Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
それは第三特異点の修正を終えてからしばらくしての事。
ハロウィンに沸き立つ微小特異点だとかぐだぐだ粒子だとか色々と細かな事件はあったものの、未だ第四特異点へのレイシフトの準備は整っておらず、カルデアのマスター2人は日々、召喚されたサーヴァント達が起こす騒動に追われていた。
そんな中、マシュはアナスタシアからの誘いを受けて食堂で細やかなお茶会を開いていた。
「それでね、カドックってば昼食の時間だというのに音楽に夢中でヘッドホンを外そうとしないのよ」
「はあ、だからと言って「シュヴィブジック」でヘッドホンのコードに切れ込みを入れておくのはどうかと思いますが」
ノリに乗ったところで首を振ったらコードが切れてしまい、物凄く落ち込みながら立香のもとに予備を借りに来たらしい。そのお礼のつもりなのか、今日の特訓は幾分、優し目だったと立香は言っていた。
「マスターなのだからサーヴァントのわがままの一つや二つは受け止める度量がなければダメよ」
「わがまま……」
それは布団の中にこっそりカエルの玩具を仕込んでいたり、寝ているマスターの耳元に水滴を垂らしたり、ブーツの紐を全て抜いておくことを指すのだろうか?
一つ二つどころか、ほぼ毎日何かしらの悪戯を仕掛けてはカドックを困らせているように思えるのは気のせいではないだろう。
特異点では互いを尊重し合って理想的な主従関係を築けているだけに、マシュはそれが不思議でならなかった。
「アナスタシア皇女は、別にカドックさんのことを嫌ってはいないのですよね?」
「ええ、もちろん。彼ってばいちいち真面目に反応を返してくれるから、見ていて面白くて」
「ハロウィンの時は本当にどうなることかと――――」
謎の招待状から始まった大冒険。
監獄城チェイテで待ち受ける数々の試練とその先に待っていたものとは――――。
臨死の恍惚を浮かべる立香と不幸にも正気を保ち続けたカドック。そして悪ノリして歌い出すアナスタシア、悔しがって更に歌うドラ娘。
更にそれを発端としたアナスタシア主宰による
ちなみに、ほぼ巻き込まれた形となったマシュはとっくの昔に記憶からその出来事を抹消していた。
「楽しかったわね」
「エエ、タノシカッタデスネ」
うっかり近くを通りがかってしまい、後遺症で今も苦しむスタッフがいることを彼女は知らないのだろう。
基本的に善人なのだが悪戯心に火が付くと生来の快活さとを取り戻し、周囲(主にカドック)を振り回す悪癖がある。
このまま彼女に話の主導権を握らせていてはまた変なことを始めかねないと思ったマシュは、何か新しい話題はないかと考えを巡らせた。
「そ、そういえば、お二人はいつも一緒におられますね。待機中は何をされているのですか?」
「………………」
何か嫌なことを思い出したのか、アナスタシアの表情が冬場に凍り付く湖のように冷め切っていく。
これはひょっとして、地雷を踏んでしまったのだろうか?
「聞きたい?」
「い、いえ、その…………」
「あの人ね、ちっとも相手をしてくれないのよ」
「え? え?」
物凄く含みのある言葉にマシュは思わず赤面する。
まるで直火で炙られたかのように頬が熱く、耳元まで真っ赤になっているだろう。
マシュ自身はそれを資料室の教本と女性スタッフからの簡単なレクチャーで得た知識しか知らないのだが、もしも自分の想像が当たっているのだとしたら、カドックはアナスタシアからの求めを無碍にしていることになる。
カルデアの召喚形式の関係上、それは必ずしも必要な行為ではないのだが、それはそれとしてこんな愛らしい少女からの頼みを断るなんてカドックは何を考えているのだろうか?
まさか、立香への訓練にあんなにも熱を入れているのはそういうことなのだろうか?
「部屋にこもって音楽と魔術の研究ばかり。私が遊んでとせがんでも相手にしてくれないの」
「で、ですよねー」
先ほどまでの想像を頭の中の特異点に葬り去り、引きつった笑みを誤魔化す。
ようするに彼女は暇を持て余しているのだが、カドックは余り構ってくれないらしい。
カドックは真面目で勉強熱心だが人付き合いは余りいい方ではない。Aチームが健在だった頃も談笑などには余り参加しなかったし、みんなから距離を取っていた。
ただ、アナスタシアに対しては幾分、態度も柔らかく彼の方から寄り添っているように思えるのだが、その辺はどうなのだろうか?
「カドックさんは、そんな冷たい人ではありませんよ」
「知っているわ。お茶の淹れ方は下手だけど練習して少しずつうまくなっていっているし、どんなに忙しくても話しかければ無視せずきちんと目を見てくれる。こちらの質問にもちゃんと答えてくれるのよ。知っている? 得意分野の話をさせると途端に饒舌になるの。それに眠る時もちゃんと手を握ってくれるし、この前は――――」
「はい、ごちそうさまです。エミヤ先輩、こちらにコーヒーを、お砂糖とミルクはなしで」
ひょっとして彼女のわがままは、倦怠期を迎えた夫婦のあれなのだろうか。
運ばれてきた熱々のコーヒーで舌を焼いてしまい、表情をしかめながらマシュはそんな風に考えた。
「そういうマシュはあのマスターさんとどうなのかしら?」
「せ、先輩とですか?」
「部屋から出てくるところ、視てしまったの」
「カルデア内は魔眼禁止です」
マシュは呆れるように頬を掻きながらアナスタシアに注意を促す。
「わたし、カルデアの外のことを何も知らないので、時々教えてもらっているんです。先輩の故郷のこととか、学校や社会のこととか、同年代の方々が何をしているのかとか」
デミ・サーヴァント実験の被験体として生み出され、生まれてから今日までをこのカルデアで過ごしてきた。
様々な事情から無菌室を出て自由に歩き回れるようになったのはここ一年のことなので、自分が持つ思い出は驚くほど少なく、他の人が当たり前にしてきた体験をしていない。
その人生に後悔や慚愧はないが、得られなかった生き方への憧れと興味は人一倍にある。また自身のマスターであり敬愛する「先輩」である立香の人となりを知ることにも繋がるため、彼に教えを受ける時間はマシュにとって二重の意味でお得な授業であった。
「先輩は色々なことを教えてくれるんです。学校の授業は退屈で眠くなるだとか、帰宅部なる部活動があるだとか、学園七不思議なのに何故か8つも話が存在したり、お弁当を何故かお昼ではなく授業中に食べる人がいて、それから――――」
「ごちそうさま。タマモキャット、クワスを頂戴――ない? なら何でもいいからアルコールをくださいな」
差し出された琥珀色の炭酸飲料を一気に飲み干し、眉間に皺を寄せたアナスタシアは口直しのクッキーへと手を伸ばした。
厨房に視線を向けると、エミヤがタマモキャットに何やら真剣な顔で説教をしているのが見える。
ひょっとして、かなり度数の高い飲み物が運ばれてきたのだろうか?
「大丈夫ですか、アナスタシア皇女?」
「ええ、少し咽ただけ。こんな姿はカドックには見せられないわ。あなただけよ、マシュ」
アナスタシアは悪戯っぽく唇を綻ばせる。
そうやって笑う様は自分と同じ同年代の少女のようで、端から見れば彼女が人理に刻まれた英霊であるなどと誰も思わないだろう。
「そうだ、お呪いを決めましょう」
「お呪いですか?」
「私達のサインを決めるの。友情と結束の証よ」
生前も姉妹間でサインを決め、身の回りのものに書き記すなどをしていたらしい。
ちなみに末っ子のアレクセイは男の子ということもありそれに加わらなかったとのことだ。
「私とマシュの名前からとって、『AM』。互いを憎まず妬まず、共に戦う
「それは、とても光栄です。アナスタシア皇女」
「皇女はよして。お友達なのだから、名前で呼び合うものよ、マシュ」
そう言ってアナスタシアは身を乗り出し、こちらの手にそっと自分の手を重ねてきた。
一瞬、ヒンヤリとした感触が手の甲を伝うが、すぐに慣れて彼女の暖かな温もりが伝わってくる。
冷たくて人を寄せ付けない気配を放っているが、本当はこんなにも暖かくて優しい人なのだ。
「はい、アナスタシア」
『AM』。それは健やかなる時も病める時も、奇跡的に結んだこの縁を尊重しようという2人の誓い。
共にマスターの力となり、グランドオーダーを無事に乗り切ろうという願いだ。
その誓いを胸に、どちらからというでなく2人は笑い合う。
その時、壁越しでも聞こえるほどの大きな足音を立てながら2人の少年が食堂に飛び込んできた。
立香とカドック、自分達のマスターだ。
「マシュ、ここにいたんだ。すぐに来て欲しい!」
「アナスタシア、レイシフトの準備だ。急いでくれ!」
いったい何があったのか、2人は酷く慌てている。
ただ事ではない気配を感じ取り、マシュとアナスタシアは無言で視線を交わすとそれぞれの主に向き直った。
「レオニダスが訓練相手にすると言ってレイシフト先からキメラを連れ込んだんだ。本人はライオンだって言い張っているけど、あれはどう見てもキメラだ!」
「カルデア内でネズミ講の被害が出ている。この状況で騙される方も騙される方だが、放ってはおけない。容疑者は男性、赤い服に月桂冠、下腹タプタプのペテン師だそうだ」
今日も今日とてカルデアは平常運転。
慌ただしく動き出した2組の男女はすれ違った職員への挨拶もそこそこにそれぞれの仕事を果たすため、食堂を後にする。
その光景をどこからか見つめていた白い獣は、とても楽しそうに尻尾を振るのだった。
なお、作中でマシュが語ったイベント『獣国音楽祭アナスタシア』の執筆予定はありません。