Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

23 / 122
永続狂気帝国セプテム 第3節

一瞬、見惚れていた。

その背中を、その勝鬨を、その雄姿を。

決して屈することなく抗い続けた男の生き様を。

歩みを止めることもできた。

抗わずに服従する道もあった。

しかし、男はそれを許さない。

圧制の下で不名誉を抱いて眠る事を是とせず、明日の自由を求めて抗い続け、その果てに英霊の座にまで召し上げられた。

その突き抜けた狂気がこんなにも美しく見えてしまうのは、果たして戦場の狂気に毒されたからなのか。

何れにしろ、カドックはしばしの間、彼の英雄から目を逸らすことができなかった。

 

「ハーハッハッ! 我が叛逆は永遠不滅。勝利は新たなる叛逆の始まり也! おお、圧制者よ!」

 

そうして、スパルタクスは倒れ伏したカエサルを放って苦戦する友軍の援護に向かう。

程なくして狂戦士の咆哮と兵士の悲鳴が重なり合い、その勢いに押されたブーディカ軍が最後の進撃を開始する。

指揮官が倒れ、軍全体の連携にも綻びが出始めている。これならばスパルタクスとブーディカで押し切れるはずだ。

戦いは2人に任せ、こちらはこちらで本来の任務を遂行するとしよう。

 

「やれやれ、まさか敵の力を見誤るとは一生の不覚」

 

喧騒が遠退いていくのを聞き取ったのか、地面に伏していたカエサルがゆっくりと半身を起こす。

その顔を見た瞬間、傍らにいたアナスタシアは思わず彼から目を逸らした。

カエサルの頭部は半ば陥没しており、端正な顔が目も当てられないくらい歪んでいる。

辛うじて目と口は認識することができたが、血と傷のせいで表情は読み取れずまるで出来の悪いパペットのようだ。

霊核が砕けたことで消滅も始まっており、そう長くは持たないだろう。

 

「そも俺が一兵卒の真似事をするのは無理がある。まったく、あの御方の奇矯には困ったものだ」

 

「あの御方?」

 

「正確には「皇帝」ではない私だが、まあ死した歴代「皇帝」さえも逆らえん御方だ」

 

「まるでお前以外にも皇帝がいるみたいな言い方だな」

 

「その通りだ魔術師の少年。お前が相手取ったのは連合ローマ帝国の皇帝が1人に過ぎん」

 

苦し気に息を漏らし、カエサルはこちらを見上げる。

 

「いつもなら嫌味の一つでも言ってやるところだが、時間がない。私を倒した褒美として質問に答えよう。貴様が探している男は確かにいる。我が連合ローマ帝国の宮廷魔術師こそが、貴様達の求めるレフ・ライノールだ」

 

「あいつが宮廷魔術師? なら、聖杯も奴が?」

 

「貴様への褒美は終わりだ。これ以上、くれてやる道理はない。だが、私のような欲深な男がこうやって従っているのだ。後は考えれば、わかるな―――」

 

聖杯戦争とは万能の願望器を求めて殺し合う魔術儀式。

その駒として呼ばれるサーヴァントにもまた、叶えたい願いがある故に召喚に応じるのだ。

それが何かは分からないが、カエサルにもまた叶えたい願いがあり、そのためにここで戦っていた。つまり、この時代を歪ませてる聖杯はレフ・ライノールが握っているということだ。

 

「カエサル、お前は―――いや、貴方は――」

 

「言うな。あれと交わした約定も果たせぬまま、無様に消えていく愚かな男だ」

 

言うべき言葉が見つからない。

カドックは知っている。

富も名声も力も、この男は何もかもを手に入れた。

死は突然であれば良いと言い切るほど、彼は己の人生に後悔を抱いていない。

そんな彼が唯一、願うものがあるとすれば、それはきっととても尊くて慎ましやかなものなのだろう。

そこは自分のような部外者が立ち入るべき領域ではない。

だから、カドックにできることは拾い上げた黄金の剣を主の傍らに添え、その死を粛々と受け入れることだけだった。

 

「おお、我が黄金剣よ」

 

「今度はなくすなよ」

 

伝承に曰く、『黄の死』(クロケア・モース)はブリタニアの王弟ネンニウスの盾に突き刺さったまま奪われてしまい、そのまま仇敵の墓に埋葬されたらしい。

だからどうしたと言えばそれまでだが、そうしてやることがせめてもの報いになると感じられた。

 

「感謝するぞ名も知らぬ魔術師よ。そして願わくば当代の皇帝に伝えてくれ。汝の思うがまま、美しいと思うことを為せと」

 

言い切った瞬間、張り詰めていた糸が切れたのか、カエサルの体は粒子となって霧散していく。

きっと、ここより遥か彼方、母なるナイルの向こうへと還ったのだろう。

そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

戦いはブーディカ軍の勝利で終わった。

いや、生き残ったのはブーディカ軍だった。

カエサル軍の兵士は皆、その命を最後の一滴まで忠誠に捧げ、ある者は1人でも多くの敵を屠らんと玉砕し、ある者は虜囚となることを拒否して自害し、

またある者は傷ついた五体を引きずりながら戦線を離脱した。

生きたまま捕らえることができた兵士は1人もおらず、その足掻き方はまるで狂信者のようだった。

命を差し出そう、敗者としての汚名も受けよう。しかし、敵からの辱めだけは受けないという強い意志が感じられた。

ブーディカから聞いた話によると、ここは一世紀のガリアで、敵は連合ローマ帝国。

当代の皇帝であるネロ・クラウディウスの治世に反旗を翻し、真のローマを名乗る皇帝たちの集まりらしい。

もちろん、史実にはそんな連合など存在しない。

この時代を壊すためにレフ・ライノールが興したものなのだろう。

 

「つまり、このままネロ帝に協力して連合帝国を倒す?」

 

「ああ、それが近道だろう。敵はサーヴァントだけでなく人間の軍隊も有している。カルデアの戦力だけじゃあの数に対応できない」

 

「フランスの時と違って、ネロ帝にうまく取り入れたのが良かったね。今回はローマ軍が全面的な支援を約束してくれている」

 

「何をどうすればいきなり総督なんて立場が貰えるんだ?」

 

「いや、単に苦戦してたネロ帝を助けただけなんだけどね」

 

「それでこの扱いの差か。お前の人たらしっぷりには脱帽するよ。だから―――」

 

半ば自棄になりながら、カドックは好敵手に顔を近づける。頭を下げるからどうかは最後まで悩んだが、結局はプライドが邪魔をしてできなかった。

 

「頼むからここから出してくれ、藤丸総督」

 

そう、カドックがいるのは捕虜を捕まえておくための牢屋の中であった。

カエサル軍との戦いの後、カドックは得体の知れない魔術師としてブーディカ軍に拘束されたのだ。

一応、こちらの事情を聞いたブーディカは助けてもらった恩もあるのでできる限りの礼儀は尽くすと、手枷もつけず見張りも最小限に抑えられ、

食事もそれなりに豪勢なものが出された。しかし、客将の立場もあるので自分だけの判断では協力できないと言われたため、

カドックはネロ帝からの許しが出るまで檻の中で大人しくしておくことしかできなかった。

ちなみにアナスタシアは牢屋に閉じ込められたことで色々と生前のトラウマが呼び起こされて塞ぎ込んでしまい、今はブーディカのテントで介抱されている。

そのことからもわかるように、この措置はあくまで末端の兵士達に対する示し、或いはネロ帝への義理立てという面が強く、

こちらがその気になればいつでも出られるし、ブーディカもそのつもりで便宜を図ってくれている。

そうして数日を檻の中で過ごしていると、ブーディカからネロ帝が近々、こちらに来ることを知らされた。

程なくして訪れたのは盾の英霊を付き従えた黒髪の少年。

そう、藤丸立香その人であった。

あちらも多少のトラブルこそあれど無事にローマ近郊にレイシフトでき、当代の皇帝であるネロ・クラウディウスと接触。

そのまま皇帝に気に入られて総督の地位を与えられ、客将として召し抱えられたらしい。

同じ所業に対してこの扱いの差は、果たしてネロ帝が大胆なのかブーディカがシビアなのか。

何れにしても方針は決まった。

彼らと合流したことでカルデアとの通信も復旧し、今まで通りのバックアップも受けられるようになった。

後はこの檻から出るだけだ。

 

「いやぁ、でもなぁ。出したらまた怒るんだろ、カドック。訓練の効率が悪いとか、指示出しの詰めが甘いとか」

 

「うっ、それは・・・・・・」

 

「どうしようかなぁ?」

 

「先輩、カドックさんが可哀想ですよ」

 

「うむ、余もそう思う」

 

鈴のように良く通る声がテントの向こうから聞こえ、1人の少女が姿を現した。

一瞬、太陽がそこに現れたのかと錯覚した。

深紅と黄金に彩られたドレス。

艶やかな金髪と緑の瞳。

ただそこにいるだけで神々しい輝きを放ち、見る者に畏敬の念を抱かせる有無を言わせぬカリスマ。

その美しさは正に天上の芸術品。

言われずともわかる。

教えられずとも理解する。

彼女が皇帝。

第五代皇帝ネロ・クラウディウスだ。

 

「連合の敵将の討伐、ご苦労であった、カルデアの友よ。そして、今日まで不自由な思いをさせてすまない」

 

「い、いえ、僕は・・・いや、私は―――」

 

「そう畏まらずとも良い。そなたのおかげで多くの兵が救われた。その働きに免じて今は特別に不敬を許す」

 

ネロ帝に促され、見張りの兵士が牢の扉を開ける。

まるで夢を見ているような気持ちだった。

死者であるサーヴァントと接するのとはまた違う。

この時代に根を下ろし、生きている者の何と力強いことか。

かのローマ皇帝と今、自分は確かに同じ時の中で言葉を交わしているのだから。

 

「今宵は略式ではあるが宴を開くので、存分に楽しむと良い。うむ、どんな形であれ宴は良いものだ。それとも先にテルマエで汗を流すか? ここは野営地だが余は手を抜かんぞ」

 

「ああ、なら俺が連れていきます。カドック、そのまんまでアナスタシアに会う訳にもいかないだろう」

 

「よ、余計なお世話だ!」

 

余計な一言で我を取り戻し、憤慨したカドックは天幕を潜る。

久方ぶりの太陽を目にしたことで一瞬、目が眩んだ。

兵士の1人が声をかけてくる。

あの時は助けてくれてありがとうと。

こちらにいるネロ帝の存在に気付いた兵士はすぐに居直して持ち場に戻っていくが、その一言はカドックの胸に水のように染み込んでいった。

こちらにその意図はなかった。

あの時はスパルタクスを見返そうと無我夢中で、誰を助けたかなど気にも留めなかった。

それでも助けられた側は覚えてくれていたのだ。

こんな得体の知れない、未熟者の魔術師を恩人と慕ってくれたのだ。

 

「誇ってよいのだぞ。そなたがいなければ、もっと多くの死者が出ていたはずだ」

 

零れ落ちたかもしれない僅かな命を自分は救ったのだと。

ネロは静かに感謝の念を示した。

 

 

 

 

 

 

古代ローマの文化の中で一際有名なものは浴場である。

各都市に最低でも一つは公衆浴場が存在し、ローマ市民は一日の汗をそこで流し、明日を生きるための活力とする。

単なる入浴施設というわけではなく、広々とした運動場が設けられ、時代によっては購買施設が併設されるなどある種の娯楽、社交場として機能していた。

残念ながら野営地ではそういったものは望めないが、それでも突貫工事で造り上げたとは思えない見事な浴場が設けられており、

カドックは改めて自分が歴史の生き証人になっていることに驚嘆していた。

一方で、我らが藤丸総督はわざわざカルデアから取り寄せた石鹸で風情も何もなくジャブジャブと水を垂れ流しながら体を洗っている。

曰く、開放的で気持ちがいいけれど、タオルも石鹸もないからイマイチ、綺麗になった気がしないとの事。

石鹸が主流になるのはだいたい中世に入ってからで、それまでは粘土や木炭を洗剤代わりに使っていたようだ。

確かにこれでは余り汚れは落ちそうにないし、垢すり用のスプーンや毛羽だった羊毛で体を擦るのは余り快適には思えない。

迷った末にカドックも彼の石鹸を拝借すると、手早く体を洗って浴槽へと移る。

 

「はあ、フランスとはえらい違いだね」

 

「確かに向こうじゃ野宿が基本だったしな。まさか風呂まで堪能できるとは」

 

「首都の浴場はもっとすごかったよ。入浴の前にレスリングや筋トレしててさ」

 

「バスというよりは娯楽のための施設だからな。歴代のローマ皇帝や議員は人気取りのために浴場の建設や無料開放なんかを頻繁に行ったそうだ」

 

「壁に演劇の告知とか彫られてたし、飲み物も買えたり、何だか日本の銭湯みたいだ」

 

「極東の民間施設と一緒にされるのは皇帝も心外だろうな。いや、全ての道はローマに通ずるとでも言うかもしれないが」

 

取り留めのない話をしながら暖かいお湯を堪能するが、やがて話は自然と今日までの出来事に及んでいった。

自分がガリアにレイシフトし、カエサルと戦ってからの数日の間、彼もまたネロ帝と共に連合ローマ帝国と戦っていたらしい。

向こうではカリギュラ帝やスパルタのレオニダス王が敵として立ち塞がり、ネロ帝率いるローマ軍と協力して何とか倒すことができたようだ。

更に客将として召し上げられたはぐれサーヴァントの荊軻や呂布奉先も各地で遊撃的に立ち回り、数人の皇帝サーヴァントの暗殺に成功している。

この状況を好機と見たネロ帝は全軍を指揮して連合に攻め入る事を画策し、ガリア総督府の精鋭と合流することが今回の慰問の目的との事だ。

早くとも明日には連合首都への進軍が始まるだろう。

 

「信用できるのか、女神の祝福なんて?」

 

「うーん、荊軻の偵察では確かに都市が確認できたから、大丈夫だとは思うけれど」

 

首都ローマから遥か彼方。

現在の地理でいうならばスペインに当たる場所に連合ローマ帝国の首都は存在した。

彼らはそれを地中海に現界していたサーヴァント、女神ステンノから教えてもらったらしい。

 

「あり得るのか、神霊がサーヴァントとして呼ばれるなんて?」

 

「ドクターも頭を抱えていたよ」

 

それもそのはず。サーヴァントはあくまで英霊の側面を抽出したもの。

神霊とは文字通りの神、或いは自然現象そのものであり人間とはスケールが違い過ぎる。

例えば何れは神に至る英雄、神から堕とされた人間や魔獣の類ならばわかる。

彼らには人や獣としての側面があり、そこを切り取ってサーヴァントという器に押し込むことができる。

有名なところでいえば大英雄ヘラクレスやゴルゴン三姉妹のメドゥーサがそれに当たる。

しかし、女神が女神としての権能を有したままサーヴァントになるなどと、そんな異常事態が起きても良いのだろうか?

或いは、聖杯がそこまでしなければならないほど、この特異点は異常を起こしているのか。

そういえば、カエサルは消滅する前に何と言っていた?

歴代の皇帝ですら逆らえない御方がいると。

ローマ皇帝はおろかカエサルですら逆らえない存在。

それはつまり―――。

 

叛逆(こんばんは)!」

 

突然現れた巨魁と奇怪な挨拶に驚き、カドックは湯船の中にずり落ちてしまう。

慌てて起き上がろうとするがパニックを起こしたことで前後不覚に陥り、なかなか湯船から顔を出すことができない。

その情けない様を目にしたスパルタクスは仕方ないなと言わんばかりに首を振ると、その大きな手でカドックの痩躯を掴み、お湯の中から引き揚げた。

 

「浴槽で遊ぶのはよくないな、少年。体を動かしたいのなら外で体操でもしてくると良い。何なら私も手伝おう」

 

「お前が訳の分からない挨拶をするからだ」

 

「ハッハッハッ、では共に汗を流し明日の叛逆に備えよう。失礼!」

 

そう言ってスパルタクスはカドックを放すと、おもむろに2人の隣に腰かけた。

体が大きすぎて肩まで浸かれないが、彼は気にすることなく張り詰めた筋肉を弛緩させていく。

厳つい顔つきもいくらか緩んでいるようで、彼が入浴を心から楽しんでいることが見て取れる。

戦場での嵐のような荒々しさからは想像もできない穏やかな一面だ。

 

「私はスパルタクス、早速だが君は圧制者かね?」

 

前言撤回。

人畜無害そうな東洋人に対して開口一番に問い質すその姿は紛うことなきバーサーカーだ。

少しばかり気質が落ち着いているだけで、中身はいつものスパルタクスである。

 

「え、えーっと?」

 

「彼は僕の同僚だ、スパルタクス」

 

「ふむ、つまりは圧制者? いや、しかし・・・なるほど。喜ぶがいい、此処は無数の圧制者に満ちた戦いの園だ」

 

どうやら彼の中の圧制者探知機に引っ掛からなかったのか、スパルタクスは藤丸立香に対して彼なりに歓迎の意を示す。

 

「あまねく強者、圧制者が集う巨大な悪逆が迫っている。叛逆の時だ。さあ、共に戦おう。比類なき圧制に抗う者よ」

 

「歓迎されている、で良いんだよね?」

 

「多分な」

 

支離滅裂なスパルタクスの言葉から意味を読み取るのは非常に疲れる。

さすがの人たらしも狂化EXの狂戦士を相手にしてはコミュニケーションに苦労するようだ。

 

「叛逆の勇士よ、その名を我が前に示す時だ。共に自由の青空の下で悪逆の帝国に反旗を翻し、叫ぼう」

 

「えーと、名前を言えばいいのかな? 藤丸立香です」

 

「うむ、覚えおこう、叛逆の同士よ」

 

そう言って今度はこちらに向き直る。

突然、目の前に傷だらけの朗らかな笑顔を向けられてカドックはまたも身を強張らせるが、今度は溺れないようにしっかりと体を支えて持ち堪える。

 

「少年よ。圧制者たらんとする叛逆者よ。君の名はまだ示されていない。共に凱歌を謳うのならば、我らは対等であるべきだ。さあ、さあ!」

 

しつこく言い寄るスパルタクスにカドックは困惑を隠せず、反対側の少年はというと若干引き気味で距離を取っている。

どうしてここまで食い下がるのかと考えて、カドックは自分がまだ彼に名乗っていなかったことに思い至った。

先の戦いではそんな余裕はなかったし、その後はすぐに拘束されてブーディカの取り調べを受け、そのまま牢に入れられた。

自分とスパルタクスが話すのはカエサルとの戦い以来なのである。

 

「・・・・・・カドックだ。カドック・ゼムルプス」

 

「うむ、その名はいずれ大いなる圧制の象徴となるであろう。だが、今の君では張り子に等しい。恐れるならば叛逆するのだ。抗う権利は誰にでもあり、誰もが叛逆者となりえるのだから」

 

カチリと、何かが噛み合ったような気がした。

或いは張り詰めた弦が切れた音を聞いたような気がした。

自分でも知らなかった―――直視しないようにしてきたどす黒い部分が否応なく引きずり出され、晒されてしまった気分だ。

そう、ここまでの戦いで忘れようとしてきた。

冬木では英雄クー・フーリンの力を借りる事で何とか生き残ることができた。

フランスでは多くの英雄と力を合わせることで勝利することができた。

先の戦いでは勝てないまでも十分に食い下がる事はできたと自負していた。

少しずつ、勝利を積み重ねてきたことで培った自信が、彼の前では脆くも崩れ去ってしまう。

自分は弱い。

魔術師として未熟であり、その才覚はスパルタクスに叛逆の意志を抱かせない。

彼は強い者に反抗し、権威ある者に抵抗し、圧制を敷く者に叛逆し、弱き者の盾となる。

戦場では時に敵意を向けてきたスパルタクスが、今は穏やかな目でこちらを見下ろしているのだ。

それは自分がどうしようもなく弱く、彼の庇護欲を掻き立てるからに他ならない。

 

「―――言うな」

 

「?」

 

「知ったようなことを言うな、バーサーカー! いつか強くなる? それじゃ遅いんだ!」

 

どうして、生き残ったのが自分なのか。

Aチームの他の誰かなら、もっとうまくやれたはずだ。

きっとアーサー王やファヴニールも彼らなら敵ではなかったはずだ。

だが、実際に生き残ったのは未熟な自分と素人の少年ただ2人。

それでも抗うと決めたのだ。

無謀とも言える世界の救済を、たった2人の魔術師と僅かな仲間で成し遂げると誓ったのだ。

だから、弱さを突き付けられるとどうしようもなく怒りが込み上げてくる。

 

「お前が言う叛逆者に僕はならない」

 

誰が守られてやるかと、肩にかけられた狂戦士の手を払い除ける。

どうせ議論しても狂化のせいで話にならないのだからと、カドックは怒髪天を突く勢いのまま浴場を後にする。

彼にだけは見下されてなるものかと、そう心に誓いながら。

 

 

 

 

 

 

激昂したカドックが浴場を飛び出し、奇妙な沈黙が残された。

スパルタクスは微笑みを浮かべたまま走り去ったカドックの背中を追い、藤丸立香は言葉を挟むことも追いかけることもできずに困惑することしかできない。

しかし、このまま彼を放っておく訳にもいかないだろう。戦闘に関しては素人である自分でも、あんな不安定な精神状態では戦いに支障がきたすくらいのことはわかる。

そう思って湯船から立ち上がろうとすると、巨大な手の平が肩を掴み、強引に湯の中へと押し戻された。

 

「うわっ!?」

 

スパルタクスだ。

何を考えているのか知らないが、どうやら彼はまだ自分に立ち去って欲しくはないようだ。

 

「少年よ、いずれは圧制者となるであろう者よ。どうか彼には気を付けて欲しい」

 

先ほどまでとは比べ物にならない穏やかな声音でスパルタクスは言う。

その瞳には相変わらず狂気が孕んでいるが、藤丸立香はその言葉を聞き逃してはならないと、深く深く自分の胸へと刻み付ける。

 

「彼は圧制者の卵であり叛逆の徒でもある。その天秤の揺れを止めることは何人にも許されない禁忌なのだ。彼はいつか我が叛逆に圧制し、君に叛逆する時がくるかもしれない。友として君達が共に凱旋することを切に願う」

 

言っていることの意味は微塵もわからないが、どうやらカドックのことを心配してくれているようだ。

彼がその言葉の意味を理解するのはまだ先の話。

今はただ、静かに狂戦士と共に湯船に浸ることに集中しよう。

そして、この場での出来事は自分達だけの秘密にしておくべきだと、少年は心に決めていた。




というわけで原作から大幅にシナリオがカットされて何人かの鯖は出番がなくなりました。
カリギュラ帝とか凄く楽しく書けそうだけど、やりだすとまたも原作をなぞるだけになるのと、今回はスパルタクスにスポットを当てていきたいというコンセプトからこうなりました。
本編でカットされた部分は概ね、原作と同じことが起きていたとみなしてください。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。