Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
どうして生きているのか。
ここまでどうやって来たのか。
そもそも何故、海の中で待ち構えていたのか。
言いたいことは山ほどあるが、うまく言葉にすることができない。
エドワード・ティーチが生きていた。
あの下品で汚らしくて、最高にイカしている海賊が、ここしかないというタイミングで姿を現した。
考えるまでもないことだった。
あの男が、大海賊黒髭が、大一番に乗り遅れるはずがない。
やられっ放しで消える男ではないのだ。
「ティーチ! エドワード・ティーチ!」
「デュフフ、そこはキャプテンとつけるところですぞ!」
危険も省みずに甲板から身を乗り出すカドックに向けて、ティーチは大きな声で哄笑する。
端から見ると引き付けを起こすくらい下品な笑い方が実に彼らしい。
「坊主の方は元気そうでなによりですな! BBAはどうしたの!? 更年期でも起こして寝込んだかぁっ! グフアハハハハ!!」
着弾の直前にメディアが防御の術式を展開したのだ。
やはり神代の魔女なだけあって、神秘の浅い近代の英霊の力では彼女の防御を突破することは非常に難しい。しかし、ティーチの登場によってメディアは
砲撃は散漫となり、竜牙兵の数も減り、速度も目に見えて落ちている。
イアソンは突然の事態に狼狽え、怯え、怒鳴り散らすばかりでメディアを手伝おうともしない。
仕掛けるならば今しかない。
「ドレイク船長!」
「全員、衝撃に備えな! 突っ込むよ!」
□
船が来る。
海賊の船。
王の宝を奪わんとする下劣な野蛮人が目の前まで迫ってきている。
どうしていつもこうなんだとイアソンは神を呪わずにはいられなかった。
王の子として生まれながら叔父にその座を奪われ、ケンタウロスの馬蔵なんぞに押し込まれた。
そこで得たものは多かったが、本来ならば手に入っていたはずのものに比べれば粗末なものだ。
師と友と共に過ごした懐かしい日々ですら、色褪せた琥珀の記憶なのだ。
あそこに慣れ過ごしたことこそが屈辱以外の何物でもないのだ。
自分は王の子だ。
如何な才に恵まれても、幸福に満たされていようとも、その一点が欠けていれば意味がない。
アルゴー船を組み上げて英雄達をまとめ上げたのはそのためだ。
王の資格を得るための試練。コルキスの黄金羊毛を手に入れるために。
苦難があった。
行く先々での戦いや冒険、ヘラクレスの脱落、胡散臭い盲目の預言者を頼り、コルキスに辿り着いた後も試練の連続。しかし、メディアの協力を得てようやく黄金羊毛を手に入れても、運命の悪戯か神々の気紛れか自分は結局、王になれなかった。
この航海はそんな生前に報いるためのもの。
今度こそ王になるための二度目の試練のはずだった。
なのにどうだ。
今度も
「まずいな、挟み撃ちか。
「ま、待てヘクトール。お前が離れたらオレの―――このアルゴノーツの守りはどうなる?」
「しばらくは大丈夫でしょう。最悪、俺を見捨ててでも逃げてくださいよ。メディア、後は頼むぜ」
「ええ、マスターのお守りは私の役目ですもの。最期までちゃんと面倒をみてあげなくちゃ」
トロイアの勇士の背中が遠ざかる。
みんないなくなってしまう。
ヘラクレス、アタランテ、ポルックスにカストール、テセウス、アルゴノーツに集った数多の英雄達も最後には自分のもとを去っていった。
自分は彼らの上に立ちたかった。
王として彼らを従え、彼らに支えられ、彼らが争う必要がない国を作る。
そのために集った勇士、そのためのアルゴノーツ。
なのに、今度もこの手は理想に届かない。
「きゃっ――!?」
直撃を受けたメディアが甲板に倒れ伏す。
あれは宝具の一撃だろうか。アタランテかオリオンか、或いはエウリュアレか。
何れにしろ、防衛に長けた彼女が撃ち落とされたということは、いよいよ進退窮まったということだ。
既に彼女の並列処理は限界に達し、聖杯という有り余るリソースを扱いきれずにいる。
いや、事態はそれ以上に深刻だ。
先ほどの攻撃でメディアの霊核にひびが入った。
彼女の宝具
「メディア―――」
ふと手元の聖杯に目がいく。
万能の願望器。
あらゆる願いを叶えてくれる聖遺物。
この力で彼女の傷を癒せば、もうしばらくはアルゴノーツは保つだろう。
だが、それではただの時間稼ぎにしかならない。
ヘラクレスがいれば。
ヘラクレスさえいてくれれば。
ヘラクレスならば、こんなことには―――。
「メディア、何をしている!? 奴らが目の前まで来ているぞ、早く何とかしろ! 聖杯がここにある! 何としてでもこの場を――――」
胸に鋭い痛みを走る。
呆けていたのは一瞬だったのか、数分だったのか。
気づいた時には痛みで甲板をのたうち回っていた。
あるべきものがそこにはない。
自分の体に大きな風穴が空き、そこにあるべき心臓が可憐な少女の手の中で脈打っている。
「め、メディあ・・・どう・・・して・・・・・・」
「可愛そうなイアソン様。せめて真実を知らぬまま眠ってください」
「何を言って・・・・・・まさか・・・まさか、まさか―――」
騙したのか。
そう言ったのはメディアだ。
あれが嘘だったのか。
自分を最初から騙し、裏切っていたのか。
「私はもうすぐ消えます。そうなるとあなたを守れる人がいない。だから、あなたに抗う力を与えましょう。あなたに戦う力を与えましょう。共に滅びるために戦いましょう」
いつの間にか奪い取られた聖杯を掲げ、メディアは訥々と詠唱を始める。
「聖杯よ。我が願望を叶える究極の器よ。顕現せよ、牢記せよ。これに至るは七十二柱の魔神なり。さあ、序列三十。海魔フォルネウス。その力を以てあなたの旅を終わらせなさい!」
胸の内に聖杯が埋め込まれ、イアソンの体は瞬く間に肉の塊へと変質していった。
意識がどんどん塗り潰されていく。
洪水のような情報量が脳を焼き、イアソンとしての自我を洗い流し、自分であったものが消えていく。
その刹那、イアソンが見たものは消滅するかつての妻の若かりし姿と、アルゴノーツに突貫する海賊船の姿だった。
□
邪魔する者は誰もいない決戦場。
広い甲板を2人は縦横無尽に駆け巡り、手にした得物で必殺を狙う。
ヘクトールの槍が疾風の如き速さで槍を払うと、寸でで交わしたティーチがサーベルで首を狙う。
僅かに距離が足らず、返す刃が光ればそうはさせぬと体ごとぶつかって態勢を崩し、互いにマウントを奪い合う。
「随分必死だな、黒髭!」
「はっ、海賊が盗られっ放しじゃ屁にもならねぇ!」
蹴り飛ばされた反動で距離を取ったティーチが、めくら撃ちで引き金を引く。
まともな狙いもつけずに撃たれた銃弾はヘクトールの頬を奇跡的に掠め、彼の動きが僅かに鈍った。
その隙に起き上がったティーチは笑いながら足下に転がってきた樽を蹴り飛ばしてヘクトールにぶつけ、ピストルに弾を込め直した。
「裏切ったことをとやかく言うつもりはねぇ。義理もクソもねぇ海賊稼業だ。そういうことはままある」
「その割には随分とご立腹だな」
「ああ、テメェだけは俺が殺るって決めたんだ」
「嫌われたもんだね。聖杯を取られたのがそんなに憎いか」
「いいや、お前は俺から二度も楽しみを奪った。聖杯とは比べ物にならないお宝だ!」
「聖杯よりもだと?」
「カドック・・・ドレイク・・・ああ、俺のお楽しみだ。あいつらとの勝負、あいつらとの決闘。お前は二度も邪魔をした。クソしている間に先に女を抱かれた気分だ。俺が先に目を付けてたのによぉっ!」
叫びと共にティーチはコートを脱ぎ捨てる。
露になったのは鍛え抜かれた屈強な肉体。そして、全身に余すことなく施された武具の数々。
腰のベルトには数丁のピストル。胸や腕の帯にはナイフが括り付けられ、手には先ほどから使っていたサーベルとピストル。
首にぶら下げられた爆弾。ブーツには仕込みナイフ。
もちろん右手の籠手もそのまま残している。
爛々と輝く双眸は狂気の色を携えており、見る者をゾッと震え上がらせる迫力があった。
そこにいたのは道化を捨てた1人の海賊だった。
腕っぷしだけでカリブ海の頂点にまで上り詰めた1人の男がそこにいた。
「どうせここで終わるんだ、後腐れなく決めようぜ!」
「こっちの事情もお見通しと。世界の終わりくらい弾けようと思ったけど、結局は今度も一騎打ちか」
ヘクトールは回転させた槍を構え直し、姿勢を低くする。
いつもの飄々とした態度は消え失せ、その眼には猛禽類の如き鋭い光が宿る。
「来いよ、海賊。アキレウスのようにいくとは思うなよ」
「はっ、ご所望なら船で引きずってやるぜ。魚の餌になるんだな!」
凶悪な眼光が疾駆する槍兵を捉える。
神代の英雄に相対するは近代の海賊。
伝説の名槍を名もなき剣とピストルが迎え撃つ。
格の違いは百も承知。
敵わぬのならそれまでと、ティーチは捨て身の攻防に移る。
自分の楽しみを邪魔したこの英雄に泡を吹かせれるなら、我が身すら惜しくないと苛烈に責め立てる。
決着の時は近い。
アルゴノーツで強烈な魔力の柱が立ち上がったのは、正にその時であった。
□
乗り込んだアルゴー船で起きていたのは異様な光景だった。
不気味に胎動する肉の塊。
赤黒く、どす黒く、ほの暗く、血のように鮮烈で闇のように深い。
鉄の鈍さと肉の柔らかさが混然となった摩訶不思議な物体。
やがてそれは天に向かって聳え立ち、肉の柱としか形容のできないものへと変化する。
皮を剥いだ剥き出しの肉に無数の眼が開き、その一つ一つがこちらを凝視する。
そうして、イアソンだったものはこの世ならざるものへと変転した。
「あれが・・・イアソンだって?」
見ているだけで吐き気が催し、悪寒と嫌悪が体を走る。
この世の汚物を搔き集めて積み上げたかのように醜悪で、忌避感を抱かずにはいられない。
あれが魔神柱だというのか。
立香とマシュは、ローマであんなとんでもないものと戦ったのかとカドックは戦慄した。
『これで二体・・・いや、二柱目の魔神』
「こりゃ驚いた。しかも彼女、消える前に何て言った? 序列三十、フォルネウスだって? それはソロモンの魔神のコトじゃないか!」
通信の向こうにいるロマニとこちらのダビデの驚愕が重なり合う。
海魔フォルネウス。
七十二柱の魔神の一柱。
海の怪物の姿をとって現れ、言語の知識や良き名前を授ける力を持つ。
やはり人理焼却の裏にはソロモン王が絡んでいるのだろうか。
本来ならば存在しえない悪魔の顕現。それも彼のソロモン王ならば成し遂げられるのではないだろうか。
「カドック、呑まれちゃダメだ!」
傍らに立った立香の言葉で我に返る。
見ると立香は奥歯を噛み締め、必死の形相で魔神柱を睨みつけていた。
誰が見ても辛そうなのは明白だが、彼は弱音一つも吐かずに目の前の敵を見据えている。
凍り付くような怖気にも耐え、自分ができることをひたすらに模索している。
ずっと後ろを歩いていたはずの少年が、いつの間にかこんなにも近くにいる。
「藤丸!?」
「気圧されたら勝ち目はない。きっとこれがこの特異点での最後の戦いだ。勝ってみんなでカルデアに帰ろう」
「あ、ああ―――」
震えている。
並び立った少年が、未熟な魔術師もどきの手が恐怖と狂気で震えている。
だが、心は微塵も諦めていない。
マスターが臆すればサーヴァントは本領を発揮できない。
自分達の弱気はそのまま彼女達の敗北に繋がるのだ。
言われるまでもない。
そんなことは死んでもご免だ。
自分もこいつもここでは終わらないし、アナスタシアとマシュは必ず勝つ。
諦めてたまるか。
「やるぞ、いつも通りだ」
「マシュが護って―――」
「キャスターが撃つ! いくぞ!」
『気をつけるんだ。魔神柱の根がアルゴー船に根付いている。この船そのものが奴の体だと思ってくれ!』
咆哮のような明滅と共に魔力の波が襲いかかってくる。
甲板の上を走る爆炎と魔力光が魔神柱の武器だ。
こちらを守るために盾で受け止めたマシュが悲鳴を上げ、攻撃の余波が
慌ててドレイクは部下に撤退の指示を出し、船を傷つけられたお返しだと言わんばかりにピストルをお見舞いする。
アタランテとアルテミスも左右から息のあったコンビネーションで弓を放ち、血走った魔神柱の眼を次々に潰していった。
しかし、腐臭を放ちながら潰れた眼は瞬く間に再生し、その視線が火柱となって2人に逆襲する。
フランスでジル・ド・レェが召喚した大海魔と同じだ。
出鱈目な再生能力で傷ついた端から再生していっている。
加えてこいつは大海魔とは比べ物にならない規模の威力で波動を放ち、攻撃の余波で穏やかだった海原すら嵐のように激しく揺らす。
「きゃっ、ダーリン!?」
「死ぬぅ、こんなの俺死んじゃうぅ!!」
撃ち落とされたアルテミスが打ち付けた頭を擦り、オリオンが泣き喚きながら必死で炎を避け続ける姿が目に映った。
イアソンとしての自我は残っていないのか、魔神柱は自動的に近づくものを攻撃するばかりだ。
慎重に立ち回れば隙を突くことも可能だが、攻撃の威力が桁違いに高い。
しかも吐き出された炎が当たると纏わりつくように残り続けて身を焦がすため、戦いが長引くにつれてこちらの消耗も激しくなってくる。
「これならばどうだ、
天に向けてアタランテが放った2本の矢。
それは太陽神アポロンと月女神アルテミスへ訴えであり、それを聞き届けた神々の兄妹は天から無数の矢を放つ。
豪雨の如き光の雨は魔神柱の体に突き刺さり、全体の実に7割近い表皮をズタズタに引き裂いた。
これには堪らず魔神柱も咆哮を上げて悶えるが、倒し切るには至らなかった。
傷ついた体は見る見るうちに再生し、その眼から放たれる炎の凝視が甲板を駆けまわるアタランテの体を焼かんとする。
「アタランテ、こっちだ!」
「すまん、ダビデ!」
ダビデに腕を引かれ、アタランテはギリギリで炎の視線を避ける。
標的を見失った視線はそのまま天を仰ぎ、一瞬、焼かれた空が紅蓮に染まった。
「打つ手がないな、これは。藤丸くん、君は前にも魔神柱と戦ったんだろう? その時はどうやって倒したんだい?」
「ローマがローマ力を解放して押し潰した」
「なるほど、実にローマだ」
「待て、この状況でどうして冗談が言えるんだ、お前達!!」
立香はまだ何となく何が言いたいのかわかるが、便乗して悪乗りをするんじゃないとダビデには問い詰めたい。
『前はロムルスが助けてくれたから何とかなったけど、あんな奇跡は何度も起きるものじゃない!』
「なら、どうすれば!?」
『聖杯だ! 聖杯がイアソンの霊基と結びついて魔神柱を構成しているのなら、聖杯を抜き取れれば力が弱まるはず。うまくいけば自壊するかも!』
「それなら視えているわ。マスター、攻撃を集中して!」
アナスタシアの冷気が炎を包み込み、氷柱が魔神柱の表皮を抉る。
それに続く形で各々の宝具が炸裂し、爆炎が甲板を包み込む。
視界が隠れる寸前、弾け飛んだ肉の向こうに輝く水晶体を見た。
今の攻撃は確実に異形の肉を突き破り、聖杯に届いたはずだ。
「聖杯、回収します。これで―――」
「ダメだ、下がるんだマシュ!」
聖杯を抜き出すために近づこうとしたマシュを立香が制する。
直後、マシュの数歩手前に炎の柱が立ち上った。
黒煙の向こうから気味悪げに蠢く肉の柱が姿を現す。
宝具の連続攻撃を受けてその形は一層醜く歪んでいるが、受けた傷は既に塞がろうとしていた。
再生速度が大海魔とは段違いだ。
デミ・サーヴァントとはいえ、非力なマシュの力では聖杯を抜き取る前に再生されてしまう。
接近戦に強いサーヴァント、それこそヘラクレスのような英霊ならば再生するのも構わず無理やり聖杯を引き抜くこともできるだろうが、後衛ばかりのこちらの戦力ではそれは適わない。
「こりゃダメだ、僕達だけじゃ聖杯を奪えない」
「暢気なことを言っている場合か!」
ダビデを叱咤しつつ、アタランテは再び宝具を発動して魔神柱の足止めを狙う。
倒せないのなら、せめて間断なく攻撃を続けて動きを封じることで時間を稼ぐ。
魔力の消費が増え、彼女の霊基が軋みを上げ始めていることに気づいた他の面々もアタランテの負担を減らそうとそれに続いた。
「マスター、令呪による空間転移を。それならば再生する前に近づけます」
「けど、失敗したら―――」
あの炎の凝視を至近距離で受けることになるか、再生に巻き込まれて肉に押し潰される。
自分のサーヴァントをそこまでの危険に晒せるのかという躊躇と、やらなければ勝利はないという焦燥感の板挟みが立香を襲った。
どういう言葉をかけるべきか、カドックもまた迷う。
冷酷に指示を下すべきか、他の作戦を模索すべきか。
迷いは隙となり、走る火柱がこちらにまで及び始めた。
逃げ遅れた立香を守るためにカドックは防御の魔術を展開する。
「くそっ、こんなはずじゃ―――」
このままではみんな、あの視線で焼き尽くされてしまう。
魔術の障壁の隙間から入り込んだ炎に炙られながら、カドックの心の片隅にほんの少しの諦観が芽生えかける。
それを払拭したのは他ではない。我らが船長の一喝だった。
「欲しいんだろ! だったら奪え、力尽くでぇっ!!」
自らの船の上で死闘を繰り広げるティーチは、魔神柱に向けて高らかに宝具の真名を開帳した。
□
弾切れを起こしたピストルを投げ捨て、サーベルでヘクトールの槍を受け止める。
ティーチの体は至る所がボロボロで、傷をついていない場所を探す方が難しい。
未だに現界を続けているのはティーチ自身のタフネスと、致命傷を辛うじて避け続けているからだ。
「しぶといね、おたくも」
「褒められているなら嬉しいね」
「そうかい。だが、隙ありだ」
注意が一瞬、魔神柱に逸れた隙を突かれて槍の切っ先が胴を薙ぐ。
忽ち、流れ落ちた血が甲板にどす黒い地図を描く。
霊核には達していないが、急いで修復しなければ危ない傷だ。
だが、ティーチもただではやられない。
首から下げていた爆弾に指の摩擦だけで火を起こし、その爆炎を目くらましにして大きく後退する。
カドック達が苦戦している。
あの魔神柱とやらの力の源は取り込んだ聖杯らしい。
魔術のことは触り程度のことしか知らないが、ようするに物凄く強靭な心臓を持った化け物という認識で良いのだろう。
心臓さえ潰してしまえば生きていられる生物はいない。
そして、あれの心臓は自分から奪い取られた聖杯だ。
最早、聖杯そのものに未練はないが、それはそれとして海賊の矜持が目の前のお宝を無視することを許さない。
奪われたのなら奪い返す。
因果応報の報いを持ってアルゴノーツに復讐するのだ。
「させるか、黒髭!!」
黒煙を引き裂いてヘクトールが槍を突き出す。
ここに来て最速の一撃を前にティーチは迎撃が間に合わず、迫りくる槍をかわすこともできない。
万事休すと顔をしかめると、勝利を確信したヘクトールの顔に僅かな笑みが浮かんだ。
「
槍が突き刺さる寸前、
それによってバランスを崩したヘクトールは明後日の方角に矛先を向けてしまい、逆に無防備となった体をティーチに晒してしまった。
「なっ!?」
「デュフ! 女神の加護ですな!」
「―――やっぱり、慣れない悪役はするもんじゃねぇな」
引き金が引かれ、がら空きの胴体を撃ち抜かれたヘクトールはいつもの飄々とした態度のまま消滅した。
その様を静かに見下ろしたティーチは、一瞬だけこちらを見つめていたエウリュアレに視線を送る。
既に彼女は魔神柱との戦いに戻っていた。
最後に何を思って助けてくれたのか、それを確かめる術はもうない。
自分は恐らく、この一撃を持ってこの戦いから姿を消すのであろうから。
故に、最後は華々しく終わるべきだと、船首に立ったティーチは高らかに宝具を開帳する。
「さあ野郎ども起きやがれ! 黒髭様のお通りだ! ここは海賊共和国、金も女も根こそぎ奪え! お楽しみはこれからだ!」
かけるは号令、下すは略奪。
これが海賊の生き様よ、とくと味わえ魔神柱。
「
□
嵐が来た。
雷鳴にも似た号砲、雷雨にも似た水飛沫。
しかしてそれは
「黒髭の奴、いったい何を―――」
「ダーリン、あれを見て!」
最初に気づいたのはアルテミスだった。
号砲と共にアルゴノーツへと乗り込んできた無数の男達。
全員が手に手にカトラスやピストルを持ち、古びた衣装とバンダナで身を固めたクラッシックな海賊スタイル。
彼らには顔がない。
その表情は確かに笑っているにも関わらず、その顔は剥ぎ取られたかのように生気を感じさせない。
あれは亡霊だ。
ティーチの船に乗っていた乗組員。
時に笑い合い、賭けに興じる船乗りの亡霊が、宝具の真名解放と共にその本性を現したのだ。
そう、彼らは奪う者。
海に生き、海で死んだ根っからの略奪者。
欲しいままに奪い取り、望むままに犯しつくした唾棄すべき悪。
それこそが黒髭エドワード・ティーチの宝具。
亡霊の部下と共にお宝を奪い去る、略奪に特化した怪物船。
「アナスタシアさん、私の後ろに!」
「こいつら、敵の識別はできているみたいだけど、攻撃に見境がないぞ! 巻き込まれるな!」
肉の柱に向けて次々と襲い掛かる亡霊達。
カトラスで切りつけ、ピストルや爆弾が火を放ち、スコップとハンマーが振り下ろされ、四肢がもげるのも構わず、焼き尽くされ、押し潰されるのも構わず、亡霊達は一心不乱に聖杯目がけて蟻のように群がっていく。
奪うという執念。
生涯を通して奪い続けたティーチの信念が形となった宝具は、たかが死にたくないという自己防衛のみで突き動かされていた魔神柱の肉を抉り、引き裂き、その手が遂に聖杯を掴む。
まるで果実をもぎ取るように、生々しい肉の弾ける音と共に血で汚れた聖杯が白日の下に晒された。
『聖杯の喪失を確認! 魔神柱の反応が弱まったぞ!』
「倒したのか!?」
『ダメだ、既に自前で魔力の生成を始めている。だが、今ならば倒せるはずだ!』
崩壊を始めた肉体を震わせ、魔神柱は残った力を総動員して炎の視線を放つ。
せめて、少しでも長く生き永らえるために、目の前の敵を屠らんとする。
だが、破れかぶれで放たれた炎はマシュの盾によって容易く防がれてしまう。
「カドックさん、お願いします!」
「キャスター、諸共に吹き飛ばす! これで最後だ、全部持っていけ!」
残った肉片が再生を始める前に全て吹き飛ばす。
聖杯を失い、弱った今ならば彼女の眼を封じる力も働かない。
ここで決着をつけるために、カドックは残っていた全ての令呪をアナスタシアに捧げ、宝具の使用を命じた。
「我が永久凍土は四海を侵食する、凍らぬ海などないと知りなさい。さあ、ヴィイ。瞼を開き全てを呪え!
氷の視線が炎の凝視を飲み込む。
吹き荒れた吹雪は肉片も噴き出す血も、未だに群がり続ける亡霊たちをも巻き込み、全てを洗い流していく。
やがてヴィイの瞼が再び閉じられた時、そこには亡霊もイアソンの姿もなく、妖しく輝く偽りの聖杯だけが残されていた。
後1話。
オケアノス編は黒髭をメインにするにあたって色々と迷いました。
最初は黒髭だけ生き残ってドレイクの下働きしつつ一緒にヘラクレスと鬼ごっこでプロット立てましたけど、しっくり来なかったのでこういう形に変更。
宝具解放はそのまんまですね。折角だから聖杯を略奪し返してもらおうと。
2部2章クリアしましたけど、オフェリアでの人理修復もそれはそれで面白そうですね。
以下、思いついたオルレアン編の妄想。
シグルドの場合:
邪ンヌ「さあ、やっておしまいファヴニール!」
シグルド「当方に迎撃の用意あり。太陽の魔剣よ、その身で破壊を巻き起こせ!」
マルタ「私が竜殺しを庇った苦労は!?」
ジークフリード「すまない。本当にすまない」
???の場合:
邪ンヌ「さあ、やっておしまいファヴニール!」
???「我が炎、太陽を簒奪せり。星よ終われ、灰燼に帰せ!」
聖女「フランスオワタ」