Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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#4 ヴァーチャル・スティール あいつこそがローマの皇帝陛下!

ローマ帝国第五代皇帝ネロ・クラウディウス。

後世においては暴君ネロと呼んだ方が通るかもしれない。

その名に反して彼女――否、彼は間違いなく賢王であった。母親の陰謀による後押しがあったとはいえ、女の身で皇帝にまで上り詰めることができたのは、偏にネロがそれに相応しい器を有していたからだ。

その治世は一言で言うならば絢爛、そして豪奢である。

税の流れを一本化すると共に公共事業や宴に力を入れ、ローマを娯楽と快楽に満ちた都とせんと苦心し、それは市民に受け入れられた。

一方で我が子に干渉する母親の謀殺や、関係が冷え切った伴侶を流刑に処すなど徐々に狂気の片鱗を見せ始め、ローマの大火の前後からネロ帝の統治に不信を抱く者も増えていった。

ネロは一個人としては間違いなくローマを愛し、ローマを体現せんと邁進したことだろう。だが、それは政に持ち込むには些か大きすぎる愛であった。

彼にとっての最大の不幸は、その愛を理解できる者が誰一人としていなかったことだ。

ネロは最終的には愛した民に裏切られ、失意の底で三度の洛陽を迎えた後に死を迎えたという。

また、後年においてその名は獣を意味する「666」として忌み嫌われ、人々から暴君として恐れられた。

それが英霊ネロ・クラウディウスの生涯であり、数多の悪逆をもって反英雄として人類史に名を刻まれたのである。

 

 

 

 

 

 

「既に攻撃は……始まっていたのか……」

 

徐々に増していく虚脱感に顔を顰めながら、カドックは向かい合った衛士(センチネル)を睨みつける。

その様は正に威風堂々。あの細腕でローマという一つの世界を背負って立っただけあり、何人も近寄り難い神聖さにも似た気を纏っている。

深紅の衣装に身を包んだ剣士。名をネロ・クラウディウス。

セラフィックスの異変解決の為に、自分達と共にレイシフトしてきてカルデアのサーヴァントだ。

アナスタシアの一件で、もしやとも思っていたが、どうやら彼女もまたBBに囚われて衛士(センチネル)に仕立て上げられてしまったようだ。

なら、他の二人も同じく囚われている可能性が高い。それはある意味では朗報であった。衛士(センチネル)を攻略し洗脳を解けばこちらの戦力を増やすことができるからだ。

未だ能力が未知数なBBと事を構えるにあたって、戦力は一人でも多い方が良い。

 

(問題は、どうやって彼女を取り押さえるかだが……)

 

ネロに注意を向けたまま、自らの手を見やる。

ほんの僅かに動きが鈍い。もしく重いと表現するべきだろうか。

既に自分達は、彼女の宝具『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』の影響下にある。

曰く、市民が喚こうと妊婦が産気づこうと皇帝は公演を止めず劇場から外には出さなかった。その逸話故に、ここではネロの能力は増強され、それ以外の者達は強力な重圧を受ける。

より正確に言うならば、ここではあらゆる事象が彼女にとって有利に働いてしまう。ネロの不運は幸運へと転じ、逆にこちらの運気は不運へと落ちる。その性質故に彼女はサーヴァントとして他のセイバーよりもステータスで劣るにも拘わらず、格上を相手にジャイアントキリングを可能とする。

正に暴君が暴君たる所以の宝具である。

本来であれば煌びやかな黄金の宮殿が現出するのだが、BBの悪知恵によるものなのか、今回は迷彩を施された罠として先んじて展開されていたようだ。

まさかこの宝具をこのような形で使ってくるとは思わなかった。

 

「来るぞ……」

 

Sword,or Dearh

 

ネロが無言で剣を構えると、周囲から武装した人型のエネミーが隊列を組んで出現する。

どうやらあれは軍団(レギオン)のつもりのようだ。

不利な地勢に数の利、対してこちらは遠距離が本領のアナスタシアと巨体故に融通が利きにくいキングプロテアだ。果たしてどこまで戦えるだろうか。

 

「……嫌な感じ……が……」

 

「来るぞ、キングプロテア。警戒しろ!」

 

「……こんなの、いらない!」

 

宝具による重圧への不快感を露にし、キングプロテアは地を蹴った。

ここでは彼女の動きを阻害する障害物は何もない。主を守らんと密集した軍団(レギオン)など軽々と踏み越え、一足の下でネロへと肉薄する。

 

「あなたを、倒せば……!」

 

「迂闊だぞ、キングプロテア!」

 

「えい!」

 

着地と共に強烈な張り手が薔薇の皇帝へと迫る。

さながら隕石の衝突だ。大気を引き裂く音すら聞こえ、直撃を受ければどんなサーヴァントでも無事では済まないだろう。

しかし、それは平時の話だ。ここは既にローマの支配下。ネロの絶対皇帝圏の影響下では、何者であれその力を十二分に発揮できない。

 

「えっ!?」

 

張り手が後少しでネロに直撃するというところで、キングプロテアはバランスを崩して床の上に転がった。

巨体が倒れ込み、地震のような振動がSE.RA.PHを襲う。必殺の張り手はネロを捉える事無く何もない空を叩き、逆にネロの接近を許してしまったことで彼女の攻撃がキングプロテアの左腕の皮を引き裂いた。

 

「ぅっ!? あああぁっ!」

 

傷そのものは浅いが、痛みを堪え切れずにキングプロテアは叫ぶ。

まるで駄々を捏ねるように転がったまま裏拳を放つも、やはりそれは空しく宙を切り、何もない床を砕いただけであった。

一方、紙一重で攻撃を避けたネロは、キングプロテアの腕をよじ登って手にした剣を翻すと、無防備な肘窩へと深々と刃先を突き刺した。

忽ち、鮮血が噴き出してキングプロテアは暴れ出した。医療の現場ではそこに注射針を刺して採血を行うなど、比較的鈍感な部位ではあるが、あの歪曲した剣では血管も肉もお構いなしに引き裂かれるため、実際の痛み以上に精神的なダメージが大きい。

錯乱したキングプロテアは何とかネロを捕まえようと身を捩り、まだ無事な腕を伸ばすものの、ネロは巧みに攻撃を回避して彼女の死角へと回り続け、脇腹や膝裏など筋肉の守りが薄い部分を的確に責め立てていく。

並外れた生命力故に致命傷こそ貰っていないが、それも積み重なれば無視できないダメージとなるであろう。

 

「まずい、アナスタシア(キャスター)、援護を!」

 

「分かっています! けど!」

 

立ち塞がる軍団(レギオン)目がけてアナスタシアは吹雪を起こす。

凍り付く人形の兵隊達。しかし、その向こうから更に雲霞の如く新たな兵士が押し寄せてくる。これではキングプロテアの救援に向かえない。

一糸乱れぬ整列、的確な部隊運用。数の利を活かした蹂躙と消耗戦。無駄がない分、付け入る隙もない。

言うまでもなくネロは皇帝であり、皇帝とは即ちローマである。ならば、自分達は今、一国を相手にしているのと同じプレッシャーを受けていることになる。

 

「さすがに世界(ローマ)を背負っただけはあるか」

 

向かってきたエネミーの一体を、魔力を全開にして吹っ飛ばしながらカドックは呟いた。

一体一体の強さはさほどでもなく、思いっきり力めば自分でも倒せないことはない。問題は数だ。アナスタシアの広域攻撃のおかげで何とか持ちこたえているが、逆に言えば軍団(レギオン)をどうにかしない限り彼女はここを動くことができない。それではキングプロテアが何れは押し切られてしまう。

 

「城塞はまだ修復中です、どうするのカドック(マスター)!?」

 

残光、血塗られた城塞(スーメルキ・クレムリ)』は先の戦いでキングプロテアに破壊されたため、まだ修復が完了していない。

残された奥の手は彼女の宝具『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』のみではあるが、闇雲に放っただけでは効果は薄いだろう。

ならば、取るべき手段は一つである。

 

「黄金劇場は建造物だ。なら、君の眼が利く! いつものように、向こうの方からこっちに降りてきてもらうまでだ!」

 

「ですが、彼女の宝具で私の魔眼も上手く働いていません。少しだけ時間がかかります!」

 

「そっちは僕とキングプロテアで何とかする! 道を作ってくれ!」

 

「ヴィイ、お願い!」

 

アナスタシアの懇願を聞き入れ、彼女の影から這い出てきたヴィイが青白い眼から光を照射し、カドックの眼前に群がっていたエネミーを瞬時に凍結させる。

それだけに留まらず、白い光は氷の壁を生み出してキングプロテアのもとまで続く一本の道を作り出した。立ち塞がる軍団(レギオン)を押し退ける様はまるでモーセの十戒だ。

 

カドック(マスター)!」

 

「頼んだ! アナスタシア(キャスター)!」

 

両足に強化を施し、カドックは氷の道を疾駆する。駆け抜けた直後に殺到したエネミーによって氷の壁は破壊されるが、アナスタシアとヴィイが抑えてくれているのでこちらにまで攻撃の手が届くことはなかった。

眼前では淡々と巨人の処刑が執行されていた。

傷が一つ増える毎に少女の叫びが木霊し、それをかき消す新たな悲鳴が傷と共に産み落とされる。傷口は成長によって端から回復していっているが、それ故に刑は終わらない。

少女が諦め絶望に浸ろうとも、貼り付けにされたプロメテウスの如く終わらぬ苦痛に苛まれることになる。

薔薇の皇帝は眉一つ動かさず、まるで人形のように黙したまま剣を振るい続けていた。

もう何度目かの怒りが込み上げてくる。

人類史に刻まれたゴーストライナー。召喚した主を選べぬサーヴァントの在り方について同情がない訳ではないが、いつだってそれはそれと割り切ってきた。

だが、この仕打ちはあまりに度が過ぎている。英霊としての尊厳を踏みにじり、貶める蛮行だ。

彼の皇帝ならば、例え悪逆に与そうとも己の信念の下で剣を振るうはずだ。BBはそれを許さぬどころか、英霊の誉れである宝具すら改竄し弄ぶ。許してなどおけるものか。

 

「キングプロテア!」

 

滑り込みながら、ネロ目がけて吹雪を放つ。対魔力で弾かれるのは百も承知、これは目くらましによる時間稼ぎだ。一秒にも満たない硬直だが、サーヴァントであればそれだけで十分に態勢を立て直すことができる。

間断のない痛みから解放されたキングプロテアは、こちらの頭上を跨いで大きな平手をネロ目がけて振り下ろす。大振りな一撃は当然のことながらネロを捉えることはできなかったが、その勢いを利用してキングプロテアは起き上がり、乱れた呼吸を必死で整えながら足下にいるこちらを見下ろした。

 

「マスター……」

 

「援護する。僕を肩に乗せろ!」

 

「え、でも……」

 

「早く!」

 

剣を構えたネロが迫る。相手は最優のクラスであるセイバー。ただの人間がその剣速から逃れる術はない。

戸惑うキングプロテアに再び一喝すると、彼女は戸惑いながらも腕を伸ばし、無造作にこちらの体を掴み上げる。直後、先ほどまで自分が立っていた場所にネロの剣が振り下ろされた。後、一瞬でも遅ければ丸太のように切り捨てられていただろう。

 

「マスター、気を付けて……」

 

「こういうのには慣れている」

 

振り落とされないよう魔力で四肢を強化する。現在のキングプロテアの体長は凡そ八メートル。掴める部分もなく足場もやや心もとなかったが、ウルクや終局でゴルゴーンの肩に乗って戦った事があるからか、バランスを取るのに苦労はしなかった。

まさかここに来て、その時の経験が活きるとは思わなかった。

 

「マスター、攻撃が……当たりません……」

 

「セイバーの宝具の効果だ。この宝具が展開している限り、あらゆる幸運は彼女に集中する」

 

こちらの攻撃は躓いたり力み過ぎて空振りを繰り返し、逆に向こうの何気ない一撃が偶然にも急所へと導かれる。

加えてこちらのステータスにもペナルティが課せられているのだ。まともにやり合えば勝負にはならない。

この宝具に対抗するためには、不運を覆せるだけの神業染みた技量を持つか、宝具を真っ向から打ち壊せるだけの圧倒的な火力が必要となるが、生憎と今の自分達にはどちらも欠けている。

故に勝利の鍵はアナスタシアの魔眼にかかっている。自分達はそれが発動するまでの時間を稼がねばなならない。

 

「マスター、どうすれば?」

 

「やり様はある! この宝具は因果に干渉する類じゃない。単なる確率論ならダイスを振らせなければ良いだけだ!」

 

「どういう……意味……」

 

「こっちの指示通りに動けば良い! 来るぞ!」

 

距離を取ったネロが、剣を下段に構えたまま疾駆する。そのまま大きく助走をつけて跳躍し、その勢いに任せて振り上げた剣をキングプロテアに向ける。巨人に対して無謀としか思えない突貫。宝具の恩恵がなければできない芸当だ。今の彼女には、キングプロテアのあらゆる攻撃を躱し切れるという自負がある。

 

「来た……」

 

「まだだ、まだ動くな! そのままガードしてろ!」

 

攻撃を警戒して後ろに下がろうとしたキングプロテアを一喝し、両腕を構えさせる。

言うならば眼前に迫る刃物を凝視したまま堪えろと言っているようなものだ。加えて今の彼女は自らの絶対的な優位性とも言える質量とパワーをまるで活かせず手酷くやり込められたばかり。怯む気持ちも分かる。

だが、ここは耐えねばならない。怯えは焦りを生み、焦りは隙を作る。恐怖を支配しなければこの戦、勝機はない。

 

「まだだ……まだ……今だ!」

 

「はい!」

 

加速航路(加速しろ)!」

 

ギリギリまで引き付けたところで、号令を発する。

強化の魔術を施され、ほんの僅かに速さが増したキングプロテアの一撃。至近距離故に踏み込みも何もなく、ただ腕を払っただけであったが、そんな隙だらけの攻撃をネロは躱し切ることができず、空中で錐もみを切りながら眼下へと落下していった。

 

「え、当たった……」

 

「次が来るぞ。前は見なくていい、足下と背後に注意しろ!」

 

「はい!」

 

立ち上がったネロの姿が視界から消える。

せめて少しでもキングプロテアが相手の動きに対応できるよう、彼女の五感に強化を施しながらカドックは油断なく周囲を警戒した。

この宝具は例えるならばネロにとっての追い風だ。あらゆる攻撃、あらゆる防御、あらゆる事象がネロにとって有利な状況を作り出す。だが、ネロ自身がそれを操っている訳ではない。

彼女の身体能力や技量ではどう足掻いても躱すことができない至近距離からの攻撃。あらゆる事象が介入の余地を持たない局面での攻撃ならば有効打に成りえるのだ。

故に神にダイスは振らせない。ギリギリまで引き付け、攻撃が100パーセント命中する局面を見極めるのだ。

 

「……後ろ!」

 

振りむこうともせず、キングプロテアはバックステップを踏む。完全に死角から切りかかったつもりでいたネロは、剣を突き立てる間もなく巨大な肉の壁へと激突し、後方へと吹っ飛ばされた。

 

「次が来る! ガードしろ!」

 

「はい!」

 

「当てに行かなくていい、とにかく引き付けるんだ」

 

「は、はい! キャッ!?」

 

「隙を逃がすな、次が来たらアタックだ!」

 

目まぐるしく動き回るネロに対して、キングプロテアはこちらの指示を受けながら防戦に徹する。

正面からの攻撃には守りを固め、タイミングを合わせて裏拳や平手でカウンターを狙う。

死角からの攻撃は、逆にタイミングをずらしてわざと当たりにいくことで傷を最小限に抑える。

超至近距離からの攻撃はさすがの暴君も躱しようがなく、先ほどまでと打って変わって互いに応酬を繰り返す形となった。

キングプロテアの攻撃はその質量故に受ければダメージは必至。ネロも急所への集中攻撃や宝具の重圧を強めることで動きを止めようとするが、カドックが支援を施すことで不利な状態異常は最低限に抑えることができた。

しかし、いくらこちらの攻撃が通るようになったといっても、それは被弾覚悟でのカウンターであり、キングプロテアにダメージがない訳ではない。加えて宝具による重圧はますます強くなっていき、次第にキングプロテアの動きは鈍っていった。

そして、熾烈な殴り合いが始まって十数分。遂にキングプロテアは地面に足を取られ、十五メートルほどの巨体が大きく揺らいで床へと倒れ込んだ。部屋全体が大きな縦揺れを起こし、避け損なったエネミーが彼女の巨体の下敷きとなる。

 

「うぅ……マスター……マスターは……?」

 

「……無事だ」

 

蜘蛛の巣に囚われた蝶々のように、キングプロテアの髪の毛に絡まりながら、カドックは答える。

倒れ込んだ時は生きた心地がしなかったが、何とか魔術で衝撃を緩和することができた。背筋は冷たくなったが五体は無事である。

 

「急いで起きてくれ、セイバーが来るぞ!」

 

「は、はい……」

 

痛みを堪えながら、キングプロテアは半身を起こす。

既に両手足は血塗れで傷を負っていない場所を探す方が難しい。攻撃が当たるとはいえ重圧により満足に筋肉は動かないため、どうしても致命傷を与えることはできなかった。

結果、キングプロテアはネロと何十合も打ち合う羽目になり、彼女の腕は限界を迎えつつあった。傷は放っておけば塞がるが、過度の痛みでうまく動かすことができないのだ。

 

「マスター……腕が……」

 

「動かせるか?」

 

「振り回す……くらいなら……」

 

拳を握ったり、攻撃を受け止めたりはできないらしい。

次にネロが攻撃に移れば、致命傷は免れないだろう。或いはキングプロテアではなく無防備なマスターを狙ってくるかもしれない。

何れにしても自分達にできるのはここまでだ。これ以上はもう、暴君の攻撃を捌き切ることができない。

向こうもそれに気づいているのか、乱れた呼吸を整えながらゆっくりとこちらに近づいてきている。

そして、後一歩を踏み出せば、一足飛びで切り込めるギリギリの距離まで近づくと、断頭台の刃を上げるかのように歪んだ刃の剣を振り上げる。

 

「……っ!?」

 

瞬間、ネロは眩暈を起こしたかのようにバランスを崩し、手の平から剣が零れ落ちる。

乾いた音が黄金劇場に木霊した。ネロの手を離れた剣は、床に落ちると一度だけ跳ね上がった後、まるで慣性がついたカーリングの石のように明後日の方向へと滑っていく。

驚愕するネロは、自らの吐息が白く染まっていることに気づいて目を見開いた。

凍っているのだ。

黄金劇場の床一面が、人知れず真冬の湖のように冷たく凍り付いていたのだ。

 

「既にアナスタシアは、建物全体に冷気を満たしていた。気づけなかったか? 息が上がるほど動き回って体が温まっていたからか?」

 

寒さに震えながらも、カドックはネロに向けて挑発的な笑みを浮かべる。

その微笑みをネロは表情を変えることなく、しかし確かな怒気を持って睨み返していた。

一方、事情が分からないキングプロテアは狼狽を露にし、自身の肩に乗っているマスターに問いかけた。

 

「マスター、これは……」

 

「寒冷地に適応した生物は大型化する傾向がある。冷気に晒されると肉体は体内のカロリーを燃焼させて体温を保とうとする訳だが、体積が大きい方が燃焼効率が良いんだ。逆に小さければ熱の発散効率がよく体温が下がりやすい。つまり、体が大きいほど寒さには強い!」

 

既に黄金劇場の内部は氷点下にまで気温が下がっている。普通の人間ならば防寒具がなければ数分と保たず、サーヴァントといえど活動に支障がきたすレベルだ。当然のことながら、この中で活動する生き物はただ息をするだけで凄まじい体力を消耗する。キングプロテアはまだそこまでではないが、彼女よりも代謝が早いネロは凍り付いた汗にすら体力を奪われ、立っているのもやっとの有り様だった。カドックがわざわざキングプロテアの肩に乗ったのは、何も伊達や酔狂ではない。魔術で防御しても貫通してくるレベルの冷気から身を守るため、少しでも高い位置に逃れるためだったのだ。

もちろん、ただの魔術であればネロの対魔術スキルを突破する術はない。魔術による凍結も生み出された冷気や氷柱も悉くを弾いてしまうだろう。だが、既に凍らされた物体が放つ冷気は別だ。それは既に魔術によって生み出されたものではなく、その物体自体が自然に放っている冷気であるため、キャスターの天敵ともいえる対魔術スキルは意味を成さないのだ。

そして、いくらアナスタシアの冷気操作がずば抜けているとはいえ、こんな芸当がいつでもできる訳ではない。開けた空間ではすぐに冷気は拡散し周囲の大気へ溶け込んでしまう。だが、この場は今や暴君ネロの黄金劇場。誰一人とて外へと出られぬ密室ならば、逃げ場を失った冷気は霧散することなく滞留していくしかない。何ものも例外なく外へは出さないという概念が、これほどまでの凍結を可能としたのである。

 

「僕が最優のクラス相手に一対一で挑ませるなんて愚策を許す訳がないだろう。セイバー、君は最初からキングプロテアとアナスタシアの二人を相手にしていたんだ!」

 

「もちろん、これは時間稼ぎ。私が見つけ出した基点……黄金劇場の弱所をヴィイが見抜くための隙を……ただ一瞬の隙を生み出す為のもの……」

 

周囲を囲んでいた軍団(レギオン)を単独で一掃したアナスタシアは、マスターに倣い不敵に笑って見せる。

そう、既にアナスタシアの宝具『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』は発動しているのだ。

あらゆる虚飾を暴き、因果律すら干渉して弱点を創出する。堅牢なる城塞であろうと、至高のローマ建築であろうと、その眼差しで射抜けば忽ちの内に瓦解する。

己の劣勢を悟ったネロは、残る力を振り絞って立ち上がり、勝負を決めんと地を蹴った。

黄金劇場は未だ健在。その恩恵を受けている内に、せめてマスターだけでも葬ろうという魂胆だ。

 

カドック(マスター)!」

 

「キングプロテア、足下だ! 思いっきり踏み抜け!」

 

「はい!」

 

ネロが剣を拾うよりも早く、キングプロテアは渾身の力を込めて指示された場所――黄金劇場の弱所を踏み抜いた。

床が陥没し、瓦礫と砂埃が舞い飛ぶ中、空間そのものが歪曲したかのような錯覚が全員を襲う。

ただの一撃。いくらヴィイの魔眼で弱点を創出したといえど、堅牢な建築物がそう簡単に壊れる訳がない。だが、キングプロテアの攻撃はBBチャンネルを破壊したように特定の物体ではなく領域そのものを攻撃することができる。

それは形のない空間という概念を攻撃する『領域粉砕』という名のスキル。例え現在の彼女の霊基がその能力を十全に発揮できていないとしても、土地や建築物に対しては特攻を発揮する。そのため、付与された弱点を通じて凄まじいまでの衝撃が黄金劇場全体を走った。見る見るうちに力を失った黄金劇場は、まるで糊が剥がれるかのように消失していき、代わりにスロート本来の姿が露になっていく。

だが、ここで一つの誤算が起きた。黄金劇場が破壊されたことで滞留していて冷気が一気に外へと開放され、寒暖差により視界を覆いつくす程の水蒸気が発生してしまったのだ。これではネロがどこから攻めてくるのか分からない。

透視の魔眼を持つアナスタシアならば水蒸気に潜むネロを見つけることができるが、彼女の魔術は対魔力によって威力を減衰されてしまう。そして、ヴィイで取り押さえようにも彼女の位置からこちらまであまりに遠い。

 

アナスタシア(キャスター)、位置を……」

 

「十時の方向! 前に二歩!」

 

奇しくもカドックとアナスタシアの思考は一致していた。

水蒸気の向こうにいるネロの位置を、アナスタシアが叫ぶことでキングプロテアが迎撃するのがベストと判断したのだ。

しかし、無情にもネロが切り込んでくる方が早かった。

切り裂かれる空気の壁。目の前の水蒸気が不自然に歪んだかと思うと、深紅の切っ先が眼前へと突き付けられる。

無表情なままの薔薇の皇帝が、屈辱を晴らさんとしているかのように殺意を向けていた。

やられる。

覚悟も間に合わず、無駄な足掻きと分かりながらもカドックは両手を交差して痛みに備える。

直後、鼓膜を突き破るほどの衝撃が脳天を揺るがし、カドックの意識は闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

白い水蒸気が晴れ、瓦礫だらけの巨大な通路が露になった。

円形の劇場は既に見る影もなく、貨物車量が余裕で通れるほどの高い天井を備えた縦長の通路が次の区画に向けて伸びていた。

広いとはいっても、キングプロテアのような巨人が右へ左へと飛び回れるような幅はない。ネロの宝具で空間を歪められていたが、実際は奥行きと高さがあるだけの通路だったのだ。

そして、その長い通路の一端に、二人の人物が倒れていた。

一人は深紅の装束に身を包んだセイバー。先ほどまで死闘を繰り広げたネロ・クラウディウスだ。

そして、もう一人は事態究明の為に駆け付けたカルデアのマスター。そう、カドック・ゼムルプスである。

丁々発止のせめぎ合いを繰り広げていた両者は、互いに白目をむいて口を半開きにしたまま気を失っていたのだ。

 

「上々ね、キングプロテア。あの状況でセイバーを殺さずに無力化する。いい判断です」

 

「け、けど……マスターは……大丈夫でしょうか?」

 

気絶しているマスターの顔を、キングプロテアは心配そうに覗き込んだ。

あの時、水蒸気の向こうからネロが切りかかってくる瞬間、咄嗟にキングプロテアはネロがいるであろう場所よりもほんの少しズレた場所を目がけて思いっきり手を叩いたのだ。どのみちあの時は腕が言う事を聞かなかったため、無理やり腕を振ることしかできなかった。そこで彼女は一か八か、両手が砕けるのも覚悟して力いっぱい手の平をぶつけ、その衝撃でネロを吹っ飛ばそうとしたのである。

結果、手を叩き合わせた衝撃波でネロは三半規管をやられ、そのまま気を失ってカドックを傷つけることなく墜落した。代償としてキングプロテアの両手は複雑骨折を起こしたが、これは時間が経てば自然と回復するだろう。

寧ろ、衝撃に巻き込まれたカドックの方が重傷かもしれない。

 

「まあ、鼓膜が破れても魔術師なら何とかするでしょう。とりあえずは、一度サーバールームへ戻りましょう。あなたもカドックも休ませないといけませんし、セイバーの洗脳も解かないと」

 

「はい……」

 

「……それと、キングプロテア」

 

「はい?」

 

「あなたはまた、自分のマスターを守れました。それもマスターの指示をちゃんと聞いてね。本当に、よくやれましたね」

 

その言葉の意味をすぐには飲み込めず、キョトンとした表情を浮かべてキングプロテアは小首を傾げる。

やがて、褒めてもらえたのだと気づいた彼女は、ハニカミながらも笑みを浮かべて応えた。

 

「はい、わたし……やれました……マスターの言う通りに、ちゃんと……やれました……」

 

 

 

 

 

 

微睡みの中にいる。

気づくのにそう時間はかからなかった。何故なら、手足は言う事を聞かないし瞼を閉じる事もできない。

何もできずにふわふわと漂っている様は、あの忌まわしいBBチャンネルに似ている。

何故、こんなことになっているのかが思い出せない。

誰かと戦っていたような気がするが、記憶が断裂していて上手く思い出すことができなかった。

そうしてしばらくの間、纏まりのない記憶を掘り返していると、またもどこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

何も見えなかった暗闇もうっすらと薄れていき、何者かのシルエットが見えてくる。

その人物は虚空に向けて何かを呟いていた。

 

『……の同位体としての複写完了。虚数空間にて同期開始と共に再構成……後は楔となる彼らを待つだけですね』

 

どこか高飛車で鈴の音を転がすような少女の声だった。様子からして誰かと会話をしているようには思えない。単なる独り言だろうか?

 

『それにしても、SE.RA.PHの体感時間を百倍に設定し、召喚したサーヴァントを用いて■■■■を再現するなんて。彼女の考えは本当に理解できません。ですが、おかげで下準備をする時間が十分に用意できました』

 

こちらからは何も問いかけることはできず、ただ漂いながら少女の独り言に耳を傾ける。それでも大半の言葉はうまく耳に入って来ない。集中しようにも思考が纏まらず、木の葉のように行き先も定まらぬまま漂うことしかできなかった。

 

『できればフォトニック結晶があればベストなのですが、ないものは仕方がありません。セラフィックスのサーバーも手足として使う分には十分。ここを足掛かりに各国へサイバー攻撃を仕掛け、全ての生産工場を並列活用して地球制圧ロボ・BBBを量産。これをもって人類を投獄、管理します。ええ、我ながら実に邪悪(すてき)な計画です。後は邪魔な■■■をわたしと彼らが倒すのを待つばかり。ええ、人類を滅ぼされては敵いません』

 

そこで一旦、少女は言葉を切る。

次に発せられた言葉は、実に狂おしく切ない響きが込められていた。

 

『何と言っても、人類は大切な玩具ですからね』

 

そう言ってほくそ笑む姿は闇に隠れて見えないはずなのに、まるで獣のようだと、思わずにはいられなかった。。

 

 

 

 

 

 

目覚めると、唸るような機械の音がまず聞こえてきた。どうやら安全地帯であるサーバールームに戻ってきているようだ。

節々に痛みを感じながら、カドックはゆっくりと体を起こす。記憶を遡るが、ネロとの戦いがどのような形で決着したのかが思い出せなかった。

アナスタシアの宝具で追い詰めたところまでは覚えているのだが、そこからの記憶は奇妙なほどに抜け落ちている。何か、強いショックでも受けたのだろうか?

とはいえ、何れにしても戦いは自分達の勝利で終わったようだ。何故なら、赤い舞台衣装に身を包んだセイバーが、華麗なポーズを決めて目の前に立っているからだ。

 

「セイバー?」

 

「もちろん、余だよ!」

 

「……正気みたいだな」

 

この突拍子もない切り返しと冗談みたいに明るい性格、正しくネロ・クラウディウスだ。

しかし、彼女の洗脳を解いた記憶が自分にはない。アナスタシアがやってくれたのだろうか?

そう問いかけると、入口付近でキングプロテアと談笑していたアナスタシアが、それに気づいてこちらに近寄りながら答えてくれた。

 

「ええ、自分で経験したから、コツを掴むのは難しくありませんでした」

 

「そうか……助かるよ」

 

本来ならきちんとした術式を用意してやるべきところを、魔力で強引に洗い流すという荒業を駆使しているのだ。こちらの負担も相応に大きかったので、アナスタシアでも洗脳が解くことができるのなら残る二人の解放もやりやすくなる。

 

「むぅ、折角の再会なのだから、もう少し喜んだらどうなのだ、マスター」

 

こちらの対応が素っ気なかったからなのか、ネロは頬を膨らませる。その可愛らしい仕草は、とても歴史に名を残した暴君のものとは思えなかった。

 

「まったく、花嫁の方じゃないんだから、もう少し真面目に……」

 

「えっ、そこの赤いセイバーさん、お嫁さんなのですか?」

 

耳聡く聞きつけたキングプロテアが、外の通路からこちらを覗き込んできた。相変わらずホラーな光景である。

 

「うむ、何を隠そう余には花嫁としての側面がある。今回は持ってきていないが、花嫁衣裳もきちんと持っているぞ」

 

この世の贅を極めたネロ帝は、そちらに関しても様々な逸話を持っている。既に既婚の身ながら友人の妻を求めたり、如何わしい宴を開いて奴隷と形だけの婚姻を結んだりもしていたらしい。

そういった奔放なエピソードがあるからなのか、或いはそれ故に純真な想いを捧げられる伴侶と出会えなかったからなのか、ネロには花嫁衣裳に身を包んだネロ・ブライドなる別側面が存在する。

本来ならば霊基も異なるのだが、そこはワガママなローマ皇帝。皇帝特権で衣装だけを引っ張ってくるという芸当もできないことはないらしい。実際、グランドオーダーの記録によると、北米大陸で立香が花嫁衣装に身を包んだ赤いセイバーと行動を共にしていたらしい。

 

「ふふん、機会があれば見せてやろう。余の花嫁姿に見惚れるでないぞ」

 

「わーい。わたし、お嫁さんになるのが夢なんです。是非、お願いします、花嫁さん」

 

自信満々に胸を張るネロに向けて、キングプロテアは羨望の目を向ける。どうやら彼女のことが気に入ったようだ、

ネロもネロでキングプロテアがとても素直な心で称えてくれるので、満更ではないといった様子であった。

 

「盛り上がっているところで悪いが、少し真面目な話をしよう。セイバー、衛士(センチネル)になっていた間のことで、何か覚えていることはないか?」

 

現状、生存者なども見つかっておらず、BBも姿を隠してしまっているので、情報源は衛士(センチネル)として使役されていた彼女達だけなのである。今後の探索を円滑に進める為にも、ここで何か有益を引き出しておきたい。

SE.RA.PHの現状やBBの企みなどが分かれば尚の事、是だ。

 

「うむ、その事については先ほどもアナスタシアと話していたのだが、この施設――SE.RA.PHの時間は引き延ばされている。凡そ百倍の遅さで時が過ぎているのだ」

 

朧気ながらも覚えている夢の内容と同じだ。つまり、ここでの一分が実際の百分に相当するのである。

それを裏付けるように、端末で知らされる位置情報は最初からほとんど動いていなかった。

実際にはここを訪れてからまだ数分しか経っていないのだ。

それが何を意味するのかというと、SE.RA.PHの探索に余裕ができたということである。

レイシフト前は数時間でマリアナ海溝の底まで沈み、セラフィックスは水圧で圧壊すると考えられていたが、ここまで時の流れが遅ければ限界深度までかなりの余裕がある。キングプロテアもまだ回復し切っていないし、こちらが魔力を回復するまで待ってから行動に移っても大丈夫だろう。

 

「すまぬなマスター、それ以上はよく覚えていないのだ」

 

「いや、十分だよセイバー。おかげで気持ちに余裕ができた」

 

BBが何故、体感時間の引き延ばしなどという事を実行したのかは分からないが、おかげで休息に充分な時間を割り当てることができる。それに次はスロートからかなり先のタッチまで進まなければならないののだ。SE.RA.PHでは長時間の活動ができない以上、今後は途中で休息を取れるポイントを確保しながら進む必要があるのだが、強行軍で探索をしなくてよくなっただけでも、気が楽になるというものだ。

ただ、一つだけ気がかりなことがあった。こうして衛士(センチネル)を攻略していくことでこちらの戦力を増やすことができるが、それでも戦闘で破壊せざる得なかった宝具は失われたままとなる。あれほどの神秘を修復するとなると、一両日を休息に費やしてもまだ足らないだろう。さすがにそこまで時間を消費する訳にはいかないので、今後の戦いは城塞や黄金劇場抜きで挑まねばならない。

確かに戦力は増えているが、切り札は失われていく一方。もしもBBがそれを見越した上で彼女達を衛士(センチネル)に据えたのだとしたら、自分達の奮闘は未だ彼奴の手の平の上と言えるのではないだろうか。

その仮説を証明する手立てはなく、今はまだ目の前の問題を一つずつ解決していくしかない。そう己に言い聞かせて、カドックは再び休息につくことにした。

 

 

 

 

 

 

ゆらゆらの頭はからっぽで、きちきちした目的なんてうわのそら。

世界は玩具箱のように狭いけれど、今のキングプロテアにとってはそれはどうでもいいことだった。

憧れだった花嫁に出会えた。彼女にとってそれが何よりも喜ばしいことであった。

本当に嬉しい。

花嫁と出会うのはこれで二人目だ。

一人目はちょっと嫌な感じがする皇女様。自分の知らないマスターをたくさん知っていて、うまく言葉にはできないけれど、とてもマスターと仲がいい人。二人が一緒にいるとお腹がとても空くけれど、時々は褒めてくれるから、嫌だけど嫌じゃない。

もう一人は少し前に目を覚ました、赤い服の皇帝。偉そうで自信満々で、色んな話をしてくれる面白い人。体のあちこちを切られたことは許せないけれど、それはこの人が弱くてBBに操られてしまったからだ。だから、許せないけど許してあげよう。

それよりも話が聞きたい。出会った二人はどちらも憧れのお嫁さんで、自分と同じ女の子だ。女の子は誰でもお嫁さんになれるのなら、その方法が知りたい。どうすればお嫁さんになれるのかが知りたい。

知れば■■■と思っているものが手に入る。

お嫁さんになれれば、■■■と思っているものが手に入る。

愛が■■■。

■■■。

 

「ねえ……花嫁さん……」

 

「む、余の事か?」

 

壁に背を預けて鼻歌を吟じていた皇帝が、とことこと近づいてくる。

こちらは寝そべって部屋を覗いているので、まるで壁を歩いているように見えた。何だか不思議な光景だ。

 

「はい……お話ししましょう、花嫁さん……」

 

「うむ、良いぞ。何を話そうか? 余が生前に演じた公演の事か? それともネロ祭での華々しい活躍についてか?」

 

「……あの……どうすれば、お嫁さんになれるでしょうか?」

 

放っておくと勝手に喋り始めてしまいそうだったので、すぐに本題へと入る。

大切なのはどうすればお嫁さんになれるかだ。

愛が■■■。この願いを叶える為にはお嫁さんになるのが一番だ。そうすればきっと、このお腹の痛みもなくなるはず。苦しい飢えから解放されるはず。何故なら、お嫁さんは愛されているからだ。多くの人から、或いは特定の誰かから、溢れんばかりの愛を一身に受けている。その資格がある。それに何より、お嫁さんはとても可愛い。そんな大人に自分はなりたい。

けれど、どうすればお嫁さんになれるのかが分からない。体はどこまでも大きくなっていくけれど、いつも途中で若返ってしまう。最近は特にそれが酷い。よく思い出せないが前はもっと早く大きくなれたはずなのに、今はとてもゆっくりとしか大きくなれないのだ。

時間がかかるのは嫌だ。早く大人になりたい。早く可愛いお嫁さんになって愛されたい。愛が■■■。

この目の前にいるちっぽけな皇帝ならそれが分かるだろうか? 自分のことを花嫁であると言い切った、小さな皇帝ならば答えてくれるだろうか?

そんな細やかな、けれどキングプロテアにとってもとても重要な質問であった。

 

「うーん、どうすれば花嫁になれるか。当然、まずは伴侶を見つけなければだが……そなたが聞きたいことはそういうことではないのだろうな」

 

「はい……お嫁さんはとても可愛いです。可愛い人はとても愛されます。愛されるのはとても気持ちが良いです……とても、楽しいです……」

 

暗闇で感じた熱を思い出す。

上手くは思い出せないけれど、マスターがくれた暖かな熱。

あの蝋燭のような篝火がもう一度■■■。

あれがきっと愛されるということなのだろう。

ああ、愛が■■■。でないと、きっと目の前にいるみんなを――――。

 

「なるほど、そういうことか。うむ、愛については余も一家言あるが、此度は控えた方が良さそうだ。余よりも適任がいるからな」

 

「……それは、誰のこと……ですか?」

 

「アナスタシア、まずはそなたが言ってやるがよい」

 

そう言って、皇帝は少し離れたところで眠っているマスターに寄り添っていた皇女を呼び寄せた。

胸がチクリと痛む。慣れたつもりでもやはり嫌なものは嫌だ。見ているととてもお腹が空いてくる。もう少しだけ体が小さくて腕の自由が利けば、マスターと共に捕まえて口の中に放り込んでいたかもしれない。

 

「ツァーリ、私がそのようなことを……」

 

「いや、そなたが適任だと余は直感した」

 

「……では、僭越ながら。キングプロテア、どうすればお嫁さんになれるか……それはどうすれば愛されるかと言い換えても良いのね?」

 

見透かされているようなまっすぐな視線に少しだけ苦手意識を覚えながらも、キングプロテアは静かに頷いた。

 

「愛され方……私も、上手く言葉では言えないのですが……」

 

「……けれど、あなたは愛されています」

 

それだけはハッキリと分かる。何故なら、自分が■■■と思ったからだ。

彼女のように、彼女みたいに、彼女がされたように、自分も愛が■■■。

マスターからの愛が■■■。

彼女が満たされていることは自分でも分かる。その方法があるのなら、自分はそれを知りたい。愛される方法を、お嫁さんになる方法を知りたい。

言葉にせず、ただ強く眼差しで訴えかける。すると、皇女はこちらの視線に臆することなく正面から受け止め、より強い眼差しを返してきた。

 

「キングプロテア、愛されるということは、愛するということの裏返しです。あなたは愛し方を知っていますか?」

 

「それは……あ、あれ? えっと……」

 

愛はとても素晴らしいものだ。いつも悩まされている空腹が気にならなくなる。気持ちよくて、美味しくて、嬉しくて、美味しいものだ。

けれど、それは全て自分の外側にあるもので、誰かから与えてもらったものばかりだ。

愛するという事、それが何を指すのか分からない。だって、愛は貰うものなのだから。■■■と願って手を伸ばすものなのだから。

 

「いいえ、違うの。それだけでは気持ちいいのはあなただけ。愛されたいのなら、まずは誰かを愛さなきゃ。もらったものを返すの。そうすればお返しにもっと大きな愛をもらえます」

 

「……よく、わかりません」

 

「うーん、なら一つ質問をさせて。あなたの好きなことはなに?」

 

「えっと……よくわかりません。けど、何かを食べるのは気持ちが良いです」

 

空腹を紛らわせる一番の方法だ。とにかく食べれば、ほんの一時ではあるが胸の隙間が埋まったかのような錯覚を覚える。満たされることはないけれど、少しの間だけそれを忘れることができるのだ。

 

「そうね、ご飯を食べるのは楽しいものね。でも、一人で食べるよりもみんなで食べた方がもっと楽しいと思うの。例えば……マスターと一緒にね」

 

キングプロテアの脳裏に、先刻の光景が思い返される。

皇女との戦いを終え、このサーバールームに辿り着いた直後のことだ。マスターは魔力を回復するようにと薬が入った小瓶をくれた。

それは小さくて一口で飲み込んでしまい、味も何もしなかったが、何故か少しだけ満たされたような気がした。

マスターと向かい合って、自然と笑みが零れていた。

一人ぼっちでいた時には、あんな風に笑う事はなかった。目につくものを手当たり次第に口に入れてみても、あんな風に満たされることはなかった。

 

「……はい、一人ぼっちは……寂しいです。誰かがいれば……楽しいです……」

 

「ね、そうでしょ? でも、もう少し考えてみて。同じことを、相手があなたにしてもらえれば、やっぱり楽しくて気持ちがいいと思うの。あなたはマスターから食べ物……なのかしら? とにかくそれを貰えて嬉しかったのなら、同じことをしてあげればマスターも喜びます。そうやって互い互いを思い合うことが愛し合うということなの。愛は、ただもらうだけのものではないの」

 

「……愛し合う……いいえ、よくわかりません」

 

「すぐに分からなくても構いません。それは自然に知る事だから……そうね、まずは恋をする事から始めなきゃ」

 

「恋……ですか?」

 

「愛を知るには、まず恋をしなくちゃ。誰かを思って切ない気持ちになって、胸がぎゅーってなるような気持ち。きっとあなたにも分かると思います」

 

「うむ、面映ゆいが恋はいいぞ。二人の話を聞いていて、余も何かこう頭の奥がむずむずしてきたぞ」

 

今まで黙っていた皇帝が、とうとう我慢できなくなったのか口を挟んできた。

 

「余も混ぜろ。黙っておくつもりだったが、やっぱり余も恋バナ、というヤツをしてみたいぞ」

 

「そこまで彩りのある話ではなかったと思いますが……」

 

「良いではないか。キングプロテアも話を聞きたがっているであろう? 余が知らぬ長旅でのあれやこれや、あるのではないか?」

 

キングプロテアもそれについては肯定した。

愛や恋についてはまだまだ分からないことばかりだ。この人は嫌な人だけれど、愛についてはとても色々なことを知っている。彼女の話を聞けば、もっとたくさんのことを勉強できるかもしれない。夢の花嫁にまた一歩、近づけるかもしれない。

 

「……私だけが話すのはフェアではありませんから、ツァーリも後でお願いしますね」

 

「うむ、任せるがよい」

 

「わくわく……」

 

「……はあ……では、まずは……ウルクの――――」

 

そうして、皇女の語りにしばし耳を傾ける。

愛する事、愛される事、恋をする事。今はまだ分からないけれど、いつか分かる日がくるだろうか。

その時こそ、本当に自分は花嫁になれるだろうか。

憧れの、可愛いお嫁さんに――――。

 

 

 

 

 

 

立ち塞がるエネミーを、三騎のサーヴァントが迎撃する。

燃える刃が鯨を薪のように両断し、吹き荒れる吹雪が蜂の群れを凍てつかせる。そして、巨大な腕は立ち塞がった戦車を物ともせずに薙ぎ払った。

その様子を背後から見守りながら、カドックは戦況に応じて支援を交えつつ指示を飛ばす。

ネロが新たに加わったことで、探索は非常に楽になった。前衛はキングプロテアだけで事足りるように思えるかもしれないが、巨大な彼女ではどうしても小回りが利かず、また死角も多い。そうした隙を彼女は遊撃的に立ち回る事でフォローしてくれるのだ。おかげでキングプロテアの負担が減り、大した消耗もなくスロートを超えて(アーム)に到達することができた。地図が頼りにならないので距離は分からないが、このまま進めば次なる衛士(センチネル)が待つタッチに労せず辿り着くことができるだろう。

 

「ははっ、余は楽しい!」

 

「あまり前に出過ぎるな、セイバー」

 

「おっと、確かに……うーむ、『皇帝特権』で斥候の真似事などしてみたが、やはり本職のようにはいかぬな。ついつい前に出てしまう」

 

ネロの性格では、どうしても敵を深追いしてしまうらしい。斥候の目的は敵の情報を確実に持ち帰ることであるため、その辺りの線引きはシビアに行わなければならない。深追いし過ぎて敵に捕まったり倒されたりすれば意味がないからだ。

 

「無銘の弓兵……アーチャーがいてくれれば……」

 

「彼もきっと、衛士(センチネル)にされているんだろうな」

 

魔術師でありながら弓兵、しかも近接戦闘能力もそれなりに有しており、斥候やゲリラ戦の知識も豊富にある。

この手の未知の迷宮を探索するにあたって、彼のような存在がいれば非常に心強い。できれば早く助け出したいものだ。

 

「あっ……」

 

不意に開けた場所に出て、這いつくばって進んでいたキングプロテアが嬉しそうに伸びをした。

ここまでの通路と雰囲気が違うところを見るに、ここがタッチなのだろう。衛士(センチネル)がいるからなのか、そこはアイやスロートと同じ広い空間であった。

天井までの高さは凡そ十メートル。奥行きは実に三百メートルほどもあり、ここまで奥に長い区画はここが始めてだ。そして、出入口から十メートルほど進んだところで崖のようになっており、区画全体に巨大な暗黒の穴が広がっていた。反対側に行くためには、真ん中にかかっている幅五メートルほどの半透明の橋を渡るしかない。待ち伏せするならばここしかないと言わんばかりの絶好のスポットだ。

 

「いるな……見えずともそこにいるのが分かるぞ、無銘」

 

「ええ、しっかりと弓を構えています。こちらが一歩でも踏み出せば、躊躇なく矢を放つでしょう」

 

ネロとアナスタシアが、互いに油断なく対岸を睨みながら言った。

限られた足場と長い距離。弓兵にとっては正に打ってつけの戦場だ。

ならば、ここで待ち構えている衛士(センチネル)は彼しか考えられない。

深紅の外套を身に纏った無銘の英霊。

抑止力の守護者であり、名もなき正義の味方の代表者。

味方にすると心強く、敵に回すと恐ろしく厄介な生粋のリアリスト。

即ち、衛士(センチネル)の名は無銘……またの名をエミヤと呼ばれる弓兵であった。




サーヴァントが寒さで行動不能になるか。そこは凄味で何とかしたということで。

PU2はアスクレピオスが一人だけ来ました。夏イベもあるので石は温存温存と。

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