Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
モードレッドが目覚めた頃より遡る事数十分前。
カドックはメフィストを伴い、
既に人気も途絶え、死が充満している建物は魔霧の影響もあって亡霊の巣窟となっていた。
その上、未だ
「酷いものですなぁ。どこもかしこも素敵に血塗れで。我が家に持ち帰りたいくらいです」
「人間じゃサーヴァントには敵わないからな。ましてや相手は人殺しに特化した英霊。名うての魔術師でも成す術もなく殺されるのがオチさ」
「おや、ではアレの真名に心当たりが?」
「名の通りだろ。真名はジャック・ザ・リッパー。かつてロンドンを恐怖で震え上がらせた連続殺人鬼だ」
1888年、ホワイトチャペルを中心に何人もの娼婦を殺して回った殺人鬼。
被害者の数は5人とも数百人とも言われており、その正体も貴族、王族、医師、芸術家、狂人、ユダヤ人、果ては悪魔に至るまで様々な説が唱えられたが、残忍な手口に反して目撃証言は一切なく、当時の警察の杜撰な捜査、センセーショナルな事件に触発された模倣犯によるかく乱により事件は迷宮入り。真実が解き明かされることなく闇へと逃れた謎多き存在だ。
ただ、気になるのはその正体だ。
相手がどのような能力を持ち、どう仕掛けてくるのか。
被害者の遺体や現場の状況を見れば何かわかるかもしれないと思い、カドックは危険を承知で調査に赴いたのである。
「男よりも女の方が損壊が多いな」
「そりゃ、ジャック・ザ・リッパーですからね。アレは娼婦を嫌いますから」
「窃盗で拘留されてただけの老婆まで殺しているんだがな…………やっぱり、ここも腹部を裂かれている。メフィスト、そっちは?」
「いやぁ、酷いものです。朝に食べたもの全部出ちゃいました。はい、これわたしの朝食です」
「いらない」
「……おっしゃる通り、腹部に裂傷がございました。署内にいた女性は全て、お腹を切り裂かれていますね」
凄惨な姿ではあるが、吐き気を堪えて調べてみると幾つかの違和感が見つかった。
ジャック・ザ・リッパーによって殺された者は全員、体を切り裂かれた上で心臓を抉り出されているのだが、その中でも女性は下腹部への損壊が非常に多かったのだ。
男性の遺体にも幾つか傷つけられたものはあったが、それらは途中で止められていたり単に致命傷となっただけであり、女性の遺体は全て死の前後を問わず刃物によって引き裂かれていた。中には裂いた後に腕を突っ込んで掻き回したと思われるものもある。
ある種の強い執着すら感じられるこの所業を、カドックはジャック・ザ・リッパーの正体に繋がるものではないのかと考えていた。
「見てくれ。壁の血痕が不自然に途切れている。ここと……ここもだ」
「1メートル前後というところですな。何かが置かれていたとか?」
「そうだとすると配置が不自然だ。床にも何かが置かれていた後はない」
「なるほど、誰かがそこにいたと。では、子どもですかな?」
「考えたくはないが、ジャック・ザ・リッパーの正体が子どもの可能性は十分にある」
元より相手はサーヴァント。子どもが人殺しなどしないという先入観は捨てるべきだ。
小人などの発達障害の線も考えられるが、先の遺体損壊の件と合わせて考えた場合、可能性は十分にある。
ジャック・ザ・リッパーの正体は子ども。それも強い母体回帰の念を抱いたまま死んだ哀れな子どもなのかもしれない。
ジャック・ザ・リッパーは母親の中に帰りたがっており、そのための女性の腹部を切り裂いていたのだ。
無論、生前のジャックが子どものまま殺人を犯したとは考えにくい。
親に捨てられたのか、虐待の後に殺されたのかはわからないが、その強い想いと執着が殺人鬼の殻を被ることでサーヴァントとして生まれたのが、ジャック・ザ・リッパーの正体なのだろう。
「メフィスト、お前の呪術でジャックに対抗できないか?」
「難しいでしょうね。できるできない以前の問題です。そこら中に呪いの痕跡がありますが、相手は相当の怨念を抱えているのでしょう。仮にわたくしが身代わりになったとしても、まず間違いなく、獲物を違えません」
生前の逸話から考えるに、ジャック・ザ・リッパーは女性への特攻を持っている可能性が高い。
なので、メフィストの呪術で対抗できないかと考えたのだが、彼はさもありなんとばかりに首を振る。
例え彼が女性に化けてもジャックは正体を見抜き、罠を警戒して身を隠すかもしれない。
ジャックを確実に誘き出すためには、誰かがその身を危険に晒さねばならないのだ。
「できますかな、あなたに。愛しい皇女様の身を危険に晒すことが。その命を代償に、功績を手にする覚悟がおありですかな?」
アナスタシアかマシュ、どちらかが囮となって殺人鬼を誘い出す。
きっとあいつはそれを戸惑うだろう。
我が身を危険に晒すことは厭わない。
敢えて困難な道を逝くことも躊躇わない。
けれど、大切な人の命を冷静に扱えるほど、彼は非情ではない。
ならば選択肢は最初から決まっている。
恐らくこの悪魔が望む形とは違う答えを。
立香からモードレッド覚醒の連絡があったのは、正にその時であった。
□
「なるほど、地下か。いくら地上を探しても見つからないはずだ」
時刻は夕刻。日没まで後もう少しといったところだろうか。
覚醒したモードレッドの霊基に異常はなく、魔力も十分に回復していた。
開口一番に語られたのは、魔霧計画の首謀者最後の1人、「M」についてだ。
バベッジは消滅の間際、モードレッドに魔霧計画の要である魔霧発生装置「巨大蒸気機関アングルボダ」のことを話していたらしい。
シティエリアの地下、地下鉄路線よりも更に奥深くに鎮座されたそれに組み込まれた聖杯が魔霧を生み出しているとのことだ。
「すまねぇ、俺の回復に時間を割いちまって」
「気にしなくていいよ、モードレッド。元気になって何よりだ」
「ああ。フラン、お前も気にすんな。ずっと側にいてくれたんだって? ありがとうな」
「……ゥ……ゥィ……」
フランの頭をごしごしと掻き回した後、モードレッドは立ち上がる。
彼女が目覚めた今、やるべきことは一つだ。
アングルボダを破壊し、魔霧計画を止める。
既にロンドンが孤立してから数日。市民も精神状態も限界に近いだろう。
最早、一刻の猶予もない。
「問題はジャック・ザ・リッパーだ。全員でのこのこと出ていけば、背後を取られる可能性が非常に高い」
敵も計画の要であるアングルボダを守るために強力な守りを敷いていることだろう。
突破に手間取っている隙を突かれ、各個撃破されてしまっては目も当てられない。
かといってジャックの討伐を優先しても、奴は姿を隠したまま出てくることはないだろう。
そして、悠長に探している時間もない。
誰かがジャック・ザ・リッパーを足止めし、その隙にアングルボダを破壊する。
現状ではこの作戦がベストであろう。
「では、ジャック・ザ・リッパーはわたしと先輩が。カドックさん達はその間にアングルボダを破壊してください」
「え、ちょっと、マシュ……」
「どうしました、先輩?」
「いや、別に……なんていうか、その……」
案の定、囮を買って出たマシュの言葉に立香は戸惑いを隠せずにいる。
頭では必要なこととわかっていても、気持ちが納得できていないのだ。
そして、どういう訳かマシュはこの手の感情に対して恐ろしく鈍感だ。
Aチーム時代にも自分をマスターの1人としてではなく、備品か何かのように扱っている節があった。
「少し落ち着け、藤丸」
「いや、でも……」
「お前の言いたいこともわかる。だから、この役は僕達が担おう」
「えっ……」
「アナスタシアが囮になる。彼女も了解済みだ」
ヤードからこちらに戻ってくるまでの間、ずっと考えていたことがある。
彼女を囮にすること自体は、早くに決心がついた。
元々、目的のためには手段を選ばない魔術師だ。必要とあらば冷徹に、非情な決断を下すことができる。
その選択肢が動かない以上、やるべきことは確度を上げることだけだ。
その決定に間違いはないか、リスクをどれほど減らすことができるのか。
少ない情報から割り出したジャック・ザ・リッパーの能力と行動原理、それらへの対策を練ることだ。
「僕の予測だが、このメンバーの中で最も襲われる確率が高いのがアナスタシアだ」
ここにいる全員がジャック・ザ・リッパーと対決した経験がある中、唯一、自力での対処ができなかったのがアナスタシアだ。
マシュもモードレッドも、どうしてそうなったのかまでは覚えていなかったが、それぞれの保有スキルによって致命傷を防いだらしい。
最初の襲撃の時も、たまたま気づけたから避けることができただけで、初手から全力で来られていたらメフィストの介入を待たずして倒されていただろう。
ジャックは狡猾だ。
一度でも仕損じた相手に同じ轍を踏むとは思えない。
「更にジャックは魔力を補充するために、魔術師を優先的に狙う可能性が高い。僕とアナスタシア、この組み合わせが最も襲われる確率が高いんだ」
ただし、奇襲を防げるかについては確信が持てないことは黙っておいた。
そうしなければこの2人は踏ん切りがつかない。
秘策があるとハッタリをかますことで迷いを断ち切らねば、アングルボダ攻略の際に後れを取るかもしれない。
「信じて良いんだね、カドック」
「……ああ」
「わかった。なら、後は頼んだよ」
「無理はしないでください、アナスタシア。こちらもできるだけ急いで、戻ってきますから」
「ええ。任せてください、マシュ」
□
夜が来る。
陽は姿を隠し、霧に包まれた街に暗黒の世界が訪れる。
往来を歩くは異形の群れ、人間達は建物の中で恐怖に震え、この夜が明けるのを待っている。
口の端が僅かに吊り上がる。
朝は来ない。
魔霧が世界を侵食する限り、明日も明後日も
太陽は霧に覆われ、異形は人々を襲い、やがてこの街から人はいなくなる。
そうなってしまうと困るのだが、その時は街の外に出るしかない。
その方が食べ物には困らないだろうし、自分の母も見つかるかもしれない。
「おなかすいたなぁ」
無数のか細き声が重なり合う。
少女は屋根の上で、今夜の獲物が現れるのを待っていた。
魔霧に覆われ、人気の消えた街にひとり出歩く小さな少女。
娼婦のように露出の激しい装束と、腰に提げられた幾本ものナイフ。
彼女こそがジャック・ザ・リッパー。
この霧の街で毎夜、住民から安息を刈り取る殺人鬼。
その正体はホワイトチャペルを中心に活動していた娼婦達が望まぬ妊娠から堕胎した数万にも及ぶ子ども達の怨念の集合体である。
正確には怨霊の集まりがジャック・ザ・リッパーという殻を被っているのであって、彼女達自身は本当に自分達が彼の伝説の殺人鬼であったのかの自覚はない。
生前――と呼べるのかは怪しいが、そんな事件を起こした気もするし起こさなかった気もする。
だが、彼女は反英霊として人類史に刻まれ、この地に召喚されている。
呼ばれたからにはやるべきことは一つ。
自分達を生んだ母親を探すこと。
自分達が元いた場所へと戻ること。
聖杯も、特異点も、人理焼却すらも彼女達にとっては些末なこと。
その目的が果たせるのなら、どんなことでもするし誰とでも戦う。
だって、自分達はまだ生まれてもいないのだから。
「みいつけた」
大通りを歩く人間が1人。
見えなくともわかる。
そこにいるのは
髪が長い。
ドレスを着ている。
霧の中をゆっくりと、こちらに向かって歩いてきている。
何て隙だらけなのだろう。
あれならどこからでも解体できる。
もう往来を出歩く人なんていなくなったのに、何て奇特な人なのだろう。
それとも罠だろうか。
自分達の邪魔をするあの魔術師達の仲間だろうか。
だんだんと見えてきたあの顔には見覚えがある気がする。
「此よりは地獄。わたしたちは炎、雨、力――」
一抹の躊躇が脳裏を過ぎるが、空腹と慕情が体を後押しする。
敵ならば殺す、母ならば解体する。
これでいい。難しく考える必要はない。
魔術師ならばお腹が膨れるし、母ならばあの場所に還れるかもしれない。
「殺戮をここに。『
屋根のヘリを蹴って跳躍し、腰のナイフを引き抜く。
生まれることのできなかった数万の子ども達の怨念が宿ったこのナイフは、真名解放と共に必中の宝具となる。
ただし、そのためには霧の夜であることと、相手が女性であることが必須。
しかる後に殺人は行われ、後に残るのは無残にも切り裂かれた死体だけとなる。
後は腹を裂き、心臓を抉るだけで全てが終わる。
発動した宝具を止められる者は誰もいない。
「――っ!?」
瞬間、怖気が背筋を駆け抜けた。
視られている。
今、正に飛びかからんとしている相手がジッとこちらを視ている。
その視線は、まるで絡みつく蛇のように体を蝕み、吐き気にも似た不快感が込み上げてくる。
吸い込まれるような瞳が怖くて目を逸らしたかったが、瞼が縫い付けられたかのように視線が結ばれる。
既に落下が始まった体は視線から逃れることができず、標的に対してまっすぐに落ちていくしかなかった。
今まで、一度としてこんなことはなかった。
何故と疑問に思う時間はない。
止めろと叫ぶこともできない。
気づいた時には手にしたナイフがドレスの上から腹部を引き裂き、その代償として自身の手足が動かなくなった。
受け身も取れずにジャックは地面を何度も転がり、民家の壁に激突することでようやく自分に何が起きたのかを理解した。
手足が凍り付いている。
凍結などと生易しいものではない。どす黒く染まった四肢は肉体を構成するエーテルから壊死が始まっていた。
出血もなく、痛みもなく、感覚すら死んでいる。
右手はまだ辛うじて動くが、左腕は既に肘から先が千切れてなくなっていた。
心臓が止まらなかっただけでも奇跡だ。
「令呪を捧げる。皇女よ、その霊基を癒せ」
揺れる視界に誰かが映り込む。
その男の右手が仄かに輝いたかと思うと、たった今、切り裂いたばかりの女性の傷がまるで巻き戻るかのように塞がっていった。
「どう……して……」
「あなたの宝具は呪いなのでしょう。ジャンヌ・ダルクと比べるのもおこがましいですが、私にも聖人としての適性はあります。例えそれで耐えることが無理でも、私のヴィイはバロールの系譜に連なるもの。傍流とはいえその視線は直死に等しい呪いとなる。相打ちを覚悟すれば、視線に飛び込んできたあなたを呪い返すことなど造作もありません」
目の前の女性が何かを言っているが、頭に入ってこない。
自分が知りたいことはそんなことではない。
自分が傷ついている理由など知りたくもない。
この女が生きている理由でもない。
何故、そんな選択を取ることができたのかということだ。
死ぬのが怖くないのか。
生きたいとは思わないのか。
自分という存在がこの世界からなくなってしまうことが、恐ろしいとは思わないのか。
「最初から……相打ち……で……」
「死の恐怖なんて、あの時に――私が死んだあの瞬間に、凍り付いてしまったわ。ええ、怖くはありません。生も死も望まない。そんな気持ちはとっくに手放してしまったのだから」
噛み締めた奥歯が砕けた音が耳朶に響いた。
壊死寸前の足に力がこもり、背中を小刻みに震わせながら立ち上がる。
今、あの女はなんて言った?
生も死も望まない?
そんな気持ちはとっくに手放した?
そんなふざけた話があってたまるか。
生きたいという気持ちに貴賤はないはずだ。
死にたくないという願いに間違いはないはずだ。
その思いは等しく尊く、かけがえのないもののはずだ。
なのに、この女は、凍り付いた心でそれを否定した。
自分達の願いを否定した。
まだ生まれてもいない、願うことすらできなかった
「ころして……やる……ころして……ころして……ころす!!」
怒りで表情を歪ませながら、ジャックは動かぬ指をナイフの柄へと添える。
一触即発。
張り詰めた空気が霧に覆われた通りを支配する。
その時、どこからか拍手の音が聞こえてきた。
「なかなかに良い見世物だった。或いは唾棄すべき悲劇なのだろうが、諦観に至った我が胸に響くことはない」
影の中から蟲が寄り集まり、ひとりの人間の姿を形作る。
青い髪、赤い瞳、生気が抜けた色白の肌。全身を黒いコートで覆ったその男は、眉間に深い皺を寄せながらこの場にいる者達を一瞥する。
その表情は何かに憤っているかのようにも、深い絶望を抱いているようにも見えた。
「令呪によって強化された魔眼による呪いの相殺とは恐れ入ったよ。一つ間違えれば自分が死ぬかもしれないというのに。彼の報告ではもう少し憶病な男だと思っていたのだがね」
「あなたは……蟲……人間じゃないの?」
「偽りの身で失礼。私自身はこのロンドンの地下深く、巨大蒸気機関アングルボダと共にいてね。そろそろ君達のお仲間と対面している頃だろう」
「そうか。なら、お前が……「M」か」
「私はマキリ・ゾォルケン。この魔霧計画に於ける最初の主導者である。そして――――」
霧の奥から新たな影が出現する。
黒い道化の衣装を纏ったその男は、白面を狂気に歪ませながら恭しく一礼した。
「ゾォルケン様の忠実なる僕、キャスター――メフィストフェレスでございます」
鈍い光が霧の空に走る。
それはメフィストフェレスが携えた巨大な鋏。
堕落を誘う最悪の悪魔は、霧の夜の街でついに、その正体を露にするのであった。
我が夏は終わった。
焦らした上に来てくれないなんてあんまりだぜBBちゃん。
課金はお財布と相談かな。3周年で既に課金済だから迷うところですが。
追記
BBちゃんきたよ。
弓持ってて熊のマスコットがいるけど、バインバインだし月の女神だし間違いないよね(お目目ぐるぐる)