Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
その時、第六特異点で戦う全ての英霊達はその異変を感じ取っていた。
聖都外縁部で十字軍残党を相手取っていた藤太と三蔵は、不意に胸騒ぎを感じて聖都を見やった。
孤狼の如き誇り高き少年が如何なる決断を下したのか。それを知る術がなくとも彼の身に何かが起きたことを察した。
救い出した同胞と共に偽りの獅子心王のもとを目指すアグラヴェインは、かつての仲間にして憎み合う間柄であるランスロットの
例え仇敵の子であろうとも、騎士の礼を以て託されたのならそれに応えなければならない。それができなければ、それこそ憎きランスロットと同じ畜生に堕ちてしまう。
市街で横たわる呪腕のハサンは全てを受け入れていた。勝つにしろ負けるにしろ自分はここで終わる。結末自体には興味はない。
ただ、叶うならばこの地の民と異邦のマスターにとって救いのある結末であって欲しいと願いながら静かに瞼を閉じようとしていた。
聖都を目指すオジマンディアスとニトクリスは、自分達が間に合わなかったことに焦りを抱いていた。
偽りの獅子心王との宝具の撃ち合いはオジマンディアスにも少なくない傷を与えており、出立に時間がかかってしまったのだ。
傷を押して出陣していれば、こんな事態にはならなかったと歯噛みするしかなかった。
騎士王と初代の翁は、それぞれが聖都を見下ろせる高台から事の行く末を見守っていた。
この戦いは既にカルデアのもの。自分達のような人の理から外れた者が関わるべきではない。
例えどのような結末に陥ったとしても、それを見届ける覚悟はできていた。
聖都の中心部で打ち合うマシュとフューラーは、それぞれの勝利を信じて得物を振るっていた。
人類史の歩み。昨日から続く今日が、明日へと続いていくために。自分を信じてここまで一緒に戦ってくれたマスターの未来を守るために、負けられないとマシュは猛る。
人類史の歩み。昨日で終わらなかった今日が、明日へと続かないために。顔も知らない誰かの嘆きを終わらせんと、悪評に塗り潰された男は猛る。
そして、太陽が中天へと差し掛かった正にその時、運命の時間が訪れた。
□
不意にフューラーの顔が驚愕で歪む。
ここまで超然と槍を振るい続けてきた男に初めてできた大きな隙。
それを逃すまいとマシュは床を蹴り、大振りの一撃を無防備な独裁者に叩き込んだ。
すぐさま気づいたフューラーは槍を構え直すが襲い。既に懐へと入られた少女の一撃を躱す術はなく、両の腕を犠牲にして耐えることしかできなかった。
「馬鹿な……できるはずがない……」
吹っ飛ばされ、痛みで顔を歪めながらフューラーは呟く。
今、ここで起きている出来事が心底から信じられないと唇を震わせる。
足下の揺れは治まっていた。
聖杯爆弾が起動して5分。本来ならばとっくに爆発していてもおかしくない時間が訪れても、人理定礎はおろかこの建物自体にも何ら変化は起きていなかった。
それは、カドック・ゼムルプスがフューラーの企みに打ち勝った瞬間であった。
藤丸立香とマシュ・キリエライトが、こうして今も生きていることが彼の勝利の証明であった。
「如何なる技術者や魔術師でもあの爆弾の物理的な解体は不可能なのだ! ましてや、あの少年は凡庸などこにでもいるただの魔術師! なのに何故!?」
確信していた絶対的な勝利が揺らいでしまったからなのだろう。フューラーは現状が理解できないとばかりに槍を振り回し、壁や床を無茶苦茶に傷つけていく。
彼がどんなに悪辣で周到な罠を仕掛けていたのかはわからないが、あそこまで取り乱すということは余程、自信があったのだろう。
それをカドックは見事に破って見せた。後輩としてこんなに誇らしいことはないと立香は思う。
マシュもまた同じ気持ちだったのだろう。盾を構え、動揺するフューラーに向けて鋭い一言を言ってのける。
「カドックさんは憶病ですが、最後まで責任は果たす人です! あなたの野望、今ここに潰えました!」
「ぬぅっ!」
憤怒の表情で取り出した2本の槍が爆ぜ、フューラーの姿が見えなくなる。
目くらましではない、単なる八つ当たりだ。彼は手当たり次第に宝具を取り出しては無秩序に投げ放ち、自分の周囲を悪戯に傷つけていく。
それらはマシュの盾を傷つけることすら至らない。炎、雷、毒の風、様々な破壊が呼び起こされるが彼女の守りが揺らぐことはなかった。
「畜生め! 半年だ! 半年もかけたのだ! その計画がご破算だと!? こんな吹けば飛ぶような藁の家に! 我が悲願敗れるというか!?」
先ほどまでの悠然とした佇まいは最早ない。傷ついた腕から血が迸るのも構わずに、ヒステリックに喚き散らす様は痛ましさすらあった。
その慟哭すらもやがては断続的に起こる宝具の爆発音によってかき消されていき、フューラーの姿が煙の向こうへと消えていく。
直後、立香の背筋に悪寒が走った。
「マスター、伏せてください!」
立香が動くのと、マシュが叫んだのはほぼ同時であった。
半ば無意識に、受け身も何も考えずに我が身を堅い石の床へと叩きつける。
その一瞬後に、自分のもとまで後退したマシュが盾を振るって飛来した2本の刃を叩き落した。
見覚えのある二振りの中華刀。陰陽に分かれた夫婦剣の名は干将・莫耶。
中国の故事にて語られる名刀であり、互いが互いを引き合う磁石のような性質を持つ宝具だ。
この偽りの干将・莫耶も同じような性質を持っていたのだろう。フューラーは贋作宝具の爆発を隠れ蓑にしてこの二振りを投擲し、視界と耳が塞がれた自分の命を奪わんとしたのである。
先ほどまでの癇癪はそれを悟らせぬようにするための演技だったのだ。
もし、自分がこの宝具の特性について知らなければ。マシュの反応が少しでも遅れていれば、今頃、自分の首は胴体に別れを告げていたことだろう。
「ほう、その剣を知っていたか。カルデアに鍛冶師の英霊が召喚されているとは思わなかった」
策が破られたことでもう演ずる必要はないとばかりに、フューラーは冷静さを取り戻してこちらを見やる。
どこまでも誇りのない闘争。自らの敗北、劣勢すらも策に組み込み次の一手を振るう合理性。
やはりこの男、侮りがたい。
隙を見せればまた、さっきのようにマスター殺しを狙ってくるはずだ。
「認めよう。我が偽りの宝具では君の盾は砕けない。君の守りを抜くことはできないだろう。所詮は偽物。本物には敵わぬということか」
そう嘯きつつもフューラーは余裕を崩さない。
既に配下の十字軍も円卓の騎士もなく、聖杯爆弾すら無力化された。
誰の目から見てもこの男は劣勢であり、勝利の要素は限りなくゼロに近いはずだ。
だが、それでも彼はまだ自らに敗北はないと笑ってみせる。
ここで自分達を倒し、地下にいるカドック達も蹴散らし、再び聖杯爆弾に火を点けようと宣告するのだ。
「まだ戦うというのですか、フューラー!」
「ああ、もちろんだ。大衆が願う以上、私は諦めぬ。君達を打倒し、今度は私自身の手で聖杯爆弾を起爆しよう。そのために――君の防御がどれほど強固でも意味を成さない攻撃を実行しよう!」
言うなり、フューラーは手にした槍を自らの腹部へと突き立てた。
唖然とするこちらを尻目に、フューラーは苦悶の表情を浮かべながら突き立てた槍を抉り、零れ落ちた血で床を汚す。
いったい、何をしようというのか。相手の出方がまるで読めず、立香もマシュも不用意に動くことができなかった。
「お前、いったい何を……!?」
「ふふっ……この槍はかつて、救世主に死をもたらした聖槍の模造品だ。原典ならば癒しと呪いという二つの属性を持つのだが、偽りたる我が宝具では儀式的な礼装に過ぎない。だが、呪いを解き放つにはこれで十分。重要なのは真贋ではなく儀式の段取りだ」
『何だ……フューラーの魔力がどんどん高まっていくぞ。それにこの反応は…………まずいぞ、彼は魔神柱を呼び出すつもりだ!』
「魔神柱だって? でも、彼は聖杯を持っていないはず!?」
「例え持っていなくとも所有権はまだ私にある! その縁と無数の我が偽りの宝具に秘められた魔力を贄に私は魔神柱へと顕現する! 何、所詮は魔術王の真似事。聖杯なくしては数分も保たぬ成り損ないにしかなれぬが、カルデアのマスターを殺すには十分な力だ!」
見る見る内にフューラーの体は崩れていき、巨大な肉の柱へと転じていく。
次々と開かれていく肉の瞼。直視するだけで正気を奪われかねない醜悪な姿がこの世に生れ落ちる。
彼の狙いは焼却式だ。魔神柱が共通して持つ強大な魔力の解放。空間そのものに火を点ける魔の視線はマシュの盾を傷つけることはできなくとも、その後ろにいるマシュと自分を殺すには十分過ぎる熱量を秘めている。
もしも放たれればこの広場はおろか、建物全体が吹き飛ぶことになるだろう。
そうなる前に核となるフューラーを引きずり出さねばならないが、名もなき魔神柱を中心に吹き荒れる魔力の風が邪魔をしてマシュは近づくことができなかった。
いや、仮に近づけたとしても魔神柱の再生力を突破する術をマシュは持たない。
彼女の本質は守る力。共に戦う仲間がいて初めて真価を発揮するのだ。
魔神柱への変転を許してしまった時点で、こちらの敗北は必定となってしまったのだ。
「この時代と共に燃え尽きるがいい、カルデアのマスター!!」
異形の眼の焦点が重なる。凝視された空間の魔力が歪み、見えない火花が電流のように駆け巡る。
逃亡は間に合わないと立香は悟る。
あの炎は今までに相対してきたどの魔神柱のものよりも強力だ。
名もなき成り損ないの異形。されど、人類の死の総体ともいうべき執念の凝視。正しく
人類が人類である限り捨て去ることができない生への絶望と死への憧れを込められたその凝視に抗う術を自分は持たない。
次の一瞬で、どんな判断を下すかで自分達の運命は決まるだろう。
残る一画の令呪をどのように使うか。
マシュを転移させて逃がすことはできる。
その身を呈してマスターを守れと命ずることもできる。
だが、2人揃って生き残る術はどうやっても思いつかない。
ここが自分の限界だと、立香の胸中に不安と絶望が渦巻いた。
その時、傍らの騎士は一歩、前に踏み出した。
「大丈夫です、先輩は――先輩の明日は、わたしが守ります」
力強く、ハッキリと少女は宣言した。
「わたしは彼の語る幸福を認めません」
生きることは辛く、困難が伴う。
飽食の限りを尽くしながら心が満たされぬ亡者がいる。
明日の糧すら満足に得られぬ弱者がいる。
銃火が舞う荒野でなければ生きられぬ強者がいる。
人種、宗教、国家、文化、思想、あらゆる価値観の違いから人は争う定めにある。
人はそこにあるものを傷つけ、消費しなければ生きていけず、その果てに安穏とした死が訪れる。ならば、彼が言う通り死は一つの救いなのかもしれない。
だが、ここにいる彼女は違う。
決して短くはない旅の中で出会った人々との思い出や、代え難い経験がそれは違うと彼女の口を通して訴える。
「わたしも彼と同じ嘆きを聞きました! ですが、それは決して終わりを望む声ではありません! 人は迷い、苦しみます。生きることがこんなにも辛いとわたしはこの旅の中で学びました。そして、それでも生きたいと叫ぶ声を聞きました! ただ明日も生きて笑いたいと願う嘆きが聞こえました! 例え多くのものが失われ続ける生だったとしても、何かが次の世代に残され広がっていく。命はそうやって続いていくものです! それを奪う権利は誰にもありません! だからこそ、
炎が迫る。
決意を込めたマシュの瞳が視界を焼く凝視を捉え、己がマスターを守らんと盾を構える。
直感的に立香は彼女の不調を察知する。
盾も霊基も万全。だが、それを支えるマシュ自身はここまでの戦いで力を出し尽くしており、宝具を発動するだけの余力がない。
いや、仮に宝具を発動してもあの凝視に抗うことができるだろうか。
あれは霊長の自殺願望そのものだ。生きている限りあれに抗える者などいないということに気づけぬ彼女ではないはずだ。
それでもマシュは自分を守ろうと盾を握るだろう。共に戦うことを選んでくれた、無力なマスターを救わんと我が身を炎に晒すだろう。
自分にはそれだけの価値などないと立香は叫びたくなった。
本当は死にたくないだけで、彼女のことが放っておけなかったからここにいるだけなのだ。
ご大層なお題目なんてない。自分はただそれだけの平凡なマスターでしかない。
けれど、彼女にとっては違うのだろう。何よりもマシュ自身が自分の願いとして決断を下したことがそれを物語っている。
フューラーが言う通り彼女は人形だったのかもしれない。だが、この旅を通じて無色だった彼女の心に彩りが加えられた。
ただ教わったからではない。命じられたからでもない。彼女は自分の意志で目の前の死に抗うことを選択した。
ならば、自分はマスターとして彼女の側にいなければならない。主として、為すべきことを為さねばならない。
「令呪を以て命ず…………いや、君の好きにしろ! マシュ!!」
最期の一画が右手から消失し、魔力となってマシュの体に流れ込んでいく。
自分にできるのはこれが精一杯。後は、彼女を信じるしかない。
「令呪を以て我が身に命じます! どうか、わたしに勇気を!!」
そして、彼女は災厄の席に立つ。
全てを焼き尽くさんと迫りくる炎に向けて、更に前へと一歩を踏み出したのだ。
背後には守るべきマスターを、その後ろにある何十億もの人類が束ねてきた人理の礎を守るために。
「それは全ての
光が視界を覆いつくした。
まるで幻を見ているかのような光景だった。
怨念の如き炎の渦を受け止める幻影。それは誉れも高き白亜の城。
マシュの中の霊基。円卓の騎士ギャラハッドがかつてを過ごした思い出の城。
仲間と共に理想を語り合った、今は遠き夢幻の故郷。
これこそが英霊ギャラハッドの本来の宝具 『
そして、その源になっているのはマシュが持つ盾であり、かつて白亜の城に置かれていた円卓そのもの。
数多の英雄が救済の為に集った円卓こそが彼の宝具であり、マシュの新たな力であった。
その至高の輝きは気高くも暖かく、また彼女自身の心に淀みや汚れがない限り揺らぐことはない。
人類の死の総意など所詮は声なき声。形を持たない嘆きでしかなく、ただ1人の生きたいという願いを侵すことすらできなかった。
やがて、中天の日差しが広場に差し込むと共に白亜の城も消失する。
炎によって建物の壁と天井は全て焼き尽くされたが、彼女の盾と自分は傷一つ負っていない。マシュも僅かに手を焼かれただけで済んでいた。
「馬鹿な…………」
ドロドロに溶けた肉の中から姿を現したフューラーは、今度こそ心の底から驚愕していた。
自滅覚悟で放った一撃だったのだろう。人の姿を取り戻しても肉体の大多数は腐肉のままであり、肉体からは加速度的に魔力が失われつつある。
今ならば、マシュの攻撃を防ぐこともできないだろう。
だが、振り下ろされるはずの鉄槌は空しく床に転がり乾いた音を立てる。
全力を投じたのはマシュも同じ。限界に至った彼女の体は悲鳴を上げ、その場に倒れ込んだのだ。
「マシュ!?」
「す、すみま……せん……」
何とか立ち上がろうとするが、それよりもフューラーが懐から銃を取り出す方が早かった。
あれはただの銃ではない。神秘を帯びた英霊の武器だ。放たれる魔力の弾丸は確実にマシュの脳天に風穴を空けるだろう。
弱り切った今の彼女では防ぐことも避けることもできない。無論、ただの人でしかない自分にできることは、彼女を庇うために前に躍り出ることだけだった。
「私の……勝利だ……」
「いや、貴様にくれてやる勝利などここにはない。よくやった、サー・キリエライト」
低い声音と共にフューラーの腕があらぬ方向に捻じ曲がり、零れ落ちた拳銃が床を滑る。
見るとフューラーの体は四方から伸びた黒い鎖に巻き付かれ、まるで十字架に張り付けられた聖者のような姿で動きを封じられていた。
いつの間にここまで昇ってきたのか、崩れた壁の向こうにアグラヴェインが立っていた。
「貴様は……アグラヴェイン!?」
「朽ち果てる敗者に呼ばれる名など持ち合わせていない。そのまま無様に果てるがいい、獅子心王」
「我が宝具に屈せぬ狂信者め! この程度の戒めなど――――」
「聞こえなかったか? 私は果てろと命じたはずだ」
アグラヴェインは最大級の侮蔑を込めて虚空に縛られた独裁者に審判を告げる。直後、彼の傍らから銀色の甲冑に身を包んだ1人の騎士が飛び出し、輝く右腕を一閃させた。
「我が魂喰らいて奔れ、銀の流星――『
断末魔の叫びはなかった。
恨み言を吐く暇さえ与えず、輝く右腕は狂える独裁者の首を胴から切り離したのだ。
宙を舞い、床へと転がった男の顔は、まるで人形のように何の表情も浮かべていない虚無の色を纏っていた。
□
同時刻、聖都外縁部。
投降した兵士達の武装解除を見守っていた藤太と三蔵は、自分達サーヴァントを構成する回路のようなものが切り替わったことを感じ取った。
世界からの修正力。全身を戒める圧力ともいうべきものが急速に強まったのだ。
それはつまり、この時代における役割が終わったことを意味していた。
「うむ、どうやら我らがマスターはやってくれたようだ」
「2人とも大丈夫かしら? さっき、聖都の真ん中で物凄い爆発があったけれど」
「何、あの程度で倒れる御仁ではなかろう。彼の東方の大英雄が認めるほどの男とその友人だぞ」
アーラシュとの約束はこれで果たしたことになるだろうかと藤太は心の中で述懐する。
彼が杞憂していたことはもう大丈夫だろう。彼は逆境から立ち上がり、大切な友を得た。
ならば死者である自分達がこれ以上、口出しする必要もないはずだ。
最も、それと人理修復はまた別の話。もしも自分がカルデアに呼ばれたのなら、喜んで力を貸す所存ではあるが。
「さて、我が師、三蔵。これからどうする?」
「そうね。色々なところを旅してきたけど、まだ行った事がないところといえば雪山の天文台とか…………って、藤太、今何て言ったの?」
「さあ、何の事かな?」
「ちょっと、意地悪しないで言いなさいよ。お弟子でしょ」
「知らん。さあ、残る時間は短いぞ。別れがあるなら今の内にしておけ」
「ちょっと、藤太!」
笑いながら藤太は馬を走らせる。
色々なことがあったが、悪くない結末だ。
ならば最後にするべきことはやはり美味い飯だろう。
敵も味方も同じ釜から飯を食う。これができれば大団円だ。
そう思った藤太は、これが最後になるだろう宝具の解放を決意した。
「さあ、美味しいお米がドーン、ドーン!」
□
同時刻、聖都内繁華街。
暗闇の中から意識を覚醒させた呪腕のハサンは、全身を苛む痛みに悶えながらも大きく息を吐いて半身を起こした。
どうやら、気を失っていたらしい。トリスタンとの戦いの中、無我夢中で彼の騎士に組み付いて右腕の魔神を解放したところまでは覚えていたが、あれからどうなったのだろうか。
気を失っていたのは数分か、それとも数時間か。後者なのだとしたら魔神はどうなったのか。
堂々巡りの思考はやがて、視界に映り込んだ黒い影を認めて絶望に染まる。
死体を貪りながらゆっくりとこちらに近づいてくる黒い異形。それは右腕から解き放たれ、トリスタンという贄を得て受肉した
「あれが受肉した
右腕を失い、残る手足にもほとんど力が入らない。
このままでは、程なくして自分は奴に食われるであろう。
覚悟の上ではあったが、やはりいざその場面に直面すると恐怖というものは鎌首を上げる。
死ぬことに対してではない。かつて愛した女の子ども、ルシュドを1人残して先に去らねばならぬことが堪らなく怖いのだ。
例え血が繋がっていなくとも、我が子のように思っていた。否、そんな陳腐な言葉では語りつくせぬ思いがいつだって胸を渦巻いていた。
これが後悔なのかとハサンはひとり、我が身を嘲る。
周囲に目もくれず、迷うことなく大切なものを切り捨て続けてきた結果がこれだ。笑いたくもなるというもの。
「――――――!」
今にもその指先がこちらに触れようかとする直前、魔神の首が音もなく地面に転がる。
鈍い音を立てて倒れ込む巨大な影。その後ろから現れたのは、髑髏面と甲冑に身を包んだ剣士であった。
「おお……初代、さま――そうでしたな。この首は、事を成し終わった後に、と約束致しました……」
痛みを堪え、鉛のように重い体を引きずって頭を垂れる。
全身全霊を尽くしても、跪くのがやっとであった。この様では、もう起き上がることはできないだろう。無論、これから首をはねられる自分にはもうその必要はないのだが。
「――――」
しかし、“山の翁”はこちらを一瞥しただけで興味を失ったかのように踵を返し、剣を収めてこの場から立ち去ろうとする。
まるで、するべきことは全て終えたと言わんばかりに。
「お、お待ちください……何故、何故我が命を……!?」
「おかしな事を言う。呪腕のハサンめの首、たった今落としたところだ」
そう言って“山の翁”が指差したのは、先ほど彼が一太刀の下に首をはねた魔神の骸であった。
「これなる骸の腕は呪腕のもの。であれば、それは呪腕の翁であろう」
「なっ――――」
「貴様は既に山の翁ではない。よって、我が剣にかかる道理もない」
故に命は取らぬというのがこのお方の決定。否、天命であった。
それは、死を以て免責するという代々の山の翁の歴史において発生した、例外中の例外であった。
「誇るがよい。いたらぬ暗殺者なれど、貴様は我ら十九人の中でただひとり、翁の軛から逃れたのだ」
そう言い残し、“山の翁”は消えるようにいずこかへと立ち去ってしまった。
呪腕のハサンは、しばし呆然とその場に伏していた。肉体の疲労もある。だが、それ以上に初代の翁が口にした言葉が胸の内へと深く深く刻まれたからだ。
連綿と続いた翁達は皆、最後には首を断たれることでその資格を失う罪を免じられてきた。
そんな中で、自分だけが生きたまま役目を降りると彼は言ったのだ。それが最後まで未熟な暗殺者であった自分が誇れる唯一であると彼は言ったのだ。
「なんと……なんと、いう事だ――――貴方はこう言われるのか。この時代に留まり、山の民の復興に尽くせ、と」
何れ、この時代は歴史の波と共に修正される。そこには偽りの獅子心王との戦いも太陽王の存在もなく、自分達の存在も最初からなかったことになるであろう。残された時間は決して多くはない。何をしてももう間に合わないかもしれない。
それでも、呪腕のハサンは偉大な初代からの命令を蔑ろにするつもりはなかった。
彼が果たせと命じたのならば、身命を賭してやり遂げよう。それが唯一、山の翁の身を生きたまま免責された自分の責任の在り方なのだから。
「このハナム、一命に換えてもやり遂げましょう。そして、それが成った暁には……改めて恩を返さねばなりますまい。カルデアのマスター――さて、うまく縁が結ばれればよいのですが……」
まずはこの傷を癒す。教団に伝わる秘薬の中に痛みを麻痺させて精神を高揚させられるものがあったはずだ。
それから死者の弔いと生き残りの民を纏めて村の再興だ。聖地の再建や砂漠との交流も為さねばならない。
やるべきことは非常に多いが、自分ならばきっとこなせるはずだ。
そして、その時こそこの面を取る事ができるかもしれないと、ハサンは静かに思うのだった。
□
同時刻、聖都中心部地下。
勢い余って後ろに倒れ込んだカドックの体を、アナスタシアはしっかりと受け止めると、そのままゆっくりと床に座り込んだ。
そして、力を使い果たした主の頭を自身の膝に乗せ、弟を労う姉のように優しく頬に手を添える。
見上げた壁の機械には、元々は何かが埋め込まれていたことを示す空白の空間がぽっかりと空いていた。
それは聖杯爆弾の中枢。先ほど、カドックが苦心して抜き出した聖杯が埋め込まれていた場所だ。
起爆装置からそこに至るまでのコードは一部が凍結していてるが、それは単なる視覚効果に過ぎない。実際には内部の電気信号が凍り付いているのである。
人理そのものを破壊するという前代未聞の破壊兵器は今、この平凡な魔術師の手で遂に無力化されたのだ。
「ははは……やった……やったぞ……僕らがやったんだ……僕にも…………僕にもできたんだ……僕がやったんだ!」
疲れ果ててまとも動くこともできないのに、右手だけはしっかりと抜き出した聖杯を握り締めて放さず、まるで子どものように心底から嬉しそうに笑っている。
それはある意味、彼にとって勲章のようなものであった。
ずっと自分のことを卑下してきた少年が、始めて自分の力で成し得たと実感できた偉業。
彼は生まれて初めて、自分を褒めることができたのだ。
そして、その代償はあまりにも大きかった。或いは、少年にとってとても些末な代償で済んでいた。
「アナスタシア」
「なあに、カドック?」
「今、とても嬉しいんだ。君も笑っているんだろう? 祝福してくれているんだろう?」
目に大粒の涙を浮かべているパートナーに向けて、カドックはどこか乾いた声で問いかける。
アナスタシアが主の痛ましさを憐れんでいることに彼は気づいていない。
彼の両の瞳からは、光が失われていたからだ。
「アナスタシア?」
不思議そうに聞き返すカドックの髪を、アナスタシアは愛おし気に撫でる。
主の問いには答えず、ただ静かに自身の誓いを口にする。
「私があなたの目になります。あなたの奏でる音になります。私が――最後まであなたの側にいます」
これが身に余る大望を抱いた報いというのならばあんまりだ。
こんなにも傷だらけになってまで笑う少年が余りに不憫でならない。
彼は既に自らの手で音楽を奏でることができない。その上で運命は彼から光すら奪っていった。
それが彼自身が望んでなった結末であるのなら、果たして報酬は何なのか。
栄誉か、それとも賞賛の声か。そんな空っぽな勲章では釣り合いが取れない。
彼が払った犠牲に対して、余りにも釣り合いが取れていない。
それでも彼は笑うのだろう。
これで良かった。やっと自分を証明できたと。
ならば、足らぬ分は自分が代わりとなろう。
この身の全てを賭けて、最後の時まで彼を支え続けよう。
そして、今にも消えてしまいそうな儚い輝きが、彼の中でこれ以上陰らぬように、願わずにはいられなかった。
焼却式『
ランク:??? 種別:対人類宝具 レンジ:??? 最大捕捉:???
本来のフューラーが持ちえない、第六特異点でのみ行使可能な限定宝具。聖杯を所持しているという縁と『偉大なりし民族遺産』に眠る全ての偽りの宝具を魔力に変換し、自らを触媒として魔神柱(厳密にはその成り損ない)を受肉させる。
その本質は人類が持つ生きることへの苦悩と絶望、死に救いを求める破滅願望や自殺願望を名もなき魔神柱の視線を出力として放出する人類に対する特攻術式。視線に触れた者は即座に即死判定が発生し、人類の総人口の数だけ抵抗への難易度が上昇する。
また凝視によって生じた炎自体にも対象の最大HP分のダメージが発生し、それが人類種(正確には生きることに忌避感を僅かでも抱いている人間)であるなら更に×人類の総人口分の追加判定が発生する。故に人が人である限り、この術式に抗うことはできず焼き尽くされる定めにある。一方で神や獣といった人ならざる存在や覚者といった救世者、外宇宙の存在には即死判定及び追加判定は発生しない。
どこかの平行世界にいるという月の王に対しても即死及び追加判定は大幅に緩和される。
マシュも本来ならば耐えられるはずもない。だが、通常は生の苦しみから死に逃避するのに対して、彼女は元から死に近しい位置におり、そこから旅を通じて人として生き返ったことで即死判定に対して
なお、この術式は使用するとフューラー自身の霊基に修復不可能な傷が入るため、彼にとっては事実上の特攻宝具でもある。
当初、こんなとんでも宝具を出すつもりはなかった。
最初は救世主殺しの槍でいくつもりだったのに、気が付くとなんか新しい技が生えてきました。
ちなみにカドックはまだ失明したとは明言していません。
明言していませんので、どんな容態なのかは次話を待つべしです。