Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
謎の襲撃者との戦いを終え、立香達と合流したカドック達は、鎧姿の騎士――モードレッドの提案でシティエリアの一角にあるアパルトメントを訪れた。
そこはモードレットと協力関係にある青年の家で、彼女はここを拠点にロンドンの異変の調査を行っているらしい。
通された部屋で待っていたのは眼鏡をかけた人の良さそうな青年で、彼は自身をヘンリー・ジキルと名乗った。
「――なるほど、人類史に打ち込まれた七つのボルト。君たちはその特異点を修正するためにやってきたということだね」
「はい。街頭で乱戦になっていたところをモードレットさんに助けて頂きました」
「そちらの事情は概ね理解したよ。僕の方としても協力者ができるのはありがたい」
ジキル曰く、ロンドンがこのような有り様になったのは3日ほど前かららしい。
魔力を帯びた有害な霧――魔霧が蔓延し、自動人形や殺人ホムンクルス、そして彼らがヘルタースケルターと呼ぶ機械人形が往来を練り歩くようになったとのことだ。
魔霧とそれらの異形により、ロンドンの市民は数十万単位での被害が出ているとジキルは考察している。
「魔霧は屋内には入り込まない性質のようだけど、水や食糧がなくなればロンドンは全滅だ。事態は急を要するけれど、僕だけじゃ打つ手がなくてね」
「オレの方も召喚されたはいいがマスターもいなくてうろついてところをこいつと出会ったんだ。ま、協力関係ってやつだな。ブリテンは父上が愛した国だ。オレ以外の奴がぶっ壊そうとするのは気に入らねぇ」
鎧を一部脱ぎ、ドカンとソファに腰かけながらモードレッドは言う。
兜の下から露になったその顔は、冬木で対峙したアーサー王にとてもよく似ていた。
違いがあるとすれば彼女よりも若干幼く、年相応に生意気な顔つきをしていることだろうか。
それもそのはず。アーサー王とモードレッドは血縁関係にあるのだ。
姉であるモルガンがブリテンの王位を簒奪するため、アーサー王を幻惑して身籠ったのがモードレッドとされており、成長したモードレッドは円卓の末席に加わるものの、最終的には叛逆を起こしてアーサー王と相打ちとなる。似ているのも当然だ。
やはりというべきか性別が後世に誤って伝わっていたようで、鎧を脱いだ彼女はアーサー王に似て非常に美しい少女の姿をしていた。
そうなると気になってくるのは彼女の出生の経緯である。ここまでくると実はモルガンが男だったと言われても驚かないかもしれない。
「ああ、そこは僕の個人用のソファなのに……はあ、言っても聞かないんだろうね」
モードレッドの振る舞いにため息を吐きながら、ジキルは全員分の紅茶の用意を始める。
一本だけ見慣れない飲料が運ばれてきたが、どうやらモードレッド用のものだったようで、彼女はよく冷えたそれを一気に流し込んで一息を入れる。
「おや、サイダーですか? わたくしも一本もらってよろしいでしょうか?」
「ああ、まだ備蓄はあるから持ってこよう」
「サイダーがこの時代にあるの? 俺も貰おうかな」
「お前はまだ未成年――いや、ここはイギリスだから別に良いのか?」
「イギリスでは18歳からですね。わたし達は紅茶を頂きましょう、先輩」
「え? どういうこと?」
サイダーはリンゴを発酵させた発泡酒で、イギリスでは非常にポピュラーなアルコール飲料だ。
爽やかで口当たりも甘く、安価で出回っているので働き始めた若年層が初めて購入することが多い酒である。
ちなみに立香曰く、日本にはサイダーという炭酸飲料があるのだそうだ。
彼が勘違いするのも無理はない。
「一服したところで確認したいことが2つある。まず、ミスター・ジキル。あんたはサーヴァントじゃなくて人間なんだな?」
「うん、僕はモードレッドと違って生きた人間だ。正規の魔術師ではないけれど、霊薬調合の心得があってね、この街で碩学――科学者をしている」
「あの、ジキルということでいいのか? 小説の主人公の?」
「小説? 申し訳ないけど、心当たりがないな」
ヘンリー・ジキルという名前は小説『ジキル博士とハイド氏』の主人公の名前である。
自身の心を善と悪に分離させる薬を作り出したジキル博士が、やがては自分の人生を悪の側面であるハイド氏に乗っ取られていく恐怖小説だ。
だが、ジキルの言葉によるとそのような小説は出回っていないとのことだ。
ひょっとしたら、特異点化の影響で事象にずれが生じているのだろうか。
彼は紛れもなく小説の主人公ヘンリー・ジキル。或いはそのモデルとなった人物であるのかもしれない。
「まあ、僕の話は置いておこう」
「ああ、寧ろこっちが本題というか……」
ジキルと視線が合い、何とも気まずい空気が生まれる。
恐らくこちらが言いたいことを察してくれたのだろう。
彼はこちらを同情するように目配せすると、先ほどから視界の端をウロチョロする白面化粧の道化師へと目をやった。
「いやあ、一仕事の後のサイダーは格別ですなぁ」
「おお、お前わかっているじゃねぇか。よし、もう一本飲め。オレのおごりだ」
「これはこれはご丁寧に。ささ、藤丸殿もこちらへ。お近づきの印にこの綺麗なお花を……パーン! はい、押し花になっちゃった!!」
「ハハハッ、それ手品のつもり?」
「おや、お気に召しませんか? では次なるは種も仕掛けもない切断マジックなどを……大丈夫、わたくし悪魔ですから」
敢えてここまで触れないようにしてきたが、馴染み過ぎである。
「君たちの仲間、でいいのかな?」
「一応、そういうことらしい」
自身をメフェィストフェレスと名乗ったこの道化師は、謎の襲撃者を撃退した後、自分達との同行を申し出てきた。
どうやら彼はモードレッドと同じくマスター不在のはぐれサーヴァントらしく、ロンドンの異変解決のために動いていたらしい。
本人は目的が同じならば協力しようと言ってきたのだが、その笑顔が余りに胡散臭いのでいまいち信用が置けないのが残念なところだが。
「はい、わたくしのことは花瓶か何かだと思っていただいて結構! 何でしたら咥えましょうか、こちらの薔薇? 棘なんて取っていませんからカーペットが汚れてしまうかもしれませんが?」
「いや、いいから。薔薇はしまっとけ。後、アナスタシアに近づくな、彼女が怯える。隅っこにいろ」
「はい、ご主人様! ワン!」
(つ、疲れる……)
スパルタクスも黒髭も狂っていたり精神が破綻していたりでコミュニケーションが取りにくい輩だったが、この男も負けず劣らずユニークな性格をしている。
基本的にハイテンションな上、考え方にある程度の傾向があった先の2人と違って、びっくり箱のように何を仕出かすかわからないのだ。
そして、当然のようにこの奇妙なサーヴァントの面倒は自分が見ることになった。
曰く、気に入られたらしい。
(悪魔だぞ……メフェィストフェレスって悪魔だぞ……)
ゲーテが作曲した戯曲『ファウスト』において、主人公ファウストを誘惑し堕落に誘うのが悪魔メフィストフェレスだ。
サーヴァントの鉄則に当てはめるのなら真性悪魔は召喚できないので、彼はそのモデルとなった人物なのだろう。
道化師を思わせる奇抜な格好と奇矯な言動は正に悪魔的で、これから一緒に行動することに対して不安しかない。
正直に言うと、彼の言葉をどこまで信用して良いのかわからないのだ。
「えっと、気休めだけど何か処方しようか?」
「とりあえず気付けをくれ」
気持ちを切り替えなければならない。
自分はカルデア最後のマスターで、人理修復というグランドオーダーを成すためにここにいるのだ。
こんな些末なことをいちいち気にしていては身が持たない。
「とにかく方針は決まった。ここを拠点としてロンドンを調査し、異変――魔霧の原因を取り除く。恐らくはそこに聖杯が絡んでいるはずだ。それでいいかな、ミスター・ジキル?」
「ジキルでいいよ。狭い場所だけど、自由に使ってくれて構わない」
『それはありがたい。マシュ、運がいいことにそのアパルトメントは霊脈の上にある』
「はい。この部屋で召喚サークルの確立が可能です」
毎度、カルデアからの補給物資には助けられているが、今回は外出も困難な状況なので、拠点の中で支援を受けられるのは非常に有難い。
マシュは慣れた手つきで床の上に盾を置き、カルデアとのパスを繋げようとする。すると、その隣にアナスタシアもしゃがみ込むと、盾に添えられたマシュの手の平の上にそっと自身の手を重ねて言った。
「それだけでは不十分ね。今回はここを私の工房――いえ、城塞とします」
「そんなことができるんですか、アナスタシア?」
「私のクラスを忘れたの、マシュ?」
『そうか、アナスタシア皇女の陣地作成スキルか。工房内なら能力を十二分に活用することができるぞ』
「このロンドン全域を視ることが可能です。魔霧が阻もうとその虚飾の先をヴィイは見抜きます」
『こちらの観測と合わせれば従来通りのサポートが可能だ。やったね、カドックくん、藤丸くん』
「寧ろ、今までがおかしかったのよ。魔術師のクラスをあちこち歩き回らせるなんて。ねえ、カドック?」
「あ、ああ」
思わず上擦った声を出してしまうが、幸いにも気づいた者は誰もいなかった。
キャスターが後方支援を行う。それは非常に理に適った作戦であり、異論を挟む余地はない。
だが、同時にそれはアナスタシアを――そのマスターである自分と共に――前線から下げることを意味していた。
グランドオーダーという偉業を成し、自分の力を証明する。その機会を失ってしまうということだ。
もちろん、後方支援も立派な戦いであるし、ここまでの功績やこれから先の特異点での戦いでいくらでも手柄を立てる機会はあるだろう。
それでも、今まで凡人なりに最前線で戦ってきたという自負が傷つけられたような気がした。
そして、そんな風に考えてしまっている自分が堪らなく情けなく感じられた。
□
アナスタシアの工房の確立を待ってから、立香とマシュはモードレッドを伴って行動を開始した。
今回の任務はジキルの協力者であるスイス人碩学、ヴィクター・フランケンシュタインの保護だ。
名前からも分かる通り、メアリ・シェリー著『フランケンシュタイン』に登場する怪物を生み出したあのフランケンシュタイン博士の孫に当たる人物だ。
ジキルはヴィクター氏を始め、市内にいる何人かの協力者達と無線による情報交換を行っているらしい。だが、ヴィクター氏は今朝方から連絡がつかず、不審に思ったジキルが彼の保護を頼んできたのだ。
「うぅむ、早速お留守番ですねマスター。どうです? 寂しさを紛らわすためにわたくしとトランプなど致しますか?」
霧の中へと消えた立香達の背中を、意味もなく窓の向こうに探していたカドックに、メフィストは相変わらずの調子で話しかけてくる。
微妙に神経を逆なでするようなトーンが癪に障る。
気を遣うということを知らないのだろうか、この悪魔は。
「そんな気分じゃない」
「おやおや、ご機嫌が優れない? あれですかな? 本当はご自分が行きたかったのですかな? 下積みは大切ですものねぇ。今からでも間に合いますし、お供しましょうか、マスター?」
「放っておいてくれ。いいか、これからアナスタシアのところに行くからお前は来るな。ジキルの手伝いでもしてろ」
「はーい、かしこまり!!」
テンションの高い返事と共に、メフィストはホウキを片手にジキルのもとへと向かう。
部屋の掃除でもするつもりなのだろう。
自称、生まれついてのサーヴァントらしく家事は一通り身に付けているとのことらしい。
「ご苦労様、マスター。彼には気を付けて。道化というものはそれだけで信用ならないものよ」
「随分と辛辣なんだな」
「生前の教えなの。道化は演ずるもの、本心を隠しているのだから、油断ならないでしょう? あの海賊みたいに」
黒髭のことだ。エドワード・ティーチは普段こそオタク趣味で幼女が好きな真性の変態だが、その実は海賊としての矜持を持ち、常に冷徹に事を成す生粋の悪党だ。
道化を演じているという意味では通ずるものもあるだろう。
古今東西、無能を装って寝首を掻くのは戦の常套手段だ。
「騙し合いなら魔術師の十八番さ。それより、藤丸達の様子は?」
「戦闘を避けながら進むから、どうしても遠回りになります。ヴィクター氏の家まではもう少しかかるみたい」
「そうか。なら、そのまま聞いて欲しい。手が空いている時でいいから、あの時の敵を探して欲しい」
「
カドックの手には魔霧が発生した初日に発行された新聞記事が握られている。
見出しには『切り裂きジャック現る』と書かれており、市内で起きた不可解な惨殺事件についての記事が載せられていた。
それによると、イーストエンドやホワイトチャペルを中心に女性ばかりを狙った連続殺人が起きていたらしい。
被害者は全員、喉を掻き切られた後に腹部を裂かれ、臓器を解体されている。
その残忍な手口から切り裂きジャックと呼ばれているようだ。
そして、ジキルの話では切り裂きジャックは都市機能が麻痺した今も市内に出没し凶行に及んでいるらしい。恐らく、切り裂きジャックはサーヴァントか霧の中で活動できる魔性の類なのだろう。
レイシフト直後にアナスタシアを襲ったのもこの切り裂きジャックで間違いないはずだ。
「けれど、私は切り裂きジャックの顔を覚えていません」
「僕もだ。カルデアの方もダメだったらしい。何らかのスキルか宝具で記憶を歪められているみたいだ。記録映像も動きが速くてうまく写っていなくてね。わかっているのは刃物を使う殺人鬼ってことくらいだ」
「アサシンのクラスなのだとしたら、厄介ね」
アサシンは隠密行動に特化したクラス。本気で隠れられると探し出すのはまず不可能だ。
そして、ヴィイの魔眼は透視の魔眼。霧の向こうを視ることはできても、隠れ潜んでいる者がどこにいるのかを知ることはできない。
その上で切り裂きジャックを見つけ出すとなると、決して狭くはないこのロンドンで奴が犯行を行う瞬間を運よく目撃するしかないだろう。
「とにかく今回、僕は魔術回路を回すことを優先するから、君は遠慮なく魔力を持っていってくれ。幸い、霊薬のプロがここにはいる」
「薬に頼るのはよくありません。こっちに来なさい、膝くらいなら貸してあげるから」
「よしてくれ、子どもじゃないんだから」
「弟みたいなものでしょう」
「なっ、僕の事をそんな風に見ていたのか!? 今までずっと!?」
「何を怒っているの、カドック?」
「あ、いや……」
自分でもおかしなことを言ったと思い返し、彼女から視線を逸らす。
アナスタシアが自分のことをどう思っていようと関係ないだろう。
自分と彼女はマスターとサーヴァント。それ以上の関係ではないはずだ。
そのはずなのに、胸の奥がざわついたかのように落ち着かないのは何故だろう。
「カドック?」
「何でもない。隣――いいかな?」
「ええ、どうぞ」
促されるまま、2人で座るには少しだけ小さなソファに腰かける。
自然と体が密着し、仄かな石鹸の香りが鼻孔をくすぐる。
少しでも余裕を持とうと右腕をアナスタシアの背中に回す形を取ったが、却って肉付きのよい彼女の感触を肌で実感する形となり、早鐘を打つ鼓動を聞かれてはいないかと不安になった。
「顔が赤いわ」
「っ――――」
「可愛い人ね。さっきみたいなことを言われたくなかったら、もっと自信をつけなさいマスター。いつまでも子どもじゃないのでしょう?」
「君の方こそ、いつまでも僕が下手に出るとは思わない方がいい」
「ええ、期待しています、カドック」
慈しむような、包み込むような微笑みを浮かべ、アナスタシアはそっとこちらの肩に首を傾けてくる。
街は魔霧に覆われ、異形の殺人者が闊歩する中で、こんなにも穏やかな時間が流れて良いのだろうか。
魔力を吸い上げられる疲労感も手伝って、いつしかカドックはアナスタシアに寄り添ったまま眠りの世界へと誘われてしまう。
そんな微睡みを引き裂いたのは、空気の読めない悪魔のハイテンションな声であった。
「マスター、何か鳴ってますよ!」
「きゃっ!?」
「っ――メフィスト!? 来るなと言っておいただろう!」
「ええ、そのつもりでしたが何やら鳴っているようでしたので気になって。はい、通信機!! お呼びのようですよ。ああ、それともお邪魔でしたか? アヒャヒャヒャヒャ!!」
振動する通信機を手渡し、メフィストは部屋を後にする。
呆気に取られながらもカドックは思考を切り替え、受信のスイッチを入れる。
メフィストに小言を言うのはその後からでもいい。
「藤丸か?」
『カドック? 一足遅かった。ヴィクター氏は殺されていた』
「何だって!?」
『ドクターの解析じゃ、朝方には亡くなられたみたいだ。詳しくはこれから調べるけれど、書斎に残っていたのは……食べ滓だけだ』
「……わかった。切り裂きジャックの件もある、注意してくれ」
『それと、同居人がもう1人増えることになったよ。ヴィクター氏の屋敷にいたんだ。本物の、フランケンシュタインの人造人間が』
霧の街を虚構が侵食していく。
新たな役者はこの舞台をどのような喜劇に彩るのか、如何なる悲劇に華を添えるのか、それはまだわからない。
ヴィイの眼は、まだ真実を捉えない。
ちなみにアナスタシアがやっていることは「話の途中だがワイバーンだ」のタイミングが「話の前にワイバーンだ」になる程度です。
何でもかんでも見つけられるほど甘くはないぜ魔霧は。