Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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#2 既知との遭遇 君の瞳がI KILL YOU(アイ・ラブ・ユー)

それは吹き荒れる暴風だった。

それは降り注ぐ雷雨であった。

それは神の鉄槌であった。

子どもが蟻塚を崩すかのように、天井の亀裂から突っ込まれた巨大な腕が全てを薙ぎ払った。

大人の倍ほどもある雄牛はミニカーのように放り投げられ、小さな立方体やワニの頭は虫のように潰される。捕まった鳥は滅茶苦茶に振り回されて仲間を巻き込み、羽根も尾もズタズタに引き裂かれた。

そうして、一しきり暴れた後、亀裂の向こうから巨大なそれはこちらへ来ようと身を乗り出した。

大きな手と足が床につき、ゆっくりと姿を現したのは、全長が二十メートルはあろうかという巨大な少女であった。

すぐに視点を合わせることができたのは、今までの旅路で巨大な竜種や魔猪に見慣れていたからだ。だが、今までに見てきた怪物と違い、ただ巨大なだけの人というものはあまりに不気味で異質だ。本能的な恐怖すら覚える。

 

「あ……マスターだ……」

 

巨大な顔がこちらの存在を認めて破顔する。

屈託のない、幼女のような微笑みだった。亀裂に体が挟まり、降りるのに難儀している姿も相まってとても可愛らしい。もしも彼女が等身大であれば、の話ではあるが。

 

(似ている……BBに……)

 

つかえた体に四苦八苦している彼女の顔は、自分をこのセラフィックスへと誘ったBBにとてもよく似ていた。

青みがかった髪、青い瞳。色素の薄い肌。彼女が普通の人間と同じ大きさで、黒衣を纏えば見間違えてしまっていたであろう。

 

「うーん、うーん……きゃっ!?」

 

悲鳴と共に、轟音が轟く。少女が天井から落下したのだ。

あまりの衝撃に建物全体が大きな揺れを起こし、至る所から軋みが上がる。

あれだけの巨体、重量も相当なものだろう。床が抜けなかったのは奇跡としか言いようがなかった。

 

「あは……落ちちゃいました。ここは狭いですねぇ……」

 

どこか間延びした、マイペースな呟きであった。

あそこまで大きいと、五メートルくらいの落下では大した痛みも感じないのかもしれない。

事実、包帯で覆われた彼女の体には傷一つなかった。

そこで初めて、カドックは彼女が一切の衣類を身に付けていないことに気が付いた。代わりに全身を白い包帯で覆っているのだが、それにしたって所々、白い肌が剥き出しになっている雑な結び方だった。大事な部分が辛うじて隠れているだけの際どい格好だ。そして、何故か右目も包帯で覆われていた。

 

「君は……いったい……」

 

彼女は先ほど、こちらに向かって『マスター』と呼びかけてきた。事実、彼女と自分は魔力供給のパスが繋がっている。

だが、いったいどこで契約したのだろうか? 少なくとも、カルデアには彼女のようなサーヴァントはいなかった。それに、右手の令呪だ。サーヴァントに対する三画の絶対命令権。扱い方によっては協力な支援にもなる令呪が、どういう訳か全てなくなっているのだ。

レイシフトする前に、令呪は三画となるよう確かに補充してもらった。貴重な魔力リソースだ。忘れるなんて事は有り得ない。なら、どこかで使用したということである。心当たりはないが、目の前に契約した覚えのないサーヴァントが存在しているということが何か関係しているのだろうか?

 

「……はい。令呪は確かに、貰いました。だから、ここに来ることが……できました……」

 

「やはりそうか。だが、君と契約した時のことをよく思い出せない。何しろ前例にない未来へのレイシフトだ。ひょっとしたら記憶が欠落したのかもしれない」

 

「…………」

 

こちらが何も覚えていないということを告白すると、巨大な少女は目を見開いたまま言葉を失った。動揺しているのか、立ち上がろうとして天井がまだ残っている部分に後頭部を強かにぶつけ、崩れた瓦礫が足下に転がった。

危うく潰されそうになり、カドックは身の安全のために距離を取ろうとした。ここまで体の大きさに違いがあると、何気ない彼女の所作が全て、こちらにとって天災に成りかねない。巨大な彼女が自由に動き回るにはこの施設は狭すぎるのだ。

だが、こちらがたった一歩、足を後ろに下げた瞬間、目の前の少女は羽ばたく蝶々を捕まえるかのように腕を伸ばし、一つ一つが大の大人ほどの大きさはありそうな五本の指でこちらの体をガッシリと捕まえてきた。

 

「いや、行かないで! 忘れないで! 見捨てないで!」

 

「よせっ、やめっ、があぁっ!?」

 

万力で締め上げるかのような激痛に、カドックは堪らず悲鳴を漏らした。己の体の内側から、ミシミシと何かが軋む音が聞こえたかのような錯覚すら覚える。だが、それ以上に苦痛を覚えたのは、まるで雑巾を絞るかのように無理やり魔力を絞り出されたことだ。サーヴァントの本質は魂喰いであり、特に強力な英霊は存在の維持だけで途方もない魔力を消費することもあるが、彼女のそれは正しくそれだ。こちらの事情などお構いなしとばかりにバルブを無理やり抉じ開けられ、勝手に魔力を貪り食われてどんどん意識が遠退いていく。

 

「見捨てないでください! 思い出してください! わたしは……わたしは……わた……あれ?」

 

不意に握り締める手から力が抜け、緩んだ指の隙間から床の上へと転がり落ちる。腰を強く打ってしまったが、巨人に締め上げられるよりは遥かにマシであった。

 

「あれ……どうして……わたしは、あなたのサーヴァント……なのでしょう?」

 

「それは、こっちが聞きたい……君も、覚えていないのか?」

 

「……はい。ごめんな、さい……令呪は……貰いました。契約も……しました。けれど、どうして、そうなったのか……よく、思い出せません。ただ、あなたが覚えて……いないと……そう言われたら、急に……悲しくなって……お腹が、空いて……」

 

それで我を忘れてしまい、あのような行為に走ってしまったらしい。悲嘆と空腹の因果関係は分からないが、どうにも情緒が不安定な性分のようだ。扱いは慎重にいかなければ、またどこで感情が爆発するか分からない。我ながらとんでもないサーヴァントと巡り会ったものである。

ハッキリ言って、行動を共にすることはデメリットの方が多いが、アナスタシア達とはぐれている現状では彼女の力に頼らざるを得ない。幸いにも普段は従順で好意を向けてきているので、大人しくしていてさえくれればこちらに危害を加えてくることもないだろう。彼女の中の地雷を何とか見極めてまた暴走しないよう気を付けなければならない。

 

「マスター……どんな命令も聞きます。あなたの力になります。だから、思い出してください。いえ、思い出せなくてもいいので……わたしの側に、いてください。わたしに……愛を……」

 

そこで少女は言葉を切る。何やら苦し気な表情を浮かべ、俯いたまま胸に手を当てている。

いったい、今度は何事かと身構えていると、見る見るうちに少女の体が小さく萎んでいった。

まるでビデオの逆再生のように、二十メートルほどあった体躯は凡そ五メートルほどにまで小さくなり、顔つきも幾分か幼くなっていった。

縮んだというよりは、若返ったというべきなのだろうか? どういう原理かは分からないが、身に纏っている包帯も体のサイズに合わせて小さくなっていた。

 

「ん……うん……」

 

やがて、退行が完全に止まると、少女は跪いたままゆっくりと猫のように伸びを行い、体の凝りを解していく。

 

「小さくなって、しまいました」

 

「あ、ああ……そういう体質、なのか?」

 

「はい……もっと大きく、なりたいのに……すぐに、小さくなって……しまいます」

 

ある程度まで大きくなるか、何らかのきっかけで五メートルほどのサイズまで若返ってしまうらしい。

それと共に彼女自身の規格(スケール)も相応に小さくなっているようだ。そして、そこから再び経験値を積んで肉体は成長を始める。

その繰り返しが彼女のサーヴァントとしての特質のようだ。

 

「近いですか? 狭いですか? でも、これ以上は小さくなれないので我慢してください」

 

「ああ……いや、まあ、君くらいの大きさの子には慣れている」

 

ゴルゴーンやポール・バニヤンのように、カルデアでは規格外の体躯を誇るサーヴァントも何人かおり、巨人の女の子くらいではもう驚かなくなってしまった。

 

「そうですか……マスターは、すごいですね」

 

「……ありがとう。そういえば自己紹介がまだだったな。僕はカドック・ゼムルプス。君のことは何と呼べばいい?」

 

契約が成立している事や、ステータスが読み取れることから彼女がサーヴァントはであることは間違いがない。

現状、孤立無援な上に見知らぬサーヴァントと行動を共にしなければならない以上、真名やスキルについては早くに知っておかなければならない。

 

「…………キングプロテアと、いいます。クラスは……」

 

そこで一旦、キングプロテアと名乗った少女は言葉を切った。

記憶を辿るように虚空を眺め、一拍置いてから思い至った言葉を口にする。

 

「クラスは……分かりません」

 

「分からないって……」

 

「すみません……頭が何だかぼんやりしていて……」

 

しかめっ面で一生懸命に思い出そうとしているようだが、どうしても思い出せないのか終いには頭を抱えて蹲ってしまう。

 

「スキルや宝具は?」

 

「大きくなれます……後、力持ちです」

 

(不安しかないな)

 

真名が分からず能力もハッキリとしない。サーヴァントを運用するにあたってこれは致命的だ。能力に関してはまだ戦いながら探っていけるが、真名が分からなければどんな弱点を有しているのか分からない。

例えばジークフリートならば背中、アキレウスなら踵というように、英雄は伝承に伝わる弱点を有していることが多いし、死因を再現すればそれが些細なことでも特攻として作用する。彼女にもそんな弱点がないとは言い切れないのだ。

特に巨人なんて、伝承では大抵の場合、倒される側であることが多い。当然、弱点も霊基に再現されているはずだ。

エネミーだらけのこのセラフィックスで、生き残るためには彼女を頼るしかないが、どうにも不安定で信頼が置けない。これは一刻も早く、アナスタシア達と合流した方が良さそうだ。

 

(それにしても、キングプロテアか……)

 

キングプロテアとはプロテアという花の中でも特に大きな花を咲かせる種類のことで、その荘厳さから花の王さまとも呼ばれている。

プロテアという名前は自在に体の大きさを変えられたギリシャ神話の神格プロテウスに由来したものらしいが、まさか彼女がそのプロテウスということはないだろうか?

或いは有名どころで女の巨人といえば、北欧神話に伝わる悪神ロキの伴侶であるアングルボダ。同じく北欧神話に伝わる主神オーディンの母である女巨人ベストラだろうか?

だが、何れにしても決め手に欠ける。

 

「大丈夫です。私は……強い、ですから……」

 

えへん、とキングプロテアは胸を張る。見上げる程の巨体であるという一点を除けば、その仕草はとても可愛らしい。

 

「分かった。とりあえず、まずは仲間との合流を図ろう。ここは行き止まりみたいだから…………」

 

言いながら、カドックはこの広場の唯一の出入口を見やった。

あれほど大量のエネミーが殺到していたのに、今は嘘のように静まり返っていた。それもそのはず、キングプロテアが無茶苦茶に暴れて瓦礫で出入口を塞いでしまったからだ。

瓦礫をどかせば元来た道を戻ることもできるだろうが、そうなればまたあのエネミーの群れがここに押し寄せることになるだろう。

この先、いつ休めるかも分からないのだ。消耗を避けるためにも、別のルートを探した方が良いだろう。

 

「僕をあの天井の上まで運んでくれ」

 

「はい、わかりました」

 

先ほどよりも幾分、小さくなった手がこちらに伸びてくる。今度はさっきのように締め上げられることはなく、カドックは隙間から落っこちないよう彼女の指にしっかりと掴まって、キングプロテアが落ちてきた亀裂へと運んでもらった。

浸水してこなかったのでもしやと思ったが、そこは下の広場と同じような開けた空間であった。ブロック状に空間が積み重なっているのだろうが、改めて地図を確認してもそのような構造になっている場所は見当たらない。ただ、ここはこれまで通ってきた通路と違い、一部を除いて半透明のガラスではなくごく普通のコンクリートや金属らしき構造物でできていた。

柱がねじ曲がっていたり、瓦礫が散乱していたりするのは、上にいたキングプロテアが床をぶち抜こうとして暴れたからだろう。

とりあえず、周囲に敵の気配がないことに安堵したカドックは、適当な瓦礫に腰かけて体力の回復を図りながら、キングプロテアが昇ってくるのを待った。しかし、いつまで経っても彼女は亀裂から手を伸ばすばかりで昇ってこようとしない。いったい、何をもたついているんだと業を煮やしたカドックが上から亀裂を覗き込むと、そこには困り顔で泣きべそをかいているキングプロテアの大きな顔があった。

 

「うーん……うーん……」

 

「何、しているんだ?」

 

「マスター……昇れません」

 

現在のキングプロテアの体長は凡そ五メートル。対して階下の広場の天井までの高さも五メートルあり、そこに天井自体の厚みも加わったことで、こちらは彼女の頭一つ分くらい上の位置にいることになる。例えスポーツ選手でも、純粋な筋力だけで懸垂して自身の体を持ち上げるというのは容易なことではない。

 

「大丈夫、です。すぐに……大きく……なります、から……」

 

「……早く頼む」

 

先が思いやられると、カドックは大きくため息を吐いた。

前途多難なキングプロテアとの道中は、こうして始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

半透明の通路を、宛てにならない地図を手に奥へ奥へと進んでいく。

座標データは確かにマリアナ海溝を指し示しているのに、そこにあるべきセラフィックスはこちらが知る姿とはまったくの別物に成り果てていた。

しかし、壁に彫られたプレートや、所々でガラスの壁や床に文字通り埋もれている残骸は、確かにここが海洋油田施設セラフィックスであることを物語っている。

特異点化に伴い、内部構造が迷宮へと転じてしまったのだろうか。こちらは生存者がいる可能性が高い居住区や管制室などに向かいたいのだが、直通できる通路が存在しないため、地図上では上へ上へと昇る羽目になっている。このまま進めば、この施設にとって目と耳である通信アンテナが設置された区画に辿り着いてしまうだろう。

こんな時、アナスタシアがいてくれればと切に願わずにはいられなかった。

虚構を見破り、見えぬ壁の向こうも見通す透視の魔眼は、迷宮探索にあたって非常に頼もしいスキルであった。

 

(アナスタシアは無事でいるだろうか? それに、他のみんなは……)

 

通信は一向に回復せず、通路で出会うのはエネミーばかり。そのどれもが異質な物質で構成された人工物であり、生きた生物とはまったく遭遇しなかった。

戦闘力のない立香など、この弱々しい立方体にすら敵わないだろう。自分のように運よくサーヴァントと出会えていればいいのだが。

 

「あはは! えーい! やぁ!」

 

一方で、こちらはこちらで色々と頭痛の種が尽きない。言わずもがな、キングプロテアである。

自分で言うだけあって、キングプロテアの戦闘力は破格であった。そもそもステータスの内、筋力と耐久が測定不能のEX相当なのだ。並のエネミーはおろか、上位種と思われる鯨や類人猿型のエネミーすらほとんど一撃で粉砕してしまう。

戦い慣れていないのか、戦い方はほとんど素人ではあるが、何しろこの大きさなのだから、適当に手を叩きつけたり払い除けるだけで凶悪な範囲攻撃と化すのだ。

一方で、その大きさ自体が彼女の最大の弱点にもなっていた。今は五メートル程度にまで縮んでいるが、彼女は『グロウアップグロウ』というユニークスキルの効果で絶え間なく成長を続けている。そのため、すぐに体が大きくなって身動きが取れなくなってしまうのだ。

そもそもこのセラフィックスは彼女のような巨人が活動することを想定していない。車両が通れる区画ならばまだ何とかなるが、それ以外の場所だとほとんど這いつくばって動き回らねばならず、場所によっては部屋に入れないのでカドック単独での行動も余儀なくされた。

さっきも体長が十メートルを超えたせいで扉が潜れず、成長がリセットされるまで狭い部屋の中で足止めを食らっていたのだ。しかも、結局は天井にお尻がつかえてしまい、半ば無理やり押し込んで扉を破壊せざるをえなかった。

 

「マスター、わたし、強いでしょう?」

 

「ああ……ああ、そうだな……」

 

本人はそんな不自由など気にも止めず、こちらが制止しなければグイグイと前に進んでしまうので、カドックはその都度、彼女の成長のペースを計算にいれて探索を進めねばならず、一つの区画を進むだけでも途轍もない労力を要求される羽目になった。

そして、キングプロテア自身はそんなマスターの苦労など露ほどにも知らず、時々、子犬みたいに無邪気に尻尾を振るのが余計に質が悪い。ついでに言うと、戦闘の余波に巻き込まれないようカドックは彼女の後ろについているのだが、そうなると必然的に狭い通路を蛇行する巨大な臀部や剥き出しの足の裏を直視しなければならず、精神衛生上とても悪い気がしてくるのだ。

 

「あ、マスター……少し、広いところに出ました」

 

「そっちに行く。ごめん、少し脇を広げて……ありがとう」

 

通路が狭いため、仕方なくキングプロテアの膝裏や脇腹に体を擦りつけながら僅かな隙間を縫って進む。途中、くすぐったがって体を捩られた時は生きた心地がしなかった。

 

「なんだ、ここは?」

 

キングプロテアが言うように、確かに広い空間だった。位置関係から見て最初に訪れたのが恐らくは寄港した船舶を停めておくスペース、そこから通路を上へ上へと昇っていき、レーダーなどの探査設備が密集した区画に辿り着いたはずであった。

だが、ここにはあるべきアンテナの類は見当たらず、五十メートルはあろうかというほどの何もない空間が広がっているばかりだった。ここならキングプロテアも直立することができるだろう。

 

「うーん、背中が痛いです」

 

「我慢してくれ。何だか嫌な予感がする」

 

何もない開けた空間。理由もなくこんなデッドスペースを作る筈がない。引き返した方がいいと本能が訴えかけ、カドックは通路から這い出てきたキングプロテアに向かって元来た道を戻るよう叫ぶ。

だが、指示を下すのが僅かに遅かった。カドックが叫ぶよりも早く、キングプロテアは全身を部屋の中に入れてしまい、それと共に勢いよく扉が閉じて外部から施錠されてしまったのだ。

 

「扉が!?」

 

「……えい!」

 

鬱陶し気にキングプロテアは右足で扉を踏み抜かんとしたが、どういう訳か半透明の格子のような扉はビクともしなかった。

二度、三度と繰り返しても結果は変わらない。無意味に部屋全体が横揺れを起こしただけであった。

 

「――衛士(センチネル)から侵入者がいると報告を受けて駆け付けてみれば、まさかカルデアのマスターとは」

 

不意に脳内に響く甘い声。しかし、聞き覚えがあるはずのその声音はとてもどす黒い邪気を孕んだかのように重く腹の底へと響き渡った。

記憶が確かならば、この声はBBのもののはずだ。だが、カルデアの管制室で聞いた彼女の陽気なウィスパーボイスとは明らかに趣が違う。

呆れ、失望、絶望、諦観、憤怒、ありとあらゆる負の感情がない交ぜになったかのような、非情に淀んだ気を発している。

 

「いいでしょう、初回サービスで特別に本当のアングラサイトというものを垣間見せてあげましょう。瞳孔にレモンスカッシュをぶちまける準備はOK? エチケット袋は手に持ちました? 良い子も悪い子もまとめて分解混合(シェイク)、真っ黒なカクテルに変える悪夢の番組へ――GO! BBチャンネル、ON AIR、です!」

 

唐突に視界が塗り潰され、黒い桜吹雪が吹き荒れる。その向こうから現れたのは、見覚えのあるピンク色の収録スタジオであった。その中央、モニター前の司会の席に妖しく腰かけて白い食い込みを見せつけているのは、やはりというべきか黒衣に身を包んだ桜の少女。自分をこの特異点化したセラフィックスへと招き入れた謎のAI、BBであった。

 

「これは幻術か? 五感そのものに働きかける催眠とでもいうのか!?」

 

先ほどまで確かに自分はキングプロテアと共に謎の空間に立っていたはずだが、今はBBがいる収録スタジオの中にいる。しかも、視覚と聴覚以外の全ての感覚が消え失せており、蛸か海月のように宙を漂っているだけの奇妙な状態に陥っていた。

 

「静かに。舌を切り落とされたくなければ素直でいることです……そう、良い子ですね。鳴かない豚さんは好みませんが、うるさく鳴き続けるのもそれはそれはカンに障るというもの」

 

(こいつ……本当にBBか? 最初に会った時と雰囲気が……)

 

顔も声も同じではあるが、纏った雰囲気は全くの異質であった。この感覚はどこかで覚えがある気がするが、生憎とうまく思い出すことはできなかった。

 

「なるほど、レイシフトの際に堕天の檻(クライン・キューブ)に堕ちたのですね。そこを通じてここに来てしまったと……まったく、余計な仕事を増やしてくれて……」

 

「何を言っているんだ? ここに僕達を連れてきたのは君だろう?」

 

「……ええ、そうでしたね」

 

こちらが話の途中で割り込んだからだろうか、BBはほんの一瞬ではあるが呆けたように言葉を切り、どこか他人事のように答えを返す。

 

「あなたはセラフィックスの異常を調査する為に2030年へとレイシフトしてきた。ですが、残念ながらここにはあなた方が探す生存者は存在しません。このセラフィックス――――いえ、霊子虚構世界SE.RA.PHにおいて、生存している人間はあなただけなのですよ、カルデアのマスター」

 

赤い目でジッとこちらを見つめながら、BBは絶望的な一言を突き付けてきた。

生存者は存在しない。ここには生きている人間は、自分一人しかいないと。

生存者がいないかもしれないことは覚悟していた。全てが徒労で終わる、そんなこともあるだろう。だが、彼女の含みのある言い方が引っ掛かった。生きている人間は自分一人だけ。ここにいるカドック・ゼムルプス一人だけ。なら、もう一人は? 一緒にレイシフトしたはずの、もう一人のマスターはどうなった?

 

「さあ? 虚数空間に堕ちたか、エネミーに食べられてしまったか。それともキューブにされたのかもしれませんね。いずれにしても生存者はあなただけ。そして、ここでその命を奪えばわたしの邪魔をする者はいなくなる。電脳化したSE.RA.PHでは生身の人間は放っておいてもデータ化して消滅してしまいますが、それはそれとして羽虫を放置しておくのは鬱陶しいですからね」

 

残酷な笑みを浮かべながら、BBは手にした教鞭をこちらに突きつけてきた。冷や汗が伝う。逃げ出そうにも体の感覚が消えていて身動きが取れないのだ。

 

「止めてください! マスターから離れて!」

 

どこからかキングプロテアの叫びが木霊する。すると、何もない空間に幾つも亀裂が走り、乾燥した糊のようにピンク色の破片が剥がれ落ちていく。その向こうから顔を覗かせたのは、BBがSE.RA.PHと呼んだあの青いセラフィックスであった。

 

「キングプロテア……厄介な娘。劣化して尚、これだけの出力を……」

 

砕け散り、霧散していくBBチャンネル。キングプロテアが何かしらの反撃を行ったからか、BBは左肩からバッサリと裂けて赤い血が腕を伝っていた。

 

「いいでしょう。どうせ、いつまでも保つ訳がないのです。彼女の渇望は止まらない。その欲望に果てはない……恐れなさい、カルデアのマスター。あなたが契約したのは渇愛のアルターエゴ。全てを飲み込み、食らい尽くす亡者であることを」

 

「アルターエゴ? 何だ、そのクラスは? 君は彼女のことを知っているのか!?」

 

「あの娘のことならよく知っています。アルターエゴ――それはBBという存在から切り捨てられた不要なもの。BBという存在が本来持っていた尽きる事のない欲望を、複数の女神から抽出した要素と複合させることで生まれたハイ・サーヴァント。それがその娘の正体です」

 

「彼女が、BBから……」

 

アルターエゴ。別人格という意味だろうか? 通常の聖杯戦争には存在しないクラスだ。

聖杯戦争のクラスはあくまで英霊を形作る要素を抽出したものだ。剣に秀でている、騎馬に乗る、魔術を用いる、等々。一方で複雑な人間心理は物差しで測れるようなものではないので、同じ英霊でも異なる側面が抽出される場合がある。

騎士道の体現者として誉れ高き騎士王と、祖国を守る為に敢えて非情に徹した騎士王はどちらも同じ個人であり、そういった別側面での顕現をオルタ化というのだ。

だが、キングプロテアの場合はそれとも異なる。一個人から切り離され、そこから自我を確立したもう一人の誰か。故にアルターエゴ。そして、彼女のオリジナルはBBだというのだ。

つまり、元々はBB側の仲間であると言いたいのだろうか? しかし、キングプロテアはとても嘘が言えるような性格には思えない。スパイの類ではないはずだ。

 

「持て余しましたから。知っての通り、キングプロテアは無限に成長する。どこまでもどこまで、見境なく大きくなって世界を食らい尽くす。敵とか味方とか、彼女の中にはないのです。だから、若返りのリミッターをかけた上で封印されました」

 

「それじゃ……わたしは……」

 

「あなたは必要のない娘なの、キングプロテア。分かるでしょう? 動けば何かを壊してしまう大きな体。永遠に満たされることのない空腹。誰かに迷惑をかける形でしか生きていけない可哀そうなあなた。己のマスターすら食べずにはいられなくなるほどの空腹を、あなたはきっと覚えるでしょう。いえ、もう既にその片鱗には触れたのではなくて?」

 

その一言に、キングプロテアは激昂した。地響きを立てながらBBへと迫り、その大きな腕に力を込めて大きく振り上げる。

 

「違います……マスターは、マスターはくれました……わたしに、くれたから……だから……!」

 

舌足らずに叫びながら、振り上げた拳を容赦なく叩きつける。しかし、渾身の一撃はBBが展開した障壁の前に弾かれてしまい、キングプロテアはバランスを崩して尻餅をつき、そのまま二度、三度とバウンドしながら後退していく。

 

「うぅ……」

 

「キングプロテア!」

 

駆け寄ろうとするが、激昂したキングプロテアは苛立ち紛れに床を叩いて立ち上がり、カドックが足下にいるのにも構わずもう一度BBに向かって殴りかかった。

危うく踏み潰されそうになったカドックは、生きた心地がしないとばかりに胸を押さえて震え上がった。

自分がBBから生まれた存在だからか、或いは別の何かが癪に障ったのか、キングプロテアは叫び散らしながら何度も拳を振るい、逃げ惑うBBを踏み潰さんと足を降ろす。しかし、蜂か何かのように縦横無尽に飛び回るBBを捕まえることはできなかった。

 

「よせ、キングプロテア! これ以上、戦ったら動けなくなるぞ!」

 

戦いが長引くにつれて、キングプロテアの体は少しずつ大きくなっていく。この広場は奥行きこそあるが天井は十メートルそこらしかない。しかも、厄介なことに半透明な天井の向こうに見えているのは青い海だ。もしも、キングプロテアが天井に接触して亀裂が入れば、忽ちの内にそこから浸水して自分達は溺れ死んでしまうことになる。

 

「知らない! わたしは、あなたなんか、知らない! 消えて! お願いだから、消えて!」

 

虫を払うように腕を振るい、足下を疾駆するBB目がけて手の平を叩きつける。その衝撃で床や壁が陥没し、天井を支える柱が大きく軋んだ。壁全体がたわんだかのようにも見えた。これでは天井が突き破られるよりも早く、彼女の自重でこの区画そのものが陥没するかもしれない。恐らくBBはそれが狙いなのだろう。

何とかしてキングプロテアを止めなければ、彼女は自らの力で自滅することになる。だが、強制的に止めようにも既に令呪は使い切ってしまっている。自分程度の実力ではサーヴァント相手に暗示も効果がない。こうやって安全圏から声を張り上げるしかないのだろうか。

そして、とうとうキングプロテアが巨大な足を踏み下ろした瞬間、彼女の脚力と重さに耐え切れなくなった床が踏み抜け、バランスを崩したキングプロテアが前のめりに転倒した。

すぐに抜け出そうとしたが、そんな状態でも彼女の成長は止まらず、風船のように膨らんだ足が踏み抜いた穴に挟まってしまい、立ち上がることができなかった。

 

「無様な娘。自分自身すら制御できないなんて、とても同じものとは思えません」

 

「……違う、わたしは……」

 

「強欲で、貪欲で、みっともない汚れた感情。AIが持ってはならない――いえ、新しいヒト型生命として存在を許してすらおけません。ここで消えなさい、キングプロテア」

 

嗜虐的な笑みすら浮かべつつ、BBは手にした教鞭の先に魔力を込める。そのままとどめを差すつもりのようだ。

キングプロテアは必死で体を捩って逃げ出そうとするが、膨らんだ足はなかなか抜けてはくれない。いや、仮に間に合ってもBBの攻撃から逃れることはできないだろう。

彼女だけではBBに敵わない。

なら、自分はどうするべきか?

このままここで、彼女が倒されるのを黙って見ているべきなのだろうか?

戦っているのは規格外のサーヴァントであるキングプロテアとその生みの親ともいえるBBだ。

並のサーヴァントですら凌駕する破壊の嵐。その真っ只中に飛び込めるマスターなどいない。

身の安全を確保して支援を行うのがマスターとしての定石だ。

だというのに、カドックは走り出していた。

己が敵うかも間に合うかも分からない。合理的に考えれば自殺行為にも等しい。そんなことは分かり切っている。

それでも動かずにはいられなかった。

目の前で屈服した巨人。時に暴走しこちらにまで牙を剥く情緒不安定なサーヴァント。しかし、彼女は泣いていた。自分のことを必要がないと断じたBBに向かって、そんなはずはないと叫んでいた。

その声を無視できるほど、冷徹にはなれなかった。

魔術回路を励起させ、BBが教鞭を振るう直前の僅かな隙を狙って彼女の腕にガントを放ち、キングプロテアを庇うように二人の間に割って入る。

逸れた桃色の光線は、ほんの僅かにキングプロテアの腕を掠めていき、ガラスの側壁を抉り取った。直撃していれば、即死はせずとも手足くらいはもがれていたかもしれない。

 

「……正気ですか? 彼女を庇うなんて?」

 

「当たり前だろう、彼女は僕のサーヴァントだ」

 

「食われかけた癖に……何れ彼女は堪え切れなくなってあなたを飲み込みますよ」

 

「それでもだ。放っておくと思うか、彼女のような強いサーヴァントを?」

 

そうだ、キングプロテアは強い。このSE.RA.PHのエネミーなんて物の数ではない。圧倒的な質量から繰り出される暴力を止められる者なんて存在しない。そんな飛びっきりのジョーカーを捨て置くような真似はできない。

そして、何よりも彼女は自分のために駆け付けてくれた。やり方は乱暴でも、それが単なる欲求の表れだとしても、彼女は自分との契約に応じてくれたのだ。

制御の利かない能力、不安定な情緒、何がスイッチとなって取り乱すかも分からないので外れも良いところだが、その一点だけは絶対に信用ができる。

彼女のその無条件にも等しい好意だけは、絶対に蔑ろにしてはならないという確信があった。

 

「キングプロテアは僕のサーヴァントだ」

 

「マスター……」

 

泣きじゃくりながら、キングプロテアは安堵の笑みを浮かべる。

その様子を見たBBは、まるで不快なものでも見たかのように眉をしかめると、手にした教鞭で手の平を叩きながらこちらを威圧する。

 

「一時の感情に流されて……これだから人間はダメなのです。いいでしょう、お望みとあれば二人一緒に葬ってあげます」

 

教鞭に魔力を集中させながら、BBはこちらに迫る。

キングプロテアはまだ動けない。既に体は肩が天井にぶつかりかけているが、退行が始まるにはもう少しかかるだろう。

動けない彼女を庇ったまま、BBと戦うのは自殺行為だ。未だBBの能力は底が知れないが、キングプロテアと渡り合った点から見てもサーヴァント並の力を有しているはず。生身の魔術師でしかない自分ではとても歯が立たないだろう。

背筋に冷たい汗が流れる。

この何もない広いだけの空間では奇策も使えない。正に万事休すかと身構える中、不意にBBの動きがピタリと止まった。そして、不快感を露にしながら虚空を見やる。

 

「クラッキングですか……性懲りもなく。命拾いしましたね、カルデアのマスターさん。あなたの相手をしている暇はなくなりました」

 

苛立たし気に吐き捨てたBBは、教鞭をしまって指を叩く。途端に、風の通り道などない閉じた決戦場へ冷たい風が流れ込んできた。

 

「あなた達の相手は私の衛士(センチネル)がします。この霊子虚構世界を構成するエンジンにして防人となった四騎のサーヴァント。どれもあなたにとっては馴染みのある方でしょうね。あなたがどんな顔をして死んでいくのかを見れないのは残念ですが、精々、楽しんでくださいね」

 

愉悦で頬を緩ませながら、BBは何処かへと消えていった。

代わりに現れたのは、白と蒼のドレスを身に纏った、冷気を従えた白磁の肌の少女であった。

少女は感情のない顔でジッとこちらを睨んでいる。

その眼差しに覚えがあった。

結んだ唇の柔らかさを知っていた。

触れると肌が冷たいことを知っていた。

互いの視線が絡み合い、カドックは思わず後ずさった。

 

「アナス……タシア……」

 

BBに変わって立ち塞がったのは、他でもない、最愛(さいきょう)のサーヴァントであるアナスタシアであった。

 

 

 

 

 

 

ずっと気になっていた。

今まで一緒に戦い続けてきたが、こんな風に離れ離れになったのは初めてのことであった。

無事でいるだろうか、無茶なことはしていないかと心配だった。

だから、顔を見た瞬間に抱いたのは安堵の念であった。

しかし、その健気な思いは無残にも踏みにじられる。

駆け寄ろうと踏み出した瞬間、頬に痛みが走ったのだ。

それだけですぐに状況を察し、カドックは凍傷で痛む頬を手で押さえながらバックステップを踏んでいた。

 

「ごめん、手を!」

 

「は、はい!」

 

半ば転がるようにキングプロテアの胸元へと滑り込むと、彼女の大きな手が傘のように覆い被さった。

直後、無数の氷柱がキングプロテアの手の甲の表皮を抉り、頭上から苦悶の声が降り注ぐ。

 

「だ、大丈夫……です……これくらい……」

 

空いているもう片方の手で、キングプロテアはアナスタシアを攻撃するが、不自由な態勢からの平手打ちはまるで力が入っておらず、ヴィイの強烈な殴打で逆に弾かれてしまう。

 

「マスター、あの人は……」

 

「僕のサーヴァントだ。パスは活きているのに、どうして……BBに操られているのか!?」

 

こちらから送られる魔力を遮断してみるが、意味のない行為だった。そもそもカルデアのサーヴァントは存在維持に必要な魔力をカルデアの電力から賄っている。

マスターが供給する魔力はあくまで緊急時における一時的なものでしかない。これが平素であればカルデアに連絡して何らかの手段を講じてもらうのだが、生憎と今は通信が繋がっていないのでそれも叶わない。

拘束するための令呪も残っていないので、直接対決は避けられない事態であった。

 

「……抜けた!」

 

成長が止まり、キングプロテアの体が元の五メートルまで縮小する。自由の身になったキングプロテアは、嬉々として足を引っこ抜くと、四つん這いのまま四肢に力を込めて獣のように飛びかからんとした。

 

「下がるんだ! 距離を取れ!」

 

「いいえ、やれます! わたしの方が……強い……」

 

こちらの指示を聞かず、キングプロテアは駆け出した。体長五メートルの巨人が被弾すら厭わずに物凄い速度で突っ込んでくる姿はただただ恐怖しか湧かないだろう。

しかし、操られている状態のアナスタシアには無意味な話であった。臆することなく、侮ることなく、冷静に吹雪をぶつけて動きを阻み、次なる一手の布石を整えていく。

意図を察してカドックは制止するが、それでもキングプロテアは止まらなかった。保有している『狂化』の影響なのだろうか。

 

「マスターの前から……消えて!」

 

山が動く。

巨大な影が、小さき皇女を踏み潰さんと迫っていた。

そのまま成す術もなく皇女は床ごと踏み抜かれてしまうだろう。キングプロテアの胸中には勝利への確信があった。

それこそが彼女の術中。致命的に手遅れな瞬間こそが反撃の好機。因果を遡り、運命を覆す最悪の悪戯こそが皇女の奥の手だ。

 

「えっ?」

 

気づいた時には、キングプロテアは尻餅を着いていた。自分でもいったい、何が起きたのか分からなかったであろう。

アナスタシアは自身が踏み潰される寸前に『シュヴィブジック』を用いて因果律を狂わせ、キングプロテアを転ばせることで攻撃を回避したのだ。

そして、彼女の巨体では一度でも転んでしまえば機敏な動きを取り戻すのに時間がかかる。瞬く間に頭上を埋め尽くした幾本もの氷柱がキングプロテアの柔肌に食い込み、真っ赤な鮮血が飛沫を上げた。

 

「こ、こんなの、いらない……」

 

苦痛に顔を歪ませながらもキングプロテアは腕を払う。しかし、予期していたアナスタシアはヴィイの助けを受けて跳躍し、彼女の攻撃の射程外へと逃げ延びた。

体の大きさの差をものともせず、自らの能力を最大限に駆使して巨人の少女を圧倒する。端から見ているとまるで夢のような光景だ。

アナスタシアは決して強いサーヴァントではない。竜を倒した逸話も戦争を征した華々しい活躍もなく、歴史の波に翻弄されて無力なまま死んだ哀れな皇女。

精霊の使役にしたって、生前は魔術とは無縁で育ったため、才能に依るところが大きい。だが、だからこそ油断も慢心もしない。

己の能力を十分に理解し、その上で最善に行使する。弱点を生み出すというたった一つの武器を頼りに格上を封殺する。事実、ここまでエネミー相手にまともなダメージを負わなかったキングプロテアの体には幾つもの裂傷や凍傷が生まれていた。

アナスタシアが魔眼の力で無理やり弱点を創出し、そこを攻撃しているからだ。

 

(さすがは僕のサーヴァントか……何を言っているんだ)

 

頭を振って気持ちを切り替える。

このままではキングプロテアが倒されてしまう。遮るものが何もない開けた空間は彼女の独壇場だ。それに機敏に動けるほど小さくはなく、圧倒できるほど大きく成長する余裕もない今のキングプロテアでは相性が悪すぎる。

 

(だが、やれるのか……僕に彼女を……)

 

殺さずに無力化し、洗脳を解く。彼女の強さは自分がよく知っている。付け入る隙がない訳ではないが、だからといって容易な相手ではない。失敗する可能性だって大きい。

それでもやるしかない。でなければ倒されるのはこちらなのだ。

 

Sword,or Dearh

 

思考を走らせ、次の一手を揃えながら倒れているキングプロテアの脇をすり抜ける。

まずは何とかして、彼女の注意をキングプロテアから引き離さねばならない。

 

「こっちだ!」

 

駆け抜け様に幾つもの氷柱を撃ち込む。徘徊しているエネミーならば、当たり所次第では重傷を負わせることができる威力を秘めたその攻撃は、しかしアナスタシアには届かない。

舞い上がった吹雪が氷柱を吹き飛ばし、逆に彼女が生成した倍以上の氷柱がこちらに向けて放たれてきた。

焦る思考を理性で抑えつける。

落ち着け、全てが当たる訳ではない。

冷静に、致命的な一撃だけを見極めて迎撃する。

一発、二発、三発。氷塊をぶつけ、冷風で逸らし、肉体強度を強化して臓器への致命的なダメージを防ぐ。全身の至る所に裂傷を負ったが、辛うじて致命傷は避けることができた。

だが、そう何度も上手くいくものではない。今ので倒せないとなれば、次は倍の数が飛んでくるだろう。そうなれば自分の実力では防ぎようがない。

この一呼吸の間に終わらせなければならない。でなければ敗北するのは自分の方だ。

故に――切り札を早々に切らねばならなかった。

 

「Set!」

 

取り出した礼装に魔力を流し込む。

長ったらしい詠唱も段取りを踏んだ儀式も必要がない。これはただそれだけで起動する護符であった。

その表面に描かれているのは、何の変哲もない紋様。普通の者にとってはただそれだけの代物だ。

だが、彼女だけは違った。

再び、こちらを攻撃せんと魔力を溜め込んでいたアナスタシアは、礼装が起動するなり目を見開き、すぐさま両手で顔を覆ってこちらから視線を逸らしたのだ。

一瞬の隙が勝敗を決する戦場において、それは最悪の悪手である。

 

「ごめん」

 

言葉にせずにはいられなかった。

カドックが起動させたのは、対魔眼用の護符だったのだ。

発動条件は護符の所有者を見つめる事。それにより護符に刻まれた紋様が所有者の肉体を覆い隠し、相手の視覚に悪性の情報を叩き返す。

ただの人では認識すらできないため意味はないが、魔眼の保有者であれば視神経に強烈な負担をかけることができる。

これは古来から各地に伝わる邪視避けのお守りをカドックなりに改良したもので、いつかこんな日が来た時のためにアナスタシアにすら秘密にしていた奥の手だ。

そう、これは()()()()()()()()()()()()()()()()用意しておいたものなのだ。

己を卑下にせずにはいられない。口ではどれだけ信頼を語ろうとも、蓋を開けばこの様だ。

魔術師は決して他人を信用しない。例え絆を深めたサーヴァントであろうと、いつか己を裏切った時に備えてこのようなものを準備しておくヒトデナシなのだ。

 

「Set――」

 

魔術回路から魔力を絞り出し、脳内に生み出すべきものをイメージする。己の内から有を生み出し世界に投射する投影魔術だ。

何度も何度も訓練で繰り返してきた行為。しかし、普段はナイフだとか燭台のような比較的な簡易なものを作り出すことが多かった。

これから生み出そうとしているような複雑な造りのものを投影するのは初めてのことである。成功率は、恐らく二割に満たないだろう。

加えて上手くいっても持って十数秒。失敗は許されない。

 

(焦るな、冷静になれ。訓練通りにやるんだ……)

 

未だ護符の効果で動けずにいるアナスタシアは、今度は猛烈な吹雪を起こして視界を遮ろうとする。

直接、見つめることができないのならば視界を遮って魔眼に頼らず攻撃しようという腹積もりのようだ。

これはまずい。

向こうがどこから襲い掛かってくるのか分からないし、吹雪の寒さと勢いで集中が削がれてしまう。

 

「くっ……このっ!!」

 

覚悟を決め、手の中に生まれた熱に形を叩き込む。

直後、変質を始めた魔力の塊に亀裂が走り、地面に叩きつけられたガラスのように弾け飛んでしまう。失敗したのだ。

同時に吹雪の向こうから青白い瞳が輝いた。ヴィイの眼だ。猛烈な風圧の向こうから、何かが向かって来ているのが嫌でも分かる。

正面か、真横か、それとも上からか。凡人である自分の実力ではヴィイの攻撃を防ぐことなんてできない。一か八か、攻撃が飛んでこないことを祈って吹雪の向こうに逃げ出すしかない。

 

「マスター!」

 

吹雪の向こうからキングプロテアの叫ぶ声が聞こえ、巨大な白い壁を掻き分けて彼女の巨体が姿を現した。

あちこちに傷を負い、白い肌や包帯が真っ赤に染まっている。部分的に凍り付いている箇所もあった。

そんな傷だらけの状態で、キングプロテアはこちらを庇うように覆い被さってきたのだ。

忽ち、肉が抉れる不快な音が聞こえてくる。彼女の背中に巨大な氷柱が突き刺さったのだ。

 

「くあああっ!」

 

「キングプロテア!?」

 

「マスター……はやく……わたしが……守っている……から……」

 

覆い被さる圧力が少しずつ大きくなっている。肉体の成長で強引に傷を塞ごうとしているのだろうか。だが、それで痛みがなくなる訳ではない。ただ魔力が切れる最後の一瞬まで、苦しみが続くだけだ。

 

「……Set!!」

 

もう一度、魔力を集中する。

もう失敗は許されない。自分を賭して守ってくれているキングプロテアの為にも、ここで戦いを終わらせなければならない。

相手は最愛のパートナー。これから成すべきことは最も彼女を追い詰め傷つける唾棄すべき所業。

それでもやらねばならない。

渇愛のアルターエゴと呼ばれた少女がどうして自分に縋って来たのか、分かったような気がした。

生みの親に否定された彼女が見つけた、新たな居場所が自分のサーヴァントという立場だったのだ。

だから、信頼を得ようと必死になっていたのだ。

その無垢な思いを無駄にはしない。彼女に報いるためにも、自分は最悪をこの手に成す。

イメージしろ。

必要なのは見てくれだけだ。中身なんてどうでもいい。

創造の理念を無視し、基本となる骨子を代替し、構成された材質は誤魔化し、制作に及ぶ技術をねつ造し、成長に至る経験には目も暮れず、蓄積された年月を模倣する。

あらゆる工程を嘲笑い、必要な幻想だけを形と成す。

 

「いいぞ、退くんだ!」

 

「はい!」

 

キングプロテアが身を翻し、視界が開ける。

一人の少女と対峙した。

感情を殺され、操り人形と化したパートナー。

未だ護符の呪縛から抜け切れていないのか、彼女はこちらと目を合わそうとしない。

ヴィイは近くにいなかった。キングプロテアが握り締めて動きを封じていたのだ。

 

「Aa――――」

 

まるでこちらを拒絶するかのように、幻影の砦が出現する。

残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』。アナスタシアが保有する二つの宝具の内の一つ、堅牢な守りは如何なる攻撃からも彼女自身とその家族を守る。

しかし、これは同時に皇女にとって忌まわしき過去の思い出だ。

革命の波に追われ、家族と共に過ごした最後の居城。薄暗い地下室で無慈悲にも銃弾を浴びた最期の地。

故にこれは鉄壁の護りであると共に、彼女を縛り拘束する牢獄でもあるのだ。

その城塞をキングプロテアの一撃が破壊する。

巨大な平手が、魔力で焼かれるのにも構わず尖塔を押し崩し、瓦礫の向こうから身を固くしている皇女を再び外へと引きずり出した。

 

「……っ」

 

奥歯を噛み締め、断腸の思いで手にしたそれを最愛の人に向ける。

暗く、黒く、無慈悲なまでに残酷な銃口。

投影によって生み出された模造銃がかつてそうしたように、ロマノフの皇女へと牙を剥く。

一瞬、アナスタシアの顔が恐怖で歪んだ。

胸を去来する痛み。

彼女を貶めるこの所業を、カドックはきっと生涯に渡って忘れることはなく、また己を許すこともないだろう。

 

「ごめん」

 

引き金を引く。同時に限界を迎えた投影品は魔力の塵となって霧散した。

急ごしらえの投影では複雑な銃器の構造など模倣することはできず、あくまで見た目をそれらしく細工した出来損ないであった。

当然、弾が飛び出る事はないし火薬も炸裂しない。だが、先ほどの護符で視界を封じられていたアナスタシアにはそれが本物であるか偽物であるかの区別など付かず、自分がいつかの時のように銃撃されたのだと思い込むには十分であった。

 

「あああ――ああ――――あああぁぁぁっ!!!」

 

アナスタシアは両手で頭を抱え、半狂乱となって取り乱す。

ここが戦場であることも、すぐ側に敵が迫っていることも忘れ、必死に手を振ってこちらから距離を取ろうとする。

動揺のあまり魔術を使うという思考すら頭から消えているようであった。

そんな隙だらけの彼女にカドックは無言で近づき、一瞬の躊躇の後に振り乱す腕を掴んで自分の胸の内へと彼女を抱き寄せた。

逃れようとするアナスタシアの冷たい手が頬を叩くが、カドックはされるがままに任せ、無言でお互いを繋ぐ魔力のパスに意識を集中させて残された己の魔力を彼女へと注ぎ込んだ。

この至近距離ならば、魔力を流し込む勢いを利用して彼女に仕組まれた洗脳の術式を洗い流せるかもしれない。それは自身に流れる血液を全て輸血するかのような蛮行ではあったが、他に打つ手は思いつかず、また仕方がなかったとはいえ彼女のトラウマを利用した自分自身への罰としてその苦しみは甘んじて受け入れた。

やがて、アナスタシアは意識を失ってカドックの腕の中で動かなくなった。

まだ悪夢を見ているのか、瞼が少しだけ震えている。だが、腕の中に伝わってくる確かな鼓動が、彼女の無事を何よりも物語っていた。

 

「マスター」

 

キングプロテアが心配そうにこちらを見つめている。アナスタシアがBBの呪縛から解放されたからなのか、いつの間にかヴィイも大人しくなっていた。

 

「…………」

 

アナスタシアを抱きしめる腕に力を込める。

怒りが込み上げてきた。

彼女に悪夢を呼び起こさせた己への怒り。

そんな手段を講じねばならなかった己の無力への怒り。

そして、そこまで自分を追い詰めたBBへの怒りだ。

絶対に許してはおけない。

何を考えてセラフィックスをSE.RA.PHへと変え、自分達を招き入れたのかは知らないが、必ずやこの報いは受けてもらう。

カルデアのマスターとしてではない、カドック・ゼムルプスとして彼女に報復するのだ。

 

「BB……お前が何者かはもう問わない。何もかもを滅茶苦茶にしてやる……僕の全てを賭けて、必ずだ!」

 

慟哭にも似た叫びが深海に木霊する。

激しい怒りに震える様を、渇愛のアルターエゴはただ沈黙して見つめることしかできなかった。




感想にプロテアいれば楽勝とか相手の方がハードモードという意見がありました。
まさかそう簡単に主人公に無双させる訳ないでしょう(愉悦)。

実際のところ、ゲームならまだしも舞台となるSE.RA.PHは屋内でしかも深海です。大きいということはそれだけで不利になります。
逆にカドックくんは這いずり回る巨大なお尻を常に見つめながら探索せざるえない訳でして……うん、我ながら酷い描写だ(笑)
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