Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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#7 セラフィックス東8番通路の奇跡 その出会いをもう一度!

Sword,or Death

 

こちらが戦意を持って踏み込むと同時に、テイル内を徘徊していたエネミーの群れが一斉に振りむいた。

意志がないはずの無機質な瞳が怪しく輝き、牙あるものは口角を広げて咆哮する。

全身に走る幾何学的な紋様はまるで血流のようで、全身の魔力を明滅させながら循環させているのが見て取れた。

最後の拠点なだけあって、どいつもこいつも面構えが違う。滾らせる魔力は平均的なサーヴァントを上回るだろう。

そして、その中心で女王のように君臨しているのは和装の化生。キャスター、玉藻の前であった。

 

「いくぞ、まずは手筈通りに!」

 

「やりなさい、ヴィイ!」

 

こちらの号令と共に、アナスタシアが広場全体を覆う程の吹雪を起こした。玉藻の前の防御を抜く事は敵わないが、立ち塞がったエネミーはその悉くが冷気で凍結されていく。

その隙に、魔術回路を活性化させていたエミヤが彫像と化したエネミーを飛び越えて、一直線に玉藻の前へと肉薄した。

当然、向こうも迎撃を試みるが、それを易々と許すエミヤではない。玉藻の前が動くよりも一瞬だけ早く、投影発動の為の詠唱を紡いでいた。

 

投影開始(トレース・オン)

 

両手に生み出された陰陽の夫婦剣を振り抜き、玉藻の前が放った炎を切り払う。

同時に追随していたネロが切っ先を振り上げ、大上段から無防備な玉藻の前へと切りかかった。

咄嗟に玉藻の前は自分の周りに浮遊させている鏡を呼び寄せ、ネロの剣を受け止める。

ぶつかり合う鏡と剣。強化の呪術がかけられているのか、はたまた込められた神秘の差によるものか、鏡には傷一つついていなかった。

しかし、鍔迫り合いにもつれ込んだことで玉藻の前の動きが止まる。エミヤが固有結界を展開するには十分な隙だ。

 

身体は剣でできている(I am the bone of my sword.)

 

紡がれた詠唱が、エミヤの内側から世界そのものを捲り上げる。 

 

血潮は鉄で心は硝子(Steel is my body,and fire is my blood.)

 

それは彼の生涯にして彼自身の後悔そのもの。同時に彼が成し遂げた全てであり、辿り着いた極致である。 

 

幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)

 

血潮は錆び、心が砕け散ってもなお駆け抜けた鮮烈な一生。無銘の英霊、錬鉄の英雄が誇る魔術の秘儀。 

 

ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death.)ただの一度も理解されない(Nor known to Life.)

 

誰からの理解も得られず、孤独の中で正義に徹したが故に悪と断じられた。

 

彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons.)

 

それでも、彼が抱き続けた想い、正義の味方への憧れは。

 

故に、その生涯に意味はなく(Yet, those hands will never hold anything.)

 

きっと、間違いなんかじゃなかったはずだ。 

 

その体は、きっと剣で出来ていた(So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS.)

 

一瞬、炎が駆け抜けたかのような幻覚を垣間見た。

それはエミヤが発動した固有結界が、現実と異界とを遮る為に起こしたものなのだろう。

 

「――!」

 

こちらの意図に気が付いた玉藻の前が、ネロの膂力に顔を歪ませながらも左手のみで符を取り出し、エミヤに向けて投げ放った。

もちろん、そんなことをすれば剣を受け止めている鏡を右腕一本で支える形となり、ネロを抑えきれずに彼女の切り込みを許すことになる。

だが、今の玉藻の前は不死身にも等しい。たかが右腕の一本を切り落とされたところで動きが止まることはなかった。

直後、雷鳴が空中で破裂する。エミヤが咄嗟に双剣の内の一本を投擲し、それが玉藻の前が放った符とぶつかり合ったのだ。

避雷針となった剣は木っ端みじんに砕け散り、雷の閃光で視界が焼ける。弓兵と呪術師は、光の壁を隔てて睨み合っていた。

この時点で玉藻の前は右腕を切り裂かれ、残る左腕はまだ次なる符の準備ができていない。対してエミヤの手にはまだ、陰陽の内の陰の剣が残されている。

 

「退け、セイバー!」

 

投擲された白色の剣が光を裂き、玉藻の前の左腕を引き裂いてネロの撤退を援護する。

目線だけで頷いたネロは、同じタイミングでエミヤのもとへと駆けていたアナスタシアと入れ替わる形で後方へと跳躍し、同時に鋼が叩きつけられたかのような音が広場全体に響き渡る。

エミヤの固有結界が発動したのは、その直後のことであった。

まるで妖精に攫われたかのように、三人の姿は忽然とこの世界から消えていた。

違わず発動した『無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)』によって、異界に隔離されたのだ。

後に残されたのは、自分とキングプロテア、そしてこちらの護衛のために残る事となったネロの三人だ。

エネミーの群れも凍結から少しずつ脱し始めており、溢れんばかりの殺意を漲らせながらこちらを睨んでいる。

奴らを屠り、キングプロテアを可能な限り大きく育てて玉藻の前を打倒する。

ここからが正念場である。

 

「マスター、命令を!」

 

「ああ……食い尽くせ、キングプロテア!」

 

瞬間、暴風が駆け抜けた。

凍結から解放され、動き出したエネミーの群れを、キングプロテアの巨体が嵐のように薙ぎ払う。

腕の一振りで数体の雑魚が消し飛び、その経験値を喰らって彼女の肉体(エゴ)は成長を始める。

 

 

 

 

 

 

どことも知れぬ空間で、一人の少女は虚空に浮かんだデバイスに手を這わせていた。

投影されたディスプレイには無数の文字列が流れており、少女の眼は滂沱のようなそれを一心不乱に追いかけている。

淀むことなく、惑うことなく操作を続けられるのは電子の精の為せる業なのか。

果たして、ここにこもってからどれだけの時間が経つのかは、彼女自身にも分からなくなってきていた。

 

「……キャスターの反応が消えた?」

 

手を休ませることなく、目だけで文字を追いながら少女は呟いた。

 

「なるほど、彼の固有結界ですね。不死身と化したキャスターを倒すには星の聖剣かそれに比類する火力が必要でしょう。彼女を異界に隔離し、その隙にキングプロテアをそこまで成長させるつもりですね」

 

あの状況では切れる手札はその程度しかないであろう。あそこには太陽の騎士も錆びた守護者もいないのだから。

同時にそれはやり直しが利かない賭けでもある。もしも、成長が行き過ぎてキングプロテアの退行が起きてしまえば、全ての努力が無為に終わってしまう。

その隙を逃がすはずもない。残る衛士(センチネル)の拠点は後一つ。後がないのはどちらも同じだ。

 

「こちらも手一杯だというのに、本当に目障りなカガンボさんですね」

 

どことも知れぬ空間で、少女は一人ほくそ笑む。

その眼はここではないどこかを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

エミヤが固有結界を展開してから、既に二十分近くが経過しつつあった。

群がるエネミーを屠り、蹴散らしながら成長を続けたキングプロテアの体長は四十メートルを超えており、当初の予定まで後もう少しというところであった。

既に残るエネミーも僅かであり、これほどまでに成長したキングプロテアを止めることは敵わない。蜂が毒針を刺そうと、立方体が体当たりを仕掛けようと彼女の肌には傷一つつかず、ぶつかっただけで消滅してしまう有り様だ。

しかし、ここまで大きくなってしまえば、彼女自身にその気はなくともこちらにまで影響が及んでしまう。キングプロテアが足を踏み出す度に、転がっている瓦礫が宙に浮くほどの地響きが起きているのだ。強化の魔術を使っていなければ立っているのも難しい状態であり、大雑把に怪力を振るうキングプロテアの暴力に巻き込まれれば一介の魔術師は成す術もあの世行きが決まるだろう。

 

「マスター、そろそろ余達の逃げ場もなくなってしまう! まだなのか!?」

 

「ああ、まだだ」

 

瓦礫に隠れながら、カドックは戦場の様子を伺い歯噛みする。

目ぼしいエネミーは全て倒したが、キングプロテアの成長はまだ五十メートルに達していない。

ここまでの経験からそれは彼女の成長限界ギリギリの体長のはずだ。そこまで育たなければ、玉藻の前の防御を抜いた上で一撃で昏倒させることはできないだろう。

だが、その成長がここにきて頭打ちになりつつある。特に四十メートルに達してから、彼女の成長は目に見えて遅くなっていった。

 

「どうして……後、もう少しなのに……」

 

キングプロテア自身も、己の成長の遅さに戸惑いながらも拳を振るう。

粉砕された瓦礫が宙を舞い、まるで隕石のようにカドックの周囲へと落下した。

それに気づかずキングプロテアは、更に目の前で整列していた盾の軍団を踏み潰す。

舞い上がる粉塵の向こうで、瓦礫が崩れる音が聞こえた。

 

「危ない、マスター!」

 

ネロが駆け寄るのと、頭上に黒い影が現れたのはほぼ同時であった。

直後、ネロに引っ張られた体が慣性で軋みを上げ、眼前にキングプロテアの巨体が倒れ込んできた。

もしも、ネロが間に合わなければその巨体に圧し潰されていたであろう。

 

「キングプロテア、もう少し足下に気を付けるのだ!」

 

「す、すみません……」

 

「いや、いい。気にするな、好きに暴れろ!」

 

頭上に向かって声を張り上げ、こちらが健在であることを示す。

象が蟻を気に掛けるだろうか? 答えは否だ。ここまで大きくなったキングプロテアに、足下を気遣いながら戦う余裕などない。歩けば地響きが起こり、手足を振るえば巻き込まれた大気が衝撃波となって宙を駆ける。壁や天井が崩れずに持ち堪えているのが奇跡と言って良いだろう。

だが、それらを気にして戦っていたのでは彼女の成長は益々、遅くなってしまう。固有結界の中では熾烈な戦いが繰り広げられているのか、パスを通じて伝わってくるアナスタシアの気配がどんどん小さくなっていく。これ以上、時間をかけてはいられないのだ。

 

「まだなのかマスター!?」

 

「……まだだ」

 

絞り出すように、カドックは吠える。

ネロの焦りも分かる。既にキングプロテアにはほとんど成長が見られない。敵とのレベル差が広がりすぎたため、手に入る経験値が微々たるものになってしまったのだ。

肥やしとなるエネミーもあらかた倒してしまったため、残る雑魚を全て平らげても1レベル上がるかどうかといったところだろう。

加えて固有結界内でのエミヤの消耗が反映されているのか、空間が少しずつ軋みを上げていっている。そう遠くない内に瓦解するだろうことは容易に想像できた。

これ以上は時間をかけていられない。まだ予定の五十メートルには達していないが、後は玉藻の前自身と戦って持ち堪えながら成長を待つしかないのだろうか。

そう思った刹那、不意に大きな揺れがSE.RA.PH全体を襲った。

キングプロテアが起こす揺れではない。地響きと共に、床下から何かが叩きつけられているかのような規則的な音も聞こえてきていた。

 

「マスター、下だ!」

 

ネロが咄嗟にこちらを庇う。

直後、テイルの床をぶち破って巨大な何かが姿を現した。

轟音と共に舞い上がる粉塵。ここが最下層であることを思い出したカドックは、思わず自身を庇うネロの体にしがみ付いた。

壁の向こうは海抜数千メートルの深海だ。浸水すればあっという間にこの広場は水で満たされ窒息死してしまう。いや、それよりも館内の圧力のバランスが崩れて区画ごと水圧で潰れてしまうかもしれない。

そうなってしまえば全てが文字通り、水の泡と化す。玉藻の前を助け出すこともBBの目論見を阻止することもできずに、自分達は海の藻屑となってしまうのだ。

だが、そんな諦観と絶望は、粉塵の向こうから姿を現したそれを目にした瞬間、遠い宇宙の彼方に消し飛んでしまった。

 

「なっ……」

 

カドックとネロ、二人の声が重なり合う。

ここが戦場の只中であることすら、ほんの一瞬ではあるが頭から抜け落ちていた。それくらい、目の前の存在が受け入れがたいものであったのだ。

果たしてこれは科学と魔術の融合が成せる業なのか。それともSE.RA.PHという特異点故に成立した奇跡なのか。

彼らの前に現れたのは、実に全高五十メートルには達しようかという巨大な少女――の姿をした機械人形であった。

俗に言うロボットというものなのだろうか。軋みを上げる関節の音、鈍く光る銀の装甲、どこからか聞こえてくる電子音。顔の左右で明滅するレンズ。今時、カートゥーンでしか見かけない古典的なデザインはレトロを通り越して斬新さすら感じられる。

何より目を引くのは、この巨人が衣服を模した装甲を纏っていることだった。

黒いマントを髣髴とさせる外装。膝上まで届くブーツを模した脚部。胴体部は白いブラウスで、腰部はマントと同色のミニスカートだ。そして、頭部には可愛らしいリボンのような装飾が施されている。

それら各部の造形は、このSE.RA.PHを作り上げた張本人であるBBを連想させるものであった。

 

「BBめ、よもやこのようなものまで持ち出してくるとは……差し詰め、超巨大エネミー『BBB』と呼ぶべきか?」

 

「呼び方はどうでもいい! くそっ、こういうのは立香がいる時に出てきてくれ! 僕は趣味じゃない!」

 

ネロに腕を引かれながら、カドックは悪態を吐く。実際、この場に立香がいれば間違いなく興奮して周囲を呆れさせていただろう。

だが、生憎と今はメカ好きなマスターは不在であり、言葉ほど呑気な状況でもない。カドックの視線は今、巨大な機械人形――――BBBが出現した亀裂へと向けられていた。

クレパスにも似た巨大な亀裂の向こうには、本来ならば光すら差さない暗い海が広がっているはずであった。だが、あるべきはずの浸水はなく、そこには覗き込むと吸い込まれてしまいそうな暗闇がどこまでも広がっていたのだ。

無論、半透明な壁や床の向こうには暗い海が広がっており、時折、泡のようなものも見て取れる。端末からの位置情報も、ここがマリアナ海溝の深海であることを示していた。だというのに、床の下には何もない虚無が広がっていたのだ。

あれはエミヤが衛士(センチネル)を担っていたタッチの虚数空間の穴と同じものだろう。つまり、SE.RA.PHの周りを包み込んでいるのは深海の水ではなく、虚数空間だったのである。

 

(どういうことだ? ここは深海じゃないのか? いや、シバを持ってしても虚数空間の内部を見通すことは不可能だ。なら、カルデアが観測したセラフィックスは…………)

 

走り出した思考を、地響きが遮る。

キングプロテアと取っ組み合いを演じていたBBBが、彼女の巨体を投げ飛ばしたのだ。規格外の筋力と耐久を誇るキングプロテアを容易く投げ飛ばすとは、呆れるほどの馬鹿力だ。

それに動きも正確で、負けじと飛びかかったキングプロテアを叩き捨て、何トンもあるであろう大きな体で容赦なく踏みつけにかかる。

苛烈な攻めでキングプロテアの悲痛な声がテイル全体に響き渡った。骨が軋みを上げる鈍い音に耳を塞ぎたくなる。

 

「まずいぞ、マスター! キングプロテアが押されている!」

 

「ああ、それに床が……足場が崩れて……」

 

巨大な二つの質量がぶつかり合う余波で広場全体が大きく揺れ、その度に床の亀裂は大きくなっていった。それはつまり、こちらの安全圏が狭まっているということである。

BBBと縺れ合いながら拳を振るうキングプロテアにこちらを気に掛ける余裕はない。既に足下を気にしながら戦えるような大きさはとうに超えているのだ。今の彼女は生きた台風そのもの。そして、BBBはそれすらも上回る超ど級の化け物だ。言い換えるなら膨大な経験値をその身に蓄えているともいえる。

 

(駄目だ……仮に倒せてもそれでは容量過多で退行が始まる……だが……」

 

キングプロテアの体長は、BBBとの戦いに突入したことで直に五十メートルに達しつつあった。

それは重畳ではあったが、このまま戦い続けていては成長が限界に達して幼児退行が始まってしまう。

かといって、今の状態で玉藻の前を固有結界から解放すれば両者を同時に相手取ることになる。それではキングプロテアといえども勝ち目はない。

そして、迷っている間にもアナスタシアとの繋がりはどんどん、薄れていっていた。

 

「余が行こう」

 

言うなり、ネロの姿が掻き消えた。一息の間に駆け出したネロは、降り注ぐ瓦礫をジグザグに躱しながらも崩れかけている床を疾駆する。

頭上ではキングプロテアがBBBに突き飛ばされており、叩きつけられた壁にはいくつものひびや陥没の後が見て取れた。

その様はまるでウルクで垣間見た神霊同士の戦いのようであり、とてもではないが余人が入り込む隙などない。

それでもネロも仲間を救うために戦場を駆ける。

剣を構え、高めた魔力を言霊に込めながら、打倒すべき障害をその眼で真っすぐに射抜く。

 

「我が才を見よ、万雷の喝采を聞け! しかして称えるがよい、黄金の劇場を!」

 

光が走る。

ネロを中心として波のように広がった光は、彼女自身が発した魔力によるものだ。

それは瞬く間に世界を塗り潰していき、暴君の威光を世に示す。

即ちは宝具の顕現。

巨人によって踏み砕かれた『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』が今、このSE.RA.PHに再び築かれたのである。

だが、それは偽りの復活であった。

威光を示す黄金の劇場は、まるで陽炎のように揺らめいており実体がハッキリとしていない。吹けば忽ちの内に塵と化してしまいそうなほど、ゆらゆらと不安定に揺らめいていた。

 

「駄目だ、修復がまだ終わっていない……あれでは二秒と保たないぞ!」

 

黄金劇場による重圧が効いているのか、BBBの動きは目に見えて遅くなっている。だが、展開が僅かに早かったのかネロの切り込みはどうやっても間に合わない。再構築された黄金劇場は、瞬きの間に綻んで末端から霧散し始めていた。

 

「否! 一太刀すらいらぬ! 我が劇場にて余の独唱を妨げる者は、何人たりとも許されぬのだ!」

 

キングプロテアにとどめを差さんと拳を振り上げたBBBの巨体が、不意にバランスを崩した。床の崩壊が足下にまで達したのだ。ネロが近づいたことで黄金劇場による重圧と幸運の剥奪が強まり、機械仕掛けの巨人は崩落から逃れることができない。

そのままBBBの巨体は、自身が突き破った床の亀裂へと落下していく。相手をしている時間がないのなら、虚数空間に沈めてしまおうというのだ。

直後、力を失った黄金劇場が霧散し、力を取り戻したBBBは腕を伸ばして何とか床にしがみ付かんとしたが、それはキングプロテアの渾身の蹴り込みによって防がれてしまい、両の眼を妖しく光らせながら暗闇の底へと沈んでいった。

 

「マスター!」

 

「……戻ってこい、アナスタシア(キャスター)!」

 

右手を強く握りしめ、意識を集中させる。

程なくして空間が揺らめき、火の粉と共に三騎のサーヴァントが異界より帰還した。そして、その惨状を垣間見てカドックは言葉を失う。

アナスタシアもエミヤも満身創痍であった。アナスタシアはドレスが襤褸切れになるほど引き裂かれており、そこから覗かせる右腕は大きく焼け爛れていた。

胴や足にもいくつか裂傷が見られ、片腕で何とかヴィイにしがみ付いている状態だ。

エミヤの方は更に悲惨である。右目と左腕が潰れ、大腿部を抉られ、全身の至る所に火傷や凍傷を負っている、吐血しているところから見て内臓が傷ついている可能性も高い。

何より、二人から感じ取れる魔力は今にも消え入りそうなほど弱々しかった。

だが、何よりも絶望的だったのは、それほどの負傷を負いながらも足止めした玉藻の前からは、一切の消耗が感じられなかったことだ。それどころか全身から溢れんばかりの魔力を迸らせており、はだけた着物の隙間から生えている尻尾が荒々しく昂っている。しかも、その数は三本に増えていた。

その威容、その気迫、三大化生の名に恥じぬ凄まじさだ。二人とも、よくぞここまで持ち堪えてくれたものである。

 

「後は……お願い……」

 

「はい!」

 

アナスタシアからバトンを引き継いだキングプロテアが、崩れつつある床を踏み締めながら立ち上がる。

時間をかけている暇はない。彼女の幼児退行が始まる前に、渾身の力で玉藻の前を殴り飛ばすのだ。

駄目押しとばかりに強化を施しながら、カドックは作戦が上手くいくよう心から願った。

既に玉藻の前の力は想定していたものを遥かに上回っており、限界まで育ったキングプロテアでも一撃で倒すのは難しいかもしれない。

それでもやるしかないのだ。残された手段はもう、これしかないのだから。

 

「やれ、キングプロテア!」

 

飛び上がる巨体。

全身の包帯を解れさせながら、キングプロテアの全質量が乗った右フックが滞空している玉藻の前を狙う。

空間を歪ませながら振り抜かれたその一撃は、例え上級サーヴァントであっても掠めただけで消滅しかねない。

だが、玉藻の前は落ち着いて距離を取り、呪術で強化した脚力をもって神威の拳を飛び越える。

二度、三度、キングプロテアが拳を振るうもそれは空しく宙を切るに終わり、呪術師を捉えることは適わなかった。三尾にまで再臨が進んだことで、能力が一尾であった頃よりも遥かに増しているのだ。

彼女は死角に回り込み、蜂のような一刺しで巨人と化した少女を襲う。

躱そうとして足を縺れさせたキングプロテアは、そのままみっともなく壁にぶつかってバランスを崩し、カドックの目の前に尻餅をついた。

 

「っ!?」

 

立ち上がる為に下ろした手が、カドックの真横を横切る。強烈な衝撃が横っ面を叩き、瓦礫だらけの床を転がりながらカドックは肝を冷やした。

床が崩れたことと、キングプロテアの成長が更に進んだことで、完全に逃げ場所がなくなってしまったのだ。

何をどう動いたところで彼女の巨体はこちらの脅威をなる。それを躱せるのはサーヴァントだけであり、ただの魔術師でしかない自分には不可能だ。

急いで誰かを呼び戻さなければ、キングプロテアに踏み潰されるか虚数空間に堕ちてあの世いきとなってしまう。

その時だった。成長を続けていたキングプロテアの体が、小刻みに震え出したのは。

 

「だめ……いや、まだ……まだ、戻らないで……」

 

悲痛な叫びも虚しく、キングプロテアの体が少しずつ縮み始めていく。時間切れだ。成長の限界に達したことで、彼女の『幼児退行』スキルが発動し若返りが始まったのである。

そして、退行は成長よりも遥かに素早く進行する。現在の体長から推測するに、玉藻の前と戦える時間は一分とないだろう。

この残された時間の中で、何としてでも打開策を見つけなければならない。

だが、どうすればいいのか?

焦るキングプロテアが闇雲に拳を振るうも、玉藻の前を捉えることはできない。

アナスタシアとエミヤも既に戦闘不能。まだ無事なネロもキングプロテアの戦闘の余波から逃れるのに精一杯だ。

このままでは遠からずこちらが敗北する。まだ余力のある自分が、この状況を覆さなければならないのだ。

焦りがカドックの心を支配する。

自分に出来る事など何もない。こうして身を縮こませて隠れることしかできないのだ。

それでも探せと誰かがが吠える。

胸の内で、頭の中で、卑屈になろうとしている自分を叱咤する者がいる。

それは極限状態が生んだ幻聴か一時的な精神の乖離だったのか。何れにしてもカドックは諦めるという選択肢だけは選ばなかった。

内なる声に従い、目を血走らせ、何か手はないかと周囲を見渡す。

すると、担い手のもとを離れたそれが目に入った。

一か八かの策を閃き、即座に全員の位置を確認する。

エミヤは動かせず、アナスタシアとネロでは遠すぎる。他の誰よりも、キングプロテアを挟んだ対角線上にいる自分が一番近い。そして、消耗している彼女達よりも、自分の方が僅かに早く到達できる。

咄嗟に指先に目をやると、活動限界による分解も始まっていた。本当の意味で、自分達残された時間はもう僅かしかない。

 

(どうする? お前ならどうする、立香?)

 

問いかけに対して、返事はなかった。

当然だ。自分がよく知る彼ならば、この胸の内で今も共にいる親友ならば、こんなところで躊躇などしない。

自分に出来る事があるのなら、やらねばならないのなら、茨の道だろうと焼却された歴史だろうと駆け抜ける男だ。

彼はとっくに駆け出していた。ならば、自分も腹を括らねばならない。

藤丸立香という相棒が最後まで諦めないのなら、自分もまた最後まで彼に恥じない戦いをすると決めたのだ。

それがカドック・ゼムルプスの戦いであり、叛逆(圧制)だ。

 

「Set――加速航路(加速しろ)

 

両足に強化を施し、ひび割れ始めた床を蹴る。

地響きで建物全体が揺れ、危うくバランスを崩しそうになる体を必死で支え、瓦礫の上を飛び移りながらキングプロテアの股下を駆け抜けた。

巨大な白い足が眼前を横切る。タイミングを見誤れば、彼女に踏み潰されるか蹴飛ばされてしまうかもしれない恐怖が足を竦ませるが、カドックは構わず両足に力を込めた。

視界の端ではこちらの意図を察したエミヤが投影の準備に入っていた。アナスタシアの顔は見えなかったが、きっと心配してくれているだろう。心の中で小さく謝罪する。

そして、キングプロテアの足下を潜り抜けた直後に、背後から襲い掛かってきた突風に吹っ飛ばされながら、カドックは遂にそれが突き刺さっている場所にまで到達した。

その柄を両手で掴み、脚力に回していた魔力を腕へと集中させる。すると、壁に深々と突き刺さっていたそれは何事もなかったかのように引き抜かれ、神秘的な光沢を曝け出す。

そのままカドックは、渾身の力を込めて腕を振り抜き、引き抜いたばかりのそれを――エミヤが固有結界を展開する前に投影し、玉藻の前の腕を切り裂いた白色の陰剣を空中目がけて投げ放った。

無論、素人の投擲が空を飛ぶ化生を捉える事などない。狙いも出鱈目なその投擲をフォローするのはネロの役目だ。放物線を描く陽剣を空中でキャッチし、『皇帝特権』で獲得した投擲スキルで持って玉藻の前へと投げつける。

陰陽の片割れは、今度こそまっすぐに玉藻の前を目がけて飛んでいった。

 

「当たれぇっ!」

 

着地しながらネロは叫ぶ。或いはその叫びが玉藻の前の気を引いたのか、キングプロテアの攻撃を躱していた巫女は片手で符を投げ放って飛来した剣を迎撃した。

それによって軌道をずらされた白色の剣は、玉藻の前の頬を掠めて後方へと飛んでいく。

ほんの一瞬、玉藻の前がほくそ笑んだかのように見えた。

全員がほぼ満身創痍。頼みの綱のキングプロテアの攻撃は空振りを続け、最後の一手として放った投擲も躱された。最早、打つ手はない。

恐らくはそう思ってしまった事が彼女の敗因だった。

 

「――――っ!?」

 

突如として、弾かれたはずの短剣が弧を描いて玉藻の前のもとへと舞い戻ったのだ。

先刻の矢と同じく、物理法則を無視した軌道はその剣が持つ宝具としての能力だ。銘を莫耶というそれは、エミヤがたった今、投影しなおした陽剣・干将と対となっている夫婦剣だ。

刀鍛冶の夫婦であり、刀剣の作成の為に引き裂かれた二人を象徴するこの陰陽の短剣は、離れていても互いに引き合う性質を持つ。

例えそれを知っていたとしても、不意を突く形で使用されれば避ける事は難しく、玉藻の前は咄嗟に呪術で防御を試みる。

刹那、光と熱が視界を焼いた。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』。

投影した宝具を敢えてオーバーロードさせ、自壊と共に強烈な爆風を巻き起こすエミヤの切り札だ。その破壊力たるや、Aランクの宝具にも匹敵する。

もちろん、玉藻の前の『黒天洞』の前ではそれすらもそよ風と化してしまうが、己を守る為に受けざるを得ない状況となったことで、飛翔していた彼女の足がピタリと止まった。

それは、彼女自身の敗北を意味していた。

 

「こ……のぉっ!」

 

腹の底から絞り出すかのような気合で繰り出されたアッパーカットが、展開された『黒天洞』ごと玉藻の前を捉える。

踏み抜かれる震脚。そして、唸りを上げた剛腕は、呪術による守りによって威力を減衰させられながらも巫女の肢体をかち上げ、風に舞う木の葉のようにくるくると回りながら玉藻の前は天井へと叩きつけられた。

ほんの一瞬、静寂がテイル全体を包み込む。

 

「やったか?」

 

呟くと、天井に叩きつけられた玉藻の前がゆっくりと剥がれ真っ逆さまに落ちていった。宝具は発動していない。先ほどのキングプロテアの一撃は、違う事無く確実に彼女を昏倒させたのだ。

 

「やった!」

 

(ああ……よくやった……)

 

心の中でキングプロテアを褒めながら、カドックは唇を釣り上げる。

それは勝利の美酒故か。はたまた己が最期を悟ってのことか。

カドックの足下には幾つもの亀裂が走っていた。先ほどのキングプロテアの一撃が、遂にこの広場全体にとどめを差したのだ。

二秒後にはこの足場は崩れ去ってしまうだろう。

力尽きたエミヤは動けないようで、玉藻の前の救援にはアナスタシアが走っていた。遠退いていく背中からは不安と寂しさが感じ取れた。言葉にせずとも、彼女が自分のことを助けたいと思っていることが理解できる。

それでもアナスタシアは、カドック・ゼムルプスなら命じるであろうことを最優先で実行してくれた。本当に、自分には過ぎたサーヴァントだ。

逆にネロはこちらに向かって来ていたが、彼女の足でも床の崩落には間に合わないだろう。だから、こちらのことは放っておいてすぐにこの場を離脱して欲しい。彼女だけならばきっと助かるはずだ。

そして、最後にキングプロテアと目があった。

彼女の瞳は驚愕と悲しみで溢れていた。自分の起こした暴力が、自らのマスターを危機に追いやってしまったことに気づいたのだろう。

馬鹿な娘だ。

そんな事、気にする必要はない。子どもが大人に気を遣う必要なんてないのだ。

だから、言わなければならない。

次の瞬間には消えてしまうこの命が尽きる前に、彼女にそのことを伝えなければならない。

 

「気にするな」

 

その一言を最後に、カドックの体は闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

目の前で、大切な人の姿が消えていく。

手を伸ばしても届かず、彼は深い闇へと落ちていった。

あの闇の向こうに広がっているのは虚数空間。堕ちてしまえば這い上がることはできず、その命が潰える事なく魂が擦り切れるまで永遠に堕ち続けることとなる底なしの闇だ。

少しずつ小さくなっていくこの体が恨めしい。

いくらこの手を伸ばしても、あの人が闇へと堕ちていくことを防ぐことができない。

 

「気にするな」

 

彼は最後にそう言った。

これはお前のせいではないのだから、気にするなと彼は言ってくれた。

嘘だ。

彼を追い詰めたのは自分のせいだ。

俺を奈落へ落としたのは自分のせいだ。

この体が、大きな腕が、足が、振るわれる暴力の数々が彼を危険に追いやった。

その結果、彼は――――マスターは虚数空間へと堕ちていった。

自分に愛を教えてくれた人が、目の前から消えてしまった。

彼一人だけなら逃げることもできたのに、彼はそうしなかった。

花嫁を道具のように扱っていた癖に、最後まで自分達を見捨てる事なく共にいてくれた。

そういえば、いつも彼はそうだった。

マスターはいつだって、サーヴァントと同じ戦場に立っていた。

それが自分の役割だと言わんばかりに、信頼も怨嗟も全て受け止めてくれた。

あんなちっぽけな体の癖に、何て大きな人だったのだろう。今になってそれに気づく事ができた。

だから、死なせたくはないと思った。

 

『愛されるということは、愛するということの裏返しです』

 

『余は人を愛し、芸術を愛し、国を愛したが……見返りを求めたことはなかった』

 

『恋は見返りなんて求めない。愛したいから愛し、愛されずとも愛する』

 

『誰かのために動けたのなら、それは人を愛することの最初の一歩だ』

 

これまでに出会った人達の言葉が脳裏を過ぎる。

その言葉の意味はまだ分からずとも、理解できたことがある。

マスターは自分のことを愛してくれた。

自分はマスターのことを愛した。

それはこの霊基(こころ)が求める愛とは違う形なのかもしれないが、弱く小さな体で必死に自分と向き合ってくれた人が消えてしまうのは堪らなく辛い。

まだまだ知らないことは山ほどある。

自分はマスターのことをまだ何も知らない。何が好きで、何が嫌いなのかも分からない。

彼が生活しているというカルデアのことも知らない。

彼が駆け抜けたというグランドオーダーを知らない。

そして、何より自分はまだ恋を知らない。

愛する前に経るべきだという恋を自分はまだ知らない。

教えて欲しい。

愛も恋も、全てを。

そうでなければ意味がない。

あの人がいなければ意味がない。

何もない世界で待ち続けるのはもう真っ平だ。彼のいない世界で大人になんてなりたくない。

あの人を守れない力に意味なんてない。

大人、未来、可愛い花嫁。もう何も■■■とは思えない。

この命すらも。

 

「マスター!」

 

どうか届けとその手を伸ばす、闇へと沈む彼のもとへと。

彼がそれを望まずとも、それによって嫌われても構わないと手を伸ばした。

気づいた時には、キングプロテアもまた虚数の闇へと飛び込んでいた。

 

 

 

 

 

 

微睡みの中にいる。

気づくのにそう時間はかからなかった。何故なら、手足は言う事を聞かないし瞼を閉じる事もできない。

何もできずにふわふわと漂っている様は、あの忌まわしいBBチャンネルに似ている。

何故、こんなことになっているのかが思い出せない。

誰かを探そうとしていたような気がするが、記憶が断裂していて上手く思い出すことができなかった。

そうしてしばらくの間、纏まりのない記憶を掘り返していると、またもどこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

何も見えなかった暗闇もうっすらと薄れていき、何者かのシルエットが見えてくる。

その人物は姿の見えない誰かと話をしていた。

 

『分かりました、あなたの命令を受け入れましょう』

 

『ええ、お願いしますね、BB。サーヴァントを召喚し、殺し合わせる聖杯戦争。その監督役を任せます。そのためにあなたをサルベージしたのですから、きちんと働きなさい』

 

話しているのはどこか高飛車で鈴の音を転がすような少女の声と、蠱惑的でねっとりとした感触をイメージさせる女性の声だった。

 

『ああ、想像しただけでもう……いいえ、余興はまだまだこれからなのです。もっと長く楽しみませんと……』

 

『記録にある通り、悪趣味な人なのね、■■■■■■』

 

『ふふっ、これもまた救世の形。打ち捨てられたのならせめて有効活用してあげませんと』

 

『好きになさい。私は私なりの楽しみを探させてもらいますので』

 

そこで一旦、少女は言葉を切る。

次に発せられた言葉は、実に狂おしく切ない響きが込められていた。

 

『ええ、あなたに渡すものですか。何と言っても人類は大切な玩具ですからね』

 

その言葉はもう一人に向けて告げられたものではなく、彼女の独白であった。そして、ほくそ笑む姿は闇に隠れて見えないはずなのに、まるで獣のようだと、思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

瞼を開くよりも先に、腕の温もりに気が付いた。

初雪のように冷たく柔らかいこの感触はアナスタシアのものだ。

曖昧な記憶を辿ると、脳裏に浮かんだ最後の思い出は崩れ行く足場に飲み込まれていくというものだった。

自分が落ちたのは虚数空間のはず。落ちれば絶対に助からない。だというのに、この手にはアナスタシアの温もりがあり、彼女とのパスの繋がりもハッキリと感じ取れた。

 

「よかった、目が覚めたのね」

 

ゆっくりと瞼を開けると、心配そうにこちらを見つめているアナスタシアの顔があった。どうやら、彼女に膝枕をされているようだ。

 

「……綺麗だ」

 

「え? な、何を……」

 

「いや、傷がないなと思って……」

 

別に他意はなかった。玉藻の前との戦いでボロボロになっていたはずなのに、今の彼女には傷一つ残っていない。

そのつもりで言ったのに、どうして顔を赤らめているのだろうか?

 

「もう……このまま凍らせてあげましょうか?」

 

「止せ、アナスタシア。そういう話は安全地帯に戻ってからにするのだ」

 

「とりあえずはマスターは無事、ということでいいじゃないか」

 

声がした方に視線を向けると、衣類こそボロボロのままだが、やはり傷が完治しているネロとエミヤの姿があった。

更に二人の後ろには、和服姿のサーヴァントがもう一人控えていた。

青い装束と狐の耳、着物の裾から覗かせた可愛らしい尻尾。

先ほどまで、自分達と死闘を繰り広げていた玉藻の前だ。

 

「いやはや、我が身の不測の為すところとはいえ、色々と責任を感じずにはいられません」

 

「キャスター、正気に戻ったのか……なら、みんなの傷も?」

 

「ええ、私の宝具は無事でしたので、何とか皆さんの治療ができました。マスター、色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 

済まなそうに玉藻の前は頭を垂れる。

よく見ると、彼女の武器である鏡が頭上で淡く輝いていた。

水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』。

傷を癒し生命力を活性化させる神秘の石。先ほどまでの戦いでは、その凶悪な力に苦しめられた。

どうやら正気に戻った彼女が宝具の力で自分達の傷を治してくれたようだ。

 

「それじゃ、君が助けてくれたのか?」

 

記憶が確かならば、自分は虚数空間へと落ちていったはずだ。あそこに落ちれば時間も空間の概念もあやふやになり、自分がどこにいて何者なのかも分からなくなって永遠に沈み続けることになる底なしの奈落だ。

抜け出すことが不可能ではないが、少なくとも自分にはその術がない。恐らくアナスタシアやネロ、エミヤも同じはずだ。ならば、キャスターである玉藻の前が助けてくれたのだろうか? 彼女は東洋のモンスタークイーンである九尾の狐にして太陽神の化身。それくらいのことはできてもおかしくはない。

だが、こちらの質問に対して玉藻の前は静かに首を振った。自分ではないと。

 

「褒めてあげてくださいまし。あなたの為に我が身も省みず窮地へ飛び込んだのですから」

 

「飛び込んだって、虚数空間に? まさか……」

 

この場にいない人物を思い出し、カドックは振り返る。

すると、思っていたよりも遥かに近い場所に彼女はいた。

大きな顔と青い瞳。かつてテイルと呼ばれた広場の残骸にしがみ付いているのは、間違いなくキングプロテアだ。

だが、その姿には違和感があった。

大きいのだ。

先ほどまでの比ではない。頭だけで広場全体を埋め尽くすほどであり、首から下は虚数空間に浸かっている。そのため、体が落っこちないように壁を半ばまで破壊して無理やり腕を通して廊下の端に掴まっていた。

比率から考えて、恐らくは数百メートル単位まで成長しているだろう。出会ってから何度も彼女が成長する姿を見てきたが、ここまで大きく育ったのは初めてだ。

 

「まったく、落ちる速度よりも早く成長するなんて、荒唐無稽過ぎて今でも信じられん」

 

半ば呆れながら、エミヤは呟いた。

いったいどのような奇跡が起きたのか、虚数空間へと飛び込んだキングプロテアはいつもよりも遥かに早いスピードで急成長し、沈んでいった自分を掬い上げてくれたらしい。

その結果、彼女は完全に身動きが取れなくなるまで大きくなってしまい、SE.RA.PHを壊さぬようこうして虚数空間に身を沈めているとのことだった。

 

「えへへ……こんなに大きくなれました……」

 

「あ、ああ……すごいな……それと、ありがとう。助かったよ」

 

「褒めてくれるんですか? ありがとうございます!」

 

壁にしがみ付いたまま、キングプロテアは破顔する。その大きさに目を瞑れば、まるで子犬が尻尾を振って喜んでいるかのようであった。

 

「本当に、良妻狐の私も彼女の献身っぷりを目にしてはぐうの音も出ないと言うもの。いやはや、恐ろしい逸材を見つけてきたものですね、マスター」

 

傍らに立った玉藻の前が、キングプロテアを見つめながら囁いた。すると、キングプロテアの好奇心に満ちた大きな瞳が玉藻の前へと向けられる。恐らく、彼女の『良妻』という言葉に興味を持ったのだろう。

 

「あなたも、お嫁さんなんですか?」

 

「ええ、頼れる巫女狐にして良妻サーヴァント、玉藻の前と申します。私の至らなさから色々とご迷惑をかけたようですが、マスターを守ってくださってありがとうございます」

 

「良妻? えっと、良妻さん?」

 

「あなた風に言えば、お嫁さんであっています」

 

「そっか……アナスタシアさんに花嫁さんに良妻さん。マスターの周りには、お嫁さんがいっぱいいるんですね」

 

何が嬉しいのか、キングプロテアは屈託のない笑みを浮かべている。

そんな彼女に玉藻の前は優しく微笑みながら囁いた。

 

「あら、あなたも立派な良妻なのですよ。聞けば夢は見初めた相手の花嫁になることだとか? マスターを助けんとした命がけの献身、実に見事な良妻ムーブでした」

 

「え、わたしが……ですか?」

 

「ええ、将来有望とは正にこのことです」

 

「そっか……わたしが……えへへ……わ、あっ!?」

 

玉藻の前に褒められたのが嬉しくて油断したのか、支柱を握っていた手の力がほんの少し緩んでしまう。危うく虚数空間に落ちかけたキングプロテアは、慌てて壁に手をついて体を支えると、大きくため息を吐いた。

その光景に、誰もが脱力して笑いだす。一つの山場を越えて、完全に油断し切ってしまっていた。

だから、人知れず近づくその存在に気づけなかった。いや、仮に気づけていたとしても、キングプロテアの巨体が邪魔となって何もできなかったであろう。

何より、そこに彼女がいることに驚きを禁じ得なかった。

 

「それじゃ、僕とアナスタシアは先に安全地帯まで戻っている。キングプロテアは小さくなれたらみんなと一緒に戻ってきてくれ」

 

「はい、マスター。また後……で……」

 

笑みを浮かべていたキングプロテアの目が見開き、苦悶の表情を浮かべる。

 

「キングプロテア!?」

 

「……下がって、カドック!」

 

アナスタシアが叫ぶが、カドックは構わず飛び出した。

苦し気に息を漏らし、肩を震わせている自身のサーヴァントのもとへと駆け寄らんと床を蹴る。しかし、走れど走れど彼女に近づく事は適わなかった。苦痛に身を捩りながら、キングプロテアの体がどんどん小さくなっていったからだ。

 

「マ、スター……」

 

「駄目だ、手を伸ばせ!」

 

壁から手が離れ、キングプロテアは虚数空間に向けて落下を始めた。

カドックは両足に強化を施し、ラグビーの選手のように床を強く蹴って宙へと飛び出し、落ちていく彼女に向かって手を伸ばした。

心の中で『届け』と念じる。

キングプロテアは暗闇に落ちた自分を助けてくれた。なら、今度は自分が彼女を救う番だ。

それは先ほどまでの焼き直しであった。

そして、崩れかけている床の縁に滑り込んだカドックの手は、こちらに向かって伸ばされた小さな手を掴んでいた。

本来であれば、決して重ねることなどできないはずの手が、しっかりと握られる。

引き上げた少女の体は、十代にも満たない幼い姿にまで退行していた。

 

「『C.C.C.(カースド・キューピッド・クレンザー)』……ふふっ、虚数空間から抽出した悪性情報です。さすがのあなたでも耐え切れないでしょう、キングプロテア」

 

声をした方角に目を向けると、虚空に浮かびながら、巨大な注射器を手にほくそ笑む少女がいた。

忘れもしない。黒いマントに赤い瞳。自分達をこのSE.RA.PHに引き込み、弄んだ諸悪の根源、BBだ。

その彼女が、キングプロテアに攻撃を行ったのである。

 

「あら、ラスボスは大人しく待っていてくれるものって思っていました? そんな時代遅れなこと、私がする訳ないじゃないですか。やるからには全力で、弱いあなた方の逆転なんて許しません」

 

注射器を手放し、得物である教鞭を取り出したBBがこちらに敵意を向ける。いや、これは敵意なんて高尚なものじゃない。あれは侮蔑の目だ。

汚らしくて目障りな害虫を駆除しようとしている冷酷な視線だ。その瞳の奥には、言葉ではとても表せないような深い絶望と怒りにもに似た感情が見て取れた。

 

「マスター、キングプロテアを連れて下がるのだ!」

 

「カドック、こっちに!」

 

「逃がしませんよ。あなた方はここでゲームオーバーです」

 

BBを足止めせんとネロとエミヤが跳び、玉藻の前が二人を援護する。

対してBBは教鞭を振るって玉藻の前の呪術をかき消すと、桃色の光線を放って三人を吹き飛ばした。

離れているのに瞼の裏がチリチリと焼ける程の強烈な魔力の波だ。

やるからには全力で、その言葉に偽りはないらしい。

彼女はここで全ての決着をつけるつもりのようだ。

回復しているとはいえ、こちらはまだ手負い。それにキングプロテアのこともある。このまま戦いに突入すれば間違いなくこちらが不利だ。何とかして、逃げて態勢を立て直さなければならない。

 

「させませんよ。この近くにあった安全地帯は全て電脳化させました。もうあなた方に安全圏はありません。それとも、サーバールームまでかけっこしますか? 運が良ければ心臓くらいは残るかもしれませんよ」

 

嗜虐的な笑みを浮かべながら、BBは教鞭をこちらに向ける。

正に絶体絶命。それでもアナスタシアはこちらを庇うように立ち、強い眼差しでBBを睨みつけた。

一触即発。何かのきっかけがあれば視線は火花を散らすこととなるだろう。

聞き覚えのある声が乱入してきたのは、正にその時であった。

 

「おっと、そんな勝手はこの私が許しません。違法(チート)には制裁(チート)を。今はまだ戦う時ではありません。さあ、淫靡でダークな楽しい時間の始まりですよ。これぞ本家本元――――BBチャンネル!」

 

唐突に視界が塗り潰され、黒い桜吹雪が吹き荒れる。見えない力で引っ張り上げられたことでBBは見る見るうちに遠ざかっていき、やがて桃色の光に塗り潰されて見えなくなってしまった。

見回すと、そこは見覚えのあるピンク色の収録スタジオであった。どこか安っぽさが感じられるバラエティー番組のセット。間違いなく、BBのBBチャンネルだ。

 

「ふっふっふっ、今明かされる衝撃の事実! SE.RA.PHは二つあったのですよ、カツオノエボシさん」

 

モニター前の司会の席に妖しく腰かけ、白い食い込みを見せつけている黒衣の少女が陽気に笑う。

そこにいたのは確かにBBであった。黒衣のマント、手にした教鞭、赤いリボン。見間違うはずもない。

だが、纏う雰囲気が先ほどまでの彼女と僅かに違う。

しばらく見つめていたカドックは、その理由に思い至った。

目の色が違うのだ。

BBチャンネルを展開し、自分達を助けてくれたもう一人のBBの瞳は、彼女の髪の色に似た青い色をしていた。




というわけで遂に明かされた事実。
いえ、プレイ済みの人はきっと気づいていたと思います。
ここがBB面だったということに。

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