Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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神聖■■■■エルサレム 第5節

燃えていた。

何もかもが燃えていた。

石を並べて築いた小屋も、村が総出で掘り起こした井戸も、荷馬車を引くために馬の小屋も、何もかもが深紅の炎に彩られていた。

ほんの2日前までは穏やかな村であった。

十字軍の恐怖に怯えながらも、懸命に明日を生きようとする人々の営みがそこにはあった。

だが、今やそれは見る影もない。

家々は焼かれ、逃げ惑う村人は切り捨てられ、阿鼻叫喚の地獄が広がっている。

 

「おお、おおお何という……! 此処には兵と呼べる者などおらぬというのに……!」

 

「アーラシュ殿はどうした? 彼は無事なのか!?」

 

「誰か、誰か生きている人! いたら声を出して!!」

 

「むう、火の手が早い。これでは視界が――」

 

村の火の手に気づき、急ぎ駆け付けたカドック達は方々に散っていく。

既に村の至る所が焼かれており、動いている者は誰一人としていない。

みんな、十字軍の手によって物言わぬ骸となってしまったのだ。

その惨状を目の当たりに、誰もが生存は絶望的だと理解していたが、それでも探さずにはいられなかった。

誰か1人でもいい。この地獄の中に生存者はいないのかと。

そこで静謐のハサンはあることに気づいた。

無残にも殺され倒れている者達は、男性ばかりで女子どもや老人の姿が1人もいないことに。

 

「まさか……やはり、村人の大半は既に避難を済ませています」

 

「うむ、確認に向かわせた人格が戻ってきた。襲撃を免れた者達は村はずれの洞窟に避難しているとのことだ」

 

それを聞いてカドックはホッと胸を撫で下ろした。

恐らくはアーラシュが十字軍の襲撃を察知し、事前に村人を逃がしたのだろう。

ここで殺されている村人達は、十字軍の足止めのために敢えて村に残って戦いを挑んだのかもしれない。

だが、そうなるとアーラシュはどうなったのだろうか。

彼は東方の大英雄。十字軍の兵士がいくら束になってもかなうような戦士ではない。

加えて十字軍が擁するサーヴァントの内、ガウェインは能力の負担が大きく聖都を離れられないだろうし、モードレッドも先日の戦闘での負傷がまだ癒えていないはずだ。

ならば、まだ見ぬ新たな英霊がここにやって来たのだろうか?

 

「偉大なる弓兵であれば、既にこの世に亡く……ああ、私は悲しい」

 

まるでこちらの疑問を見透かすかのように、炎の向こうから1人の男が姿を現した。

ピッチりとしたスーツを纏い、赤い長髪を振り乱した美丈夫だ。

はだけた上着から覗く胸元は所々が黒く変色しており、その不気味なマーブル模様が十字軍によって何らかの処置を施された改造サーヴァントであることを物語っている。

 

「貴方がたはモードレッドを追い返した。それが十字軍に報復を決意させたのです」

 

男の閉じられた目が開く。濁った両の瞳は、まるで涙を蓄えているかのように哀愁に満ちていた。

 

「――本当に、悲しい。だが、運命はようやく、貴方がたに追いついた」

 

「お前は……」

 

「円卓の騎士トリスタン。残念ながら、今は十字軍の末席を汚す者。哀れな弓兵と笑ってください」

 

トリスタンと名乗る男は、手にした竪琴のような形の弓を弄びながら淡々と告げる。

彼が口にしたその名は、ガウェインやモードレッドと同じくアーサー王の円卓に所属する騎士の名だ。

トリスタン。その名は哀しみの子を意味し、彼とイゾルデと呼ばれる女性との悲恋は余りに有名である。

どうやら彼もまた十字軍のサーヴァントらしい。だが、カドックが驚愕したのは彼の余りに理性的な振る舞いであった。

今まで、遭遇した十字軍のサーヴァントは狂戦士と化していたり、半ば能力を制御できずに自我を喪失している者ばかりであったが、彼は特に何の支障もなくこうして言葉を交わすことができる。

円卓の騎士ともなればその高潔な精神性から、十字軍のような非道を成す輩とは決して相いれないはずだ。

なのに、どうして彼は平然としていられるのだろうか。

 

「いえ、残念ながら私の体にも獅子心王の『呪詛(ギフト)』は埋め込まれています。生憎とどのような加護なのかはわかりませんが、私は十字軍に逆らうことができない。ただ、弓を使う以上はある程度の理性を残さねばただの木偶の坊というだけです」

 

「抵抗することはできないのか?」

 

「ほんの少し、急所を外すくらいでしょうか。諦めてください。あなた方はどうあっても私を倒さねばならない」

 

「……っ!」

 

自然と義憤が沸いていた。

ガウェイン、モードレッド、そしてトリスタン。

名立たる英雄をこのように貶める十字軍の非道、どうあっても許してはおけない。

今までも多くの英霊を敵に回してきたが、これほどまでの所業を働いたのはフランスのジャンヌ・オルタ以来だ。

そして、そんなジャンヌ・オルタですらサーヴァントを1人の英霊として扱っていた。

だが、十字軍は違う。奴らはサーヴァントを英霊として見ていない。ただの兵器、ただの道具としてその身を構成するエーテルの一粒まで使い潰そうとしている。

そんなことを、許しておいていいはずがない。

 

「ああ、実に悲しい。そのまっすぐな怒りを讃えることすらできないとは」

 

トリスタンが竪琴に指を這わす。刹那、カドックの目の前で氷の結晶が弾け飛んだ。

それはトリスタンが音を奏でる度に次々と咲いては散っていき、風に吹かれた氷の塵が視界を覆う。

 

「これは……音断ち? 弓の弦を楽器のように弾いて真空の刃を飛ばしているのか!」

 

つまり、トリスタンは音の刃を飛ばす弓兵。アーチャークラスは何かを飛ばす技能や道具を有していれば適用されるクラスだが、彼はその中でもぶっちりぎりにイレギュラーな存在だ。

 

「ご明察。そして、実に素晴らしいパートナーをお持ちだ。よもや、音を視ることができる者がいるとは……」

 

「っ……」

 

「だが、いつまで持ちますか? 見えぬものを視るのはさぞ疲れるでしょう。仲間を呼び返しなさい。さあ、早く……」

 

立て続けに奏でられる音の刃を、アナスタシアは氷の魔術で次々と撃ち落としていく。

彼女の透視の魔眼は本来ならば見ることができない空気の流れすら捉えることができるようだ。

しかし、形のない空気の波を捉えるという所業は彼女の脳に著しい負担を与えている。

すぐに強化の魔術を施すが、それでも疲労から徐々に押され出したのか、散華する氷の結晶は少しずつこちらに迫ってきていた。

一方でトリスタンはその場から一歩も動くことなく竪琴を奏で続けている。

十字軍による強化の影響なのか、たまに表情を歪めたり音を外して明後日の方角に音の刃を飛ばすこともあるが、彼自身が言っていたように与えられた命令に逆らうことはできないようだ。

 

「……っ」

 

「待つんだ、静謐。不用意に突貫しても音の刃の餌食になるだけだ」

 

短刀を手にトリスタンへ飛びかかろうとした静謐のハサンを、カドックは制止する。

如何に彼女が手練れの暗殺者といえど、不可視の刃と打ち合えるほどの猛者とは思えない。

闇雲に突撃してもそれは死を早めるだけだ。幸いにもトリスタンは全力を出さぬよう埋め込まれた十字軍の命令に抗ってくれている。

彼が言うように、村人の救出に走った他のみんなが戻ってくるまで持ち堪えることができれば勝機はあるはず。

そう思った刹那、カドックの喉元が柘榴のように弾けた。

 

「っ!?」

 

切られたのは薄皮一枚。

傷としては大したことはないが、いよいよを持って追い詰められてきている。

こちらの手札は残る一画の令呪と静謐のハサンが1人。

このトリスタンは強敵だ。下手なカードの切り方をすれば命取りになる。

 

「……、……いけません……ゆびが……ほう……ぐ…………かい……ほう……逃げ……」

 

夥しい氷の結晶が宙を舞う中、不意にトリスタンの顔が醜く歪み、その身から放たれる魔力の量が増していく。

宝具の前兆だ。今までよりもハッキリとした拒絶の意思をトリスタンは見せるが、それでも外法によって操られた指は止まることがない。

 

「宝具が来ます! カドック様、このままでは彼女が……」

 

「わかっている……頼む、静謐!」

 

「はっ」

 

視界から掻き消えた静謐がトリスタンの死角へと回り込み、果敢にも接近戦を挑む。

気配遮断からの奇襲。加えて触れれば必死の毒の体。本来ならばまともに対処することすら困難な相手のはずだ。

だが、トリスタンは弓に魔力を蓄えつつ、空いているもう片方の手で剣を抜くと静謐のハサンの短刀を叩き落し、華麗な回し蹴りで彼女の体を吹き飛ばした。

彼女の毒も分厚いブーツ越しでは効果を発揮しきれないのか、靴底が腐り落ちながらもトリスタン自身がダメージを負った様子はない。

そして、その一瞬の攻防の間に魔力は充填され、妖弦使いの魔弓に不可視の矢が装填される。

 

「ほわっちゃー!!」

 

「柘榴と散れぇい!!」

 

今にも宝具が解放されようかという瞬間、背後から三蔵と呪腕のハサンがトリスタンへと飛びかかる。

先ほどと違い、完全に宝具の発射態勢に入っていたトリスタンは2人の攻撃を捌き切ることができず、叩きあげられた痩躯が地面を転がった。

更に倒れたトリスタンを取り囲むように展開される百貌のハサンの人格達。

総勢、20名の軍勢に囲われたトリスタンは、ここに至ってようやく自身が追い詰められたことに安堵した。

 

「カドック、無事!?」

 

「ああ、何とかな……」

 

「円卓の騎士トリスタン。その命を貰い受ける」

 

「そうして頂きたいのは山々なのですが、いささか時が遅すぎました、山の翁。見上げなさい、あの空を――あの悲しい輝きを」

 

「な……なんだと……まさか、まさか……!」

 

トリスタンの指し示す方角を見上げた呪腕のハサンの声に絶望の色が混じる。

遅れて見上げたカドックは、そこに美しくも禍々しい黄金の輝きを目にした。

その輝きはまるで柱のように聖都の方角から立ち上がり、こちらに向けてまっすぐに向かって来ている。

 

「これが獅子心王の裁き。『―――――――――』による浄化の光」

 

静かに語るトリスタンの言葉が不自然に欠落する。

口は確かに動いており、何かの言葉を発していた。だが、それが意味のある音とならずに消えていく。

恐らくは獅子心王の核心に迫る何かを彼は口走ったのだ。だが、悪しき外法は彼に語る舌を与えない。

情報の漏洩を防ぐ為に肝心な言葉を発せられないよう処置を施されているのだ。

 

「これは禁則事項ですか。ああ、私は悲しい。そして、聞きなさいカルデアのマスターよ。聖都の地下には「――」があります。この世を深紅に染め上げる地獄の炎、一切を焼き払う裁きを以て、獅子心王はこの時代を破壊します。何を犠牲としても構わない。あなただけは逃げ延びなさい。聖都の地下、あの呪わしき「――――」を止めるのです」

 

不意を突くように竪琴を鳴らしたトリスタンの姿が掻き消える。

全員の注意が空の光に向いた隙を突いて離脱したのであろう。最後の攻撃は単なる目くらましだったのか、傷を負った者は誰1人としていなかった。

 

『これは……直上、魔力観測値3000……4000……5000……尚も上昇中。計測が間に合わない! とにかく急いで退避を……! 消し炭になるぞ!』

 

通常のサーヴァントが放てる最大火力が凡そで1000から3000。だが、頭上の光はそれを遥かに上回る魔力量を誇っている。

あれがルシュドの言っていた獅子心王の裁き。いったい如何なる宝具によるものか、その光はさながら天から降り注ぐ神罰の如く地上の村々を焼き払う。

そして、とうとう自分達にその順番が回ってきたのだ。

あれを受け止めることは不可能。アナスタシアの城塞など接触した端から分解されてしまうだろう。

逃げなければならない。脇目も振らずに、一目散に。

 

「逃げるだって……できるわけないだろ! あいつなら逃げないぞ! まだ、村人が洞窟にいるんだ! 僕達だけで逃げられるか!」

 

「ですが、全員を連れて下山していたのでは間に合いませぬ。カドック殿、我らのことは構わず、どうかアナスタシア殿とお逃げください。今ならばまだ間に合うはず」

 

「見捨てろって言うのか……僕にまた、誰かを見捨てろと……」

 

あんな苦しい思いはもう真っ平だ。

生き残ったことを後悔するのはもう真っ平だ。

目の前の人を見捨てるのはもうあの時だけでいい。

大切な――を見殺しにしたあの1回だけでいい。

あんな思いをするくらいなら、いっそ――――。

 

「見て、あの光は――」

 

村の外れから光が立ち上がる。

まるで闇を引き裂く流星の如き光。

地上から打ち上げられた眩き輝きは今にも落ちようとしている光の裁きへとまっすぐに飛んでいき、カドック達の頭上で激しい火花を散らす。否、それを火花と呼ぶのはおこがましい。宝具と宝具、純粋にして膨大な魔力同士がぶつかり合い、大気を震わせるほどの激しい爆発が頭上に響き渡る。

そして、次に気づいた時には、獅子心王の裁きの光も地上から打ち上げられた光の柱も跡形もなく消滅していた。

 

 

 

 

 

 

時間は少しだけ遡る。

傷の痛みで意識を取り戻したアーラシュは、目の前の現実が既にどうにもならない事態にまで陥っていることに激しい憤りを抱いた。

カドック達が静謐のハサンの救出に向かう際、彼らが戻ってくるまでは何があっても持たせてみせると豪語したことが情けなくて自分を呪いたくなった。

実際はそれだけ十字軍は本気だったということなのだが、まさかこのような辺境に大隊を差し向けてくるとは思いもしなかったことも事実だ。

奴らは円卓の騎士トリスタンの力でこちらの弓を封じた後、先日の戦いでの傷がまだ癒え切っていないモードレッドをぶつけてきたのだ。

確かにサーヴァントの相手はサーヴァントでなければ務まらない。だが、いくらこちらを倒すためとはいえ傷だらけのモードレッドを投入するとは誰が思うだろうか。

この地に召喚されてから十字軍の非道は何度も目の当たりにしてきたが、呪腕のハサンが言っていたように彼らは既に人の心を失っている。

加えて手負いとはいえモードレッドは手強く、半ば相打ちになる形で崖に落とすのが精一杯であった。消滅は確認していないので相手がどうなったのかはわからないが、自分のカンではまだ生きているという確信があった。

 

「うむ、助け出すつもりで駆け付けてみたが、その必要はなかったようだな」

 

苦心して崖を這い上がったところで、アーラシュは1人の青年と出くわした。

東洋の衣装に身を包んだ弓兵だ。円卓の騎士ではないようだが、何者だろうか。少なくとも悪人とは思えないが。

 

「あんたは?」

 

「拙者は俵藤太。故あってカドック殿のサーヴァントをしている。そういうお主は彼の東方の大英雄アーラシュ殿であろう?」

 

「そんな大層なものじゃないさ」

 

「なに、得てしてそういうものは自分ではわからぬものよ」

 

差し出された藤太の手を取り、アーラシュは満身創痍の体を立ち上がらせる。

気を抜くと力が抜けて倒れてしまいそうになるが、持って生まれて頑強な体は辛うじてではあるが言うことを聞いてくれた。

この体を与えてくれた神に改めて感謝の意を示したい気分だ。

 

「平素なら茶飲み話を咲かせるところではあるが、生憎と今は時間がない。あの空の輝きはすぐにでも落ちてくるだろう。急いで逃げねば間に合わぬぞ」

 

「ああ、なるほど……そういうことか……」

 

支えてくれようとした藤太の手を制し、アーラシュは崖下から背負ってきた弓を構え直し、残った力を振り絞って矢を番える。

頭上の光は獅子心王の裁きの光だ。自分はあの光がいくつもの村や砦を焼く様を目にした。

それが今度はこの村に降り注ごうとしている。

急いで逃げなければならないのは確かに事実。だが、逃げてしまえば生き残った村人を守る者がいなくなる。

どちらに転ぼうとこの村が全滅してしまうことには変わりがない。

 

「何をするつもりだ、アーラシュ殿?」

 

「何、大一番という奴さ。弓兵としてあんなもの見過ごす訳にはいかないだろ」

 

「何と、あれを撃ち落とすと言うのか。おお、確かにお主はその名も高きアーラシュ・カマンガー。だが、それが意味することとは……」

 

「話が早くて助かる。あんた、見たところ相当の使い手のようだな。こんな時に頼み事も悪いが、折角仲間になってくれたのなら俺の代わりにあいつを――カドックを頼む」

 

この一週間の付き合いで、アーラシュの千里眼はカドックが抱えている心の歪みも強い自縛の念もハッキリと見通していた。

彼は傷ついている。

幼少から抱き続けてきた苦悩が解消された矢先での悲劇。自分の全てを賭けても良いと思える程の大事な相手を喪失したことで、彼は常に自らを責め続けていた。

藤丸立香が死んだのは自分のせい。

マシュ・キリエライトがここにいないのは自分のせい。

2人が我が身を犠牲にすることを見逃し、見殺しにしたと自分自身を責め続けていた。

だが、違うのだ。

それは違うのだ。

彼らは決して、犠牲になったのではない。

そのことをアーラシュは時間をかけて諭そうと考えていたが、残念ながらそんな時間はないらしい。

自分は次の一射で終わる。

この先の戦いを支えてやることができないことが唯一の心残りではあったが、幸運なことに凄腕の弓兵がここにいる。

彼に後を託せるのなら、思い残すことはなにもない。

 

「相分かった。不肖俵藤太。お主に代わって全身全霊を賭け、我がマスターの力になることを誓おう。後顧の憂いなく、どうか存分に射られよ」

 

力強い頷きを返され、アーラシュは最後に小さく微笑みを浮かべる。

ああ、実にいい。

自分の思いを託せる者がいる。

自分の思いを引き継いでくれる者がいる。

何と尊く、素晴らしいことか。

孤独に戦い続けた生前には叶わなかったことだ。

その喜びを胸に、アーラシュは自分に残された最後の力をこの一矢へと注ぎ込んだ。

 

「―――陽のいと聖なる主よ。あらゆる叡智、尊厳、力をあたえたもう輝きの主よ。我が心を、我が考えを、我が成しうることをご照覧あれ。さあ、月と星を創りしものよ。我が行い、我が最期、我が成しうる聖なる献身(スプンタ・アールマティ)を見よ。この渾身の一射を放ちし後に―――」

 

一拍を置く。

恐れはない。

不安もない。

あるのはちっぽけ勇気と、後を託した者へよせる強い思い。

ああ、これをあいつに伝えられないことが悔やまれる。

藤丸立香とマシュ・キリエライト。

その2人は犠牲になったのではない。

見殺しにされたのではなく、託していったのだ。

カドック・ゼムルプスならば必ずやこの特異点を正してくれる、必ずやこの時代を救ってくれると信じて、誉れある献身を成し遂げたのだ。

 

「―――我が強靭の五体、即座に砕け散る(・・・・)であろう!────『流星一条(ステラ)』ァァッ!!」

 

光の矢が放たれる。

伝承に曰く。争い合う両国を収めるために放たれた流星の一射。

2つの国を引き裂き、大地を割り、そこに「国境」を生み出した人ならざる絶技。

その究極の一矢と引き換えに、アーラシュの肉体は五体四散して落命したという。

この宝具はその再現。

文字通り大地を割るという絶大な威力と引き換えに、アーラシュの霊基は修復不能なまでの傷を負う。

即ち、アーラシュの死を代償として放つ一度限りの一射なのである。

 

(ああ、きっと泣くんだろうな。平気そうな顔をしていても、心の中で泣くんだろうな。だが、それでいい。その悲しみを忘れるな。そうやってお前はここまで来た。5つの特異点を乗り越え、ここまで辿り着いた。みっともなくとも、情けなくとも、それでも歯を食いしばって、命を賭けてここまで来た。それが間違いなはずがない。だから、2人を見殺しにしたなんて言うな。自分が成し遂げてきた偉業を否定するようなことを言うな。2人は……そして俺は、お前に後を託せるから逝けるんだ。だから――)

 

肉体が粒子に還元される中、アーラシュの千里眼は村人を見捨てられずにジレンマに陥るカドックの姿を見る。

必死で死んだ仲間の真似をして、人助けに奔走する様を笑う者など誰がいようか。

何故なら――――。

 

「お前は間違っちゃいない……」

 

頭上で目を覆わんばかりの爆発が起きる。

その一部始終を見届けた藤太は、既に消えてしまった偉大な英雄に向けて賞賛の言葉を送った。

 

「……感服の他ありませぬ。星を落とす者はかずあれど、星を砕く神技は他になし。まさに――見事なりアーラシュ・カマンガー。八幡大菩薩が宿るかのような、凄烈の一射であった」

 

 

 

 

 

 

どことも知れぬ闇の中、トリスタンは1人の男と対峙していた。

一見すると気難しくて神経質そうな人相の男性。一方で人当たりが良く紳士的な面を覗かせることもあれば、狂気じみた言動で周囲を振り回すこともある。

しかし、トリスタンの両の眼は男の本質を捉えていた。

この男には何もない。

願いも、思想も、何もかもを塗り潰されてしまっている。或いは、最初から持ち合わせていなかったからこそこうなったのか。

何れにしてもこの男が、この時代を地獄へと塗り替えた狂気の支配者。獅子心王であることに変わりはない。

 

「ふむ、任務ご苦労、トリスタン卿。だが、私は村の殲滅を命じたはずだ。貴公は素直に命令に従わず任務に時間をかけ過ぎる。おかげで聖剣を使わざるを得なかった」

 

「酷な事を。そのようなことをおっしゃるのなら、いっそ彼のように狂わせればいいでしょう?」

 

「ふん、弓の射れぬ弓兵に何の意味がある! 加えて如何に貴公が抗おうと我が第二宝具の影響下にある以上、それから逃れる術はない。我が忠実なる大隊の一員として、真なる十字の日が来るまでその腕を存分に振るってもらうよ」

 

男は仮面のような表情を張り付かせながら、闇の底へと沈んでいく。

 

「ああ、その件の彼だがとうとう、私の制御を離れてしまったよ。剥き出しの本能というもの恐ろしい。今頃は砂漠にいるだろうね」

 

そう言い残し、男の姿は完全に消える。

1人残されたトリスタンは、闇の中で残された時間を憂い、いずれ来るであろうカルデアのマスターの無事を祈ることしかできなかった。

 

「さて、神に愛された天才(アマデウス)は自らのレクイエムを作曲したといいますが、果たして私は自身にレクイエムを奏でられるでしょうか」

 

 

 

 

 

 

一夜が明けた。

藤太から事の成り行きを聞いた一同は、発すべき言葉を失っていた。

アーラシュの献身により村は救われた。このようなことが起きた以上、この西の村は捨てねばならないが、それでもほとんどの村人を無事に逃がすことができた。

それでも大切な仲間の死は彼らの心を痛めた。

呪腕のハサンは最大の盟友の冥福を静かに祈った。

百貌のハサンはアーラシュに村の守りを押し付ける形となったことを恥じ、己の不甲斐なさを悔いた。

静謐のハサンは自分を救うためにみんなが動いたことがアーラシュの死に繋がったと己を責めた。

三蔵は泣いた。ひたすらに泣き喚き、アーラシュの最期を看取った藤太はかける言葉を持たなかった。

アナスタシアは彼と過ごした短くも穏やかな日々を思い返していた。

そして、カドックは気丈に振る舞いつつも、誰もいないところで1人、涙を噛み締めた。

自分はまたしても、大切な人を見殺しにしてしまった。

何て不甲斐ないマスターだろうか。

努力しても、努力しても、それでも手の平から多くのものが零れ落ちてしまう。

いいかげん認めよう。自分にはこれが限界だ。

あいつのように胸を張ってみんなを救えない。守れない。

だって、カドック・ゼムルプスは藤丸立香ではないのだから。

 

「カドック、出発の時間よ」

 

このまま西の村にいたのではまたいつ十字軍が襲ってくるとも限らない。

自分達は早急に東の村へと場所を移し、今後の方針について話し合う予定であった。

だが、果たして自分達に何ができるだろうか。

敵は新たにトリスタンという強力な英霊を送り込んできた。それに加えて聖都を守るガウェインと大百足。もし生きているのならモードレッドもそこいいるはずだ。

対して自分達はアーラシュという大英雄を失った。彼の偉大な弓兵の威光があれば、太陽王も交渉の席についてくれるだろうという算段であった。

三蔵も藤太も素晴らしい英霊ではあるが、神を自称するファラオからすればただの人であることに変わりはない。

太陽王の説得は、アーラシュがいて初めて現実味を帯びる案件なのだ。

 

『そうだね。今のままでは太陽王を説得することは難しいだろうね。アーラシュ・カマンガーはそれほどまでに偉大な英霊だ。彼に匹敵する格か力を持つ大英雄でも連れてこない限りは、ファラオを動かすことなんて容易じゃないだろう』

 

「ですが、我らは聖都奪還を諦めるつもりはありません。例えあなた方の力を借りれずとも、太陽王を引き入れることができなくとも、聖都を取り返しましょう」

 

静かな決意を以て語る呪腕のハサンに、他の2人のハサンも同意する。

彼らとて盟友を失って傷ついている。だが、同胞たる山の民を守るために不退転の決意を固めていた。

 

「ねえ、トータ。何とかしてあげられないの?」

 

「むう、実力で劣っているつもりはないが、アーラシュ殿は別格だ。太陽王を引き込むには何かもう1つ、切り札が必要となるだろうな。そも交渉というものは最低限、同じ立場の者同士が行うものだ。力でも知恵でも格でも何でもいい。太陽王がこいつにゃ敵わんと思うくらいの何かがあればよいのだが……」

 

『そんなもの、ここにはもう……』

 

「いえ、それでしたら我らにも秘中の秘があります。私が囚われ、尋問されていた理由の一つでもあります」

 

「静謐! 貴様、まさか――」

 

百貌のハサンの顔が目に見えて驚愕の色に染まる。

だが、静謐のハサンは止まらなかった。

 

「百貌さま、我々も禁忌を破る時ではないでしょうか? アーラシュ殿の献身には何としてでも報いるべきです。そのための力が足りないのなら、あのお方の力を借りるしか……」

 

ふと、カドックの脳裏にいつかの夢に見た男の言葉を思い出す。

 

山の翁(ハサン)に会うんだ。歴代のではなく最初にして最後の翁を』

 

『初代の翁に、グランドアサシンに会うんだ』

 

最初にして最後の翁。

初代ハサン・サッバーハに会えと、あの夢に出てきた男は言っていた。

 

「初代の……翁?」

 

「なっ、知っていたのですか? あなたが何故?」

 

「わからない。けれど、言葉が思い浮かんだんだ。ハサンの頂点に君臨する原初の翁。静謐が言っているのはそのことなんだろう?」

 

「然様。あのお方の力を以てすれば円卓など恐れるに足りません。太陽王も確実に交渉に乗ってくるでしょう。ですが、あのお方を起こすとなると……」

 

何やら事情があるのか、呪腕のハサンは言葉を濁らせる。

他の2人も神妙な面持ちで彼を見守っているが、やがて呪腕のハサンは意を決したかのように頭を上げた。

 

「いいでしょう。私も掟に囚われすぎていました。この村のために命を捧げた我が盟友のためにも、私は禁忌を犯します」

 

「よいのか、呪腕の! それでは……」

 

「構わんよ百貌の」

 

彼の決断は何やら重大な意味を有しているらしいが、アナスタシアが聞き返しても彼は答えなかった。

まずは東の村に戻り、そこから順番に説明するとのことだ。

そうして話が進んでいく様を、カドックはどこか他人事のように見守っていた。

昨夜の一件で完全に心が折れてしまったのだろうか。

否、それならばここに自分がいるはずがない。

大切な――と、尊敬する大英雄を失いながらも、心の底では戦う事を止めようとしていない自分がいることにカドックは気づいていた。

 

『僕の見立てでは君はまだ自分で選べる側だと思うんだけどね』

 

『真の圧制とは己が内にあり、鎧を纏っていては如何な鳥でも羽ばたけぬ。さあ、抗え! 叛逆だ!』

 

『欲しいんだろ! だったら奪え、力尽くでぇっ!!』

 

『あなた様も退屈さでは彼に負けていませんが、それでも足掻こうとする姿は弄り甲斐があった』

 

『――立って、戦うことの何と難しいことか。だが、幾多の絶望を踏み越えるるからこその英雄――――未だ戦い続ける友の背中を黙って見つめるなど、アメリカ人の名折れである!』

 

思い浮かぶのはこれまでの特異点での記憶。

楽な戦いなど一つもなく、何度も壁にぶつかっては乗り越えることを繰り返してきた。

天才と言葉を交わし、叛逆の徒と命がけで向き合い、海賊の生き様に憧れを抱き、悪魔に翻弄され、発明王に意地を見た。

ああ、その日々の何て美しいことか。

それを今更投げ捨てることなどできない。それをするには余りに荷物が重すぎる。

そして、何を馬鹿げたことを考えていたのだろうか。

自分は藤丸立香ではない。彼の代わりは務まらない。それでも、彼のようになりたいと願ったのではななかったか。

例え及ばなくとも、その願いだけは抱えたまま前に進みたいと、第五の特異点で誓ったのではなかったか。

 

(そうだ、あいつはこんなところで諦めない。僕だって……僕だって、同じ気持ちだ……)

 

みんな、まだ戦おうとしている。誰も諦めていない。

なら、マスターである自分が諦めるわけにはいかない。

天才には敵わない、藤丸立香にも及ばない。それでも、それだけは――諦めないことだけは譲る訳にはいかない。

 

 

 

 

 

 

そして出発の刻限が来た。

本来ならばもう村を出ている予定なのだが、カドック達は出発前に昨夜の戦場となった広場をもう一度、訪れていた。

瓦礫の撤去や生活品の回収を行っていた村人が、広場に地面に奇妙な文字が彫られていることを報告してきたからだ。

 

「ここです、頭目。我々の文字ではないみたいですが、どうにも気になりまして」

 

「ふむ、異教徒の文字か。いや、それとはまた違うようだが……」

 

見下ろすと、固い岩肌にいくつもの亀裂が走っていた。

被さっている砂を払うと、確かに文字のようにも見える。

 

「……ラテン語? いや、ケルト語か? 読みは……「杯」……「炎」……「破裂」……「破壊」……「地面の下」……」

 

書き殴るように彫られた文字を順番に解読していく内に、カドックは背筋がゾッとするような想像を抱いてしまった。

同時に、昨夜の襲撃の際、トリスタンが最後に言った言葉の内容を思い出す。

 

『この世を深紅に染め上げる地獄の炎、一切を焼き払う裁きを以て、獅子心王はこの時代を破壊します』

 

あれは言葉にまで制限をかけられたトリスタンが懸命に訴えようとしていたメッセージではなかろうか。

なら、この岩に刻まれた文字も同じく、トリスタンによるものかもしれない。彼は去り際に音の刃を放っていたが、あれは目くらましではなくこのメッセージを残すためのものだったのかもしれない。

 

「まさか……そんなことが可能なのか……」

 

「カドック、顔が真っ青よ。どうしたの? この文字に何の意味があるの?」

 

「十字軍の……獅子心王の目的がわかった」

 

これがただの妄想であって欲しいと願わずにはいられない。

だが、トリスタンが呪詛に抗ってまで伝えようとしたことなのだ。

彼がそこまでして残した言葉が偽りであるとは思えない。

同時に、十字軍の、その首魁である偽りの獅子心王の所業に恐怖した。

神をも恐れぬ狂気の行いに戦慄した。

 

「奴らは……この時代の人理定礎を爆破するつもりだ。聖杯を改造した……聖杯爆弾で……」




少しずつ核心に迫る第5節。
聖杯爆弾はいつか使いたいと思っていたネタです。
ちなみにトリスタンが何故ケルト語で文字を残したのかというと、ピクト人かもしれない説からきています。

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