Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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第二特異点 永続狂気帝国セプテム
永続狂気帝国セプテム 第1節


カドック・ゼムルプスの朝は早い。

アラームが鳴ると同時に起き上がり、寝台の上で数秒ほど微睡ながら少しずつ意識を覚醒させていく。

そのままゆっくりと寝台から降りて顔を洗う頃には完全に眠気も吹っ飛んでいるが、昨日の疲れが残っているのか少しばかり肩が重かったので、凝りを解す様に首をさすりながら電気ケトルのスイッチを入れ、お湯が沸くまでの間、寝台の片づけや乱れた髪の手入れをして過ごした。

後頭部のはねっかえりが気になって没頭してしまい、お湯が沸いたことを示す音が聞こえるとやや焦りながら棚に置いている茶葉を取り出し、メモを片手に分量や温度を計る。

すると、まるで見計らったかのように自室の扉がするりと開き、白いドレスの少女が優雅な仕草で席についた。

生前、侍女に頼ることなく身の回りのことは自分でしてきたとあって、着付けや髪の手入れは完璧だ。

入室から席へつくまでの数歩ですら、思わず見惚れてしまうほど気品に溢れている。

さながら野原に積もった新雪とでも形容すれば良いだろうか?

何にも染まらず、侵し難い聖域は吸い込まれるように美しい。

そんな彼女に寄り添えることは正に至高の喜びであるだろう。

そうなのだろうが―――。

 

「どうして毎日、ここで紅茶を飲むんだ?」

 

不慣れな手つきでカップに紅茶を注ぎながら、カドックは己のサーヴァントに問いかけた。

 

「私と紅茶を飲むのは嫌なの、カドック?」

 

浮かべられた微笑みは平時ならば思わず魅了されてしまうだろうが、朝方の低血圧気味な体調には余り効果はないようで、カドックはため息を一つ吐いて注ぎ終えたティーポットをテーブルの脇へと置く。

気紛れでアナスタシアに紅茶をご馳走してからというもの、彼女は理由をつけては紅茶を求めるようになった。

取り立てて美味いという訳ではない。寧ろ皇女様的には及第点にも達していない拙い味なようで、毎回のようにダメ出しが飛んでくる。

それでもアナスタシアは紅茶を強請り、カドックも彼女が気に入る紅茶を淹れられるようにと練習を重ねる内に、いつしか毎朝の習慣にまでなっていた。

 

「食堂に行った方がもっとおいしい紅茶が飲めるだろう」

 

それこそ、あの赤い弓兵が淹れるお茶ならばアナスタシアも満足できるだろう。

別に悔しくはないが、彼の家事スキルは英霊にしておくには非常に勿体ない。

彼が召喚されてからというもの、カルデアの台所事情は大きく改善された。

 

「それはダメよ、カドック」

 

「どうして? あいつの方が僕よりもずっと上手い」

 

「けど、私はこちらの方が好きよ。あなたが一生懸命淹れてくれたのだから」

 

「っ―――」

 

ああ、どうして彼女はこんなことを言うのだろう。

そんな風に言われると何も反論できない。

近くに鏡があれば、自分が今どんな顔をしているのか見てやりたい。

きっと、トマトかなにかみたいに真っ赤になっているはずだ。

 

「ふふっ、可愛い人」

 

「よしてくれ。そう呼ばれて喜ぶ男はいない」

 

はぐらかす様にそっぽを向いて答える。

まるで子どものようだと心の中で自虐する。

結局、その日の朝も恥ずかしさからロクな会話ができなかった。

 

 

 

 

 

 

管制室で待っていると、マシュがマスターを伴ってやってくる。

カルデア支給の礼装に身を包んだ少年は緊張した面持ちだが、以前に比べれば肩の力も抜けているようだ。

フランスの特異点修復の後も持ち回りで細かな微小特異点の修復などを行い、場数を踏んだことで少しは慣れてきたのだろう。

 

「やあ、おはよう諸君」

 

こちらが揃ったことを認めて、コフィンの調整をしていたロマニが近づいてくる。

やはりというべきか、顔色は優れない。

レフ・ライノールによる爆破工作で多くのスタッフを失い、どこの部署も人手が足らない。

資源の備蓄に関しては年単位での活動を想定していてかなり余裕があるが、それでも外部からの補給を受ける事ができないというのは苦しく、備蓄を切り崩しながらの活動はスタッフに大きな負担を強いる事になっている。

その中でもロマニの負担は他のスタッフの比ではなく、本来の職務である医療業務だけでなく、たった1人でレイシフトの調整やカルデアスの維持、シバのメンテナンスなどを行っている。

フランスの一件がひと段落したことで少しは余裕もできたようだが、それでも無理をしているのは明らかだった。

本人が心配させまいと気を張っているのが余計に辛い。

 

「ドクター・・・」

 

「いや、今日もいい朝だね。うん、絶好のレイシフト日和だ」

 

こちらの言葉を遮り、ロマニはお道化て見せる。

更に助け舟を出すかのように欠伸を噛み殺しながらダ・ヴィンチ(万能の変態)が現れ、こちらの間に割って入る。

 

「ふわーあ。や、おはよう。レイシフトの準備は整っているよぉ」

 

ふらふらと気怠そうに手を振る仕草はとても万能の天才とは思えない。

緊張感の欠片もない言葉にロマニも苦言を呈するが、ダ・ヴィンチはどこ吹く風といった具合だ。

グランドオーダーが始まってからというもの、こういうやり取りをよく見るようになった。

或いは、それに目を向ける余裕が今まではなかっただけなのかもしれないが。

 

「それでドクター、今回の特異点はどこなんですか?」

 

「ああ、今回向かうのは一世紀ヨーロッパだ。より具体的に言うと古代ローマだね」

 

学校の生徒のように挙手をするマシュのマスターの問いに、ロマニは答える。

古代ローマはイタリア半島から始まり、地中海を制した大帝国だ。

その始まりは神話の時代にまで遡ることができ、幾たびの戦争と皇帝の輩出により様々な文化が生まれては消え、その繁栄と滅亡は後の歴史にも多大な影響力を与えている。

正に人類史のターニングポイントと呼ぶに相応しい特異点だろう。

 

「ん、古代ローマ? 何それ楽しそう! ちょっと私も行きたいなー!」

 

「君には解析作業があるだろう。ああ、それと今回の転移地点は帝国首都であるローマを予定している。地理的には前回と近似だと思ってもらって構わない」

 

駄々を捏ねるダ・ヴィンチを押さえながら、後半をこちらに向けてロマニは言う。

存在する聖杯の正確な場所や、歴史に対してどういった変化が起きているのかも不明なのだそうだ。

つまり、今回も足を使って調査することになる。

 

「問題ありません、どちらもわたし達が突き止めます」

 

「うん、その意気だマシュ。実に頼もしい。人類史の存続は君達の双肩にかかっている。どうか、今回も成功させて欲しい。そして、無事に帰ってくるようにね」

 

「はい、必ずカルデアに帰還します」

 

最後の言葉に、マシュは力強く返答する。

ただ命令されたからではない、自分の意志ではっきりと生還することを誓う。

そういえば、以前はこんな風に自分を強く出すような娘ではなかった。

言われたことには黙って従い、余計なことは一切しない大人しい少女だったのに、グランドオーダーを機に少しずつ変わってきているように思える。

 

「彼女、いつからあんな風に?」

 

「え? マシュは最初からあんな感じだったよ」

 

何を言っているんだと、マシュのマスターは首を捻る。

気紛れからの質問だったので、それ以上は深く追及することなく話題を切り上げる。

ただ、何となくマシュを目で追っていると、彼女はマスターと一緒に行動している時がとても充実しているように思えた。

 

「カドック、そろそろ時間だそうよ」

 

「ああ、わかった」

 

アナスタシアに呼ばれ、自分用のコフィンへと向かう。

 

「彼女のことが気になるの?」

 

「いいや、別に。ただ、最近は前と変わってきたたような気がして」

 

「そう? 私にはそう見えないけれど。変わったのはあなたの方じゃなくて?」

 

「僕が?」

 

「さあ、どうでしょうね」

 

悪戯っぽく微笑みながらアナスタシアはコフィンの中へと消える。

結局、この後に聞き返しても彼女は答えてくれず、カドックは釈然としないながらも、その後に続いて自分のコフィンに身を潜らせた。

程なくしてレイシフトが始まり、カドックの意識は深淵へと沈み込んでいった。

 

 

 

 

 

喪失していた感覚が巻き戻るかのように取り戻され、カドックは意識を覚醒する。

2本の足がしっかりと大地を踏みしめ、心地よい風が頬を撫でる。

レイシフトは無事に成功したようだ。

視界一杯に広がる平原。極寒のカルデアでは見られない青い空がそれを物語っている。

そこまで考えて、違和感が彼らを襲った。

自分達は本来、首都ローマに転移するはずだった。

それがどうして、辺りに建物もない平原の真ん中で大自然に囲まれているのか。

 

「アナスタシア?」

 

「ここよ、カドック」

 

霊体化して周囲を探っていたのだろうか、少しだけ声が遠い。

その声からは焦りと緊張が感じ取れた。

 

「そのまま視力を強化して。できるでしょう?」

 

言われるままに魔力を眼球に集中し、指差された方角を凝視すると土煙が上がっているのが見えた。

最初は何かの動物の群れかと思った。何かの動画でバッファローの群れが走る様が丁度、あんな風に見えたからだ。

だが、違った。

その一団は雄叫びを上げながら、手に手に武器を持ってこちらに向かってきていた。

剣を抜く者、槍を構える者、戦車を駆る者、そのどれもが獣のような気迫を携えて大地を蹴る。

反対側を見れば、規模は小さいがそこにも同じように駆けてくる軍団の姿があった。

それと共にどこからか管楽器の嘶きが聞こえてくる。戦場では合戦の開始を知らせるために笛や太鼓を鳴らす習慣が各地に伝わっているが、これはもしかしてその音色なのだろうか。

ならば、自分達は今、戦場の真っただ中にいることになる。

確かにローマ史では幾度となく戦争が繰り広げられていたが、転移予定の時代は特に戦争もない平和な時代であったはず。

 

「カルデア、聞こえるか!? これはどういうことだ!?」

 

呼びかけるが、返事はない。

ファーストオーダーの時と同じだ。

何らかのトラブルでカルデアとの通信が途絶している。

カルデアからアナスタシアへの魔力供給は問題なく行われているので、単なる通信機器の故障だとは思うが、これでは現状の把握もままならない。

ここはどこなのか、マシュ達は無事なのか、何を指針に行動すれば良いのかもわからない。

そして、そうしている間にも一団の先鋒がすぐ近くまで迫ってきていた。

隠れられる場所もなく、このまま何もしなければ両軍の戦闘に巻き込まれてしまう。

ならば選択肢は2つに一つ、どちらかを相手取ってここを切り抜けるしかない。

冷静に考えれば消耗を抑えるために規模が小さい後方の軍団を相手にする方が良いだろう。

ここは特異点だ。何が起ころうとも後の歴史に影響を及ぼすことはない。

だが、カドックがその判断を下すよりも早く、前方から降り注いだ弓の雨が視界を覆いつくした。

 

「なっ!?」

 

「カドック!?」

 

こちらを庇うように実体化したアナスタシアが宝具を展開せんと魔力を込める。

しかし、間に合わない。

彼女は確実に己がマスターを守れる方法を選んだのだろうが、それでは矢の雨の到来まで致命的に間に合わない。

弱き者を守りたければ、例え傷つくことになったとしてもその身を差し出すべきだったのだ。

そう、彼のように。

 

「ハーハッハッハッ!」

 

突如として躍り出た巨大な肉塊が2人の上に覆い被さり、矢の雨を背中で受け止める。

半ば押し倒されるように抱きしめられたことで視界が回り、分厚い胸板越しに無数の矢が肉を抉る音が聞こえてきた。

思わず耳を塞ぎたくなるような生々しい音に、傍らのアナスタシアも表情を歪めていた。

すると乱入者は、こちらを安心させるかのように両腕の力を強くする。

2人の体を抱きしめるその腕は丸太のように太く、鋼のように鍛え上げられ、この上なく頼もしい。

その2本の腕ならば、何にでも手が伸ばせる。

どんな逆境にでも抗える。

そんな錯覚すら覚えてしまうほどの大きな腕だ。

いや、腕だけではない。

乱入者の体は極めて大きく、はち切れんばかりのエネルギーで満ちている。

金色の髪、朗らかな笑顔。そして青白い体は全身の至る所に傷が走っている。

それは反逆の象徴、彼が弱者を守るためにその身を盾としたことで刻まれた無数の勲章なのだ。

 

「迷える少年よ、もう大丈夫だ。怯えるのならば我が背後にあれ」

 

矢の雨が降り止み、男はゆっくりと眼前の軍団に向き直る。

傷だらけのその背中は、とても大きくて頼もしく、それでいて冷酷だ。

まるでここまでついて来れるかと言っているかのように遠く、手を伸ばしても虚しく空を切るばかり。

そう、その男は、筋肉(マッスル)だった。

 

「さあ、ここより叛逆の始まりだ!」

 

微笑みながら抜刀し、板金鎧の一団へと殴り込みをかける。

槍が、弓が、投石が、無数の攻撃が男に打ち込まれるが、彼はそれを意に介する事無く突撃し、巨大な腕を振るって兵士達を薙ぎ払う。

そうしてどんどん、敵陣へと食い込んでいく巨体を兵士たちは取り囲むが、所詮は烏合の衆。

隊列が乱れ、成す術もなく吹き飛ばされるのがオチだった。

 

「あなた達、どこの隊のヒト!?」

 

後ろから迫っていた軍団を指揮している長と思われる女性が、2頭立ての戦車の上から聞いてくる。

男の乱入で呆けていたが、いつの間にか両軍のぶつかり合いが始まっていたようだ。

 

「見かけない格好ね、旅の人? スパルタクスが駆け出したからいつもの暴走かと思ったけれど、あなた達を守ろうとしたのね」

 

「スパルタクス? 彼が?」

 

紀元前一世紀において奴隷達を率いてローマ軍と戦った剣闘士。

秩序への反逆者にして労働階級者の象徴。

圧制に抗う英雄。

それがスパルタクスだ。

無論、彼はその反乱の際に戦死している。

ならば、目の前で戦う彼はサーヴァントということになる。

それがどうして、一世紀のローマで軍を率いて戦っているのだろうか。

 

「無関係ならこのまま後ろに下がって。あたし達の野営地まで行けば匿ってくれるから」

 

「ブーディカ将軍、彼らは私が!」

 

「お願い。できるだけ敵を引き付けるから、2人をよろしくね」

 

そう言って、ブーディカと呼ばれた女性は戦車を走らせる。

その名前には聞き覚えがある。

古代ブリタニアの女王。

ローマ帝国の悪辣な侵略に抗い、後に勝利の女神の伝説と合わさり、勝利(victory)の語源となった英雄。

それが今、ローマ風の衣装に身を包んだ兵士達と共に戦場を駆け抜けている。

憎き怨敵であるはずのローマ人達とあのブーディカが共に戦っているのだ。

その異常事態にとうとう、カドックの思考回路は焼き切れる寸前まできていた。

 

「さあ、早くこちらへ」

 

ブーディカに後を任された兵士に促されるが、カドックは動くことができなかった。

怒涛の展開に頭が付いていかないこともある。

命を救ってくれたスパルタクスが気がかりということもある。

何より、自分達を守ろうとしてくれている彼らを見逃せないという不可解な気持ちが、鉛のように重い枷となっている。

脳裏に思い浮かんだのは憎たらしい新米マスターの横顔だった。

きっと、あいつでも同じことをするだろう。

あいつなら同じことをするだろう。

自分でもそんなことを考えていることが不思議でならなかった。

だから、カドックは己に嘘をついた。

あの大きな腕に抱かれた時に感じた、ほんの僅かな劣等感にすがることにした。

 

「カドック、どうするの?」

 

言葉に反して、アナスタシアは強い眼差しを戦場へと向けていた。

彼女も既に心を決めたようだ。

そう、助けてもらったことへの感謝はある。

だが、彼は何と言った?

自分達を、このカドック・ゼムルプスとアナスタシア皇女に対して何と言った?

 

『怯えるのならば我が背後にあれ』

 

事もあろうか自分達があの程度の敵に恐怖したと、その程度の弱い人間だと言ったのだ。

これが八つ当たりというならばそれでもいい。

その言葉だけは納得がいかないのは事実なのだから。

だから、遠慮なくその言い訳を振りかざす。

 

「彼らを援護する、キャスター!」

 

「ええ。了解よ、マスター」

 

そう、自分達の力を見せつけるのだ。




というわけでセプテム編スタートです。
そう、今回のカドアナは何故かガリアからスタートです。
ガバガバだなこのシリーズのレイシフトは(笑)

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