Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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終幕の物語 -星詠みの旅立ち-

2017年12月28日。

ゴルドルフ新所長が新たなカルデアスタッフと共に来訪し、旧スタッフからの引き継ぎ業務が行われている最中、カドックは小さな旅行鞄を手にした立香と共にエントランスへと向かう通路を歩いていた。

引き継ぎのために残ったダ・ヴィンチを除いた全ての英霊達が退去したこともあり、今まで賑やかだった施設内も今でも閑散とした雰囲気に包まれている。

つい最近までナーサリーライムやジャック・ザ・リッパーが駆け回り、エリザベート達が騒動を起こしていたというのに、まるでそれが遠い昔の出来事のように感じられた。

瞼を閉じればその光景がまざまざと蘇ってくると共に、それが実は自分が見ていた長い夢であったと言われても思わず納得してしまいそうになるほど、賑やかで現実味のない日々の連続であった。

 

「すっかり、寂しくなったね」

 

「そうだな」

 

何気ない立香の呟きに、カドックは返事をする。

立香もまた、これからカルデアを去る事になっている。本来ならそう気軽に出入りができるような立地ではないが、幸いなことに数十分後には天気も一時的に晴れるらしく、その時ならばヘリコプターが飛ばすことができる。

それを逃がせば一ヵ月単位で帰国が遅れることになるため、退去を告げられた立香は大慌てで荷物を整理して部屋を飛び出す羽目となった。

手にした鞄の中身はここを訪れる際に所持していた私物と、持ち出しを許可された幾つかの小物類。曰く、着の身着のままでやって来たので、衣類すら支給品で賄っていたらしい。

残念ながら英霊達から貰った贈り物はそのほとんどが持ち出し不可の扱いとして取り上げられてしまったとの事だった。

それを聞いたカドックは、仮にも人類史を救った人間に対して何て仕打ちだと憤慨した。補欠扱いとはいえ、グランドオーダーに携わったマスターだ。彼がどんな気持ちで人理焼却に臨んでいたか、知りもしないでよく命じれたものである。

だが、残念ながらカドックや立香にはその命令に対する拒否権を持ち合わせていなかった。

 

「もうちょっといられるかと思っていたんだけど、新所長の命令じゃ仕方ないよね」

 

「高慢ちきな癖に、律義な性格みたいだからな」

 

「そうそう。『未熟なマスターなど私のカルデアには不要だ。何、二年以上も実家に帰っていない? 急いで帰国の用意をしなさい、親御さんも心配しているだろう』、だってさ」

 

「……似ているな」

 

立香の新所長の物まねを見て、カドックはため息を一つ吐きながら称賛した。特に後半の言葉から滲み出る生来の人の好さなど、彼は本当によく見ている。

 

「Aチームのみんなとも、できれば会っておきたかったんだけどな」

 

仮死状態で凍結されていた四十六人のマスター候補者達は、レムナントオーダーと並行して状態の軽いものから蘇生処置を施され、順次カルデアを退去していっている。

だが、爆発の中心部にいたAチームのメンバーだけは肉体の損傷が酷く、今日まで凍結は続けられてきた。とはいえ、それもそう遠くない内に終わるだろう。

新所長と同行してきた医師団とダ・ヴィンチが現在、六人を蘇生させるための手術を行っている。

近日中には懐かしい顔触れと再会できることだろう。

 

「あー……まあ、半分くらいはお前とも気が合うだろうな」

 

カドックは思い浮かんだAチームのメンバーの内、何人かの顔に妄想のバツ印を付けて回った。

もっとも、それは考えても仕方がないことだろう。彼らと立香の人生が交わる事は恐らくない。

彼らは再び各々が生きるべき世界へと戻り、立香は魔術とは無縁の故郷に帰る。互いがその境界線を意図的に跨ごうとしない限り、出会うことはないだろう。

 

「もし、日本に来ることがあったら、色々なところ案内するよ」

 

「そうか? なら、幾つかリストを上げておくよ。それと、後で送りたいものがあるから、実家に帰ったら連絡が欲しい」

 

「分かった。あ、でもカドックって魔術師だよね? 連絡手段って、やっぱり手紙? 家に電話があるなら番号を……」

 

カドックが懐からあるものを取り出すと、立香は意外そうな顔を浮かべて言葉を失った。

彼が目にしたものは、手の平に収まる板状の端末。現代人ならほとんどの者が馴染みのある連絡手段。即ち携帯電話と呼ばれる器具だった。

 

「え、ええ!?」

 

「魔術師だからって甘く見るな。僕だってこれくらいは持っている。ライブのチケットもこれで買うんだ」

 

どんなに忙しくてもクリック一つで予約が取れる、便利な世の中になったものだ。

しかもカメラや照明としても使えるので、魔術の実験の際にも色々と役に立つ。

そう立香に説明すると、彼は呆気に取られた顔を浮かべた後、肩を震わせて笑い声を上げた。

釣られてカドックも笑みを零し、互いの連絡先を交換する。

海を隔てて遠く離れることになるが、こんな形で繋がりが残るとは思ってもみなかったと、立香は感慨深げに呟いた。

 

「ミスター・藤丸。ヘリの用意ができています」

 

エントランスの扉が開き、搭乗員が立香を呼びに来る。どうやら、別れの時間が来たようだ。

ふと二人は、ここにはいないもう一人の友人の顔を思い浮かべて寂しさを覚える。

マシュ・キリエライト。立香のパートナーであり、大切な仲間だった少女。

彼女の姿がここにはない。何故なら、彼女はもうカルデアにはいないのだから。

 

「マシュにも……ここにいて欲しかったな」

 

「立香、マシュのことは……」

 

「良いんだ……彼女の事は、仕方がないことなんだ……」

 

寂しさを振り払うように立香は顔を振ると、改めて鞄を持ち直した。そして、こちらに向き直って右手を差し出し握手を求めてくる。

 

「それじゃ、元気で」

 

「……ああ。僕がいないからって無理はするなよ、後輩」

 

「君こそ、立派な魔術師になれよ、先輩」

 

立香の手を固く握りしめた後、カドックは空いている手で親友の肩を強く叩く。

照れ臭そうに笑った立香は、そのまま手を振ってエントランスを進んでいく。

その後ろ姿が見えなくなるまで、カドックはずっとその場で親友の旅立ちを見送っていた。

言いようのない寂しさが込み上げてくる。

別れとは、側にいて当たり前の存在が目の前から消える事である。自分の中から大切だった者の存在が欠けてしまう様は、耐え難い辛苦を呼び起こす。

それはまるで葬送のようであると、カドックは心の中で述懐した。

死が永遠の別れなのだとすれば、さよならはしばしの別れ。相手の人生から消えることは少しの間、死ぬ事と同義なのだろう。

静かな余韻に浸りながら、カドックはいつまでも親友が消えた扉を見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

そして、2018年が訪れた。

引き継ぎを終えたダ・ヴィンチも英霊の座へと退去し、旧体制のスタッフもカドックを除いた全員がカルデアを去った。

ほんの数日前には蘇生されたばかりのAチームの面々が医務室を占拠していたのだが、既に彼らもここにはいない。

オフェリアは生家に呼び戻され、ペペロンチーノは気持ちを切り替えるためにインドに向かうと言ってカルデアを去っていった。デイビットも宛てはないから途中まで同行すると言って彼と一緒に旅立っていった。

ベリルは時計塔の当主(ロード)の命令を受けた魔術師が拘束し、時計塔へと連れていかれた。噂ではどこかに幽閉されているらしい。

一方、芥ヒナコは蘇生処置を受けたその日の内にいつの間にか行方を眩ませていた。伝言はおろか私物もそのままの状態で、痕跡一つ残さず消え去ってしまったのだ。

後で分かった事だが、芥ヒナコなる人物は時計塔には存在しないらしく、自分達が知る彼女の経歴は全てがフェイクである可能性が高いらしい。

国連はレフ・ライノールとの共犯の線も疑い、行方を追っているそうだが、魔術師ですらない連中が彼女を捕らえる事は恐らく不可能であろう。

彼女が何を思い、何を考えてカルデアにいたのか、それを知る術はもうないのだ。

そして、キリシュタリアも新たな道を踏み出した。

唯一人、カルデアに残り続けていたカドックも、この後に待つ最後の仕事を終えればここを去る事になっている。

帰国の申請を出してから一向に音沙汰がなく、このままずっとカルデアで過ごさねばならないのかと諦めかけていた矢先の事だった。

何故、急に申請が通ったのかは分からない。或いはこれから会う男が何か関係しているのかもしれない。

そう、最後の仕事とは、かつて同じチームに属していた男との面談であった。

するべき事もなく、研究と音楽に没頭していたカドックは、最後に話がしたいとその男に呼び出されたのだ。

 

「待っていたよ、カドック・ゼムルプス」

 

机を挟んで向かい合ったソファに座る金髪の男が、やや高圧的な態度でこちらを見やる。

キリシュタリア・ヴォーダイム。ヴォーダイム家の若き当主にして天体科の首席。そしてAチームのリーダーだった男だ。

いわば人理修復に最も近い位置にいた人物であり、覆しようのない血統の差を間近で見せつけられていたこともあって、カドックは彼を特に苦手としていた。

一方でキリシュタリア自身は貴族らしい優雅さと度量の深さを併せ持っており、Aチームの面々を等しく評価しているように思えた。かつてのカドックは、それは才能ある者の余裕と断じていつも目線を逸らしていたのだが、いざ顔を合わせることとなった今、その時に抱いていた感情が再び湧き上がることはなかった。

とはいえ、苦手意識自体が消えた訳ではないし、Aチーム時代は最低限の交流しか持たなかったことも事実だ。どのように接すれば良いのか分からなかったカドックは、力を抜いて普段通りでいくことにした。

 

「何の用だ、ヴォーダイム経営顧問」

 

そう、キリシュタリアは現在、カルデアの経営顧問という立場にいる。

昨年末に仮死状態から蘇生し、コフィンから解放されたキリシュタリアは快調するなりゴルドルフ新所長に取り入り、彼の部下としてカルデアに残れるよう自身を売り込んだのである。

彼は千年続くヴォーダイム家の当主。時計塔での未来は約束されているも同然であり、わざわざ自分よりも位階の低い者に取り入るなど、何か裏があると考えるのが普通だ。

だが、残念ながらゴルドルフ新所長は法政科出身でありながら致命的なまでに腹芸が出来ない人物であった。

疑り深い癖にもっともらしい事を述べられると鵜呑みにしてしまう悪い癖がある。加えてヴォーダイム家に貸しを作っておけば今後の役に立つかもしれないという打算もあり、あれよあれよという間に話が進んでキリシュタリアは現在のポストについてしまったのだ。

 

「まずは開位への昇格、おめでとう」

 

「おべっかは止せ、僕には荷が重い称号だ」

 

人理修復という大偉業を成し遂げた魔術師。当然、その扱いは時計塔でも大いに揉めた。

正当に評価すべきという意見もあれば、歴史の浅い家系には分不相応であるという意見もあった。実家の方にも派閥に取り込もうとする働きかけがあったらしい。

最終的に開位が付与されることとなったのだが、カドック自身からすればこの称号は立香の方こそ相応しいと思っているため、内心では非常に複雑な気持ちであった。

 

「それより、何の用なんだヴォーダイム?」

 

「ふむ、用がなければ友を呼んではいけないのかな?」

 

「僕とお前がか?」

 

「少なくとも、私はそう思っている。良い茶葉があるんだ、一杯ぐらいはどうかな?」

 

「……もらおう」

 

正直に述べるのなら、狼が徘徊する夜の森をうろついている気分だった。

相手の出方がまるで予想できない。キリシュタリアが何を考えているのかが分からず、どのような態度を取ればいいのかが分からないのだ。

本当に無駄話をしたいだけなのか、時計塔の連中のように自分に取り入ろうとしているのか、それとも全く別の理由からなのか、それが分からないのでとても居心地が悪い。

その緊張が向こうにも伝わったのだろう。最初の数分間は互いの出方を伺うかのように、どちらも沈黙を保っていた。

先に口火を切ったのは、キリシュタリアの方であった。

 

「報告書を読ませてもらったよ」

 

カップを持ち上げた手が僅かに震えた。

一瞬、書類の改竄に気づかれたのかと身を固くする。

自分達にとって都合が良いように解釈する時計塔の堅物どもとは違い、キリシュタリアは聡明だ。

もっともらしい事を書き連ねたつもりでも、やはり自分のような血統の浅い魔術師の出が人類悪を打倒したという内容に疑問を持ったのだろう。

そこまではいい。問題なのはある二つの改竄に気づかれたのかどうかだ。

藤丸立香はあくまで補欠であり、自分のサポートに終始していたという事。そして、もう一つの事に気づかれてさえいなければ、しらを切りとおせる。

 

「君の成し遂げた偉業、友人として鼻が高いよ」

 

「本心からの言葉か、それは?」

 

「ふっ、ならこう言って欲しいのかな? よくできた物語だと」

 

「…………」

 

溶かした鉛を流し込まれたかのように、腹の底がチリチリと痛んだ。

キリシュタリアの姿勢はどこまでも友好的だ。だというのにこの威圧感はなんだ。

千年という血統の重みなのか、それとも彼自身が秘めた才能への嫉妬によるものなのか、まるで怪物を相手にしているかのような気持ちだった。

何と答えるべきなのか、ほんの一瞬だけ目を泳がせてしまう。

跳ね上がる鼓動。時間をかければ不審がられると思えば思うほど焦りが増した。

 

「……冗談だ。見事なものだと称賛しよう、カドック。偽りのない本心だ」

 

「そ、そうか……」

 

「ああ。だからこそ、私は君の友人として依頼したい。どうかカルデアに残ってはくれまいか?」

 

その言葉に、カドックは目を丸くする。

何故という疑問が湧くのは当然だ。

ここは既にムジーク家の私的研究機関。国連からもレイシフトの使用は禁止されており、自分のような魔術師に居場所などない。

いや、そもそもキリシュタリアがここに残ること自体がおかしなことなのだ。

研究機関としては魔術協会に勝る場所はない。多くの霊地を押さえ、様々な資料を保管している時計塔ならば派閥争いにさえ順応できれば思い思いの研究が行える。故に有能で狡猾な魔術師ほど時計塔の地位に固執する。

だが、カルデアのような僻地にも僅かではあるがメリットは存在する。それは魔術協会の目が届きにくいということだ。

わざわざそんな場所で研究を続ける理由は決して多くはない。

派閥争いに疲れた者、封印指定を受けて身を隠さなければならなくなった者、そして――その研究自体が協会にとって無視できないものであること。

 

「何をしようとしているんだ、ヴォーダイム?」

 

自分が今、向かい合っているのはただの人間のはずだ。なのに、この緊張感はなんなのだろうか。

冷徹でありながらも慈愛に満ちた瞳。それがまるで狂気の炎に揺れているように見えてならない。

キリシュタリアが何を考えているのか、何をしようとしているのかがサッパリ分からない。

故に、馬鹿正直に聞き返すことしかできなかった。

 

「アニムスフィア……いや、マリスビリーの遺志を継ぐ。彼の研究の先にあるものを私が立証する」

 

「何のために?」

 

「無論、人類史を保障するためだ。そして、その為にはレイシフト適性を持つ者の協力が欲しい」

 

「レイシフトは国連から禁じられている」

 

「レイシフトが禁じられただけだ。今は無理でも歴史の観測と干渉の為の方法は必ず確立する」

 

そう言い切るキリシュタリアの瞳には、煮え滾る程の強い熱量を秘めていた。

何を犠牲にしてでも目的を成すという鋼の意思と、深い人類愛を感じ取ることができた。

 

「どうして僕なんだ? 有能な奴なら――」

 

言いかけて、言葉を切る。

Aチームは既に解散している。オフェリアやベリルはしがらみもあって容易に招く事はできず、ペペロンチーノとデイビットも既にカルデアを去ってしまった。ヒナコなど以ての外だろう。

未だカルデアに残っていて、キリシュタリアが協力を仰げるレイシフト適性者は自分だけなのだ。

 

「……一つ、聞かせて欲しい」

 

「なんだね?」

 

「僕は人理修復を成したマスターだ。時計塔の連中にとっては扱いに困る爆弾みたいなものだろう。彼らにとって都合がいいのは、このままカルデアで飼殺すことだ」

 

「そうだろうね」

 

「なのに、僕に帰国の許可が下りた。カルデアを出ても良いと認められたんだ…………お前が、手を回したんだな?」

 

「さて、何のことかな」

 

感情の籠らない、超然とした態度のままキリシュタリアは答える。

恐らくは嘘をついていると、カドックは見抜いていた。

彼はきっと、自分が何と答えるのか既に想像はついている。その上で敢えて聞いてきているのだ。共に仕事をしないかと。

このままカルデアに残り、自分の研究を手伝わないかと。

気に入らないと、カドックは内心で苛立ちを覚えた。

才能がないと卑下していた自分に残された唯一の素質、レイシフト適性。それを活かせる場所で働かないかと、甘い言葉で囁いてくる。

それでいて逃げ道を用意し、こちらの意思を試しているのだ。新所長や時計塔に手を回し、帰国の許可を出させたのだ。恐らくは選択肢を敢えて残す事で、自分でその道を選んだのだと納得させるために。

その全てを己の手の平の上で転がしているかのような、高慢な態度が気に入らなかった。だが、同時に彼の誘いは酷く魅力的に聞こえた。

帰国したところで待っているのはくだらない政争と足の引っ張り合いだ。加えてアナスタシアと別れてからというもの、どうにも魔術の鍛錬に身が入らない。グランドオーダーに賭けていた熱意がすっかり冷め切ってしまったのだ。

このまま悪戯に時間を浪費しても、進むべき道なんて見い出せそうにない。なら、いっそのこと考えるのを止めて誰かに従ってみれば、何か新しいものが見えてくるかもしれない。

キリシュタリアが成そうとしていることは、グランドオーダーに勝るとも劣らない大偉業となるだろう。やりがいはありそうだ。

 

「……悪いが、僕はここを出ていく」

 

だからこそ、彼の誘いを断った。

彼の誘いが嬉しくないことはないし、思い出が詰まったカルデアから去りたくないという思いがない訳ではない。だが、それは歩みを止める事だ。ここに留まる事は、自分が今日まで育んだものをどこにも進ませずに腐らせていくことになりかねない。

あれは誰に言った言葉なのか、今となっては思い出すことはできないが、魔術師とは進み続ける生き物だ。未来への進歩かもしれない、過去への退化かもしれない。何れにしても魔術師は歩みだけは決して止めず進み続けるものだ。

ここに居続ければ、きっと自分は腐ってしまう。それだけは決して認める訳にはいかない。今はもういない皇女に合わせる顔がない。

だから、カドック・ゼムルプスはカルデアを去るべきなのだ。

 

「意思は固いようだね」

 

「お前のことだ、僕なんかいなくても問題ないだろう」

 

「さて、君は少々、私を買い被りすぎているかもしれないな」

 

初めてキリシュタリアは笑顔を見せた。ほんの少し、口角を釣り上げただけの小さな笑み。

失礼ながらも、カドックはこの男も笑うことがあるのだと驚かずにはいられなかった。

一年以上も側にいながら、初めて彼の等身大の姿を垣間見たような気がした。

 

「引き留めて悪かった。少しばかり、君に嫉妬していたのだろう。だから、手元に置いておきたかったのかもしれないな」

 

「ふん、誉め言葉として受け取っておく」

 

「ああ、そうしてくれたまえ」

 

どちらからというでなく、互いにカップへと手を伸ばす。

少しばかり冷めてしまった紅茶は、ほんの少し苦みが強かった。

 

「そういえば、マシュ・キリエライトの事だが……彼女を失ったのは手痛い損失だ」

 

「……僕からは言う事はない。僕じゃ彼女の支えにすらなれなかったんだ」

 

「ああ……本当に、惜しい人を亡くした。まさか、もうこの世にいないとは……同じチームの仲間として、冥福を祈らずにいられない」

 

キリシュタリアの言葉を受けても、もう指は震えなかった。

心が激しく動いていても、氷のような理性でそれを御し、平静を装ったまま返事をすることができた。

そう、彼が言う通りもう彼女はこの世にいない。カルデアのマシュ・キリエライトという名の少女は、時間神殿での戦いの後に死亡した。

カドックは彼女の医療カルテにそう記していた。

 

 

 

 

 

 

窓の外から聞こえてくる車のクラクションと、往来を歩く人々の喧騒。そして、見上げた空は晴天の昼にも関わらず靄がかかったかのように暗かった。

見慣れたはずの光景、聞き慣れたはずの生活音。けれども、たった二年の不在は故郷を遠い世界へと追いやった。

ここは本当に、自分がいて良い場所なのかと、立香はつい自問してしまう。

今でも時々、カルデアでの騒々しい日々を夢に見るのだ。心のどこかで未練があるのだと自嘲せずにいられない。

もちろん、帰国できて嬉しいことはたくさんあった。

家族は自分の帰国を大いに喜んでくれたし、久しぶりに会った友人達とは話に花が咲いた。

それにここにはゲームセンターもファーストフード店も映画館もあるし、ナイター中継だって見れる。

何より命の心配をする必要はない。ワイバーンに襲われる事もなければ、大英雄に追いかけ回されることもない。

カルデアにいた頃よりもずっと、気楽に生きていくことができる。

それでも、心のどこかで思ってしまう。あの頃に戻れたらなと。

それはスリルを求めての事ではなく、ただ一人の少女への思慕であった。

マシュ・キリエライト。自分のサーヴァントだった少女。

カルデアからの退去が決まってから、帰国するまでほとんど時間がなく、彼女とは挨拶もできぬままカルデアを去る事になった。

彼女は元気にしているだろうか。

一応、カドックに連絡を取りたい旨をメールしておいたのだが、今のところ音沙汰はない。

新しい環境になって色々と忙しいのだろうが、このままもう会えないのかと思うと言いようのない寂しさが込み上げてきた。

 

(……ったく、考え過ぎだ!)

 

頬を叩き、弱気になっていた自分に喝を入れる。

昔を懐かしむのは勝手だが、それよりもやらねばならないことは多い。

どうやらカルデアからの根回しにより、自分は長期の海外ボランティアに参加していた事になっていたらしい。

人理焼却によって一年間は社会が機能を停止していたため、実質的には一年間の休学ということになる。

その遅れを取り戻すためにも、まずは目の前の勉学に勤しまねばならない。

 

(……けど、やる気出ないんだよなぁ)

 

元々、勉強には余り身が入る性質ではない。加えてカルデアから口止め料も込みでかなりの金額が給与として口座に振り込まれており、大学を出るくらいまでなら無理に働かなくとも十分な余裕もある。

娯楽にしたって楽しくない訳ではないが、騒々しい英霊達がいないと何か張り合いがない。いまいち熱意が湧いてこないのだ。

自分はそんな人間ではないと思っていたのだが、今の退屈な日常にどこか渇きを覚えているのは事実であった。

ふと机の端に目をやると、数日前にポストに投函されていた小包が目に入った。

送り主はカドック・ゼムルプス。消印は知らない街からだったが、どうやら彼はカルデアを離れて旅をしているらしい。

小包の中身は何十枚にも及ぶ写真の束であり、カルデアで過ごした思い出の断片であった。

機密のこともあるので写真や動画は全て削除されたのだが、どんな裏技を使ったのかカドックはそれを持ち出してわざわざ郵送してくれたのだ。

恐らく、別れ際に連絡が欲しいと言っていたのはこの事だったのだろう。

 

「懐かしいな」

 

手に取った写真を眺めていると、これまでの光景が脳裏に蘇ってくる。

その歌声で何度も騒動を起こしたエリザベート、溶岩を泳いで迫る三人の英霊達、悪巧み四天王。

地獄のようなハロウィン三部作、無人島でのサバイバル、サマーレース、チョコラミス、etc。

何故か思い浮かぶのは思い出したくな出来事ばかりだが、それでも大切な思い出には変わりない。変わりない、はずである。

 

「あれ?」

 

色々な行事の写真に混ざって、一枚の写真が入っていた。

忘れもしない。第七特異点を攻略した直後に倒れたマシュを介抱するため、医務室へと駆けこんだ後の事だ。

時間神殿へ乗り込む為にロマニ達は手が取れず、カドックが英霊達の力を借りて必死に延命を施していた際、自分はただ見ていることしかできなかった。

医療の知識なんてなく、魔術も使えない自分にできることは、痛みに苦しむマシュを励まし続けることだけだった。

カドックは、それはお前にしかできないことだと言ってくれたが、やはり心の奥では無力感に苛まれていた。

彼のように、もっと直接、手を差し伸べることはできないのだろうかと。

無力であることを卑下にしたことはなかったが、その時ばかりは自分の力のなさを嘆いていた。

そうして、長時間に及ぶ治療がひと段落すると、緊張の糸が途切れた自分は気を失ってしまったらしい。

この写真は、恐らくその時に撮られたものだ。角度からして撮影したのはアナスタシアだろうか。

小さなフレームには、少しやつれたマシュが儚げな笑みを浮かべており、向かい合う位置にはアナスタシアがフレームの外へと手を伸ばしている。

そして、奥にいる二人の少年――疲れ果てて眠っている自分とカドックの顔には、これでもかという程、黒い化粧が施されていた。

 

「ぷっ……なんだよ、これ……やられた……」

 

猫の髭、頬の花丸、目の周りの星、額の肉。他にも様々な落書きが施されている。

よく見ると、写真に写っているベッドの上に黒の油性マジックが転がっていた。

マシュにはこんなことをする勇気はないだろうから、きっとアナスタシアが諭したのだろう。

書いたマジックの跡は恐らく、魔術か何かで消されたので気づけなかったのだ。

シュヴィブジックの名に恥じない、如何にも彼女らしい悪戯だと、立香は感心すらした。

だが、やがて頬を一筋の涙が伝っていた。

 

「……マシュ」

 

写真の向こうで小さな笑みを浮かべる少女。もう二度と会えないかもしれない彼女。

あの頃の騒々しい日々はもう戻ってはこない。そして、何よりも彼女に会えない事が一番辛かった。

戻りたい。

戻れない。

ずっと諦めずに歩き続け、グランドオーダーをも成し遂げた少年が今、初めて足踏みをした瞬間であった。

自分の中で想像以上にマシュ・キリエライトという少女の存在が大きくなっていた事に、藤丸立香は初めて気づくことができた。

玄関のインターホンが鳴る。

誰かが来たのだろうが、出る気にはなれなかった。今は誰とも会いたくはない。どうせ家族の誰かが出るだろう。

インターホンが鳴る。

隣の部屋から大きなテレビの音が聞こえてくる。気づいていないのだろうか。

インターホンが鳴る。

廊下を駆ける足音が聞こえてきた。だが、どういう訳か足音は玄関に向かわず、こちらに向かって来ている。

 

「立香、ちょっと手が放せないから代わりに出て!」

 

扉の向こうから同居している姉が声を張り上げる。

ここまで来たのなら、そのまま玄関に向かえと言い返してやりたかったが、この家での力関係は向こうの方が上だ。

立香は内心で毒づき、不承不承ながら散らかった自室をそのままにして玄関へと向かう。

その際、風に吹かれた一枚の写真が飛びあがり、裏返った事に彼は気づかなかった。

そこには少しばかり几帳面な筆跡で、四つの文字が記されていた。

「KAMR」。

それは親愛の印であり、離れていても絶ち切れない絆を表す永遠の誓い。

K(カドック)A(アナスタシア)M(マシュ)R(リツカ)

それは、四人の友情を表す秘密の合言葉であった。

 

「はーい、どちら様で……」

 

玄関の扉を開けた瞬間、立香は言葉を失った。

どうして、と小さな声を漏らす。

いるはずのない少女の姿を、会いたくて堪らなかった少女との再会を、脳が処理し切れずに軽いパニックを起こす。

それは世界が一変した瞬間であった。

灰色だった日常に、再び血潮が流れ出した瞬間であった。

 

「あの、今日からこのマンションに引っ越してきました!」

 

ほんの少し、緊張で上擦った声で目の前の少女は言う。

そのどこか懐かしい姿に、立香は愛おしさすら覚えていた。

ここへ来るために新調したのだろうか、見た事のないチェック模様のワンピースと薄手のパーカーを身に纏った彼女は、手に小さな旅行鞄を下げている。

ここまで走って来たのか、頬は少し赤みを帯びていた、吐き出す息も僅かに乱れていた。

もう一度、何故という疑問を思い浮かべる。そして、どうでもいいと思考を放棄する。

彼女とまた出会えた、それだけで満足だ。

その手をまた繋ぐことができる。それだけで十分だった。

この広い世界で彼女と出会えた偶然、その些細な幸せに感謝した。

 

「マシュ」

 

「はい! あなたの頼れる後輩! マシュ・キリエライトです! お久しぶりです、先輩!」

 

少年と少女は共に歩く。

マスターであった少年は、未だ無垢なる少女にまだ見ぬ世界を見せられる事を喜んだ。

サーヴァントであった少女は、敬愛する少年の側にいられる事に感謝した。

二人の物語はここで終わる。けれど、その歩みが止まる事はない。

どこまでもどこまでも、二人は共に歩き続けていくのだ。

それこそが、二人の細やかな願い(グランドオーダー)

その旅路に、どうか祝福あれと誰かが祈った。

 

 

 

 

 

 

立香から送られてきたメールを読み終えたカドックは、波に揺れる船の甲板で小さな笑みを漏らした。

どうやらプレゼントは無事に届いたようだ。メールには幸せそうに微笑むマシュと、家族らしい女性にからかわれている立香が写った写真が添付されていた。

 

(彼女はやっぱり、あいつの側にいるのが一番だろ、アナスタシア)

 

カルデアの記録によると、マシュは時間神殿で確かに消滅した。だが、如何なる奇跡によるものか彼女は五体満足の状態で生きており、しかも死にかけていた細胞組織も同年代の健康体と遜色ないレベルにまで回復していたのだ。

これなら十分に天寿を全うすることができるだろうと、ダ・ヴィンチも太鼓判を押していた。

だが、そうなると問題になるのはデミ・サーヴァントという彼女の立場だ。

能力は失われており、デミ・サーヴァントとして戦うことはもうできない彼女だが、アニムスフィア――引いてはカルデアの備品であったことに変わりはない。

彼女は生きている限り、その人生をカルデアという存在に縛られることになってしまう。

故に、カドックは不正を働いた。

ロマニのパソコンへアクセスする為のパスワードは他ならぬ本人から聞かされていたため、カルテの改竄は難しくはなかった。

彼女は時間神殿での戦いの後、デザイナーベビーとしての寿命を迎えて死亡したことになっている。

後はスタッフと口裏を合わせ、引き継ぎのごたごたに紛れてカルデアを退去するスタッフに彼女を連れ出してもらったのだ。

カドックが立香に連絡をするよう求めたのは、一足先に日本へと向かったマシュの潜伏先に立香の帰国を知らせるためだったのだ。

折りを見て会いに行こう。

花が芽吹く頃か、夏の日差しが増す頃か、或いはもっと先か。この指先のように冷たい雪が降り始める前に、親友が生まれ育った国を一度、この目で見よう。

 

「っ……」

 

徐に指を鳴らすと、手の平から吹き上がった冷気が氷の結晶を作り出し、陽光を反射してキラキラと輝きながら散っていく。

いつからか扱い易いと感じるようになった冷気の魔術。最近になって受けた検査によると、どうやら魔術回路が冷気の操作に特化する形へと変質していたらしい。

原因として考えられるのはアナスタシアとの契約だ。長期間に及ぶ英霊との契約が魔術回路に何らかの影響を及ぼしたのだろうとダ・ヴィンチは言っていた。

無論、才能と呼ぶにはあまりに弱い。属性が変わった訳ではなく、あくまで他の魔術より扱い易くなっただけだ。

カドックは、アナスタシアが自分のために力の一部を残していってくれたのだろうと考えていた。

覚悟はしていても別れは辛いもの。少しでも繋がりを残したいというどちらかの思いが互いの魔術回路に働きかけたのだろう。

 

「おや、お一人でご旅行ですか?」

 

杖を突いた白髪の紳士が帽子を上げる。身なりからして旅行者だろうか。

甲板のフェンスにもたれかかっていたカドックは居住まいを正し、同じように帽子を掲げて一礼した。

 

「ええ、長らく同じ場所に留まっていたので、色々なところに行ってみたくなりまして」

 

「ほう……若いのに感心だ。まずはどちらまで?」

 

「まずは…………フランスへ。オルレアンに行ってみようと……」

 

新しい力、新しい門出。

未だ自分に何が出来るのかは分からない。グランドオーダーで手に入れた思い、数多の英霊達から受け継いだ教えをどのようにして先へと進ませることができるのか。

この広い世界で自分などとてもちっぽけな存在だ。いや、人間自体がちっぽけな存在なのだろう。そこに魔術師もそうでないかも、才能の有無も関係ない。

誰もが自分にできることを精一杯にこなした果てに、次世代へと思いを託して死んでいく。それが人生というものだ。終わりが決められた出会いと別れの物語だ。

生家も時計塔も戻ってくるようにと命じてきたが、カドックは従うつもりはなかった。

あそこに戻るには、自分はまだまだ未熟だ。

もっと広い世界を目にして、自分がするべきことを見い出してからでなければ、きっと後悔することになるだろう。

 

(人類史の礎となった英霊達。彼らの足跡を辿れば、何かを見い出せるだろうか)

 

白髪の紳士と別れたカドックは、冷気を纏うようになった自らの手を見つめながら声に出すことなく述懐した。

ふと見上げると、抜けるような青空の下で二羽のカモメが飛んでいた。

互いに寄り添うように、庇い合うように、日差しと風に遮られながらも、遠い水平線に向けてまっすぐに飛んでいく。

カドックはその光景を見つめながら、再び呟いていた。

 

「祈っておこうかな、彼らの無事を……」

 

汽笛を鳴らしながら、船は大海原を進む。

一人となった少年は、眩しい陽光に目を細めながらこの先に待つであろうまだ見ぬ景色を幻視した。

 

 

 

 

 

 

そして、幕は落ちる。

少年と少女が出会い、別れるまでの軌跡。

歪な魂が嘆き、足掻き、もがき続けた先に掴んだものを証明する旅路。

これはそれだけの物語。

少年と少女が織りなす証明のための旅路であった。




これにて「星詠みの皇女」、本編は完結となります。
ただ、あともう一話だけ、エピローグが入ります。
それはある意味では蛇足で、自己満足的なものなので、事前に読み飛ばしてもいいようにここに記しておきます。

そして、この結末から分かる通り、二部はありません。
ヒナコ先輩すみませんと謝ります。弊カルデアで幸せに暮らしてください。

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