Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

68 / 122
神聖■■■■エルサレム 第9節

物語は少しだけ遡る。

その日もマシュは、日課である立香の見舞いを終えてアーサー王――アルトリアが過ごすオアシスへと訪れていた。

集落の騎士団はアグラヴェインが騎士王のために用意したものだが、彼女がそこに来ることはない。あくまでアグラヴェインが独断で行ったことであることに加え、草木や水が湧くオアシスの方がかつてのブリテンに少しだけ雰囲気が近いのだろう。

彼女は一日の大半をそこで寝ずに過ごす。

風を肌に浴び、水に足を漬け、僅かな小動物と語り合う。

冬木で出会った黒い騎士王の片鱗は微塵も感じさせない、穏やかでありながら超越者然とした姿がそこにはあった。

 

「……来たのか」

 

「はい」

 

「貴公のマスターの具合は? あれからかなり日は経つが……」

 

「お陰様で、先日から動けるようになりました。これも騎士王の恩寵のおかげです」

 

「アグラヴェインが勝手にやったことだ。私は貴公が無事でいてくれたのならそれでいい」

 

まるでこちらを見透かしているかのような鋭い視線が注がれる。

その眼を見るとほんの少し体が強張ってしまうが、マシュは勇気を振り絞るために一度だけ胸に手を当て、自分の中の決意を再確認する。

 

「お願いです、わたし達に力を貸しては頂けないでしょうか」

 

「くどいぞ、盾の騎士。王には王のお考えがあると、貴公も知っていよう」

 

傍らに控えていた黒い甲冑の騎士が眉間に皺を寄せながら声を張る。

聞く者に威圧感を与えるこの男こそ、この中東の地で唯一、正常なる意思を有した円卓の騎士が1人。

名を堅い手のアグラヴェイン。アーサー王の副官だ。

 

「アグラヴェイン、貴公に発言を許可した覚えはない」

 

「はっ、出過ぎた真似を致しました」

 

アルトリアに一喝され、アグラヴェインは謝罪の礼と共に後ろに下がる。

だが、その眼光は変わらずこちらを睨みつけていた。無遠慮な発言をした場合は強行的な手段に出ることも厭わないという確固たる意志を感じられた。

2人を説得しようとして何度も目にした光景だ。

自分のことを悪からず思ってくれているアルトリアと違い、アグラヴェインは人間不信の気があるのかこちらへの警戒心を説こうとしない。

名乗ってから一度も、名を呼んでくれないことがその最たるものであろう。

それでも自分達を助け、立香の治療を引き受けてくれたのには理由がある。

マシュ・キリエライト――厳密にはその身に宿した霊基を自分達のもとに留めておくためだ。

 

「異邦の騎士よ、我が聖策を愚と唱えるか?」

 

「……はい」

 

「彼の大偉業によって人理は焼却され、人類史は無に帰される。それは私の存在意義に反するのだ」

 

「ですが、そのために人を標本にするのは間違っています」

 

始めて2人を説得しようとした際に聞かされた真意。

アルトリアがこの時代で成そうとしていることは、人類の標本化であった。

彼女が持つ聖槍ロンゴミニアドは強力な宝具であると共にこの世のあらゆる破壊、概念に対する強固なシェルターとなる。

彼女はその力を使って選別した善き人間を資料として聖槍に保管し、人理焼却の後も人類という概念を世に残そうとしているのだ。

ただし、選ばれた人間は生かされることも死することもできずに情報の羅列と化すこと、聖槍の起動に伴い世界そのものが崩壊するという大きな代償を伴う行為だ。

彼女は戦乱に翻弄されるこの時代に住まう人々を守る手段として、その非情な選抜を行おうとしているのである。

 

「私は人間(お前達)を愛し、人間(お前達)を守りたい。これはそのための聖策だ」

 

暗に、魔術王に抗っても無駄だと騎士王は言う。

例えこの時代を救うことができたとしても、人理焼却を防ぐ手立てはない。

聖槍の影響によるものなのだろうか、彼女は神の如き視点を得ている。

それによって見据えたある事実が、彼女にこの決断を強いたのだ。

最も、それが何なのかをマシュは知らせれていないのだが。

 

「マシュ・キリエライト、限られし命よ。お前ならばわかってくれると思っていたが……」

 

「いいえ、わたしは諦めません。命は終わります。ですが、それはその場限りのものでなく、後に託し続いていくものです。わたしには無念の内に死した仲間がいます。ですが、彼女の意思は1人の魔術師(少年)を動かしました。命は繋がり続いていくもの。そこに嘆きはありません」

 

グランドオーダーを通じて多くの命を見てきた。

無残にも竜に屠られた家族がいた。

信ずる皇帝のために戦うローマ兵がいた。

明日も見えぬ荒波の中で陽気に笑う海賊がいた。

泣く事すらできずに魔霧に焼かれた娼婦がいた。

自由と独立を求めて戦う者達がいた。

そして、親や子、友人を十字軍に殺されながらも今日を生き続ける逞しい魂を見た。

失われた命と先に続く命は等価ではないのかもしれない。

それでも、素晴らしい輝きを後の命に託せる誇らしさと尊さを自分は忘れない。

だから、アルトリアの聖策を受け入れることがマシュにはできなかった。

 

「……お前はもう、そこにいないのだな」

 

嘆くように、憐れむように、アルトリアは淡々と言葉を紡ぐ。

そして、もう話すことはないとばかりに背を向けると、空に輝く光帯を見上げながら小さな声で呟いた。

 

「少し、疲れた。2人とも、下がってくれ」

 

「はっ」

 

「……はい」

 

オアシスの奥。清水が湧き出る泉へとアルトリアは消えていく。

この時代は不浄な念が強いという理由で、彼女は一日の内に何度か朴浴を行っている。

その間は何人も立ち入ることを許さない不可侵な時間。忠臣であるアグラヴェインですら、急があろうとその静謐な時間を侵すことを是としていない。

 

「もう諦めるがいい、盾の騎士。王の考えは変わらぬ」

 

「ですが、彼女の考えは間違っています。それに、円卓の同胞が十字軍に利用されていることを黙って見ているなんて……」

 

「口を慎め女。狂気に囚われた時点で最早、奴らは円卓ではない」

 

忌々し気にアグラヴェインは吐き捨てる。

彼らが壮大な目的を掲げながらも砂漠に潜伏しているのには訳があった。

そもそもこの時代に召喚されている円卓の騎士は聖杯によって呼ばれた者達ではなく、アルトリアが自らの力で家臣として呼び出したサーヴァントであった。

太陽王と十字軍が争い合うこの時代にて聖策を実行しようと決めたアルトリアではあったが、余りに強大な自らの力では両陣営を相手取ることはできても、余計な被害を出して救うべき善良な民をも巻き込んでしまうかもしれない。

それ故に、自分の代わりに手足となって戦う忠実な家臣。生前、ブリテンの守護という同じ目的を抱いて絆を交わした円卓の騎士達を召喚したのだ。

だが、召喚した直後に突如として十字軍の襲撃を受けることとなり、アグラヴェインを除く円卓の騎士は全滅することとなった。

獅子心王を名乗る男は褐色の衣を纏った男であり、不可思議な力を使う英霊であった。

アルトリアによって召喚された円卓の騎士は10人。その内、彼が繰り出した宝具の影響によって4人の騎士が洗脳され、彼らの手で5人の騎士が倒されてしまったのだ。

唯一、支配を免れたアグラヴェインはアルトリアと共に砂漠へ逃れ、そこで反撃の機を伺っているのである。

立香を匿ってもらっているあの騎士団は、そのためにアグラヴェインが独断で結成した私設軍隊であった。

最も、アルトリア自身は円卓以外の者達を信用していないのか、アグラヴェインが勝手にやったこととして咎めこそせず無関心を貫いているが。

 

「王は今、憂いているのだ。その原因を私は取り除く。不覚にも獅子心王に屈した者どもを討ち、十字軍を滅ぼす。彼の聖地には我が王の居城こそが相応しい」

 

「円卓同士で戦うと言うのでですか!? あなた1人で、4人もの円卓と獅子心王を!?」

 

「王が命じずともその願いを私は果たす。無謀……或いは憐憫か。そう思うのならばその霊基、我らのもとに戻るのだギャラハッド」

 

ギャラハッド。

その名で呼ばれ、マシュは表情を曇らせる。

彼らと出会って知ったことは、騎士王の聖策だけではない。

この身に宿った英霊の真名。あの炎の中で自分に後を託して消えていった騎士の名を、自分は彼らに教えられた。

その名はギャラハッド。円卓の騎士が1人。

円卓最強と言われるランスロットの息子にして、生前に聖杯探索を成し遂げた唯一の騎士。

それを知った時、マシュは腰を抜かすほどの驚きと共に、自分を今日まで生かしてくれたことへの感謝の念を再確認した。

彼の力がなければ自分も立香もここまで旅を続けられなかったであろう。

そして、それは同時に人嫌いのアグラヴェインが立香の治療を引き受けてくれた理由でもあった。

彼は立香を人質とすることで、マシュの中のギャラハッドの力を利用しようと企んでいるのだ。

 

「お断りします。わたしはカルデアの――藤丸立香のサーヴァントです。あなた方のもとには行けません」

 

「その命を握っているのは我が王であることを忘れるな。王の温情がなければ、その身に答えを聞いても良いのだぞ」

 

従わぬのなら拷問も辞さないという狂気じみた意思を、アグラヴェインは瞳に宿す。

そんな彼が強硬策にでないのは、良くも悪くもアーサー王のおかげであった。

彼女の願いを果たさんとその意思に背いて兵力を集めているが、彼女がマシュに対して円卓の一員として好感を抱いているから手が出せずにいる。

例え誰に嫌われたとしても、王にだけは嫌われる訳にはいかない。アグラヴェインとはそういう男なのだ。

 

「…………」

 

「っ……もういい。今日は王もお疲れだ。定刻までに戻らねば部隊が移動し……」

 

何かの気配を察し、アグラヴェインは言葉を切る。

マシュも強力な魔力がこちらに向けて物凄い勢いで近づいてきていることを肌で感じ取った。

互いに無言で得物を構えると、どこから何が飛び出してきてもいいようにと自然と背中合わせの態勢で待ち構える。

数十秒か或いは数分か。

息を殺し、汗ばんだ手が気になりだした頃を見計らったかのように、漆黒の騎士は姿を現した。

 

「上か!?」

 

「Arrrrrrrrr!!!」

 

バーサーカーが振り下ろした剣とアグラヴェインの剣が激突する。

狂化によって増した筋力を真っ向から受け止める膂力。その鍔迫り合いでアグラヴェインの両腕の筋は容赦なく弾け飛ぶが、彼はその痛みを意に介することなく狂戦士の剣を受け流す。

砂地に墜落したバーサーカーは痛みを訴えるかのように咆哮を上げ、本来ならば両手で振るうべき大剣を片手で振り回しながら再度、アグラヴェインの命を狙う。

筋力が乗り切らなかった空中と違い、地上では踏み込みの勢いすら利用して繰り出される猛烈な連撃がアグラヴェインの鉄壁の防御を少しずつ突き崩していく。

その技の冴えは、この狂戦士が本当にバーサーカーなのかと疑いたくなるほど鋭く、重く、速かった。

受け止めるアグラヴェインの表情はその剣筋に対して驚愕と焦りの色を浮かべている。

 

「この太刀筋、それにその剣は……」

 

砂地に足を取られたアグラヴェインの態勢が揺らぎ、バーサーカーはその隙を逃すまいと剣を振るう。

直後、振り上げられた漆黒の剣は堅牢な盾によって受け止められた。マシュが間に割って入ったのだ。

 

「女!?」

 

「はああぁっ!!」

 

「Arrr――!!」

 

受け止めた瞬間、剣に乗せられた運動エネルギーがほんの僅かな間だけゼロになる間隙を縫って、側面に回り込んだマシュの一撃がバーサーカーを吹き飛ばす。

無論、倒すには至らないが、アグラヴェインが態勢を立て直すには十分な時間であった。

だが、お返しとばかりに振り下ろされた剣をバーサーカーは器用に転がって躱すと、空いている手で掬い上げた砂の塊をアグラヴェイン目がけて投げつける。

不意を突かれて視界を殺されたアグラヴェインは盲目のまま戦う事を余儀なくされるが、そこはやはり円卓の騎士。まるでその太刀筋は既に見切っていると言わんばかりに剣を振るい、狂戦士と互角の剣戟を繰り広げていた。

三度の斬撃が一つの太刀筋に重なる程の連撃を巧みに裁き、緩急をつけた囮に惑わされることなく本命の一撃を受け流す。

砂を切る踏み込みすらまるで演舞のようであり、マシュが思わず嘆息してしまうほどの素晴らしい打ち合いであった。

これが命のやり取りでなければ、恐らくは万人が拍手を送ったことだろう。

 

「何事だ?」

 

騒ぎを感じ取ったのか、茂みを掻き分けてアルトリアが姿を現す。

朴浴の途中だったのであろう。彼女は鎧を纏っておらず、インナーとして着ている青いドレスを身に付けているだけであった。

 

「下がってください、アーサー王。敵襲です!」

 

アルトリアを危険に晒す訳にはいかないと、マシュは彼女の前に躍り出る。

一方、彼女の登場でバーサーカーに小さな変化が生じていた。

先ほどまでの鮮烈な攻め手が鳴りを潜め、兜に隠された視線がアルトリアの姿を追う。

その眼が彼女の視線と重なった瞬間、頭を殴られたと錯覚してしまうほどの濃密な魔力の爆発が狂戦士を中心に引き起こされた。

 

「Arrrthurrrrrr!!」

 

狂気が加速した。

アグラヴェインの猛攻を物ともせずに蹴り飛ばし、バーサーカーはまっすぐにアルトリアへと向かってくる。

まるで空間を跳んだかのような跳躍にマシュの反応は一瞬遅れ、次の瞬間には体が宙を舞っていた。

バーサーカーに殴り飛ばされたと気づいた時には、既に彼の刃はアルトリアに向けられている。

 

(いけない、その剣を王に向けては――)

 

何かが彼女の中で囁いた。

自分でもわからない奇妙な感覚。

この時代に来て、あの騎士と出会う度に抱いた説明のできない気持ちがまたしても鎌首を上げる。

その思いに突き動かされるように、マシュは両足に力を込めて大地を蹴った。

間に合え、間に合えと心に念じながら、盾ごと狂戦士の体にぶつかっていく。

 

「Uaaaaaaaaa!?」

 

「はあ……はあ……」

 

無様に砂地を転がりながら、マシュは自分が突き飛ばした狂戦士と対峙する。

知っている。

自分はこの騎士の正体を知っている。

マシュ・キリエライトは知らなくとも、この身に宿った霊基が彼を知っている。

その確信が胸を掻き立てるのだ。

この男が、こうなってしまったことへの失望が自身に訴えかけるのだ。

彼を止めなければならないと。

 

「――そうか。貴様はまた、我が王を裏切るか」

 

傍らに立ったアグラヴェインが、冷たい視線で目の前の騎士を見下す。

彼も気づいているのだ。この騎士の、この哀れな狂戦士の正体を。

 

「我が王の円卓を汚す不埒者。湖の騎士……ランスロット!!」

 

アグラヴェインの糾弾に、漆黒の狂戦士は兜を脱いで応える。

本来ならば端正であろうその顔は醜く歪み、紫色の髪は肩までかかるほど伸び切っている。

血走った目、牙のように伸びた歯、そして喉から零れる怨嗟の唸り。

ランスロットはアーサー王伝説の中でも最強と謳われる騎士。

時に主君であるアーサー王以上の完璧な騎士道の体現者とまで言われたその栄光は見る影もない。

この狂った姿はアーサー王の妃であるギネヴィアと通じ、敬愛する王と愛する妃との間で引き裂かれてしまった彼自身の苦悩の表れ。

故に今の彼にあるのはただ一つの執着のみ。

アーサー王との対峙。それこそが彼の唯一の願いなのだ。

そして、今まさにその願いが叶わんとしていた。

 

「畜生に堕ちたか、ランスロット! 我が王が手を下すまでもない、私が相手だ!」

 

普段は見せる事のない激情で以て切りかかるアグラヴェイン。

再び繰り広げられる攻防は、しかし先ほどまでの焼き写しではなかった。

アーサー王を前にして、明らかにランスロットの狂化の効果が跳ね上がっている。

彼は今、正に獣の如き獰猛さでアグラヴェインの剣戟を押し返しているのだ。

アグラヴェイン自身も王を守るという信念で何とか食い下がっているが、元々の地力の差に加えて狂化の恩恵が壁となり、ランスロットの太刀を受け切れずにいる。

 

「っ……狂ってようやく本音が出たか! それが貴様の本心か!?」

 

「Arrrrrrr!! Arrrthurrrrrr!!」

 

「させぬわ! 王は私が護る! あの時のようにいくと思うな、ランスロットォォッ!!」

 

何度目かの打ち合いでとうとう、アグラヴェインの刃が折れる。

ランスロットが持つはアーサー王の聖剣と起源を同じくする『無毀なる湖光(アロンダイト)』。その剣は如何なることがあろうとも絶対に刃が毀れることはない。

だが、折れた剣でアグラヴェインは尚も食い下がる。

剣がダメなら盾で、盾が砕かれれば拳で狂戦士を迎え撃つ。

見ている方が痛々しいその有り様に、マシュは思わず背後の騎士王に懇願する。

 

「彼を止めてください! このままではアグラヴェイン卿が!」

 

「駄目だ。あれはアグラヴェインの戦いだ。私が手を下してはならぬ。ましてや撤退を命じるなど、言語道断だ」

 

「どうして!? だって彼は、あなたを守ろうと……」

 

言いかけて、マシュは気づく。

アグラヴェインがあんなにも形振りを構わずに戦っているのは、相手がランスロットだからではないかと。

生前、彼はランスロットの不義の場を取り押さえ、逆上した湖の騎士に切り殺された。

無念であったはずだ。

敬愛する王を守ることができず、自らの行いでブリテンの崩壊を招くきっかけを作ってしまったことに憤りを抱いたはずだ。

例えその行い自体に後悔はなかったとしても、結果的に王を守れなかったことは悔しいはずだ。

ましてやランスロットはアーサー王ですら一目置く完璧な騎士。

叶う事はなかったが、彼はアーサー王の窮地に駆け付けんとしたほど王への忠義を持ち続けたまま円卓を去った。

その両者が刃を向け合うことはあってはならない。

湖の騎士が騎士王を殺めることも、騎士王が湖の騎士を断罪することも許されない。

そのどちらにも慚愧が残る。故にアグラヴェインは己の不利を承知で最強の騎士に挑む。

自らが部下を殺めたことよりも、部下を殺めた部下を罰することが幾ばくかでも心の荷が軽くなるから。

全ては自らの王を守るための、不器用な在り方であった。

そして、その思いを汲んだからこそアルトリアは自らを律しているのだ。

だが、そんな2人の願いは叶わない。

遂に力尽きたアグラヴェインの体が地に伏し、動かなくなる。

ダメージは深いが霊核に負傷はない。消耗による疲労だ。しかし、押し留める者がいなくなったランスロットは狂喜にも似た咆哮を上げて再度、自らの王へと突撃する。

 

「Arrrrrrrrr!」

 

「……っ!」

 

意を決し、マシュは盾を振りかぶる。

無毀なる湖光(アロンダイト)』と十字の盾が重なり、火花を飛ばしながら両者は弾かれ合う。

倒れそうになる体にマシュは必死で力を込め、せめて気圧されないようにと盾を構える。

繰り出されるランスロットの一撃はどれもが必殺。本来ならばマシュの防御力を以てしても防ぎようがない苛烈な攻めだ。

しかし、傷だらけになりながらもマシュの体は紙一重で持ち堪えている。

背後の守るものを意識する。

いつもと同じ、立香を、仲間を守る時と同じように、大切なものを守り抜かんとする強い意志で彼女の盾はどこまでも強固になる。

雪花が散るように、一瞬の攻防に合わせて盾に魔力を込めることで増幅した彼女の守護は、ランスロットですら押し切ることができなかった。

 

「させません! あなたにだけは、彼女を殺させない! あなただけは、その刃を向けてはいけない!」

 

「Arrr……」

 

「やっとわかりました。この胸のざわめきは嘆きだと。あなたが円卓を裏切り、離反したことが今でも信じられないと! あの場に自分がいればあんなことにはならなかったと! 私の中の彼は訴えている!」

 

その時の後悔を繰り返しはしないと、マシュの中に消えた霊基()が叫んでいるのだ。

彼への尊敬、憧憬、期待、好意、執着、嫌悪、侮蔑、失望。色々な思いが過ぎっては形を成さずに消えていく。

きっとこの気持ちを言葉で表すことはできない。それでも敢えて言葉にするなら嘆きである。

子が親を思う嘆き。

子が親を慕う嘆き。

生まれた我が子が、親に安寧を欲しいと叫ぶ嘆きにも似た鼓動。

 

「ああ、どうしてあなたはそうなのですか! どうして、素直に尊敬させてくれないのですか!?」

 

自然と口から彼の言葉が漏れる。

親というものを知らない自分にはなかった感情。

どうしようもなく複雑で、それでいて陳腐な思いの爆発をマシュは知った。

これは怒りだろうか。それとも憎悪だろうか。きっとどちらも違う。彼はランスロット(父親)に理想を押し付けているだけなのだから。

だからこれは失望であり、嘆きであり、どうしようもない愛慕だ。行き場のない感情の波だ。形のない声だ。

 

「王に疑いがあるのなら糾す! 王に間違いがあるのならこれと戦う! それがあなたの騎士道(こころ)のはず。それがあなただけに託された役割でしょう! それなのにあなたは、獅子心王の悪意(そんな力)に屈して……!」

 

「……had…………」

 

その迫力に圧されたなどということはないだろうが、ランスロットは動かなかった。

ただ静かに剣を構え、こちらの出方を伺っている。

狂気を研ぎ澄まし、次の一撃に全てを賭ける腹積もりだ。

その証拠に、彼の剣に膨大な魔力が込められていっている。

間違いなく、次の攻防が最後となるであろう。

 

「わかりました。あなたがそのつもりなら……自らの王を斬ると言うのなら、わたしが盾となります! ここを通りたくば、わたしを倒していきなさい!」

 

決意が力に変わる。

マシュの願いが、意思が、霊基の殻を打ち破る。

身に纏う鎧はより強固に、より力強く、何よりもマシュ自身の霊基に最適化された形で再臨される。

今まで以上の力が体に漲っていることにマシュは気づく。この力で、()を止めろと叫ぶ嘆きを確かに聞いた。

 

「Galaaaaahadddddd!!!!」

 

ランスロットの咆哮が剣に魔力を注ぎ込む。

膨れ上がった魔力の刃はまるで凝縮した台風だ。あれをぶつけられればどんな英霊でも一たまりもないだろう。

それでもマシュは一歩も引き下がるつもりはなかった。これほどまでの強い意思が湧いてきたのはいつ以来だろうか。ひょっとしたら初めてかもしれない。

それほどまでにランスロットの暴走は見ていられなかった。彼の痛ましさが、アルトリアの決断が、アグラヴェインの決意が、マシュの意思を押し上げたのだ。

 

「わたしはマシュ・キリエライト。我が霊基の真名()はギャラハッド! この霊基(からだ)にかけて、今こそ円卓の不浄を断ちましょう!!」

 

漆黒の騎士が疾駆する。最早、その咆哮は音にすらなっていない。

彼は何を思い、何に狂わされているのだろうか。果たしてこちらを認識できているのか、それすらもわからない。

対してマシュ・キリエライトの心は穏やかだった。

激情に身を焦がされながらも水のように澄み切った心で盾を振るう。

これ以上、ランスロット()の騎士道を汚させはしない。

その一心で以て盾に魔力を込める。

 

「――!―――!!――!!!」

 

「仮想宝具展開、『人理の礎(ロード・カルデアス)』ッッ!!」

 

漆黒の刃と光の盾がぶつかり合う。

立ち塞がる何もかもを両断せんとする無毀なる剣。

命も営みも、その心すら守らんとする人理の盾。

永遠にも似た一瞬の攻防。迸る魔力が大気を震わせ、戦いの行方を見守る2人ですら吹き飛ばさんと渦を巻く。

ランスロットは吠える。愛し、敬い、その身を剣として託した自らの王に向けて。

マシュは揺るがない。ランスロットの激情、狂った憎悪、反転した敬愛。それら全てを受け止め、今にも消し飛ばんとする光の盾を持つ手に力を込める。

両者共に、裂ぱくの気合と共に得物を振るう。

そして――――。

 

「はあ……はあ……」

 

矛盾、ここに成らず。

最強の剣と盾の攻防を制したのは、マシュ・キリエライトであった。

 

「ランスロット!?」

 

アグラヴェインが叫ぶ。

剣を零し、力尽きたランスロットの体を受け止める形となったマシュは、その大きな体が腕の中にあることに安堵を覚えた。

同時に、彼自身の霊基が保たないところまできていることに気づく。

度重なる戦闘と先ほどの一撃が、彼自身の現界を維持するための魔力すら使い潰したのである。

 

「……ああ、君は……誰……なのかな……?」

 

弱々しく問いかけてくるランスロットに先ほどまでの狂気の片鱗はない。

消滅が始まったことで狂化が解けたのだ。

今に彼はこの世からいなくなってしまう。

何と答えるべきだろうか。

ただ我が子の霊基を宿しただけの自分が、無関係にも関わらず義憤から敵対しただけの自分が、果たして彼に何と答えれば良いのか。

迷っている時間すら彼女には与えられず、マシュは胸の内から自然と湧き出した感情を口にした。

 

「わたしはギャラハッド、あなたの……円卓の騎士ランスロットの子、ギャラハッドです」

 

それが偽らざる本心であった。

例えその身に霊基を宿しただけの他人であったとしても、この気持ちが借り物の慕情であったとしても、そう言わなければならないとマシュは思ったのだ。

 

「はは……君は……嘘が得意ではないね……」

 

そっと、大きな手が頭に添えられる。

きっと生前は叶わなかったであろう。ギャラハッドはランスロットの子ではあるが、彼が魔術で正気を失っていた際に誕生した命であり、親子としての営みは皆無であった。

それを今、自分が代わりに受けることは畏れ多いことなのだろう。それでもマシュはランスロットの手を拒まず、彼が優しく髪を撫でることを受け入れる。

 

「ああ、そこにいるのは我が王……それに、アグラヴェイン……そうか、私は遂に、あなたに……王に裁いてもらえたのですね」

 

アグラヴェインの視線がアルトリアへと注がれる。

彼女は宙を迷うランスロットの視線をしっかりと受け止めると、静かに、沙汰を下すかの如く言葉を発する。

 

「そうだ。我が名の下に、貴公を裁いた。休むがいい、ランスロット。あの時の過ちを、私は今こそ正そう」

 

「そう……ですか……ああ、私は……やっと……」

 

「ランスロット卿!?」

 

マシュの髪を撫でていた腕が消える。下半身も膝から下が消えていた。

消え去るのは時間の問題であり、体を動かすことなど以ての外だ。

それでもランスロットは最後に半身を起こすと、その者に向けてまっすぐに向き直った。

一挙動ですら苦痛であるにも関わらず、まるで臣下が主君に頼み込むように、ランスロットは最後まで礼を尽くす。

 

「後のことは……貴公が王と……この子を……頼むぞ、アグラヴェイン」

 

そうして、湖の騎士はこの時代から消え去った。

彼が最後に、どれほどの思いを込めてそう言ったのかはわからない。

だが、誰よりもその言葉に驚愕していたのはアグラヴェイン自身であった。

生前から何もかもが正反対で、同じ円卓の騎士でありながら最後まで敵対する立場であった。

その片割れが、あろうことか最も忌み嫌うはずの仇敵に頭を下げる。

その真意を測りかね、アグラヴェインは思わず呟いていた。

 

「ほざいたな、ランスロット……」

 

 

 

 

 

 

どれだけそうしていただろうか。

マシュは消えてしまったランスロットの骸を抱いたまま動かない。

アルトリアもまた、どうすべきかと逡巡していた。超越者然とした彼女ではあるが、人の心がない訳ではない。ただ、見ているものが他の人々と違うが故にその感情を上手く表すことができないのだ。

先ほどのランスロットにしてもそうだ。

自分はかつて、女である自分に嫁ぐこととなったギネヴィアに対する罪悪感からランスロットとの不義を黙認した。

ランスロットがギネヴィアを攫って円卓を離反した際も、最後まで和解の道を模索した。

ランスロット自身が、その内にどれほどの悔いを溜め込んでいるかも気づかずに、ただ正しくあらんとしたがために2人を苦しめてしまった。

成長した今だからこそわかる。あの時、例え自らの騎士道に背いたとしても彼を罰していたならば、或いはもっと早くにギネヴィアの気持ちを汲んでいたならば、例え結末は同じであったとしても、2人の心を救うことができたかもしれないということを。

それでいて自らの行いに過ちはないと言い切らねばならぬほどの時間を背負っているのもまた事実である。

あの時に下した沙汰に迷いはあっても後悔はない。ランスロットとてそれを承知であったが故に、最後は叶わずともあのカムランの丘へと馳せ参じようとしてくれたのだから。

ならば、自分は彼の騎士の王として如何なる決断を下すべきか。

彼は最後に、アグラヴェインに対して言ったのだ。

自分(王の聖策)マシュ(人理の礎)を頼むと。

たった1人の愛する女のために同胞を裏切った騎士が、二度目の生で王命の遵守と世の救済を願った。

それに対する答えの是非は果たしてどちらなのか。

答えは、やはり傍らの騎士からもたらされた。

 

「王よ……ご無礼を承知で具申致します。どうか我が言葉を聞いて頂きたい」

 

「許す、話すがいい」

 

「決断を……十字軍と事を構えます。どうか、聖策はそれまで保留にして頂きたい」

 

その願いの底にどれだけの無念が込められているのか、わからぬアルトリアではなかった。

それでもこの男は己を曲げたのだ。最後の最後に、己や愛する者でなく、王と民の行く末を願った仇敵の思いを彼は汲んだのである。

例えそれが自らの霊基を裂かんばかりの屈辱であったとしても、自らが狂わんばかりの怒りを呼び起こすとしても、あの憎たらしい裏切り者が最後に忠を見せたが故に、騎士として彼はそれを受けることを選んだのである。

 

「貴公に勅命を下す。我が名の下に軍を率いよ。以上だ」

 

それが、騎士王の決断であった。




というわけで語られた弊SSの6章/ZERO。
女神ロンゴミニアドは核兵器みたいなものなので、不用意に動けず半年間も潜伏している間に原作で行った聖抜が間に合わずさあどうしようという状態です。
単純に勝つだけなら聖槍の一撃でおつりがくるんです。ただ、それをすると被害が大きすぎるわけでして。ちなみに聖抜自体を諦めたわけではないので、事が終わればアグラヴェインと一緒に再開する気満々です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。