Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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邪竜百年戦争オルレアン 第9節

監獄城。

竜の魔女が根城とするその城は人々からそう恐れられていた。

造りそのものはこの時代に即したものだが、城内はむせ返るような血と臓物の匂いで溢れ返っており、壁も床もそこで行われたであろう惨劇の跡があちこちに残されていた。

視界を埋め尽くし深紅のマーブル模様。

年代物の調度品は赤黒く染まり、照明が消えたまま放置された廊下の先には人であったものがいくつも転がっている。

竜の魔女の軍勢に捉えられ、拷問の末に殺された犠牲者達の骸。街人や貴族も混じっているが、大部分は聖職者のようだ。

故にここは監獄城。

ジャンヌ・ダルクという魔女を聖女に祀り上げてしまった罪人を裁く処刑場なのだ。

 

「おやおや、久しぶりですな」

 

立ち塞がる魔獣やシャドウサーヴァントを叩きのめしながら進むカドック達の前に、黒いローブを纏った男が姿を現す。

生気を失った肌、捻じ曲がった背中、飛び出した双眸。

合戦の場から竜の魔女を連れ去ったジル・ド・レェだ。

 

「ジル・・・!」

 

「ファヴニールを倒された時点でもしやとは思いましたが、ここまで乗り込んでくるとは―――正直に申し上げまして、感服致しました」

 

柔和な笑みを浮かべながら、ジルは語る。

久しぶりに再会した友人と親睦を深めるかのような、優しく友好的な声音。

しかし、この場にいる誰もが警戒を解くことはなかった。

聖人のような笑みに反して、彼の体には死の匂いが染みつき過ぎている。

その危険性を物語るかのように、ジルは突然、表情を一変させて狂ったように怒りを露にした。

 

「ああ、聖女よ! そしてその仲間たちよ! 何故、私の邪魔をする!?」

 

元々、飛び出していた眼は焦点が定まらないまま膨れ上がり、眉間には皺が刻まれ、剥きだされた歯は噛み砕かんとしているかのように力が込められている。

先ほどまでの友好的な態度は瞬く間に消え去り、憤怒の炎を燃やす復讐鬼がそこに立っていた。

 

「私の世界に土足で入り込み、あらゆるモノを踏みにじり、あまつさえジャンヌ・ダルクを殺そうとするなど!」

 

「―――その点に関して、私は一つ質問があるのです、ジル・ド・レェ。彼女は本当にジャンヌ(わたし)なのですか?」

 

それはこの旅で度々、ジャンヌが口にしていた疑問だった。

自分と瓜二つの竜の魔女。なのに、ジャンヌには彼女が抱く憤怒も憎悪も心当たりがない。

世界中の誰もが思っている。

救世主と祀り上げられ、魔女として断罪され、後に聖人として列聖された。

余りにも身勝手な言い分。

同胞から裏切られ、神の使徒達から糾弾され、凄惨な異端審問の末に処刑された。

後に如何ほどの賞賛を受けようと、その怒りは抱いて当然の権利である。

なのに、当の本人は思い当たる節がないというのだ。

 

「何と、何と何と何と許せぬ暴言! 聖女とて怒りを抱きましょう、聖女とて絶望しましょう! あれは確かに紛れもないジャンヌ・ダルク。その秘めたる闇の側面そのもの! 貴女はそれを否定なさると言うのですか!?」

 

懐から一冊の本が取り出される。

苦悶の表情を浮かべる人の顔があしらわれた革表紙。

悪趣味な装丁からは尋常ならない気配が漂っており、それを目にした瞬間、その場にいた何人かは吐き気を覚えて口を押えた。

あれは間違いなくジル・ド・レェの宝具。

だが、決して人が触れて良いものではないと直感が告げている。

例えそれが持ち主であるジル本人であったとしても、開けてはならない禁断の扉のはずだ。

 

「ジャンヌ、例え貴女といえども、その邪魔はさせませんぞ! 盟友プレラーティよ、我に力を!」

 

開かれた魔本『螺湮城教本』(プレラーティーズ・スペルブック)から膨大な魔力が溢れだし、城内に次々と異形の華が咲く。

あの蛸のようなヒトデのような触腕だけの異形の生物。

どうやらジルの宝具によって召喚された魔獣だったようだ。

その数は瞬く間に通路を埋め尽くし、こちらの進軍を阻む壁となる。

触腕は切り裂いても叩き潰しても即座に再生し、千切れた肉片も膨れ上がって新たな触腕を形成。

やがては壁や天井にも張り付いて強酸の体液を吐き出したり、触腕に棘を生やすなどしてこちらに攻撃を加えてくる。

 

「清姫、頼むよ!」

 

「わかりました、マスター」

 

「キャスター!」

 

「ええ、死に惑いなさい」

 

清姫の炎が触腕を焼き払い、その穴を埋めんと群がる軍勢をアナスタシアの冷気が抑えつける。

僅かに開いた突破口をジャンヌが、マシュが、エリザベートが駆け抜け、各々の得物が黒の魔術師へと襲い掛かった。

 

「ぬうっ!?」

 

繰り出された三連撃をジルは紙一重でかわし、触腕を身代わりにし、大きく後方へとジャンプする。

すると、際限なく増え続けていた触腕の動きが僅かに鈍くなった。

攻撃に晒されたことで術の使役に綻びができたようだ。

ジル・ド・レェは生前にこれといった魔術の逸話を持たないので魔術師のサーヴァントとして召喚されていることは意外だったが、どうやらイレギュラー故に魔術の扱いが素人も同然のようだ。

人並みの使い手ならば、この程度の動揺で術式を緩めたりはしない。

 

「このサーヴァントは我々が抑えます。マスター達は先へ!」

 

「そうね、ラスボスとの決着をつけてきなさい!」

 

清姫が行く手を阻まんとする触腕を焼き払い、その渦中に飛び込んだエリザベートが槍を振るって触腕達が群がるのを押し留める。

不安は残るが、ここで時間を取られていては竜の魔女が復活し、新たなサーヴァントを呼ばれる危険性もある。

幸いにもキャスターのジルは肉弾戦が苦手のようなので、触腕にさえ気を付ければ何とかなるかもしれない。

 

「ジャンヌさん!」

 

「急ぎましょう」

 

「はい。お二人とも、ありがとうございます」

 

マシュとアナスタシアに促され、ジャンヌ達は駆ける。

そうはさせまいとジルは悲鳴染みた怨嗟の声を上げて新たな触腕を呼び出すが、それは清姫とエリザベートの2人によって阻止されたようで、

背後から地団駄を踏むジルの野太い叫びが聞こえてきた。

そして、いくつかの角を曲がり、扉を潜った先でとうとう、彼らは竜の魔女と対面した。

傷の治療をしていたのか、半壊していた上半身の鎧は外されている。

足下にはサーヴァントの召喚に使用したと思われる召喚陣。カルデアの探知によれば、新たなサーヴァントが呼ばれた気配はないらしい。

つまりはチェックメイト。

彼女の力が如何に強大であったとしても、この人数を相手取ることはできないだろう。

 

「思っていたより早かったですね。ジルは―――まだ生きているようね。あの2人に足止めされているのかしら?」

 

酷薄な笑みを浮かべながら、漆黒の旗を手にヨロヨロと立ち上がる。

最早、戦う余力など残っていないであろうに、彼女の闘志は微塵も衰えない。

何かに突き動かされるかのように、竜の魔女はどす黒い憎悪を目の前の聖女に向ける。

 

「やるっていうなら相手になるわよ」

 

「貴女に伝えるべきことを伝えろと、マリーに言われました」

 

身を焼かれると錯覚してしまうほどの凝視を真正面から受け止め、ジャンヌはもう1人の自分に向き直る。

いったい、何を言わんとしているのか、毅然とした彼女の表情には僅かな憐みが込められているように感じられた。

 

「それで私も一つだけ、伺いたい事がありました」

 

「今更、問いかけなど―――」

 

「極めて簡単な問いかけです。貴女は、自分の家族を覚えていますか?」

 

一瞬、質問の意味を理解できなかった。

この土壇場において、この人はいったい何を言い出したのか?

マシュは意図が読めないと思わずジャンヌに聞き返し、アナスタシアも同調するように視線を向けている。

自分も隣の凡骨も同じだ。

そして、何よりも驚いたのが、その質問を投げかけられた竜の魔女―――もう1人のジャンヌ・ダルク―――が言葉を失い、その言葉に答えることも無視することもできずに茫然と立ち尽くす姿だった。

 

「・・・・な、何を言っているの?」

 

絞り出した言葉は、まるで世界の終りを恐れるかのように震えていた。

 

「ですから、簡単な問いかけだと申し上げたはず」

 

戦場の記憶がどれほど強烈であろうとも、それ以上に長い時間をジャンヌ・ダルクはフランスの片田舎で生まれ育ったごく普通の少女として過ごした。

ならば、例え闇の側面であったとしても、あの牧歌的な生活を忘れられるはずがない。

忘れられないからこそ、裏切りや憎悪に絶望し、嘆き、憤怒したはずだとジャンヌは言う。

しかし、竜の魔女は答えられない。

何故なら、その大切なはずの記憶がごっそりと頭から抜け落ちているからだ。

 

「私・・・は・・・」

 

「記憶がないのですね?」

 

「そ、それがどうした! 記憶があろうがなかろうが、私がジャンヌ・ダルクである事に変わりはない!」

 

竜の魔女の表情が読み取れない。

暗く、黒く、怒りと憎悪で歪に歪んだ顔からは人としての何かが欠落していた。

フランスへの復讐を語っていた時とは違う、触れた瞬間に弾けてしまいそうな強烈な感情の渦が大気を震わせ、対峙しているジャンヌへと注がれた。

 

「確かにその通りです。貴女に記憶があろうがなかろうが関係はない。けれど、これで決めました。私は怒りではなく哀れみを以て竜の魔女を倒します」

 

その言葉が決定的だった。

弱々しかった竜の魔女の魔力が沸騰するように膨れ上がり、何もない空間にいくつもの火花が飛び散る。続けて噴出した紅蓮の炎は床も壁も手当たり次第に焼き焦がし、まるで生きているかのように渦を巻いた。

視線の先にいるのは自分に哀れみを向けるもう1人の自分。

全存在を否定せんとばかりの凝視が救国の聖女へと向けられる。

 

「認めない、それだけは絶対に。どうして怒らない、何故恨まない! お前にはその権利がある! この国を、神を、この私にすらもその気持ちをぶつけない!? ああ―――そんなことは許せない。お前にだけは、そんな言葉は言わせない!」

 

でなければ、竜の魔女()(ジャンヌ・ダルク)でいられないと、黒い少女は訴えた。

そんな同族嫌悪とも違うどす黒い情念が込められた旗を、ジャンヌは真っ向から迎え撃った。

救国の旗を振りかぶり、振り下ろされた竜の旗の柄ごともう1人の自分(竜の魔女)の肋骨を叩き砕く。

折れた旗は宙を舞い、先ほどの魔力の爆発で起きた炎の中へと落下した。

 

「な・・・に・・・」

 

信じられないものを見るかのように、竜の魔女は膝を着く。

 

「馬鹿な・・・私は聖杯を所有している。聖杯を持つ者に敗北はない。そのはずなのに・・・・」

 

ふらふらと、少女の体がよろめいた。

先ほどの一撃は確実に彼女の霊核まで届いていた。

ここまでの戦いと最後に限界を超えた魔力の活性を起こした反動もあり、彼女は直に消滅するだろう。

 

「おお、ジャンヌ! ジャンヌよ! 何という痛ましいお姿に!」

 

背後から耳を裂くような金切り音が突き刺さる。

振り返ると、宝具である魔導書を携えたジル・ド・レェが立っていた。

エリザベート達は倒されたのか振り切られたのかはわからないが、その痛々しい姿からは壮絶な死闘が繰り広げられたことは想像に難くない。

彼はまるでこちらの存在が見えていないかのように脇目も振らず広間を突っ切り、倒れ伏した竜の魔女を抱きかかえた。

 

「このジル・ド・レェが参ったからにはもう安心ですぞ。さあ、後のことは任せて安心してお眠りなさい」

 

「ジル、私は―――私はいったい誰なの?」

 

「あなたは我が聖処女(ジャンヌ・ダルク)です。例え(他の誰か)が否定しようと、私があなた(竜の魔女)を認めましょう」

 

今にも崩れ落ちて消えてしまいそうな弱々しい少女を、ジルは我が子を諭すかのように慰める。

その言葉に安心したのか、竜の魔女は普段の酷薄な笑みをもう一度浮かべようと頬を引きつらせながら、自分を抱き抱えるジルの顔を見上げる。

 

「そう、そうよね。貴方がそう言うのなら・・・」

 

「瞼を閉じ、お眠りなさい。目覚めた時には私が全て終わらせています」

 

「ええ、貴方が戦ってくれるなら安心して・・・」

 

その言葉を最後に、黒い聖女は粒子となって消滅した。

後に残されたのは見覚えのある水晶体。

冬木でアーサー王が所持し、レフ・ライノールが持ち去った聖杯だ。

それが消滅した竜の魔女の代わりに姿を現し、ジルの手に収まっている。

 

「やはり、そうだったのですね」

 

これで全てに納得がいったと、ジャンヌは言う。

ジルも聖杯を懐にしまうと、柔和な笑みを浮かべて彼女の言葉に応えた。

 

「勘の鋭い御方だ」

 

ああ、それは何て哀しい所業なのだろう。

ここに至ってカドックはこのフランスで起きた―――否、この特異点で最初に起きた悲劇に思い至った。

あの竜の魔女はジャンヌの別側面(オルタ)ではない。

ジャンヌ・ダルクは人間を愛し、自分を裏切ったかつての同胞を恨むことも啓示を下した己の神を憎むこともなかった。

故郷の片田舎で過ごした代え難い十数年と、国を救うために戦った激動の2年間。

そのどちらが欠けても英雄ジャンヌ・ダルクは生まれず、竜の魔女のような歪な存在はありえないのだ。

だから、竜の魔女(ジャンヌ・オルタ)という存在は英霊の座には存在しないのだ。

では、あの強力な力はどうやって手に入れたのか。

それは即ち―――。

 

「その通り、竜の魔女こそが我が願い、即ち聖杯そのものです」

 

ジル・ド・レェの淡々とした声が逆に恐怖を誘う。

 

「貴方は―――ジャンヌ・ダルク(わたし)を作ったのですね、聖杯の力で」

 

「私は貴女を蘇らせようと願ったのです。心から、心底から願ったのですよ。当然でしょう? 

しかし、それは聖杯に拒絶されました。万能の願望器でありながら、それだけは叶えられないと!」

 

きっと彼は心の底で望んでしまったのだろう。

フランスを滅ぼし、神を貶め、世界に復讐する竜の魔女としてのジャンヌ・ダルクを。

もしも彼女に人並みの人間性(感情)があればこのようなことは起きなかったであろうが、皮肉にもジャンヌ・ダルクはその高潔な魂故に聖人へと列聖された。

だから、聖杯は彼が望むジャンヌ(魔女)を蘇らせることができなかった。

それを知った時のジル・ド・レェの絶望はとても言葉では言い表せないであろう。

恐らくは世界中の誰よりもジャンヌ・ダルクのことを敬い、愛し、忠節を誓っていながら、彼だけは彼女を蘇らせることができないのだから。

その心から故国への憎しみと神への怒りを捨てない限り、己の願望に手が届かないのだから。

 

「私の願望に貴女以外などない。だから、新しく創造した! 私が信じる聖女を! 私が焦がれた貴女を! そうして造り上げたのです! ジャンヌ・ダルク―――竜の魔女を、聖杯そのもので!」

 

度々感じていた違和感の正体はそれだった。

竜の魔女はジルが思い描くジャンヌそのもの。

彼女ならばこう考え、こう思っていたはずだという願望の結晶。

だが、それはあくまでジルの思いであり、彼女自身が体験し実感したことではない。

記憶がないのも当然だ。何しろ、ジルはジャンヌの過去を話に聞いた程度にしか知らないのだから。

それどころか度々語っていた故国への憎悪ですら彼女自身のものではなく、どれほど苛烈で強い言葉も実感が伴わないので説得力を持たず、故に心に響かない。

そして、竜の魔女は最後までその真実に気づくことなく消滅した。

 

「ジル。もし、私を蘇らせることができたとしても、私は「竜の魔女」になど決してなりませんでしたよ」

 

確かに裏切られ、多くの人々から嘲笑され、無念の最期を迎えたかもしれない。

しかし、この国には愛する家族と友人、何よりも共に戦った仲間達がいた。

同じ夢を抱き、自分が亡き後を託すことができる同士がいた。

だから、彼女は決して故国を恨むことはなかったであろう。

 

「お優しい。あまりにお優しいその言葉。しかし、ジャンヌ。その優しさ故に貴女は一つ忘れておりますぞ。例え、貴方が祖国を憎まずとも――」

 

穏やかだったジルの顔が見る見るうちに歪んでいく。

崇拝する聖女に向けて、最大の理解者はあらん限りの感情を込めて吐き捨てた。

 

「私はこの国を憎んだのだ」

 

それは聖女を裏切った故国への恨みか。

彼女に啓示を下してその人生を翻弄した神への憎しみか。

はたまた少女1人すら救えなかった自分への怒りか。

或いはこれほどの思いを向けてなお、全てを許さんとするジャンヌへの、言葉に言い表せない負の感情か。

 

「貴女は赦すだろう。しかし、私は赦さない! 神とて王とて国家とて滅ぼしてみせる。殺してみせる。それが聖杯に託した我が願望! 我が道を阻むな、ジャンヌ・ダルクゥゥゥッ!!」

 

掲げられた魔導書から再び魔力が発せられる。

呼び出されたのは触腕の怪物。しかし、先ほどまでの比ではない。

部屋全体を覆いつくすほどの触腕が寄り集まり、ジルの体を包み込んでいく。

瘤と棘で覆われた表皮は至る所に瞼が開き、夜よりもなお暗い眼光がこちらを睨む。

全長数メートルに及ぶ巨大海魔だ。

 

「そうですね、貴方が恨むのは道理で、聖杯で力を得た貴方が国を滅ぼそうとするのも悲しいくらい道理だ。そして私は―――それを止める。聖杯戦争における裁定者、ルーラーとして貴方の道を阻みます。ジル・ド・レェ!」

 

「ならば貴女は私の敵だ。決着をつけよう、救国の聖女ジャンヌ・ダルク!」

 

「望むところ!」

 

振り下ろされた触手をジャンヌは軽やかにかわし、旗の穂先で固い表皮を切り裂く。

紫色の腐臭がする血液が弧を描くが、噴き出した傷口は瞬く間に塞がってそこから新たな触腕が生えてくる。

小さな触腕の異形と同じく、半端な物理攻撃では通用しないようだ。

 

「マスター、聖杯を確認したわ。世界を救いたいのなら覚悟を決めなさい。

そして、どうか友達(マリーとジャンヌ)のために私とヴィイに全力出させて」

 

「ああ。これが最後の戦いだ」

 

向かってくる触手の群れをマシュとジャンヌが払い除け、その隙にアナスタシアが冷気を操って攻撃する。

氷塊が降り注ぎ、吹雪が舞い、醜い肉の塊が直接冷気で凍り付く。

そうして動かなくなった触腕を前衛の2人が叩き割って粉々に砕き、海魔の内側からジルを引きずりださんとする。

しかし、巨大海魔の再生力はこちらの予想を遥かに上回っていた。

凍らされた端から新たな肉の芽が芽吹き、本体と結合して傷口を塞いでしまう。

そうして、時間が経つにつれてその巨体は十数メートルにまで膨れ上がってしまった。

余りに大きくなり過ぎたため、広間の天井を突き破り、砕けた天井の瓦礫が音を立てて崩れ落ちる。

 

「フフフハハハハハ!! アーハハハハハハハハハハ!!」

 

狂ったようなジルの哄笑が海魔の内側から聞こえてくる。

傷つけても傷つけても表面を軽く撫でるだけで、逆に再生と成長が促されてこちらを攻撃する触手が増えていく一方だ。

更にその巨体は動くこともできるようで、ゆっくりとではあるこちらに迫ってくる様は異様な圧迫感がある。

また表面のいくつもの目は幻惑の効果を持っているのか、うっかり見てしまった時は吐き気と恐怖で身が震えるほどだ。

 

「危ないマシュ、下がるんだ」

 

「キャスター、フォローを!」

 

頭上からの触手の雨を凍らせ、その隙にマシュが後方へ下がってマスターからの治療を受ける。

盾のおかげで致命傷は受けていないが、3人の中では最もダメージが大きい。

ジャンヌは果敢に切りかかっているが、傷つけた部分が無意味に膨らんだだけに終わっている。

アナスタシアもダメージこそ少ないが、2人のフォローに手一杯だ。

 

「ジャンヌゥゥ!」

 

「くっ、このっ!」

 

ジャンヌは旗を巧みに回して触手の攻撃を避け、横っ飛びに跳んで海魔の側面から再び切りかかる。

刹那、表皮が弾けるように膨らんで新たな触手へと変化し、ジャンヌを拘束する。

人外の怪力が聖女の四肢を引き千切らんと力を込め、ジャンヌの口から苦悶の声が上がった。

滴り落ちる粘液は毒性でも帯びているのか、巻き付いた箇所から煙も上がっている。

 

「ジャンヌ!」

 

無数の氷柱が触手を切り裂き、弱った拘束をジャンヌは力尽くで引き千切る。

再び旗を振るって触腕を裂き、大きな眼球を突き刺すが、やはり大したダメージにはならずジルの哄笑が大きくなるばかりだった。

こいつを倒すには操っているジルをピンポイントで攻撃するか、大出力の攻撃で諸共に吹き飛ばすしかない。

そして、それができる者はここには1人しかいなかった。

 

「皆さん、マシュの後ろに。宝具を使います」

 

「それって・・・」

 

「ダメよジャンヌ、あの宝具は!」

 

『紅蓮の聖女』(ラ・ピュセル)

ジャンヌ・ダルクが迎えた最期を攻撃的に解釈した概念結晶武装。

現出した紅蓮の炎はジャンヌが打ち砕くべきと思ったものを焼き尽くし、その代償として彼女の命は潰える。

確かにこの特攻宝具ならばあの海魔の再生力を上回る威力で攻撃できるかもしれない。

しかし、もしも殺し切れなかった時はどうなるか。

仲間の犠牲に加えてより強大に膨れ上がった海魔と戦わねばならないという絶望。

それは確実にこちらの心を折るだろう。

ジャンヌ・ダルクはこちらの精神的な支柱だ。

折れる事も欠ける事も許されない。

何よりも、命を差し出さねばならないという理不尽が納得できなかった。

 

「けど、もうこれしかありません」

 

「いいえ、炎ならこっちにもあるわ!」

 

群れを成して覆い被さらんとしてきた触腕を、飛来した火球が撃ち落とす。

見上げると、エリザベートに抱えられて空を飛ぶ清姫の姿があった。

 

「清姫、エリザベート!?」

 

「申し訳ありません、マスター。ジル・ド・レェを取り逃がしてしまいました」

 

「よくも私達をぐちゃぐちゃのネトネトにしてくれたわね! 清姫、やっちゃいなさい!」

 

そう言ってエリザベートは勢いよく清姫を投げ飛ばした。

すると、錐もみ回転しながら宙を舞う少女の体が見る見るうちに巨大な蛇へと姿を変え、その大きな口から凄まじい勢いで炎が吐き出される。

清姫の宝具、愛する僧侶安珍に裏切られた憎しみの情念を以て肉体を変化させる『転身化生三昧』。

限定的とはいえ幻想種の力を行使できるこの宝具の火力ならば、さしもの無限の再生力を持つ海魔の肉体もたちどころに炭化し、崩れ去っていく。

堪らず海魔は清姫を締め上げんと四方から触手を伸ばすが、それは飛翔するエリザベートとアナスタシアの冷気によって防がれてしまう。

 

「ならばならばならばぁっ! これならどうかぁぁっ!!」

 

焼け焦げた海魔の体がブルっと震えたかと思うと、その内側からより巨大な異形が姿を現した。

聖杯の力を使って、強引に巨大海魔を再召喚したのだ。

その巨体は最早、数十メートルにも達しようとしており、突き破られた天井からは明るい日差しが差し込んでいる。

 

「こうなれば私でも手がつけられません。この海魔があなた方を倒し、我が魂が尽きるまでフランスの悉くを滅ぼすでしょう。さあ、絶望し堪能なさい。最高のCOOOOOOOOOOOOOOOLをっ!!!」

 

清姫の情念すらも上回るジルの妄執が、周囲のものを手当たり次第に破壊していく。

彼の言う通り、巨大海魔はジルの制御を放れてしまったようだ。

先ほどまでは通じていた清姫の炎も半ばまで焼き焦がした辺りで再生されてしまい、海魔を殺し切ることができない。

巨大な触腕が大蛇と化した清姫を殴り飛ばし、触手の群れがエリザベートの巻き付く。

そして、次なる矛先は目障りな2人のマスターへと向けられた。

 

「マスター、下がって!」

 

「違う、それは囮だキャスター!」

 

カドックが狙われると思って後方に下がったアナスタシアの隙を突き、無数の触手が黒髪の少年へと迫る。

無論、それを許すマシュ・キリエライトではない。

戦いへの恐怖を押し殺し、己がマスターを守るためにか細い腕で盾を構える。

まずい。

マシュの守りは鉄壁かもしれない。

だが、あれだけの質量に押し潰されてしまえば、盾は無事でもそれを受け止めるマシュの身がもたない。

 

「礼装起動、間に合え!!」

 

マシュのマスターが何かしらの魔術を行使した直後、マシュの体が触手に飲み込まれる。

何かを咀嚼するような音が嫌悪感を募らせ、少年が茫然と自分のサーヴァントがいた場所を見下ろした。

それは余りに危険だ。

触手はマシュを飲み込んだだけでは飽き足らず、その背後にいたマスターをも葬らんと牙を剥けているのだ。

 

「令呪を以て命ずる。キャスター、あいつを守れ!」

 

最期の令呪が消え、少年に迫る触手の群れが結晶化して消滅する。

すかさずカドックは飛び出すと、驚愕している少年の腕を引いてジャンヌの後ろまで下がった。

 

「ごめん、カドック」

 

「いいからそのまま隠れてろ。後は僕達で何とかする」

 

一拍遅れてアナスタシアが追い付くが、途中で攻撃を受けたのか肩と足から出血をしていた。

治療をしたいところだが、この状況ではそれは敵わない。

せめて、令呪が残っていれば体力を全快することもできたのだが。

 

「仲間を守るために最後の令呪を使いましたか? それは愚策というものですよ、魔術師の少年。ジャンヌかそこの蛇娘の宝具を強化すれば、或いはこの海魔を焼き殺せるかもしれないというのに。そして、そちらのマスターはサーヴァントが消えたことで令呪も消えたはず。最早、あなた方に打つ手はない!」

 

爆発するかのように触腕が震え、エリザベートと清姫の悲鳴が唱和する。

このまま2人を絞め殺すつもりのようだ。

更に新たな触手の群れが生み出され、まるで鞭か何かのようにジャンヌへと襲いかかる。

ジャンヌならば辛うじて避けられるスピードだが、そんなことをすれば背後の3人に被害が及ぶ。

マシュが消え、アナスタシアも消耗が激しく、この攻撃を防ぐことができるのはジャンヌだけだ。

 

「我が旗よ、我が同胞を守り守りたまえ! 『我が神はここにありて』(リュミノジテ・エテルネッル)!」

 

掲げられた旗が煌めき、向かってくる触手の鞭を弾き返す。

ジャンヌ自身の強固な信仰心が昇華された『我が神はここにありて』(リュミノジテ・エテルネッル)は、彼女の持つ対魔力を極限にまで高めてこの世のあらゆる攻撃から身を守る。

物理的にも霊的にも彼女の体を傷つけることができるものはいない。

しかし、それにも限度がある。

宝具で受け止めたダメージは旗へと蓄積されていき、限界が訪れれば旗が折れてその効力は失われる。

加えて発動中は反撃も回避もできないため、ジャンヌは仲間を守るためにジルの攻撃を受け続ける他なかった。

 

「フフフハハハハッ!! さあ堕ちよ、ジャンヌ・ダルクぅっ!!」

 

ジルの狂ったような叫びが木霊し、ジャンヌが掲げる旗の柄が軋みを上げる。

このままでは宝具が破られ、この場にいる全員がマシュと同じようにあの触手に飲み込まれてしまう。

 

「させないっての!!」

 

鈍い音が響き、漆黒の槍が床目がけて投擲される。

その先端に飛び降りたのはエリザベートだ。

辛そうに肩を押さえているが、まさか拘束から脱するために自分の肩を無理やり外したのか?

 

「これくらいの痛みが何よ! 好き放題してくれた礼はさせてもらうわ! サーヴァント界最大のヒットナンバーでね!」

 

エリザベートの背後に巨大な城の幻影が出現する。

彼女がその生涯に渡って君臨した居城。

監獄城チェイテ。

だが、その威容はどこか歪だ。

壁には巨大なスピーカーが取り付けられており、槍の上に立つエリザベートを讃えるようにスポットライトが当たる。

演出なのかスモークまで焚かれており、悲鳴とも嬌声とも取れる不気味なコールがどこからか聞こえてくる。

あれはアンプだ。

彼女の歌を最大限にまでサポートする地獄の宝具だ。

その名を―――。

 

『鮮血魔嬢』(バートリ・エルジェーベト)!」

 

チェイテ城のアンプを通してエリザベートの歌が拡大され、音速のドラゴンブレスとなって巨大海魔を押し留める。

倒すには至らないが、彼女自身の竜の因子が活性化したことでその身の三分の一ほどを抉るほどの威力がある。

だが、それ以上に凄まじいのがその歌声だ。

歌といったがあれは断じて音楽ではない。

元々、美しい声音の持ち主だった。

サイケデリックな歌詞は好みの問題だ。

致命的なのは音程だ。

手抜き工事で今にも踏み抜けそうな階段もかくやというほどのガタガタな旋律は、彼女の美しい声の魅力を台無しにしていた。

耳を傾けていると、巨大海魔の眼を見た時と同じくらいの頭痛と吐き気を覚えてしまう。

しかし、これはチャンスだ。

このまま一気に押し切らなければもう逆転の機会はない。

 

「清姫、もうひと頑張りをお願い!」

 

傍らの少年の礼装が起動し、倒れ伏していた清姫の体力を僅かに回復する。

すると、マスター(愛しの安珍様)の言葉を受けた清姫は、再び立ち上がって大蛇へと転じ、最後の力を振り絞った。

吐き出された炎がエリザベートの音波で傷ついた海魔の体を焼き焦がし、崩れ去った肉塊の向こうから海魔と融合しているジルの姿が現れる。

瞬く間に再生していく巨大海魔。

更なる追撃をかけなければ、また再生されてしまう。

 

「キャスター! 残った魔力を持っていけ!」

 

「宝具発動、『疾走・精霊眼球』(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)!」

 

掲げられたヴィイの瞼が開き、閉じつつあった海魔の傷口を凍らせて強引に再生を封じる。

それでも海魔の再生力は凄まじく、凍り付いた箇所を覆い隠すように肉が盛り上がっていった。

だが、ここまでの苛烈な攻めでついに攻撃の手が緩まり、ジャンヌは宝具を解除して反撃に転ずる。

 

「ダメよ、届かないわ!」

 

エリザベートの悲痛な叫びが耳に刺さる。

ジャンヌがジルのもとへ辿り着くよりも傷の再生の方が早い。

だが、他の面々は全力で宝具を使った反動で動くことができない。

後、一撃。

誰でもいいから後、一撃を入れて再生を阻まなければ、ジルを倒すことができない。

 

「一手足りませんでしたな、ジャンヌ!」

 

「いいや、まだ俺達がいる!」

 

少年が、高々と右手を掲げた。

精一杯の虚勢を張り上げ、見せつけられたその甲にはまだ令呪が残されていた。

それが意味することは一つ。

 

「令呪を以て命ずる。マシュ―――ぶん殴れ!!」

 

空間跳躍でジルの目の前に躍り出たマシュが、巨大な盾を振りかぶる。

何が起きたのか、ジルは理解できずに顔を歪ませた。

このデミサーヴァントは倒したはずだと。

確かにマシュは海魔の攻撃に呑まれてしまった。だが、その直前に使われた礼装はしっかりと効果を発揮していたのだ。

彼女のマスターが持参したカルデア支給の礼装には、傷を癒す『応急手当』、一時的にサーヴァントの攻撃力を上げる『瞬間強化』、そして、サーヴァントを敵の攻撃から守るための『緊急回避』の3つの効果が秘められている。

その3番目の効果により、マシュは致命傷をギリギリのところで避ける事ができたのだ。

 

(気づかれないかどうかは賭けだったさ)

 

隙ができるまで隠れていろと、マシュが触手に飲み込まれた直後にカドックは指示を出していた。

2人がボロを出すか、ジルが疑り深ければ早々に露呈していただろう。

だが、マシュはこちらの期待通り完璧に死を偽装し、ジルもジャンヌへの狂気が冷静な思考を奪っていた。

 

「おのれえぇっ、この匹婦めがぁぁっ!!」

 

塞がりつつあった海魔の傷口をマシュの盾が抉り、再びジルの姿が露になる。

直後、飛びかかってきたジャンヌの旗が閃き、宝具である魔導書ごとジルの霊核を引き裂いた。

一瞬の沈黙。

あれほど荒れ狂っていた海魔がピタリと大人しくなり、その末端から少しずつ塵となって消滅していく。

楔となっていた魔導書が破損した事で、現界を維持していた魔力が急速に失われたのだろう。

降り立った聖女は、その肉の檻から消えゆかんとする狂える人を静かに引き離し、その腕で抱き留めた。

喝采はなかった。

ただ静かな、傷だらけの悲しい勝利だけがそこにあった。




長い(笑)

今回で終わると思っていたら予想外に長くなりました。
意外とジルって書くの難しいですね。
こう、狂気の匙加減というか。

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