Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
神聖■■■■■■■■■ 第1節
第五特異点からの帰還後、マシュが倒れた。
その場で介抱したカドックは、原因がわからないながらも彼女の低下したバイタルを読み取り、その余りの不安定さにどうして生きていられるのかと驚かずにはいられなかった。
彼女はすぐに医務室へと運ばれそのまま緊急入院となった。幸い、症状はすぐに持ち直したので数日の内に通常業務に復帰することができるらしい。
そして、マシュへの処置が一通り済むと、ロマニはカドックと立香の2人を自室へと呼び出した。
「――以上が、ボクの語れる範囲でのマシュの話だ」
彼の口から語られたのは、マシュ・キリエライトの出自に関わる出来事だった。
彼女は生まれてからずっと、カルデアの一室で軟禁状態のまま生育されていた。
デミ・サーヴァントへの融合実験のために生み出されたデザイナーベビー。
より安全で確実に英霊の力を行使するための兵器。それを望んで製造されたのがマシュ・キリエライトという少女だった。
「ここカルデアは国連主催の組織だけど、その内情は魔術協会……アニムスフィアの研究施設だ。人類の未来を見守る、という大義のもとに非人道的な試みも少なからず行われた」
サーヴァントは使い魔ではあるが同時に人間以上の存在である英霊だ。
彼らがその気になればマスターであれ命を失い、英霊は座に還るだろう。
依り代を用いる疑似サーヴァントにしても特例中の特例である上、都合よく英霊と波長が合う人間などいないし、人格を霊基に塗り潰される危険性がある。
そこで前所長――マリスビリー・アニムスフィアは発想を逆転させた。
英霊の霊基を受け入れる器となる無垢な子どもに触媒を埋め込み、召喚した英霊と融合させることで全く新しい「人間」として受肉させる。
英霊を使い魔としてではなく兵器として製造するコンセプトのもと、マリスビリーは10歳まで生育したマシュに対して融合実験を行ったのだ。
結果は失敗。
召喚そのものは成功したが、融合した英霊はマリスビリーの非道を認めず、かといって自身が消えればマシュが死んでしまうため、彼女の中で眠りにつくことを選択した。
そうして融合実験は頓挫し、あのファーストオーダーの日に至ったのである。
「前所長は融合実験から一年後に所長室で亡くなった。状況からみて自殺と判断されたけど、真相は不明だ。マリー――オルガマリー所長がやって来たのはその後だ」
良心の呵責、とは思えない。
マリスビリーとはあくまで「サーヴァントのマスター」として指名を受けていただけで交流があったわけではない。
だが、断片的な記録から得た印象や彼と面識があるペペロンチーノの話では魔術師らしく人間としての倫理が欠けているが、自らの研究に対して強い信念を持った人柄であったらしい。
そんな男が情に流されて我が身の非道を悔いるとは思えない。
最も、今となっては真相は闇の中だが。
「あんな風に倒れたのも、その融合実験のせいなのか?」
「それもある。けれど、彼女には元々、寿命ともいうべき活動限界が設定されていた。あれ以上老いることはないが、やがて生命力が枯渇して死ぬことになるだろう。長くて18年……後、1年あるかないかという話だ」
「そうか……前々から備品みたいな女だとは思っていたが、本当に備品だったんだな」
瞬間、頬に鈍い痛みが走った。次いで、襟元を掴まれて壁に背中を叩きつけられる。
勢いで花瓶が割れる音がまるで遠い世界の出来事のようだった。
カドックの目の前には、目に涙を浮かべ、顔を真っ赤にして激昂する立香の姿があった。
「もう一回、言ってみろ……」
「……ああ、何度でも――」
「止めるんだ!」
喉元まで出かかった言葉をロマニの制止が遮る。
その一言で我に返ったのか、立香は襟元を掴む手を放してこちらから距離を取った。
「落ち着くんだ、藤丸くん。カドックくんもだ。彼が怒りをぶつけるのなら、それは所長代理であるボクに対してだ。君が嫌われ役を買って出る必要はない」
「……すまない、出過ぎた真似をした。言い過ぎたよ、藤丸」
「……俺の方こそ……ごめん……」
気まずい空気が室内を漂う。
自分でもどうしてあんなことを言ってしまったのかわからなかった。
ただ、まるでロマニが罪科の矛先を自分に向けるかのように淡々と話す様が我慢できなかった。
マリスビリーが存命だったとはいえ、マシュの存在を公にすることができなかった。
彼女を外に連れ出すためとはいえ、優れたマスター適性を利用する形となった。
何よりマシュの短命について、彼は一切の弁解をしない。
生きることは苦しいことで、死は誰にでも訪れる。人間である以上は死の恐怖から逃れることができず、それを憐れむことはその人の生命に対する無礼でしかないとロマニは言うのだ。
「マシュはまだ自分の活動限界について知らない。ここで話したことは他言無用のまま、彼女とは今まで通りに接してあげて欲しい。本来、彼女の体は無菌室の外の刺激には耐えられない。英霊と融合したことでレイシフト先に限り君達と同じように外で活動できている。その細やかな幸福を取り上げることは……ボクにはできない」
ロマニの言葉に対して、2人とも何も言うことができなかった。
その場はそこで解散となり、ロマニの部屋を後にしても重苦しい空気が晴れることはなく、2人はトボトボと自室に向けて長い通路を歩く。
沈黙に耐え切れず、先に口を開いたのは立香の方であった。
「俺……できるかな……今まで通りに……」
「やるんだよ。やらなきゃ、ダメだ……」
自然と奥歯を噛み締めていた。
知らず知らずの内に拳を握っていた。
こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。
自分はまだいい。アナスタシアは過去の人間で既に生を終えている。
どれだけ心を通わし距離を近づけても彼女が死者であることは覆らない。
哀しくないといえば嘘になるが、結末に至る覚悟はできている。
だが、マシュ・キリエライトはまだ生きている。なのに、明確な終わりがすぐそこまで迫っているのだ。
その事実を立香は受け止めかねている。ここまでひたすらにまっすぐ歩いてきた男が、初めて躊躇を見せている。
痛ましいその姿を見て、カドックは苛立つように声を荒げていた。
まるで、自分に対して吠え立てるように。
「お前はマシュ・キリエライトのマスターだ。このグランドオーダーで、彼女がどんな風に過ごしていたか……お前と一緒にいて、彼女がどれだけ笑顔でいたか、知っているだろう」
あんな笑顔はグランドオーダーが始まるまで、自分は見たことがなかった。
青い空の下で大地を駆け、森の木漏れ日や潮騒の音に身を委ねる。一期一会の出会いを喜び、尊び、零れ落ちる命を救わんと必死になる。
そして、いくつもの理不尽を目にしても彼女は挫けなかった。
藤丸立香がいたからだ。
彼がいたから彼女はここまでやって来れた。
だから、その死を受け止められるのも彼自身にしかできないことだ。
曲がりなりにも同じチームで訓練を重ね、偶然とはいえ共に人理修復の旅をすることとなったカドックという男ではない。
彼女のことを仲間と思えるようになったのはつい最近のことだが、そんな自分でも彼女の境遇に対して同情と憐みの念はある。
しかし、自分は彼女のパートナーではないのだ。
彼女の手を取り外へと連れ出したのは藤丸立香だ。
仮に自分がマスターだったならば、きっとこの旅のどこかで彼女を失うことになっていたはずだ。
マスターが藤丸立香だから、マシュはヒトとしてここまで駆け抜けることができた。
なら、最後までその責任を取らなければならない。
マスターとして、パートナーとして、彼には最後までマシュ・キリエライトと共にいなければならない責任がある。
「それは僕やアナスタシアにはできないことだ。だから、お前はやり遂げなきゃダメだ」
「カドック……君は、いい人だ。損な性格だけど」
力なく笑った立香がカドックの背中を叩く。
それから程なくしてマシュは戦線に復帰し、再び4人で訓練と微小特異点の修正を行う日々が続いた。
そして、3ヵ月ほどが経ったある日、ロマニから第六特異点へのレイシフトの決定が通達された。
□
管制室にはいつもの面々が集められていた。
神妙な顔で次の特異点について説明するロマニ。
その横で茶々を入れつつ補足を加えるダ・ヴィンチ。
立香は相変わらず歴史関係の話になると意識が薄れるのかボーっとしており、それをマシュが窘めている。
あれから機を見て2人の様子を見守っているが、特にこれといった変化は見られない。
いつも通り立香がふざければマシュが真に受けたりズレたリアクションを返し、マシュが頓珍漢なことを言い出せば立香が悪ノリしたりするなどコメディアンのようなやり取りが幾度となく繰り返されていた。
どうやら立香はうまく彼女と付き合えているようだ。
同時に気づいたことがある。この2人はとても仲が良く、まるでずっと長い時間を共に過ごしていたかのように互いがかけがえのない存在になっている。
こんなにも近くにいたというのに、どうして自分は今までそれに気づけなかったのだろうか。
そこまで自分のことに対していっぱいいっぱいだったことが今となっては恥ずかしい。
「……以上が、これからレイシフトしてもらう十三世紀エルサレムの概要だ。カドックくん、ボーっとしているけど大丈夫かい?」
「え? あ、ああ、大丈夫だ。聞いている。エルサレムだろう」
正確には西暦1273年。第九回十字軍が終了し、エルサレム王国が地上から姿を消した直後の時期だ。
中東のイスラエル及びパレスチナ自治区に位置する都市エルサレム。
聖地として幾度となく衝突が行われたこの地はかつてエルサレム神殿が存在し、救世主が処刑された地にして預言者が神の御前に至った地としてその帰属を巡り現在も紛争の火種となっている。
十字軍の遠征が失敗し西洋諸国がこの地を諦めざるえなかったことはその後の民族や宗教の発展に多大な影響を与え、特異点として選ばれるのに充分相応しい時代と言えるだろう。
「率直に言うと、あそこは現在進行形で特異点のようなものだ。かなりやりにくい」
「お察しするよ。加えてシバから返ってくる観測結果が安定しない。時代証明が一致しない部分が多々あるんだ。実のところ、第六特異点の予測はアメリカより早くできていたけれど、それを理由にレイシフトは見送っていた」
だが、これ以上の延期はできないとロマニは調査は断行することを決定した。
観測によれば第六特異点は現在、7つの特異点の中で最も人類史からの乖離が激しいらしい。
このまま放置すれば人理定礎は完全に破壊され、聖杯を回収しても特異点の修正は不可能となってしまうだろう。
「例によってカルデアからのバックアップは少ない。何が起きているかもわからない。それでも行ってくれるかな?」
「もちろん」
「いつものことだろ」
ここまでの特異点も一筋縄ではいかないものばかり。それでも自分達は知恵と力を合わせてここまでやってきた。
自分も立香も、今更、怖気づくようなマスターではないつもりだ。
今回も2人で力を合わせ、マシュとアナスタシアと共に特異点を修正して帰還する。
いつも通りだ。
「よし、ではレイシフトを開始しよう。4人はコフィンに入って、ボクとダ・ヴィンチちゃんはいつも通り管制室からサポートだ」
□
そこは一面の荒野であった。
気温48度、湿度はなし。目につく限りで草木はなく、地面の至る所に炎が燻ぶっている。
中東は決して人が生活しやすい環境ではないが、だからといって一面が焼け野原となった不毛の土地である訳ではない。
砂漠があり、オアシスがあり、街や集落が存在する。
だが、ここにはそれらが何一つとして存在しない。
生命の気配すら見当たらない。人の営みなど以ての外だ。
ここは既に瀕死の大地。
人理定礎が乱れ、人理焼却の余波が目前にまで迫っている。
いわば地獄の釜の底が開きつつある煉獄であった。
「……なるほど、ここでは十字軍と太陽王が睨み合いを利かせているという訳か」
「……ああ……どっちにも入れねぇ奴らは……山へ……山へ逃げ……て……」
「ご苦労、もう正気に返れ」
カドックは手にしていたライターの火を消すと、男にかけていた暗示を解く。
たちまち、正気に戻った男が暴れ出すが、手足をしっかりと縛られているのでどうすることもできなかった。
「予想以上に深刻だな。人食いにまで手を出すとは……」
目の前で転がっている男達は、レイシフト直後に襲いかかってきた野盗であった。
全員、酷くやつれていて今にも死にそうな風体でありながら、こちらの存在を認めるなり死力を振り絞って襲い掛かってきた。
あろうことか彼らは自分達を殺し、その肉を食らわんとしたのだ。
反撃すると半数以上が我に返って逃げ出したが、それでも全体の1割ほどは痛めつけて動けなくなるまで暴れることを止めようしなかった。
既に彼らは後先のことなど考える余裕がなく、今日を生き抜くことにすら追い詰められた亡者と化している。
「暗示で知りたいことは全て聞き出した。後はどうする?」
どこに仲間がいるかわかったものではない。
さっさと殺してしまうか、捨て置いて場所を移動するべきだ。
彼らの話ではここ中東では現在、十字軍と太陽王オジマンディアスが冷戦状態に陥っているらしい。
趨勢は予断を許さぬ状態であり、こちらも急いで態勢を整えなければならない。
「ねえ、まだ水とか余裕あったよね?」
「こいつらに分けるつもりか? まだ霊脈も見つけられていないのにか?」
レイシフトで一度に持ち込める物資は決して潤沢ではない。霊脈を見つけて召喚サークルを設置するまでは不必要な消費は避けるべきだ。
だが、立香はあろうことかこの亡者達に物資に分けようとしている。
そんなことをしても、明日にはまた同じことが繰り返されるというのに。
「ダメかな?」
「はい、わたしは賛成に一票です!」
「私も……賛成かしら。これ三対一でカドックの負けね」
3人の視線がこちらに注がれる。
まるで自分が悪者になったみたいで、カドックは居心地が悪そうに視線を逸らした。
「――バカしかいないのか、僕も含めて」
悪態を吐きながらもカドックは荷物の中から水筒と幾ばくかの食糧を取り出して男達に投げ与える。
これから先、どこで補給ができるかもわからない。それを考えれば明らかに与えすぎではあるが、カドックとしても立香の提案を無碍にするつもりはなかった。
自分だけではこんなことは思いもつかなかっただろうが、彼が言い出したのなら尊重してやってもいい。そんな程度には考えられるようになった。
「えっと……言い出しといてなんだけど、ちょっとあっさり渡しすぎじゃ……いつもだったらもっと言い合いになるのに」
「知るか、そんな日もあるんだろう」
「『僕もそう思っていた』くらいは言えるようになりましょうね、へそ曲がりさん」
「アナスタシア!! まったく……さっさと行くぞ」
野盗どもが水と戯れている内に移動を始めなければ、欲に駆られた彼らが再び襲いかかってこないとも限らない。
「アンタら、東に行くのか? まさか聖都に?」
こちらが動いたのを見て、野盗の1人が声をかけてくる。
粗暴ではあるが恥じらいをまとった声音だ。こちらに対してどのように接すれば良いのかわからない。そんな戸惑いを感じる。
どやら先ほどの水が彼に幾ばくかの理性を取り戻させたようだ。
「ああ、その聖都を目指すつもりだ。この辺りで唯一の都なんだろう?」
ここは丁度、十字軍と太陽王の領域の境目にあたり、東に向かえば十字軍が支配する旧エルサレム――野盗曰く聖都が、西に向かえば太陽王が支配する砂漠に行き当たる。
定石としては素性が知れている太陽王に会いに行くべきなのだろうが、どういう訳か砂漠方面をカルデアは観測できないらしく、準備もままならない状態での突入は遭難の危険もある。
なので、先に聖都での情報収集と霊脈探しを優先するつもりであった。
「あそこは世界を焼き尽くそうとしている十字軍の縄張りだ。奴らの王……獅子心王は狂っている。死にたくなかったら壁には近づくな。砂漠に行け!」
「はい、助言ありがとうございます」
一礼したマシュがこちらに戻ってくる。
彼らはそれ以上、何も言わなかった。
襲いかかってくることも、その場を立ち去ることもしない。
こちらの姿が見えなくなるまで、まるで死出の旅路を見送るかのように、彼らはその場から動こうとしなかった。
そうして彼らの姿が見えなくなってから数時間ほど歩いた辺りで、不意に立香が口を開いた。
「そういえば、グランドオーダーで最初からカドック達と一緒にいるのって初めてだね」
「そういえばそうですね。お二人はいつもどこかに飛ばされて……」
「別に好きではぐれている訳じゃないからな!」
毎回毎回、どういう訳か自分とアナスタシアは目的地から外れた場所にレイシフトしてしまう。
ひょっとして、立香への対抗心が無意識の内にレイシフトの出力先を歪めていたのだろうか。
ならば今回、同じ場所にレイシフトができたのは自分の心境の変化からだろうか。
それはそれで、自分が彼らのことを好きになり始めているみたいで気持ち悪いが。
そんな事を考えていると、カルデアのロマニから緊急の通信を告げる着信が鳴り響いた。
『前方500メートル先に強力なサーヴァント反応だ。みんな、注意してくれ』
「視えるわ……サーヴァントが2……黒装束のサーヴァントが大勢の人を守っている。相手は……あのサーヴァントは!!」
アナスタシアの表情が戦慄で凍り付く。
カドックもすぐさま魔術で視力を強化し、前方で起きている虐殺を目の当たりにした。
そこにいたのは黒い甲冑の騎士。全身を靄で覆いつくし、その正体を隠蔽している得体の知れない狂戦士。
フランスで自分達と対峙した、あの正体不明のバーサーカーがそこにいた。
しかもどういう訳か、バーサーカーの手にはこの時代には存在しないはずの近代兵器が握られている。
エジソンの下で学んだとはいえカドックの知識は素人に毛が生えた程度だが、それでも視界の向こうで火を噴いている黒い物体が短機関銃と呼ばれる重火器であることはわかる。
それが黒装束のサーヴァントの体を容易く撃ち抜き、次いで彼女が守ろうとしていた難民らしき人々を葬らんと漆黒の銃口を向けている。
「あいつ……皆殺しにするつもりか……」
「マシュ、令呪を使うよ。跳ぶんだ!」
「なっ!? 待て! くそっ、援護するぞキャスター!!」
□
「……不覚、そして無念なり」
バーサーカーの銃弾で蜂の巣にされた黒装束のサーヴァントの体が地に倒れる。
その体はこの狂戦士との戦いで負ったのであろう無数の傷が至る所に見て取れた。
左腕は千切れ、足はあらぬ方向に曲がり、火傷と裂傷が至る所に走り、片目も抉られている。
そして先ほど、全身を狂戦士が持つ短機関銃MP40によって霊核を徹底的に破壊されており、最後に言葉を発することができたのは奇跡に近い。
「そんな、煙酔のハサン殿が――」
「もうダメだ、おしまいだぁ」
自分達を守ってくれる者がいなくなったことで、彼女に率いられていた人々が口々に絶望を零す。
中には降伏を訴える者もいたが、狂戦士は聞く耳を持たず、女子どもも関係なくそこにいる人々を次々に血祭りに上げていく。
たちまち、恐慌が場を支配するが、悲鳴は時間と共に消えていった。
銃口が火を噴く度に1人、また1人と死んでいくのだ。
このままでは全滅してしまう。
誰もが諦めかけた時、空間を跳び越えて1人の騎士がバーサーカーに飛びかかった。
「はあぁぁぁっ!!」
空間転移で飛翔したマシュがバーサーカーに殴りかかる。
五つの特異点を超えて鍛え抜かれた彼女の膂力は、並のサーヴァントならば充分に致命傷を与えられるだけの威力がある。
だが、バーサーカーは狂化で理性を失っていながらも不意を突いたその一撃を紙一重で避けると、強烈な回し蹴りで逆にマシュの体を吹っ飛ばした。
「Arrrr……」
即座に向けられる銃口。しかし、マシュの姿を捉えた瞬間、バーサーカーの動きが僅かに止まる。
その隙を突いてマシュは態勢を立て直し、狂戦士の注意を引こうと襲われていた人々とは逆の方向に走った。
直後に火を噴くMP40がマシュの背にあった岩を砕くが、銃火は彼女に届く前に弾切れを起こしてしまう。
好機と見たマシュは踵を返してバーサーカーに襲いかかるが、それを予期したのかバーサーカーは手にしていた機関銃を捨てると、なんと鎧に結われたホルスターから2丁の拳銃ワルサーP38を抜いてその照準をマシュを向けた。
最初から薬室に第一弾は装填されていたのであろう。立て続けに放たれた9mmの牙は咄嗟にマシュが盾を構え直さなければ彼女の肢体を撃ち抜いていた。
無論、盾で受けた彼女の身も無事ではない。このバーサーカーは手にした武器を全て己の宝具として操ることができるのだ。
台風の直撃を受けたかのような衝撃が盾を通じて腕に伝わり、マシュは苦悶の声を漏らしながら両足を踏ん張った。
ここで退く訳にはいかない。
バーサーカーの注意がこちらに向いている間に、少しでも襲われていた人々から距離を取らなければならない。
虐殺を知った瞬間、マシュの体は自然と動いていた。マスターからの指示がなくとも飛び込んでいただろう。
それが何故なのかはわからないが、正しいことであるということだけはわかる。
湧き上がるこの感情。目の前の人々を救いたいという思いなのか、この狂戦士への怒りなのかはわからないが、それはきっと正しいものであるはずだ。
「マシュ、そのまま!」
駆け付けたアナスタシアがバーサーカー目がけて氷柱を放つ。すると、盾を構える腕への負担が急に軽くなった。
奇襲に気づいたバーサーカーが銃撃を止め、大きく距離を取ったからだ。
「援護します、あなたは守ることだけに集中して!」
「はい!」
仲間の到来にマシュの胸中は雲が晴れるかのように明るくなった。
自分は1人で戦っている訳ではない。頼もしい仲間が、友人がいる。
だから戦える。守りたいもののために、自分は戦える。
「Arrrrr!!!」
弾倉の交換を終えると共に咆哮したバーサーカーが2丁の銃の引き金を引く。
しかし、自分の内にある強い想いを改めて自覚したマシュの防御を抜くには至らない。
そして、動けぬ彼女の隙をアナスタシアが埋め、更に一足遅れて駆け付けた両者のマスターによる援護によって態勢は盤石のものとなる。
如何に優れた技術を誇ろうと彼は狂戦士。闇雲に暴れるだけでは自分達の敵ではないはずだ。
そう思った瞬間、マシュは己の思い上がりを恥じた。
「えっ……!?」
銃撃が僅かに緩んだ瞬間、バーサーカーの足下に黒い物体が転がり落ちた。
それは宝具化したM24型柄付手榴弾であり、彼は何と自らの姿を隠す煙幕を張るためだけに我が身すら省みず至近距離で爆弾を破裂させたのである。
たちまちの内に広がる噴煙。本来ならばこれほどの威力を誇らないはずが、宝具化によって発煙筒並の噴煙を放出している。
加えて強烈な破裂音は即席のフラッシュバンとして機能し、その場にいた者の耳を潰した。
結果、透視の力を持つアナスタシアを除いてバーサーカーの動きを追うことができなくなったのだ。
「いけない、マシュ!!」
「くそっ、声が聞こえない!! キャスターへの指示が……だったら!!」
「マシュ、どこにいるんだ!! 無事なのか!!」
「気配が……バーサーカーがわたしのところに……先輩が後ろに、なら……わたしが!!」
噴煙を突き破り、姿を現したバーサーカーが拳を振り上げる。同時に、立香のガントがバーサーカーの体を掠め、その動きを僅かに鈍らせる。
稲妻の如き拳速はマシュの反応を遥かに上回っており、立香のガントが辛うじて間に合ったおかげで何とか捉えることができた一撃目を逸らすので精一杯だった。
反動で腕が痺れ、続けて放たれる二撃目を受けることができない。
アナスタシアは丁度、対角の位置にいるためこのまま魔術を放てばマシュと立香を巻き込んでしまうので手を出すことができない。
このままでは成す術もなく、マシュの頭蓋は叩き割られてしまう。
故に、カドックは切り札を切ることを選択した。
「――Set!」
カドックが地面に拳を叩きつけると、それを中心に赤い光が走る。
同時にマシュは自分の体が何かに縛られたかのように重くなったことを感じ取った。
それは自分だけでなく、アナスタシアと目の前のバーサーカーも例外ではない。
サーヴァントである3人の体が、まるで令呪に縛られたかのように動きが鈍くなったのだ。
『これは令呪か……拘束力をそのままにして無作為に働く魔力の檻を作り出すなんて、また何て無茶な!!』
「やらなきゃやられていた」
通常は契約したサーヴァントに向けられて使用される令呪を、カドックはその術式を応用することで使い捨ての礼装として機能させ、この場にいるサーヴァント全てに効果を発揮する即席の檻を生み出したのである。
未熟な自分が使える手札を何とか増やせないかと苦心したカドックの研究の成果であった。
とはいえ、カルデアの令呪は通常の聖杯戦争で用いられるものよりも拘束力が弱く、不意をついても動きを鈍らせるのが精一杯だ。
同じ手は二度と通じないだろう。
「藤丸! マシュを連れて下がれ!!」
「わ、わかった」
令呪の拘束が解ける前に態勢を立て直さなければならない。
カドックの指示を受け、動けないマシュを下がらせようと立香は走る。
直後、信じられないことが起きた。
対魔力によって効果を減衰させたマシュですら自力では動けぬ中、バーサーカーは緩慢にではあるがその腕を振り上げたのである。
彼らは知らないことではあるが、それはバーサーカーが持つスキル「精霊の加護」の恩恵だった。
危機的状況においてバーサーカーは優先的に幸運を獲得する。
それがカドック渾身の罠である令呪の檻の効果を減じさせるという形で表れたのである。
特定の対象に向けられた命令ではなく、無作為の汎用な魔術として用いたのが裏目に出たのだ。
このままでは、立香がマシュの手を引くよりも早く、バーサーカーの拳が振り下ろされてしまう。
「マシュ!!」
「先輩、危険です! 来ないで!!」
「マスター! 術を解いて! このままではマシュが!!」
「ダメだ、間に合わ――」
「いや、これで十分だ」
聞き覚えのない第三者の声が荒野に響く。
刹那、赤黒い腕が伸びたかと思うと、バーサーカーの胸部から鮮血が迸った。
同時に姿を現したのは、先ほどまでバーサーカーと戦っていたサーヴァントと似たような装束を纏った男のサーヴァントであった。
そのサーヴァントは骨でできた面を被っているため表情は定かではなく、右手は異様なほどに長く垂れ下がっている。
そして、その腕の先には赤黒く震えるバーサーカーの心臓が握られていた。
「『
宣告と共に心臓が握り潰され、バーサーカーは声にならない悲痛な叫びと共に飛び去った。
「逃げたか。手応えは感じたが果たして…………追いたいところだが、同胞とその恩人を置いては行けぬか……」
謎のサーヴァントはまず倒れたマシュを立ち上がらせると、彼女を立香に預けてこちらに向き直った。
仮面越しの鋭い眼光が突き刺さるが、すぐに男は居住まいを正して深々と頭を下げてきた。
風貌の割に礼儀正しい人物のようだ。
「山の民の同胞達を守ってくれたこと、感謝いたします」
「あ、あんたはいったい……」
「我が名はハサン。山の翁が1人、呪腕のハサンをお見知り頂きたい」
呪腕のハサンと名乗った男は改めて礼を示し、カドックはどう反応すべきかと言葉に詰まってしまう。
山の翁。またの名をハサン・サッバーハ。
それは中東の宗教教団における長の名であり、同時に暗殺者の語源となった者の名である。
その男が今、人理の英霊としてカルデアの前に姿を現したのだった。
同時にそれは、この第六特異点での辛い戦いの始まりでもあった。
はい、というわけでオリジナル色強めに出す6章の始まりです。
早速はっちゃけちゃうバサスロットですが、まさかここまで暴れ回るとは当方も思ってもみませんでした。重火器と親和性ありすぎるだろこの騎士。
作中で使って令呪の檻は二部1章でカドック(クリプター)が使った檻の廉価版みたいなものです。無作為な上に拘束力弱し。具体的に言うと重圧のステータス異常と移動に幸運判定を求めるというものです。
そう、バサスロットってばマシュより幸運高いんですよ。