Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
封鎖終局四海オケアノス 第1節
――――――今日も同じ時間に目が覚めた。
固い寝台の上で体温を確認し、五感が正常に機能することを確認する。
目は見える。施錠された窓は白いペンキで塗り潰されているが、何故だかその向こうの青々とした空がハッキリと分かる。
耳は聞こえる。静まり返ったイパチェフ館に響く足音は、まるで時計の針のように正確だ。
匂いはわからない。けれども、あの忌々しいユダヤ人の匂いは眼で視るように感じ取れる。
肌はざわついている。下劣な兵隊達が近くにいるからだ。
まとまりを失いつつある自意識を搔き集め、大きく深呼吸をして自分を認識する。
私は私だ。私は今日も存在を許された。
「―――――――――」
この館に来てどれだけの日が過ぎ去っただろうか。
まだ数日のような気もするし、何週間もここで過ごしているかのような気もする。
日付という概念はとっくに消え失せていた。
いつまで続くかもわからない軟禁生活は心を少しずつすり減らし、生きる事への希望すら蝋燭のように掻き消えてしまう。
自分でもわかっているのだ。
こんな生活はいつまでも続かない。
市井に堕とされ、国外へと追放される程度ならば温情だ。
あいつらはきっと、私達を生かしてはおかないだろう。
それがいつの日になるのかはわからないが、避けられぬ運命であることだけは不思議と確信が持てた。
だから、せめて最後まで家族と一緒に過ごしたい。
それが避けられぬ決定事項だというのなら、全力で眼を逸らして今日という日を謳歌したい。
でなければ、みんな壊れてしまう。
父も母も、姉たちも弟も。
みんな暗い顔をして毎日を過ごすばかり。
少しずつ心が死んでいっている。
私はまだ諦めたくはない。
一分でも一秒でも、その事実を否定し続けなければ、彼らと同じように生きたまま死んでしまう。
自分だけでもかつての明るさを装わなければ、家族はきっとバラバラになってしまう。
私はきっと不幸せだ。
今日も一日、この暗い世界を見ていなければならないのだから。
□
悪夢はそこで途切れ、カドックは意識を覚醒させた。
そして、飛び跳ねるように半身を起こし、不快感を拭うように全身を掻き毟る。
服の下は寝汗でびっしょりと濡れており、シーツの上に染みまでできている。
エアコンの風がまるで真冬のように冷たく、張り付いたシャツの不快感が余計に強くなった。
(今のは・・・・・・夢、か・・・・・・)
夢にしては非常に生々しい実感があった。
今までの人生で味わったことがないような孤独と絶望。
毎朝、目覚めの度に処刑台の階段を登るかのような恐怖。
そんな不快で眼を逸らしたくなるようなどす黒い感情が今も胸の内に残っている。
あれはきっと、実際に起きた出来事なのだ。
サーヴァントとマスターは霊的なパスで繋がっているため、稀に互いの記憶を夢という形で共有することがあるという。
アナスタシアが体験した記憶。彼女の生前の出来事が情報として自分の中に流れ込んできたのだ。
(あんな薄氷を踏むかのような気持ちで、最期の日まで過ごしたっていうのか、彼女は?)
両親は諦め、姉達は沈み込み、弟は死すらも望んだ。
そんな中で生来の明るさを維持し続け、彼女は正常であろうとした。
それが如何に無意味で空虚なことか、彼女自身が知りながら。
「あら、起きていたの?」
扉が開き、アナスタシアが姿を現す。
どうして外から、という疑問が頭を過ぎり、昨夜は自分の部屋に帰ると彼女が言っていたことを思い出す。
夢のせいで思考回路がうまく働かない。
自分は今、どんな顔をしているのだろうか。
偶然とはいえ、彼女の秘めた部分を覗き見てしまったことに負い目を感じてしまう。
「どうかしたの?」
「―――いや、何でもない」
「本当に? 嘘をついたら針千本よ」
「君なら本当にやりかねないな」
「ご希望ならね。けど、やらないわ。針で突くならまだしも、飲み込ませて喉を破るなんて可哀そうじゃない」
「針で突くのは良いのか」
嘆息し、頭痛が起きる前に話を切り上げて紅茶の準備をしようと立ち上がる。
すると、アナスタシアはこちらの手を引いて強引に椅子に座らせると、昨晩の内に用意しておいたティーポットをサッと奪い取ってみせた。
「今朝は私が淹れてあげます」
見上げた顔は、まるで出来の悪い弟を嗜めるような、柔らかな慈愛に満ちた表情をしていた。
「どういう風の吹き回しだい?」
「あら、おかしい? これでも末期はひとりで色々と身の回りのことはしていたのよ」
胸の奥がチクリと痛みを覚える。
何気なく口にしたその言葉の奥に、どれだけの気持ちが込められているのか、それを語る言葉を自分は持っていない。
夢で見たあの記憶は彼女自身のもので、自分のような部外者が立ち入っていいものではない。
だから、夢の事は胸の奥にしまい込み、普段通りに接するよう心掛ける。
「なら、頼むよ、キャスター」
「ええ、マスター。待っていて」
その日の朝は、いつもよりも穏やかな時間が過ぎていった。
□
カドックとアナスタシアが管制室に着くと、既に他の面々は顔をそろえていた。
こちらが席についたのを確認し、待ち構えていたロマニが世間話を切り上げてブリーフィングの開始を告げる。
そう、新たな時代の歪み。第三の特異点が観測できたのだ。
「おはよう諸君。昨日はよく眠れたかな? うん、ボクはあんまり眠れていない」
レフ・ライノールを倒し、第二の聖杯を回収したといえば聞こえはいいが、疑問は増える一方だ。
レフが変身した、七十二柱の魔神を名乗るアレは何だったのか。
レフが所属していたと思われる集団は何を目論んで人理焼却を行ったのか。
解決できない議題ばかりが積み重なっていき、ロマニはここ最近―――実際は以前からずっとだが―――ロクに休めていないようだ。
「あの、ドクター・ロマン。七十二柱の魔神と言えば、その・・・」
「ああ、思い当たるものは一つしかない。ある古代の王が使役したという使い魔のコトだね」
マシュの質問の意図を察し、ロマニは肯定する。
隣にいたド素人の立香は当然のことながら、頭に疑問符を浮かべていたので、ロマニの言葉を遮らぬよう小さな声で説明する。
「ソロモン王の使い魔だ。名前くらいは聞いたことあるだろ?」
ソロモン王は古代イスラエルの王であり、魔術世界においては人類に魔術をもたらした最高の召喚術士として有名だ。
そして、彼が使役する使い魔こそがその名も高き七十二柱の魔神なのである。
最も、実際には魔神などというものは存在せず、それぞれの用途に分かれた強力な使い魔に過ぎないというのが最新の見解だ。
如何に魔術の祖といえど、悪魔や神霊の類を使役することは適わないはずだからである。
レフがどうして魔神の名前を騙ったのかはわからない。
或いは、アレは本当に七十二柱の魔神で、何者かがソロモン王をサーヴァントとして召喚した可能性も考えられる。
何れにしろ、今の時点で断言できる確証は何も得られていない。
「送られてきたデータの解析は今も進めているよ。とりあえず、今は当面の課題である三つ目の聖杯入手の話をしよう」
いよいよだと、カドックと立香は身構える。
百年戦争時代のフランス、古代ローマと来て次はどの時代になるのか、どんな冒険が待ち構えているのか、否がおうにも緊張感が高まる。
「唐突だけど、2人とも。船酔いは大丈夫かな?」
「はい? えっと・・・平気です」
「僕も大丈夫だ」
「良かった。それなら安心だ。いざとなれば中枢神経にも効く酔い止めを用意するところだった」
その言葉を聞いて、そこはかとなく嫌な予感が込み上げてくる。
「という訳で、今回は1573年。場所は―――見渡す限りの大海原だ」
「海・・・ですか?」
「うん。特異点を中心に地形が変化しているらしい。具体的に「ここ」という地域が決まっている訳ではなさそうだ」
観測できたのは幾つかの小さな島だけで、それも従来の地理には当てはまらないものらしい。
つまり、地図などの後世の情報は余り充てにはできないということだ。
時代的には大航海時代の真っただ中。丁度、世界一周を成し遂げたフランシス・ドレイクが私掠船団を率いて海賊行為を行っていた頃だ。
運が良ければ世界的偉業を成し遂げた彼の英雄の生前の姿を見られるかもしれない。
「行ったら海の上なんてことは?」
立香の不安げな質問に、カドックとアナスタシアの表情が凍り付く。
前回はローマに転移するはずが遠くガリアにまで転移先がずれてしまった。
特に今回は地形の変化により座標指定も困難なはず。
レイシフトした先で遭難し、そのまま鮫の餌になるなんてこともありえるかもしれない。
「それは心配ない。こちらでレイシフト転送の際の条件を設定しておく。少なくとも海の上ということはないはずさ。それにもう一つ、心強い味方がある」
ロマニがそう言うと、いつからそこにいたのか、ダ・ヴィンチがどこからか丸いゴム製の輪っかを取り出した。
「私が発明したゴム製の浮き輪さ。万が一の時はこれで窮地を凌ぐといい」
反応は様々だった。
立香は不安で表情を暗くし、マシュは呆れたようにため息を吐く。
アナスタシアは強度が気になるのか、しきりに浮き輪を突いている。彼女は霊体化ができるので、これに頼ることはないだろうが。
「まあ、ないよりはマシか」
「うんうん、切り替えの早さは君の美徳だよ、カドックくん」
「敬われたかったら、もう少しそれらしく振舞ったらどうなんだ、万能の天才」
ともかく、これでブリーフィングは終了だ。
4人は各々のコフィンへと向かい、レイシフトに向けて準備を始める。
今までの特異点よりも変化が大きいという違いはあるが、自分達がやるべきことは変わらない。
特異点の発生原因の解明と修正、そして聖杯の回収。
いつものように臨むだけだ。
―――アンサモンプログラム、スタート。
コフィンが稼働を始め、レイシフトのカウントダウンが始まる。
映画のフィルムが切れるようにカドックの意識は闇へと落ち、時空の波を漂い始めていった。
□
結果から言うと、海の上にレイシフトすることはなかった。
例によって立香達とは別の場所に飛ばされたが、それでも海に投げ出されて蛸とワルツを踊らずには済んだ。
だが、これは果たして無事にレイシフトに成功したと言っても良いのだろうか?
カドックは状況から目を背け、マーフィの法則について考察したくなった。
失敗する可能性があるものは、必ずその方向へ物事が誘導されるというアレだ。
「アン、何だかわからないけれど、見た事のない2人が突然、空から降ってきたよ」
「そうね、メアリー。襲撃って訳じゃなさそうだけれど―――」
額に傷がある少女と豊満なバストの女性が、寄り添い合うようにしながらこちらを見つめている。
どことなく耽美な雰囲気を漂わせているが、睦言に耽っている訳ではないことだけは確かだ。
少女の手は油断なくカトラスの柄を握っているし、女性の方も肩にマスケット銃を担いでいる。
こちらが怪しい動きをすれば、そのどちらかが、或いは両方が向けられることになるだろう。
更に周りには十数人の男達。
全員、ボロボロのシャツとズボンを身に纏い、バンダナを頭に巻いた画一的な姿をしている。
手には各々の得物が握られており、いつでも飛びかかれるように周囲を囲んでいた。
そう、カドック達は船の上にレイシフトしてしまい、乗っていた正体不明の一団に取り囲まれているのだ。
「カドック」
「少し、待て。下手に動くとこちらが不利だ」
男達の方はともかく、女の2人は間違いなくサーヴァントだ。
狭い場所で囲まれた状態では、アナスタシアの長所が完全に潰されてしまっている。
ここで戦えばまず、無事では済まないだろう。
まずは彼女達が何者なのか、交渉の余地はあるのかを探らなければならない。
「すまない、僕達は―――」
「どうするの、アン? 疑わしきは罰するってことで、やっちゃう?」
少女が黒衣をはためかせ、手にしたカトラスを器用に回転させる。
可愛らしい顔立ちなのに、目がちっとも笑っていない。こちらを養豚場の豚か何かのように、殺しても構わない存在だと確信している眼だ。
いくつもの修羅場を潜り抜けてきたであろう、その眼は研ぎ澄まされた刃のような鋭い視線を放ち、焦燥感となって胸を貫く。
周囲の男達もそれに倣うかのように、それぞれの得物で威嚇してくる。
銃に弾を込め直す者、ナイフを舌なめずりする者、千差万別だ。
(問答無用か)
アウトローとは我らのことさと言わんばかりに、彼らの引き金は軽い。
正に一触即発だ。
戦いは避けられないのだろうかとカドックは嘆き、せめて初手には対応できるようにと魔術回路を励起させていく。
刹那、こめかみに巨大な圧迫感が押し付けられた。
マスケット銃を構えていた女性が、目にも止まらぬ速さで銃口をこちらに向けたのだ。
「はーい、おかしなことは禁止ね、密航者さん」
「っ―――」
「気になるって顔をしているわね? あなた、何かしようとしたでしょ? ちょっと体温も上がったみたいだし、呪いの真似事とか嗜んでいたりするのではなくて?」
浮かべた笑顔は慈母のように柔らかく、それでいてゾッとするような冷たさが秘められていた。
魔術を知っていたこと、こちらの魔術回路の動きを察せられたことも意外だが、それ以上に驚愕したのがこちらに向けられた微笑みだ。
見直しても凝視しても、彼女の顔に張り付いているのは柔らかい微笑みだけ。そこに冷たい感情は微塵も感じられない。
だが、殺気を叩きつけられた瞬間だけ、カドックは僅かに垣間見ることができた。
根本的には彼女も傷の少女と同じ。必要とあらば―――その気になれば例え必要でなかったとしても―――躊躇なく引き金を引く。
息をするよりも早く、頭が思考するよりも早く、その指がかけられた引き金は押し込まれるだろう。
染みついた殺気と冷徹さを、彼女は狡猾に笑顔の下に隠している。
この2人は危険だ。
今はマスケット銃の女性が自分を抑えることで均衡を保っているが、それが崩れた時、いの一番に火を噴くことになるのは彼女の銃だろう。
そして、彼女が均衡を保ち続けている理由は一つ。
ここは船上。ならば、船の行く先から乗組員の命まで、全ての決定権は船長にある。
「アン、あいつを呼ぶの?」
「ええ。醜悪でお下品で歩く猥褻物でも船長なのですから、仕切るところはきちんと仕切ってもらわないと」
心底嫌そうな顔をする傷の少女を、銃の女性が辛辣な言葉を交えつつ窘める。
フォローがフォローになっていないのは気のせいではないだろう。
それ程までにこの船の船長は嫌われ者なのだろうか?
「船長。船長!」
「はーい! お呼びですかー、メアリー氏!」
勢いよく扉が開き、船室から飛び出てきたのはコートを纏った黒髭の大男だった。
ぎらついた双眸、肉食獣と猛禽類が交配して生まれたかのような獰猛な笑み、コートの下は半裸で鍛え抜かれた腹筋が見え隠れしている。
一目で危険な人物であると分かるこの男が、この船の船長なのだろうか。
「デュフフフフフフフ。女の子に呼ばれるなんて、拙者もいよいよ春が来たってことかな。デュフフフフ―――」
「アン、今すぐ殺そう」
「だめよ、メアリー。こんな不快なだけのモノでも生きる権利はあるものよ」
直後、銃声が甲板に轟いた。
こちらに向けられていた銃口が風の速さで船長らしき男に向けられ、引き金が引かれたのだ。
口では博愛を謳いつつこの仕打ち。男のことが気の毒に思えてくるが、先ほどの生理的嫌悪を催す笑い声を思い出すと、そんな感情も急速に萎えていく。
あれは間違いなく、自業自得だ。
「あ、危ないじゃないですか! 今、今、拙者の股間を、スッと! スッと掠めたでござるよ!」
「チッ――」
「あ、今、舌打ちした? うーん、何てエゴイスティック。いっそ、使い物にならなければ良かったって? さすがの拙者も、ちょっと傷ついちゃうなぁ。今夜は寂しいなぁ。泣いちゃおうかなぁ。ドゥフフフフフフ―――――」
ナメクジのように身悶えする男の姿を見たアナスタシアが卒倒し、カドックの腕の中に倒れてくる。
できることなら自分も同じように気を失いたかったが、運が悪いことにそれは適わなかった。
「船長」
「ぐふふ、失敬失敬。では真面目に―――うひょー、かわいこちゃん!? 寝顔が超プリチー! こんな娘が密航してくるなんて、拙者はもう―――って、リア充かよ!! 何だよ、死ねよ! ペロペロし甲斐のある幼女になって出直して来いよ! 全く、この世に神はいないでござるか!」
もの凄く失礼なことをまくし立てられている気がして、カドックはこめかみの下が熱くなった。
血管の一本や二本はイッたかもしれない。
彼女達が嫌うのも当然だ。
この男は、何というか、生きていちゃいけない部類だ。
多分、シーツに零れた染みと同じくらいの存在価値ではなかろうか。
「あー、拙者のこと憐れんでいるでござるな? いいのかなぁ、そんな態度でいいのかなぁ。この黒髭様の船に乗っちゃったこと、後悔しても知らないよぉ、ボクぅ―――おう、娘の方は船室に放り込んどけ! 野郎の方は―――」
怖気が走る背中を擦りたくなった。
これが、黒髭こと大海賊エドワード・ティーチとの出会いであった。
というわけで、オケアノス編です。
黒髭の台詞、スパルタクス以上に難しい。
これ書けるライターさんはすごいな。