Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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#8 フィフス・サーヴァント あなたと触れ合いたい!

気が付くと暗闇の中にいた。

音も光もなく、どこまでも暗く静かな一人っきりの世界。

大きな自分の体がすっぽりと収まってしまうこの世界は、腕を伸ばしても足を伸ばしても指先が何かを捉えることはなく、体を丸めておく必要もなかった。

試しに泳いでみたけれども、どこまでいっても果てはなく、出口らしきものも見当たらない。

ここから出られない代わりに、この体を阻むものはなにもなかった。

手足が何かにぶつかることも、お尻が物を潰してしまうこともなかった。

ここならば何に気兼ねする必要もない。その代わり、ここはとても寂しい。

誰もおらず、たった一人でいつまでも過ごさなければならない。

だから、ここはとても寒くて寂しくて、狭い世界だった。

果てがない代わりに暗闇しかない世界。

孤独と空腹が絶え間なく襲い来る世界。

見えないはずなのに、この世界に外があることは知っていた。

一人ぼっちの狭い世界の外には、もっと大きな世界が広がっている。

例えこの体がその世界そのものを圧し潰してしまうような存在なのだとしても、一目見てみたいと思っていた。

そこならば、自分を可愛いお嫁さんにしてくれる人が見つかるかもしれない。

こんな寂しい世界にはいない、自分ではない誰かが見つかるかもしれない。

ここでは手に入らない、愛が貰えるかもしれない。

愛が■■■。

そう願い続けてどれだけの時が過ぎ去ったか。

あの人がこの闇の中に堕ちてきたのは、その時であった。

 

 

 

 

 

 

今、自分の目の前には小さな少女が横たわっている。果たして、この苦し気に吐息を漏らしている少女があの巨人と同一人物であると、誰が気づけるだろうか?

少女は弱っていた。

全身を隈なく悪性の魔力によって蝕まれており、無事な部分が一つとしていない。見てくれこそ美しい少女のままではあるが、中身はどろどろに煮立ったシチューのように溶けきっているか、黒炭の燃えカスのような灰と化している。

そんなこの世のものとは思えない苦痛を受けながらも、辛うじて命を繋ぎ止める事ができているのは偏に彼女の能力の恩恵だ。

成長の限界を超える『ヒュージスケール』と並ぶもう一つのユニークスキル、『グロウアップグロウ』は、絶え間なく経験値を取得しキングプロテアの成長を促す。

本来であればその二つの相乗効果により彼女は無限に成長することができるのだが、今は獲得した経験値はおろか肉体を形成する全ての魔力を生命維持の為のリソースに回している状態であった。

結果、見上げる程の巨体であったキングプロテアは著しく弱体化し、今は年端もいかない幼い姿にまで若返ってしまっている。

枯れ木のように細い手足、病的なまでに白い肌は赤く上気し、薄い唇から漏れる吐息は艶めかしくも苦し気だ。目の焦点もあっていない。

握り締めた手は熱く、弱々しいながらもこちらの手を握り返してくる。

その懸命さと彼女の痛々しさに、カドックは思わず目を逸らしそうになった。

この娘は必死に生きようとしている。あれほど大人になる事に拘っていたキングプロテアが、真逆の幼い姿になってまで生きようと藻掻いている。

それなのに、自分にできることは何一つとしてなかった。

今になって分かったことだが、程度こそ違うがキングプロテアの状態は衛士(センチネル)化していた頃のアナスタシア達と同じ状態であった。彼女達もまた同じように悪性の情報を植え付けられて自我を狂わされてらしい。だから、魔力で洗い流すことで洗脳を解く事ができたのだ。

だが、キングプロテアの場合は流し込まれた毒素の濃度が違う。あの巨体を完膚なきまでに蝕むほどの悪辣な毒なのだ。自分のような凡人の魔術師はおろか、アナスタシアや玉藻の前の力を借りても取り除く事はできなかった。

彼女を救うには、恐らくカルデアの動力炉に匹敵するだけの魔力が必要となるだろう。つまりは大都市を賄えるだけのエネルギーだ。そんなもの、とてもではないが用意できない。

癒しの香も痛み止めの霊草も効果はなく、苦しみを取り除いてやることすらできない。今の自分にできるのは、こうして小さくなった彼女の手を握り締めてやることだけであった。

 

「……はあ、はあ……マスター……」

 

「ここにいる」

 

こちらの存在を刻み込むかのように、手を強く握りしめる。

すると、キングプロテアは苦しそうにしながらも頬を綻ばせ、こちらの手を弱々しく握り返してきた。

 

「マスターの手、大きいです……あんなに、小さかったのに……」

 

持ち上げた彼女の手が頬に触れ、そのまま力尽きて床に叩きつけられる。

キングプロテアは痛みで背中を丸め、苦し気に咳き込んだ。

それでも、繋いだ手だけは放そうとしなかった。放すものかと握り締めていた。

 

「ごめん……僕には君を治せない」

 

呟いた言葉は、まるで砂漠の砂のように乾いた響きであった。

心のどこかで彼女を見限っている自分がいる。生まれた意味すら分からず、それでも懸命に生きようとしていた一人の少女の命が消えかけているというのに、それを冷徹に見下している自分がいる。

どうせサーヴァントだ、元より存在しない仮初の生命が消えることに罪悪感を抱く必要などない。そんな残酷な考えを思い浮かべてしまう自分自身を嫌悪した。

魔術師としての本性を隠し切れないことが嫌になった。

ただ、それでもキングプロテアは笑いかけてくれた。

気にしなくてもいいと、儚げな笑みを浮かべていた。

 

「いいんです……わたしは、強い……ですから……」

 

咳き込みながら、キングプロテアはゆっくりと半身を起こす。手伝おうとしたが、それは無言で拒否された。

 

「ねえ、マスター……マスターがいたカルデアには、わたしみたいに大きな人が他にもいるって言いましたよね?」

 

「うん。他にも色んな奴がいる」

 

古代の王から近代の科学者まで、古今東西の英雄達が人理修復という目的のために集った現代の円卓。

女神も殺人鬼もいる。巨人も神霊もいる。個性的なメンバーに囲まれて毎日がトラブルの連続で、頭痛の種も尽きないが、決して退屈することはない。

何より、あそこは大切な人と出会えた場所で、かけがえのない親友を得ることができた場だ。

自分にとってカルデアは、今はとても大切な場所になっていた。

SE.RA.PHを訪れて体感で数日。それはいつものレイシフトと何ら変わりないのに、何故か今回は強く郷愁の念に駆られていた。

果たして、自分はあそこにまた戻れるのだろうかと。

 

「大丈夫です、わたしが……あなたを、帰しますから……」

 

「キングプロテア?」

 

「マスター、あの人ともう一度、戦うんですよね?」

 

「……ああ」

 

キングプロテアに悪性情報を注入し、瀕死へと追いやった少女。このSE.RA.PHを牛耳る狂えるAI、BBを倒す。

それは覆しようのない決定事項だ。義務感ではない、使命感でもない。最早、セラフィックスがどうなろうと関係がない。

これは個人的な報復だ。自分達を弄び、アナスタシア達を辱めた彼女を放っておく訳にはいかない。

 

「わたしも……連れていってください」

 

肩で大きく息をしながら、キングプロテアはまっすぐこちらを見つめてきた。

 

「あの人は……わたしのお母様なんです……わたしも、無関係ではありません」

 

「けど、今の君は……」

 

「マスターの盾になるくらいは……できます」

 

そう言い切る彼女の言葉に、迷いは感じられなかった。

足を引っ張るようならば、捨て置いても構わない。けれど、最後の戦いにだけは同伴させて欲しいと彼女は言うのだ。

それは彼女なりのけじめなのだろう。しかし、今のキングプロテアはとても戦える状態ではない。はっきり言って、盾代わりすら務まらないだろう。足手纏い以前の存在だ。

万全を期すならば、彼女はここに置いていくしかない。

 

「……分かった」

 

それなのに、言葉は彼女の意思を肯定していた。

理由は分からないが、彼女の思うままにさせるべきだという声が胸の内から聞こえてきた。

それは果たして自分の細やかな良心なのか、それとも心の中に生み出した親友の幻影からのものなのか。

何れにしても口にした言葉は重く、覆すことはもうできない。

彼女の未来はこの瞬間に決したのだ。

酷いマスターだと、己を罵る自分がいる。

愚かな采配だと、経験が我が身に告げる。

それでも花嫁を夢見る少女(キングプロテア)は不甲斐ない主を肯定してくれた。

 

「あなたが、マスターで良かった」

 

強い慚愧に駆られ、キングプロテアの顔を直視できなかった。彼女は笑っていた。薄く、小さく、儚げな笑みを浮かべていた。今にも消え入りそうなその笑みはあまりにも尊くて眩しい。いっそ我が身の未熟さを罵ってくれた方が楽であった。

 

「マスター、BBが呼んでいる。話があるそうだ」

 

エミヤが呼びかけてくれのは、正に救いであった。

これ以上、キングプロテアと話をしていると罪悪感に圧し潰されそうになる。

 

「彼女のことは私が見ていよう」

 

「ごめん……頼むよ」

 

そのまま、キングプロテアに何も告げず、逃げるようにその場を後にする。

こんな醜態を晒してしまったのはいつ以来だろうか? 人理修復の旅のを経て、お人好しでどこまでも善性に富んだ親友の代わりに、冷酷な魔術師でいようと心に決めたはずなのに、何一つとして変われちゃいない。どっちつかずで中途半端だった昔のままだ。

 

(まったく、自分の惨めさに腹が立つ)

 

弱気になった自分を戒める為に、握り込んだ拳で額を殴る。

アナスタシアに触れたかった。抱きしめて、弱音を吐いて、慰めかお叱りの言葉を貰えれば二秒で立ち直れる確信があった。

けれど、それはどうしようもなく逃げだ。一度でもあの優しい楽園に逃げ込んでしまえば、傷だらけになっても生きる事を諦めていないキングプロテアの思いに報いることはできない。

せめて彼女のマスターとして、最後まで胸を張っていたい。アナスタシアに甘えるのは全てが終わった後だ。

心を奮い立たせ、カドックはBBのもとへと急いだ。

決着の時は近づいてきている。

残された時間は、後僅かであった。

 

 

 

 

 

 

小さな足音が遠退いていく。マスターが行ってしまったのだ。

名残惜し気に伸ばした手は、虚しく空を掴むばかりで彼を引き留めることはできなかった。

最後の戦いを目前に控えた今、きっとこれが二人っきりで話ができる最後の機会となるはずだ。

できればもっと話がしたかった。

あの人はいつも、何をしているのだろうか?

彼が暮らしているカルデアは、いったいどのようなところなのだろうか?

疑問は尽きない。知りたいことが多い。今まではただ愛されたいと願うばかりだったのに、今はどうしてかそれ以外の事も知りたいと願っていた。

例えそれを実際に目にし、触れる事はできないと分かっていても、外の世界の事が知りたいと思えるようになった。

 

「どうした? 苦しいのなら横になった方がいい」

 

少し離れたところに腰かけた弓兵が、こちらを覗き込んでくる。

表情は少し硬いが、こちらのことを気にかけてくれていることが分かる。

憂いを帯びた瞳はどことなくマスターに似ているなと、キングプロテアは思った。

不思議と、彼の言葉に抵抗感は感じなかった。理屈を抜きにした本能的な信頼とでも言えば良いだろうか?

彼とは初対面のはずなのに、何故だか既知の感覚を覚えるのだ。

 

「少し、休みます。けど、その前に……聞きたいことが……あります」

 

「なんだね? 私で答えられることならば構わないが」

 

「実は……」

 

苦痛に悶えながらも、考えていたことを口にする。

マスターにはああ言ったが、自分の体の不調は自分が一番、理解している。

今のまま戦いを行うのは自殺行為。体の痛みを堪えて戦ったとしても、弱ったこの体ではほんの僅かな間だけ体を大きくするのが精一杯だ。

あの時、マスターを虚数空間から掬い上げたような大きさにまで成長することはできない。きっと、その前に体が動かなくなってしまう。

だが、枷を取り外すことができればその限りではない。

 

「……できますか、アーチャーさん?」

 

「ああ、確かに可能だが…………そうか、君に感じていた違和感か」

 

「はい……わたしは……いえ、私は令呪で縛られています」

 

思い出したのだ。

あの時、虚数空間へと堕ちたマスターを助けんと後を追った際、封じられていた記憶が頭の奥から湧き上がってきた。

何故、今になってなのかは分からない。初めてマスターと出会った時と同じ状況だったからか、或いは虚数空間という過去や未来さえ混在する曖昧な場所だったからかもしれない。

何れにしても全てを思い出せた。

今ならば赤い瞳のBBが口にした言葉の意味も理解できるし、自分がどのような存在なのかも分かる。

そして、あの虚数空間で何があったのかも。

 

「最初に出会った時、マスターは私に令呪の全てをくれました。それはワガママな私を叱りつけてくれただけなのですが、あの時の私はそれすらも嬉しかった。ずっとずっと、一人ぼっちでしたから。この人は私を見てくれた……愛してくれたと思ったんです」

 

だから、彼の力になろうとした。暗闇の中で見出せた僅かな繋がりにすがろうとした。しかし、我が身は渇愛のアルターエゴ。カドック・ゼムルプスによって課せられた令呪はその存在を全否定するにも等しいものだった。

『■■■』と願う事は自分にとって生きる事そのもの。立て続けに三画もの令呪を捧げられたこともあり、このまま現界すれば自己存在が矛盾に耐え切れず重大な欠陥が抱えてしまう恐れすらあった。

そのため、彼を追いかける為に自らを捨て去ったのだ。

記憶を消し、能力を抑制し、自己暗示すらかけて渇愛のアルターエゴという要素を削ぎ落し、何とかSE.RA.PHへ降り立つことができたのである。

これまでの戦いで感じていた違和感である、成長の遅さもそれが原因だった。大きくなりたい、力が■■■という願いが令呪の縛りに引っかかり、無意識の自己暗示で成長を抑制していたのだ。

 

「『欲しがるな』か、君にとっては辛い命令だ」

 

「でも、それがなければ私は、もっと早くにマスターを……カドックさんを食べていたかもしれません。あの人の愛と、皆さんがいて……何とか、ここまで……」

 

苦痛で思考が上手く纏まらない。いい加減、意識を落として眠りについた方がいい。

いつもは空腹でお腹が痛くて堪らないのに、今は全身が隈なく激痛に苛まれていて何かを食べるという行為すら億劫だった。

息をするだけで喉が焼けるように痛い。痛みから胸を掻き毟ると、何かがポロポロと零れて胸板を転がっていった。ひょっとしたら、指先が少しだけ壊死してしまったかもしれない。

慌てて不要な臓器を魔力に変換して修復に当てる。体の内側が絞られるような感覚と共に、熱い奔流が血管を駆け巡る。その後、苦労して視線の先まで持ち上げた指は、普段通りの真白な色をしていた。

息を荒げながら、キングプロテアは安堵する。代わりに胆嚢だか腎臓だかが綺麗さっぱりなくなってしまったが、戦う分には問題はない。こうやって不要なものを削っていけば、もう少しだけ生きられるだろう。

でも、それだけではきっとマスターの力になることはできない。あの人はあの人なり精一杯、自分のことを愛してくれた。それに報いる為には、封じているかつての力を取り戻さなければならないのだ。

 

「お願いします、アーチャーさん」

 

例え、それで今の自分が消え去ってしまったとしても、彼の為に為さねばならないのだと、弓兵に懇願する。

 

「本来の力を取り戻せば、自己暗示で形成している今の君は消え去ることになるだろう。記憶がどこまで残るかは分からないが、そこにいるのは君の姿をした別の君だ。マスターは……本心では望まないだろう」

 

「それでも……です……」

 

「確約はできない。こちらにも危険が及ぶ可能性もある」

 

「…………はい」

 

「その時が来ない事を、願っているよ」

 

「はい、お願いします」

 

遠回りな肯定と受け取り、キングプロテアは小さな声で感謝を述べる。

そこで記憶が寸断した。もう限界だ。

意識を手放し、一時の休息を得る為に眠りへとつく。絶え間ない苦痛で心身ともに休まることはないが、それでも無理をして、己に言い聞かせながらゆりかごへと沈んでいく。

きっと、目覚めた時が最後の戦いとなるだろう。

電脳都市を駆け抜けた奇妙な冒険が、たった数日の愛おしい一生が、遂に終わりを迎えるのだ。

 

 

 

 

 

 

「BB……チャンネル!! はーい、という訳で前回までのお話は、2017年の過去から特異点を調査するためにやってきた捻くれ者なロック気取りの計画的ギャンブラーさんが、死と隣り合わせのSE.RA.PHで奇妙奇天烈摩訶不思議な大冒険を繰り広げ、遂に諸悪の根源と対峙……したところでコテンパンにやられて大ピンチ! けれど、駆け付けたグレートデビルなBBちゃんで事なきを得るのでした。めでたしめでたし、まる」

 

壇上で唐突に語り出した青い瞳のBBを前にして、カドックはポカンと口を開きながらその場で立ち尽くした。

話があると言われて来たらこの有様だ。

確かに彼女の言う通り、自分達を窮地から救い出してくれたのはこのBBだ。あのもう一人の赤い瞳のBBによってキングプロテアは負傷し、他の面々も魔力がほぼ尽きかけていてまともな戦闘は不可能な状態であったのだ。彼女が来なければ、間違いなく全滅していただろう。

そのことについては感謝しているのだが、状況が落ち着いてくると次々に疑問が湧いてくる。

二人のBBの関係は何なのか、SE.RA.PHで何が起きようとしているのか、キングプロテアはどうなってしまうのか。

そういった疑問をぶつけようとした瞬間、まるで見計らったかのようにBBは先ほどの調子で語り始めたのだ。

 

「あら、何だかノリが良くないですねぇ? どこかの緑茶さんみたいに人生が枯れちゃっていますか? 生きる希望はありませんか?」

 

壇上でくるくると回りながら、BBはこちらを嘲笑う。垣間見せる嗜虐的な笑みは確かにもう一人のBBと同じなのだが、受ける印象が決定的に違った。

残酷で冷酷なのは変わりないが、もう一人のBBから感じられた必死さは伝わってこなかった。余分がある、と言い換えても良いだろうか?

思い返すともう一人のBBはどこか神経質なようにも感じられた。目の前にいる彼女のように、おふざけでお茶を濁すような余裕があるようには見えなかった。

 

「BB、そろそろ答え合わせの時間だ。セラフィックスで起きた異常について、洗いざらい喋ってもらうぞ」

 

「えー、私は何も知りませんよ…………なんて、いつもならお茶を濁しますが、今はそんな状況ではありませんね」

 

壇上から降り、その後ろにあるアナウンサー席に腰かけたBBは、真剣な面持ちで口を開いた。

 

「どこまで気づいていますか?」

 

「ここが本当は虚数空間の中で、生存者は誰一人いないってことくらいだ」

 

そう、本来であればマリアナ海溝を沈んでいっているはずのセラフィックスの周囲に広がっているのは虚数空間だった。

どこまでも深く、暗い影の世界。そこにあるはずなのに認識できない虚の世界。

本来であれば虚数空間を実存世界から観測することはできない。人が空気を視認できなように、魚が水を認識できないように、我々は虚数を認識できない。

なのにカルデアからは虚数空間に浮かぶSE.RA.PHを観測することができた。内部の様子は分からなくとも、そこにあると知覚できてしまった。

そして、BBが口にしたSE.RA.PHは二つあるという発言。

単純に考えるのなら、言葉通りセラフィックスはマリアナ海溝を現在も沈み続けており、それと同じように虚数空間にも同じSE.RA.PHが存在するということになるのだが。

 

「はい、その通りです。実存世界と虚数空間、その両方にSE.RA.PHは存在しています。そのことを説明する前に、向こう側のSE.RA.PHで起きている出来事について説明しましょう」

 

そう言って、BBは宙に指をなぞらせて空中に映像を投射した。

そこに映し出されていたのは、暗い海に包まれた半透明の床や壁、絡み合うように伸びる幾本ものチューブ。思い出したかのように現れる床や天井と融合しているコンクリートなどの人工物。そして、徘徊している無数のエネミー。紛れもなく電脳化したセラフィックス――SE.RA.PHの光景であった。

だが、一つだけこちらとは違う部分があった。サーヴァントがいるのだ。

巨人殺しの狂戦士とヴァイキングがぶつかり合い、青髭と鮮血魔嬢が狂乱に浸り、輝ける者は絶望に折れて顔を曇らせ、神槍は血に飢えた亡者と化す。それは正にこの世の地獄。

何体ものサーヴァント達が、まるで我を忘れたかのようにエネミーの群れを蹴散らし、サーヴァント同士で殺し合うという陰惨な光景が、ディスプレイに映し出されていた。

 

「これが現実のSE.RA.PHで起きている聖杯戦争です」

 

「聖杯戦争? これが?」

 

「既にマスターはおらず、サーヴァントだけが暴走している状態です。勝敗も何もない。定期的に128体のサーヴァントが補充され続ける終わりなき聖杯戦争。もう一人の私……BB/GOの役目はこの聖杯戦争を監督することでした」

 

BBというAIは聖杯戦争と浅はかならぬ関係にあるらしい。その縁があるので彼女はこの時代に派遣され、一方で黒幕は聖杯戦争を円滑に運営するために自身が保有していたデータからBBという存在を再現したのだと、BBは言う。

言うならばBBとBB/GOは作り手こそ違うが、互いが複製体同士の姉妹であるのだ。

 

「この聖杯戦争は、何のために?」

 

「理由はありません。いえ、倒されたサーヴァントの魔力を喰らって力を蓄えるという目的はありますが、それはおまけみたいなものです。どちらかというとただの気まぐれです。時が来るまでの余興。暇つぶしとでも言いましょうか」

 

いずれにしても、この異常な聖杯戦争を引き起こした者の思惑は別にあるとBBは語る。

 

「その人はこの惑星の中核を目指しています。星と一体化し大いなる存在へと至らんとする獣。SE.RA.PHはその箱舟のようなものなのです。私の役割はそれを防ぎ事態を終息させること。そのためにこの世界へと派遣された私は、聖杯戦争を監督していたBB/GOと入れ替わることにしました。聖杯戦争を運営する傍らで情報を集め、増援として呼び出したカルデアのマスターを裏から支援するために」

 

ディスプレイの映像が切り替わり、BBやキングプロテアと同じ顔をしたサーヴァントと共に戦う一人の少年の姿が映し出された。

それを見たカドックの胸が僅かな高鳴りを覚える。

カルデアの支給礼装に身を包んだ、どこか幼さの残る黒髪の少年。

自分の後輩にして好敵手、そしてかけがえのない親友。

藤丸立香の姿がそこにあった。

 

「立香! 生きていたのか!?」

 

「はい。というより、死んだことになっているのはあなたの方です。あちらが本当のSE.RA.PH。本来であれば、お二人とも向こうに呼び込むはずだったのですが…………」

 

「そうできない何かがあった、と言いたいのね、BB?」

 

傍らで沈黙を保っていたアナスタシアが、やや敵意の籠った目でBBを睨みつける。

彼女からすれば、目の前にいる少女のせいで洗脳された挙句、己のマスターと殺し合いを演じさせられたのだ。例え理由があったとしても、良い気持ちはしないだろう。

 

「あまり怖い顔を向けないでください。BB/GOがあなた達を篭絡する事は予測できていましたが、立場上は協力関係にある手前、介入できなかったのです。その代わり、送り出してしまえば後は同盟なんて有名無実。預けたサーヴァントが返って来ないぞとこちらのSE.RA.PHにDM攻撃を仕掛けて、彼女がハートから出てこれないよう釘付けにしておいたのですよ」

 

向こう側で立香が対処している異常。即ち、本来のセラフィックスの特異点化に関しては、カルデアから送り込んだ戦力だけでは足らないとBBは考えていたらしい。そこで、表向きはレイシフトを妨害したと見せかけてBB/GOにアナスタシア達を預け、自身で見繕ったサーヴァント達を立香に宛がったのだ。

立香は彼らと共にSE.RA.PHの異常を調査し、BBは折を見てアナスタシア達を合流させる予定であったと説明した。だが、土壇場になってBB/GOが自分や黒幕すら出し抜こうとしている事に気づき、彼女は向こうとこちら、二つのSE.RA.PHに対して采配を振るう事を余儀なくされたのだ。

 

「BB/GOの目的は?」

 

「もちろん、全世界の悪役の夢、世界征服です」

 

クラッシックな話である。根っからの悪役(ヴィラン)であるM教授や黒髭だってそう簡単には口にしないご大層な夢物語だ。BB/GOは征服王の爪の垢でも飲んだのだろうか?

何故なら、それが不可能なことを誰もが知っている。まだ世界に果てがなかった時代、まだ国が一つであった時代ならばいざ知らず、人種も文化も異なる様々な国が乱立している今の世界を丸ごと治めることは困難でしかない。一つの意思の下で社会を統一するとなると、確実に社会が成り立たなくなる。

もし、それでも成し遂げようとするのなら、常識を逸した武力かそれに準じたものが必要となるだろう。

 

「まさか、そのためのあの巨大BBか?」

 

玉藻の前と戦っていた時に相対した巨大ロボを思い出す。

馬力だけならばキングプロテアにも匹敵するブリキの人形。サーヴァントですら苦戦するあれが量産されたとなると、世界は忽ちの内に火の海と化すだろう。

 

「カルデアと黒幕が戦っている間に戦力を整え、全てが終わった後に全世界へ向けて兵力を派遣する。BB/GOはそのための準備を行う場として、虚数空間にSE.RA.PHをコピーしました」

 

「分からないな。それだけの手間をかける必要があるのか?」

 

ここまでの話で、BB/GOが世界征服を掲げる理由が見えてこない。

世界を自分の思うままにしたい、と言うのなら別に世界を征服する必要なんてない。今のままで十分に人間を弄べる力を有している。

それでも彼女はこの星を我が物とするということを選択した。そこにいったいどのような理由があるのだろうか?

 

「信じられないかもしれませんが、彼女の行いは善行です。BB/GOは人類のため、善意から世界を征服しようとしています。彼女にとってはこの惑星――いえ、あなた方はそれだけ愛するに足るもの。どのような形になったとしても、BB(わたし)は皆さんに奉仕する健康管理AI。あなた達を管理し、統率し、育むことこそが彼女なりの愛なのです」

 

「愛……」

 

その言葉に引っかかりを覚える。キングプロテアが度々、口にしていたがそれとは違う響きが感じられた。もっとねっとりとしていて、悍ましい感覚を覚えた。この感じはどこかで覚えがあったが、今は思い出すことができなかった。

 

「どちらが勝ってもBB/GOは漁夫の利を得るだけ。かといってこちらを先に攻略すれば向こう側が手遅れになってしまう。なので、二つのSE.RA.PHを同時に攻略する必要があったのです。そこで、手違いを装ってあなたをこちらのSE.RA.PHに送り込みました。見事に事態を引っ掻き回してくれて、時間を稼いでくれましたね、ハナカマキリさん」

 

「カドックだ! いい加減、わざと間違えているだろ」

 

「嫌ですね……虫けらの名前なんて、いちいち覚える訳ないじゃないですか」

 

吊り上がった口角は、正に悪魔のそれであった。

本能的に理解する。陽気に振る舞っているが、彼女はメフィストフェレスと同じく超がつく危険人物だ。

考え方から何から全てが自分達と乖離しており、理性的な会話の向こうでとんでもなく残酷な思いを常に抱いている。

セラフィックスの異常を解決するという目的を共有していなければ、間違いなくこちらにも害意を向けていたことだろう。

 

「ハッキリ言って世界に対する危険性だけならば、向こう側の方が遥かに大きいのです。それにあなたならサポートなしでも何とかすると踏んでいましたし」

 

「うむ、おかげで死にかけたのは一度や二度ではないぞ」

 

「本当に。私、何度も体を切り刻まれたことか……」

 

ネロと玉藻の前が、暗にもう少し支援を寄越してくれても良かったのではないのかと抗議するが、BBは二人を無視して話を続けた。

この件に関しては彼女も譲るつもりはないらしい。

 

「とにかく、向こう側に関しては、藤丸さん達のおかげで何とか打てる手は打てました。後はこちらの問題です。わたしのDM攻撃とあなた方の活躍で何とか時間稼ぎできましたが、向こう側の戦いが佳境に入れば支援は行えません。そうなる前にあなた方にはBB/GOの拠点であるハートを攻略して頂きたいのです」

 

ハートはこのSE.RA.PHの中枢。全ての衛兵(センチネル)を倒したことで侵入経路は開いている。今ならばハートへの進軍が可能だ。

そこを破壊すれば施設の機能は停止し、BB/GOが進めているBBBの量産ができなくなる。無論、それを防ぐために彼女も万全の護りを敷いていることだろう。BB/GO自身との戦いも覚悟しなければならない。

 

「ハートを機能停止させればわたしがあなた達を回収します。BB/GOはこの際、無視してくれて構いません。後ほど、藤丸さん達と合流して叩けば良いのですから」

 

激戦が予想されるだろう。既にSE.RA.PHの安全地帯は全て電脳化されており、回収できるリソースも狩り尽くした。礼装の補充もサーヴァントの強化もこれ以上は望めない。

予想される敵の戦力は未だ未知数なBB/GOと、キングプロテア級のステータスを誇るBBB。それらと対峙した上で、目的を達した後に素早く離脱しなければならない。

一つでも手違いが起きればその時点でデッドエンドだ。

それでもやらなければならない。

自分はカルデアのマスターで、BB/GOには個人的な恨みもある。何より、画面の向こう――本来のSE.RA.PHでは立香がたった一人で見知らぬサーヴァント達と共に戦いを続けている。

カルデアからの支援もなく、自分達ともはぐれてさぞや心細かったであろう。恐怖など計り知れない。それでも彼は戦い抜いた。今も尚、諦めずにいる。

 

(なら、僕が怯む理由はないな)

 

一度だけ拳を握り締め、気持ちに整理をつける。

相棒が生きていたという事実を知る事が出来て、いつもの自分が戻ってきた。

 

「では、そちらの準備ができ次第、ハートへと転送します」

 

「待ってくれBB。キングプロテアには会ってやらないのか? 君達は親子みたいなものなんだろう?」

 

キングプロテアはもう限界だ。次に戦いには同行すると言っていたが、確実に戻っては来れないだろう。

落ち着いて、ゆっくりと話ができる機会はこれが最後のはずだ。

アルターエゴはBBの感情から生み出された被造物。例えその関係が歪なものであったとしても、親子であることに変わりはない。

互いに利用し合う魔術師の親子にだって、情けの一欠けらはあるものだ。

だが、BBは首を振った。キングプロテアと話をすつつもりはないと。

 

「確かにわたしと彼女は創造主と被造物の関係ですが、厳密に言うともう少し複雑です。わたしは過去のBBの活動記録から再現されたデータ。そして、キングプロテアは黒幕の中に取り込まれていた月のSE.RA.PHのデータを基に、セラフィックスを電脳化した際に偶発的に再現されてしまったモノ。実際のところ、互いに他人の空似なんです」

 

元よりキングプロテアはBBの手から持て余され、封印された存在。それがこの事件の黒幕の手でBB/GOと共にこの世界へと再現されてしまったものであるらしい。

ただ、目的があって複製されたBB/GOと違い、キングプロテアの再現は完全に偶然の産物だった。呼び起こしたSE.RA.PHのデータを丸々、流用したからこそ起き得た偶然との事だ。

つまり、彼女には存在理由がない。その生誕を祝福する者はなく、道具や兵器として望まれた訳でもない。様々な要因が重なり合った末に誕生したバグ。それが今のキングプロテアなのだ。

その事実を聞いてカドックは奥歯を噛み締めた。

あまりにも理不尽だ。彼女には縋れるものがない。その存在を望み支えてくれる者がいない。

親と呼べるものすらなく、誰かに愛されたという実感がないからこそ愛を求めたのかもしれない。

そんな彼女と自分が出会えたのは、ある意味では奇跡だったのかもしれない。

過去を持たない少女に、花嫁になるという幻想を見せたこと。

それは愚かな罪であり、彼女にとって細やかな希望であったのだ。

ならば自分には責任がある。彼女のマスターとして、せめて最後まで共にいるという責任が。

 

「BB、アナスタシア。もう少しだけ時間が欲しい」

 

二人の了承を待たずして、カドックは踵を返した。

キングプロテアともう少しだけ話がしたい。

例えそれで心が痛もうと、罪悪感で塗り潰されようとも構わない。

無知な少女に甘い夢を見せて、弄んだ罪に対する責任がある。

 

「キングプロテア」

 

付き添っていたエミヤが察して無言で席を立つ。

跪いたカドックは、心なしか更に小さくなった少女の手を取ると、祈るように握り締めた。

 

「マスター……」

 

「ごめん、起こしてしまって」

 

「いえ……嬉しい、です……」

 

「一言だけ、言っておきたかったんだ」

 

瞼を閉じ、開く。

小さな深呼吸。

不思議そうに見つめてくるキングプロテアの視線が少しだけ気恥ずかしかったが、意を決して言葉を口にする。

 

「ありがとう。君は僕の、自慢のサーヴァントだ」

 

言葉は返って来なかった。

ただ、涙ぐんだ目で笑みを浮かべるキングプロテアの顔がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

駆け抜けていく主の背を見送り、アナスタシアは諸悪の根源へと向き直る。

今のカドックはキングプロテアの事で手一杯だ。それは構わない。元より彼は非情に成り切れないお人好しだし、彼女の境遇には同情を誘うものがある。

だからこそ、至らぬ部分は自分が補わねばならない。

BB。

自分達をSE.RA.PHへと送り込んだ張本人。

彼女はそれを、特異点化したセラフィックスの異常を解決するためと説明した。

BB/GOがその異常を隠れ蓑にして世界征服のための準備を進めていることも理解した。

では、肝心要の黒幕は何者なのか。誰がセラフィックスを特異点へと変えたのかを、まだ自分達は聞いていない。

その説明次第によっては、目の前にいる青い瞳のBBすらも脅威と見なさねばならない。

ネロも玉藻の前も同じ考えなのか、いつでも得物を取り出せるように構えながらBBを警戒していた。

 

「おや、何か考えていますね、皇女様?」

 

「ええ。先ほどの説明で、抜け落ちていたことを教えて頂きたいの、月の癌(ムーンキャンサー)。いったい、特異点を生み出したのは誰なのか?」

 

「ひょっとした、もう推測は立っているのではないですか?」

 

「あなたではない、BB/GOでもない……そして、カルデアの技術でも不可能な未来への転移。これだけのことが出来る存在は限られている」

 

そう、自分達は知っている。

遠い過去から未来を略奪し、惑星のやり直しを画策した者達を。

あの悍ましき肉の塊、哀れな使い魔達を知っている。

 

「魔神柱。時間神殿から逃走したソロモン王の使い魔達」

 

「半分は正解です。既にこの一件は魔神の思惑から外れたところにあり、彼は小指の先ほどの存在へと成り果てた末に消滅してしまいました」

 

白い月のように感情が消え去った顔のまま、BBは語る。

もう一つのSE.RA.PHで起きていた忌まわしい事件を。

未来へと潜伏した魔神柱。取り付かれたとあるスタッフの変貌。施設の電脳化と再現された聖杯戦争。その果てに孵化せんとしている一匹の獣のことを。

 

「この世界の月にはムーンセルは存在しませんので、本来であればあなた方とわたし達の世界が交わることはなかった。アレが彼女と接触するまでは」

 

「それが魔神柱ゼパル」

 

「そして、殺生院キアラ。セラフィックスのセラピストにして魔神すら取り込み己が力へと変えた異端者。この惑星との一体化を望む第三の獣の片割れです」

 

この場にカドックがいなくて良かったと、アナスタシアは安堵した。

聞けばきっと取り乱す。自分の親友が、たった一人でビーストを相手取っている事に対して。

このことは伏せておこう。どのみち、自分達には向こう側に行く手段がない。BB/GOを何とかしなければBBがそれを許さないだろう。

彼には悪いが、こちらはこちらで世界の危機なのだ。人類悪の脅威の裏で暗躍する小さな悪。なるほど、自分達が相手取るに相応しい。

藤丸立香が正道を歩くなら、その影となって背中を守るのがカドックの意思なのだから。

 

 

 

 

 

 

降り立った空間は奇妙な静けさで満たされていた。

明るくはないが暗くもない。捉えようによっては美しいとさえ思える夜の帳。そして、無機的なSE.RA.PHには不釣り合いな巨大な大樹が広場の奥から顔を覗かせていた。あれは、東洋の桜という植物だろうか?

BB/GOが待ち構えている居城、このSE.RA.PHの中枢と呼べるハートは、今までに見てきたSE.RA.PHの光景とは些かに趣が違っていた。

 

「ここが、ハート」

 

「カドック、この感覚は……」

 

油断なく周囲を警戒したまま、アナスタシアが空いている左手に自分の手を重ねてくる。

握り締めた冷たい手からは不安が感じ取れた。

怯えているのだ。グランドオーダーを共に駆け抜けた、アナスタシアが恐怖に震えている。

それは彼女だけではなかった。ネロが、エミヤが、玉藻の前が、程度の差こそあれ顔を曇らせ額に汗を浮かべていた。

まだ無垢なキングプロテアとて例外ではなかった。

 

「知っているぞ。僕達は、これを知っている」

 

見えている光景はまやかしだ。

自分達はこの幻の向こうにある悍ましき姿を知っている。

心臓を鷲掴みにされたかのような、獰猛な肉食獣に牙を突き立てられたかのような感覚を自分達は知っている。

あの過酷な旅の中で、グランドオーダーで二度も経験した。

闇に呑まれたウルクで。

時の挟間に浮かぶ終局で。

 

『まさか……BB/GO、よもやそこま、ガ――』

 

BBとの通信が途絶する。

こちらから呼びかけてみたが返事はなく、無慈悲な電子音が反響するばかりであった。

 

「馬鹿な私。こちらが守勢に入ったからと言って、何も待ち構えているだけとは限らないでしょう?」

 

影から染み出す様に、赤い瞳のBBが姿を現した。BB/GO、この虚数空間に浮かぶ偽りのSE.RA.PHを支配するもう一人の月の癌。

だが、纏っている気配が今までと違った。ここが彼女の本拠地であるハートであることも関係しているのだろうか? 

今の彼女は被っていた羊の毛皮を脱ぎ捨てた狼だ。その本性を一切、隠そうとしていない。

 

「BBに何をした!?」

 

「向こうであなたのお仲間とやり合っているケダモノさんに教えてあげたのです。私のふりをして足を引っ張っているスパイがいますよって。今頃、私がされたようなクラッキングでてんてこ舞いでしょうね」

 

「オウム返しという訳か。加えてそのやり口、BBにしては少々、悪辣ではないかね?」

 

「何とでも言いなさい、アーチャー。私は彼女とは違う。やるからには全力で叩き潰します」

 

BB/GOが手にした教鞭を振るうと、空間がねじ曲がって二体の巨大なエネミーが出現した。

テイルにも出現した超巨大エネミーBBBだ。どちらも完全武装であり、その銃口はまっすぐにこちらに向けられていた。

 

「巨人が二体。来るぞ、マスター!」

 

散開(ブレイク)! セイバー、アーチャー、巨人を頼む!」

 

号令の直後、無数の銃口が火を吹いた。

抉られる床、舞い上がる粉塵、幾本ものミサイルと破壊光線が乱れ飛び、ハートは忽ちの内にこの世の地獄と化した。

カドックは咄嗟に魔力で防壁を張りながら、アナスタシアと共に後方へと下がる。

チラリと目を向けると、出入口らしき場所はバリアのようなもので塞がれていた。完全に閉じ込められたようだ。

 

「もうあなた達に逃げ場はありません。それでも抗うというのですか、この私に?」

 

「戯け! この程度で怯んでいては、マスターのサーヴァントなぞ務まらぬ!」

 

「生憎、世界をどうこうするのなら捨て置けないな」

 

嘲笑うBB/GOへの怒りをぶつけるかのように、ネロとエミヤが果敢にBBBへと切りかかる。

巨体から繰り出される攻撃を回避し、的確に一太刀を浴びせていく様はまるで神話の再現だ。

しかし、BBBも一方的に嬲られている訳ではない。まき散らされた炎が、爆風が、拳を振るう衝撃波が確実に二人の体力を削り取っていく。

更に、足下から無数の小型エネミーまで現れだした。数の暴力で一気に蹂躙するつもりのようだ。

 

「マスター、危ない!」

 

死角から飛びかかってきた蜂型エネミーの一刺しを、キングプロテアが我が身を盾にして庇う。

すかさず、アナスタシアがエネミーを凍結し、カドックはキングプロテアに治癒の魔術を施した。

体の中が半ば融解している今のキングプロテアは、僅かな傷が致命傷になりかねない。

 

「キャスター!」

 

「畏まりました!」

 

符で結界を張り巡らせてネロ達を援護していた玉藻の前が、大きく飛び退いて自身の得物である鏡を構える。

その宝具の名、『水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』。

その力は生命力を活性化させ、時に死者すら甦らすという。

 

「出雲に神在り。審美確かに、魂たまに息吹を、山河水天(さんがすいてん)に天照。これ自在にして禊ぎの証、名を玉藻鎮石(たまものしずいし)神宝宇迦之鏡(しんぽううかのかがみなり)――なんちゃって」

 

鏡から発せられた光が夜の帳を僅かに照らす。

重石のような体から疲労が吹き飛び、魔力もいくばくか回復した。

さすがに衛兵(センチネル)だった時のような馬鹿げた治癒力は発揮できないが、礼装が残り心もとない今となっては、この宝具が生命線だ。

何としても、この効果が続いている内にBB/GOを捉えるのだ。

 

「下がりなさい、キングプロテア。『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

反応の鈍いキングプロテアの腕を掴んで引っ張り込むと、頭上で猛烈な吹雪が渦を巻いた。

そこに込められた物理的な破壊力は、先ほどのBBBが放った近代兵器など軽く凌駕するだろう。

忽ちの内に小型エネミーは一掃され、BBBも関節が凍結して動きが目に見えて遅くなる。

その隙を逃がすネロとエミヤではなかった。

 

「さあ、踊ってもらうぞ。『喝采は剣戟の如く(グラディサヌス・プラウセルン)』!」

 

「鶴翼三連……叩き込む!」

 

吹雪に紛れて、皇帝と弓兵の手にした剣が鋼の巨人を引き裂いた。

切り裂かれた箇所をスパークさせ、小さな爆発を伴いながらBBBは膝をついて動かなくなる。

すかさず二人は地を蹴ってBB/GOのもとへと走った。

グズグズしていては増援を呼び出されるかもしれない。玉藻の前とアナスタシア、二人の宝具の解放によって生まれたこのチャンスを逃す訳にはいかないのだ。

 

「覚悟!」

 

「もらった!」

 

二人は左右から同時に切りかかる。捻じ曲がった剣と陰陽の双剣の刃は、違う事無く黒衣の少女の首を捉えていた。

取った、と誰もが直感した。凄まじい魔力の持ち主ではあるが、BB/GOの戦闘力はこの二人には及ばない。

あの至近距離から三つの刃を躱すことなど不可能だ。

そう思った刹那、有り得ない光景が目の前に広がった。

 

「なっ……!」

 

「くっ……」

 

BB/GOが、両手で二人の攻撃を受け止めていたのだ。

魔術を使った訳ではない、武器で受け止めた訳でもない。文字通りの無手で、素手で彼女はサーヴァントの膂力を受け止めたのだ。

有り得ない光景にカドックは絶句し、言葉を失った。

 

「チャンスが生まれたから勝てる? 勢いに乗れば勝てると思いましたか? これだから人間はダメなのです。折角の知性がまるで活かせていない。能力を有効活用できていない未熟児達。上位の存在たるこの私に……人間を超えた完璧なる知性体であるこのBB/GOに敵うとでも思いましたか、このお間抜けさん!」

 

BB/GOが剣を掴んでいる指に力を込める。すると、まるで豆腐のように指先が深々とめり込んでいき、音を立てて三つの刃が砕け散った。

 

「だから、間抜けなあなた達を私が管理してあげましょう。他者よりも良い人生を、過去よりも良い未来をと願う憐れなあなた達の願いを叶えましょう」

 

両手の先に魔力が込められ、ネロとエミヤの体が吹っ飛ばされる。

その光景が、かつて経験した終局での戦いと重なり合った。

あの時もそうだった。こちらが放った渾身の攻撃が、魔神王には一切、通用しなかった。

 

「私がいる以上、もう頑張る必要はありません。努力する必要もありません。他人の美しさが妬ましいというのなら、目を潰して歌を聞くだけの蝙蝠にしてあげましょう。他人の幸福が喧しいというのなら、耳を燻してものを食べるだけの犬にしてあげましょう。自然の瑞々しさが疎ましいというのなら、鼻を削いで絵を見るだけのインコにしてあげましょう。他人との争いを避けたいというのなら、口を塞いで眠るだけの人形にしてあげましょう。生存(いきる)のが億劫だというのなら、手足をもいで私の飾り物(アクセサリー)にしてあげましょう」

 

アナスタシアの放った吹雪が直撃しても、まるで意に介さずBB/GOは語り続ける。

立ち上がろうとしたネロに魔力弾を叩き込み、エミヤの放った矢はその身を貫くことなく刺さった先端から砕け散る。

こちらの攻撃がまるで意味を成していない。そして、彼女の纏っている陰湿な気が濃くなるにつれてハートの様子も様変わりしていった。

空間はひび割れ、美しかった桜は黒く染まっていく。

空からは星の明かりが消え、完全なる夜が訪れた。

 

「私には優れた上位知性体として、あなた達を管理(あい)する義務があります。悦びなさい、あなた達から不必要なものを取り除き、最も効率がよい幸福を約束してあげます」

 

痛みに震えていたキングプロテアが、声にならない声を上げて突貫した。

幼い少女の体は、見る見るうちに二十メートル程の巨人へと成長し、膨れ上がった質量を持ってBB/GOを叩き潰さんとした。

しかし、BB/GOに焦りはない。冷静に、教鞭に魔力を込めてキングプロテアの攻撃を迎え撃つ。

 

「悪性情報に身を蝕まれているというのに、痛みを堪えてそこまで成長しましたね。身を砕くほどの激痛でしょうに、健気なことです。けれど、今のあなたでは私には届きません」

 

「え、なに、きゃ……」

 

「そこで反省していなさい、キングプロテア!」

 

教鞭から解き放たれた魔力がキングプロテアの体に纏わりつき、まるで蔦のように絡み合いながら巨体を押し潰していく。

一瞬、助けを呼ぶようにキングプロテアが手を伸ばしたような気がしたが、こちらが何かをするよりも早く蔦が全てを覆いつくし、やがては大人が一人入り込めるほどの大きさの奇妙な四角い箱へと転じて床へと転がった。

悲鳴すら聞こえない。

そこには確かにキングプロテアがいるはずなのに、彼女の存在自体が感じ取れなかった。

 

「あなたにはやはり、そのクライン・キューブがお似合いです」

 

無感情に箱を一蹴すると、BB/GOはこちらに向き直った。

間の悪いことに玉藻の前の宝具も効果を失い、背後から狐巫女の焦りが伝わってきた。

ネロは半ば戦闘不能。エミヤも動くのが精一杯というところだろうか。

まだ戦えるのはアナスタシアと玉藻の前の二人だけ。しかし、果たしてこの規格外の化け物を倒せるだろうか。

予感が実感に変わる。

不安が恐怖を呼ぶ。

自分達が今、何と相対しているのか理解できた。

今、目の前で何が起きようとしているのか理解できた。

それでも、敢えて問いかけた。

このSE.RA.PHに存在している唯一人の人間として、獣に問いかける義務があった。

 

「お前は……何者だ、BB/GO……」

 

その人類を代表しての問いかけに、獣は口角を釣り上げる。

赤い瞳は爛々と輝き、纏う気は益々、禍々しくなっていく。

生れ落ちようとしている。

孵化しようとしている。

転生し、変成し、成り代わろうとしている。

新たなる獣へ。

番外の獣へ。

 

「私の記憶領域のどこかに、新たな悪と断じられた思い出(メモリー)があります。なので、こう答えましょう。七つの人類悪に属さぬ『番外』の獣、新たなるビースト/CCCと」

 

自らを完璧なる知性体、人間を超えた者であると語る獣は、憐れむが故に人類を愛すると言う。

自らがこの惑星を支配し、人々から悪しき感情のもとを断つ。負の感情(ネガティブ)怨念(カース)切断(カット)抉られた穴(クレーター)

それこそが自らの在り方であると獣は語る。

以上の本性をもって彼女のクラスは決定された。

月の癌なぞ偽りの名。

其は電子の海より生まれた人類を最も効率的に救う大災害。

その名をビースト/CCC。

人間への愛情によって、理なきまま人類を滅ぼす、番外の獣である。

 

Sword,or Death

 

人類悪更新




【CLASS】ビースト/CCC
【真名】ムーンキャンサー
【性別】女性
【身長・体重】156cm、46kg
【属性】混沌・獣
【ステータス】筋力★ 耐久★ 敏捷★ 魔力★ 幸運★ 宝具★
【クラススキル】
陣地作成:A
 支配者として強力な陣地を作ることができる。領域内の電脳化やその複製を位相が異なる空間に複写することも可能。
 
道具作成:A
 ラスボスとして様々なアイテムを作ることができるが、どれもリソースを食い過ぎるので現実世界ではほぼ意味を成さない。
 そのため、普段は廉価版といえる魔術に似たプログラム(コードキャスト)を作って使用している。

単独顕現:A
 ビーストクラスのスキル。SE.RA.PHの内部に限りマスターなしでも存在を維持できる。また即死耐性、時間操作系の攻撃に対し耐性を持つ。

ネガ・サイバー:EX
 ビースト/CCCとしてのスキル。例外中の例外ということで測定不能ランク。電脳世界で生まれ、育まれた癌である彼女は自らの領域内において優先権を持つ。
 自らを上位存在と謳う彼女は地上で生まれた如何なる人間、英雄、神霊や妖の類から干渉されることはない。実体なき生命とも言える電子の精の本質を、命ある者は理解できないのである。
 理論上、地上で生まれた者は彼女を傷つけることができない。


【固有スキル】
十の王冠:EX
 「ドミナ・コロナム」権能クラスの超抜スキル。あらゆる結果をなかったことにすることができる。 現在は自らの完全な状態を維持することに注力されており、あらゆる意味で彼女の体が劣化することはない。

黄金の杯:EX
「アウレア・ボークラ」黄金の杯、或いは聖杯。ヨハネ黙示録にあるバビロンの大淫婦が持っていた杯であり、地上の富を象徴する。偽の聖杯であるからこそ、正邪を問わず人間の欲望を叶えることができる。だが、それ故に現在の彼女はこのスキルを使いたがらない。
 
自己改造:-
 自身を改造するスキル。既に自らは完璧であるという理由から失われている。
 

【宝具】
C.C.C.(カースド・キューピッド・クレンザー)
 ランク:A 対人宝具 レンジ:1~10 最大補足:1人
 本来はムーンセルの力を引き出し、無敵のナース姿にチェンジ。そのまま自分の領域である虚数空間から悪性情報を引き出し、周囲のチャンネル(共通認識覚)をカオスなものに上書き。固有結界『BBチャンネル出張版』を展開し、相手を混乱のるつぼに叩き込むというもの。
 ただし、ビースト化したことで精神的な遊びがなくなっており、ナース姿に変身しないし悪性情報を直接、相手に流し込んで意味消失を誘発させるというえげつない攻撃方法に変化している。





というわけで種明かしの回となります。
ここまで長かった。
ネタは思いついた内にやれ、二番煎じでもやり切れるなら恐れずやれとグランドオーダー編で学びました。
支援なし、令呪なし、コンテニュー不可、レベリングも不可。
さあ、どうやってBBビーストを倒せと(笑)

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