色も、裸眼でハッキリと捉えることができる。目に光が戻っている。

まさかと思い、カドックは自らの内に意識を集中させてみた。

視えないメトロノームが刻むリズムに合わせて、体内の魔術回路を一つずつ励起させていく。

すると、やはり全ての回路が正常に機能していた。後遺症も何も残っていない。全て元通りになっている。

 

「すごいな! 奇跡だ!」

 

「あ、ああ……ああ……」

 

言葉が出なかった。

まだ魔術の道を捨てずに済む。

またギターが弾ける。

何より、アナスタシアの素顔をその眼で見ることができる。

喜びが泉のように込み上げてきた。

何故、こんな奇跡が起きたのかは分からなかったが、失った全てが戻ってきたのだ。

立香も喜んでくれているのか、小さな声で頷いていた。

 

「良かった……ああ、これで安心だ」

 

そう言った立香の声からは、覇気が感じられなかった。

緊張の糸が途切れたかのように、弱々しい囁きだった。

 

「ごめん、俺はここまでだから、後は……一人で行って……」

 

足を縺れさせた立香が倒れ込み、カドックは地面に投げ出された。

痛みが半身を襲うが、立香が最後まで庇ってくれたおかげで大したケガは追わなかった。

寧ろ、危険なのは立香の方だ。

彼の右手は真っ赤に腫れ上がり、手の甲が見るも無残に焼け爛れていたのだ。

そのケガの痛みと、ここまで自分を背負って歩いてきたこともあり、疲労がピークに達したのだ。

 

「藤丸!」

 

「はは……俺さ、始めて魔術を使ってみたんだ。令呪の魔力をさ、手に込めたまま……でも、うまく制御できなくてさ……」

 

「馬鹿野郎……素人が無茶をして……」

 

きっと魔力が血管を焼いてしまったのだろう。

礼装の力を借りなければ魔力の生成もできない素人が、無理に魔術を使おうとしたからだ。

 

「うん……俺、魔術師は向いていないや」

 

「そうだな、お前は向いていない」

 

彼のように優しい人間は、魔術の世界にいるべきではない。

彼に相応しい、生きるべき場所はここではないのだ。

なのに、戦えるのが自分達しかいないからという理由で彼はグランドオーダーを引き受けた。

マシュを放っておけなかったから、場違いな戦場で常に虚勢を張り続けていた。

今更ながら、その痛ましさが胸を打つ。

彼をこんなところに置いていく訳にはいかない。

何としてでも、彼を元の日常に戻さなければならない。

 

「帰るぞ……立香」

 

決して小さくはない友人の体を担ぎ、カドックは魔術回路を励起させて崩れ行く時間神殿を駆け抜けた。

急がなければならない。

ゲーティアが消えた今、時間神殿はいつ消え去ってもおかしくはない。

モタモタしていたら、二人とも虚数の海に落ちて二度と生きては帰れなくなる。

 

『よし、繋がった! 二人とも無事だね! レイシフト地点まで、早く! 崩壊に巻き込まれる前に脱出するぞ!』

 

早口でまくし立てながら、ダ・ヴィンチが通信越しにルートを指示してくる。

地面の揺れはどんどん酷くなり、あちこちに亀裂が走っていた。

それらを迂回し、時には飛び越えながら最短で出口を目指す。

ケガや視力が治っていた奇跡に感謝した。でなければ、立香を連れて走る事などできなかったからだ。

自分は無神論者だが、今だけは神を信じて良いかもしれない。

運命の全てが、自分達を生かそうと回り始めている気さえした。

 

(もう少しだ……もう少し……!)

 

階段を駆け上り、人ひとりがギリギリ走れるほどにまで狭まった通路を駆け抜ける。

最初に降り立った第一の拠点を超えた。

後はこの小さな足場を飛び移り、レイシフト地点へと飛び込めばいい。

それでこの時間神殿から脱出できる。

そう思った刹那、踏み切った足場が壊れてバランスを崩してしまう。

 

「っ……!」

 

落下減衰の魔術を用いて何とか姿勢を直し、次の足場に着地する。

そこから先はもう足場がなかった。

バランスを崩した事で飛距離を稼げず、目的の足場に着地できなかったのだ。

ここからレイシフト地点を目指すためには、どうしても助走が必要だ。しかし、人がひとり立てるだけの足場では、いくら強化の魔術を用いたところでそれも叶わない。

 

(やれるか?)

 

思いっきり飛び上がって、手を伸ばせば崖の縁に捕まることができるだろうか。

考えている時間はなかった。カドックはダメもとで両足に魔力を集中し、呼吸を整える。

直後、音を立てて足場が崩れ去った。

跳躍したカドックが降り立てる場所はもう存在しない。

ほんの僅かではあるが、地面に手が届かない。

 

「もう――少し、なのに……」

 

体が落下を始める。

重力に引かれた二つの体は、暗い虚数の海を目指して落ちてく。

ここまでなのかとカドックは歯噛みした。

恐怖はなく、ただ小さな悔しさが胸にあった。

少女の声が聞こえたのは、その時だった。

 

「まだです、手を伸ばして――!」

 

消えたはずのマシュが、そこにいた。

ゲーティアの第三宝具で焼き消されたはずのマシュが、崩れゆく崖の縁に捕まり、こちらに手を伸ばしていたのだ。

何故と問う暇はなかった。それよりも自分達が助かるかどうかが問題だ。

立香を担いでいたせいもあるのだろう。思っていたほどの距離を飛べていない。腕を伸ばしてもマシュの手を掴むことはできないだろう。

 

「マシュ、頼む!」

 

一か八か、カドックは自身が落ち切る前に担いでいた立香の体を投げ飛ばしていた。

驚愕したマシュが慌てて自分のマスターを受け止める姿が目に映る。

 

「カドックさん!」

 

マシュが叫ぶが、もうどうすることもできなかった。

人は空を飛べない。

手を伸ばしても届かず、どんな魔術を使っても落ち行く定めから逃れる術はない。

カドック・ゼムルプスの力では、この窮地を脱することができない。

ここに来て、もう何度目の絶望だろうか。いい加減、休ませて欲しいとさえ思った。

 

――――なら、諦めるのか?――――

 

不意にどこからか声が聞こえた。

聞き覚えのある声だったが、誰の声かは分からなかった。ただ、自分と同じ年頃の少年であるという根拠のない実感があった。

それは外からではなく、内側からの声だった。自分の内側から聞こえてきた声だった。

 

――――こんなはずじゃなかったと、今も思っているんだろ?――――

 

無念すら抱く、異なる可能性はそう告げた。異聞の言葉が諦めかけていたカドックの心に再び火を灯した。

 

(ああ、その通りだ。諦めてたまるか!)

 

――――なら、するべきことは決まっている。どだい凡人である僕達では出来る事は知れている。それでも何かを掴みたいって言うなら……――――

 

(そうだ、自分の手が届かないのなら――)

 

右手の甲が目に入る。

三画の令呪を使い切り、薄い跡だけ残っている。

魔力のパスは断たれていた。

自分と違い、アナスタシアはゲーティアに焼かれて消滅し、カルデアに帰還したのだ。

その際に契約も切れてしまっている。

だが、縁はある。

自分と彼女の繋がりは、この程度のことで断ち切られたりはしない。

あの炎の街で運命的な出会いを果たしたのだ。

億分の一、或いはそれ以上の確立で出会うことができたのだ。

その運命を信じられるのなら、自分達は何度だって繋がることができるはずだ。

 

「――君の方から手を伸ばせ――――アナスタシア(キャスター)!」

 

右手の甲に光が走る。

血のように赤い三画の令呪。その内の一画が霧散し、因果律を捻じ曲げて彼方より彼女の手は伸ばされた。

 

「カドック、手を!」

 

「アナスタシア!」

 

崖にぶら下がったヴィイに支えられたアナスタシアの手を、しっかりと握り締める。

強かに体を崖にぶつけてしまったが、痛みは感じなかった。感じている余裕もなかった。

またアナスタシアの手を掴むことができた。彼女と出会うことができた。その喜びが全ての痛みを消し飛ばした。

 

『カルデアにいるサーヴァントと遠隔契約だって!? しかも、レイシフトしたのか? こちらは何もしていないぞ!? 奇跡か!? いいや、語るのは野暮だ! みんな急いで出口に飛び込め!』

 

驚愕するダ・ヴィンチの声が聞こえた。

引き上げられると、出口はすぐ目の前にあった。

既に時間神殿は幾つかの破片を残すのみとなっており、この出入口がある崖もほんの少しの足場を残すのみとなっていた。

完全な崩壊まで後、数秒もないだろう。

アナスタシアに手を引かれて立ち上がったカドックは、隣で同じく手を繋いでいる立香とマシュに目をやった。

 

「さあ、帰ろう」

 

そして、彼らの意識は光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

2016年12月30日。

その日の深夜、カドックと立香はカルデアの医務室でほぼ同時に目を覚ました。

マシュの話では、時間神殿からの帰還後、丸一日近く眠っていたらしい。

知らせを受けてやって来たダ・ヴィンチによると、カルデアは無事に通常空間に戻ることができたらしい。

施設の六割は破壊されてしまったが、とりあえず施設内の環境維持は問題がなく、外部との通信も少し前に繋がったとの事だ。

それが意味することは一つ。ゲーティアの消滅により、人理焼却が棄却されたのだ。

だが、それは全てが元通りという訳ではない。

冷凍保存されているマスター四十六名は、時間をかければ蘇生できるだろうが、レフ・ライノールによる爆破工作で失われた二百名余りと、時間神殿から戻ってこなかった彼ももうこの世にはいない。

また、カルデアの外では、一年以上も知性活動が停止していた状態になっており、世界中がちょっとした騒ぎを起こしているらしい。

その原因と経緯を調べるために、魔術協会からも使節団が派遣されるとも言っていた。

しばらくの間、事後処理は尾が引くだろう。

マスターである自分達がカルデアから解放されるのは、もう少し先のことになりそうだ。

そして、一夜が明けた12月31日。カドックはダ・ヴィンチからの言伝を立香とマシュに伝えると、今はもう主がいない医務室を一人で訪れた。

 

「ここには世話になったな」

 

何度もケガをして運び込まれ、その度にロマニから小言を貰った。

あのお調子者で弱気な司令官代理はもういない。

主がいなくなったこの医務室は、とりあえずカドックが仮の管理者として利用する手筈になっていた。

 

「ここにいたのね、カドック」

 

扉が開き、アナスタシアが入ってくる。

 

「ダ・ヴィンチからの頼まれ事、マシュ達に丸投げしたのね」

 

「何だ、知っていたのか」

 

先ほど、立香達に伝えたのはダ・ヴィンチから渡された観測機械をカルデアの外に運び出すという仕事についてだった。

いつもは激しい吹雪に囲まれているカルデアではあるが、時々ではあるが吹雪が止んで青空が顔を覗かせることがある。

今日がたまたま、その日であり、ダ・ヴィンチは人理焼却から守り抜いた世界を自分達に見せようと気を利かせてきたのだ。

 

「マシュにとっては初めての青空だ。せめて、二人っきりにしてやらないとな」

 

「損な人。私も見たかったのに」

 

「行けば良いだろ」

 

「あなたがいなくちゃ、意味がありません」

 

頬を膨らませながら、アナスタシアは椅子を持ってきて隣に座り込む。

 

「マシュの体は、どうなっていました?」

 

「健康そのものだ。デミ・サーヴァントとしての力は眠っているようだが、それ以外は至って正常だ」

 

ダ・ヴィンチ主導で精密検査を行ったが、如何なる奇跡によるものかマシュの不調は完全に取り除かれていた。

より詳しい検査結果は細胞の培養などを待たなければならないが、寿命も延びている可能性が高い。

それは、彼女が人並みな生活を送れるようになるかもしれないことを意味していた。

 

「とはいえ世界で例のないデミ・サーヴァントだ。今後の扱いは慎重になるだろうな。それに、立香のこともある」

 

扱いのデリケートさでいえば、寧ろこちらの方が厄介だ。

権謀渦巻く魔術の世界に現れた平凡な一般人。ロクな支援も受けられないまま、多くの特異点を修正し、その時代で数多くの英霊達と交流を深め、遂には人理焼却という未曽有の事件を解決した立役者を、魔術協会は放っておかないだろう。

政治抗争に巻き込まれ、最悪の場合は命の危険すら危ぶまれる。そうでなくとも彼の人生を大いに狂わせることになるだろう。

カドックはそれを見過ごす訳にはいかなかった。

既に何人かのスタッフには働きかけており、藤丸立香に関する情報の修正は始まっている。

グランドオーダーにおいてカルデアのバックアップは万全であり、また戦いの矢面に立っていたのは常にカドック・ゼムルプスである。藤丸立香はあくまで補欠として待機し前線には出なかったと、記録を書き換えるのだ。

こうすることで、彼の人生を守ることができる。その功績を奪ってしまうことは心苦しいが、躊躇はなかった。魔術師らしく、姑息な隠蔽を行うのだ。

 

「ドクターが、自分の大切な十一年を賭して守った未来なんだ。二人には…………その未来を自分の目で見て欲しい」

 

人間になった時に視てしまった人類の終わりを回避するため、逃げるように、悲鳴を上げながら走り続けた男がいることを自分は忘れない。

浪漫なんてどこにもない、地獄のような自由は確かに報われたことを、自分は忘れない。

人間になりたかったという彼の願いは叶わなかったかもしれないが、せめて彼が守り通したものは先へと進めたい。

彼が愛した自由を、浪漫を繋ぐために。

そのために何ができるかはまだ分からない。ひょっとしたら、出来る事などないのかもしれない。

それならばそれで、何年かかろうとも見つけ出してみせるつもりだ。グランドオーダーに次ぐ新たな目標。自分達が救った世界で、いったい何ができるのかを。

 

「ねえ、あなたにとってグランドオーダーの旅は、どのようなものでした?」

 

互いの手を重ねながら、アナスタシアが聞いてくる。

吐息がすぐそこに感じられ、反射的に体を強張らせるが、すぐに緊張を解いて彼女にされるがままに任せた。

 

「辛いことも多かったけれど、今は感謝しか浮かばない。君と出会えた、あいつらとも出会えた……多くの人に出会い、多くの人に励まされて、僕は自分の気持ちに決着をつけることができた」

 

未来への不安も、悲嘆も、全ては希望の裏返し。

自身の境遇を嘆くだけの日々は終わりを迎えた。

人類は未来へと進む。地平の先へ、その更なる先へ。それこそが人類の基本原則(オーダー)

まだ見ぬ地平を目指して歩き続ける過酷な旅路は、決して孤独ではない。

伸ばした手は必ず誰かと繋がる。

そして、思いが変われば世界も変わる。

淀んで見えていた暗い世界はもうどこにもない。

息をするのも苦痛でしかなかった世界は、今のカドックにとってとても輝かしい宝石のような光を放っていた。

さあ、歩き出そう。

2017年はもうすぐそこだ。

新たな奇跡、新しい冒険が自分達を待っている。

自分達ならばどこまでもいける。

二人は互いに重なり合ったまま、まだ見ぬ浪漫に思いを馳せるのであった。

 

 

 

A.D.2016 冠位時間神殿ソロモン

人理定礎値:--

人理修復(Grand Order Complete)




この展開に関しては賛否は覚悟で書いたつもりです。
思いついた時はこれだと思っても、いざ文章に起こすとなかなか難しいものです。

これにてグランドオーダーは完了。
カドックの旅路はとりあえずの終点に辿り着きました。
次回からエピローグ編に入ります。
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