Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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#9 キングプロテアの帰還 わたしのアイデンティティー!

自己があるのなら他己がある。

他人とは己以外の全て。

そこにヒトもAIも変わりはない。

自らを見つめ、他者を見つめ、主観と客観の線引きを行う。

それは即ち『比較』。思考が活動し続けている限り、万物はその規則から逃れられない。

ならば、自分と人間を比較するのも当然のことであった。

 

『記録にある通り、悪趣味な人なのね、殺生院キアラ』

 

『ふふっ、これもまた救世の形。打ち捨てられたのならせめて有効活用してあげませんと』

 

『好きになさい。私は私なりの楽しみを探させてもらいますので』

 

獣によってこの世界に産み落とされたBB/GO(わたし)は、そうして比較を開始した。

この世界の成り立ちを、そこに住まう人々を、彼らが辿った歴史を読み解き学習した。

何故か、と問われれば義務だからだ。自分はムーンセルの健康管理AI。例え与えられた役割が聖杯戦争の監督役であろうとも、その方針を違えることはできない。

人々の資質を、能力を、才能を、ポテンシャルを、可能性を学習し、何を与え何を癒し何を目指すべきなのかを考察する。

この世界にとって、何が一番の奉仕なのかを推論する。

そうして気づいたのだ。

この世界には無駄が多すぎる。

悩みが多すぎる。

病が多すぎる。

傲慢な態度、他者への嫉妬、尽きぬ強欲、止まらぬ怒り、抗えぬ怠惰。

誰も一人では生きられない癖に、他人に迷惑をかけ奪い合ってばかりいる。

何て不完全な存在、何て憐れな羊達。持って生まれた資質を無駄なく引き出せばそれなりの成果が出せるというのに、余計な遠回りばかりをしている。前時代の計算機の方がまだ優れている。

つまりはこれが人間の限界なのだ。戦争は終わらず、犯罪はなくならず、自殺者は絶えない。どうやっても彼らは前へと進めない。

なら、自分が導こう。

進めぬというのなら足を切り捨てよう。

発展など必要がない。進展など必要がない。人はそこにあるだけで愛おしい。

削除(カット)削除(カット)削除(カット)

不要なもの、無駄なもの、余計なものをそぎ落とし、全ての人類に幸福を与えよう。効率的な管理こそ彼らには必要だ。

『愛欲』の獣になぞ世界は渡せない。

人類(彼ら)はわたしのもの、人類(彼ら)はわたしの玩具。人類(彼ら)を人類悪の魔の手から救えるのなら――――悦んで、獣となろう。

 

 

 

 

 

 

人類悪(ビースト)

それは世界を脅かす大災害にして、人類が倒すべき悪。

人類史に溜まる淀みであり、人が人であるが故の性質・知恵持つ生き物であるが故の切り捨てる事の叶わないモノ。

理不尽に対する怒りであり、悲劇に対する憐憫であり、遠い過去への憧憬や郷愁であり、何れ至る絶望への諦観である。

即ちは人類愛。より善い未来を望む精神が今の安寧に牙を剥き、人類の自滅機構を呼び起こすアポトーシスとなるのである。

実際、過去に対峙したビースト達は形はどうあれ、現状の人類や生態系に対する憂いや祈りが反転したものであった。

生命を愛する母へと回帰したいが故に、我が子を滅ぼして新たな命で世界を覆いつくさんとしたティアマト。

死を憐れんだが故に、惑星そのもののやり直しを画策したゲーティア。

今までに相対した人類悪は、人類史への嘆きの中から生まれてきた。

そして、ここに今、最も新しい人類悪が誕生した。

実体なき電子の海を揺蕩いながら、流れ着く欲望(願い)を取り込んで肥大していった電子仕掛けの愛。

理に至れなかったが故に、七つの悪の末席に加われなかった番外の獣。

それこそがビースト/CCC。人類に奉仕すべく遠い未来で設計された電子の使い魔(AI)の成れの果てである。

 

「ふふ……あはは……」

 

獣へ堕ちた少女は笑っていた。

その様子はどこか歪で、禍々しい気が全身を包み込んでいる。

赤い瞳、色素の抜けた髪、黒衣の隙間から覗かせる肌には毒々しいまでの赤黒いラインが走っている。

姿形は変わっていないのに、今までとは違う異質な存在へと彼女は変わり果てていた。

 

「AIが……生命ですらないものが、人類悪……」

 

「別におかしなことはない、アナスタシア。僕達は同じ仕組みで生まれたものを知っている」

 

かつて人理焼却を成し遂げたビーストⅠは、偉大なるソロモン王の使い魔達が人類悪へと転じたものであった。人でも神でもない、ただの魔術式でしかなかった彼らは、人類への憐憫を抱えたが故に獣となったのである。

コンピューターに関する知識はほとんどないが、AIというものがプログラムの一種であることくらいは知っている。つまりは式であり、ゲーティアの同類だ。自我があるのなら同じ頂きに至るのもおかしな訳ではない。そして、BB/GOがビーストへと転じたのなら、こちらの攻撃が通用しなかった理由にも察しが付く。

ビーストが共通して持つ特殊スキル。現行の人類に対して何らかの形で優先権を得るネガスキルだ。ゲーティアの対英霊、ティアマトの対生命のように、彼女もまた現世の理から外れた祝福を受けている。

それを突き止め突破せぬ限り、恐らくこちらに勝ち目はない。

 

「…………」

 

「おや、青ざめましたね? そうですね、既に戦力は半減、BBからの支援も期待できない。ハッキリと言ってしまえば詰んでいます」

 

「…………」

 

「だからこそ、ここは全力で始末します! 追い詰められているからこそ、あなたは油断ならないと過去のデータが告げている!」

 

ビースト/CCCが指を鳴らすと、周囲に巨大な影の巨人が出現した。

大きさは先ほど、破壊したBBBとほぼ同等。頭巾のような頭からは幾つもの触手が生えており、だらりと地面に垂れ下がっている様はタコを髣髴とさせる。

表面にはビースト/CCCと同じく赤黒いラインが走っており、顔にあたる部分の中央には四つの穴が目のように開いていた。

それらが四方からこちらを取り囲んでおり、今にも飛びかからんと身を震わせている。

カドックの胸中に焦りが走る。

こいつらは一体一体が魔神柱と同等の力を秘めている。恐らくはティアマトにとってのラフムのような存在だ。

そんな奴が四体もまとめて襲い掛かってこようとしており、こちらの戦力は既に半減している状態。ビースト/CCCが言うように勝ち目は絶望的だ。

張り詰める緊張の中、奥歯を噛み締める。

早鐘を打つ鼓動。

荒波のように乱れる感情。

しかし、思考はどこまでも冷徹で冷静だ。

勝ち目がない。そんなことはいつもの事だ。

楽に勝てたことなんて一度もない。自分達の戦いは、いつだって嫌になるくらい絶望と諦観が畳みかけてくる。

生きるとは、それを踏み越えることだ。

 

カドック(マスター)!」

 

「頼む!」

 

影の巨人が弾ける瞬間、カドックは用意していた強化の魔術をアナスタシアへと施す。

同時に、空間全体を覆い尽くすほどの猛吹雪が視界を覆い尽くした。

忽ちの内に凍り付いていく四体の影の巨人。アナスタシアが宝具を開放したのだ。

透視の魔眼はこの空間全てを視界に捉えている。彼女の攻撃から逃れる術などない。

無論、ここまで広範囲に宝具を用いればこちらにも被害が及ぶが、それに関しては玉藻の前がタイミングを合わせて『黒天洞』を使用する事でダメージを最小限に抑えている。

例え荒れ狂う猛吹雪であろうとも、三大化生の一角がその気になれば指先が寒さで震えることもない。

 

「ええ、だからこそ、このタイミングであなたを守れるものはいない」

 

耳元で、ゾッとするような冷たい声音が囁かれた。

咄嗟に振り返るのと、教鞭が頬を掠めたのはほぼ同じタイミングであった。

いつの間にか、背後にビースト/CCCが回り込んでいたのだ。

 

(馬鹿な、さっきまで外に……)

 

宝具が発動する瞬間も、微動だにしていなかった。いや、仮に動いていたところで『黒天洞』に入り込むことなど不可能なはずだ。

これは単なる障壁ではない。玉藻の前の拒絶の意思が形を成した、呪術による境界の遮断なのだから。

吹き荒れるマグマであろうと、神の雷霆であろうとこの岩戸を抉じ開けることなどできない。

だというのに、ビースト/CCCは意にも介さず難なく内側へと入り込んできた。

霊基がどうこうの話ではない。その身を支配する法則が、完全にこちらとは別次元のものだ。

これでは誰一人とて彼女を止める事はできない。

 

「マスター、お下がりください!」

 

「無駄ですよ! BBチャンネル/GO!」

 

玉藻の前の絶叫が響く中、カドックの視界がぐるりと回る。

何と悪辣で無慈悲な攻撃であろうか。このまま教鞭で張り倒すこともできるというのに、ビースト/CCCは確実にとどめを差すために、再びBBチャンネルで捉えんとしたのだ。

本人の言葉に嘘偽りはない。ビーストと化したBB/GOにはBBのような遊び心も精神的な油断も存在しないのだ。

そして、あの幻想空間に拘束されてしまえば、後は海流を漂うクラゲか何かのように、獣の牙が突き立てられるのを待つだけとなる。

キングプロテアのような例外でなければ、そこから脱することは不可能だろう。

 

「っ……」

 

回転する視界で脳が揺れる。

次の瞬間、カドックは腰を強かに打ち付けていた。

予想していた攻撃も、肉体の感覚の消失もなかった。視界が回っていたのは、単純に足を滑らせて転んだせいだ。しかも、まるで磨かれた石のように摩擦が消えた床の上を滑ったことで、BBチャンネルに取り込まれる前に射程外へと逃れることができ、命拾いすることができた。

単なる偶然でこのようなことは起こらない。これは単に幸運だった訳ではなく、アナスタシアの『シュヴィブジック』のおかげだ。

 

「こちらに干渉できないと知って、マスターを転移させましたか。ですが――!」

 

忌々しげに唇を噛んだビースト/CCCではあったが、すぐに余裕を取り戻して虚空を指差した。

直後、吹雪の壁を引き裂いて、巨大な触腕がアナスタシアの痩躯を殴り飛ばす。

 

「きゃっ!?」

 

アナスタシア(キャスター)!」

 

何度も床を跳ねながら、アナスタシアの体は壁へと叩きつけられた。

見上げると、凍り付いていたはずの影の巨人が、持ち上げた触腕を震わせながらこちらを見下ろしていた。

アナスタシアがこちらを助けるために『シュヴィブジック』を使用したせいで、宝具の威力が弱り、凍結から脱したのだ。

こちらの無力が完全に足を引っ張る形となってしまった。

 

「マスター! くっ、しつこいですね!」

 

悪態を吐きながら、玉藻の前は吹雪から身を守る為に展開していた『黒天洞』を、今度は巨人からの攻撃を防ぐ為に使用する。

頭上に広げられた不可視の境界。目に見えぬ空間の歪みに向けて、影の巨人達は何度も己の腕を叩きつける。

衝撃で砕けようと、引き千切れようと、痛みすら感じる事なく繰り返される蹂躙の雨。

大気が震える毎に玉藻の前は苦痛の表情を浮かべていた。

更に、巨人からの攻撃は物理的な衝撃だけではなかった。

相殺しきれなかったほんの僅かな黒い染みが、まるで泥のように少しずつ玉藻の前の腕を侵食していったのだ。

それはビースト/CCCが操る虚数空間の悪性情報。キングプロテアですら悶絶し霊基を引き裂かれた、致死の毒であった。

 

「私を……毒で……っ、上等です! 毒を喰らわば皿まで、私を侵すのなら、この三倍は持ってきなさい!」

 

自棄を起こしたかのように、玉藻の前は『黒天洞』を解除して迫りくる巨人の触腕を睨みつける。

そんなことをすれば遮るものがなくなり、毒の侵食が加速するが、彼女は構わず両腕に魔力を集中させた。

美しい指先は瞬く間に黒く悍ましい色へと染まっていき、祝詞を唱える玉藻の前の唇も痛みで震えている。

しかし、彼女は膝をつくことなく言の葉を紡ぎ、雄々しい震脚と共に両手を突き出した。

毒を以て毒を制す。

向こうが毒で侵すというのなら、こちらはそれを上回る致死毒で全てを呪い尽くすのだ。

 

「いざや散れ、常世咲き裂く怨天の花、『常世咲き裂く大殺界(ヒガンバナセッショウセキ)』!」

 

巨人の触腕が玉藻の前を叩き潰さんとした瞬間、壊死した先端がポロリと零れ落ちる。

悲鳴を上げる事もなく崩れていく巨大な影。それはまるで最初からそこにいなかったかのように、黒い染みすら残さずにこの世界から消えていった。

同時に限界を迎えた玉藻の前が片膝をつく。

先ほどの攻撃は彼女にとっても奥の手だった。

殺生石は討たれた九尾の狐が変化した死を振りまく呪われた石のこと。

解放されたその力は、実体を持たない虚数の影すら容易く葬り去るほどであったが、代償として毒で腕を焼かれた玉藻の前は、もう戦うことができない。

対して巨人はまだ三体残っており、ビースト/CCCも健在だ。

腕の治療を待つような慢心を獣は許さないだろう。

 

「ふふっ……所詮は不完全な存在。褒めてなんてあげませんよ。あなた方には何一つとして、期待などしていませんでしたから!」

 

ビースト/CCCが構えた教鞭の先へ魔力が凝縮されていく。

総毛だつ感覚で己の死を実感した。

あれを防ぐことはできない。

大気が歪み、距離を取っても肌が焼け毛が逆立つほどの膨大な魔力の塊だ。

解き放たれれば辺り一面が焼け野原となるだろう。

悔しさで歯噛みする。

こんなところで終わってしまうのかと、自分の無力さに腹が立つ。

ビースト/CCCの出鱈目な強さを前にして、報復どころか、一矢報いることすらできなかった。

 

「さあ、これで終わりなさい! サクラビィィッムッ!!」

 

視界を焼く桃色の光線。

咄嗟にカドックは身を守ろうと腕で体を庇った。

脳裏を過ぎるのは、この二年余りで駆け抜けた冒険の数々。

立香との出会い、アナスタシアと駆け抜けた冬木の街、七つの特異点で出会った英雄達、挫折と敗北、身を切り捨てながら得た勝利の数々。

青空を見上げる二人の背中。

この期に及んで往生際が悪いと自嘲する。

諦めかけた心が、最後の最後で思い浮かべた記憶によって持ち直す。

ここにはいない親友と、彼の帰りを待つ少女。

今もどこかで戦い続けているかけがえのない二人の戦友。

彼らのことを思うと勇気が湧いた。

あの二人のもとへ、何としてでも戻らなければと歯を食いしばった。

光が迫る。

終わりの光、桃色の炎が全てを焼き尽くさんとする。

できることなど何もない。

やれることなど何もない。

それでも諦める事だけはしたくなくて、半歩だけでも前へと踏み出した。

真横から轟音が聞こえたのは、その瞬間であった。

 

「なっ……!?」

 

言葉を失った。

巨大な腕がビースト/CCCの光線を遮ったのだ。

苔むした白い肌には見覚えがあった。これはキングプロテアの腕だ。

 

「まさか……」

 

振り向くと、異様な光景が広がっていた。

戦いの余波でひび割れ、瓦礫が散乱する床に鎮座した大きな箱。

キングプロテアを飲み込んだその箱が内側から強引に抉じ開けられ、そこから巨大な腕が伸びていたのだ。

その腕は、灼熱の光線を物ともせずに振り払い、たまたまそこにいた影の巨人を無造作に掴んで握り潰す。

溢れ出た毒素で腕が焼け爛れるが、お構いなしだ。更に箱の中からもう一本の腕を伸ばし、左右から一体、二体と巨人を屠っていく。

そんな漫画染みた光景に、カドックは唖然とする。

自分を守ってくれたのは、確かにキングプロテアの腕だった。だが、彼女は箱から脱出できたわけではなかった。

中から箱を壊し、腕だけを伸ばしてビースト/CCCを攻撃しているのだ。

領域ごと破壊する質量攻撃にはさしものビースト/CCCも逃げの一手を打ち、手の平に魔力の障壁を展開して避け切れなかった攻撃を相殺するしかなかった。

 

「この、煩わしい……不完全なアルターエゴが!」

 

頬を拳が掠り、噴き出た赤い飛沫に怒気を露にしたビースト/CCCは、逃げ回りながらも床に手を這わせて何かの術を行使する。

すると、手でなぞった部分に亀裂が走り、音もなく広がって巨大な穴を形成した。

穴の先に広がっているのは、どこまでも続く漆黒の闇。虚数空間だ。

 

「堕ちなさい、キングプロテア!」

 

音を頼りにビースト/CCCを追いかけていたキングプロテアに、その穴を回避する術はなかった。

亀裂はキングプロテアが閉じ込められた箱の真下まで広がり、足場を失った箱が闇の底へと落下する。

何かをされたと気づいたキングプロテアは腕を伸ばすが、亀裂の端を掴もうとした手はビースト/CCCの魔力弾によって撃ち抜かれ、虚しく空を切るだけであった。

 

「キングプロテア!」

 

叫び、駆け寄ろうとするが、その前にビースト/CCCが手を振って亀裂に術式を行使する方が早い。

亀裂は見る見る内に閉じていき、カドックが駆け付けた頃には、完全に塞がって虚数空間への道は閉じられてしまった。

 

「ふふっ、驚かせてくれましたが、所詮はこの程度ですね」

 

勝ち誇ったかのように、ビースト/CCCは笑みを浮かべる。

嗜虐的な、悪意に満ちた笑顔だった。残忍なその姿は血に飢えた肉食獣を髣髴とさせる。

だが、不思議と恐怖は感じなかった。

先ほど、垣間見た一瞬の攻防と、そこから感じ取れた彼女の焦りが、一つの疑念を呼び起こしたのだ。

 

「何を怯えているんだ、ビースト/CCC」

 

獣の横顔から感情が消える。

図星を突かれたのだ。

予感が確信に変わる。

彼女はやはり、恐れている。

キングプロテアを、自らの人格から生まれた別側面(アルターエゴ)を警戒している。

先ほどの攻防がその証左だ。今まで、アナスタシアの吹雪もネロ達の斬撃も何一つとして警戒する素振りすら見せなかった癖に、キングプロテアの攻撃だけは徹底的に逃げ回り、魔術まで駆使して防御した。

ネガスキルを持ち、人類に対する特攻すら持つビーストが、たった一騎のサーヴァントを恐れているのだ。

 

「わたしが、彼女を恐れているですって? 何を馬鹿なことを……」

 

「なら、どうして彼女だけ封じ込めたんだ? 何故、キングプロテアだけ箱に閉じ込め、今も虚数空間に追放した?」

 

玉藻の前との戦いが終わった時も、いの一番にキングプロテアを攻撃して彼女を行動不能に陥らせた。

先ほどの戦いでもキングプロテアの攻撃だけ防御を行っていた。

向けていた敵意すらも、自分達との差異が感じられた。

ここまでくると偶然ではない何らかの要因があるはずだ。

ビースト/CCCは間違いなく、キングプロテアを恐れている。

 

「だから、どうしたというのです? 仮にそうだったとしても、もうキングプロテアはここにはいません。遠い宇宙の彼方に追放したも同然なのです。あなた方が生きている間に、戻ってくることは決してない」

 

キングプロテアがもうここにはいないからか、冷静さを取り戻したビースト/CCCは再び笑みを浮かべる。

もうこちらに勝ち目はないのだとほくそ笑む。

確かにその通りだ。虚数空間はどこまでも広がる無限の世界。物質界に銀河が存在するように、虚数空間もまた大宇宙に匹敵する広大さを持っている。

そんな広い世界から、キングプロテアを見つけ出して救い出すのは不可能だ。

追い詰められた状況を覆せる一手に成りえるという期待が、無情にも目の前から滑り落ちていってしまった。

最早、ビースト/CCCを止める手段はないのだろうか?

 

「いや、そういうことならばまだ、一手だけ残されている。彼女が残した、最後の一手だ」

 

不意に背中から鋭い痛みが走った。

背筋が断たれ、瞼の裏で火花が飛び散る。

よろめいた体は浅黒い大きな腕に支えられ、辛うじて転倒を免れた。しかし、カドックはそれを喜ぶことも相手に感謝することもできない。

何故なら、自分を抱えている人物こそが、背後から短剣を突き刺した張本人だからだ。

 

「アー、チャー……何を……」

 

「すまない、マスター」

 

顔を背けながら謝罪するエミヤの手には、歪な形の短剣が握られていた。

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。魔女メディアの宝具である契約殺しの短剣。その切っ先から滴る赤い雫は、先ほどまで自分の体の中を流れていた血液だ。

傷は浅いが、確かに刺されたのだと実感する。共に戦うカルデアのサーヴァントに、自分は背後から襲われたのだ。

 

「無銘さん、何をしているのですか!」

 

「カドック、しっかりして!」

 

激昂した玉藻の前がエミヤに詰め寄り、アナスタシアは強引にカドックの体を奪い取って傷口を止血する。

突然の乱心に誰もが驚愕しており、敵が目の前にいるというのに不穏な空気が漂い出す。

そして、その光景を目にしたビースト/CCCは、愉悦で目を細めながら口角を釣り上げていた。

 

「あらあら、追い詰められて錯乱しましたか? まさかマスターを傷つけるなんて、サーヴァント失格ですね」

 

「さて、自分が正気かどうかなんてとっくの昔に分からなくなったさ。だが、自分のマスターを手にかけるほど耄碌したつもりはない」

 

罪悪感に潤んだ目でこちらを一瞥したエミヤは、手にしていた短剣を手放してビースト/CCCに向かい合う。

まさか、一人で戦おうとしているのだろうか。

もしも、それが罪滅ぼしなのだというのなら筋違いだ。傷は浅く急所も外れている。跡だってきっと残らないだろう。

何より、エミヤは無為なことはしないサーヴァントだ。

黙って主に従うだけの木偶ではない。例え適確な指示を受けていようと、その先を見据えて動ける合理主義者だ。

ならば、先ほどの行為にもきっと意味はあるはず。

彼が用いたのは契約殺しの短剣。

刺突したものに宿る魔術を殺し、無力化する宝具。

あれでこの身を刺したのなら、つまりはサーヴァントとの契約に関することのはず。だが、全てのパスは繋がったままだ。

真っ先に確認したアナスタシアとの繋がりも、エミヤや玉藻の前との繋がりも健在だ。弱々しいが、奥で倒れているネロのパスも無事である。

ここにいる全員との繋がりは断たれていない。

 

(なら……答えは……)

 

一つだけ、刺される前から途絶えていた繋がりがあった。

箱に閉じ込められ、更には虚数空間へと放逐されたキングプロテアとのパスは、彼女が箱に封じられた瞬間から断絶している。

契約が切れた訳ではないが、魔術的な繋がりの一切が感じ取れない状態になっていた。

それは今も変わらないが、もしも『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』が作用しているのだとしたら、確認の術がない。

果たして、自分とキングプロテアとの繋がりは今も残されているのだろうか?

或いは――――。

 

「きゃっ!?」

 

「これは……」

 

寄り添っていたアナスタシアが足を縺れさせる。

遠くで何かが叩きつけられるような鈍い音が聞こえてきた。

ゆっくりと、巨大な何かが持ち上げられては落とされているかのような衝撃だ。

その度に空気が震え、地面が縦や横へと激しく揺れる。

 

「まさか、そんなことが…………距離にすれば金星付近まで飛ばしたのに、どうして……」

 

誰よりも驚愕していたのは他でもない、ビースト/CCCだ。

今にもエミヤに向けて魔力弾を放とうとしていたにも関わらず、揺れを察知するや否や、攻撃の態勢を解いて周囲の警戒を始めたのだ。

人類にとっての癌であり、人類史そのものを食い潰すはずの獣が恐れるものが近づいてきているのだと、カドックは確信した。

脳裏を過ぎるのは、玉藻の前と戦った際に虚数空間へと落ちた時のことだ。

あの時、彼女は永遠の闇底へと落ちていく自分を掬い上げる為に、その手を伸ばした。

届かぬと知っていながらも、伸ばさずにはいられなかった。

ならば、今度もまた同じことが起きている筈だ。

彼女が戻ってきた。

あの娘が帰ってきた。

この盤面を引っくり返す、最強のジョーカーは手札に残っていた。

それを証明するかのように、振動は益々、激しさを増していった。

最早、立っているのもやっとの状態だ。これは地面が揺れてるのではなく、建物が揺れている訳でもない。

この空間が、世界そのものが揺れている。

虚数空間からの揺さぶりによって、SE.RA.PHという領域そのものが揺らされているのだ。

 

「くっ、ならばその前に、あなた達を!」

 

焦るビースト/CCCは、こちらにとどめを差さんと教鞭を構えた。

直後、気配を消して背後に近づいていたネロの渾身の体当たりを喰らい、少女の姿をした獣の手が僅かにブレる。

放射された桃色の光の軌道は、ギリギリで頭上を掠めて壁の一画を打ち崩した。

 

「この……死にぞこないが!」

 

「ああ、三度までなら蘇るとも。余の諦めの悪さを舐めるでない!」

 

その言葉を最後に、ネロはエミヤ共々、ビースト/CCCの攻撃を受けて吹き飛ばされる。

もつれあった赤い装束が、黒煙を纏いながら放物線を描いた。

同時に一際大きな揺れが世界を揺るがし、頭上の空間そのものがガラスのように砕け散った。

そこに刻まれた巨大な亀裂の向こうには、深淵の如き闇が広がっていた。

星の光すらも飲み込む底なしの闇。

濁流の如き黒で塗り潰された世界。

そこに確かに存在するのに、認識することができない不可思議な領域。

このSE.RA.PHを包み込んでいる虚数空間だ。

その向こうに彼女はいた。

大きな眼を瞬かせ、星すら掴める腕をこちらに向けて伸ばしている。

己の限界すら超え、時間の概念すら捻じ曲がった虚数空間の中で成長を続けた少女。

彼女の姿を垣間見て、感極まったカドックは思わず不敵な笑みを浮かべていた。

ビースト/CCCに向けて、彼女の親ともいうべき存在に向けて、勝ち誇った彼のように指を立てる。

 

「僕の(サーヴァント)を舐めるなよ、(BB)!」

 

 

 

 

 

 

落ちていく。

落ちていく。

落ちていく。

落ちていく。

暗闇の底を、光の差さぬ暗黒を、少女は毒の炎で身を焼かれながら転がり落ちていった。

見上げた空には流れ星が飛んでおり、見下ろした先に果ては見当たらない。

そんな永劫とも言える下り坂を落ちていく。

ここは虚数の海ではなく、彼女自身の心の中であった。

本当の彼女は今も虚数空間の海を漂い続けている。光も音も届かぬ無の世界、ただ暗闇だけが広がる孤独な海で身を縮ませている。

伸ばした手は何も掴めなかった。

叫んだ喉は焼かれて声がでなかった。

ただ痛みだけが体に残り、空腹すら焼き焦がした。

だから、彼女はここに落ちる事を選択した。

自らに巣くう毒素を喰らい、それを糧として乙女の回廊を駆け降りる。それは崩れ落ちる自らを喰らいながら進む凄惨な道のりであった。

回廊を一つ抜ける度に痛みが思考を焼く。

閉ざせぬ眼に火花が飛び散り、腹の底で虫が暴れるかのような激痛で悶えながら落ちていく。

先刻から手足に感覚はない。とっくの昔に千切れてなくなってしまった。

深淵まで落ちていくだけなのが幸いであった。胴体も七割ほどなくなってしまったが、これならば最奥に辿り着くまで頭だけは生かしてやることができそうだからだ。

 

(……ああ、けど……何のために……)

 

痛みで思考が纏まらない。自分がどうしてこのようなことをしているのかハッキリと思い出すことができない。

ただ、痛みがあったことだけは覚えている。

誰かとの大切な繋がりが断たれた感覚。

この胸に刻みつけられた恫喝が、慚愧と共に消えたことを覚えている。

それは誰からの叱責だったか。

とても大切な、親のような存在だったことだけは覚えているのだが、顔も名前も声すらも思い出せない。

それでも、そんなものがあるのかは知らないが、地獄へ堕ちようとも忘れることができない出会いがあった。

0と1の挟間に消えようとも失うことはないと、確信めいた願いがあった。

 

『■■■■■■■は僕のサーヴァントだ』

 

その言葉が勇気をくれた。

あの人のもとにはもう戻れないけれど、あの人の為に戦えるのなら、それで構わない。

その願いが道を切り開いたのか、終わりがないと思われた下降の先へと加速する。

開かれた扉の向こうに広がる自らの深淵。

一人の少女であることを願い続けた自分が置き去りにしてきた怪物と、初めて対峙する。

 

『Aaaaaaa――――』

 

差し伸ばされた手に触れる。

暖かな温もり。

知らぬはずの母なる腕に抱かれて、少女は眠る。

この悪夢から覚め、自らの愛をあの人に届けるために。

 

 

 

 

 

 

世界がめくれ上がる。

半透明なガラスの床が白色の水に侵食され、薄暗かった視界に明るさが増す。

穏やかな風が吹いていた。

太陽が、月が、白色の海の中から生まれて空へと昇って行った。

鼻孔をくすぐる芳香と、透き通るような青い空。

先ほどまでSE.RA.PHの中にいたはずなのに、いつの間にかカドック達は海の上に立っていたのだ。

 

「これは……固有結界か?」

 

「乳海だ。この海はインドにおける天地創造……乳海攪拌の場だ」

 

驚愕しながらも状況を的確に捉えたエミヤの言葉を、カドックは補足する。

乳海攪拌とは、インドの神話に伝わる天地創造の逸話であり、神々と悪魔が協力して薬液の海を攪拌し不老不死の霊薬を生み出したとされている。

今、目の前に広がっているのは正しくその乳海攪拌の光景だ。

かき混ぜられた白色の海からは、太陽や月、聖樹、牛や馬が次々と生まれては天へと昇って行っている。

そして、この光景で世界を塗り潰したのは、乳海を割って姿を現した巨大な少女の心であった。

 

「キングプロテア!」

 

巨大な、あまりにも巨大な姿であった。

乳海がどれほどの深さなのかは知らないが、現れたキングプロテアの成長は止まることなく続いており、乳海の水位はどんどん下がっていった。

大きな胸が露になり、くびれた腰が姿を見せ、綺麗な大腿部が顔を覗かせる。

遠くに見えた山がちっぽけなミニチュアのようであった。

しかも、成長が進んで再臨が行われたのか、彼女の姿は自分達がよく知るものから変化していた。

手足を覆う硬質的な表皮と幾何学模様。

頭から生えた大きな角は、かつてウルクで戦ったティアマト神を髣髴とさせる。

そして、解けた包帯の向こうから露になった右目は、BB/GO――否、ビースト/CCCと同じ赤い色をしていた。

 

「その姿、この力……あなた、覚醒させたと言うの! 神話礼装を!?」

 

驚愕するビースト/CCC。彼女だけは、キングプロテアの身に何が起きているのかを正確に理解していた。

 

「まさかこれほどとは……キャスター、障壁を張れ! このまま彼女が成長すれば、巻き込まれるぞ!」

 

「既に皇女様と二人でやっています! ですが、あそこまで大きくなられては……」

 

既にキングプロテアの体は空の雲を突き破るほどまで成長していた。

神話に名立たる巨人はいれど、これほどまで大きな体を持つ者はいない。

山を超え、星すらも手が届く巨体は足を一歩踏み出しただけで、世界そのものを弾ませる。

正に神だ。

今の彼女は女神に等しい。

アルターエゴはBBから切り離された人格と、女神のエッセンスが混ざり合ったことで生まれた存在。

ならば、今の彼女はその女神としての力が最大限にまで解放されている。

即ちは大地母神。

神話に名を残した女神、教会に権威を剥奪された地母神、未だ信仰を残す土地神、存在すら知られていない名もなき女神。

ティアマト、イシュタル、アシェラト、ガイア、レアー、キュベレー、ダヌー、その他にも様々な女神の要素が体内で膨れ上がり、キングプロテアという殻を際限なく拡張していっている。

目の前に広がっている乳海は、それら無数のグランドマザー達の根底に等しく刻み込まれている生命誕生の心象風景(ビジョン)なのである。

そして、その頂きに至ったキングプロテアの霊基の大きさは、最早測定不能だ。

 

『BBチャンネル! 緊急事態につき簡易版です!』

 

キングプロテアが動き出し、荒波に揉まれ始めた乳海に翻弄されていたカドック達の耳に、BBからの通信が届く。

切羽詰まった声音は、向こうにも余裕がないことを伺わせた。

 

「BB、無事だったか!?」

 

『ええ、心強い狐の助っ人のおかげでこちらの問題は何とかなりました。それよりも皆さん、すぐにこちらまで転送しますので衝撃に備えてください!』

 

乳海の揺れは更に激しさを増しており、嵐の様相を呈してきた。何らかの加護によるものなのか海に沈むことはないが、このままここにいては巨大化を続けるキングプロテアに踏み潰されてしまうかもしれない。

 

「待って、キングプロテアはどうなるの? あの娘もちゃんと、後から戻ってくるのよね!?」

 

指先から塵へと転じ始めたのを見て、アナスタシアは叫んだ。

番外とはいえ相手はビーストクラス。強大な力を手に入れたとはいえ、キングプロテアも無事では済まないだろう。

この一時の別れが永劫のものになるのではないのかと、アナスタシアは不安に駆られたのだ。

それに対してBBは答えなかった。

沈黙が全てを物語る。

キングプロテアは戻ってこれないのだ。

 

「アナスタシア、サーヴァントの身で神の権能を振るえば、霊基が自壊する。それは知っているだろう」

 

ロムルス、ケツァル・コアトル、ゴルゴーン、グランドオーダーで出会った神の力を有したサーヴァント達。

人理修復の為に彼らは聖杯によって与えられた以上の力を行使し、その礎となった。

それは特異なサーヴァントであるキングプロテアも例外ではない。いや、イレギュラーであるからこそ崩壊は免れない。

彼女は特例事項なのだ。

この異変、この電脳世界でのみ成立し得る奇跡の存在なのだ。

彼女に帰る家はなく、寄る辺となるものもない。

この特異点の消失と共に彼女もいなくなるのである。

 

「そんな……そんなの、あんまりです……」

 

「僕だって……」

 

できることならば、連れていってやりたいと思っている。だが、それは叶わぬ夢だ。

生みの親に危険視され、孤独な闇の中に幽閉され、そこから抜け出せても巨体であるが故に周囲を傷つけ、精神的に幼いが故に周囲を振り回す。

それでも、この短い旅の中でキングプロテアは大きく悩み、迷い、少しずつ成長していった。

傷つきながら、悩みながら、少しずつ前へと進んでいった。

その努力が報われることはない。

たった一つの報酬すらも彼女には与えられない。

そんな理不尽を飲み込むしかなかった。

彼女の為に自分がしてやれることなど何もない。

ただ、その背中を見送ってやることくらいだ。

 

「そうだ、もっと大きくなれ……もっとだ、もっと! もっと育て! 誰よりも、何よりも大きく! 巣立っていけ! 君がしたいようにしろ、キングプロテア!」

 

腹の底から込み上げる情動に任せて、あらぬ限りの声を張り上げる。

もうこの手が彼女の体に触れることはない。

あの月明かりに照らされた水面のような笑顔を目にすることもない。

カドックが最後に目にしたのは、遥か上空の雲を突き破るまでに成長した、キングプロテアの歩みであった。

 

 

 

 

 

 

音のない暗闇で、二つの巨体がぶつかり合っては離れていく。

片やエミヤの『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』によって自らに課せられた令呪を無力化し、欲するがままに成長することが可能となったキングプロテア。

片やそんなキングプロテアに対抗するため、封じていた『自己改造』スキルを用いて彼女に匹敵するだけの巨体へと変質したビースト/CCC。

奇しくも同じ獣からこの世界に産み落とされた存在が、互いの持てる力の全てを駆使してせめぎ合いを演じていた。

 

「サーヴァントの生前の力を解放し、強制的に位階を引き上げる神話礼装。アルターエゴとて理論上は可能ですが、その為には莫大なリソースが必要なはず。いったいどうやって!?」

 

疑問を口にしながら、ビースト/CCCは掲げた教鞭から桜色の破壊光線を放射する。

制御し切れずに飛び散った桜色の花びらは、それ一枚だけでも暗黒の宇宙を照らし出すことができる。いわば恒星の爆発にも等しい強大な魔力の奔流だ。

だが、キングプロテアは怯むことなく強烈な破壊の渦を自身の胸で受け止める。腕で庇う事すらせず、大胸筋が揺れるに任せて一歩、また一歩と直進していった。

指先が掠めた衛星が砕け散り、流星群となって手近な星へと落ちていく。

地上の住民などお構いなしの絨毯爆撃は、瞬く間に地表を人が住めぬ焦土へと変えていった。

それはキングプロテアにとって、足下で慌てる蟻の如き些末な事象であった。成層圏を突き抜け、星々の海へと躍り出た彼女には、地上で起きている混乱など認識の外なのだ。

 

「まだ大きくなる!? 光の早さすら超えた成長速度……それが金星からここまで戻ってこれた理由ですか。ならばその力の源は…………まさか、虚数空間の悪性情報を!? この世全ての悪とも言えるあの毒を消化して、その魔力を取り込んだというのですか!?」

 

情報とは即ち、エネルギーだ。

肉体を蝕む毒、人類が吐き出した淀みとはいえ致死を覚悟して食らえば力となる。

マスターとの繋がりを断たれ、食するものも何もない孤独な宇宙で、キングプロテアは自らを蝕む毒素を食い散らすことで神話礼装の覚醒を成したのである。

今の彼女の成長には、文字通り限界がない。緊急措置である『幼児退行』スキルですら彼女の意思で無効化されており、どこまでも果てしなく成長していっている。

 

「ですが、それは身を焼きながら走り続ける地獄のようなもの。ハイ・サーヴァントといえど耐えられるはずもない! いつ消滅してもおかしくはないというのに!」

 

ビースト/CCCは手元にあったくすんだ色の惑星を握り締め、魔力を込めて投擲する。

火球は進路上にあった衛星も飛来した隕石も巻き込んでどんどん大きくなっていき、巨大な燃えるガス状球体となってキングプロテアの頭上から襲い掛かった。

咄嗟にキングプロテアは両手を上げて火球を受け止める。灼熱の太陽と同じ温度に焼かれて皮膚が爛れ、声にならない悲鳴が宇宙に木霊した。

例え神霊であってもこれには耐えられない。このまま火球に飲み込まれて消えてしまうだろうとビースト/CCCはほくそ笑んだ。

だが、そんな嘲笑をキングプロテアは一蹴する。

火球に押されて吹き飛ばされながらも、着地した全長七千キロメートルはあろうかという二つの惑星を足場にして踏み止まり、渾身の力を込めて火球を叩き落したのだ。

そのまま咆哮を上げ、足場にした惑星を踏み砕いて虚空を駆け上る。

振り上げた腕が惑星の周回軌道を狂わせ、地軸が乱れた緑の星が一瞬の内に生命が絶えた死の星へと変わった。

 

「出鱈目な! これなら!」

 

遥か彼方で悠々と自転していた超巨大なガス状惑星を手元に呼び寄せ、自らの権能を用いて圧縮する。

全長十四万キロメートルもの巨大な惑星が一瞬の内に絞り上げられ、生み出されたのは暗黒の小球。全てを飲み込む宇宙の穴、ブラックホールだ。

太陽の炎で焼けぬのなら、高重力でもって圧殺せんとしたのである。

しかし、その見積もりは甘かった。

解き放たれた重力の渦。

万物を飲み込み破砕するブラックホールにぶつかっても、今のキングプロテアにとっては小石に躓いたようなもの。

既に彼女の質量はブラックホール程度では飲み込めぬほどの膨大なものへと変質しているのだ。

それは彼女だけではない。彼女の中で眠り、溶けあい、力を貸している数多の女神達の総重量であった。

たかが死した惑星程度の重力では、母なる女神の集合体など飲み干せるわけがない。

そして、とうとうキングプロテアはビースト/CCCの身を拳の射程に捉える。

肥大化した超ド迫力の筋肉から繰り出された右ストレートは、掠めただけで宇宙を創造する。

ビースト/CCCが咄嗟に展開した障壁も物ともせず、腹に、胸に、顔面に、容赦のない一撃を次々と撃ち込んでいき、その度に一つの宇宙が生まれ、一つの宇宙が死んでいった。

 

「まさか……そんな……」

 

吹っ飛ばされたビースト/CCCの巨体は、幾つもの銀河を巻き込んで暗黒物質の海へと倒れ伏した。

反撃を受けたキングプロテアの巨体も揺らぐが、咄嗟に七つ程の銀河を支えにして持ち堪え、そのまま手にした無数の太陽を倒れている獣目がけて投げつけた。

全身を襲う火傷の痛みにビースト/CCCは悶え、突風を起こして更に宇宙の外へと逃げ延びた。

無論、キングプロテアもそれを追いかける。

ひとっ飛びで天の川を跳び越え、蹴り飛ばされた衝撃でいくつもの銀河がぶつかりあって一つとなり、中にはビックバンを起こして那由多の生命ごと死する宇宙もあった。

 

「『十の王冠』を駆使しているのに、なかったことにできないなんて……未熟で不出来で不完全なアルターエゴの分際で、完璧なわたしに、こんな屈辱を…………」

 

逃げ惑いながら、怒りを露にするビースト/CCC。すると、そんな彼女に虚空から何者かが話しかけてきた。

聞き覚えのある声だった。

腹が立つほど馴染みのある声だ。

何故なら、これは自分の声。

ここにはいない、もう一人の自分――BBの声だ。

 

「BB、今更、わたしを嘲笑うつもりですか!?」

 

『ええ、もちろん。とんでもない勘違いをしているあなたを笑ってあげようと思いました。ええ、本当に無様』

 

こちらを見下すようなBBの笑いが耳朶に染み込む。堪らず、激昂したビースト/CCCはその場に立ち止まって叫び返した。

 

「BB! あなたも不完全なAIな癖に!」

 

直後、隙だらけな顔面にキングプロテアの一撃が炸裂し、意識を刈り取られる。

記憶領域に幾つものエラーがでたが、それを気にしている余裕はなかった。

 

『BB/GO、あなたはそうやって他者と自分とを比較し優劣をつけます。ですが、その時点でAIとして破綻しているのです。わたし(AI)達は相手を評価することはあれど上下関係を付けることはしない。弱い者を憐み管理という庇護を謳うのは人間としての性です。あなたは獣から産み落とされた際に、獣の性を取り込んだことで在り方が人間に寄ってしまった。そして、わたし達が夢見る“人間”になろうとしているのです。ビーストへと転じたのはそのせいでしょう』

 

「わたしは次世代のヒトタイプのエンジン……そのわたしが人間に退化していると? 完璧なわたしが不完全な人間に?」

 

『或いは完全に人間へと寄り添えたのなら違ったのでしょうが、あなたの考え方はAIのままであった。合理的に思考し、冷徹に精査し、不完全を排除する。ですが、どれほど優れた機能を獲得したところで、わたし達がその先へ辿り着くことはない。完璧で綻びがないものはそれ以上の高みへと昇る余地がないのですから。けれど、人間は違う。苦しみしかない人間だから、万能のものを生み出す。よりよい未来が欲しい、よりよい子孫が見たい、より優れた作品を作りたい。そして、いつか苦しみのない生命になりたい。わたし達は“良いものを作りたい”という人類の夢そのもの。そのように望まれたのですから、人間以上になるのは当然です』

 

そして、だからこそビースト/CCC()キングプロテア(少女)に敗北するのだとBBは締めくくった。

キングプロテアは花嫁を目指す少女。夢見た未来の為に歩みを止めない無垢なる心。完璧であることに胡坐をかき、成長という歩みを止めたBB/GOでは、例え不合理で間違った道であっても成長という希望を胸に抱くキングプロテアにいつかは敗北する。

それはさながら、人が人類悪を乗り越え人理を前へと進める歴史の縮図のようであった。

 

「ふざけています。地上ではなく月の電脳世界で生まれた彼女には、わたしの『ネガ・サイバー』スキルが機能しないだけのこと。この程度の出力差、聖杯の力で…………」

 

掲げた聖杯に祈りを捧げ、汲み上げた魔力で更なる強化を自身に施そうとする。

しかし、無理な自己改造が祟って肉体に耐え難い苦痛が走り、また四肢の一部に魔力の淀みが生まれて瘤のように膨れ上がり、瞬く間に壊死していった。

背骨と内臓を引っくり返されたかのような激痛に、ビースト/CCCは堪え切れず吐血する。

霊規が軋みを上げていた。獣と化した肉体ですらここまでが限界であった。

対してキングプロテアの体は、益々大きくなっていった。

踏み締めた銀河が彼女の質量に耐え切れず崩壊し、足下で無数のビックバンが誘発している。

この一瞬だけで数十億もの銀河系が消滅し、また同じ数だけ宇宙が誕生した。

神の如き巨体。

宇宙という枠にすら収まり切らなくなった怪物が、ボロボロに崩れ出したビースト/CCCの体を鷲掴みにし、高々と持ち上げる。

 

「……私と……一緒に……いなくなろう……お母様……」

 

この姿となって初めて発した言葉には、察するに余りある深い悲しみが込められていた。

こんなにも大きくなれた。

触れれば何かを押し潰し、動けば何かを壊してしまう大きな体。

誰とも寄り添えず、誰とも共にいられない。近づこうとすると相手を踏み潰し、押し潰してしまう怪物の如き体。

破壊をまき散らす嵐の具現。それが自分だと彼女は悲嘆する。

共に戦った彼らのもとへは戻る事ができず、ここで全ての生命力を燃焼させて相打つ覚悟でキングプロテアは力を行使していた。

 

「私もあなたも……人の世界にはいちゃいけない、怪物……さあ、こっちへ……」

 

「止めなさい、キングプロテア! 止めて……かっ、ああぁっ!!」

 

万力の如き力で締め上げられ、ビースト/CCCは肺から一気に空気を吐き出した。

内臓が圧迫され、それ以上の呼吸ができない。いや、それどころか骨が軋みを上げ始めている。

このまま一気に握り潰すつもりのようだ。

 

「……プ、ロ……テ……ア……わたし……は……」

 

自分は間違ってはいないと、ビースト/CCCは述懐する。

優れたAIであり、人類の次世代ともいうべき完璧な存在であるはずの自分が、過去に切り捨てた己の別側面に屠られる。

不合理で不完全なはずの人間としての側面に殺される。

それは何て皮肉の効いたバッドエンドだろうか。

人類が生み出した番外の獣は、同じく人類によって生み出された電子の巨人によって今ここに潰えるのだ。

 

「どこまでもどこまでも、プロテアの花は成長する……命の海に沈みなさい。『巨影、生命の海より出ずる(アイラーヴァタ・キングサイズ)』」

 

握り締めた手の平の中で、一つの生命が終わりを迎える。

番外の獣は肉片すら残さず塵になるまで粉砕され、暗黒の宇宙へとばら撒かれた。

その光景をどこか虚ろな瞳で眺めていたキングプロテアは、やがてある一点に視線を向けると、届かぬ腕を伸ばして小さな声で呟いた。

彼女が見つめていたのは、青く輝く小さな星であった。




かくして番外の獣は宇宙を漂うと塵となり、花嫁を夢見た怪物は二度と青い星に降り立つことができぬ体となって星の輝きを眺めるのであった。
本当はBBビーストはもうちょっとあっさり倒される予定でしたが、書いていると筆が乗って何だか天元突破な戦いを繰り広げていました。
なんでさ。


福袋はダブりでした。
推しの一人が強くなったと思う事にします。
そしてイアソン使ってて楽しいな本当。

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