Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
#1 BBちゃんの逆襲 電子の海で会いましょう!
2015年、魔術王を名乗る獣により歴史が極端に歪められ、異常な時空間領域が発生し、人類が滅ぶ未来が確定した。
その災厄から唯一、生き残る事ができた極北の魔術機関は、異常をきたした世界の過去を観測し、その原因を除去することで特異点を消去し、人類史を安定させ正しい形に修復するための作戦を発令。
その名はグランドオーダー。そして、それを担う機関こそ国連直轄にして時計塔の
七つの特異点を巡る大きな旅路。世界の全て、時代の果てまで広がった聖杯戦争を潜り抜けた先に、彼らは遂に己の未来を取り戻した。
しかし、その残滓ともいうべき火種は未だ、歴史の陰に燻っており、予断を許さぬ状況であった。
グランドオーダー終了から五ヶ月。黄金週間を目前に控えた彼らを待ち受ける新たな事件は、刻一刻と迫りつつあった。
□
簡易の魔法陣の上に鎮座した塊に向けて、カドックは意識を集中させた。
お湯を注ぐようにゆっくりと、しかし、淀むことなく適確に魔力を端々まで浸透させていく。
まるで盆に乗せたガラスのコップを片手で運んでいるかのような気持ちだった。
繊細な手つきを要求されながらも、大胆に動かねば手先の震えが致命を呼び起こす。
気持ちを逸らせる焦りを必死の思いで押さえながら、静かに寝息を立てている狼の首に手を添えるつもりで、ただ静かに時が経つのを待った。
一秒。
二秒。
三秒。
四秒。
昨日までの記録を更新し、張り詰めていた緊張に僅かな緩みが生まれる。
口の端をほんの少しつり上げてしまったことに気づき、カドックは慌てて意識を集中し直すが遅かった。
忽ち、魔力のバランスが崩れて金属の塊に亀裂が走り、やがてガラスが砕けるかのように内側から破裂してバラバラに飛び散ってしまった。
「くそっ! アナスタシア、タイムは?」
「……二十秒ほどです。新記録ね、カドック」
「二十秒程度じゃまだまだだ。儀式に使うなら、せめて五分は保ってもらわないと」
不服そうに眉を顰めながら、カドックは散らばった破片へと目をやった。
黒ずんだ鈍色の金属片は、末端から少しずつ崩れていっている。それは世界からの修正力によるものだった。
彼が今、やっていたのは投影魔術の訓練である。
はっきり言って材料を用意してレプリカを作成した方が遥かにコストも安くつくため、本気で投影を極めたがる魔術師はそうそういない。せいぜい、儀式で足りない道具を間に合わせで用立てねばならない時に用いられるくらいだ。カドック自身も今まで、基礎を身に付けたくらいで使用する機会には巡り会わなかった。
だが、外部との交流が断たれた閉鎖空間であるカルデアでは、魔術の研究や儀式の際に何かしらの道具が必要になっても、時計塔にいた時のように容易には入手することはできない。なので、こうして投影魔術で代用するための訓練を始めているのだ。
「強化の魔術で長持ちさせようにも、ほとんど焼け石に水か。先にレプリカを組んでから被せる形で投影した方が成功率は高いんだが、それではコストが…………」
「ままならないものね。私からすれば、一瞬でも魔力で物を生み出せるなんて、魔法のように見えるのだけれど」
「キャスターのサーヴァントからそんな言葉が出るとは思わなかったよ」
「いっそ、厨房の赤い弓兵に教えを乞うてみたら?」
「彼が使う投影は一般的な投影魔術とは違うものだ。あれは彼にしかできないよ」
模造品しか作れない代わりに、決して劣化することなく永遠に残り続ける投影品。それを彼は大したことがないものと自嘲するのだから、最初の頃は内心で腹が立ったものだ。
それが彼自身の才能に寄るところが大きいだけに、余計に癪に障った。我ながらよく打ち解けられたものである。
ともかく、彼に教えを乞えない以上、こればかりは時間をかけて慣れていくしかないだろう。
「少し休憩にしようか」
ティータイムにはまだ早いが、脳に糖分を与えて一休みをしたい気分だった。確か、医務室に眠っていた東洋のお茶菓子がまだ残っていたはずだ。
「あら、私がしてあげるのに」
「いや、僕がやるよ。折角、治ったんだから使ってやらないと」
そう言って、カドックは自身の左手を振って見せる。
グランドオーダー中に負ったケガの後遺症で不自由になった左手は、今やすっかり元通りになっていた。
ダ・ヴィンチの調べでは異常はみられず、ギターも問題なく以前と同じように弾くことはできた。回復した視力と合わせて奇跡としか言い表しようがない事象である。
「何だか、最初に出会った頃よりも明るくなったわね」
「そうかな? まあ、色々あったし、何より――」
言葉の途中で被さる様に、警報が館内に鳴り響く。
弛緩していた空気が一気に引き締められ、二人は無言で視線を交わらせた後にすぐさま立ち上がった。
ハンガーラックからそれぞれの上着を引っ手繰り、半ば引っかけるように纏って自室を後にする。
「カドック、カバン」
「ありがとう」
礼装や触媒が入ったポーチを受け取り、施錠を確認してから管制室へと走る。
健常に戻ったこの体なら、走るのにも支障はない。あっという間に廊下を駆け抜け、喧騒が飛び交う管制室へと到着した。
「カドック!?」
「立香? 呼ばれたのか?」
扉が開く直前に、反対側の通路からから立香が駆け込んできた。向こうも急いで来たのか、肩で大きく息をしている。
「ううん、でも警報がなったから。また魔神柱かもって」
「それはまだ、分からない」
カドックの脳裏に、今年に入ってから起きたとある事件が思い起こされる。
魔術王が企んだ人理焼却は破却されたが、決戦の舞台となった時間神殿が崩壊する際に逃げ延びた者がいる。その魔術王――否、魔神柱の残党ともいうべき者達は人類史のどこかへと逃亡し潜伏しているのだ。
昨日に発生した亜種特異点。通称『新宿幻霊事件』においてカルデアは残党の一柱である魔神バアルと対峙した。ひょっとしたら、潜伏している魔神柱が何らかのアクションを起こし、それをシバが感知したのかもしれないと、立香は思っているようだ。
「とにかく、まずは司令官代理に事情を聞こう」
二人を促し、管制室の扉を潜る。忽ち、怒号のようなやり取りが耳をつんざいた。
「音声レベル、上げてください!」
「通信の状態は?」
「回線の状態微弱。長くは持ちません!」
決して多くはない職員達が、互いに叫びながらそれぞれに割り当てられた端末を操作してる。
余程の緊急事態なのか、部屋に入ってきたこちらに気づく者はいなかった。
聞こえてくる会話から察するに、どこかと通信を試みているのだろうか。
管制室に入ってから、大きな雑音がスピーカーから聞こえてきている。
「ダ・ヴィンチ」
「ああ、二人とも。すまない、緊急事態でね」
こちらが話しかけると、司令官代理のレオナルド・ダ・ヴィンチがいつもの笑顔を携えたまま、真剣な眼差しを向けてきた。
その傍らには、やはり緊張した面持ちのマシュが控えている。
「ノイズ除去、音声通信レベル最大! 通信入ります!」
職員の一人が声を張り上げる。程なくして、スピーカーから雑音に交じって何者かの呼びかけが聞こえてきた。
『―――S――――O――――S――――きこえ、ますか――――どうか――――拾って――――わからない――なんで、こんなコト、に――みんな――みんな、きえて、しまって――たす、けて――たすけて、だれか。みんな――みんな、データに、変換される――』
通信はそこで途切れてしまった。職員がこちらから呼びかけるも応答はなく、ただ雑音だけが空しく響くばかりであった。
「カルデアスの使用を許可しよう! シバで2017年のセラフィックスを観測!」
ダ・ヴィンチが口にしたセラフィックスという言葉が気になり、カドックは記憶を思い起こす。
確か、アニムスフィア家が個人で所有する海洋油田施設だ。北海に浮かぶ半潜水式のプラットフォームで百名以上のスタッフが常駐していると聞いたことがある。
国連の直轄とはいえカルデアの経営は基本的に火の車だ。そこでの採掘量がその年のカルデアの運営を決める重要な資金源にもなっているらしい。
「いや……こんな、まさか……こんなのおかしい、状況くらいは……そんな筈は……」
近未来観測レンズ・シバを操作していた女性職員が悲痛な声を上げる。
ここからでは表情までは分からないが、耳元まで蒼白しており酷く動揺しているのが読み取れた。
「落ち着いて、状況だけ正確に報告しなさい。憶測はその後だ」
ともすれば冷酷にも聞こえるダ・ヴィンチの冷静な声音が管制室に響き渡る。彼女の隣に座っていた男性職員も、彼に倣って落ち着くよう背中を擦っていた。
響き渡るサイレン。一拍の間を置いて、女性職員は恐る恐る口を開いた。
「ありません。セラフィックスそのものが見えないのです」
表示されたデータは、北海周辺の地図であった。本来ならばカルデアスには文明の火が灯っている。それが輝いているということは、そこに人の営みや文明の利器が存在することを意味しているのだ。
だが、彼女が呼び出したカルデアスのデータにはそれらしきものは見当たらない。施設は移動式なので必ずしも同じ場所に留まっている訳ではないが、それを考慮したとしても近隣の海域に痕跡すら見られない。
例えば事故か何かが起きれば、やはりその痕跡がカルデアスには残される。魔術的或いは超自然的な現象によるものならば時空間に揺らぎが起きるかもしれない。特異点が発生していることも十分に考えられる。しかし、そのどれもが見られないと彼女は言うのだ。
「まるで、セラフィックスの存在そのものが最初からなかったかのようです」
最後に、女性職員はそう言って唇を噛み締め、震える指先をきつく握りしめた。
すると、今度は通信を担当していた男性職員が立ち上がってダ・ヴィンチに話しかけてきた。
「ダ・ヴィンチ女史。確認が遅れたのですが、先ほどの通信は送信元が判明しません。我々が感知できない領域から届けられたものです!」
「それはつまり、送信者はこの世界には存在しない……そういうことになるね」
誰もがそれはありえないと思っていた。あれは確かにセラフィックスからのもので、助けを求めているからにはどこかに通信の主はいるはずだ。そして、ここにいるのはあの過酷なグランドオーダーを共に駆け抜けた仲間達だ。いい加減なことを口にするような輩は決していない。
認めたくはないが、今のカルデアではあの通信がどこから発せられたものなのか、突き止めることができないのだ。それはつまり、打つ手がないことを意味していた。
重い沈黙が管制室に圧し掛かる様に漂い始める。陽気な少女の声音がスピーカーから発せられたのは、正にその時であった。
『あー、テステス。マイクの感度はバッチリですか? バッチリ? ちゃんとカルデアに届いています? 無料アプリに盗聴アプリを仕込まれて、プライベートを丸裸にされていたぐらいバッチリ? オッケー、それならパーフェクトです』
突如として全てのディスプレイに何らかのローディング画面が表示される。職員が慌てて端末を操作するが、画面は一向に変わらず、同じ映像を映し出すばかり。管制室内。いや、カルデア内の全てのコンピューターが、何者かのハッキングによって一切の操作を受け付けなくなったのだ。
「正面ゲート、搬入通路の隔壁閉鎖! 外部への通信オールロック!」
「コードが常に書き換えられて解除が追い付かない。超A級のウィザードが仕掛けてきたのか!?」
成す術もなく頭を抱えることしかできない職員達。それを嘲笑うかのように、スピーカーの向こうにいるであろう少女は可愛らしくも元気いっぱいな掛け声を上げ、自らのショータイムの幕開けを宣言した。
『せーの! BB――――、チャンネル――――!』
それを見た瞬間の気持ちは、何と形容すればいいだろうか。
ローディング画面が切り替わり、舞い上がる桜のシルエットと共に表示された『BBチャンネル』のロゴ。次いで切り替わった画面に映し出されたのは、まるでニュース番組を彷彿とさせるような巨大なモニターが据えられた収録スタジオであった。
全体的にピンクで統一された意匠。特にモニターはひと際明るい色が使われているので直視した目が痛々しい。そして、そんな桃色の空間の中心で、元気よくポーズを決めていたのは、まだあどけなさの残る十代の少女であった。
肌はやや白みがかってはいるが、顔つきはどちらかというと立香と同じアジア圏の面影が強い。髪は青とも紫とも取れる不思議な色で、赤いリボンがチャームポイントになっていて幼さに拍車をかけている。
一方、黒衣に身を包んだ肢体はとても子どものものとは思えないアンバランスな妖艶さを携えており、特に巨大な二つの膨らみにはどうしても目がいってしまう。カメラの角度の関係でよく見えないが、スカートも非常に丈が短く大事な部分がほぼ丸出しになっていた。
そんな胡散臭さの化身のような少女が、にこやかな笑みを浮かべてこちらを見つめていたのだ。
『人類のみなさーん、相変わらずお間抜けな顔を晒していますかー? 突如襲われた蟻さんのように、アタフタしていますかー? していますねー? 何千年経っても進歩しないとか皆さんサイコー! これには邪悪なBBちゃんも思わず同情です! といっても、可哀想のベクトルではなく、情けないのベクトルなんですけどね?』
可愛らしい声音で物凄く上から目線の物言いだった。その様子は雰囲気こそ違うが、ステンノやエウリュアレを髣髴とさせた。
何となくではあるが、彼女はあの二人と同じく他人をからかって翻弄することに生き甲斐を見い出すタイプのように思えてならない。
「む、何だかライバルの予感」
「ややこしくなるから、少し黙っていてくれないかな」
変なところで対抗意識を燃やしているアナスタシアを押さえながら、カドックは大画面いっぱいに体を映し出している少女を見やった。丁度、今から自己紹介へ移ろうとしているようだ。
『さて、先ほどの質問ですが、わたしはウィザードでもマスターでもないのです! えー、この放送は月の支配者ことわたし、違法上級AI・BBの手でお送りしています』
(AI? 人工知能ってやつか?)
コンピューター上にプログラムを組み、人間の知的な振る舞いを再現する試みはコンピューターが生み出されてから幾度も繰り返されてきた。
その道には明るくないので、どこまで技術が発達したのかは知らないが、ようは人工精霊の類を科学で生み出そうとしていると思っていいだろう。
だが、さすがにここまで流暢に会話を行えるAIが開発されていれば、どこかで話題になっているはずだ。もちろんそんな噂は聞いたことがないので、彼女自身が言っているように彼女は違法な存在なのだろう。
『はい、何だかそこで難しい理屈をパン生地みたいにこねくり回している顔色の悪い男の子がいますが、その疑問は意味のないことなのでお時間の無駄ですよ。骨折り損、ありがとうございました』
(会話だけじゃなくて、こっちの心理まで読んでいるのか?)
これは、相当にイレギュラーな存在のようだ。
ここまで人間と大差のない情緒を兼ね備えた存在は、魔術の世界でもそうそうお目にかかれるものではない。
最早、人工精霊の領域を超えてホムンクルスにも等しい存在と言えるだろう。
『えー、これは炬燵に入ってうとうとしていたら、石油ストーブが燃えだしたので飛び起きた系のものです。石油ストーブは言うまでもなくセラフィックスとカルデア、そしてこの編纂事象の人類の皆さん。石油ストーブなんてどうなろうといいんですけど、ほら、わたしの部屋が台無しにされるのもなんですし? わたしにも凄く迷惑がかかっています。なので、助けたくもないアナタ達に助け舟を出す為に、こうして
「なるほど。つまり、そちらはセラフィックスの居所を知っているのだね? さて、どの時代にピントを合わせれば良いのかな?」
往年のアイドルのように跳ねまわり、可愛らしくも上から目線で少女が罵ってくるという異様な空間を前にして、ダ・ヴィンチは努めて冷静に切り返した。しかも、その口振りでは既にセラフィックスがどのような事態に陥っているのか推測が立っているようだ。さすがは万能の天才。変態でもやる時はやるのだ。
『あれー、意外と頭の切れる人が残っていたのですね。ええ、噂の油田基地ですが、既にあなた方の時代には存在しません。現状を知りたいならば、A.D.2030年のマリアナ海溝を要チェーック!』
マリアナ海溝。北西太平洋の深海に刻まれた地球最深の海溝だ。最深部は一万メートルを超え、潜水記録に挑む人々が後を絶たなかった事からチャレンジャー海淵とも呼ばれている。
最深部は地球で最も高いエベレストを引っくり返しても山頂が底につかない深さであり、地表から数えれば世界でもっとも離れた身近な異界と呼んで良いだろう。
「セラフィックス、発見しました! 指定された座標通りです! 現在深度二百メートル地点! それにこれは――特異点反応です!」
最後の言葉で、全員の表情が一気に引き締まった。
セラフィックスそのものが特異点と化しており、しかも現在進行形で沈んでいる。仮に全ての職員が無事であったとしても、このまま沈み続ければ、施設は限界深度を超えて水圧に耐えられず圧壊してしまう。そうでなくとも時空を乱す特異点と化している以上、放置していればどのような影響が人類史に出てくるかは分からない。アレが存在しているだけで時代が安定しないのだ。
「なら、早く何とかしないと! そうだ、レイシフトで現地に飛べば、何か調べられるんじゃ――――」
「落ち着け、立香。レイシフトで行けるのは過去だけだ。不確定な未来に行くことはできない」
現在のカルデアの技術では、カルデアスで未来の様子を観測することはできても、その存在を証明する手立てがない。そんな状態でレイシフトを行えば、例えどれほど高い適性を持った個体だったとしても、意味消失を起こしてしまうだろう。
「それじゃ、俺達じゃ何もできないって言うのか……」
悔しそうに立香は歯噛みする。そんな彼の様子を見たBBは、嬉々とした笑みを浮かべてモニターの向こうから話しかけてきた。
『うーん、今時珍しい前のめりな主人公体質。うんうん、悪くはありませんね。安心してください、あなた方のお悩みをバッチリ解決する
「え、俺? えっと…………藤丸、立香です」
カメラの向きが変わり、黒衣のスリットからむっちりとした白い足がローアングルから接写される。そこから舐めるように強調された臀部が映し出され、振り向き様にポージングを決めながらBBはモニター越しに立香を見やった。
その扇情的な姿に、さすがの朴念仁も色を覚えたのか、頬を赤く上気させながら上擦った声で名乗りを上げた。その気はなくとも心のどこかで何か変な期待を抱いたのかもしれない。だが、そんな彼に対してBBから返ってきたのは、何とも辛辣な言葉であった。
『うわあ……如何にもモブな名前です。男の子でも女の子でも、どっちが生まれても悩まなくて良いようにと適当につけられた感がひしひしと伝わってきます。お可哀そうに……でもご安心を。わたし、憐れ萌えですので! 軽蔑しながら愉しく助けてあげますね、センパイ!』
自分から名前を聞いておいて、酷い物言いである。これがどこかの海賊ならどれだけ罵られても鼻の下を伸ばし続けるのだろうが、生憎と立香は至ってノーマルであり、普通に傷ついていた。そして、最後に彼女が口にした立香に対する呼び方について、食いつかずにはいられない人物がここにはいた。
「待って下さい、BBさん……ですか? 貴方はセラフィックスの異常を知っているようですが、いったい何の目的でカルデアに通信を? そして、何故! 先輩を! センパイと! 呼称するのでしょう!?」
『ええー、食いつくのはそこなんですかぁ?』
食い気味にモニターへと迫るマシュに対して、BBは少しばかり引き気味だった。一刻を争う緊急事態、違法AIを名乗る謎のハッカー。そんな異常事態にありながら些末な私事に拘っているのだ、無理もない。
『でも、その質問は地球の平和より重要なのでお答えしましょう!』
前言撤回。こっちもこっちでお花畑だった。
そして、どうして隣にいる皇女様はうんうんと首を縦に振っているのだろうか? ひょっとして、何か通じ合うものがこの三人にはあるのだろうか?
『わたしの先輩はこの世でただ一人、キラキラ星のように輝く王子様。ですが、わたしはそんな人とは出会えなかった。だから、モチベーション維持の為の苦肉の策ってやつです』
キラキラと輝く笑顔で何とも不躾なことを言い出す娘である。本人を前にして失礼だとは思わないのだろうか? 思わないのだろうな。
「なんて邪悪な笑顔なんだ」
「開運のお守り、100QPで作ってやろうか?」
「……前向きに検討してみる」
閑話休題。あまりにも話が脱線し過ぎてしまった。
とにかく現状、セラフィックスは何故か2030年の未来にタイムスリップしており、こちらから様子を伺うことはできない。
現地で何が起きているのかを知る為にはBBの力を借りて直接、セラフィックスにレイシフトするしかないだろう。
「なるほど、彼らの存在証明を君が代わりにやってくれるということは、君もその時代にいるのだね? 我々にとっては未来でも、君にとってはそちらは現在な訳だ。そして、我々に接触を図ったということは、そちらでは対処し切れない何かが起きている……そういう解釈で良いのかな?」
『さすがは芸術家、想像力が豊かですね。その辺りの解釈は皆さんの自由です。重要なのはセラフィックスはあと数時間で海底に達し、水圧でバラバラになる、という事ですから。特異点があるとなると、ルール上カルデアは放置できないでしょう、急いでください』
沈黙は僅かな時間であった。司令官代理であるダ・ヴィンチは数秒の熟考の後、自らに与えられた権限と現状を照らし合わせて判断を下す。
「カルデア司令官代理として命じる。マスター・藤丸、マスター・ゼムルプスの両名は自室待機を解き最優先任務に従事。特異点セラフィックスで起きた異常の調査及び解決に全力を尽くしてもらう」
「司令官代理。前例のない未来へのレイシフトです。彼ら二人を共に行かせるのは危険なのでは?」
例えば何らかのトラブルがあった場合、待機していた側が後から救援に向かえるようにしておいた方が良いと、彼は言いたいのだ。
「その通りなのだが、どうせ片道一回分しか用意はできていないのだろう?」
至極当然の疑問を口にした職員に対して、ダ・ヴィンチはモニターの向こうにいるBBを見やりながら答えた。すると、BBは小さな頬をリスか何かのように膨らませた。
『む、人をポンコツみたいに言わないでください。安全にレイシフトして頂くには、皆さんいっぺんに転移してもらうのが一番なのです。その方が管理も楽ですし』
「だそうだ。せめて護衛は信頼の置けるものをつけよう」
「すみません、わたしが戦えないばかりに」
すまなそうにマシュは顔を俯かせる。時間神殿から帰還した後、マシュはデミ・サーヴァントとしての力を失っていた。そのため、現在は管制室のスタッフとしてダ・ヴィンチの手伝いをしている。
彼女としては大切なマスターを窮地から守れないことが不満であり、また負い目を感じているようだった。だが、ないものを強請っても仕方がない。彼女の護りが抜けた穴は大きいが、それならそれできちんと想定して作戦を立てればいい。それにレイシフト中の存在証明も立派なカルデアの仕事である。
「大丈夫だよ、マシュ。カドック達とさっさと終わらせてくるから、前のようにサポートをお願いね」
「先輩……はい! 不肖、マスター・藤丸のメインサーヴァント、マシュ・キリエライト! これより全力で先輩のサポートに回ります! はい、ピンチの時は貴方の後輩をどうかお忘れなく!」
多くのスタッフが周りにいるというのに、大胆な告白を言ってのける少女である。立香も立香で何だか満更ではないという顔をしているし、この主従、基本的に付け入る隙も薬も存在しない。
『うーむ、これはヒロインとして負けてはいられませんね。それではセンパイ、それと……何だか裏切りそうで卑屈っぽいサナダ虫さん』
「カドックだ!」
『……カマドウマさんはレイシフトの準備に入ってください。未来に設定した段階で存在証明は途絶えるでしょうが、そこからはわたしが運命保護をしますので』
「こいつ、僕のことは徹底的に無視するつもりだな」
「怒らないの。逆に度量が知れるというものよ」
アナスタシアに慰められながら、コフィンへと走る。
いつの間にかダ・ヴィンチが連絡を入れていたのか、そこには既に三騎のサーヴァントが待機していた。
赤い舞台衣装に身を包んだセイバー、ネロ・クラウディウス。
同じく深紅の外套を纏ったアーチャー、無銘或いはエミヤ。
そして、青い着物に袖を通した巫女狐のキャスター、玉藻の前。
そこに自分のサーヴァントであるアナスタシアを加えた四騎が、今回のオーダーにおける同伴メンバーだ。
現地では何が起きているのか分からないため、皇帝特権を有するネロやサバイバル、スカウトの能力に長けたエミヤ、多彩な呪術が仕える玉藻の前は大きな力になってくれることだろう。
「二人とも、BBとやらの態度で誤魔化されてしまうが、事態はかつてないほど深刻だ。向こうでは誰が味方で誰が敵なのか、今まで以上に慎重に量るように」
「はい!」
「言われるまでもない」
ダ・ヴィンチの言葉に、それぞれのマスターは返事をする。
消えたセラフィックスとBBという謎の少女の存在。今回も分からないことが多すぎて波乱の予感しかなかった。
だが、自分達ならば何とかなるだろうという自信もあった。あのグランドオーダーを駆け抜けた自分と立香ならば、何が起きても切り抜けられるという信頼があった。
だから、今回もきっと大丈夫なはずだ。
「それじゃ」
「現地で」
互いの拳を当てて健闘を祈り、コフィンへと潜り込む。直後、スピーカーからBBの声が聞こえてきた。
『準備はよろしいですね? では、BBちゃんとは何者なのか? セラフィックスに何が起きたのか? その辺りの謎は現地についたら説明してあげます。なのでどうぞ、どどどど――っとレイシフトを!」
――アンサモンプログラム スタート――
――霊子変換を開始 します――
――レイシフト開始まで あと3、2、1……――
――全行程
――アナライズ・ロスト・オーダー――
――
いつものアナウンスがレイシフトの開始を告げる。
このグランドオーダーで何度も繰り返してきた行為。
視界が暗転し、意識までもが量子化されて未知なる領域に投射される。
最初は不安もあったが、今は取り乱すことなく冷静に体から緊張を解きほぐすこともできる。
やがて、カドックの意識は遠い遠い時間の果てへと飛び去って行った。
『あは、あはは、あははははははは! ちょっろーい! ちょろすぎです! 煽られやすく騙されやすい……ほんっと、人間ってどの時代でも楽観主義なんですから。そう簡単にレイシフトできると思いましたかぁ?』
意識が消え去る刹那の瞬間、蕩けるような女の声が聞こえてきた。
肉体が霊子に分解され、時空の波を漂い出す正に直前であった。
『セラフィックスへのゲートには入場制限があるんです。サーヴァントの皆さんと……後、ミドル級くらいのカメノコテントウさんは入場資格はありませんので、基地のいずこかにランダム転送させて頂きます。はい、ビギナー卒業おめでとうございます』
叫ぼうにも既に声帯は存在しない。
抗おうにも肉体は最早、意味を成さない。
思いに反して意識だけが遠く遠くへと飛ばされていく。
『……ええ、人間にイージーモードなんて許しません。ハードモードこそ、貴方たちに与えられた課題と責任。もう帰り道はありません。勝ち目のない、ただ殺されるだけの戦場にようこそ』
――そこにあるのは不協と断絶。堕ちていく先は至高の快楽。甘くとろける生存競争――
――けれど、あなたが堕ちるは堕天の檻。そこで待つは無限の渇愛。獣の愛で満たされた虚構の深海――
――さあ、最古にして最新の、愉しい聖杯戦争を始めましょうか。眠れる桜に開花の声を。精々、彼女を引っ掻き回してくださいね――
堕ち行く刹那に聞こえた少女の囁きに、答えることはできなかった。
□
一瞬か、それとも永遠か。何も比べるモノのない空間での落下は、無重力に似ている。
もう日の光すら思い出せない。あの地上は何億光年もの彼方になった。
無重力下にあった手足は、思うように動かない。麻痺、或いは退化してしまったのか。必死に藻掻こうとも感覚が曖昧で、まるで自分の体ではないかのようだった。
いや、それ以前に思考が散漫としていて安定しない。自分が何者で何を担わされていたのかが思い出せない。
永劫とも思える暗闇の中を落ちていく。
永遠に続く暗黒へと堕ちていく。
その繰り返しが心を閉ざす。体は泥のようで、心は鉛のようだ。いっそこのまま眠りにつければどれほど楽であろうか。
自分が何者かすら思い出せず、何を成そうとしているのかも分からず、何が起きたのかも理解できていない。ならば、そこに己を定義するものはなく、あるのは漠然とした己未満の肉の塊でしかない。それは生きているとは言えないだろう。
ああ、いっそこのまま消えてしまいたい。
永遠にこのままではないのか、という不安から目を背けてしまいたい。
(――――それでも)
心の底で、まだ冷めない火種があった。
自分でも不思議でならなかった。この状況、この絶望で、何をまだ諦めずにいるのか。
いつからこうしていたのか、或いは最初からこうだったのかさえ定かではなく、深い闇の底へと永遠に堕ちていくだけの絶望。
自分自身ですら闇へと溶けだしてしまい、己を構成する全てを見失った無常。
それでもまだ、この胸に刻まれた情景があった。
三つの出会いが残されていた。
あの炎の街で出会った最愛の人――――例え地獄に落ちようとも、鮮明に思い出させる。
瓦礫に埋もれながらもこちらを気遣った少女――――全てのきっかけ、故に魂に刻まれている。
縋り付くように、泣きながら鼓舞してくれた親友――――七度、生まれ変わろうと忘れることはないだろう。
己の全てを差し出してもまだ足りない、ちっぽけな自分には大きすぎる出会い。
彼らと出会い、彼女達と過ごし、彼女と共にいたからこそ、今の自分がここにある。なら、立ち止まる訳にはいかない。
その出会いに報いる為にも、ここで諦めてしまう訳にはいかない。
冷え切った手足、凍り付いた思考。だから、どうした。
抗う。
伸ばす。
藻掻く。
伸ばす。
彼方で輝く星を掴まんと手を伸ばす。応えるように星は輝くが、後少しというところで指先を掠めるに留まる。
そうしている内に星は届かぬ場所へと堕ちていった。
通り過ぎる。
通り過ぎる。
通り過ぎる。
通り過ぎる。
四度、星々を掴み損ねる。
最後の希望を通り過ぎる。
絶望するには十分だ。膝を折るには十分だ。終わりにするには十分だ。
永遠は終わらない。この独白を止めるまで終わる事はない。永劫の責め苦に苛まれるだけだ。
それでも僅かな慚愧が後ろ髪を引く。ほんの僅かに頬を抓る程度の痛みが、終わりたがる自分を止めている。
まだ、続きを欲している。DEADENDの向こう側、残酷なまでの生を自分は欲している。
心の底から、欲している。
もう一度、彼女達に会いたいと欲している。
――――みい……つけ……た……――――
堕ちた先で、光を見る。
暗闇の底の底。星々の光すら届かぬ堕天の檻。遍く事象の境界線の先の先。
闇よりもなお暗く、時すらも止まった終着の箱庭に彼女はいた。
青い眼が、大きな蕾が、ジッとこちらを見つめていた。
――――みいつけた……みいつけた……――――
それは最初、星のように小さな輝きだった。だが、すぐにその認識が誤りであったと気づいた。
あれは太陽だ。こうして堕ちていくにつれて分かる。霞がかった曖昧な思考でも分かる。
小さな輝きは青い瞳であった。
崩れかけた箱の中から這い出そうとしている巨大な何かの眼であった。
それは苔だらけの白い肌をしていて、顔の大部分は髪に隠れており、青い眼がほんの少しの隙間からこちらを見つめる様はまるで一つ目の怪物だ。本来ならば美しい光彩を携えている瞳は狂気で見開き堕ち行くこちらを追いかけている。
開いた口は、まるで獲物を欲する肉食獣のように何度も何度も開閉していた。
本能的な恐怖が込み上げてくる。
このまま堕ちればアレに捕まる。
その巨大な手で握り潰される。
あの大きな口に飲み込まれる。
そんなことになれば、二度とここから這い出ることはできなくなる。
この暗闇の底で、虚数の海で朽ちていくことになる。それだけはご免だ。
――――ほしい……ください……を……くだ……さい……――――
伸ばした手が何もない虚空を切る。それだけで空間がたわんだ。馬鹿馬鹿しいまでの質量が、形のない空間にまで影響を及ぼしている。
アレが藻掻く度に箱が崩れ、波に揉まれるかのようにこちらの体が宙を舞った。
――――……い……を……くだ……さい……――――
巨大な手が闇を薙ぐ。先ほどよりも近い。気のせいかとも思ったが、続く再度の接近が予感を確信に変えた。
大きくなっている。欲する毎に、望む度にアレは少しずつ成長し大きくなっていっている。
貪欲に、強欲に、欲するがままに手を伸ばし、届かぬならもっとと叫ぶ。そうしてアレは際限なく大きくなっていくのだ。
今はまだ、箱に囚われているが、あれが壊れてしまえばもうアレを留めておくものは存在しない。ちっぽけな自分などあっという間に追いつかれ、その巨大な質量で押し潰されてしまうだろう。
――――ほしい……ください……ほしい……ほしい……しんで……くれないなら……いっしょうの……おねが……しんで――――
加えて、物言いもどんどん支離滅裂になっていっている。狂っているとしか形容できない。
とにかく逃げなければと藻掻くが、感覚の消えた体は思うように動いてはくれない。
それでなくとも、アレの動きで空間が波打って嵐の中の小舟のように翻弄されているのだ。逃げるつもりが、まるで引き寄せられるかのようにアレのもとへと流れていっている。
(まずい……)
こちらを迎え入れるように、鯨のように大きな口がゆっくりと開かれる。艶のある唇に糸を引く舌。並びの良い白い歯は整然と並んでおり、ともすれば蠱惑的な魅力すらあった。だが、今はこちらを飲み込まんとする怪物の口だ。
後、一秒。瞬きの直後に自分は飲み込まれ、咀嚼された後に飲み干されるだろう。長く大きな舌に押し潰され、プレス機のような奥歯ですり潰され、嚥下され食道で圧し潰され、堕ちた胃袋で消化される。
何て人生だ。まだ生きていたいと願った矢先に、最悪の終わりが待ち構えていたのだ。
どうする?
できることは限られている。
やれることは少なすぎる。
それでも足掻くしかない。自分に出来る最善を、最後までやり尽くすしかない。
どうする?
どうする?
どうする?
アレは欲しいと言った。何が欲しいとは聞き取れなかったが、それを与えられないのなら死ねとも言った。つまり、代わりに命を差し出せと言ったのだ。
そんなのはご免だ。この暗闇に堕ちていくのも、アレに食い潰されるのもご免だ。
与えるしかない。
欲するものが何なのかは分からない。だが、この命に代わるものをアレに差し出すしかない。
このまま何もしなければ終わってしまうのなら、自分の全てを代償にして、アレを鎮めるしかない。
「……欲しけりゃくれてやる!」
右手に熱がこもる。
そうだ、思い出した。自分はマスターだ。ならばこの手には、その存在全てを費やすに値する令呪が刻まれている。
その三画を以て――彼女に命じるしかない。
「全て持っていけ! だから、これ以上、欲しがるな!」
一瞬で、熱が失われた。同時に体の奥底で見えないパスが繋がり、循環していた魔力がごっそりと奪われる。
なけなしの力で奮い立たせていた意識が消えるには、十分な衝撃であった。
「ぁ――――」
あれほどまでに拒んでいた眠りが、呆気なく訪れた。
抗おうにも体に力は入らず、急速に視界が暗転していく。
これで終わりだ。
やれることはすべてやった。
できることは全てやった。
後は、このまま静かに消えていくだけだ。
「……なんだ、綺麗じゃないか」
最後に垣間見たのは、呆けたようにこちらを見つめている、大きな大きな少女の青い瞳であった。
□
浅い眠りから覚めるように、意識が覚醒する。
気が付くと通路のような場所に倒れていた。
どれくらい眠っていたのかは分からないが、無防備を晒していたことを恥じながらカドックは跳ね起きて周囲を警戒した。
「……海?」
最初に目に飛び込んできたのは、半透明なガラス張りの通路だった。自分が今、立っている場所も壁も天井も、全てが透けていて向こう側がハッキリと見えている。
そして、壁の向こうは泡が湧く青い海であった。どうしてそう思ったのかは分からない。魚もおらず、太陽の光も差し込んでいない、どこまでも続く青い世界。
それが人工的に作られたものではなく、自然の海であると何故か無意識の確信を覚えていた。
「そうだ、みんなは? カルデアとの通信も……ダメか……」
通信端末は全く機能していなかった。とりあえず、ここが2030年のマリアナ海溝であるということは座標データで確認することはできたが、カルデアとの通信は回線すら繋がらなかった。恐らく、未来へのレイシフトが何らかの影響を及ぼしているのだろう。
それにここへ飛ばされる途中ではぐれてしまったのか、周囲にアナスタシアや立香達の姿はなかった。念のため通信を試みたが、こちらも一切の呼びかけに対して返事が返ってくることはなかった。
完全なる孤立無援である。とりあえず、アナスタシアに関しては魔力のパスが繋がったままなので、無事にレイシフトできてはいるようだが、互いの居場所が分からなければ合流のしようがない。
(くそっ、事前に渡されたセラフィックスの地図と内部構造が一致しない。それにこの感覚、かなり精巧に作られているが、まるでシミュレーターみたいだ)
まるで狐か狸に化かされたかのような気分だった。
思い起こされるのは、レイシフト中に聞こえたBBの嘲りであった。タイミングや現在の状況から考えるに、彼女がレイシフトに干渉した事はまず間違いないだろう。
BBのことは全く疑っていなかった訳ではないが、それにしてもここまで露骨な分断を仕掛けてくるような浅はかな女とは思わなかった。
そもそも、自分達を孤立させる理由が分からない。こちらに害意があり、レイシフトに干渉できるのなら、それこそレイシフト中なりレイシフト後の無防備な隙を狙って攻撃できたはずだ。
それをしなかったということは、少なくとも彼女の方には何らかの意図があって自分や立香を分断したと見て良いだろう。それとも、こちらを攻撃できなかった理由が何かあるのだろうか?
(この破片……生き物じゃないが、ゴーレムか何かか?)
周囲に散らばっている欠片を拾い集めてみる。
牛の角や蹄、鋭い牙、大きな腕やもがれた羽根。動物を模しているようだが、まったく統一性のない欠片だった。
少なくとも複数の生き物を模したゴーレムのようなものが徘徊しているのだろう。それが砕かれていたということは、自分以外の何者かがここで戦闘を行ったということだ。
余程、激しい戦いを繰り広げたのか、手の届かない壁や天井にまで亀裂が入っていた。
(魔力残滓は感じない。刃物による傷もない……アナスタシア達じゃないのか? いったい、誰が……)
不用意に動くのは危険かもしれない。
ここで戦闘を行った者の痕跡は、自分がカルデアから連れてきたどのサーヴァントのものとも一致しない。
力任せに踏み抜き、叩きつけられた跡。荒々しい闘争の痕跡はまるでバーサーカーだ。しかも、巨人のようなかなりの大物である。
このまま何もない通路に突っ立っている訳にはいかない。どこか安全な場所を見つけ、隠れなければならない。
そう思った矢先に、背後から何かの足音が反響して聞こえてきた。
等間隔で聞こえてくる複数の音。恐らくは四つ足で、それなりに大きな個体だ。
カドックはいつでも走り出せるように腰を落とすと、己の体に眠る魔術回路を叩き起こしてジッと音が聞こえてくる通路の先を睨みつけた。
徐々に足音が近づいてくる。
何度も死線を潜り抜けてきたこともあり、恐怖を押し殺すのは難しいことではなくなった。
冷静に、冷徹に、乱れる呼吸を抑え、震える視線を定め、迷う心を殺す。
見えないはずの脅威が、ハッキリと視て取れた。
殺意、或いは敵意。獰猛な獣の衝動か、はたまた明確に害意ある第三者によって放たれたのか、巨大な雄牛に似たエネミーが通路の角から飛び出してきた。
「Set――」
獣が飛び出してくるよりも一瞬早く、カドックは両足に魔力を集中させて地面を蹴っていた。
エネミーの突進を寸でで躱し、そのまま踵を返して全速力で駆け出す。ほんの一瞬、垣間見た敵対者の姿は、先ほどまで観察していたゴーレムの破片とよく似た意匠が施されていた。
(あんなのが複数いるのか!?)
敵は一体だけではなかった。巨大な牛の背後から、浮遊する盾のようなものがこちらを追いかけてきたのだ。
何てことだ。足音が一体分しかなかったから、羽音や這いずる音も聞こえなかったから、他に敵はいないと勝手に思い込んでいた。
後悔しながらもカドックは、両足に力を込めて走る。何体かの盾が勢いを殺さずに通路の壁に激突し、地鳴りのような振動が辺りに響き渡る。
すると、その騒ぎを聞きつけたのか、通路のあちらこちらから更に複数のエネミーが姿を現した。
鋭い牙を持つ、ワニのような頭だけのクリーチャー。
人間の子どもほどの大きさの蜂。
のっぺりとした平面から巨大な手が伸びた奇怪な化け物。
分離と結合を繰り返す、紐で繋がった立方体。
鋭い嘴を携えた鳥。
次から次へと群れを成して襲いかかってくるエネミーの攻撃を、カドックは必死で躱しながら通路を駆け抜けた。
敵意誘導の使い捨て礼装で複数の群れをT字路の向こうへと誘導し、その隙に反対側へと逃げる。それでも立ち塞がる数体のエネミーは、咄嗟に放った氷柱で串刺しにして動きを止め、身体強化を施したまま硬直している股座をスライディングで滑り抜けて危機を脱する。
一手でも間違えれば、忽ちの内に蹂躙されてしまうだろう。守ってくれる者がいない紙一重の攻防をギリギリで潜り抜けながら、カドックは何とかこの窮地から抜け出す方法はないものかと考えを巡らせた。
だが、有効な手立てが一つとして見つからなかった。
サーヴァントがいない以上、自身の力だけで身を守るのには限界がある。
どこかに隠れてやり過ごそうにも、隠れられる場所も見当たらない。
このまま安全な場所を求めて、走り続けるしかないのだろうか。
そう思った刹那、何かに足を取られて躓いてしまう。
「しまっ……」
胸部に痛みが走る。しかし、悲鳴を上げている余裕すらなかった。すぐに身を翻し、振り下ろされた毒針を回避する。
立て続けに氷柱を三発、覆い被さらんとした毒蜂に叩き込んで羽根と胴体を抉り、落下してきた尾を空いていた手で払い除ける。まるで石を殴ったかのような鈍い痛みがあった。
(まずい、立たないと……ころ――)
情けない尻餅を晒しながらも、必死で生を求めて藻掻き続ける。
いつの間にか、開けた空間に辿り着いていた。隠れられる場所なんて何もない、広くて大きな空間だ。
敵はすぐそこまで迫っている。こんなところに逃げ込んでしまっては、囲まれて嬲られるのがオチだ。
(駄目だ、アナスタシア――)
せめて、最後に一目だけでも彼女に会いたいと心の中で叫ぶ。
すると、その願いが天に届いたのだろうか。
突如として轟音が轟き、何か大きなものが天井にぶつかる音が聞こえてきた。
二度、三度、断続的に何かがぶつかり、鈍く大きな音が広場に轟く。
「なっ――」
その存在を認識し、カドックは言葉を失った。
「みい……つ……け……た……」
亀裂の入った天井がぶち破れ、巨大な拳が今にも襲い掛からんとしたエネミーを叩き潰した。
そのまま大きな腕はこちらを守るように広場の入口へと殺到していたエネミーに向かって襲い掛かり、余波で崩れた天井の瓦礫が雨のように降り注ぐ。
濛々と立ち込める白煙。声にならないエネミーの悲鳴。そして、自分を見つめる大きな瞳。
そこにいたのは少女だった。
天上の向こうから、亀裂を通してこちらを見つめているのはあまりにも巨大な、巨人の少女であった。
あまりにも巨大な存在を目にした時、人は恐怖を感じるのだろうか。確かに畏怖は覚えるだろう。だが、それ以前に抱く思いがある。恐らくは万国が共通して抱く畏敬の念がある。
即ち、アレは神だという有無を言わさぬ屈服がそこにはあるのだ。
「マスター……みい……つ……け……た……」
そこにいたのは、紛れもなく女神であった。
BBちゃんの逆襲 電子の海で会いましょう!
BBちゃんの逆襲 電子の海で会いましょう!
亜種特異点EX
A.D.2030 深海電脳楽土 SE.RA.PH
人理定礎値:CCC
亜種特異点EX
A.D.2030 深海電脳楽土 SE.RA.PH
人理定礎値:CCC
亜種特異点EX´
A.D.2030 虚構電脳裏海 SE.RA.PH
人理定礎値:CCC
『渇愛の花』
はい、というわけでレムナントオーダー編、まずは変化球ということでCCC編からいきます。といっても、レムナント編は全部するとは限りませんが。まずはCCCだけプロットができたので、形にしようと思った次第です。
CCCだけで終わるかもしれないし、他も書くかもしれない。こればかりはネタが思い浮かぶかどうかなので、どうかご容赦を。