Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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神聖■■■■エルサレム 第11節

そして、決戦の日は訪れた。

夜の内にギリギリまで聖都に近づき、夜明けを待って最後の進軍を開始した連合軍は遂に聖都を目と鼻の先に捉えたのである。

一万を超える大部隊。既にこちらの動きは向こうも把握しているだろう。いつ向こうが先手を取って奇襲を仕掛けてきてもおかしくない状況だ。

 

「もう一度、確認するぞ。僕達は歩兵部隊の一員として正門に向かう。騎兵部隊はアグラヴェイン卿。藤太と三蔵は遊撃だ」

 

「うむ、精々引っ掻き回させてもらおう。大百足の気も引かねばならぬしな」

 

「我々は城壁に張り付き、弓兵どもを間引きましょう。しかし……」

 

聖都を捉えた呪腕のハサンが仮面越しに顔を顰める。

何事かと視力を強化し同じ方向を見てみると、聖都の外壁を巡回する騎士達の姿が見えた。

その数は最初にここを訪れた時よりも明らかに増員されており、周囲を油断なく警戒している姿があった。

弓だけでなく機銃による斉射もあるため、このまま不用意に近づけば正門に辿り着く前に一掃される恐れがある。

 

「太陽王の神獣兵団による西側の陽動。それに我ら騎兵隊による東の陽動だけでは弱い。本隊への被害は覚悟せねばならぬか」

 

(ご丁寧に塹壕まで用意しているのか。上と下からの挟み撃ちでは正門に到達できるのは……よくて四割)

 

その四割も塹壕を越えた地点に待ち受けるガウェインの聖剣の餌食となるだろう。

アナスタシアとマシュで数十人程度は守れるだろうが、そこまで被害が出てしまえば焼け石に水だ。

 

「最悪の場合、ガウェインは私が相手をする。ランスロット()のようにはいかぬが、知らぬ相手ではない。貴公らが内部に突入するまでは持ち堪えてみせよう」

 

「マスター、令呪のフォローがあれば吹雪で視界を隠せます。それなら何とかなるのではなくて?」

 

アナスタシアの提案に、カドックは無言で残る一画の令呪を見やる。

確かにそれなら見張りの視界を奪い、飛び道具を無効化することもできる。

だが、聖都の内部にどれほどの戦力が控えているのかわからない現状で切り札を切っても良いものだろうか。

かといって他に代案もなく、このまま手をこまねいていてはこちらの存在に気づいた十字軍が獅子心王の裁きを使用するかもしれない。

そうなってしまえば自分達はおしまいだ。

 

「……わかった、令呪を――」

 

言いかけた瞬間、口の中に不快な異物感が広がる。

砂だ。

突然、吹き出した北風が砂を巻き上げたのである。

風はどんどん勢いを増していき、忽ちの内に嵐となって聖都周辺を飲み込んでいく。

気をしっかり持たなければ前を向くのもやっとの物凄い強風だ。視界もロクに利かない。

 

「先輩、わたしの見間違いなのでしょうか? 今、空に巨大な髑髏の模様が――」

 

『ああ、こちらでも観測できた。けれど、問題はそこじゃない。その嵐には魔力は一切含まれていない! あくまで自然現象だ! ただし、極めて高い指向性を持った。ね!』

 

正に天の助けだとロマニは歓声を上げる。

砂嵐はどういう訳か、聖都を包み込むように渦巻きながらその場に停滞しているらしい。

そう、まるで聖都の十字軍達の目を奪うかのように。

 

「鐘の音が聞こえる……アグラヴェイン卿、これこそは初代様のお力! 約束はここに果たされた! 今こそ進軍の時ッ!」

 

そう、この砂嵐では視界が利かず弓は役に立たない。

そして如何に防塵処理を施した銃器もここまで大量の砂を被せられてはまともに機能することはないだろう。

呪腕のハサンが言う通り、今が進軍の絶好の機会だ。

 

「旗を掲げよ! 総員、弓を捨てて前進! 脇目を振るな、速さが全てだ!」

 

開戦のラッパが鳴らされる。

いの一番に走り出したのは藤太だ。後ろの三蔵にトレードマークともいえる俵を預け、砂嵐など物ともせずに馬を走らせる。

砂嵐によって視界を奪われた十字軍は飛び道具を使えず、剣や槍を取り出して応戦しようとするが、藤太は巧みな馬術でそれを翻弄しつつ塹壕沿いに馬を走らせると後ろの三蔵に呼びかけた。

 

「よし、しっかりと持っていろ!」

 

「ええ、いつでも良いわよ。どーんっとやっちゃって!」

 

「応ッ! 少々もったいないが、ありがたく受けるがいい。さあ、行くぞ『無尽俵(むじんだわら)』よ。美味いお米が、どーん、どーん!」

 

真名解放と共に三蔵が持つ俵から膨大な量の白米がまるで雲霞の如く吐き出され、塹壕の中の兵士達を押し流していく。

これぞ三上山の大百足退治の報酬として龍神より賜った対宴宝具『無尽俵(むじんだわら)』。これ一つで村一つを養えるだけの白米を次々に生み出すことができ、その上味も絶品の正に至高の宝具である。

ただし今回は、龍神への不敬を承知で物量攻めの手段として用いさせてもらっている。

塹壕は飛び道具から身を守り、敵の侵攻を食い止めるという点では画期的だが、同時に塹壕内に逃げ場を作りづらいという欠点も抱えている。

嵐などが起ころうものなら中の兵士は堪ったものではなく、その上で流砂の如き白米に押し潰されては一たまりもないだろう。

忽ちの内に塹壕の一角を無力化した藤太は、聖都の西側でオジマンディアスの神獣達と威嚇し合っている大百足に対して声を張り上げ見栄を切る。

 

「また会ったな三上山の七巻き半! 此度はよりでかく育ったようだな!」

 

藤太の存在を捉えた大百足は、何頭もの神獣が雪崩かかってくるのも構わずに体を捩り、その巨大な体を這わせて藤太へと向き直る。

蛇が鎌首を上げるように頭を持ち上げ、無数の足をうねらせながら涎を垂らす仕草は正に畜生。

余りの大きさと不快な姿に三蔵は悲鳴を上げて藤太の背中に隠れてしまう。

 

「ぎゃってぇ! 何なのよあの化け物!? あんなに大きいなんて聞いていない!?」

 

「案ずるな。どれだけ育とうと所詮はハチマキ足らず。何、苦戦は免れんだろうがどうか付き合ってくれ」

 

「付き合いますとも、師匠ですからね。けど、それはそれとしてこわっ――」

 

最後まで言い切る前に三蔵の言葉が途切れる。

大百足が巨体を震わせながら藤太を押し潰さんと覆い被さってきたからだ。

藤太は咄嗟に馬を走らせて倒れ込む大百足の巨体を躱すと、すれ違いざまに抜き放った刀で胴を一閃。

砂嵐で利かぬはずの鼻でもわかるくらいの腐臭を放つ体液が迸り、巻き添えを食らって体液を浴びた神獣の一体が忽ちの内にしな垂れて動かなくなってしまう。

竜種すら屠る巨体と毒性、伊達でなし。因縁の戦いはこの中東の地で再び、切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

正門の前に座するガウェインは、目の前で起きている戦いをどこか遠くの出来事のように見つめていた。

何者かが自分達と戦っている。彼らはこの地に住まう者達であろう。自身が背にしている都を正しい持ち主のもとに戻すために、雌伏の時を経て立ち上がったのだ。

その姿は何と勇ましく誇らしいものか。か弱き命に他ならない無辜の民が、譲れぬ正義のために立ち上がる。ならば我が身にできることは一つ、弱き者に代わって剣を振るう事。だが、悲しいかな今のガウェインは無力であった。

獅子心王に植え付けられた『呪詛(ギフト)』に縛られ体を満足に動かすことができない。そして、胸の内に埋め込まれた偽りの太陽は昼夜を問わず彼の体を蝕んでいる。

煌々と輝く深紅の炎。獅子心王によって埋め込まれた疑似・太陽に内側から身を焼かれ、意味のあることを考え続けることすらできない。

この地に召喚されてどれほどの日数が経過したのか、最後に無辜の民を焼き払ってからどれほどの時が経ったのか。

断裂した記憶は意味を成さず、ガウェインは自分が何のために痛みに抗っているのかさえわからなくなっていた。

ただ、今が昼間だということだけはわかる。

この疑似・太陽は触れるもの全てを灰燼と帰す灼熱と痛みを代償に、昼の概念と夥しい量の魔力をガウェインに押し付けていた。

この偽りの太陽が輝き続ける限り、例え今が星さえ見えない宵闇の中であろうとそこは昼間となる。

その恩恵により、今のガウェインは一振りで大地を割り、聖剣を解放しようものなら大気すら余さず焼き尽くすであろう。激しい痛みにより思考と剣の冴えを失うことを代償に。

そして、この偽りの太陽の真に悪辣なところは、ガウェイン自身の霊基には一切の傷も及ばないところにある。

例え内側から炎で焼かれようと、吸い込んだ息すら焼き尽くされてとうに呼吸機能が意味を成してなかろうと、全身の血管という血管に許容量を超える血流を流し込まれたとしても、ガウェインは死ぬことができない。

魔力切れなど起こそうものなら悲惨という言葉では生ぬるい地獄が待っている。疑似・太陽はガウェインを活かすためにガウェイン自身から致死量に至るほどの魔力を汲み上げ、それを持って破綻寸前の霊基を補強するのである。

当然のことながら補強した端から魔力が失われていくので、失われた分を補填しようとより多くの魔力を引きずり出される。

そんな死よりも苦痛な生を強要され、今やガウェインは闇雲に剣を振るうだけの傀儡でしかなかった。

どれほど拒もうとも植え付けられた命令には逆らえず、目の前に現れた哀れな生贄を屠るだけの日々。

そんな虚しくも悲壮な作業を延々と繰り返す煉獄こそがガウェインの置かれた状況であった。

 

「左翼第三隊から救援の要請! 敵は塹壕を越え、正門を迂回して近づきつつあり!」

 

「右翼第一隊から伝令! 遁走の危機にある。繰り返す、我遁走の危機にある!」

 

ガウェインが苦しむ横で、甲冑を纏った兵士が黒服の上官に報告を行う。

戦況は優勢なれど局地的に防衛網を食い破られており、そこから敵軍が城壁目がけて殺到してきている。

十字軍もまさか一部とはいえ一瞬で塹壕を埋められるとは思いもせず、砂嵐によって自慢の重火器もほとんどが役に立たなくなってしまったことで、対応が後手に回ってしまったのだ。

 

大百足(タオゼントフーズ)は何をしている!? 神獣などただの食糧ではないか!?」

 

「それが、東洋人と思われる騎士を目にした途端こちらの制御を離れました! 神獣どもの迎撃が間に合いません!」

 

「敵のサーヴァントか。報告にあったトータ・タワラだな」

 

西側からは太陽王の神獣とサーヴァント。そして東側は漆黒の騎兵隊を中心とした連合軍。

本来ならば大百足だけで十分に対応できる戦力ではあるが、制御が利かぬ以上は新たな手を打つ必要がある。

幸いにも大百足が倒されない限りは聖都の城壁が倒壊することはない。ならば壊滅状態にある東側を早急に焼き払うのが得策だろう。

 

「右翼の部隊を後退させ、左翼と合流させろ。遅れれば諸共に焼き払うと伝えるのだ」

 

「はっ! では、ガウェインの聖剣を――」

 

言い終わる前に、兵士の体が真っ二つになる。

何事かと身構えた上官はすぐさま懐から拳銃を取り出して周囲を警戒するが、それは余りにも遅すぎた。

銃を握るはずの指は空しく空を切り、振り上げた腕は拳から先が失われている。

痛みはなかった。ただ、反転した世界だけが全てを物語っていた。

自分はもう斬首されているのだと、死に至る瞬間に察することができたのだから。

 

「出陣は能わず。砂塵は諸人を覆い、汝の道をも塗り潰した」

 

前触れもなく姿を現し、鮮やかな手つきで周囲の兵士達を切り殺した髑髏の騎士がガウェインに剣を向ける。

既に理性を失いつつあるガウェインは、目の前の存在が何者であるのか問いかけることすらできず、ただ本能的な危機感に従うまま剣を振るった。

最早、ただの一振りが宝具級の破壊力を秘めた一撃。だが、豪快に振り抜かれた薙ぎ払いは髑髏の騎士が外套を翻しただけでいなされてしまい、態勢を崩されたガウェインは砂地を踏み込むことで何とか転倒を防いで髑髏の騎士に向き直る。

 

「心を逸し己が置かれた惨状すら理解できぬか。だが、聞こえずとも我が声は理解できる(聞こえる)であろう。我が名はハサン・サッバーハ。幽谷の淵より生者を連れに参上した」

 

「Guaaaaaa、uaaaaaaaaa――!!

 

理性なき咆哮が荒野に響き、ガウェインは髑髏の騎士と対峙する。

偽りの太陽が燃える限り、太陽の騎士の力は陰らない。その3倍の加護を持って尚、髑髏の騎士は揺らぐことはなかった。

 

 

 

 

 

 

西では藤太と三蔵が、正門前では“山の翁”がそれぞれ、厄介な敵を引き付けてくれている。

砂嵐に紛れた奇襲が功を制して無事に塹壕を越えることができ、本隊の大部分は無事に城壁まで近づくことができた。

だが、敵は早くも混乱から立ち直り始めており、食い破られた防衛線を押し返そうと聖都から続々と援軍が駆け付けてきている。

城壁を乗り越えるために櫓を組もうにも、大百足が巻き付いていてあまり不用意に近づくことができず、頑丈な皮膚はスフィンクスの一撃でもビクともしない。

“山の翁”がガウェインを足止めしてくれている今が絶好のチャンスだというのに、ここに来て連合軍は足を止めてしまう事態に陥っていた。

 

「ダメです、ここまで辿り着いたのに、城壁からの射撃と十字軍に次々と……!」

 

目の前で次々と倒れていく連合軍の仲間達を見て、マシュが苦悶の表情を浮かべる。

立香と共に最前線に立って盾を振るっているが、どうしても多勢に無勢で手が回り切らない。

庇い切れなかった命が手の平から零れ落ち、声にならない悲鳴を彼女は訴えている。

 

「キャスター、宝具で城壁を破れないか!?」

 

「もうやっています! でもダメなの! あの大百足(ムナガノーシカ)が邪魔でヴィイの魔眼が通りません!!」

 

魔眼殺したる「視られる力」。聖都の城塞を覆っていたその力の正体こそあの大百足だったのだ。

恐らくは視覚的な嫌悪感を魔術的な措置で何万倍にまで増幅したのだろう。

単縦だがそれ故に強力な加護だ。

 

「カドック、何だか黒い兵士がたくさん出てきた! みんなどんどん倒れていく!」

 

「そいつは毒だ! お前達なら大丈夫だが、他は触れただけで即死するぞ!」

 

静謐のハサンが囚われていた砦にいたサーヴァントもどきの化け物。

どうやら量産化に成功していたようで、数人ではあるものの巨人染みた体躯を震わしながらこちらの兵力を次々と毒の沼へと沈めていく。

触れれば即死、近づいても毒の吐息で体を蝕まれる以上、常人であれを相手にすれば勝ち目はない。

例え紛い物でもサーヴァントに対抗できるのはサーヴァントだけだ。

 

「前に出ます! アナスタシア、援護をお願いします!」

 

「マシュ、焦っちゃダメよ! マシュ!!」

 

惨たらしく殺されていく仲間達の姿に動転したのか、マシュが脇目も振らずに毒のサーヴァントへと突撃する。

制止するアナスタシアの声も聞こえておらず、巨大な盾を風車のように回転しながら叩きつけ、どす黒い化け物達が宙を舞った。

更にマシュは勇猛な声を張り上げて前へ前へと突き進み、群がる毒のサーヴァントを次々に叩き伏せていく。

彼女は気づいていない。いつの間にか、自分と仲間達が分断されていることに。

 

「マシュ、前に出過ぎだ! 戻ってきて!!」

 

「ッ――しまっ――!?」

 

立香の声が届き、慌てて後退しようとするも遅かった。

既に回り込んでいた毒々しい花々が残る命を燃やし尽くさんとばかりにマシュに殺到し、その痩躯を押し潰さんとする。

絶体絶命の窮地にマシュは言葉を失い、咄嗟に盾を構えて覆い被さる巨体から我が身を守らんとする。

だが、覚悟していた衝撃は終ぞ訪れなかった。それよりも早く、蛇のように伸びた無数の鎖が哀れな十字軍の犠牲者を縛り上げたからだ。

 

「何をしている、マシュ・キリエライト(ギャラハッド)!」

 

マシュを救ったのはアグラヴェインであった。

あの鎖は宝具か何かだろうか。縛り付けられた毒のサーヴァント達はロクに身動きが取れず、霊基が限界を迎えた者から順に内側を腐らせ息絶えていく。

 

「サー・アグラヴェイン……」

 

「貴公の本分を忘れるな。猛る心で持てばその盾はただの鉄塊だ」

 

「……はい……その通りです……」

 

「ならばゆめ忘れるな。その宝具はギャラハッド()と貴公のみが振るうに値する。守ることに専念するのだ。攻め手は我らが担おう」

 

再び駆け出したアグラヴェインが立ち塞がる敵兵を薙ぎ払い、開けた活路を多くの兵士達が続いていく。

 

「マシュ、無事!?」

 

「はい……すみません、先輩。わたし、焦りすぎていたみたいで……」

 

「いいんだ、君が無事なら。次に挽回すればいいじゃないか」

 

「先輩……」

 

項垂れるマシュに立香は気休め代わりにと回復の礼装を使用する。

僅かばかりではあるが手の中の盾の重みが軽くなり、マシュはアグラヴェインの言葉を胸中で反芻しながら強張り出した体に再度、力を込め直す。

 

「はい! マシュ・キリエライト、いきます!」

 

 

 

 

 

 

一方、西側の戦いは佳境を迎えつつあった。

立ち塞がるは三上山の大百足。聖都の城塞を七巻き半する巨体を振るい、オジマンディアスの神獣を貪り食いながら逃げ回る藤太と三蔵を追い詰めていく。

 

「ちょっと、何なのよあれ! スフィンクスを食べている!?」

 

「奴は魔獣の分際で龍神すら食す規格外の化け物よ。拙者がなかなか捕まえられぬので、腹を満たして更に力をつける腹積もりだな」

 

「冷静ね、もー。さっきからお経唱えても全然堪えないし、どうやって倒すつもりなの!?」

 

「無論、こうするまで!」

 

言うなり、藤太は手綱を引いて馬を反転させ、両足をバランスを取りながら弓に矢を番える。

一際大きな五人張りの強弓。これこそはかつて、俵藤太が大百足の頭を見事射抜いた自慢の一品。

かつて自身を殺した武具を目の当たりにしてか、大百足も警戒するように鎌首を持ち上げて金切り声を上げる。

生理的な嫌悪感を催すその姿に背後の三蔵は悲鳴を上げるが、藤太は無心で大百足の額に狙いを定め、番えた矢と共に弦を引く。

すると、水気などないはずの渇いた荒野に川の流れを錯覚する。有り得ざる流水の召喚。それこそ俵藤太が授かった龍神の加護であり、これより放たれる乾坤一擲の一撃を更なる力で以て押し上げる。

その名を宝具『八幡祈願・大妖射貫(なむはちまんだいぼさつ・このやにかごを)』。

 

「南無八幡大菩薩……願わくば、この矢を届けたまえ!」

 

膨大な水気を纏った一矢。それは放たれると共に龍の幻影を纏うと、視界を覆う程の砂嵐ですら切り裂いて空を駆ける。

龍神の加護を持つ彼にはこの程度の砂嵐などそよ風にも等しい。天翔ける竜の一矢は狙い違う事無く大百足の額に命中し、突き刺さった矢は忽ちの内に大百足の毒性の体液によって溶け落ちていった。

手応えありと、藤太は残心を迎えてかつての仇敵を見やる。神獣達を使役するオジマンディアス配下の獣使い達も、その一撃で勝負は決まったと確信した。

だが、スフィンクスの一体が倒れぬ大百足に対して唸り声を上げて警戒した事を合図に、再び大百足が身を捩って神獣の一体を叩き潰す。

 

「何と、耐え切ったのか!? あやつめ、たらふく食っただけあって、生前よりも遥かに逞しくなっておる!」

 

叩きつけられる大百足の巨体を避けながら、藤太はそううそぶく。だが、実際は違った。

原因はこの砂嵐だ。ただ矢を射るだけならば問題にならない砂嵐ではあるが、それでもほんの僅かに矢の勢いを殺いでしまう。

その僅かに減じた勢いが致命の差となり、大百足の急所を射抜き切れなかったのである。

龍神の加護を以てしても尚、全力を殺がれる砂嵐。これを引き起こした“山の翁”が如何に規格外な存在なのかを、藤太は改めて思い知ると共に、ほんの少しではあるが恨めしく思ってしまった。

 

「まずいわ、早くこいつを何とかしないと、カドック達が中に入れないし、みんな苦しい思いをするばかりよ」

 

三蔵の言葉に藤太は無言で同意する。

戦っていてわかったことだが、この大百足は聖都の城塞に巻き付き続けたことで、半ば「城壁」という概念と化している。

つまり、この化生が城壁に巻き付いているのではなく、大百足自身が聖都の城壁なのだ。

故に、こいつが生きている限り火を放つ大筒を使おうが大木を叩きつけようが、城壁に傷一つつかないだろう。

反対側ではカドック達が戦っているが、あの魔眼の皇女の力を以てしても突破できないとなると、何とかして自分がこいつを仕留めなければここで連合軍は全滅である。

 

(だが、どうする? あの時と違って矢は十分にあるが、あれ以上の攻撃を行えるか?)

 

危険だが、もっと近くからより強い魔力を込めて放てば脳天を射抜けるかもしれない。

その代わり、自分はここで魔力を使い切って消滅してしまうだろう。

アーラシュに後を託された手前、できるだけそのような事態は避けたかったが、カドック達を先に行かせるためにはやむを得ない。

 

「馬を任せるぞ三蔵! 一か八かの勝負に出る故、お前はマスター達のもとへ行け!」

 

「……ダメよ」

 

「なに!?」

 

「自爆、ダメ、絶対! わかるんだから、そういうの。男の子ってどうしてすぐにそういうこと考えるのよ!?」

 

「い、いや、拙者は……」

 

珍しく目に力が入った本気の説教に、藤太は思わず言葉尻を窄めてしまう。

やはり高徳たる三蔵法師。普段はふざけていてもここぞという時はその片鱗が出てくるようだ。

 

「一か八かなら、もう一つだけ手はあるわ!」

 

「む、何をする気だ?」

 

「あなたはもう一度、さっきの矢を放てばいいの! 後はあたしが何とかするから!」

 

そう言って、三蔵は何を考えたのか馬から飛び降りて荒野に降り立った。

無論、そんなことをすれば大百足の巨体から逃れる術はない。奴の注意は藤太に向いているが、鉄砲水の如き勢いで暴れ回る大百足の激走の前には意味のないことだ。

 

「何をしておるのだ、三蔵!?」

 

「いいから! あなたはもっと距離を取って! 一度くらいは師匠の言葉を聞きなさい!」

 

「…………相分かった!」

 

言い合いをしていても仕方がない。

あの女はいい加減に見えてやると決めたことは必ずやり遂げる意思の強さを兼ね備えている。

その強い志こそが、遥か天竺までの旅を完遂させたのであろう。

故に藤太は走る。西へ、西へ。

再び矢を射るに十分な距離を取ると、馬を反転させて強弓を構える。

丁度、2人と大百足の位置は一直線となる形であった。

迫りくる大百足を前にすれば三蔵など蟻の如き小ささだ。

 

「頼むぞ、玄奘三蔵。そして南無八幡大菩薩……願わくば、この矢を届けたまえ!」

 

再び放たれる龍の幻影。

風を切り、砂を掻き分け、まっすぐに駆け抜ける龍の疾走は先ほどの一射と比較しても何ら遜色ない。

やはり距離が遠い上に込めた魔力が足らぬのだ。

この風さえなければ、或いは風を突き破るほどの勢いがあの矢にあれば、大百足を倒し切るだけの威力を生み出せよう。

すると、三蔵は何と着ていた袈裟を翻すと、物凄い勢いで大地を駆け出した。

東へ、東へ。

大百足に向かってまっすぐに疾駆し、その手に魔力――彼女の言葉を借りるならば法力を込めていく。

その頭上、丁度飛来した矢が通り過ぎようとしていた。

 

「よーし! 高速読経フル回転! 御仏の加護見せてあげる!」

 

正に矢が駆け抜けようとした瞬間、三蔵は跳躍する。そして、あろうことか龍の幻影をその手の平で押し出したのである。

 

「『五行山・釈迦如来掌《ごぎょうざん・しゃかにょらいしょう》』!」

 

釈迦如来。即ち、人類で唯一覚者に至った者の力を借り受けた掌打。

慈悲なる心を持って敵対者を懲らしめる対軍・対城宝具。

その力が藤太の矢を後押しし、先ほどまでとは比べ物にならない閃光となって大百足の頭部へと吸い込まれていく。

藤太は確かに見た。自らが放った矢が纏う幻影の龍に、黄金色に輝く覚者が跨り大百足へと飛び込む様を。

 

「これぞ正に神仏習合!」

 

釈迦如来と八幡菩薩、そして龍神の加護が合わされば、さしもの大百足とて一たまりもない。

額を射抜くどころか頭そのものを引き千切った光芒の矢は、流れ星のように尾を引きながら聖都の城壁に命中。

そのまま聖都内の上空を飛び過ぎると、反対側の城壁を打ち砕いて巨大な穴を作り出した。

無論、頭を失った大百足の巨体は糸が切れた人形のように大地に伏すると、鼻につく異臭をまき散らしながら風船のように萎んでいく。

かつては三上山を、そして今度は中東の聖地にとぐろを巻いた魔性の大百足は、此度もまた宿敵との戦いによってその命を散らしたのである。

 

「うむ、天晴とは正にこの事か。初めて師匠を見直したぞ」

 

「なによ、今まで敬ってなかったの!?」

 

「ははは、であるならば最初から面倒など見ぬよ。さあ、もうひと働きだ。大百足は消えたが、腹を空かせた連中はまだまだいるからな」

 

「ええ、こうなったらもうどーんっと来なさい!」

 

再び三蔵を後ろに乗せた藤太が馬を走らせる。

視界の向こうでは、2人が抉じ開けた城壁の穴から聖都内部へと侵入する連合軍の姿が見えた。




原作と違って聖都の城壁はただの壁(ただしムカデでできている)なので、ファイナル如来掌の出番はありません。

ガウェインは生命維持装置を自転車こいで自家発電している状態といえばいいのでしょうか。雁夜おじさんが一番近いですね。死ねない分余計に悲惨ですが。

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