Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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邪竜百年戦争オルレアン 第5節

灰色の青年は名をジークフリートと名乗った。

その名は「ニーベルンゲンの歌」に謳われる万夫不当の英雄、恐らくは世界で最も有名な竜殺しの1人であろう。

ネーデルランドの王子であり、数多の冒険の果てに財宝を手にし、邪竜ファヴニールを打ち倒した正真正銘の大英雄だ。

邪竜を倒し、その血を浴びた事で不死身の体を手に入れたという逸話はあまりに有名である。

 

「俺は召喚されたのが比較的早い方だったらしい。マスターもおらず放浪していたところにあの街が襲われるのを見てしまってな」

 

「助けに行ったのですね?」

 

「ああ。しかし、複数のサーヴァントに襲い掛かられてはさすがに難しかった」

 

ジークフリートにとって救いだったのは、その襲撃者の中に理性を保っていた聖女マルタがいたことだった。

彼女は傷ついたジークフリートを城の中に匿い、死を偽装することで竜の魔女達から彼を守ったのである。

とはいえ狂化された状態ではそれが限界であり、ジークフリートは動くことも傷の治療もできずに助けがくるのを待たねばならなかったのだが。

 

「彼女も覚悟の上だっただろう。もっとも、こんな役立たずの自分を救ってもらって気が咎めるのも確かだ」

 

『聖杯を持っているのが聖女ジャンヌ・ダルク―――失敬、竜の魔女たるジャンヌ・ダルクならば、その反動―――抑止力のようなもので聖人が召喚されている可能性が高い。問題はその人物をどうやって見つけ出すかだね』

 

カルデアの観測システムはマスターを起点として機能しているため、フランスのような広い範囲を調べることはできない。

こればかりは虱潰しに探し出すしかないだろう。

幸か不幸か竜の軍勢によって現在のフランス領は半分ほどにまで縮小している。

召喚されてさえいれば、探し出すのはそう難しくないはずだ。

この件に関して一番心を痛めていたのはアナスタシアだった。

彼女は死後、苦難に耐え忍んだとして聖人に列聖されている。

だが、彼女の信仰心では洗礼詠唱が行えずジークフリートの呪いを解くことができなかったのだ。

 

「それなら、手分けして探した方が良くないかしら?」

 

「でも・・・」

 

マリーの意見にジャンヌは口ごもる。

確かにこれだけの人数がいるのだから別行動を取った方が見つけやすいだろう。

だが、もしも敵の襲撃を受けた時に少ない人数で切り抜けられるだろうか。

敵は少なくともまだ3人以上のサーヴァントを控えさせており、超極大の生命体とやらもこのフランスのどこかにいるはずだ。

ただ、カドック自身は最後の極大生命体にさえ遭遇しなければ何とかなるのではないかと考えていた。

これまでの敵の動きを見た限り、サーヴァント達は固まって行動するか一騎が命令を受けて単独行動するかのどちらかであることが多かった。

固まって行動するのは恐らく、示威的な意味もあるのだろう。

 

「俺も手分けして探した方が良いと思うよ。カドックは?」

 

「反対意見に一票と言いたいが、今となってはリスクはそれほど変わらない」

 

メンバーを二組に分けたとして、両方がサーヴァントの軍団と遭遇する確率は低いとみて良いだろう。どちらかが襲われれば助けに向かう。

気を付けるべきは極大生命体、これだけだ。

そうなると問題は、どのようにメンバーを分けるか。

カルデアを介して通信が可能な自分達マスターは別々に行動するのが前提として、残る面々をどうするか。

 

「なら、くじ引きをしましょう! こういう時はやっぱりくじ引きよね」

 

「くじを引きたいだけだろう、君は。アナスタシア、君からもマリアに何か言ってやってくれ」

 

「私も良いと思います、くじ引き。カドック、作って頂戴」

 

「なんで僕が―――ああ、わかったから睨まないでくれ」

 

手近にあった木から小枝を毟ってきて、染料で色分けする。

その結果、ジャンヌとマリーが自分達と組む事になった。

 

「アマデウス、藤丸さんたちをお願いね」

 

「正直に言って、いま君と離れるのは不安だ。いや、君に不安を感じない時はない訳だけど」

 

くじの結果に意を唱える方が余計に悪運を呼びそうだとアマデウスは零す。

 

「まあ、君の宝具は逃走にも使える。ジャンヌは守護に特化しているし、そこにアナスタシアも入れば鉄壁だ。むしろ不安なのはこちら側かな」

 

半人前のマスターとデミサーヴァント、音楽家、傷ついた竜殺し。

確かに戦力だけを見れば心もとない。

 

「いやいや、むしろマシュのがすごいぞ」

 

自分のサーヴァントが否定的に見られたと感じたのか、ものすごく食い気味にマシュの凄さが力説される。

マシュは破顔しているが、勢いに呑まれたアマデウスは顔を引きつらせながらため息をついた。

あくまで戦力的な不安を指摘しただけなのに、惚気話のダシにされてしまったと。

 

「アマデウス、仲良くするのよ。あなた友達に誤解されるタイプだから」

 

「君に言われたくはないよ。それよりマリア」

 

普段の飄々とした態度が一瞬だけなりを潜め、至極真面目な顔つきになったアマデウスがマリーに向き直る。

 

「・・・・・・いや、なんでもない。道中気を付けるように」

 

「あら、てっきりまたプロポーズされるかと思ってドキドキしていたのに」

 

「―――待て、なぜ今、その話をするんだ君は?」

 

「え? マリーさんとアマデウスさんが?」

 

2人に関する逸話を知らなかったマシュが目を丸くする。

傍らのマスターも説明を求めるようにこちらを見つめていた。

これだから無知というやつは。

 

「彼は生前、マリー・アントワネットに結婚を申し込んだことがあるんだ」

 

『割と有名な話だね。ミスター・アマデウスは当時6歳、彼女は7歳だった』

 

「転んだ彼にわたしが手を差し出すと、キラキラした目で見つめて―――」

 

差し伸べられた手を取って、アマデウス少年は結婚を申し込んだらしい。

歴史上で2人が絡むのはこのエピソードのみであるため、恐らくはアマデウスのひとめぼれ。

或いは助けてもらったお礼として結婚を申し込んだという話も伝わっている。

もちろん、真相は本人の胸中に留めておくのが花というものだろう。

 

「まさか後世にまで伝わっているとは・・・悪夢だ」

 

「わたし、嬉しくって嬉しくって方々に広めたんだもの」

 

「君のせいか! 君のせいだったのか! 断った癖になんて魔性の女なんだ!」

 

普通、こういうスキャンダルを好んで広めようとはしない。

そういう意味でもマリー・アントワネットは奔放な女性であったようだ。

 

「羨ましい」

 

ふと、アナスタシアが呟いた。

他のみんなはまたいつもの騒々しい騒ぎを始めているので、こちらに気づく者はいない。

 

「アナスタシア?」

 

「私はマリーと違って、恋なんてしたことがなかったから」

 

僅か17歳でこの世を去らねばならなかった。

一生のほとんどを離宮で過ごし、清貧な生活と奉仕活動に勤しむだけの毎日だった。

だから、マリー・アントワネットのように奔放で自由な生き方がとても眩しく見えるのだと彼女は言った。

同じ末路を辿ったのに、振り返れば何もかもが対照的。

自分は彼女のように生前を明るく語ることができない。

楽しかったはずの思い出すらも、最期に殺された際に感じた雪のような冷たさで押し潰されてしまう。

マリー・アントワネットはフランスに恋をし、フランス国民から愛され、その愛故の失望から国に裏切られた。

だが、彼女はどうか。

極寒のロシアは彼女を愛していたのだろうか。

それは決して答えのでない問いであった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあね、アマデウス。帰ったら久しぶりに、貴女のピアノを聞かせて頂戴」

 

合流地点をティエールの街に決め、カドック達は聖人の捜索を開始した。

別れるや否や、向こうではいきなり魔獣の群れが襲いかかってきたらしいが、こちらは暢気なものだ。

街道には人も獣も見当たらず、空を見上げれば白い雲がそよ風に揺られてゆっくりと流れている。

竜種に襲われ、滅亡の危機に瀕しているとは思えないのどかな光景だ。

ただ、それに反して一行の表情は暗い。

特にジャンヌは何かを思い詰めているのか、さっきから上の空といった具合だ。

 

「ジャンヌ、ジャンヌ。怖い顔をしていますわよ」

 

もちろん、そんな雰囲気にいつまでも黙っているようなマリー・アントワネットではなかった。

 

「え、怖いですか?」

 

「怖いっていうか、難しい?」

 

「はあ・・・そうですね、少し考え事をしていたもので」

 

それはやはりというべきか、竜の魔女についてであった。

 

「私は神の啓示を受けて走り出し、振り返ることなく進んできました。死して英霊となり、ルーラーとして召喚される。そのこと自体、当然のように受け止めています。だから、竜の魔女の言葉は何一つとして、身に覚えがないのです」

 

ラ・シャリテで黒いジャンヌはフランスへの強い憎悪を露にしていたらしい。

救国の乙女と持て囃しておきながら、都合が悪くなれば裏切り唾を吐き、魔女として火炙りにされた。

ジャンヌ自身はその結末を受け入れており、本来ならば後悔や憎悪などは決して抱かない。

だから、竜の魔女と化した自分が放つ憎悪を理解できない。

というよりも、思い当たる節すらないとのことだ。

 

(まっすぐな生き方というのは、返って歪んで見えるものなんだな)

 

自分だったらきっと、世界中の全てを呪っていただろうとカドックは思った。

だから、朗らかに笑いながら答えた彼女の言葉に思わず言葉を失った。

 

「もしわたしがジャンヌの立場だったら―――きっと竜の魔女の話を受け入れていたと思うの」

 

いつもの笑顔のまま、けれども少しだけ寂しそうに、堪らなく悲しそうにマリーは言う。

 

「わたしはわたしを処刑した民を憎んではいません。けれどほんの少しだけ、それはとても小さなものかもしれないけど、わたしはわたしの子どもを殺した人たちを憎んでいる。だから、わたしにとっての「竜の魔女」が現れたら、多分、これはもう1人のわたしだと受け入れていた気がします」

 

隣に立つアナスタシアが俯き、ギュッとヴィイを抱える手に力を込める。

意外と言えば意外であり、当然と言えば当然の言葉。

裏切られ、殺されたのなら恨んでいて当たり前だ。

天真爛漫な笑顔の裏に隠された黒い感情。

一瞬だけ垣間見えたそれに対して、アナスタシアは強く感情移入していた。

 

「私も―――私もきっと、同じ――同じことを考えたと―――思います」

 

絞り出すような言葉に胸が痛くなる。

きっと彼女は何かを好きになる前に命を奪われた。

憎しみに優劣などないのだろうが、それでも敢えて言うならばこの3人の中で彼女が一番、祖国に対して強い憎悪を抱いている。

生き抜いた果て、何かを成した先の死ではなく、これからの人生を奪われたことへの憎悪。

その憎悪の先にあるものは、あの竜の魔女と同じものなのかもしれない。

 

「ごめんなさい、私―――」

 

「いいのよ、アナスタシア。それは決して悪いことではないの。でもね、ジャンヌはそうじゃない。彼女は憎まない―――ううん、きっと人間が好きなの。汚れたくないからとか、思いたくないからとか、欠落しているとかじゃない。前に進もうと、這いつくばって諦めない人間が好きだから、今のジャンヌがある。それはとてもすごくて綺麗なことだわ」

 

裏切られ、理不尽な目にあってもなお、人の善性を信じて愛することができる。

それはとても尊くて素晴らしいことなのだとマリーは言う。

自分達ではできなかったそれが、堪らなく美しいのだと王妃は謳う。

 

「ああ、そうか。好きだから―――恨めるはずもなかったですか」

 

「ええ。だからこそ、フランスは貴女に救われたのです。だから、竜の魔女に会ったら言ってやりなさい。『あなたはあたしじゃない』とか、『あなたのことなんか知るもんか』とか」

 

「そう、そうですね。確かに私は・・・あ、れ? 知るものか・・・・・」

 

何か思い当たったのか、ジャンヌの顔が再び険しくなる。

だが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻ると、アナスタシアを交えて3人で談笑を再開した。

先ほどのやり取りがあったからか、アナスタシアは少し遠慮がちだが、そこはマリーがグイグイとリードして話を振っていく。

彼女が国民に愛された理由は、その美貌もさることながら、彼女自身の愛嬌と性格によるところも大きかったのだろう。

そんなことを考えながら、カドックは定時連絡のために通信機のスイッチを入れた。

 

 

 

 

 

 

ティエールは渓谷の深い緑と川のせせらぎに彩られた工業の街だ。

特に刃物はドイツのゾーリンゲンと二分するとまで言われる名産地であり、川沿いにはいくつもの工房が立ち並んでいる。

残念ながら世界最高峰といわれるソムリエナイフ「シャトー・ラギオール」が生産されるのは1993年。

この時代では鍛冶の街として興り始めたばかりであろうか。

活気の中にもどこか牧歌的な雰囲気が感じられるのはそのためだろう。

 

「わかった、こちらもジャンヌがサーヴァントを見つけた。これからコンタクトするところだ」

 

アナスタシアに促され、最後に一言だけ労いを付け加えて通信を切る。

先に到着していたマシュ達によると、街の西側に目的の人物がいるらしい。

その情報を得るまでひと悶着があり、新たなはぐれサーヴァントと一戦交えたことに対しては最早、呆れるしかなかったが。

 

(それにしてもゲオルギウスか。まさか竜殺し(ドラゴンスレイヤー)がもう1人召喚されているなんて)

 

古代ローマ末期の殉教者にして毒を吐く悪竜を退治した勇者。

改宗を迫る苛烈な拷問を受けても屈しなかった高潔なる信徒として、その逸話から後に聖人の1人として列聖されている。

このフランスにおいてはジークフリートに並ぶもう1人の竜殺しというわけだ。

 

「そちらで止まってください。何者ですか?」

 

こちらの気配を感じ取ったのか、頑強な鎧を身に纏った男が剣の鞘に手をかける。

迂闊なことをすれば即刻、叩き切られるだろう。

ピリピリとした緊張が辺りを包み込む。

 

「僕はカドック・ゼムルプス、カルデアのマスターだ。あなたと話したいことがある」

 

「マスター? それにそちらのサーヴァントは・・・・・・・なるほど、狂化されていないようですね」

 

「ああ、彼女達と戦っている。それとこちらの彼女は―――」

 

「かの聖女ですね。名は伏せておいた方がよろしいでしょう」

 

物々しい装いに対して物分かりがよい性格なのか、ゲオルギウスは穏やかに答える。

曰く、この街も竜の魔女に一度襲撃されており、彼が1人でそれを撃退したらしい。

住民達はその後、安全な場所を求めて少しずつ避難を始めているようで、彼はそれを今日まで守ってきたとのことだ。

 

「では、あなた方の仲間の解呪に協力して欲しいと?」

 

「はい。複雑に呪いが絡み合っていて、私と貴方がそろっていなければ・・・」

 

「そういうことならば力を貸しましょう。住民の避難も間もなく完了するはず。それが終わってからでよければ―――」

 

不意に竜の咆哮が空気を震わせた。

全員が空を見上げる。

遥か彼方、青い空を埋め尽くすようにワイバーンの群れが羽ばたいている。

 

「この感覚は――竜の魔女!?」

 

『まずいぞカドック、ドクターが馬鹿でかい生命反応を探知した。リヨンで感知したあいつだ』

 

未だ姿を見ていない超極大の生命体。

それがこちらに向かってきている。

 

「撤退しましょう、ゲオルギウス。今の我々では歯が立ちません」

 

「そういう訳にもいきません。私は市長からこの街の守護を任されています。まだ市民が避難を終えていない以上、この役目を放棄する訳にはいきません」

 

「でも・・・・」

 

残れば死ぬ。

ワイバーンの群れだけで済むはずがない。

竜の魔女が、配下のバーサーク・サーヴァントが、そして極大の生命体がくる。

一騎だけでは、或いはここにいる全員で戦ったとしても生き残れるかどうか。

ならばどうするか。

ジャンヌとゲオルギウスは必要だ。ジークフリートを復活させるためにも2人にはマシュ達と合流してもらわなければならない。

つまり2つに1つ。

自分とアナスタシアが残るか、マリーが残るか。

 

「その役目、どうかわたしにお譲りくださいな」

 

そして、フランスを愛する彼女がその役目を譲ることはなかった。

 

「マリー!?」

 

「いいの、アナスタシア。わたしはフランスの王妃。ここからは「未来」でも、わたしにとって「過去」も「現在」もそれほど違いありません。市民を守ることはわたしにとっても大切な使命。そして、みなさんには大局を動かす役目が与えられています」

 

自分は敵を憎んだり倒したりするのではなく、人々を守る命として呼ばれたのだと彼女は言う。

今度こそ、大切な人たちを、大切な国を守るために。

正しい事を正しく行うのだと彼女は言って街の外へと駆け出した。

最後に、ジャンヌの旗の下で共に戦えたことが光栄だったと感謝しながら。

その背中をカドックは見送ることしかできなかった。

決意の込められた眼差しを無下にすることなどできない。

けれど、これでよかったのだろうか?

ただ疑問だけが胸中を渦巻き、その場から足を動かすことができなかった。

 

 

 

 

 

 

街を出た瞬間、黒衣の処刑人が姿を現した。

恐らくは気配遮断かそれに類するスキルで姿を隠していたのだろう。

首狩り用の直刀を構えた青年は、恍惚とした笑みを携えながらマリーの前に立ち塞がった。

 

「まあ、何て奇遇なんでしょう。貴方の顔は忘れたことがないわ、気怠い職人さん」

 

「それは嬉しいな。僕も忘れた事などなかったからね。懐かしき御方、白雪のうなじの君。そして同時に、またこうなった事に運命を感じている。やはり僕と貴女は、特別な縁で結ばれていると」

 

シャルル=アンリ・サンソン。

パリにおいて死刑執行を務めたサンソン家四代目当主。

歴史上、二番目に多くの死刑を執行し、マリー・アントワネットの処刑も執行した、言わばフランス王権失墜の立会人ともいえる男だ。

それが今、竜の魔女によって在り方を狂わされた状態で殺意を向けている。

 

「竜の魔女が遅れているのは幸いだ。ここには僕と君しかしない。処刑する者とされる者、2人っきりの時間だ」

 

「ここにわたし達がいると教えたのはあなたなの?」

 

「嘆かわしいことにこの身は暗殺者のサーヴァントとして召喚された。そちらのジャンヌの探知能力が劣化していたおかげもあって、拙いながらも斥候の役割は果たせたという訳さ。けど、それもここまでだ。僕の目的は最初から君だけ。処刑人である僕は君に問わねばならないんだ。あの時、君を処刑したあの時、君はどんな気持ちだったのか。

痛みはなかったか、苦しまずに逝けたのか、そして―――そこに快楽はあったのか」

 

恍惚としたサンソンの笑みに思わずマリーは後退る。

彼の事は人間的に尊敬しているつもりだったが、こんな倒錯趣味があったとは思いたくない。

これはきっと、竜の魔女によって施された狂化の影響だ。そうに違いない。

 

「いい処刑人が罪人に苦しみを与えないのは当然だ。僕はその先を目指し、そのために腕を磨いた。君への斬首(くちづけ)は正に生涯で最高の一振りだった。だから、どうか聞かせて欲しい。あの時の君はどう感じたのか。死の瞬間、君は絶頂を迎えてくれたかい?」

 

「あなたが本気で、心からわたしに敬意を表してくれているのはわかるわ、サンソン。でもごめんなさい、ちょっとそれはムリ。とても口にはできないことだし、倒錯趣味の殿方はもう間に合っているの。二度目の口づけは受けられないわ」

 

マリーの傍らにガラスの馬が出現する。

首筋がチリチリと痛みを訴える。

恐らく、この痛みは生前に首を撥ねられた所から発せられているのだろう。

予感がする。

既に彼の宝具は発動している。

処刑人であるサンソンの宝具はきっと、彼自身の生涯の象徴。

処刑という概念、或いは技術が昇華したものに違いない。

生前、処刑によってその生涯を終えた自分にとっては非常に相性が悪いはずだ。

運が悪ければ何もできずに殺される。

けれど、それでも構わない。

この国の為に、大切な友達の為に戦えるのなら、再びこの首が撥ねられることがあろうとも、その痛みを受け入れることができる。

自棄になったわけではない。

自分の命が明日への希望に繋がるのなら。

もう何も怖くはない。

もう一度殺されることに恐怖はない。

 

『百合の王冠に栄光あれ』(ギロチンブレイカー)!」

 

『死は明日への希望なり』(ラモール・エスポワール)

 

ガラスの馬が駆け、ギロチンの刃が落とされる。

一瞬、マリーは己の首が胴体から離れる様を幻視した。

鋭い痛みが首筋に走り、裂けた傷から真っ赤な飛沫が上がる。

堪らず膝をつき、首筋を押さえると、自分の首がまだ繋がっていることに驚きを隠せなかった。

 

「そんな、バカな・・・」

 

驚愕を隠せないのはサンソンもまた同じだった。

2人は気づいていない。

サンソンの宝具『死は明日への希望なり』(ラモール・エスポワール)は呪いへの抵抗力や幸運ではなく、「いずれ死ぬという宿命に耐えられるかどうか」という概念によって抗うことができる。

本来ならば処刑による最期を迎えたマリーにとっては相性が最悪の宝具であったが、あの瞬間、己の死よりも仲間に後を託し、祖国のために戦うという強い思いによって彼女は死の恐怖を受け入れることができた。

故にギロチンの刃はギリギリのところで彼女を殺し切ることができず、サンソンはガラスの蹄によってその霊核を踏み抜かれたのである。

 

「きっと、あなたの刃は錆びついていたのね」

 

「そんなバカな。あれから・・・あの時、君を処刑した日からずっと僕は・・・何人も何人も殺して・・・殺してきたのに―――」

 

「殺人者と処刑人は違うわ。あなたはこの間違ったフランスで多くの人達を殺し、殺人者としての刃を研ぎ澄ませた。けれど、それは罪人を救うという処刑人(あなた)の刃は錆びつかせていった。竜の魔女に召喚された時点で、わたしの知るサンソンではなくなっていたのね」

 

「違う、そんなはずは・・・だって、ずっと君がくると信じて腕を磨き続けたんだ。もう一度君と会って、もっとうまく首をはねて、最高の瞬間を与えられたら―――そうしなければ僕は、君をまた―――――」

 

救いを求めるようにサンソンは手を伸ばす。

消滅が始まったことで狂化が解け始めたのだろう。

先ほどまでの狂気は感じられず、まるで許しを乞う子どものように、サンソンは慟哭する。

 

「サンソン」

 

その手を掴もうとマリーは手を伸ばす。

瞬間、巨大な何かが太陽を覆い隠した。

見上げたそれは山のように大きな何かだった。

あまりの大きさに脳が理解を拒み、それを正しく認識する事ができない。

ただ、大きな羽がある。

鋼のような鱗がある。

鋭い牙と大きな口。

咆哮を聞けば体がすくみ上って動けない。

あれは竜だ。

恐怖の具現、力の象徴。

竜という概念が形をなしたもの。

伝承に謳われる邪竜ファヴニール。

それが今、自分の目の前に降り立とうとしていた。

 

「マリー、危ない!」

 

サンソンが消滅しつつある体を押してこちらを突き飛ばす。

視界が揺れ、同時に地響きと共に邪竜が降り立ったことで砂埃が景色を覆い隠す。

サンソンの行方は分からない。

踏み潰されたのか、無事に逃げ延びたのか。

いずれにしろ、あの傷ではそう長くはないだろう。

 

彼女(わたし)は逃げたのですね。なんて無様」

 

ファヴニールから降り立った黒衣の聖女が忌々し気に呟く。

竜の魔女だ。

 

「いいえ、彼女は希望を持って行ったのよ」

 

「サーヴァント一騎を仲間に入れた程度で? 馬鹿馬鹿しい」

 

そんなことをして何になるのかと彼女は言う。

 

「馬鹿馬鹿しいといえばあなたがここに残っているのもそう。そこまでして民を守る使命に酔い痴れたいのですか? 他ならぬ、その民に殺された貴女が。ギロチンにかけられ、嘲笑と共に首をはねられた女が!」

 

あらん限りの憎しみと怒りを込めて竜の魔女は叫ぶ。

燃え上がるような叫びは常人ならば身を竦ませ、恐怖で錯乱することもあったかもしれない。だが、今のマリーには彼女の叫びはとても空っぽで虚ろなものに聞こえてならなかった。

 

「ああ、幻滅です。魔女というのはそんな理屈もわからないの?」

 

確かに自分は処刑された。

嘲笑も蔑みもあった。

けれど、それは殺し返す理由にはならない。

自分は民に乞われて王妃になった。

民なくして王妃は王妃とは呼ばれない。

だからあれは当然の結末だったのだ。

彼らが望まないなら、望まなくとも退場する。

それが国に使える人間の運命(さだめ)なのだ。

 

「わたしの処刑は次の笑顔に繋がったと信じている。いつだって、フランス万歳(ヴィヴ・ラ・フランス)! 星は輝きを与えて、それでよしとすればいい」

 

宝具の力で首の傷を癒す。

間に合わせの止血だが、戦うには十分だ。

 

「ねえ、竜の魔女。本当の貴女は何者なの?」

 

「黙れ!」

 

その一言に、黒いジャンヌは激昂する。

フランスへの憎悪を語る時とは違う、生の感情を剥き出しにした怒りを。

それで確信する。

彼女は違うと。

 

「薙ぎ払いなさい、ファヴニール!」

 

「させない。宝具展開、『愛すべき輝きは永遠に』(クリスタル・パレス)!」

 

マリーの口づけと共に指輪が輝き、周囲一帯が変質する。

先ほどまでの緑の草原は水晶の床で埋め尽くされ、同じく水晶でできた優美な宮殿が大地よりせり上がる。

その広大な庭園をマリーはガラスの馬で駆け抜けた。

邪竜の腕を、尻尾の一振りを紙一重で避け、その巨体に一撃を与える。

ここは彼女の心が形となった世界。

例え王権が失われても愛した人々とフランスは残るという信念が昇華された結界。

この中では彼女と彼女の仲間のステータスが強化され、いつも以上の力を出すことができる。

 

「ちょこまかと!」

 

ファヴニールから降りた立った黒いジャンヌが鉄杭を投げ放つ。

跳躍するも避けきれなかった鉄杭がガラスの馬の足を射抜き、煌びやかな破片を残して消滅した。すかさず、マリーは新たな馬を呼び出してそちらに乗り換え、踵を返して竜の魔女に突撃、その蹄で旗の柄ごと彼女を踏み潰さんとする。

避けられぬと悟った黒いジャンヌは炎を放ってこちらの勢いを殺ぎ、広げた旗を闘牛士のマントのように翻して攻撃を受け流す。

その瞬間を見計らったかのように振り下ろされた邪竜の尻尾が地面に叩きつけられ、マリーは衝撃と飛び散る瓦礫でバランスを崩した。

 

「しまっ―――!」

 

「そこっ!」

 

大振りな一撃がガラスの馬ごとマリーを薙ぎ払い、宙を舞った小さな肢体が水晶の壁に叩きつけられる。

続けざまに鉄杭が虚空に出現し、串刺しにせんて降り注ぐそれを転がって避ける。

すると今度は進路を塞ぐかのようにファヴニールの足が大地を踏み抜いた。

 

「さあ、汝の道は既に途絶えた」

 

マリーの悲鳴が魔女の炎でかき消される。

見るも無残に焼かれた手足が糸の切れた人形のように転がっているのが見えた。

お菓子を摘み、髪の毛を弄り、我が子を抱いた白い腕が真っ黒にすすけている。

足にも力が入らず、朦朧とする意識が眼前の邪竜を捉える。

『愛すべき輝きは永遠に』(クリスタル・パレス)の効果で辛うじて命は繋がっているが、これ以上は戦えそうにない。

ここまでなのかとマリーは悔しさで胸がいっぱいになった。

 

「さあ、愚かな王妃を焼いてしまえ、ファヴニール!」

 

残酷な魔女の命が下され、邪竜の喉に魔力が込められていく。

あれを受ければ、きっと破片も残らずに焼き尽くされるだろう。

首をはねられるのとどちらが苦しいだろうかと、マリーはつい場違いな疑問を抱いてしまう。

そんな馬鹿な事を考えてしまうほど朦朧としているからなのだろう。

視界の端に見覚えのある2人の姿を見ても、マリーはそれが幻ではないかと己を疑うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「令呪を以て命じる。キャスター、宝具を使って彼女を守れ!」

 

右手から一画の令呪が消え、アナスタシアへ送られる魔力量が増大する。

邪竜の炎の前に躍り出たアナスタシアは手にしたヴィイを掲げ、高らかに2つの真名を宣言した。

 

「―――『残光、忌まわしき血の城塞』(スーメルキ・クレムリ)―――『疾走・精霊眼球』(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)!」

 

水晶の庭園を塗りつぶすように出現した北国の城塞。

更に精霊ヴィイが起こした吹雪がファヴニールのブレスの勢いを殺ぎ、マリーへの直撃を防ぐ。

 

「ぅっ―――マスター、いそ・・・いで・・・・」

 

アナスタシアが苦し気に息を漏らす。

幻想種のブレスなど、本来ならば英霊であっても容易に受け止められるものではない。

絶対零度の氷雪すらも溶かし尽くし、城塞が炎に焼かれて融解を始めていく。

 

「マリー、無事か!」

 

炎の隙間を滑り込み、マリーを抱きかかえて治癒魔術を施す。

かなり危ういが、彼女自身が守りに特化したサーヴァントであったことが幸いした。

適切な治療を行えば、十分に助かる見込みはある。

 

「アナスタシア? カドックさんも・・・どうして・・・・」

 

「君を見捨てられなかった」

 

自分はギリギリまで見捨てるつもりだった。

それが正しい選択なのかと疑問を抱くことはあっても、実利を取る人間のつもりだった。

冷静に必要な犠牲を許容する魔術師のつもりだった。

けれど、彼女は違う。

アナスタシアは違うのだ。

彼女は冷酷な魔術師ではない。

友達を助けたいという至極、当たり前の願いを初めて彼女は口にした。

だから、今だけは魔術師カドック・ゼムルプスとしてではなく、アナスタシアのマスターとしてここに立っている。

 

「マリー・・・私は、あなたのようにもジャンヌのようにもなれない。けど―――けれど、それでもきっと、同じ立場になったら、私もロシアを守りたいと思うの。だって、あそこは私の家族が―――お父様とお母さま、お姉さま達が愛した国なのですから。どんなに憎くても、私の故郷だから―――」

 

炎が一層、強くなる。

カドックの右手が熱くなり、更にもう一画、令呪が失われた。

それでも足りない。

城塞は辛うじて原型を留めているが、今にも崩れてしまいそうだ。

打つ手がない。

残る令呪は後一画。

この一画で反撃する事は不可能だ。

せいぜい、自分達の生を数分引き延ばすだけ。

ただの魔術師である自分では、幻想種相手にできることなど何もない。

 

「アナ――」

 

「来ないで!」

 

城塞の一部が割れて炎が入り込み、アナスタシアの冷気が壁となって自分とマリーを守る。しかし、宝具の発動に集中しているアナスタシアを守るものはなく、彼女のか細い体が炎で少しずつ焼かれていくのを見ていることしかできない。

カドックの脳裏に、冬木の大空洞でアーサー王と戦った時の光景がフラッシュバックした。

あの時と同じ。いや、それ以上の絶望が彼女を屠らんと牙を剥いている。

恐怖で手が震えた。

何もできないことへの恐怖ではない。

彼女が失われることに恐怖した。

彼女は戦うための力であり、共に人理修復の旅を歩むパートナーであり、凡人である自分を最初に認めてくれた人だった。

諦めたくないと叫んだ自分を受け入れて、力を貸してくれた愚かな女だった。

だから、他の何を犠牲にしたとしても、彼女だけは失ってはならない。

 

「・・・だれ・・・っか・・」

 

噛み締めた唇から言葉が漏れる。

助けて欲しい。

誰か自分達を、彼女の事を、アナスタシアを助けて欲しいと。

凝り固まったプライドなどどうでもよかった。

臆面もなく、恥も外聞も捨て去って、心の底からの叫びを上げたい。

それでもちっぽけな自尊心が邪魔をして、言葉が声にならない。

けれども、彼にとってはそれで充分だった。

 

「君の願い、確かに聞き届けた」

 

剣閃が炎を切り裂いた。

一拍遅れて魔力の爆発が大気を震わせ、崩れ落ちた城塞の向こうに灰色の騎士が着地する。

その姿を認めた邪竜が咆哮を上げ、竜の魔女が忌々しそうに睨みつける。

そして、心が折れかけたカドックの目にはこの上なく頼もしい戦士の背中が映っていた。

 

「その願いを以て我が肉体に命ずる―――邪竜、滅ぶべし!」

 

大剣を構え、竜殺しの英雄はここに復活した。




『残光、忌まわしき血の城塞』(スーメルキ・クレムリ)はパリンと割れるバリアみたいになってきたな。
前回のバーサーカーも正攻法じゃ倒せなかったし。

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