Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
ロンドン上空で繰り広げられた戦いは、立香達の勝利で終わった。
星の開拓者ニコラ・テスラ。そして、彼の雷電とモードレッドという存在を触媒に連鎖召喚された
後は地下大空洞のアングルボダに組み込まれた聖杯を回収すれば任務は終了だ。
魔霧も治まり、やがて特異点は本来の時間へと修正されることだろう。
「本当に大丈夫なの、カドック?」
「何度も聞くな、大丈夫だ」
立香に肩を借りて歩きながら、カドックは苛立ちの混じった声を上げる。
このやり取りはこれで4度目だと心の中でため息を吐く。
マキリ・ゾォルケンとの戦いで負った負傷は、坂田金時と共に現れたサーヴァント――玉藻の前の呪術によってほぼ元通りに治療されており、魔霧対策にしても立香達が戦っている間に安全な屋内で術式を施し直したのでしばらくは大丈夫だ。
体力だけはどうにもならないのでこうやって肩を借りているが、何も心配されるようなことはないはずだ。
蟲に食い破られた傷や骨折も、対処の為に放った魔術であちこちにできていた火傷や凍傷も見た目だけは綺麗に取り繕われており、不自然な個所はどこにも見当たらない。
本人の力量もあるのだろうが、これだけのことができるとなると東洋の呪術も馬鹿にできないものがある。
ただ、損壊が大きかった左手だけは感覚が鈍く思うように指が動いてくれない。蟲に喰われたり盾に使ったりと無茶をした代償だ。
詳しいことはカルデアに戻ってからロマニに診断してもらわなければわからないが、ひょっとしたらずっとこのままの可能性もある。
生活や研究に支障はないが、ギターを弾けなくなるかもしれないと思うと少しばかり心が沈んだ。
その気持ちを払拭しようと、カドックはわざと大きな声を張り上げる。
「聖杯は機械に取り付けられているんだろう? この中で誰か安全に取り外せる奴はいるか? 魔術的な仕掛けなら僕が何とかする。それくらいはやらせろ!」
そんな風に声を荒げてしまうのは、このロンドンではそれほど任務に貢献できていない気がするからだ。
魔霧によって活動を制限され、魔霧計画の首謀者を1人も倒すことができなかった。
後方支援も立派な仕事なのかもしれないが、結果的に立香ばかりを矢面に立たせてしまったことが情けなくて仕方がない。
自分に魔霧を無力化できるだけの強い力があればこんなことにはならなかったし、協力してくれたジキルにも無茶をさせずに済んだかもしれない。
そして、思考の行きつく先はいつも同じだった。
もしも立場が逆ならば、自分は立香と同じことができたであろうかと。
パラケルススを、魔神柱バルバドスを、ニコラ・テスラとアーサー王を、倒すことができたのかと。
今までならばすぐにでも即答できた。
あいつにできるのなら自分にもできると。
けれど、今は答えることができない。
こんな不甲斐ない姿を晒していることが悔しくて、目に見える成果を残した立香が堪らなく妬ましい。
だから、カドックは黙って心に蓋をする。
意識すればまた、出会ったばかりの頃に抱いていた黒い感情が思い出してしまう。
まだ彼を認めることができなかった、あの時の気持ちを。
「おお、ようやく英雄達の凱旋ですな」
「まったく待ちくたびれたぞ。後で茶でも淹れろ、そして何があったか聞かせろ」
「よお、作家先生達の話し相手はオレっちにはちょいとヘビーだったぜ」
「いえいえ、あなたの場合、INTが低いだけではありませんか?」
大空洞にはいつの間にか、この特異点で出会ったサーヴァント達が終結していた。
アンデルセン達は執筆が佳境だからと決戦には不参加だったが、ここにいるということは作品が書きあがったのだろうか。
ニコラ・テスラと一戦を交えた金時にいくつも質問を浴びせており、辟易している姿を見た玉藻は少し離れたところから茶々を入れている。
騒がしいやり取りを見ていると、先ほどまで人類史の命運を賭けて命のやり取りをしていたのが馬鹿らしく思えてくる。
「あら、お身体はもうよろしいので?」
「おかげさまでね。ここまで元通りに結合するとは驚いた」
「千切れた場所を無理やり繋げただけですので、足りない栄養はちゃんととってくださいましね。お身体、かなり軽くなっているはずですから」
どこか超越的な雰囲気を醸し出しながら、玉藻は言う。
確か、玉藻の前というのは極東の島国を荒らした妖狐の名前だっただろうか。
本来ならば魔獣や亡霊の類が気紛れでも力を貸してくれたことにはただただ感謝しかない。
でなければ、自分は残る3つの特異点を前にしてこのロンドンでリタイアすることになっていただろう。
「いえいえ、袖すりあうも多生の縁と言いますし、わたくしは今回、ほとんど傍観の立場でしたしね。善行の一つでもしておかないと、出てきた意味がないというか――――」
何かを言いかけて玉藻が口を紡ぐ。
振り向くと、隣でアナスタシアが怖そうな目をして彼女を睨みつけていた。
「あらあら、先約の方がおられましたか」
「凍らされたくなければ月にでも帰りなさい、陽の狐」
「おお、怖い怖い。いったいその眼で何を視たのでしょうね」
「よすんだ、アナスタシア」
何やら不穏な空気が漂い出したところで割って入る。
色々あったが何とか異変解決までこれたのだ。最後の最後で喧嘩なんてして台無しにはしたくはない。
改めてカドックは2人を嗜めると、アングルボダの前に屈んで解析を試みる。
予想していた通り、魔術的な措置はほとんど施されていない。
制作したバベッジが正規の魔術師ではなかったからだろう。循環している魔力の量は膨大だが、これならば自分でも解体できるだろう。
左腕が使えないので所々を立香に手伝ってもらいながら魔力の流れを遮断し、取り出した聖杯をマシュに預ける。
これでロンドンでの任務は終了だ。
『よし、聖杯の回収を確認した。これよりレイシフトを……待って、何だこの反応?』
ホログラムのロマニが驚愕の表情を浮かべ、一拍の無音が挟まれる。
直後、悲鳴染みた警告が大空洞に響き渡った。
『地下空間の一部が歪んでいる――何かがそこに出現するぞ!』
「マシュ、盾!」
「はい!」
立香の指示で戦闘態勢に入ったマシュが盾を構える。
だが、その表情は焦りと不安で暗く濁っていた。
それはこちらも同じだ。
魔力の淀みもなく、何かが潜んでいる気配もない。
アナスタシアの眼でも捉えることができない。
しかし、理屈ではなく感覚でハッキリと理解できる。
おぞましい何かがやってくると。
『サーヴァントの現界とも異なる――これはレイシフトと同じ!? 空間が開く! 来るぞ!?』
一瞬、空間そのものが歪んだかのような錯覚があった。
それはすぐに錯誤などでなく、実際に目の前で起きた現象なのだと実感する。
何故なら、先ほどまでそこにあったはずのアングルボダが忽然と消え去ってしまったからだ。
代わりに現れたのは1人の男だった。
目の前にいるはずの自分達が――人類史に刻まれた英霊達ですらその予兆を感じ取れず、まるで服を着替えるかのような気軽さで巨大な建造物を消し去った強大な魔術師。
暗い影の中からその男は、厳かな声で淡々と言葉を紡ぐ。
「魔元帥ジル・ド・レェ。帝国神祖ロムルス。英雄間者イアソン。そして神域碩学ニコラ・テスラ。多少は使えるかと思ったが――――小間使いすらできぬとは興醒めだ」
ゆらりと空間が歪む。
影の中にいたのではない。
男は影そのものだ。
それがゆっくりと形を取り、色に染まり、人としての姿を露にする。
『くそ、シバが安定しない。音声しか拾えない。みんな、何があったんだ!?』
「わからない。あれは人間なのか? 黒い影が……よく見え……」
「ダメよ、カドック!」
瞬間、視界が凍り付いたかのように真っ白に染まり、驚いた拍子で体のバランスが崩れてしまう。
視界が利かず受け身も取れず、カドックは転倒の痛みを覚悟したが、倒れる直前に回り込んだ誰かが背中を支えてくれた。
この冷たくて細い手は、アナスタシアのものだろうか。
「あなたは見てはいけない。あれは生者が視ていいものではありません」
(いったい、何を言っているんだ?)
彼女の眼――即ちヴィイの魔眼は真実を捉える。
あの影のようなヒトが姿を現す瞬間、彼女は何かを視たのだ。
普通の人間では――ただの魔術師では見えない何かを彼女は視たのだ。
そして、それを見せないために彼女はシュヴィブジックで視界を凍らせたのだ。
極短い範囲でしか使えない代わりに因果律すら捻じ曲げる悪戯。
まさか、ここまでのことができるなんて。
「オイ、なんだこのふざけた魔力は。竜種どころの話じゃねえぞ。これは、まるで――」
「伝え聞く悪魔、天使の領域か。いや、それですら足りますまい。このシェイクスピア、生粋の魔術師ではありませんがキャスターの端くれとして理解しました」
ああ、そんなことは言われなくてもわかる。
肌を焼き、押し潰すかのような迫力。
憚る事なく垣間見せる無尽蔵の魔力。
存在するだけで領域を押し潰す支配力。
魔道に連なる者なら、誰であろうと等しく感じ取るであろうこの感覚は畏怖。
絶対に敵わないという恐怖。
神と呼ぶことですらおこがましい。
あれはそれ以上の存在だ。
「カルデアは時間軸から外れたが故、誰にも見つけることのできない拠点となった。あらゆる未来――――全てを見通す我が眼ですら、カルデアを観ることは難しい。決定した滅びの歴史を受け入れず、未だ無の大海に漂う哀れな船だ」
姿は見えずとも声だけはハッキリと聞こえてくる。
聞く者を震え上がらせる重みを持った声。
圧倒的としか表現のできない言霊が空間を満たす。
それでいてこの男の本性を悟らせない無機質さはより一層、異様さを際立たせる。
「それがカルデアであり、お前達2人……藤丸立香、カドック・ゼムルプスという個体。燃え尽きた人類史に残った染み。私の事業に唯一残った、私に逆らう愚者達の名前か」
見えずともハッキリとわかる。
この場を支配する圧がより強くなった。
影であったものが姿を表したのだ。
「我は貴様らが目指す到達点。七十二柱の魔神を従え、玉座より人類を滅ぼすもの。名をソロモン。数多無象の英霊ども、その頂点に立つ七つの冠位の一角と知れ」
ソロモン。
男は確かにそう名乗った。
イスラエルの王、七十二の魔神を使役し、人類に魔術をもたらした人物。
魔術王ソロモンと、確かに名乗ったのだ。
『そんな……本当にソロモン……こんな、こんなバカなことが――』
驚愕するロマニの声が聞こえる。
今だけは日頃の奮闘への感謝を放り投げて吠えたくなった。
お前はまだカルデアにいるからいい。
ここは地獄だ。
立っているだけなのもやっとな圧と、燃えるように奮い立つ魔力の波。
今まで、才能の差を埋めんと努力してきたことが馬鹿らしくなるほどの圧倒的な格の違いを感じ取り、カドックはじりじりと後退ってしまう。目が見えていたら発狂していたかもしれない。
それほどまでに桁違いの魔力量だ。
まるで神秘そのものが生きているかのように。
「とんだビックネームのお出ましだな。英霊として召喚され、二度目の生とやらで人類滅亡を始めたってオチか?」
「それは違うなロンディニウムの騎士よ。確かに私は英霊だが、人間に召喚されることはない。私は死後、自らの力で蘇り、英霊に昇華した。英霊でありながら生者である私に上に立つマスターなどおらず、私は私の意思でこの事業を開始した。愚かな歴史を続ける塵芥――この宇宙で唯一にして最大の無駄である、お前達人類を一掃する為に」
その言葉に対して立香が何かを言い返しているのが聞こえた。
止めろ、と止める言葉すら出てこない。
あいつに逆らってはいけない。
あいつに歯向かってはいけない。
何故なら、勝ち目などないからだ。
この場にいる全員が束になってかかっても敵わない。
だってそうだろう。
この男は既に世界を――人類史を焼き払った。
最早、世界は滅ぼされた後なのだ。ただ、カルデアがその時間に追いついていないだけで。
(そうか、あの光の帯は――)
「そうだ。天に渦巻く光帯こそ、我が第三宝具『
心を読まれたのかと胸を押さえ、それが無意味なことだと気づいて手が震える。
見えない視界の向こうで酷薄な笑みを浮かべている姿が思い浮かぶ。
この男はきっと楽しんでいる。
自分の力を、絶対的な在り方を見せつけて、自分達を嘲笑って、楽しんでいる。
「読めたぞソロモン。貴様の正体、その特例の真実をな」
今まで沈黙を保っていたアンデルセンが口を開く。
傲岸不遜な上から目線は変わらないが、今だけはそれも滑稽に思えてならない。
ソロモンもそう思ったのか、彼の語りを止めようとはしなかった。
「いいぞ、語ってみよ即興詩人。聞き心地のいい賞賛ならば楽に殺してやろう」
「特と聞くがいい。英霊召喚とは抑止力の召喚であり、抑止力とは人類存続を守るもの。彼らは七つの器を以て現界し、ただひとつの敵を討つ」
それこそが英霊召喚。
では、敵とはなんなのか。
それは即ち霊長の世を阻む大災害。
この星ではなく人間を、築き上げられた文明を滅ぼす終わりの化身。
文明より生まれ文明を喰らう、自業自得の
いわば全人類が内包しているであろう大いなる悪。
それを倒すために喚ばれるものこそ、あらゆる英霊の頂点に立つモノ。
人理を護る、その時代最高峰の七騎、始まりの七つ。
それこそが儀式・英霊召喚。人類を護るための決戦術式。
聖杯戦争はそのシステムを人間が使えるよう格落ちさせたものなのだ。
そして、聖杯戦争で召喚されるサーヴァントが個人に対する
その属性の英霊達の頂点に立つ者、
「そうだ。よくぞその真実に辿り着いた。我こそは王の中の王、キャスターの中のキャスター! 故にこう讃えるがよい! グランドキャスター、魔術王ソロモンと!」
それがソロモンの正体。
主を持たず、生者のまま英霊へと昇華された人類守護の最終兵器。
それが本来、守るべきはずの人類へと牙を剥けている。
有象無象で、取るに足らない、不完全な種であると全ての生命を否定する。
「では褒美だ、五体を百に分けて念入りに燃やしてやろう」
言うなり、強力な魔力の波が空間を揺るがした。
たったそれだけでその場にいたサーヴァントが全て消し飛んだ。
アンデルセンはおろか、シェイクスピアも金時も玉藻も。
彼らの気配がどこにも感じられない。ソロモンの攻撃の余波で消し飛ばされてしまったのだろうか。
自分達もマシュがいなければ同じ運命を辿っていたかもしれない。
彼女が盾で守ってくれたから、辛うじて命を繋いでいる。
「凡百のサーヴァントよ。所詮、貴様等は生者に喚ばれなければ何もできぬ道具。私のように真の自由性は持ち得ていない。どうあがこうと及ばない壁を理解したか?」
「はっ、もう4つも聖杯を奪われている癖に、負け惜しみにしちゃみっともないぜ」
モードレッドだ。彼女はまだ現界を保っている。
だが、致命傷を受けたのか気配がとても弱々しい。
それにこの鼻につく鉄の匂いは――。
「人類最高峰の馬鹿か、貴様? 全てを破壊してようやくなのだ。カルデアのマスターが脅威などという話ではない。1つだろうと6つだろうと取るに足らぬ些事なのだ。だが――」
言葉が途切れ、大気中の魔力が淀みを増していく。
アンデルセン達を消し飛ばした一撃とは違う。
あからさまに猶予を与え、こちらがどう動くのかを待っている。
逃げるのか、防ごうとするのか、破れかぶれで突撃するか。
ソロモンは挑発するように、恐怖を煽るように淡々と次の言葉を紡いだ。
「取るに足らぬとからといって、目障りなことに変わりない。目の前を飛ぶ羽虫が邪魔で読書に集中できぬことがあるだろう? これはそういうことだ。手が届くのなら叩き潰すだろう。さあ、羽ばたくのなら今の内だ。それとも諦めて負け犬のように吠えてみるか」
カチリと、歯車が噛み合った。
ああ、言ってしまった。
ただ力を見せつけるだけなら屈していた。
ただ殺されるだけなら潔く受け入れた。
相手はグランドキャスターだ。カドック・ゼムルプスは逆立ちしたって勝てっこない。
けれど、あの男は言ってしまった。
他の天才達がそうであったように、哀れみを込めて言ってしまった。
この僕に、諦めろと言ってしまった。
「ふざけるな……人類皆殺しにして悦に入っているサディストが」
自分でも信じられないくらい、汚らしい言葉が出てくるものだと感心する。
あのソロモン王に対して、よくぞ言ったと自分を罵ってやりたい気分だ。
だが、言ってしまった以上は後には退けない。
この男は自分のことを犬だと罵った。
お前には不可能だから諦めてしまえと言ったのだ。
その言葉だけは許せない。
その言葉だけは認めない。
「楽しいか、と問うのか? この私に、人類を滅ぼすことが楽しいかと? 無論だ、楽しくなければ貴様らをひとりひとり丁寧に殺すものか! 貴様達の終止符が、その断末魔が何よりも爽快だ! そして、それがお前達にとって至上の救いである」
「魔術王ソロモン、あなたはレフ・ライノールと同じです。あらゆる生命への感謝がない。人間の、星の命を弄んで楽しんでいる」
「娘、人の分際で生を語るな。死を前提にする時点でその視点に価値はない。
一拍を置いて、ソロモンは最後通牒を告げる。
問答は終わりだと。
これ以上、言葉を交わしても意味はないと。
「私からの唯一の忠告だ。ここで全てを放棄する事が、最も楽な生き方だと知るがいい」
淀んだ魔力が膨れ上がる。
衝撃に備えて身構える。
マシュが両足に力を入れ直す音が聞こえた。
反対側の体を誰かが――恐らくは立香が支えてくれた。
そして、アナスタシアはずっと隣にいてくれた。
肩を寄せ合い、身を強張らせるのが自分達の精一杯。
結局、怒りに任せて啖呵を切っても何もできなかった。
『強制送還、間に合え!』
「燃え尽きるがいい、人間」
「させるかよ!」
魔力が爆発する瞬間、モードレッドの声と共に彼女の魔力が増大する。
まさか、最後の力でソロモンの攻撃を相殺しようとしているのか。
「……悔しいが奴の言う通りだ。オレ達は喚ばれなければ戦えない。それがサーヴァントの限界だ。時代を築くのはいつだってその時代に、最先端の未来に生きている人間だからな」
魔力の余波で視界が溶ける。
目に飛び込んできたのは、辺り一面を覆う炎とそれを一身で受け止めているモードレッドの姿だった。
鎧は吹き飛び、体の半分が消し飛んでいるにも関わらず、残った右手で『
だが、それも持って後数秒。
彼女が残った命すら魔剣の魔力として注ぎ込んだとしても、1分と保たない。
それでもモードレッドは気迫を込めて炎を押し返さんとする。
終わりの騎士が、叛逆の王が、星に託した願いを未来に還さんと力を込める。
「だから――お前達が辿り着くんだ、藤丸、カドック。オレ達では辿り着けない場所へ。七つの聖杯を乗り越えて、時代の果てに乗り込んで、
「モードレッド!」
「じゃあな」
視界が再び染まり、意識が見えない力に引きずり上げられる。
カルデアへの強制送還の寸ででカドックが目に焼き付けたのは、消滅しながらもこちらに笑いかけるモードレッドの姿だった。
□
結論から言うと、ロンドンの特異点は無事に修正された。
自分達は間一髪でカルデアへの帰還に成功し、後の観測で魔霧も少しずつ沈静化していっているとのことだ。
しばらくの後、本来の時間軸に合わせて特異点は消滅することだろう。
一方でカルデアも少なからず動揺を受けていた。
グランドキャスターを名乗るソロモン王の力を見せつけられ、今後のグランドオーダーについて不安視する声も上がっているのだ。
特にソロモン好きを公言していたロマニのショックは大きく、あれから時々、1人で物思いに耽る事が多くなった。
ただ、そんな状況でも未来を諦める者は誰一人としていなかった。
カルデアに残された数十人、誰もが諦めることなく次のグランドオーダーに臨む意思を見せている。
フランス、ローマ、オケアノス。ここまで多くの逆境を跳ねのけてきたのだ。
不安はあるが、今度だってきっとうまくいく。
カルデアの誰もがそう信じて動いていた。
例外があるとすれば、それは自分だけだ。
カドック・ゼムルプスは自分のことをよく知っている。
自分では絶対にソロモンに敵わない。
どれほどの鍛錬を積もうと、どんな卑怯な手を使ったとしても、反則を駆使しても、凡人の自分では魔術王に敵わない。
分かり切ってしまったことが悔しい。
愚直に前に走り出せた方がどれだけ気楽であったであろう。
ソロモンが言ったように、潔く諦めた方がまだマシかもしれない。
けれど、その選択肢は取れない。
自分が自分である限り、諦めてはいけない。
折れてはならない。
そう決めたのだ、あの冬木の街で。業火の中で。
執着を捨てた彼女に、抗えばこれだけのことができるのだと証明する。
そのためにもここで止まる訳にはいかない。
前に、もっと前に。
わかっている、その先は地獄だ。
重石を持ったまま泳ぐようなものだ。
それでも歩みを止められない。
(聖杯……願いを叶える願望器か……)
あの力があれば、魔術王に対抗できるだろうか。
もっと強い力があれば。
そんな風に考えていると、目の前を白い毛糸玉が通り過ぎた。
「フォウ?」
通路の先でフォウがジッとこちらを見つめていた。
そういえば最近、忙しくて世話をしてやれなかったことを思い出し、久しぶりに毛繕いでもしてやろうかと手を伸ばす。
こんな落ち込んだ気分だ。小動物と戯れるのも悪くないかもしれない。
だが、一歩踏み出した途端、フォウは背筋を強張らせて走り去ってしまった。
気になって追いかけてみたが、角を曲がってもフォウの姿はなく、どこかに隠れてしまったようだ。
「なんなんだ、いったい?」
首を傾げつつ、その場を去る。
何故、フォウが姿を隠したのか。
その意味をカドックが知ることはなかった。
□
ある日のカルデア。
第四特異点も修復され、次の任務までの間、しばしの休暇がマスターとサーヴァントに与えられた。
みんな、思い思いにプライベートの時間を過ごしているのだが、少しずつメンバーが増えてくると、当然のことながらリソースの問題が出てくる。
例えばそれぞれのサーヴァントに与えられている個室だとか、必要もないのに与えてくれる日々の食糧だとか、復旧した娯楽施設の利用などもだ。
サーヴァントの中には気を使って使用を控える者や、後ろめたさを覚える者までいた。
「というわけで、わたくしが勧誘しているのであります」
こちらに向かってメフィストフェレスは笑顔を向ける。
彼は第四特異点修正後にカルデアに召喚されたサーヴァントだ。
当然のことながら、ロンドンで暗躍していたメフィストとは霊基は同じだが記憶は共有していない。
精々、そんなこともあったのかなとうっすら覚えている程度だ。
「でもでも、だからといってわたくしがやるべきことは変わりません。何しろそのために
カルデアの召喚システムは不安定な上に召喚者と何らかの形で縁が結ばれていないと英霊を召喚することができない。
逆に言うと、縁さえ結んでいれば英霊が同意するだけで召喚に応じることができる。
メフィストはこの点を利用し、敢えてカルデアと交流を持つことで召喚される可能性を高めることにしたのである。
そう、全てはある人物からの依頼を果たすために。
先刻、彼からの接触を受けたことで前の自分が受けていた依頼のことを知ったメフィストは、僅かに抵抗する良心を切り捨てて再びその依頼に着手したのである。
理由はもちろん、その方が面白そうだからである。
「あ、ここから先はみなさんマイルームで記録を見てくださいね……あ、ブーディカさん。実は優良物件がございまして……はい、オガワハイムというのですが――」
A.D.1888 死界魔霧都市 ロンドン
人理定礎値:A-
というわけでロンドン編終了です。
コンセプトは、5章での展開に備えてカドックくんをちょっと追い詰めるです。
なのでメッフィーは好き放題するしジキル巻き込むしここぞというところで魔霧が邪魔をする。
気持ち的にはこのまま5章に行きたいところですが、オリイべ挟んで閑話休題するのもいいかと思う今日この頃です。