Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
ロビンフッドという英雄がいる。
一般的には英国シャーウッドの森に潜む義賊であり、圧制を敷くジョン失地王に抗った者として知られている。だが、人理焼却という未曽有の危機において召喚された男は正しい意味ではロビンフッドではない。
そもロビンフッドとは実在しない英霊なのだ。度重なる諸外国からの侵入によって疲弊したイギリス人の祈りと願望が幾つもの逸話や信仰と混合した結果、「顔のない王」の化身とした誕生したのがロビンフッドという英雄である。
シャーウッドの森に住み着いた狩人はいたのだろう。
圧制者に弓を引いた義賊はいたのだろう。
しかし、それらが同一人物とは限らない。その時代にいた小さな英雄が人々の願いを受け、「ロビンフッド」という名を襲名し活躍したもの。
サーヴァントとして召喚されたロビンフッドは、そんな数いるロビンフッドのうちのひとりに過ぎなかった。
故に、彼にとって英雄という存在は複雑な感情を想起するものであった。
圧政に苦しむ村人を救える英雄を求め、自らが顔を捨ててその衣を纏った。
一握りの嘆きを救うために、それ以上の涙を強要する外道と成り果てた。
策を巡らし、罠を張り、毒を盛って悪を討つ悪鬼。
せめて戦場で死にたいという高潔な願いすら黙殺し、卑怯者と謗られようと戦い続けた。
正義である為に、人間としての個を殺した無銘の英雄。
本当は誰よりも英雄の存在に焦がれながら、自分ではそんなものになれないと諦めてしまった孤独な青年こそが、ロビンフッドの正体であった。
(そりゃ、やれって言うならやりますよ。きっちりオーダーこなすのがオレのポリシーですし)
相対した肉の柱を見上げながら、ロビンフッドは先ほどのカドックの言葉を反芻する。
この絶体絶命の窮地の中で見出せた僅かな好機。それに対する最後の奥の手として下された命令に対して、彼は何度も何度も反芻する。
だが、何度繰り返そうと納得することができない。
何度、思い返そうとその指令に首を振ることができない。
『さあ、君が決めろ――ロビンフッド!』
エジソンとニコラ・テスラによって動きを封じられ、アナスタシアの宝具で弱体化した『
その神話級の化け物にとどめを差す役が、自分なんかで良いのだろうか。
例えばエレナ・ブラヴァツキーなら強力な魔術をいくつも行使できる。
李書文の拳法ならば自分の罠よりも遥かに強力な威力を誇るだろう。
エリザベート・バートリーは言うまでもない。仮にも竜の血が混ざった少女だ。英霊としての格は自分など足下にも及ばない。
それなのに、どうして自分なのか。
何故、ロビンフッドなのか。
『『
『けど、毒は!? あいつにオレの毒は利きませよ!』
『いや、キャスターが魔神柱を視界に捉えている間ならば――彼女の邪視に射抜かれている間ならばチャンスはある!』
ヴィイの魔眼による邪視。その呪いを毒として起爆しろとカドックは言うのだ。
それに対して、ほんの僅かでも納得しかけた自分がいたことに彼は後悔した。
無理だ。
そんなことはできるはずがない。
理屈はわかる。
自身の宝具『
その肉体を射抜く必要はない。矢が掠りさえすれば、血管を導火線として瞬く間の内にその身の毒を爆発させることができる。
確かにそれならば1つの肉体に結合している魔神柱の肉体をまとめて破壊することができるだろう。
だが、そううまくいくだろうか。
いつだって自分は相手の裏をかいてきた。
罠を張り巡らせ、奇襲をしかけ、不意を突いて暗殺を行った。
こんな、英雄らしく真正面から戦ったことなど、生前は一度もなかった。
そんな自分が、果たしてこの化け物を仕留められるだろうか。
(やれるのか、オレに……オレなんかに……)
心とは裏腹に指先は淀みなく動く。
慣れた手つきで弓に矢を添え、弦を引く。
後は狙いを定め、矢を放つだけだ。
「急げロビンフッド! キャスターの宝具が利いている内に! 彼女の視線が少しでもズレればもう奴は倒せない!」
勿体ぶっているとでも思ったのだろうか。遠くでカドックが叫んでいるのが聞こえる。
そんなつもりはない。
焦ってはいても体は氷のように冷徹に動いている。
準備はとっくにできている。
それでも踏ん切りがつかないのは、やはり自信がないからだろうか。
ずっと正道に反した行いで戦ってきたから、敵と向き合う勇気がないのだろうか。
『泣き言は禁止だアーチャー』
不意に脳裏に、覚えのない男の言葉が響いた。
『おまえの技量は、なにより狙撃手だったわしがよく知っている』
それはここではないどこかで、自分ではない自分がかけられたであろう言葉。
遠い空の向こうで、一時を共に過ごした男の言葉。
今になってどうしてそんなことを思い出したのだろうか。
これは以前の自分がもらった言葉で、今の自分がもらってよい言葉ではない。
胸を張って誇れるだけの何かを成し得ていない、自分が受け止めていい言葉ではない。
『信頼しているよ、アーチャー』
それでも、ロビンフッドの心は平時の穏やかさを取り戻すことができた。
眼光は鋭く、まるで猛禽類のように獲物を捉える。
掲げた腕には一本の矢。その鏃の先には醜く蠢く肉の柱達。
ロビンフッドは静かに魔力を組み上げ、宝具の真名を読み上げる。
「我が墓地はこの矢の先に――隠の賢人、ドルイドの秘蹟を知れ。『
緑の閃光が空を切る。
イチイの弓から伸びるは必死の矢ではなく毒の枝葉。
広がり、繁り、標的に向けて際限なく絡みつく致命の蔦。
断末魔の悲鳴を上げる暇すらない。
皐月の王が放った一矢は、魔眼の皇女が射抜く視線の先へと違うことなく命中し、その身に浸透した彼女の呪いを起爆させる。
(まったく、どこの誰かは覚えちゃいないが、オレみたいな半端者を買ってくれるなんて、奇特なジイさんもいたもんだ。そうだろ――――旦那)
電気檻の中では『
その様を見届け、厳かな気持ちで残心を終えたロビンフッドは外套を翻した。
戦いが終わった瞬間であった。
□
咆哮が大気を震わせる。
眼前の魔神柱は無数の目を瞬かせ、その凝視でこちらを焼き尽くさんとする。
長時間に渡る激戦で、無事な者は1人としていない。ナイチンゲールの治療を以てしても無傷な者は皆無であり、終わりの見えない消耗戦は精神力に陰りを差していた。
既に三度だ。
女王メイヴを失い、ただ1人の王として立ち塞がったクー・フーリンはアルジュナとラーマの猛攻を受け、既に三度も屈している。
だが、その度に立ち上がっては自らの霊基を強化し、より強い力を以て牙を剥いてくる。
そのような急激な霊基の強化は本来ならば霊核に著しい負担を強いるはずだが、凶王はそのような痛みなど感じていないかのように暴虐の嵐を呼び、立ち塞がるインドの二大英雄と渡り合ったのだ。
事ここに至って、立香の出る幕はほとんどなかった。
繰り広げられる戦いのスケールが今までと段違いだ。
カルナとアルジュナの決闘の時のように、その行く末を見守ることしかできない。
それでも彼は臆することなくその場に留まり、せめて最低限の援護を担おうとマシュとナイチンゲールに指示を下す。
こうしている間にも北部戦線で戦うカドック達は『
彼らの為にも、一刻も早くクー・フーリンを倒して聖杯を回収しなければならない。
そして、三度目の敗北によって地に屈したクー・フーリンが最後の手段としたのが、自らの肉体を触媒とした魔神柱の召喚であった。
既に自壊寸前の霊核ではこれ以上のパワーアップは計れないと考えた結果なのだろう。
呼び出された魔神柱は根を下ろした大地ごと抉らんとするかのように衝撃波を放ち、滞空するアルジュナとラーマを吹き飛ばす。
そして、空間そのものを焼き尽くさんとする炎の凝視で以て、マスターである立香の命を奪おうとした。
「先輩!!」
「マシュ、お願い!!」
自分の前に躍り出たマシュが盾を構え、宝具を展開する。
未だ真名も分からず、オルガマリー所長によって名付けられた仮の名前で呼ばれる人理の盾。
展開された光の壁は魔神柱の視線を容易く受け止めるも、その勢いに押されてマシュの体が少しずつ後ろに下がっていった。
戦いが長引いたことでマシュのスタミナも限界に達しているのだ。
盾は無事でもそれを構えるマシュが保たず、このままでは押し切られてしまう。
彼女を助けようにも既に令呪はなく、すぐに使える礼装にも効果的なものはない。
ならばどうするか。
咄嗟に立香はマシュの背中を支えると、吹っ飛ばされたラーマの治療を行っていたナイチンゲールに向けて声を張り上げる。
自分程度の力が加わったところで、炎の勢いが削がれるわけではない。だが、それでもマシュの負担が少しは軽くなるのなら。ナイチンゲールが宝具を発動するまで、そのほんの僅かな時間を保たせることができるのなら、この身を危険に晒すことなど怖くはなかった。
「全ての毒あるもの、害あるものを絶ち! 我が力の限り、人々の幸福を導かん! 『
真名解放と共に出現した白衣の女性の幻影が、魔神柱の炎の視線を受け止める。
生前に戦場を駆け、死に立ち向かったナイチンゲールの精神性が昇華されたその宝具は、近現代にかけて成立した「傷病者を助ける白衣の天使」という看護師の概念と結びついたことで強制的に害ある攻撃を無効化するという絶対安全圏を作り出す。
毒は消え失せ、剣は手から落ち、銃は弾を吐き出さず、爆弾は化学反応せず、魔術は組みあがらず、宝具は真名解放されない。
そして傷ついた者達には等しく彼女の治療が施され体力と魔力を回復させる。
魔神柱とてその例外ではなく、煉獄の炎はその威力を著しく減衰されたことで盾を構えるマシュの顔から苦痛が消える。
炎と幻影が消え去り露となった彼女の体は火傷一つ負っていなかった。
「――――――!!」
「させるか! 喰らえ、『
再度、炎の凝視を放とうとした魔神柱に向けてラーマの剣が飛ぶ。
巨大な光の輪と化した不滅の刃の名は創造神ブラフマーが持つ必殺の投擲武器を差す。
世に蔓延る不浄、魔性を悉く滅殺するその刃は大気を抉りながら宙を駆け、必殺のために隙を晒していた魔神柱の肉体を容赦なく両断した。
直後、放たれた視線が明後日の方角に向けて飛び、大地に巨大な火柱が立つ。
周囲に木霊するのは聞くのも憚られる不気味な咆哮。
致命の一撃を受けたことで魔神柱はその存在を保てず、後は消滅を待つばかりであった。
「やったか!?」
『待った、魔神柱の内部から反応……まずい、下がるんだみんな!!』
通信からロマニの悲鳴が轟く。それと同時に爆ぜた魔神柱の肉体の内側から、異形の怪物と化したクー・フーリン・オルタが姿を現した。
「全呪解放。加減はなしだ。絶望に挑むがいい」
まるで骨の怪物だ。
黒い甲殻と赤い爪。巨大な尾も合わさってその姿は直立する恐竜のようにも見える。
その姿こそクー・フーリン・オルタの真の切り札。
魔槍ゲイ・ボルクの素材となった紅の海獣クリードの骨で出来た甲冑を具象化し身に纏うことで肉体を強化する彼の攻撃型宝具『
『無茶苦茶だ! 召喚した魔神柱の霊基を逆に喰らって霊核を再生するなんて!? 拒絶反応で2分と保たないぞ!』
「なら、彼はすぐに――」
「そんな生易しい相手ではない。2分あればここにいる全員、殺し切る男だぞ!」
ラーマが最後の力を振り絞って飛びかかるクー・フーリンを迎え撃とうとし、マシュも盾を構えてそれに続く。
だが、それよりも早く動いたアルジュナが2人の前に割って入ると、振り下ろされた異形の爪をその身で受けてクー・フーリンの突進を押さえつける。
「くはっ!!?」
「アルジュナ!?」
瞬間、突き刺さった爪から無数の棘が展開し、アルジュナの体を内側から破壊する。
誰が見ても致命傷。心臓を破壊され、夥しい量の吐血が2人の体を赤く染め上げる。
「仲間を庇うとは締まらぬ幕切れだ。満足したか、授かりの」
その手に確かな手応えを感じ取ったクー・フーリンはアルジュナの体に突き刺した爪を抜こうとする。
悲惨な光景にマシュは思わず目を逸らし、ラーマは無謀にもアルジュナを救わんと飛びかかろうとするナイチンゲールを押さえるのに必死だった。
そんな中、唯一人、それから目を背けなかった立香は見た。あの冷酷なクー・フーリン・オルタの表情が驚愕に歪むのを。
その命を散らしたはずの授かりの英雄の腕が、微かに動いたのを。
「貴様、まだ生きて――!?」
「カルナ如きにできて、俺にできぬ道理はない!!」
既に霊核は破壊され、消滅は時間の問題だった。
だが、カルナがそうであったように、アルジュナもまた死に向かおうとする己の肉体を強い意志の力でねじ伏せ、クー・フーリンの爪が自分の体から抜けぬよう押さえつける。
力においては明らかにクー・フーリンが上回っているにも関わらず、突き刺さった爪はピクリとも動かなかった。
ならばとクー・フーリンは自らの腕を切り捨てようともう片方の爪を翻すが、それよりもアルジュナが宝具を放つ方が早かった。
「シヴァの怒り――いや、我が怒りを以て、汝の命をここで絶つ! 『
至近距離から放たれたアルジュナの最大宝具が、巨大な閃光の柱と化して2人を包み込む。
授かりの英雄と光の御子。例え神代に名を連ねる巨頭であろうと、間近でその光を受けては抗うことはできない。
それは同時にこの戦いの終わりを意味していた。
そして、何もかもを焼失させる白い光が収束し、消え去ろうとする寸前、立香は1人の男の苦悩を聞いた気がした。
「カルナ、今度こそ――私は――」
それがこの戦いにおける、藤丸立香の最後の記憶であった。
□
飛び散った魔神柱の破片はエレナやエジソン、ニコラ・テスラのおかげでどうにか焼却することができ、北部戦線の戦いは終結した。
カルデアからの通信によると、ワシントンの方でもクー・フーリンを倒して無事に聖杯を回収できたらしく、それを聞いた面々は一様に喜びの声を上げた。
特異点の元凶が消え去ったことで、この時代もほどなく修正が始まるであろう。
全てが終わったことを痛感したカドックは、深々と息を吐きながらその場に尻餅をついた。
「はー、疲れた! フランス、ローマ、そしてアメリカ! まったくもう、アンコールも大概にして欲しいわ」
「何度でも言うからな。何度も出てきて恥ずかしくないのかドラ娘!?」
「局地的におぼこ娘のブームでも来てるんですかねぇ」
可愛らしく伸びをするエリザベートに向けて、カドックとロビンは思わず辛辣な言葉を漏らす。
本当に、何で彼女だけこんなにも続けて召喚されているのだろうか。
ひょっとして、聖杯に好かれているのだろうか。そうだとしたら恐ろしい限りだ。
「誰がおぼこよ、もう!………まあ、今回ばかりは大目に見てあげる。お先に失礼するわ。子ザル、子イヌにもよろしくと言っておいて。私の理想のマスターには程遠いけど、それでもあんた達の一生懸命さ、嫌いじゃないわ! だって――」
残酷な吸血鬼、鮮血魔嬢とは思えぬにこやかな笑みを浮かべながら、エリザベートの体は粒子に還っていった。
声にならなかった最後の言葉は、しかしカドックの耳には確かに届いていた。
『伸ばしたその手がもしも星に触れたのなら、そう思えたら素敵じゃない』
以前の自分ならばきっと一笑に付することすらないまま相手にしなかっただろう。だが、今ならば彼女の言葉の意味がよくわかる。
届くか届かないかの話ではない。例え遥かな未来にあっても辿り着けぬ地平であったとしても、諦めずに夢を追い続けることに意義がある。
あの遠い星空にすら、やがては人の手は届くことを知っている。
そして、その道を切り開いてきた綺羅星の如き英雄を、カドックはよく知っている。
「トドメを刺したのは彼の宝具だが、あの巨体を封じ込めたのは私の電気技術によるものだな!」
「妄言も大概にするものだエジソン。貴様はあくまでバックアップ、補助に過ぎん。あの怪物を封じたのはニコラ・テスラの雷電だ。いや、或いは全力であれば大陸ごと消し飛ばせたぞ?」
「机上の空論という言葉を知っているかね? 無論、私は知っていぞ。誰かさんがそうだからな!」
「そういう貴様は実践派気取りの凡骨だ! 理論も分からぬまま、闇雲に挑むから無駄な苦労を重ねるしかないのだ!」
「おっと、手が滑った」
「……」
「何だ?」
「おっと、電気が滑った」
「……」
「……」
互いの行いに対して我慢の限界が来たのか、エジソンとニコラ・テスラは周囲の目も憚らず殴り合いの喧嘩を始める。
偉大な発明をいくつも成し得た天才達とは思えない子どものような喧嘩は見ていて頭が痛くなる。
この瞬間を切り取って誰かに見せても、絶対に2人が彼の発明王とその双璧たる天才であるなどとは思わないだろう。
「あの2人はどちらも正しい方向を向いて同じ道を歩いているというのに、道が狭いもんだからどうしても争っちゃうのよね」
「けれど、それは決して恥ずべきことじゃない。暴力による政の時代は終わり、名も知らぬ誰かの幸せのために知恵を絞る賢人達。その先に――僕は立っているんだな」
ならば、その
例え志半ばで倒れることになっても、力及ばずに屈することになったとしても、最後まで前を見続けていればきっと、価値あるものは残るはずだ。
この北米での迷いもきっと、自分の中で確かな苗床となって何かが生まれるはず。そこに意味はなくとも間違いではなかったと思えるような結末にきっと辿り着けるはずだ。
「耳の痛い話だ。だがまあ、今のところは俺のような力も必要だろう。今度はお前達に召喚されたいもんだ。その方が今回よりは楽しめそうだしな」
凶暴な笑みを浮かべながらベオウルフは消滅する。次いで魔力が尽きたエレナとロビンが消え、残された李書文も地面に転がっていた自身の槍を拾って踵を返す。
「施しの英雄への借りは返した。こちらは急いで片づけなければならぬ用事があるのでな。では失礼」
そう言って、李書文は消えるようにどこかへ立ち去った。
まるで最初からそこに存在していなかったかのように。
「結局、礼の一つも言えなかった」
「行かせてあげましょう。待ち人がいるのだもの、野暮というものよ」
「何か視えたのか、アナスタシア?」
「ええ。でも、秘密。答えてあげません」
「えっ? いや、そんな風に言われると気になるな」
「ダーメ。答えてあげません」
薄く微笑みながら逃げるアナスタシアを追いかけようと、カドックはヨロヨロと力なく立ち上がろうとする。
すると、後ろから大きな手が伸びてカドックの体が抱え上げられた。
振り返ると、先ほどまでニコラ・テスラと喧嘩をしていたエジソンが立っていた。
「改めて礼を言っておきたくてね。君が私の補佐官――マスターでいてくれて本当に良かった。ありがとう」
「エジソン……僕は……」
「言わなくてもいい。間違えていたのは私で、それもまた正解ではなかっただけのことだ。君がいたからここまで戦えて、君の友人がいたから勝利できたのだ。それだけで十分だ」
「あなたはヒーローだ。僕だけじゃない、この世界みんなの憧れだ」
「伝記本を読んでくれたのかな? きっと私はさぞかし格好良く書かれていたのだろうな」
エジソンとその傍らに立つニコラ・テスラの体が末端から光に還っていく。
2人もまた、座への帰還が始まったのだ。
「また会おう、カドック君。次に召喚された時には、君のために力を貸そう」
「癪に触ること静電気の如しだが、機会あらばこの雷神も人理の為に戦おう。まあ、君よりも
「ふっ、あまりうちの補佐官を甘くみないことだすっとんきょう。彼は私の最高の――」
カドックの意識はそこで途絶えた。
まるで何かに引きずり上げられるかのような錯覚と共に視界が明滅し、自分の存在すらも不確かなものとなる。
2人の天才に見送られながら、カドックの意識はカルデアへと引き戻されたのだった。
□
目覚めると、まず目に飛び込んだのはこちらを見つめるロマニの姿だった。
その隣にはダ・ヴィンチとマシュ。立香とアナスタシアも心配そうにこちらを見つめている。
管制室は重苦しい沈黙が支配していた。
無理もない。
一時とはいえカルデアを離反した男が戻ってきたのだ。不穏な空気が漂うのも当然だ。
問答無用で拘束されないだけありがたいと思うべきだ。
「まずはおめでとうと伝えておくよ。今回も何とか特異点を修復できた」
「……ああ」
「その上で君への処分を伝えよう。結果的に上手くいったとはいえ、君は特異点修復というカルデアの目的に反する行いをした」
「ああ」
エジソンに賛同することを決めた時から、こうなることは覚悟していた。
自分勝手に動く駒は組織に不要な存在だ。和をかき乱すような不確定要素は排除するべきだろう。
現状、カルデアは人手不足だが、幸いにも自分1人が抜けたところで機能に支障はない。
立香はマスターとして十分に強くなってきているし、マシュも力をつけてきている。
ここで自分の旅が終わることになったとしても、彼らはきっとグランドオーダーを成し遂げるだろう。
アナスタシアには申し訳ない結果になってしまうが、それだけのことを自分はしてしまったのだ。
「これは非常に重い罰だ、カドック・ゼムルプス。君にはカルデア館内に存在する全ての――トイレの清掃を命じる」
「わかった――はい?」
思わず耳を疑い、次にきちんと意識が覚醒しているかを確認する。
古典的だが頬を指で抓ってみるが、痛覚は正常に機能していた。
少なくともここは夢の世界ではない。
「ドクター・ロマン、聞き間違いをしたのだろうか? トイレ掃除と聞こえたが――」
「カルデアの伝統的な罰則だ。ボクも入りたての頃、遅刻の罰として先輩にさせられた」
遅刻と同列に語れるような違反ではないと反論したが、ロマニは聞き入れなかった。
「カルデアの広さを舐めちゃダメだよ。公共スペースからマイルームまで全部を掃除してもらうんだから、時間だってかかるんだ」
「けど――」
「これは所長代理としての決定だ、マスター・ゼムルプス」
これ以上は何も聞き入れない。この決定は覆らないとロマニは言う。
正直に言うと、納得がいかない。
自分はカルデアの理念に反する行いをし、マスターである立香を害する行為を働いた。
それに対する罰がその程度でいいのだろうかとという不服の気持ちがどうしても拭えない。
同時に、自分がとても安堵していることに気づいた。
罰の軽さにではない。自分がこれからもカルデアの一員として、グランドオーダーに関わることができるのが嬉しかったのだ。
「本当に、いいのか?」
「そう決めたからね。それでも納得ができないのなら――人理修復を必ず成し遂げること。それを以て君の違反は帳消しにしよう。君だって、もう逃げる気がないんだろう?」
「……本当に、すまない。いえ――すみませんでした、ドクター・ロマン。謹んで引き受けさせて頂きます」
差し出されたロマニの手を握り返す。
一部始終を見守っていた立香が歓声にも似た声を上げ、マシュとアナスタシアも我が事のように喜びを露にする。
「よかったね、カドック。これからも一緒に仕事ができるんだ。よし、俺も掃除を手伝うよ!」
「はい、及ばずながらわたしもお手伝いさせて頂きます!」
「待て待て、それじゃ罰にならないだろう」
「でも、カドックは右手しか使えないだろう。掃除道具とかどうやって運ぶのさ?」
「あら、そこは私がいるでしょう、マスター・藤丸」
「皇女様にそんなことさせられるか! これは僕の罰なんだから僕が1人でやる! だいたい、藤丸は掃除よりも前に訓練をだな――」
堰を切ったかのように言葉が溢れてくる。
煩わしかったはずの騒々しいやり取りがとても懐かしく心地よい。
そんな風に思えるようになっていたことが意外で、とても嬉しかった。
前はどこか疎外感を感じていたこの場所が、いつの間にか自分のいるべき場所になっていたのだ。
それを素直に嬉しいと思える自分がいることに気づき、カドックの表情には自然と笑みが零れていた。
□
管制室でのデブリーフィングを終え、カドック達4人は自室に戻るために通路を歩いていた。
今まではバラバラに帰っていたのに、今回に限っては4人揃って帰路につく形となったのだ。
或いは、自分が立香に対して感じていた距離感が共に帰ることを避けていたのかもしれないとカドックは考えた。
なら、今はそれが少しだけ改善されたのかもしれない。
彼に対して抱いていた嫉妬だとか自身を脅かす危機感だとか、そんなドロドロとした感情は胸の内のどこを探しても見当たらない。
それを良い兆候だと思えた半面、ここまで同じ時間を過ごしていながら彼のことをそんな風に見ていた自分が恥ずかしくなった。
「カドック?」
こちらが考え事をしていることが気になったのか、アナスタシアが覗き込むように顔を見上げてくる。
「え? ああ、ごめん。聞いているよ」
「考え事? 今のあなたはすぐに転ぶんだから、気をつけてね」
「わかっているよ。今回は色々あったなって、考えていただけさ」
「そうですね。悲しい出来事もたくさんありました」
マシュの言葉に他の3人も黙って同意する。
あの時代を生きる人達に多くの犠牲が出た。
冬木では協力関係にあったクー・フーリンが敵に回り、戦いの最中でカルナはその命を散らした。
他にも多くの犠牲があり、その上で自分達は勝利できたのだ。
積み重なった痛みを数えると、どうしても心が沈んでしまう。
だが、それと共に胸が躍る出来事がいくつもあった。
あの偉大な発明王と親交を深め、インドやケルトといった神話の人物達とも交流できた。
今までもそうだ。それぞれの時代で様々な人間、英雄達と出会い冒険を繰り広げてきた。
それはきっと、どんな魔術師でも体験できなかったことだ。
「不謹慎かもしれませんが、わたしはとても楽しいです。わたし達がした旅は決して歴史に残らない。わたし達だけの記憶に刻まれる旅。この思い出を、ずっと、ずっと大切にしたい……そう思います」
「そうね。思い出……か。私はこの旅が終わればきっと座に戻らなければいけないのでしょうけど……みんなの思い出になれるのなら、とても良いことなのかもしれないわ」
アナスタシアの言葉にカドックは何も返せなかった。
そう、旅はいつか終わる。サーヴァントであるアナスタシアとはいつか別れなければならない。
その日までに証明できるだろうか。
彼女が抱いた絶望と諦観。それを吹き飛ばせるほどの何かを。
「では、わたしはここで。みなさん、疲れているからといってすぐに横になるのはダメですよ。まずはシャワーを浴びて、それから――」
不意に視界が歪んだのかと錯覚する。
それほどまでに突然の出来事だった。
まるで糸が切れた操り人形のように、マシュの体が床の上に倒れ込んだのだ。
「マシュ!?」
「フォウ! フォーウ!!」
どこから現れたのだろうか。フォウが倒れたマシュに寄り添い何かを訴えるように声を上げる。
「あれ……せんぱ、い……みな、さん……」
「マシュ! どうし――」
「どけ、診せろ!」
マシュを抱え起こそうとする立香を突き飛ばす様に押しのけ、カドックはマシュの腕を取った。
指先に伝わる脈は非常に弱々しい。呼吸もかなり乱れていて額には汗が滲んでいる。
何かの病気なのだろうか。マシュの肌は急速に色を失い、苦悶の声を漏らしていた。
「藤丸、彼女を医務室まで運べ! アナスタシアはロマニを呼ぶんだ! 大至急!!」
「わ、わかった」
「ええ」
とりあえず手持ちの薬で気付けを済ませると、カドックは2人に指示を飛ばす。
アナスタシアはすぐに管制室へと踵を返し、我に返った立香も危なっかしい手つきではあるがマシュを起こして腕を肩に回す。
その間にもマシュはどんどん衰弱していき、目を離せば今にも死んでしまうのではないのかという恐怖が込み上げてきた。
程なくして彼らは知ることになる。
マシュ・キリエライトがどういった存在なのか。
そして、彼女に待ち受ける運命を。
A.D.1783 北米神話大戦 イ・プルーリバス・ウナム
人理定礎値:A+
『祈りの弓』は5章配信時点では毒以外のバステ、バフデバフ状態でも特攻が入りました。
そんな訳でとどめの担当はロビンフッドです。
元々はカルナを生き残らせてと考えてもいたのですが、アルジュナが思いの外、筆者好みに屈折した性格だったので気づくとこんな形になりました。
今度のハロウィンはまさかの○○○○実装ですかね?
おっきーで盛大に爆死した手前、更なる課金をどうするか悩むところです。