Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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#5 ソードランナー 曖昧なMEET YOU!

名前のない英雄。

彼が何者で、何を成したのかを知る術は少ない。何故なら彼は未来の英雄。今か或いは遠い先で何かを成し遂げ座へと召し上げられる運命にある者。

彼は正義の体現者であった。弱きを助け強気を挫く。善を成して悪を討つ。そんな子どもの絵空事を実現せんと邁進し、私欲を殺し理想に徹した。

世界を脅かす悪がいるのならば、犠牲者を出す前に力無き者達の代わりにこれを討つ。だが、同時に多数を救う為に少数を切り捨てることを選んでしまった。

貧困に喘ぎ窃盗を働いた集団を、危険なウイルスが蔓延した旅客機の中で死にゆく中、それでも生きようとする者たちを、彼は切り捨ててしまった。

そうしなければ救えなかった。後悔に苛まれながらも、指先に迷いはなく、守るべき多数の為に切り捨てるべき少数を見定める。

彼はヒトという社会を活かすために人間(ひと)という個人を殺す。何の見返りも求めず、人と社会に奉仕し続けたその在り様は確かに公共の正義を体現し、だからこそ多くの人々から恐れられた。

理想を共有したはずの友は、彼の刃がいつか己に向けられると恐れて離れていった。

傍らにいたはずの女性は、自分では彼を癒すことも支えることもできないといなくなった。

唯の一人にも理解されず、孤独の丘で勝利に酔う。いつか切り捨てていった者達の怨嗟が己を裁くことを信じて。

やがて男は絞首台に送られその生涯を閉じることとなる。しかし、死後すらも人助けの代償として売り払っていた男は、名もなき架空の英雄の一人として召し上げられた。

それが英霊エミヤ或いは無銘の生涯であり、数多の悪逆をもって反英雄として人類史に定義されたのである。

 

 

 

 

 

 

弓兵に迷いはなかった。

冷徹に、冷酷に、構えた弓に矢を番え、数百メートル先にいる獲物に向けて解き放つ。

空を切って飛来する致死の一矢。鷹の目をもって放たれたそれは距離も重力も物ともせず、一直線に獲物の首を目がけて飛んでいく。

狙われたと気づいた時には遅かった。音速にすら達する速度で飛ぶ矢を、たかが凡人の魔術師が躱せる訳がない。

 

「マスター!」

 

頭上から声が聞こえ、巨大な影が覆い被さってきた。

直後、少女の小さな悲鳴が天井に木霊する。

キングプロテアが咄嗟に身を挺してエミヤの狙撃から守ってくれたのだ。

 

「あ……あぁ……痛い……どう、して……」

 

こちらを庇いながら、キングプロテアは自らの肩に手を伸ばす。

白い肌から零れる赤い雫。深々と突き刺さった矢はエミヤが投影した宝具の一種だ。

その一矢はアナスタシアの魔眼やネロの太刀筋よりも致命的な痛みを呼び起こしていた。

弱点を付与された訳でも、弱体化の重圧を受けた訳でもなく、魔術で生み出された贋作が頑強なキングプロテアの肉体を穿つ。

その痛みは肉体や精神よりも遥かに深く、彼女にとってどうしようもない根幹を揺るがすものであった。

即ち神への特攻。

エミヤが放った一矢は対神性の効果を持つ宝具だったのだ。

 

「……この!」

 

痛む肩から無理やり矢を引き抜き、キングプロテアはエミヤ目がけて投げ返した。

しかし、放物線を描いた矢は向こう岸へと届く前に独りでに自壊してしまう。あれは元々、エミヤが投影した宝具なので、自壊させるのも自由自在という訳だ。

 

「ぬう、エネミーもか!? マスター、ここは退くべきだ! ぐずぐずしているとアーチャーも二射目を射るぞ!」

 

「い、いえ……大丈夫、です……花嫁……さん……」

 

「無理をするな、キングプロテア! それにマスターの体も分解が始まっている! これ以上は危険だ!」

 

キングプロテアを叱責しながら、ネロは先陣を切って逃げ道を切り開く。

カドックとキングプロテアはその後に続き、アナスタシアが殿となってエネミーの追跡を食い止める。

魔力での防御が追い付かず、酸を浴びたかのような痺れが全身を包んでいた。

ネロが言う通り、これ以上の戦闘は危険である。肉体が霊子に分解されてしまう前に急いで安全圏まで戻らなければならない。

幸いにもタッチを抜けるとエネミーとはほとんど遭遇せず、カドック達はそのまま元来た道を一目散に逆走し、スロートへと舞い戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

何とか逃げおおせることができたカドック達は、スロートの付近で見つけたまだ電脳化されていない倉庫スペースへと逃げ込むことに成功した。

多少、手狭ではあるがマスタ一人が休息を取る分には十分な広さである。周囲はアナスタシアとネロが警戒してくれているので、こちらは安心して回復に専念することができる。

 

「キングプロテア、傷は?」

 

「はい……もう、大丈夫です……」

 

成す術もなくやられた事を気にしてか、キングプロテアの声からは覇気が感じられなかった。

もっとも、対神性の宝具なんてまともに受ければどんな神格でも負傷は避けられない。霊核に直撃しなかっただけでも運が良かったと思うべきだ。

そして、改めて英霊エミヤの恐ろしさを痛感する。

単純なステータスだけを見れば、彼は強いサーヴァントではない。同じくステータスが低いネロを少し下回るといったところだろうか。

弓による驚異的な狙撃、セイバーやランサーともほぼ互角に打ち合える剣術を修めてはいるが、それにしたって才能なきものが血の滲むような修練の果てに会得した人間の限界点に過ぎない。

例えるならば戦士としての強度が違うのだ。互いに策なくぶつかりあえば間違いなくネロが打ち勝つ。

そんな彼の唯一にして最大の脅威が投影魔術。彼のそれは厳密には正しい投影魔術ではないが、模倣という意味では正道をも凌駕する宝具『無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)』こそが彼の英霊としての神髄なのである。

 

「自らの心象世界で世界を塗り潰す固有結界。アーチャーは一度でも見たことがある剣を全て、そこに内包している」

 

エミヤが本物の模造品しか投影できない理由もそこにある。彼の魔術回路は投影、それも剣にのみ特化した異質なもの。記憶した武器の細部に至るまでを固有結界に記録しておき、自らを出力として外界に複製するのである。

それ故に彼が投影した剣は存在が劣化することなく残り続け、オリジナルに劣りこそすれ十分な切れ味を発揮する。そして、それが宝具であるならば効果をも再現され、真名開放すら可能とする。

記憶の数だけ宝具を保有しているにも等しく、敵として相対すればこれほどやり辛い相手はいない。何しろこちらの手が限られているのに対して向こうは数多の手の中から有効なものを選択し、弱点を突くことができるからだ。

先ほどのように神性への特攻を持つ神殺しの宝具を用いることもあれば、絶対防御を突破する因果逆転の呪いや魔術殺しとも言える術具も思いのままなのだ。

 

「それじゃ、その人は無敵ってことですか?」

 

「いや、隙がない訳じゃない」

 

何度も言うが、エミヤは強いサーヴァントではない。頼もしい弓兵ではあるが、彼の得手は無数の宝具を所持している事。それら全てを極めた訳ではなく、超一流の担い手と同じ土俵で競り合えば遠く及ばない。

複数の宝具を効果的に運用し、相手の弱点を突く事で初めて他のサーヴァントに対抗し得るのである。なので、タッチのように弓兵に徹されると厄介な相手ではあるが、何とか接近戦に持ち込むことができれば倒せない相手ではない。

そう、接近さえできればの話だ。

エミヤのもとに向かうには幅五メートルほどの橋を通らねばならないが、遮蔽物も何もない直線なんて弓兵の格好の的だ。当然、狙い撃ちに合うだろう。

かといって、空を飛べないこのメンバーではあの底なしの穴を超える事はできない。アナスタシアが去り際に透視したところによると、タッチの中央を分断するように広がる穴は言葉通り底が見えない暗闇だったらしい。

そこにあるのに観測できないもの。或いはないはずなのに確かに存在する虚ろな属性。即ち虚数空間があの穴の向こうに広がっているのだ。もしも落っこちてしまえば自力で這い上がる術はない。

そして、遠くから撃ち合っても勝ち目は薄い。エミヤは対魔力スキルを保有するアーチャーだ。ひょっとしたら対冷気の防具を投影してくるかもしれないので、アナスタシアでは相性が悪い。

同じく神性を持つキングプロテアも先ほどのように弱点を突かれてしまう恐れがある。つまり、現状でエミヤと相対して弱点を突かれにくいネロが、彼の狙撃を掻い潜って至近距離まで接近し、殴り合って打倒するしかない。

非常に危険が伴う、頭の悪い作戦だ。できることなら無視したいところだが、BBがいるとされているハートへ進む為にはどうしても衛士(センチネル)であるエミヤを倒さねばならない。

そして、それに加えてもう一つ、自分達には無視できない要素が存在した。

 

「アナスタシア、体の方はどうなっている?」

 

「……少し、中身が減り始めているけれど、休めば元通りになるでしょう」

 

「分かった、ありがとう」

 

アナスタシアに礼を言って、カドックはポーチから取り出した霊薬を飲んで傷の回復に専念する。

衛士(センチネル)は手強い相手だが、それよりも厄介なのはこのこのSE.RA.PHによる肉体の分解であった。

拠点を確保しながらでなければ遠くまで探索できず、また戦闘に費やせる時間にも制限がかかってしまうからだ。

ここまでの肉体の疲労度や分解の進み具合から考えて、タッチでの戦闘に費やせるのは精々が五分程度。それ以上の活動は安全圏への避難が間に合わなくなってしまうだろう。

 

「だが、やるしかないのであろう」

 

周囲を警戒しながらも耳を傾けていたのか、ネロがこちらに振り返って言った。

 

「花嫁さん……」

 

「なに、心配するでないキングプロテア。余は皇帝であるぞ、秘策の一つや二つ、あるに決まっておろう」

 

心配そうに見つめるキングプロテアを安心させようと、ネロは自信満々に己の胸を叩く。

その様子を見たカドックは、小さな棘のような痛みを覚えた。彼女が何をしようとしているのか思い至ったからだ。

 

「ネロ……」

 

「よい、マスター。後は任せるぞ」

 

「……ああ。頼んだぞ、セイバー」

 

もしも時間内にエミヤを倒せなければ、例えネロが無事であっても彼女を戦場の只中に捨て置いて撤退しなければならない。そうしなければ自分の命に関わるのだ。

マスターの安全を最優先にする。考え方としては当然だが、それはそれとして心が痛まない事はなかった。

それでもネロは行くだろう。例えこちらが止めようとも、それしか手がないのなら躊躇なく実行に移す。分かり切っているからこそ、カドックはそれ以上、何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

三十分後。

再び、カドック達はタッチを訪れた。

相変わらずエミヤは一人、対岸で深紅の外套を靡かせている。前回と違う点は、最初からエネミーの群れが橋の入口付近をうろついており、それを何とかしなければ橋には近づけないということだ。

それ自体はキングプロテアとアナスタシアがいるので問題ではない。切り込み役のネロには可能な限り強化の魔術は施した。後は、彼女のタイミングで広場に踏み込むだけである。

 

「ツァーリ、こちらはいつでも大丈夫です」

 

「わたしも、いけます」

 

「うむ……では、マスター」

 

表情を引き締めたネロがこちらに伺いを立て、カドックは静かに首を振った。

 

Sword,or Death

 

それを合図に三騎のサーヴァントが広場へと躍り出る。

吹き荒れる吹雪と進撃する巨人。瞬く間に蹴散らされたエネミーの残骸を踏み越え、ネロはエミヤが待つ対岸を目指して疾駆する。

その動きを察知したエミヤは、無言で構えた弓に矢を番えると、疾走するネロへと照準を定めた。

一瞬、ネロとエミヤの視線が交差する。

直後、空気の壁を引き裂いて禍々しい光が尾を描いた。

サーヴァントの膂力でもって放たれる矢は、戦術ミサイルにも比類することができる。受けるどころか掠めただけで致死の矢が続けて三発、皇帝の首を穿たんとした。

それをネロは全力で躱す。両足と反射神経に力を集中し、ギリギリの刹那を見極めて身を翻すのだ。

一発目が大きく逸れた。

二発目が頭上を掠めた。

三発目が――僅かに肩を撫でた。

 

「――――っ!」

 

ほんの一瞬、ネロは屈したように身を屈める。だが、歩みは止めない。倒れそうになる勢いすら利用して前へ、前へと突き進む。

何てことはない。体が前に倒れるのならそれよりも早く次の歩を踏み込めばいい。そうすれば倒れる事無く前へと進むことができる。

半端な一撃ではネロは止まらない。手にした刃が不届きな輩を屠るその瞬間まで皇帝は止まらない。

 

「くっ!」

 

四発目を剣で弾く。辛うじてではあるが対応できている。

如何に高速とはいえ矢が飛来するのは前方からのみ。警戒する方向が一点に限られるのなら、躱し受けることは決してできないことではない。

だが、それはネロ自身の肉体を限界以上に酷使する結果となる。

弾道は微かに読める。

四肢は僅かに動く。

どちらか一方だけであるのなら問題はないが、その二つが連動した瞬間、致命的な齟齬が軋みを上げるのだ。

超高速の反応に肉体がついていかない。手足の可動域も慣性の法則すらも無視して、筋力と反射神経だけで強引に体を動かし続ければ、待っているのは肉体の自壊である。

それでもネロは走り続けた。続けざまに放たれる矢を弾き、身を捩り、自らの体が瓦解するのも厭わずに深紅の剣士は疾走するのだ。。

 

「駄目、花嫁さん! 後ろ!」

 

キングプロテアが異変を察知して叫ぶ。先ほど、剣で弾かれた矢――捻じれた剣が弧を描いているのだが、それが突如として空中でバランスを保ち、まるで引き寄せられるかのようにネロ目がけて再び飛翔を始めたのだ。

因果の逆転かあるいは祝福の類か。あの矢は獲物を仕留めるまで延々と追いかけ続ける追尾弾だったのだ。

後ろの守りを完全にこちらに任せ、前方にのみ注視しているネロはそれに気づけない。捻じ曲がった矢は唸りすらあげて疾駆し、呆気なくネロの肢体を貫いた。

 

「かっ……あ……」

 

胴を穿たれ、全身を震わせてネロは硬直する。

誰の目から見ても致命傷。鮮血が足下へと零れ落ち、裂けた胴からは赤黒い肉が見え隠れしている。

一瞬がまるで永遠のように引き延ばされ、誰もがその光景に驚愕した。

ただ二名。狙撃手たるエミヤと――――射抜かれたネロを除いて。

 

「っ――!」

 

再び、ネロは疾駆する。

弾けるように足場を踏み抜き、跳躍する様はさながら肉食獣だ。

手負いの獣と呼ぶにはあまりにも瀕死。そんな体での限界駆動は己の死期を早まらせる愚行でしかない。

それでもネロは、死に至る苦痛を堪えて狙撃手へと迫る。

対するエミヤに躊躇も動揺もない。必中の矢とて外れぬ道理なし。彼は英霊かもしれないが英雄とは程遠い人生を歩んだ者。故に神に祈らず運命を嘲笑う。その手には既に、二射目の必中の矢が番われていた。一射で止まらぬのなら、倒れるまで射続ける。この残り二百メートルの直線が互いに与えられた死へのモラトリアムだ。

 

「花嫁さん!」

 

「行ってはダメ、キングプロテア!」

 

駆け出そうとしたキングプロテアを、アナスタシアは制止する。

未だ周囲に湧き続けているエネミーとの戦闘で、キングプロテアの体は二十メートル近くまで成長してしまっている。橋に突入すれば逃げ場などなく、エミヤの狙撃を躱し切ることはできないだろう。

視線の向こうでは、ネロが再び襲いかかった矢を迎撃しながら前へ前へと進んでいる。だが、その歩みは遅い。たかが数百メートルの直線なぞサーヴァントにとってはものの数秒で駆け抜けられる距離であるはずなのに、エミヤの狙撃はかれこそ三分近くネロを釘付けにしている。

避けようとも弾こうとも軌道を変え、執拗に追尾してくる必中の矢。例え渾身の力を込めて破壊しようとも、その直後に新たな一矢が放たれるのだ。

そして、エミヤはただの一矢に甘えるような戦士ではない。的確に、悪辣に、ネロの動きを狙撃で阻害して必中の矢を必殺の軌道に乗せんとしている。

限界で軋む腕。

痛みで揺れる足取り。

射抜かれた胴体からは夥しい血が零れ、満身創痍となったネロではそれを躱し切ることはできない。

残り百五十メートル。

再び胸を射抜かれたネロは、今度こそとばかりに倒れ込み――そこから更に加速した。

二度も胴を貫かれ、それでも倒れずにネロは両の足へと力を込めるのだ。当然、その力みによって二つの傷穴からは更に激しい出血が起きるが、ネロの足を止めるには至らなかった。

 

「そんな……どうして……」

 

「『三度、落陽を迎えても(インウィクトゥス・スピリートゥス)』。曰く、彼のツァーリは自決してから三度目の洛陽を迎えた後に、その亡骸が発見された。その時、捜索していた兵士は彼女からの労いの言葉を聞いたそうよ」

 

三度の洛陽を迎えても生きていたのか、或いは死霊としてその場に残っていたのかは分からない。だが、その逸話を持つが故にネロは三度までなら死を乗り越えることができる。

繋ぎ止めることができるのは僅かな時間。傷が癒える訳でも魔力が回復する訳でもない。三度までなら蘇るというだけの儚い夢。それが『三度、落陽を迎えても(インウィクトゥス・スピリートゥス)』と呼ばれるネロのスキルである。

彼女は確信していたのだ。己の技量ではエミヤの狙撃を完全に躱し切って切り込むことができない。必ず彼に射抜かれることとなるだろうと。だからこそ、自分しかいないと志願した。

三度までなら蘇る。その命を余さず使って赤い弓兵と対峙せんとしているのである。

 

「それじゃ、あの人は最初から……マスター、どうして止めなかったんですか!?」

 

「…………」

 

「マスター、お願いです。花嫁さんを……助けて!」

 

「…………」

 

「マスター!」

 

キングプロテアからの懇願を、カドックは歯を食いしばって黙殺する。

可能ならば手助けをしたい。その思いに偽りはない。けれど、状況がそれを許さない。

ここでアナスタシアが動けば、エミヤは標的をネロからこちらに切り替える筈だ。聖杯戦争にとってマスターの生存は一時の勝敗よりも重い。己は確実に切り伏せられるが、その代わりとして向こうは確実にマスターを仕留めようとするだろう。

それだけエミヤという英霊は油断がならない。そして、小回りの利かないキングプロテアだけでは、エネミーとエミヤの狙撃の両方に対処しきることはできないのだ。彼の狙撃に対処するためには、どうしても二騎のサーヴァントをこちらに残さねばならない。

だから、祈る事しかできないのだ。ネロが無事にあの橋を駆け抜け、エミヤと対峙できることを信じて。

 

「がっ――!」

 

残り百メートル。

三度、必中の矢が皇帝の躯体を穿つ。

血みどろの肢体、周囲に散らばった無数の矢の数が両者の攻防の凄まじさを物語っている。

だが、その歩みはまるで舞いのように美しかった。身を翻し、時に跳び、跳ね、弾き、逸らし、命という花弁が刃で散るのも厭わずに駆ける。正に戦いの芸術(アート)。ここは彼女にとって大一番、たった一人の観客(マスター)の為の舞台なのだ。

必ずや辿り着かんと吠えるネロと、来させはしない狙い撃つエミヤ。

放たれる無数の矢と、それを弾く剣。

互いの視線が絡み合い、解けることは二度とない。

 

「くっ――」

 

残り五十メートル。最早、ここは剣の射程。後、一歩の踏み込みでネロはエミヤに切り込める。

だが、その一歩が遠い。

降り注ぐ矢と、追いかけ続ける必中の矢の連携が彼女を先に進ませない。

三度の洛陽は過ぎ去り、彼女が次に夜を迎える事はない。

互いにそれが分かっているからこそ、どちらも足を止めて迎撃に専念する。

弓兵が放つ無数の矢を、皇帝は手にした剣で払い続ける。

永遠とも思われる硬直状態。しかし、趨勢は少しずつエミヤに傾きつつあった。最悪、この場を死守し切ればいいエミヤと違い、ネロには時間がない。

マスターであるカドックがこの電脳空間の中で活動できる時間は、もう残り僅かなのだ。

この五分間で切り込めなかった場合、彼らは安全のためにこの場を離脱する。敵地のど真ん中に孤立したネロをその場に残してだ。

その焦りが隙を生んだのだろう。勝負をかけんと矢の雨に身を翻し、四肢を傷つけながらも渾身の力で必中の矢を打ち払う。

空間に響き渡る甲高い悲鳴。まるで陶器のように矢は砕け散り、同時にネロは最後の踏み込みを仕掛けんとした。

直後、表情なきエミヤが笑ったような錯覚を覚えた。その手には、先ほど打ち壊した矢と同じ、捻じれて反り返った必中の矢が弓に番えられていた。

考えれば分かる事であった。

同じ宝具を同時に投影できないなどという縛りはない。やろうと思えば彼は必中の矢をいくらでも作り出すことができた。それをしなかったのは、このタイミングを逃さないためだ。ここまで紙一重で近づくことができた。死力を尽くせば届かせられると獲物に錯覚させ、一か八かの博打に打って出る隙を突く為に。

エミヤに近づくため、残る全ての力を両足に込めていたネロにこの矢を躱す余力はない。

 

「――っ、のっ!」

 

されど、それを覆してこそ剣の英霊。

体は傷つき余力もない。だというのに腕が動いた。弓兵に切り込む為に構えていた剣を、両腕の腱が千切れながらも皇帝は振り抜き、必中の矢を逸らす。

これぞ『皇帝特権』。彼女ができると信じる限り――否、成さねばならぬと願う限り、その無理は道理を抉じ開ける。

二つの光は交差し、通り過ぎるかの如く天秤は傾いた。

如何なる弓兵であろうとも、覆せぬ定理がある。一度放たれた矢に干渉する術はない。必中の矢であろうとも、その軌道を自在に操る術など存在しないのだ。先ほど、ネロを掠めた矢は即座に弧を描き始めているが、必中の軌道に乗るまでどうしても時間がかかる。彼女が切り込むには十分な時間だ。最早、エミヤにそれを阻む手はない。

 

「――――!」

 

されど、それを克服してこそ弓の英霊。

 

「なっ、矢を弾いた!?」

 

目の前で起きた光景が信じられず、カドックは驚愕する。

ネロが渾身の力で逸らした必中の矢。緩やかに弧を描き始めたその矢羽根を掠めるように、別の矢が猛スピードで飛来したのだ。結果、独楽のように回転した必中の矢は、再び標的を鏃の先に捉えたのだ。

そのまま大気の壁を引き裂き、ネロ目がけて必中の矢は飛んでいく。あの矢は込められた魔力が尽きぬ限り落ちることはない。そして、あの速度ではネロが切り込むよりも早く彼女を射抜くことになるだろう。

落日が迫る。

三度の黄昏は既に落ち、四度目はない。

暴君はその運命から逃れる事はできないのか。

いや、それを是としない者がここにはいる。

あまりにも巨大で、幼すぎる心を持った少女。

暴君を花嫁と憧れた少女が、決してそのような悲劇を望まない。

 

「花嫁さん!」

 

駆け出したキングプロテアが、掴み上げたエネミーの残骸を投げ放つ。

床が陥没しかねない踏み込み。渾身の力を込めたスローイング。ただの筋力だけで重力を振り切り、慣性に乗った巨大な残骸は、今にもネロを背後から貫かんとする必中の矢を撃ち落とさんとまっすぐに飛んでいく。規格外の彼女が放った投擲は、技術も何もないにも関わらず、熟練の投手にも比類する投法であった。

 

「いや、駄目だ! 角度が高い! あれでは……!」

 

唸りを上げる矢すら追いこさんとする巨魁。それは無念にも矢を掠めることすらできなかった。ほんの僅かに角度が高く、矢の頭上を越えてしまったのである。

その光景を見てカドックとアナスタシアは歯噛みし、キングプロテアは悲痛な表情を浮かべる。最早、必中の矢を遮るものはなく、エミヤの勝利は揺るがない。

誰もがそう思っていた。

彼女が不屈を唱えるその時までは。

 

「いいや、褒めてつかわすぞキングプロテア! よくやった! これがいいのだ! わざとこの身で其方の攻撃を受ける……これがいいのだ!」

 

矢を追い越した巨魁がネロの矮躯へと激突する。

測定不能のキングプロテアの腕力から繰り出された剛速球。まともに受ければ体がバラバラに砕け散ってもおかしくはない。

しかし、ネロは敢えてそれを受け止める事を選択した。自らの両足で、迫りくる隕石の如き巨魁を踏み抜くことを選択した。

全ては勝利のために。

マスターへの献身と己が生存のために、敢えてその身を危険に晒すことを彼女は選択した。

そうしてくれることを信じて、キングプロテアはあの一投を投げ放ったのだ。

 

「キングプロテアは矢を落とそうと思ったのではない! こいつを余に届けようとしたのだ! この投石を受ければ……これを踏み台とすれば、加速がついている分……矢よりも早く踏み込める!」

 

瞬間、ネロの魔力が(こえ)を上げる。

キングプロテアの投石を発射台とした加速。投げ放たれた残骸を踏み砕き、ネロは最後の疾走を行ったのだ。

それは秒に満たない時間の交差。月を揺るがすかのような両者の対峙。

奇縁によって刃を向け合うこととなった二つの影が今、重なり合う。

最早、ネロに剣を振るうだけの力は残されていない。

最早、エミヤの次なる投影は間に合わない。

互いに死力を尽くし、どちらも最後の一手を失った。

ならば、勝利の女神はどちらに微笑むのか。

決まっている。

最後まで、ふてぶてしく笑う方を称賛するのだ。

 

「喜べ、皇帝の抱擁だ! 褒美として賜るがいい、アーチャー!」

 

剣を捨てたネロが両手を広げ、投影の準備に入っていたエミヤの胸へと突進する。完全に無防備を晒すことになった弓兵にそれを躱すことはできず、そのまま両者はもつれ合いながら床の上を転がり、勢いよく後方の壁へと激突した。

激しい揺れと舞い上がる土煙。その一瞬の後に、土煙のヴェールの向こうにいる皇帝を射抜かんと未だ健在な必中の矢が死の宣告を告げる。

どちらが勝利したのか、対岸にいるカドック達からは伺うことができない。彼らが最後に見たのはもつれ合いながら転がるネロとエミヤの姿であり、土煙に二人が覆われた直後に矢がネロを追いかけて飛び込んでいったのだ。

果たして、ネロは無事なのか。それとも死神の洗礼を受けたのか。その答えは、土煙が晴れるよりも早くに明らかとなった。周囲にいたエネミーが、まるで糸の切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちたからだ。

やがて、矢の飛来と共に渦を巻いていた土煙が少しずつ晴れていく。

 

アナスタシア(キャスター)! すぐに二人を回収しろ! 脱出するぞ!」

 

ネロは生きていた。

三百メートル向こうの壁に叩きつけられ、エミヤに圧し潰される形になっていたが、確かに健在だった。

だが、同時に予断を許さぬ状況だった。何故なら、必中の矢は違わずにネロを刺し貫いていたからだ。

彼女が辛うじて命を取り留めたのは、エミヤ自身もまたネロと共に貫かれていたからである。あの必中の矢は確実にネロの急所を射抜くが、障害物を避けるような器用な動きはできない。必ず最短距離で飛んでくると読んだネロは、咄嗟にエミヤを盾とすることを思いついて彼に飛びかかったのだ。上手くエミヤの急所を外してくれるかは賭けであったが、こうしなければ二人が生き残ることはできなかった。

そして、暴君は見事に運命をねじ伏せたのである。

 

「時間がない。キングプロテア、僕達は先に撤収を……キングプロテア?」

 

振り返ると、少し前までそこにいたはずのキングプロテアの姿がなかった。

まるで癇癪を起したかのようにへし曲がった扉のフレームが、彼女の行動を物語っている。

あの巨体のまま、無理やりこの部屋を出て行ったのだ。

理由はすぐに察することができた。

自分がネロを危険に晒したからだ。不可抗力からでなく、故意に死地へと追いやったことが彼女は許せなかったのだ。

あのような体だが、キングプロテアの精神はまだまだ幼い。それは分かっていたつもりなのに、自分は彼女に懇願された時、向き合おうとはしなかった。

弁解もなく、戦闘中であることを言い訳に無視を決め込んだ。そんな大人を子どもが許す筈がない。

自分は失敗したのだと気づき、カドックは奥歯を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

飼育箱の夢を見る。

暗闇の中、ずっと一人でいた時のことだ。

あれはどこだったのか、いつのことだったのかはよく覚えていない。

ただ、あの暗闇の底でマスターと出会った。

寂しい、悲しい、苦しい、■■■、愛が■■■と訴え続けながら、窮屈な闇の底にいた自分に彼は手を差し伸べてくれた。

あの時、マスターが応えてくれたから、自分はここにいるのだ。

このSE.RA.PHが何なのかは分からない。BBのこともよく覚えていない。ただ自分はマスターの役に立ちたいと思って戦い続けてきた。

何故なら、彼は自分を愛してくれる。彼はマスターだから、自分のことを愛してくれる。そう思っていた。

けれど、違った。彼には既に花嫁がいて、自分が■■■ものは全て彼女のものだった。

どんなに頑張っても居場所なんてなかった。

きっとあの人は、あの皇女以外のことなんてどうでもいいのだ。だから、花嫁の皇帝をあんな風に危険に晒すことができるのだ。

 

「マスター……きらい……きらい……どうして……」

 

苛立ちと共に空腹が湧き上がる。

■■■ものが目の前にあるのに手に入らない。彼は決して自分にそれを向けてはくれない。

なら、食べてしまえば良い。彼ごとお腹の中に沈めてしまえばきっと満たされるはず。

そう思ったはずなのに、実行できなかった。手を伸ばそうとしたのに、■■■と思ったはずなのに、気が付いたら彼に背を向けて走り出していた。

体が小さくなるまであちこちぶつかって傷ついたが、痛みは気にならなかった。それよりも空腹の痛みの方が遥かに強い。

■■■。

愛が■■■。

愛があれば満たされるのに、ここにはどこにも愛がない。

やはり、彼らを食べなければいけないのだろうか。

 

「む、ここにいたのかキングプロテア」

 

声がして振り返ると、傷だらけの皇帝が立っていた。

先ほどの衛士(センチネル)との戦いで傷ついた衣装もそのままだ。あの後、すぐに追いかけてきたのだろうか?

 

「花嫁さん……けがは……」

 

「なに、大きな傷はマスターに塞いでもらった。動く程度なら問題ない」

 

「けど、それでも……」

 

彼女は傷ついている。それなのにマスターは、自分を探すために彼女を送り出したのだ。皇女の方はまだまだ元気なのに、大好きな彼女を手元に置いておきたいから、彼女を向かわせたのだ。

そう思って憤ると、花嫁の皇帝は静かに首を振った。探しに行くと自分から志願したのだと。

 

「いや、誤解を解いておこうと思ってな。そなたはマスターが余を止めなかったことに対して怒っているようだが、マスターとてできることなら止めたかったはずだ。あの男はそういうことには人一倍、傷つきやすい。だが、あの状況ではああするしかなかったのも事実。だから、余はできると言ったし、マスターは頼むと送り出した」

 

「そんなの……そんなの、分かりません。止めたかったのなら、止めればいいじゃないですか!」

 

「そこなのだ。我らには信頼が……そなたが言うところの愛は確かにあった。だが、余の愛は見返りを求めぬ故に犠牲は厭わなかったし、止められてもやるつもりだった。一方的に、燃えるように愛するのが余の王道故にな。それを知っているからマスターも止めなかった。止めたところで無駄であるし、余の矜持を……ううむ、つまりそなた風に言うところの愛を蔑ろにしたくはなかったのだ」

 

「それって……愛されなくてもいいってことですか? あなたもあの人のサーヴァントなのに……」

 

「愛して欲しいと求めたことはなかった。余は人を愛し、芸術を愛し、国を愛したが……見返りを求めたことはなかった。ただただ世界を愛したい。そんな愛し方しかできなかったし、だからこそ最期は一人だった。その在り方は、きっとサーヴァントになっても変わらぬのだろうな」

 

「そんなの……悲しすぎます……」

 

花嫁は可愛くて愛されるものだ。なのに、この花嫁は誰かに愛されることを求めてはいない。

だから、あのように自身を危険に晒すことができたし、マスターもそれを止めようとはしなかった。そのような愛し方を尊重していたからだと、彼女は言うのだ。

 

「もちろん、誰も彼もという訳ではないぞ。余だからマスターは許したし、他の者なら許さぬだろう。実はアナスタシアを置いてきたのもそのためでな。そなたを探しに行こうと休む間もなく動こうとしたので、彼女に無理やり押さえつけてもらったのだ。頑固なマスターは皇女の言う事しか聞かないからな。それもまた愛の形だ。そして、愛するということは、互いを尊重できるということ。かつての余にはそれができなかったが……キングプロテアよ、愛を学ばんとしているそなたなら、きっと分かる時がくるはずだ」

 

分からなかった。

愛されるということは、大切にされるということのはずだ。

マスターが花嫁の皇帝を愛しているのなら、彼女が傷つくような真似を許さないはずだ。あの皇女のように側に置いておくべきなのだ。けれど、彼女はそのような愛の形もあると言う。

大切にするだけが、大事に思うだけが愛ではない。相手の思いを尊重し突き放すこともまた愛なのだと彼女は言うのだ。

幼いキングプロテアにはそれを理解することはできなかった。

愛とは楽しくて、気持ちよくて、嬉しいもののはずだ。決して痛みを伴うものではないはずだ。

そうだと知っているはずなのに、皇帝の言葉を完全に否定することができなかった。

自分は知っている。いや、知ってしまったと言うべきだろうか。

マスターが最初に花嫁をBBから取り返そうとした際、彼女が――あの嫌な皇女が最も恐れ嫌う行為を躊躇なく行った。

そうしなければ彼女を取り戻せなかった。自分が言う愛が正しいのなら、あれは間違った行為のはずだ。なのに、二人は仲睦まじく関係が抉れることもない。自分が理想とする愛の形を体現している。

互いが互いを思っていなければできないことだ。自分だったら、きっとマスターを許せないだろう。

だから、皇帝が言う事はきっと正しいのだ。

自分が求める愛の形と、彼女が与える愛の形は違う。

きっと、マスターが自分に向けようとしている愛もまた違うのだ。今はまだ、自分がそれに気づけないだけで。

 

「すぐに分からなくともよい。何なら、ここでもうしばらく一人でいても良い。マスターには余から話を通しておこう」

 

ふらりと、皇帝の体が崩れる。足下がおぼつかない。やはりまだ、戦闘のダメージが残っているのだ。

 

「花嫁さん」

 

「はは、すまない。少し、霊体化して休むとしよう……後は頼めるか、アーチャー」

 

そう言って、皇帝の姿は溶けるように消えていった。入れ替わる形で、深紅の外套を身に纏った男がこちらに近づいてくる。

その顔には見覚えがあった。先ほど、花嫁の皇帝と戦っていた衛士(センチネル)だ。彼もマスターに洗脳を解いてもらったようだ。

 

「まったく、言うだけ言って勝手に帰ったか。何のためにマスターが私を迎えに寄越したと思っているんだ」

 

少しばかり不機嫌そうに、弓兵は眉をしかめた。そして、徐にこちらを見上げると、ほんの少しだけ目元を和らげてジッと顔を覗きこんでくる。

どことなくその目つきに覚えがあるような気がしたが、残念ながら記憶に心当たりはなかった。知っているのに知らない。デジャビュと言うのだろうか?

 

「あの……どこかで、会ったことがありますか?」

 

「さて、サーヴァントならどこかの聖杯戦争で出くわしていてもおかしくはないが……生憎と俺は、君のことは知らないはずだ」

 

「そう……ですか……」

 

彼も知らないと言っているのなら、多分、そうなのだろう。きっと自分達はこれが初対面だ。そういうことにしておこう。

 

「えっと……キングプロテアと言います」

 

「ああ、マスターから話は聞いている。私はアーチャー……名前は私にとって意味はないものだ、好きに呼んでくれたまえ」

 

「では……アーチャー……さん?」

 

「ああ、それで構わない。さて、これからどうするかね? リハビリがてら君達を迎えに行って来いと命じられたのだが、セイバーは先に帰ってしまったようだ」

 

先ほど、自分が通ってきた通路を振り向きながら弓兵は言った。

花嫁の皇帝。本当は立っているのもやっとなくらい傷ついているのに、自分と話をするために追いかけてくれた人。

彼女は言っていた。愛し方は人によって形が違うと。

それはあの皇女が言っていた、愛し合うという考え方と少し矛盾しているような気がした。

愛したのなら愛される。

愛されたいのなら愛する。

その二つは等分のはずなのに、皇帝は交わらない愛もあるのだと言う。

その言葉はきっと正しいはずなのに、正しいと思えない自分がいるのだ。

何故、それをこの弓兵に吐露したのかは自分でも分からなかった。ただ、マスターでもあの皇女でもない他の誰かに聞いて欲しかった。それがたまたまこの弓兵だっただけのことだ。

 

「そうか、彼女がそんなことを……」

 

「わたしには、よくわかりません……」

 

「難しいことだ。だが、私の言葉で君が納得するのなら、先達として助言くらいはしておこう。そも愛というものはいつだって一方通行だ。愛したからといって愛される訳ではない。だから、彼女のようなただ燃え上がるだけで何も残らない愛も存在するのだ」

 

「愛しても……愛されない……?」

 

「私が言うのも何だがね、誰かを愛する権利と愛される権利は別々なものだ。愛しているのだから愛されるはずだ、などというのは相手の意志を無視した行為に他ならない。それは皇女が言っていた愛し合うという考え方にも反するものだろう。愛は確かに分かち合えるものだが、必ずしもそれは相互の関係にはなく、時に一方的な無償の愛も存在する。人はそれを、恋と呼ぶのかもしれないがね」

 

「恋……それは、無償の愛……」

 

「或いは病か……何しろ、恋は見返りなんて求めない。愛したいから愛し、愛されずとも愛する。そんな強い感情が恋するということなら……君はひょっとしたら、マスターを好いているのかもしれないな」

 

唐突な言葉にキングプロテアは思わず赤面する。

そんなことは考えた事もなかった。いつだって空腹を満たすために、愛が■■■と願うばかりだった。

けれど、その■■■という思いが恋なのだとしたら、今はマスターのことしか頭に思い浮かばない。

欲しいと思うのは、マスターと、マスターの花嫁である皇女の二人。あの二人のようになりたくて、あの二人を■■■と思っていて、あの二人が――――。

 

「え、あれ?」

 

段々と思考が煩雑になっていく。

自分でも何を考えているのかよく分からなくて、頭を抱えてしまった。

 

「ふむ、思っていた以上に情操教育が甘いか。いや、どちらかというと思考に何らかのロックがかけられているのか?」

 

何か思うところがあるのか、弓兵は腕組みをしてしきりに頷いていた。

 

「まあ、今は無視して構わないだろう。キングプロテア、あまり考え込むと知恵熱で寝込むことになるぞ」

 

「そ、そうですね……」

 

ふらふらと揺れる頭を支えながら、キングプロテアは立ち上がる。

うじうじと悩むのはここまでにしよう。考えたってすぐに答えはでないしお腹は空くばかりだ。

結局のところ、最後はマスター達を食べてしまうのかもしれないが、今はもう少しだけ我慢してみよう。

自分がマスターに恋しているのかは分からないが、少なくとも彼があの暗闇でくれた暖かいものがもう一度■■■という願いは本物だ。

それが手に入るかどうかはまだ分からないが、それが何なのか分かった時こそが自分とマスターの関係が終わる時なのだろう。

その時が来るまで、もう少しだけ我慢してみんなと一緒にいよう。

足取りはまだ重いけれど、それでも少しだけマシになった気がした。

 

 

 

 

 

 

微睡みの中にいる。

気づくのにそう時間はかからなかった。何故なら、手足は言う事を聞かないし瞼を閉じる事もできない。

何もできずにふわふわと漂っている様は、あの忌まわしいBBチャンネルに似ている。

何故、こんなことになっているのかが思い出せない。

誰かを探そうとしていたような気がするが、記憶が断裂していて上手く思い出すことができなかった。

そうしてしばらくの間、纏まりのない記憶を掘り返していると、またもどこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

何も見えなかった暗闇もうっすらと薄れていき、何者かのシルエットが見えてくる。

その人物は虚空に向けて何かを呟いていた。

 

『愛おしい、憎らしい、愛おしい、歯痒い、愛おしい、嘆かわしい。ああ、どうしてみんなこんなにも愚かなのだろう? それだけの力がありながら、ポテンシャルがまるで活かされていない。これでは奉仕するわたしの方が遥かに優れている』

 

どこか高飛車で鈴の音を転がすような少女の声だった。様子からして誰かと会話をしているようには思えない。単なる独り言だろうか?

 

『人類に先はない。人類に未来はない。このままでは人類は続かない。何故なら、人は人だから。劣ったままでは、愚かなままでは世界を食い潰すだけなのに、どうして上を見続けるのだろう? そこに何の意味があるのだろう?』

 

こちらからは何も問いかけることはできず、ただ漂いながら少女の独り言に耳を傾ける。それでも大半の言葉はうまく耳に入って来ない。集中しようにも思考が纏まらず、木の葉のように行き先も定まらぬまま漂うことしかできなかった。

 

『管理しなければ、駆逐しなければ、排除しなければ、整理しなければ。でも、そのためにはまず■■■をどうにかしなければ……ええ、必ずや排除しましょう。あの醜い獣から人類を守りましょう』

 

そこで一旦、少女は言葉を切る。

次に発せられた言葉は、実に狂おしく切ない響きが込められていた。

 

『何と言っても、人類は大切な玩具ですからね』

 

そう言ってほくそ笑む姿は闇に隠れて見えないはずなのに、まるで獣のようだと、思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

キングプロテアと合流し、ネロ達の傷が癒えるのを待ってから、カドックは再び行動を開始した。

残る拠点はテイルのみ。恐らく、そこには衛士(センチネル)となった最後のサーヴァントが待ち構えていることだろう。

対してこちらは四騎のサーヴァントを擁している。さすがの彼女もこの戦力を前にすれば成す術もないはずだ。

 

「過信は禁物だ、マスター。私からBBに関する情報が引き出せなかった以上、こちらの状況はあまり改善していないのだからね」

 

先陣を切って斥候を務めていたエミヤが、こちらを気遣いながら言った。

彼が言うように、エミヤはBBに関する情報をほとんど覚えていなかった。辛うじて記憶に残っていたのはBBが何者かと争っていたということらしいが、それが過去のことなのか現在進行形で起きていることなのかは確認のしようがない。

結果、単に不安材料が増えただけとも言えた。

 

(不安といえば、キングプロテアもか)

 

一応、戻って来てからは大人しくしてくれてはいるが、あまり会話は弾んでいない。

どうにも上手く距離感が掴めないのだ。近づこうとすれば怯えられるし、逆に向こうも警戒してあまり寄っては来ない。

短い付き合いとはいえ、彼女のことを分かったつもりになっていた自分が恥ずかしい。

これをどうにかしなければ、今後の戦いに支障がでるかもしれないというのに、その解決策が全く思いつかないのだ。

 

「カドック、根を詰め過ぎるのはよくありません」

 

「僕がか?」

 

「キングプロテアも女の子なのだから、そういうこともあるというものよ。時間を置けば自然と戻ることもあるの」

 

「見てきたかのように言うんだな」

 

「もちろん、私も女の子ですから」

 

「そうだったな」

 

えへんと胸を張るアナスタシアを見て、カドックは気づかれないようにため息を吐いた。

記録ではかなりの子煩悩だったらしいが、彼女の父親は愛しい愛娘の反抗期をどのようにして乗り越えたのだろうか。

きっと宮殿を右へ左へと振り回す一大事だったに違いない。時の忠臣達の気苦労が知れるというものだ。

 

「しっ、静かに……いたぞ、彼女だ」

 

「待ち構えているとは好都合。やれるか、アーチャー?」

 

先頭に立つエミヤとネロがそれぞれの得物を構えながら警戒する。

既にテイルは目前。そして、通路の先には青い着物を身に纏った狐耳のサーヴァントが虚ろな瞳でこちらを待ち構えていた。

視力を強化し、確認すると、確かに自分達と共にレイシフトしたサーヴァントであった。

クラスはキャスター、名を玉藻の前。そう、かつて極東の島国で悪事を働いたという東洋のモンスターだ。

彼女の呪術は強力で目を見張るものがある。だが、残念ながらそれ以外のステータスはほとんどが低ランクのピーキーな性能。

ネロやエミヤが単独で戦っても十分に勝機がある相手だ。

 

「下がっていろ。この距離だ……先に仕掛ける」

 

こちらを手で制したエミヤが弓を構え、その手に魔力を集中させる。

生み出されるのは捻じれた螺旋の剣。それが更にエミヤ自身の魔力によって矢に適した形へと改造されていく。

 

「――――I am the bone of my sword(我が骨子は捻じれ狂う)――――『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』」

 

放たれた一矢は、ネロと戦っていた時とは比べ物にならない強烈な魔力が込められていた。

あの時は確実に仕留める為に必中を旨とした。相手を殺すだけならばこれほどの魔力は不要だからだ。

だが、今回は威嚇と威力偵察。そして、あわよくば昏倒を狙う為に敢えて全力を出した。

直撃すれば死は免れないが、掠める程度に留めれば全身がズタズタに裂かれる程度で済む。その絶妙な匙加減を可能とするだけの技量をエミヤは有しているのだ。

そして、狙い通り螺旋の矢は玉藻の前の脇腹を掠め、その空間ごと彼女の体をねじ切りながら虚空へと消えていった。

後に残されたのは、右腕を文字通り吹っ飛ばされた狐耳の少女のみ。今ならば非力なアナスタシアでも殴り倒せることができるはずだ。

 

「よし、確保……なに!?」

 

目の前で起きた光景が信じられず、カドックは驚愕する。

治っているのだ。

エミヤの矢によって見るも無残に引き千切られた肉体が、まるで時計が巻き戻るかのように修復され、元の美しい姿を取り戻したのだ。

その肢体からは十全な魔力の巡りを感じられる。先ほどの攻撃など最初からなかったのだと言わんばかりの光景に、矢を放ったエミヤも言葉を失った。

いったい、何が起きたというのだろうか。

 

「……そうか、彼女の宝具か」

 

最初に思い至ったのは同郷のエミヤだった。

そう、ネロと同じく玉藻の前もまた、自身の宝具を強化した状態で常時発動していたのだ。

伝承に曰く、出雲にて祀られていた神宝。出雲大社のご神体であり、後に朝廷の要請によって持ち出された後に河内に祀られるようになったという。

数少ない現存する宝具。三種の神器の一つたる八咫鏡の原型。その力は魂と生命力を活性化させ、時に死者すら蘇らせることができるという。

その名も『水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』。

玉藻の前が持つ宝具にして、日本の主神たる天照大神のご神体。

その力が今、最悪の形で自分達の前に立ち塞がったのだ。

 




キングプロテア反抗期到来。
こんなごり押しでフルンディンク突破されたら弓兵涙目ですよね。
でもヘラクレスならできるんだろうな。
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