Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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注意事項:作中、とある人物の評価や人物像について論じていますがあくまでエンターテイメントです。本SSに限る設定ですので生暖かく見守っていただけると幸いです。


神聖第三帝国エルサレム 第14節

崩れた瓦礫を掻き分けながら、アグラヴェインは地下へ地下へと潜っていた。

偽りの獅子心王の裁きを放っていた塔。地上部分は太陽王によって完膚なきまでに破壊し尽くされていたが、地下への入口は無事であった。

そして、深く潜るに連れて予感は実感へと変わっていく。

あの時、僅かに感じ取れた気配は正しかった。この奥には間違いなく、円卓の騎士がいる。

だが、同時に疑問が湧いてくる。この気配の持ち主がサーヴァントとして召喚されることはない。

生前に聖杯を手に入れたギャラハッドが通常の聖杯戦争に召喚されないように、この者もまたある理由からサーヴァントとして召喚されることはないはずなのである。

しかし、実際にここから彼の気配が伝わってくる。

今にも消え入りそうな弱々しい気配。しかし、決して消えてはならないという執念にも似た思いが伝わってくる。

 

「貴公は、その姿は……」

 

遂に辿り着いた地下牢には、痛ましい姿で鎖に繋がれた騎士の姿があった。

端正な顔立ちはやつれ、衰弱著しい。どうやって霊基を保っているのかが不思議でならないほど、彼は死に体であった。

それでも生きている。

何かの機械に繋がれた右腕を捩り、必死で拘束から抜け出そうと足掻いている。

 

「どうして貴公がここに……それに、その体は……」

 

拘束を外しながら、アグラヴェインは先ほどの問いを繰り返す。だが、目の前の騎士は応えない。そんな余裕などないとばかりに、歯を食いしばって自らの限界と戦っている。

 

「私を……どうか、カルデアの者達のもとへ……お願いします」

 

絞り出すように願いを述べ、騎士は再び沈黙した。

 

 

 

 

 

 

英霊はサーヴァントとして召喚される際、生前に持ち合わせた要素を抽出し、特定のクラスに当て嵌められる。

歴史に名を残すほどの聖剣や魔剣を所持していたり、優れた剣術を修めていればセイバー。

弓や銃、飛び道具に関する逸話を持っていればアーチャー。

魔術やそれに類する技術を身に付けていればキャスターなど、そのクラスは基本となる七騎、番外のエクストラクラスを含めれば非常に多岐に渡る。

その中で最も特殊なクラスがルーラー。裁定者のクラスだ。

ルーラーは通常、召喚することができない。これはルーラーが聖杯戦争の参加者ではなく、聖杯戦争そのものを監督するためのクラスだからだ。

聖杯戦争が特殊な形で行われたことで勝敗の行方が未知数の場合、或いは聖杯戦争によって世界そのものに歪みが生じかねない場合のみ、ルーラーは聖杯自身の手によって召喚される。

彼ら彼女らの役割は時に部外者を巻き込みかねない聖杯戦争を監視し、必要に応じて参加者に訓告やペナルティを与えることで聖杯戦争が破綻せぬようにすることである。

そして、もしも勝利者が世界の崩壊を招きかねない願いを叶えようとした場合、ルーラーは何があろうともその願いを許容せず、阻止せんとする。

それ故にルーラーとして召喚される英霊は「聖杯に望む願いがないこと」、「特定の勢力に加担しない公平性」を持つ者が選ばれる。

審判が独自の思惑で動けばゲームがゲームとして成立しないからだ。

だが、ここに1人例外がいる。否、いてしまった。

第三帝国のフューラー。

世界最大の独裁者にして悪魔の如き狂人。

文字通り世界を2つに引き裂いた二度目の大戦を呼び寄せた西暦の怪人。

獅子心王の名を騙り、中東の地を地獄へと変えたこの特異点の黒幕。

本来ならば最もルーラーとしての適性からは遠いはずのこの男が、どういう訳かルーラーとして目の前に現界しているのである。

 

「意外かね? ああ、もちろん私自身も驚いたものさ。だが、よくよく考えれば無理からぬことだと思い至ったよ。そもルーラーとは聖杯にかける願いを持たないもの。ならば私ほど私欲から縁遠い者もいない」

 

「どういう意味だ? お前は独裁者じゃないか! 世界を欲しいがままにするために戦争を仕掛けたんじゃないのか!?」

 

「そう、誰もが私をそう呼ぶ。二十世紀の最大の悪魔、狂える独裁者、時代錯誤にも世界征服を夢見た狂人とね。その通りだとも。そうあるべきと願われたからこそ私は実行した。その方法を選定し、計画し、実行した。後のことは君が学校で習った通りだよ」

 

生前の所業を、まるで他人事のようにフューラーは語る。

開き直るというのとはまた違う気がした。それが何でもない、ただ起床したらコーヒーを飲むというくらい当たり前のことなのだと言ってのける独裁者の顔は、まるで仮面か何かのように張り付いた笑みを浮かべていた。

どこまでも作り物めいた表情。先ほどまでと同じように雄弁に語り、目と口で感情を表現していたはずなのに、まるで人形か何かのようだ。

彼からは、自身の生前に対する誇りだとか後悔だとかの感情は一切、感じられなかった。

ただあるべきことを淡々と述べている。紙に書かれた記録を読み返しているだけに思えてならない。

その疑問に気づかれたのだろう。フューラーは意地悪そうな笑みと共に言葉を付け加える。

 

「私は時代によって……大衆によって生み出された」

 

「無辜の怪物」というスキルがある。

生前の所業によるイメージから過去や在り方を捻じ曲げられる能力であり、そのスキルを持つ者は本人の意思に関係なく、風評によって生前の真相を捻じ曲げられてしまう。

串刺し公は本物の吸血鬼に。

鮮血魔嬢は竜の娘に。

哀しみを生み出し続けた童話作家は主人公が受けた呪いを一身に受け。

ただの殺人鬼は素顔を隠した本物の怪人と化した。

誹謗中傷、あるいは流言飛語からくる、有名人が背負う呪いのようなもの。

フューラーもまたその例に漏れず、英霊としての在り方を歪められてしまっている。

奴は多くの人々を殺した虐殺者だ。血も涙もない化け物だ。誇大妄想に取り付かれたオカルティストだ。

戦争の敗者である彼に対してはあらゆる罵倒が正当化され、如何に歪曲されようとその方向が悪に貶める形であるのなら許容される。

そうして引き裂かれた彼の自我は、最早自分が生前からそうだったのか、英霊となったことで生前を歪められたのかすらわからなくなってしまったらしい。

 

「そもそも我が国は弱っていた。民衆は疲れ強いリーダーを欲していた。かつての強い祖国を取り戻して欲しいとね」

 

彼が台頭した時代、故国は戦争による多額の賠償金に苦しめられていた。経済は破綻し、国としての先行きが完全に暗礁に乗り上げていた時代だった。

国民の誰もが思っていた。あの戦争は間違いだった。例え負けるにしてもこんなにも苦しい思いを強いられるのはおかしいと。

そんな中で頭角を現したのがフューラーだ。彼は巧みに民衆の敵を作り出し、彼らが望む政策を打ち立てた。

民が望む強い国を作り出す、強い指導者を演じて見せた。

 

「生前の私には人並みに野心だとか愛国心だとかがあったのかもしれない。だが、英霊という身の上になってそれはわからなくなってしまった。今の私に聞こえるのは嘆きだけだ。我が国に住まう人々の嘆きをね。戦争への厭世感、インフレに苦しむ経済、やり場のない怒り、現政権への不満。負の感情はやがて一つの答えに辿り着く。こんな苦しい思いをいつまで続けなければならないのかと。こんな苦しい思いなんてしたくない、終わって欲しいと。だから、私は導いたのだ。何度思い返そうと思い浮かぶのは、大衆に望まれたから私は彼らを導いたという実感しかない」

 

「何を言っているんだ、お前は……何が言いたいんだ、いったい?」

 

「私には個がないのだよ。人格の話ではない。人生を生きる意味で私は私自身に指針を求めない。常に他者が望む者に、望む結果を追求する。犬を可愛がりたいなら保護しよう。豊かな生活が欲しければ大衆車と道路を。ご機嫌取りと呼べばそれまでだが、私にはそれしかなかった。それをしないという拒否権が私にはない。私は水、私は砂。大衆が与えたもう器に収まる奴隷、国民の願いを叶える舞台装置でしかない」

 

「なら、どうして魔術王に加担した!? 人理焼却なんて誰も望んでいないはずだ!」

 

「聞いたのだよ、この時代の嘆きを。私は太陽王に追い払われた十字軍の残党に召喚された。その時に聞いたのだ。幾度となく脅かされる聖地。宗教的対立と戦争。決して肥沃とはいえない痩せた土地。遥か故郷を離れた大遠征への疲れと遥か彼方より現れる白人達に脅かされる中東の民。口では聖地奪還を謡いつつもここに住まう人々は誰もが終わりを望んでいた。楽になりたいと願っていた。何もかもなくなってしまえと。人の願いの行きつく先はそこなのだ。君はエントロピーの法則は知っているかな? 水は上から下に落ち、熱はどんどん下がっていく。人の思いも同じものだ。どれほど文明が発達しても人は生きることの苦痛から目を逸らす。やがて大衆は終わりの中に救いを見出すのだ。トーデストリープ。死の本能と言ってもいい。人が人である限り逃れられぬ因業であり、私が唯一従うものだ。私の原動力、魂の指針。私なりの最大多数の最大幸福だ。私は滅びに向かう人の意思こそ尊ぶ。もう終わってしまいたいと願う無知で厚顔な大衆こそ救わんと動くのだ」

 

それこそが、この男が人理焼却に加担した理由であった。

人間ならば大なり小なり抱いている生きることへの絶望。それを肯定し、最悪の方法で救わんとするのがこの狂ったルーラーなのだ。

自身が聖杯にかける願いはない。望むのは皆が願う死。生の苦痛からの救いある死。個人でなく、国家でなく、集合的な無意識とでもいうべきものの願いを叶える舞台装置。この世界そのものへの狂った献身。

ただそれだけのために動くこの男には、それ以外の自己の欲求と呼べるものが何一つとして存在しないのだ。

だから、彼は聖杯にかける願いはないと言い切った。その願いは自分のものではなく、この世に生きる全ての人々の願いだからだ。

この世全ての死の総身とも言うべき存在へと、フューラーは成り果てていた。

 

『我欲によらない救済を成すからルーラークラスを得たなんてこじ付けも良いところだ。きっと人理が不安定になっているから召喚の際に何らかのイレギュラーが起きたんだ』

 

ロマニが言うように、この男がルーラーとして召喚されたのは本当に何かの間違いなのだろう。

だが、どのようなイレギュラーであっても人理焼却を企て加担している事実に変わりはない。

そして、この男は今までの黒幕よりもぶっちぎりで危険な思想の持ち主だ。その発端を自己の内ではなく他者の絶望に見出しているから質が悪い。

彼は人に求められれば喜んで善行を成す。その延長線上で人を殺すのだ。

生きる事への疲れ、諦観、誰もが抱く絶望。一人一人が持つには小さな感情であっても、遍く人々が持つ普遍的な思い。

決してなくなることのないその願いがある限り、この男の暴走は止まらない。

 

「マシュ」

 

「はい、先輩」

 

「改めて言うのもおかしいけど…………力を貸して欲しい。こいつにだけは、俺達は負けちゃいけない」

 

立香は実感する。

この男は自分達に対するアンチテーゼだ。

生きたいと願う自分達に対するカウンターだ。

だから、何があっても負ける訳にはいかない。

 

「はい、マスター! わたし達は負けません!」

 

再び戦闘が開始される。

先ほどよりも果敢に攻め立てるマシュの連撃を、やはりフューラーは虚空から取り出した幾つもの宝具の偽物で迎え撃つ。

裂ぱくの踏み込みがダインスレイフという魔剣によって相殺され、距離を取ったかと思えばイチイバルという弓を取り出して距離を詰めんとしたマシュをけん制。

動きそのものは緩慢な癖に、フューラーは的確に武器を採択してマシュの動きを封殺する。

 

「そうやってマスターの指示に黙って従うのかい? その震える手で、恐怖を抱えたままで戦えるとも?」

 

「っ……!」

 

「君には拒否権がない。カルデアの理念、マスターの指示、それらに反証すべき言葉を君は持たない。与えられた役割をこなすだけの人形。実に同じだとは思わないかね、私と?」

 

「一緒に……しないでください!」

 

フューラーの言葉に対してマシュは強い忌避感を覚えずにはいられなかった。

その言葉はまるで水のように、砂のように心の奥底へと沈み込んでいく。

例え頭では違うと否定できていても、感情がそれに靡いてしまいそうになる。

だから、マシュは呑まれぬよう自身を戒めながら盾を振るう。

そうして奥歯を噛み締めるマシュにフューラーはより苛烈な攻めを繰り出した。

距離を取れば弓や投石を、近づけば槍、隙を見せれば斧や鉄槌。

次々と武器を持ち替える様はまるで手品のようだ。

だが、手品というものは何度も見せられれば種が割れるもの。

戦い方を見ていると、フューラーが一度に取り出せる武器は1つか2つが限界のようだ。

武器を予め準備しておくということはできない。必ず虚空から取り出すという動作を挟んでいる。

付け入る隙はそこだ。この旅の中で何度も窮地を救ってくれた必勝パターン。

令呪による空間転移で隙を突く。

 

「令呪を持って命じる! マシュ、跳ぶんだ!」

 

右手の一画が消えると共にマシュの姿が掻き消える。

驚愕したフューラーは手にしていた双剣を捨てると、新たに盾を取り出して周囲を警戒した。

どこから現れるかわからないので守りを固める腹積もりなのだろう。

その判断は正しい。

視界の利かない背後や頭上に注意を向けるのも正しい。

だからこそ、大きな隙が生まれてしまう。

盾を構えて防御を固めた前方に対して、最も警戒を疎かにしてしまっている。

 

「はあぁぁっ!!」

 

フューラーの真正面に実体化したマシュが、踏み込みと共にフューラーの盾をかち上げる。

驚愕に顔を歪ませるフューラー。がら空きの胴体を守るものはなく、今から新しい武器を取り出しても間に合わない。

その無防備などてっ腹に一撃を叩き込めば、こちらの勝利だ。

その確信から思わず立香は拳を握る。

だが、直後に彼が目撃したのは、フューラーが新しく取り出した槍からの砲撃を諸に受けて吹き飛ぶマシュの姿だった。

 

「マシュ!?」

 

ボールのように地面を跳ねながらマシュは壁に激突する。

直接的な攻撃ではなく限定的な真名解放。彼女が咄嗟に腕を交差させなければ防御を突き抜け、胴を貫通していたかもしれない。

いったい、何があったのだろうか。確かにマシュはフューラーを後一歩のところまで追いつめていた。

盾をかち上げ、隙だらけの胴体を殴るだけで良かったのに、マシュはまるで石になってしまったかのように動けなかった。

 

「まさか――っ!?」

 

「ご名答。これはアイギスの盾だ」

 

ギリシャの大英雄ペルセウスが持つ、メドゥーサの首を張り付けた盾。

元は鏡のように磨かれただけの盾は、これによりメドゥーサが持っていた石化の魔眼の力を有するようになり、その後のペルセウスの冒険で大いに助けになったとカドックは言っていた。

フューラーが持つそれはやはり偽物。本物には大きく力で劣り、精々が相手の体を僅かに麻痺させる程度の効果しかない。

だが、一瞬の隙が生死を分かつサーヴァント戦においてはその僅かな硬直が命取りになる。

特にこのフューラーという男、「無辜の怪物」の影響もあるのだろうが、良くも悪くも戦い方に誇りがない。

偽物とはいえ聖剣や魔剣の名を冠した武器を躊躇なく使い潰し、こういった搦め手も使ってくる。

一対一だからこそ能力の相性でほぼ互角の戦いを演じているが、もしも円卓の騎士と一緒に戦われていたらこちらに仲間がいたとしても勝利は難しかったであろう。

 

「ふむ、麻痺毒はさほど利かぬか。他の者ならもうしばらくは動けないのだがね」

 

マシュが咄嗟に防御を成功させていたことに気づき、フューラーは怪訝そうに首を傾げる。

瞬間、立香の体を電流にも似た戦慄が走った。いつの間にかアイギスの盾をこちらに向けられていたのだ。

 

「なるほど、君もか。どうやら君達に毒は通じないと見た。オリジナルの石化ならこうはならないのだろうがね」

 

もう使い物にならないと首を振りながら、フューラーは盾をしまい込んで新たな武器を取り出した。

今度は槍だ。何の宝具の偽物なのかはわからないが、あれも一筋縄ではいかない力を秘めているのだろう。

 

「槍よりも鈍器の方が使い慣れているのだがね。これもまた大衆のイメージだ。無意識にこれを選んでしまう」

 

次はどう出てくるのか。立香は油断なく歩を進めてマシュと合流する。

先ほどのような搦め手を使われた際に備え、残る一画の令呪は温存しておかなければならない。

単純な殴り合いならばマシュは決してこの男に遅れは取らない。

一撃さえ叩き込むことができればいい。その隙を何とか作り出せれば、勝利はこちらのものだ。

そう思った瞬間、不意に足下の床が大きく揺れ始めた。

 

「なっ、何だ!?」

 

『地下から物凄い魔力反応だ。これは聖杯か? 馬鹿な、ダ・ヴィンチちゃんは!?』

 

『くそっ、何てことだ! 通信を妨害された!!』

 

通信越しにロマニの悲鳴とダ・ヴィンチの悪態が聞こえてくる。

ダ・ヴィンチはカドックに協力して聖杯爆弾の解体を行っていたはずだ。

彼は通信を妨害されたと言っていた。そして、この足下の揺れと強い魔力反応。

まさか、聖杯爆弾が起動したとでもいうのか?

 

「そのまさかだ。君達は何故、私がマスターを狙わなかったのか疑問に思わなかったのかね? 先ほどの盾のようにチャンスはいくらでもあった。なのにそうしなかった。待っていたのだよ、君達のお仲間が聖杯爆弾に仕掛けられた罠にかかるのを。彼らは自ら起爆スイッチを押してしまったのだ。そうなるように偽装しておいた。悪辣で、卑劣で、実にらしいだろう? 後5分もすればドカンだ」

 

マスター殺しのチャンスはいくらでもあったのに、敢えてそれをしなかったのは聖杯爆弾の起動を待っていたから。

ただ殺すのではなく、目的を果たすでなく、最も絶望の深い敗北を刻むために敢えてそのように動いたとフューラーは悪辣に笑う。

正に外道の為せる所業。グランドオーダーという偉業に誰よりも賭けているカドックの手で最後の引き金を引かせるところに彼の醜悪さが凝縮されている。

 

「逃げてくれても構わんよ。その時点で人理の修復は不可能になるがね」

 

そして、そう易々と逃がしもしないとフューラーは槍を構えてマシュに襲い掛かる。

確かに、この男に背を向けるのは危険だ。それにまだ自分達が敗北したわけではない。

立香は知っている。

カドック・ゼムルプスはこと諦めないことに関して他の追随を許さない。

彼ならば最後の一秒まで諦めずに打開策を見つけてくれるはずだ。

自分にできることは彼を信じてこの場に踏みとどまる事。

必ずやフューラーを打倒し、この特異点の修正を成す事だ。

 

 

 

 

 

 

時間は少しだけ遡る。

作業を始めてどれくらい経ったのかはわからない。ただ、額から滴る汗は石を敷き詰められた床の上にいくつもの染みを作り出していた。

片手だけの作業に難儀しながらもカドックは何とか聖杯爆弾の解体に成功しつつあった。

既に床には取り外された部品が散乱しており、爆弾を構成している機械の幾つかはランプの明滅が消えている。

時空を隔てたカルデアから、決して解像度もよくない映像を見ながらダ・ヴィンチはよくぞその構造を読み取れるものだとカドックは感心していた。

同時に、自分という凡人と天才との差をまたしても強く痛感し、複雑な胸中であった。

 

『よし、そこの赤いコードを切れば完了だ。後は聖杯を起爆装置から外すだけだね』

 

「本当に大丈夫だろうな?」

 

『万能の天才を信じたまえ、もしも外れなら――――』

 

言い終わる前にハサミで赤いコードを切断する。

調子に乗らせるつもりも変な冗談を言わせるつもりもなかった。

 

『あー、君って奴は――』

 

「万能の天才なんだろう。これで――――」

 

カチリと、頭上で何かが噛み合うかのような音が聞こえた。

続けて聞こえる電子音。一定の間隔で何かを刻むように聞こえてくるその音は、今この瞬間は何よりも不吉な死神からの葬送曲だった。

 

「カドック……動いている。タイマーが……動いています……」

 

後ろにいたアナスタシアが、頭上を指差しながら声を震わせる。

恐る恐る見上げると、先ほどまで沈黙していた巨大な電光掲示板が明滅を繰り返していた。

瞬きと共に数字が減っていき、一番右端の二桁がゼロになると真ん中の二桁が一つ減る。

不吉な黄色い明滅は、後5分足らずで聖杯爆弾が起爆することを物語っていた。

 

『馬鹿な、この私が欺かれたのか!? いや……最初からそうなる仕組みだったのか。解体そのものがタイマーのスイッチを入れるように設計していたなんて、何て悪辣な!』

 

「レオナルド!?」

 

『カドックくん、すぐに聖杯を取り外すんだ。間に合わないかもしれないがそれしかない。手順は――』

 

そこでダ・ヴィンチの言葉が途切れる。こちらから呼びかけ直しても返事はなく、カルデアの他の面々や立香との連絡すらつかない。

タイマーが起動すれば通信を妨害する仕掛けが聖杯爆弾には組み込まれていたとでも言うのだろうか。

 

「カドック、すぐに聖杯を――」

 

「駄目だ、聖杯はまだ起爆装置と繋がっている。手順を間違えれば、爆発する」

 

加えて聖杯は無数のコードで機械と繋がっている。正しい手順を知っていたとしても、それを全て外すにはとても5分では足りない。

これが偽りの獅子心王――あの悍ましい独裁者の狙いだったのだ。

希望を与えて絶望の淵に落とす。何と悪辣で卑劣な外道か。

きっと今頃、奴は自分の企みがうまくいって笑い転げていることだろう。

 

「ねえ、いっそ爆弾ごと氷漬けにするとかどうかしら? そうすれば爆発しないんじゃない?」

 

「普通の爆弾ならそれでいい。けど、聖杯の容量は桁違いだ。全て凍らせることはできない」

 

少しでも凍結を免れた魔力が残っていれば、聖杯爆弾は爆発してしまう。

残る一画の令呪とカドック・ゼムルプスの魂そのものを魔力に替えてもそれは敵わないだろう。

ならばどうする?

逃げても無駄だ。聖杯爆弾の爆発は人理そのものに穴を空ける。

どこに逃げても意味はなく、仮にカルデアに帰還してもこの時代が消失したことで人理修復は不可能になる。

人類史を救うためには、何としてでもここで聖杯爆弾を無力化しなければならない。

 

(どうする? こんな時、ヴォーダイムならどうする? ペペは? オフェリアは? あいつらなら――――)

 

追い詰められた時、他の人間ならばどのように対処するのかという疑問は愚問かもしれない。

何故なら、凡人である自分に出来ることは限られている。彼らのような鮮やかな手腕を自分は持たない。

星のように輝く栄光など、自分には縁遠い代物だ。

それでも諦めることはできない。

今、こうしている間にも立香とマシュは戦っている。

2人が諦めていないのならば、自分とアナスタシアも諦める訳にはいかない。

まだ何か打つ手はあるはずだ。凡人である自分達にしかできない、とびっきりの奥の手がどこかに残されているはずだ。

考えるのだ。

手持ちのカードは令呪が一画。

凡人マスター1人と細やかな礼装。

最愛のサーヴァントが一騎。その能力は――――。

 

「アナスタシア、君は電気信号を視ることはできるか?」

 

「えっと、この線の中を走る光のことよね? 集中すれば視れますけど……」

 

魔力の流れすら感知するのだ。それくらいは造作もないことだろう。

ならばやるべきことは決まった。残さされた手段はそれしかないと、カドックは覚悟を決める。

諦めるしかない。どんなに努力しても、自分では天才達のように綺麗には振る舞えない。

ならば凡人らしく、地べたを這ってでもできることをするしかない。

ほんの僅かな、ゼロにも等しい可能性に賭けるしかない。

 

「アナスタシア、君の眼を僕に繋げて欲しい」

 

それは、人間にとって死刑宣告にも等しい決断であった。

 

「何を言っているの……正気なの?」

 

「ああ。君の魔眼で爆弾を無力化する」

 

手順はこうだ。

わざと聖杯爆弾を起爆させ、起爆装置から信管に至るまでの電気信号を見極めて彼女の「シュヴィブジック」でその流れを凍結させる。

彼女のスキルは因果律にすら作用するため、信号が信管に到達しても時間を遡って爆弾を無力化することが可能なはずだ。

起爆装置そのものを無力化することも考えたが、「シュヴィブジック」はごく簡単なことでなければ効果を発揮しない。

機械を狂わせるなどという芸当は不可能だろう。

無論、爆弾の知識が皆無のアナスタシアではどの線が正解なのかはわからないので、それを代わりに自分が成す。自分の知識も付け焼刃だが、それでも彼女に比べれば遥かにマシだろう

そして、サーヴァントも使い魔である以上、通常の使い魔と同じように視界を共有することは可能なはずだ。

 

「確かにそれならば爆弾を無力化することも可能です。けれど、サーヴァントはネズミや小鳥とは違うの。回路を繋げばあなたはきっと、私が視ているものに押し潰される」

 

彼女が言う通り、サーヴァントが持つ情報量は人間が耐えられる代物ではない。

それは十字軍が使役していたサーヴァントもどきの毒の化け物がいい例だ。静謐のハサンの力を取り込んだことで彼らはその命を大幅に縮め自滅していった。

例え一瞬だけだったとしても、サーヴァントとの視界共有などしようものならどんなフィードバックが起こるかわからない。

最悪の場合、その瞬間に死んでしまう恐れすらある。

 

「他にもあります。正解の線がわからなければ? あなたの指示が間に合わなかったら? 仮にうまくいっても爆弾が爆発した後にも私が生きていることが前提なの。そうでなければ爆弾を無力化できません」

 

「欠片でも意識が残っていれば時間を遡れるはずだ」

 

起爆装置が作動してから爆弾が爆発するまで一秒とかからないだろう。

その刹那の時間に間に合わなければ全てが無駄になる。自らの手で人理にとどめを刺すことになってしまう。

それでも、カドックにはこの手段しか残されていなかった。

天才達に追いつくために、才能の差を埋めるために多くのことを為してきた。

寝食を惜しんで努力を重ね、創意工夫を凝らした。その上でまだ届かぬというのなら、後は命を賭けるしかない。

だが、これは自暴自棄になったからではない。必ず成功させるという確固たる意志を秘めた決断だ。

この最大の窮地を乗り越え、必ずや自分達は次なる特異点へと向かう。

まだ見ぬ終局へ、魔術王が待つ最果てへ至るために。

今日まで自分とアナスタシアは2人でグランドオーダーを駆け抜けてきた。お互いの呼吸すら掴み合えている今の自分達なら、刹那の一瞬に指示を下す事自体は可能だろう。

後はアナスタシアのスキルの発動が間に合うか否か、全てはそこにかかっている。

 

「お願いだ、アナスタシア。僕に証明させて欲しい。僕にもできると……いや、これは僕達にしかできないことだ。でなければ、みんな死んでしまう!」

 

立香もマシュも、聖都の内外で戦うハサンや藤太達、山の村や砂漠に住まう者達。

この特異点で出会った全ての人々が消えてしまう。

この過酷な環境で、それでも明日を信じて生き続けた人々の人生が無為なものになってしまう。

それだけは何としてでも防がねばならない。

例え遠い未来でこの決断を後悔することになったとしても、今、目の前の選択から逃げる訳にはいかないのだ。

 

「約束をして」

 

瞼を閉じ、そっと手が差し出される。

陶器のように冷たく滑らかな指先。握り返すと雪のように冷たく、マッチの炎のように暖かい。

その温もりが彼女の求める全てであり、答えであった。

 

「最期の時は、どうか手を握っていて。掴んだ手を、離さないで……私の目の届く所に居て。私の声を聞いたら、いつでも返事をして。私はもう……失いたくないの」

 

「ああ、もちろんだ。君の側にいる。必ず君に言葉を返す。ずっと僕の側にいろ、アナスタシア」

 

握り合う手の甲に鋭い痛みが走り、最後の一画の令呪が消失した。

それはまるで、神前に誓いを立てるかのように厳かな儀式であった。

これで自分と彼女の眼は繋がった。

アナスタシアの瞼が開かれた時、きっと世界は一変するだろう。

せめて最期の一瞬までこの手の温もりだけは感じていたいと切に願う。

 

「準備はいい、マスター(カドック)?」

 

「ああ、やってくれ、キャスター(アナスタシア)

 

こちらの返答に彼女は一度だけ頷き、静かに瞼を開く。

それは、カドックにとって、人生で最も長い一秒間であった。




無辜の怪物:EX
 生前の行いからのイメージによって、後に過去や在り方を捻じ曲げられ能力・姿が変貌してしまった怪物。
 本人の意思に関係なく、風評によって真相を捻じ曲げられたものの深度を指す。このスキルを外すことは出来ない。
 史実・創作のイメージから容貌が暗く陰気なものとなっており、本人曰く生前はもう少し健康的な肌をしていたと思うとのこと。
 現在においても彼に触れることはタブーとされており、例え正当な政策や戦果であったとしても称えられることは否とされ、 過剰に貶められたことでイメージに侵食され、本人ですら自己を失いつつある。
 そのため、現界した彼は生前以上に他者がそうであろうと思い描く人物像に忠実に従っている。

精神異常:A
 精神を病んでいる。
 通常のバーサーカーに付加された狂化ではない。
 他人の痛みを感じず、周囲の空気を読めなくなっている。
 精神的なスーパーアーマー能力。
 彼自身には真っ当な人間性があり、善行も悪行も人並みに行う。しかし、その本質は水や砂と表現できるほどの我欲の希薄さにある。
 彼は与えられた役割、求められた役割を完璧以上に演じ切ってしまう。そして、求められた以上の成果を以てその者に悲劇をもたらすのである。
 他人が、民草が、大衆が望むのならそれを成そう。例えそのために大衆の全てを犠牲にしたとしてもやり遂げよう。
 彼の行動はより大きな願望。即ち集合的無意識に左右されるのだが、無辜の怪物スキルによる影響でマイナスの方面に思考が傾いている。
 思考の固定という意味ではEXクラスの狂化に近いが、彼自身は必要に応じてその狂気を出し入れするサイコパスと化しているため余計に質が悪い。


というわけでフューラーのスキルを2つ公開。
はい、抑止力に真正面から喧嘩を売る内容です。人理焼却なんてイレギュラーがなければルーラーにはなれず、別クラスで召喚されれば即ルーラーが呼ばれる案件となります。
形はどうあれ民主主義によって生まれた指導者という部分を膨らませて反転させてみました。こんな人物だと生前は本当に自殺だったのか疑問が残りますよねぇ。アラヤさんが仕事したんじゃありません?



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