Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
薄暗い地下牢の中で、立香はここまでの出来事を思い返していた。
時刻は昼時を回った頃合いだろうか。空が見えなくとも体内時計でだいたいの時間が割り出せるようになった。
空腹を紛らわせるためにも考え事を続けるのは悪くないアイディアのはずだ。
まずは現状について。
北米大陸は南北戦争ならぬ東西戦争の真っ只中であった。
アメリカは突如として現れたケルトの軍勢により瞬く間に領土の半分を奪われ、生き残った者達は散り散りになりつつ西部へと撤退。
現在ははぐれサーヴァントとして召喚されたトーマス・エジソンが大統王を名乗り、西部軍として残存勢力をまとめあげて徹底抗戦を行っている。
自分達は同じくはぐれサーヴァントであり、戦場で医療活動に従事していたフローレンス・ナイチンゲールに協力を仰ぎ、特異点の修正と行方不明になったカドックとアナスタシアの捜索を行う予定であった。
だが、戦時下でどの勢力にも属さない不確定要素があることを良しとしない西部軍に囚われてしまい、こうして虜囚の身に甘んじている。
この地下牢はエジソンの側近であるキャスター・エレナ・ブラヴァツキーが講じた特殊な牢で、サーヴァントへの魔力供給を著しく阻害する働きがある。そのため、マシュもナイチンゲールも生来のか弱い女性と成り果てており、途方に暮れていた。
こうしている間にも両軍は戦いを続けており、多くの犠牲が出ているというのに、自分達は何もできずにいる。
いつもなら悔しさで胸がいっぱいになるのだが、今は不思議と冷静でいられた。
予感があった。
ここで大人しくしていれば、必ず彼が現れると。
やがて、地上へと続く階段から足音が聞こえてくる。
ゆっくりと、一段一段を踏み締めるように、時間をかけて降りてくる足音の主を待ち構える為、立香は居住まいを正した。
やがて、ほの暗い地下牢に見知った顔が姿を表す。
「いつかとは逆だな、藤丸立香」
「なら、あの時の言葉を返すよ。ここから出して欲しい、カドック大統王補佐官」
目の前にいるのはレイシフトの直後に行方不明となったカドックだった。
彼は如何なる経緯によるものか、エジソンの懐刀として西部軍の中枢に食い込んでいたのだ。
今の彼の役職は大統王補佐・安全保障問題担当。
この東西戦争において、実質的に西部軍の全権を預かる立場にあった。
「こちらに恭順を示すなら、いつでも出してやる」
「……本当に、そっちについたんだね」
地上でエジソンと邂逅した際、カドックの名を聞いて驚いた時のことを思い出す。
こんなにも早くに見つかって良かったという喜びと、どうしてエジソンに協力をしているのかという疑問。
自分がよく知る彼はいつだって前向きで厳しくも優しい先輩だった。
グランドオーダーにかける熱意も人一倍だ。
なのに今、彼はカルデアを離反して西部軍に協力することを選択している。
あまつさえ自分達のことを取り込もうとする始末だ。
「わかっているのかカドック! エジソンは正気じゃない。彼がケルト軍に勝利すれば、あの偽りの聖杯を手に入れたらどうなるか、君も知っているだろう!」
エジソンは人類史を守ることよりもアメリカの存続を優先していた。
彼はケルト軍が保有する聖杯を手に入れ、その力を使ってアメリカ合衆国を時間から切り離すことで人理焼却を乗り切ろうとしているのだ。
それはつまり、アメリカ以外の全ての国を見捨てることを意味していた。
「世界を救うんじゃなかったのか、カドック」
「お前の方こそ、どうしてエジソンの誘いを蹴ったんだ? 少なくともケルト軍を倒すという目的は同じだろう」
「ナイチンゲールが納得しないし、エジソンを裏切りたくもない」
「仲間は見捨てないって訳か。けど、ここではそんな甘い考えは通じない。もうアメリカは瀕死だ。フランスやローマよりもずっと、この国は追い詰められている。エジソンの力なくしてケルトの軍勢には勝てない」
フランスやローマの時と違い、生き残りをまとめ上げるカリスマがここにはいなかった。
侵略者を水際で食い止めるだけの地力がこの国にはなかった。
今、アメリカを支えているのはエジソンがもたらした科学力だ。
それなくしてはケルトの軍勢に対抗することができない。
だが、例えその判断が理に適っていたとしても、自分の気持ちに陰りが差すようなことはしたくない。
人類史に名を刻まれた偉大な英雄達と肩を並べるのだ。せめてそれに見合うだけの正直な気持ちで、正しい心で向き合いたい。
勝つために妥協するなど、自分がきっと許せなくなる。
「俺は君には従わない」
「交渉決裂だな。そこで好きなだけ眠っていろ、魔術王の企みは僕が潰す。聞こえているだろ、ドクター」
『ああ、ちゃんと聞こえている。令呪を弄ったね』
「一画使う羽目になったが、エジソンがカルデアからの強制送還をジャミングする仕掛けを施してくれた」
『君が本気なのは理解できたよ。ボクとしては君の案に乗りたいところだけど、藤丸くんの心情もわかるし、何より君の行動は度が過ぎている。確認したい。君は最初から、藤丸くん達がエジソンへの協力を拒むと考えていたね。だからカルデアからの干渉を妨害する措置を取った』
「…………」
『沈黙は肯定と取るよ。つまり君はエジソンの考えを容認していると思っていいんだね』
「…………」
『アメリカを活かす。そのためにカルデアも見捨てると言うんだね』
「…………」
『答えないのなら、カルデアとしてはバックアップの凍結も辞さないつもりだ』
「……ああ、それで構わない」
静かに決別を告げるカドックに対して、思わず立香は拳を振るっていた。
残念ながら鉄格子に阻まれて虚しく空を切るだけだったが、その時に一瞬だけ垣間見たカドックの悲壮な顔を忘れることはできないだろう。
ただ自棄を起こしているわけではない。あれは必死に考えた末に後悔を承知で決断した者の顔だ。
いったい、ここに来て彼に何があったのだろうか。
「お待ちなさい、補佐官。行くのは勝手ですがあなたも治療が必要です」
立ち去ろうとするカドックを、ナイチンゲールが引き留める。
クリミアの天使、看護の母である彼女は治療と病気の根絶に対して誰よりも敏感だ。
その彼女がカドックの何かを見抜き、立ち去らせまいと呼び止めている。
「僕は正常だ」
「いいえ、あなたは重篤な病に罹患しています。胸に手を当ててよく考えるのです。あなたはそれで本当に納得できるのですか」
「……藤丸、彼女の手綱はしっかりと握っておけ。眼を離すと何を仕出かすかわからないぞ」
唇を噛み締め、吐き捨てるように言うとカドックは地下牢を後にする。
立香はその背中を黙って見送ることしかできなかった。
(どうして……あんなにも必死でグランドオーダーに賭けていたのに)
決して多くを知っている訳ではないが、この旅の中で彼の生い立ちについて聞き及ぶことが何度かあった。
曰く、自分は凡人で魔術師としての歴史も浅い家柄であると。
魔術の世界については疎いので、血統がどれほど重要なのか、彼が如何に蔑ろにされてきたのかはわからないが、そのコンプレックスがあったからこそ、彼はここまで歯を食いしばって駆け抜けてきたのではないだろうか。
彼にとってカルデアとはそういう場所のはずだ。前提としてその立場を投げ出すことが許されないはずだ。なのにカドックはカルデアにいることを放棄してまでエジソンに協力する姿勢を見せている。
「どいてください藤丸。この檻を破壊して外に出ます」
言うなり、ナイチンゲールは腰から抜いた拳銃を乱射する。
先ほどまでのやり取りの余韻に浸る間すらなく、立香は跳弾を避けるために不格好なダンスを踊る羽目になった。
「な、何を……」
「ナイチンゲールさん、銃で牢を破壊するのは無理ではないかと!」
「いえ、少しだけ削れたような気がします。さあ、張り切って削りましょう!」
(どうして装備品を没収しなかったんだ、ここの軍隊は!?)
バーサーカーとして現界しているナイチンゲールは人の話を聞かない。
自分が必要と判断すれば例えそれが無茶で無謀で絶対に無理なことでも最短距離で突っ走るし、周囲への影響もお構いなしである。
なのでマシュが止めるのも聞かず、彼女は何発も檻に向かって引き金を引き、その度に跳ね返った銃弾がマシュの盾に当たって乾いた音を響かせた。
「……白衣の天使と聞いていたけれど、想像していたのとは違うようね」
失望とも呆れているとも取れる声が響き、何もない空間に染み出す様にアナスタシアが姿を現した。
「アナスタシア、あなたも無事だったんですね」
「ええ、マシュも元気そうで……でもないですね」
「はい、カドックさんが……」
「アナスタシア、カドックに何があったんだ?」
彼の様子はただ事ではない。パートナーである彼女ならば何か知っているのではないだろうか。
「そうね、別に何も。エジソンと出会ったこと……本当にそれだけなの。エジソンは考えを曲げないし、彼はそんなエジソンを見捨てられない」
カドック達はレイシフト後、いち早く北米大陸の状況を把握してエジソンに取り入ったらしい。
ケルトの軍勢は無尽蔵ともいえる兵力を送り込んできており、カルデアの戦力だけではとても敵わないからだ。
だが、偉大な発明家であるはずのエジソンはアメリカを第一とする国粋主義に傾倒しており、時代の修正は行わないと言って憚らなかった。
それでもカドックは説得を続けながらエジソンと共に戦線を駆け抜けたが、大統王を説き伏せることができず、このまま何もできずに傍観するよりはとエジソンに協力することを選択したらしい。
エジソン自身がカドックに近しい考え方をしているのも悪い方向に働いた。
彼らはどちらも自分の出自にコンプレックスがあり、努力家で負けず嫌いで合理主義だ。
エジソンの下で頭角を現したカドックは見る見るうちに西部軍の実権を握り、彼の懐刀に収まったのである。今の彼はエジソンの説得も諦め、寧ろ彼の主義主張を積極的に肯定する信奉者と化している。
考えたくはないが、このままでは本当に彼はアメリカ以外の国を見捨ててしまうかもしれない。
「なら、尚のことカドックさんを止めなくては。アナスタシア、ここから出してください」
「私にはできません。私のマスターはカドックなのです。彼がそう決めたのなら、私は従うだけ。マシュ、私からは「AM」としか言えないわ。幸運を祈ります」
寂しそうに表情を曇らせながら、アナスタシアは足早に階段を駆け上がっていく。
その背中を見送ったマシュは、思い詰めたように唇を噛み締めていた。
友達に裏切られる形となったことがショックだったのだろうか。いや、違う。
曇った彼女の瞳には僅かに光が宿っている。
アナスタシアの言葉の何かがマシュの心に火を灯したのだ。
脱出不可能なこの状況で、彼女は明日を諦めずに顔を上げている。
「ふむ、どうやら見逃してもらえたようだ。恐ろしい眼もあったものだな」
聞き覚えのない声が牢に響き、1人の男が姿を現した。
何かしらの宝具かスキルで隠れていたのだろうか。カルデアからの探知すらすり抜けたその男は、皮の服を纏った色黒の青年だった。
「サーヴァント!?」
「少し待て、牢を開ける」
看守から盗んできたのだろうか、男の手には牢の鍵が握られている。
「あなたはいったい?」
「名を明かさねば信用も得られぬか。とはいえ私の真名はおいそれと明かすものではない。伝えたところで知る者もいない。故にこう呼んでくれた方がいいだろう。ジェロニモ――我が名はジェロニモだ」
俗にインディアン――ネイティブアメリカンと呼ばれる先住民族であるアパッチ族の戦士。
開拓者に家族を殺され、その復讐のために立ち上がった男。
それがジェロニモだ。
あまり詳しくない立香は、槍と盾で武装し羽根飾りを身に付けた創作によくある先住民族の姿をイメージしていたが、実際の彼はどこにでもいるようなごく普通の服装をしている。変装かもしれないが。
「さあ、彼女が兵を引きつけている内にここを脱出しよう」
「彼女……ひょっとして……」
「はい、アナスタシアです」
カドックのサーヴァントである以上、表立って彼を裏切る行為はできない。
だが、彼女自身もマスターの暴走は快く思っていないのだろう。
だからジェロニモの侵入を見抜きながらも見逃してくれたのである。
どうやら今も衛兵がこちらに来ぬよう足止めをしてくれてるらしい。
「彼女にも精霊の導きがあらんことを祈ろう。さあ、早く」
ジェロニモに促され、立香達は牢を後にする。
薄暗い地下通路を駆けながら、立香には確かな確信があった。
必ずここに戻ってくる。
自分とカドックはもう一度、出会って話をしなければならない。
彼と真正面から向き合えるのは、きっと同じマスターである自分しかいないのだから。
□
立香達が脱走したという知らせは、すぐにカドックの耳にも入ったが、その事に対してカドックは特に何も対策を講じなかった。
理由は簡単だ。脱走者を追えるほどの余裕が今のアメリカにはない。
ケルトの戦士達は無秩序に暴れては消える蛮族ではあるが、それ故に神出鬼没で数も多い。
エジソンが生み出した機械化歩兵や最新式の銃器を大量生産し、前線に配備することで何とか均衡を保っているが、500の兵を犠牲に手に入れた拠点はたった1人のサーヴァントに奪い返されてしまい、不毛な陣取り合戦と水際作戦に明け暮れる日々を送っていた。
脱走兵を捕まえるにしろ、ケルト軍を蹴散らすにしろ、今のままでは戦力が足りない。
人も時間も兵の質も、何もかもが足りない。
「聞いたかね、カドック補佐官。君の友人達が逃げ出したそうだ」
執務室――とは名ばかりの作業場で、エジソンは報告書に目を通しながら言う。
召喚に当たって如何なる偶然が作用したのか、一介の発明家でしかないはずの彼は筋骨隆々の逞しい体と獅子の頭を持つ怪物として顕現していた。
だが、その理性と知識は健在であり、劣勢に追い込まれていたアメリカ軍を瞬く間の内に立て直し戦線を押し返した手腕は見事としか言いようがない。
「エジソン、僕に友人はいない」
「そうだったか。だが、かつての仲間と敵対するのはよい気分ではないだろう。本当に良かったのかね?」
「迷うくらいならここにいない。何よりエジソン、あんたは勝たなくちゃいけない人間だ」
「そうだとも。私は如何なる挑戦、如何なる戦いにも勝利してきた。それ故の発明王にして大統王! はははっ、君は本当に煽てるのがうまいな」
「別に、そんなつもりじゃ……」
豪快に笑うエジソンに対して、カドックの反応は冷ややかで淡白だった。
だが、彼はそれを気にすることなく受け流すと、親友に接するような気安さで背中を叩いてくる。
「君が来てくれたおかげで我が軍は大いに躍進した。将を任せられる者がおらず、ケルトのサーヴァント達には煮え湯を飲まされていたのだ。後は奴らに勝る数の兵力を生産し、一気に押し返すのみ。最早、勝利は決まったも同然だ」
「……なら、工場にはシフトの増加を通達しておこう。西海岸からの補給も昼夜を問わず行わせている。これならば新工場もすぐに増設できるだろう」
「大いにけっこう。無論、福利厚生は十分にな。はははっ!」
一しきり笑うと、エジソンは作業台の上に放置していた書きかけの設計図に目を走らせる。
彼が行っているのは機械化歩兵の改良だ。
電気で駆動し、誰にでも扱え、一定の成果を出すことができる機械化歩兵の充実と改良は西部軍にとって生命線と言える。
何しろケルトの戦士は引っ切り無しに襲いかかってくるため、兵士を育てている時間がないのだ。
より強力な機械化歩兵の増産は急務である。
これ以上の会談は彼の仕事に支障を来すと判断したカドックは、一礼してエジソンの執務室を後にした。
時計を確認し、次の予定までの空き時間を計る。
工場の視察、押されている戦線への援軍、受け入れた難民への対応、その他にもやれなければならないことは余りに多い。
最後に睡眠を取ったのはいったい、いつだっただろうか。
もう日の出を三度は眺めた気がする。
「カドック、少しは休んで」
「……ああ、大丈夫だ」
「そうは見えません。馬車を走らせれば30分で移動できます、それなら少しは眠れるでしょう?」
「……わかった、15……いや、10分したら起こして……」
心配そうにこちらを見つめるアナスタシアに言うと、カドックはふらつく足取りで自室の扉を開き、固い簡易ベッドの上に寝転がる。
程なくして睡魔が訪れた。
眠りたくはないと思いながらも体は言うことを聞かず、意識は闇へと落ちていく。
それは北米を訪れて、初めて迎えた休息であった。
感想でアメリカは体力が必要、移動が大変という意見がありましたが、歩かせません(笑)
とどのつまりスパルタクスの懸念が当たっというわけです。
追記
カドックとロマニのやり取りを少し修正しました。
だいたいの人が抱くであろう、エジソンと協力してその後に裏切るのがベストじゃねという考えに対するアンサーのつもりです。
協力すること自体ではなく、エジソンを正そうとしないことを問題にしています。
具体的に言うとこの状態のカドックが組したままエジソン軍が勝つと他の国が消えて惑星アメリカが誕生してしまいます。